いつもの君と、いつもの場所で

武将の補佐の役割を持つ、副官の地位にあるは、変わり者だ。
珍しい赤茶色をした髪は軽く毛先が跳ねていて、首筋にかかる程度の長さが快活な印象を与える。二十代前半か半ばの男性のようだが、人当たりの良い笑顔と多少気の抜けた口調は、実年齢よりも彼を若く見せる。だが背丈はすらりと伸び、細身だがしっかりと筋肉のついた鍛えられた体躯は、一般兵にはない空気をまとっている。黒の好漢服と赤の鉄騎将腰鎧という組み合わせの武装姿が、彼の気さくな雰囲気とよく似合うが、こうやって見れば変わったところなどない。
変わり者と言われる理由は、彼の普段の立ち振舞いだ。

いくつも上げられるが、一般兵の中に混じって鍛錬をし、その休憩時間も輪の中に自然と溶け込んで話を弾ませていることがまず第一の理由だ。兵と会話を楽しむのは、他の武将たちとて同じだが、の場合は少々異なる。兵が「俺、少し苦手なところがあるんです」と愚痴に似たものをぽつりと漏らせば、「あー分かります、慣れるまで大変ですよね」とうんうん頷いている。副官といえど一般兵に比べればずいぶんと高位の役職で、気軽に話せるものでもないのだが、は気にも留めずむしろその気軽さを嬉しがってお願いしているようだ。兵たちの表情も、彼と話す時は普段以上に明るく自然体で、は慕われていることを示している。
自然に溶け込みすぎて、逆に変わり者の印象が強まるのだ。

また、給仕といえば、女官や兵たちの仕事だ。茶を運んだり、鍛錬の休憩時間に身体を拭う布を配ったりと、雑務は彼らの担当である。のだが、一応は高位の地位にあるはずのは率先して茶を作りに向かって何食わぬ顔で配って回っている。そのたびに兵たちからは「俺達がやりますからァァァ」と悲鳴じみた声が多数上がるのだが、彼は屈託無く笑って気にする様子もない。むしろそれを楽しんでいるようで、ほぼ毎日の光景となりつつある。
自ら進んで給仕を行うのは、ごく僅かな少数と彼くらいなものだ。

そして、これが最大な理由だが、彼は頻繁に獣舎へ出入りしては、軍馬や虎、狼といった猛獣までも世話している。担当ではないのに、馬舎ならまだしも猛獣のいる獣舎に進んで向かうのは非常に珍しい。獣舎を担当する兵たちからは尊敬されありがたがれ、そして最近では「あの人は獣舎の神だ」と拝まれている。
動物の扱いには心得があるようで、巨大虎だってお手の物。そういえば、よく君主である孫権に「動物の世話がやりたい」と直談判しているが結局秒速で「駄目だ」と返されていたことを思い出す。
武将の補佐を任されるだけあって武芸においては目を見張るものがあり、世話係にさせたくないのが本音だろう。なにせ、下町から自ら引き抜いてきたのは孫権の兄である孫策で、その場に彼もいたのだから。それでもは、諦めることはしないようで、何度も申し上げている様子が周囲に見られている。が、結局は同じ結果なのだが。

上げ始めてしまうときりがないが、ともかくという男性は、この国……《呉》で、変わり者であった。

現君主、孫権の妹であり、呉の姫君である孫尚香も、常々そう感じていた。
庶民出身ということもあり煙たがるものも未だ存在するが、尚香はのことを気に入っていた。気に入っているという表現も語弊があるが、今の彼女の心境にはぴったりだった。
彼と話をするのは、好きだ。変に気取っていないし、繕っていないし、自然な笑みには思わずつられてしまう。
彼と鍛錬するのは、好きだ。誉めそやしたりわざと負けたりしないし、稽古勝負で勝っても負けても不思議と爽やかな気分になってしまう。
彼と過ごす時間は、好きだ。年上のはずなのに妙に悪戯っぽくて、まるで同年齢の友人のような、和やかさを感じる。
は、とても親しい感情を抱ける相手だった。孫策はもちろん孫堅や孫権が手塩をかけ気に入る理由が分かる。庶民出身でありながら、ここまで上り詰めたのは一重に彼の努力の賜物なのだ。
……ただ、ものすごく変わり者。


この日もやはり、兵たちの悲鳴が響き渡っていた。尚香が鍛錬場へ足を踏み入れた直後だ。大気どころかその建物すら揺らすような悲鳴が、尚香の全身を包んだ。

様、俺達がやりますってばァァァ!!」
「俺も茶が飲みたいからついでに作ったんですけど……もしかして、不味かったりするのか?」
「いえ、すごく美味しいです……って違いますし!!
「副将の様に、そんなことはさせられないんですって!」
「気にしない気にしない、ついでだから。ささ、飲みましょうよ」
様ァァァ……」

……また彼が自分で茶を作って配るものだから、兵たちが困っているらしい。
尚香はクスリと笑みをこぼし、顔を覗かせた。広い鍛錬場の中には、兵たちが集まり輪を作っている。その中心には、すらりと長身な赤髪の男性……がいる。その手に大きな盆を持ち、一人一人の兵へ手渡している最中なようで、精悍な横顔に浮かぶ悪戯っぽい笑みに、兵たちはペコペコと頭を下げながらもつられて笑っている。とても、親しい様子が見て取れた。
尚香は鍛錬場へ踏み入れると、軽く手を振りながらその輪へ歩み寄った。《弓腰姫》の異名を持つ武芸達者な娘だが、孫呉の姫君。彼女が現れたことで、別のざわついた声が上がるが、はさっと盆を置き礼の姿勢を作る。片手は握り拳を作り、もう片方はそれを覆うように手のひらを重ね、胸の真ん前まで腕を上げ頭を垂れる。その一貫した仕草は、すっと伸びて凛々しさがあり、絵になるようであった。
そのにつられて、兵たちも慌ててその礼を取るが、片手に茶を持っていたりなどして不恰好だったが、それを気にする尚香でもなく、微笑んで首を振った。

「気にしないで、立ち寄っただけだから。私に構わないで、休憩してて」
「は、はい」

ペコペコと頭を下げる様子がおかしくて、笑みがこぼれる。尚香は、それからへ身体を向き直らせて、彼を見る。男性のわりにしなやかな体躯であるが、やはり身長差というものは大きく、尚香はぐっと顔を上げて、彼と視線を交わす。紅鳶色に近い彼の瞳が、光が時おり当たり赤く煌いている。

「鍛錬してる時に、邪魔しちゃった?」
「いえ、本当は孫策様がご指導されていたんですが、どういうわけか突然いなくなってしまって。居合わせた俺に半ば押し付けて、未だ戻られないところです」
「やだ、策兄様ったら」

孫家きっての、豪快な性格の持ち主の孫策。父譲りのものだろが、突然思いついたらいなくなって、そして笑いながら戻ってくるなんてしょっちゅうのこと。おかげで盟友の周瑜のストレスがたまって、今頃机に突っ伏していることだろう。
尚香は慣れてしまい驚きはしないし、かれこれ数年の付き合いのも「孫策様らしいですねー」なんて笑っているくらいだ。

「そのうち戻ってくるわ、も何かやることがあればそっちに行って良いわよ」
「それは……大丈夫ですか?」
「毎度のことなんだし、妹の私が言ってるんだから大丈夫よ。文句が出たら、周瑜に言えば良いもの」

地味に周瑜を追い詰めるのは、何も孫策だけではなかった。
は苦笑いしながらも、「お言葉に甘えて」と素直に頭を下げる。用と言うほどではないが、もともと行こうと思っていた場所があるため、は尚香へそう伝えると、彼女はパッと表情を明るくさせる。ぱっちりと開いた目が、キラキラと輝いて、「私も良い?」と尋ねてきた。

「俺は構いませんが……行くところは、いつもと同じ場所ですよ?」
「良いの。貴方が居ないと、なかなか行けないから」

尚香は懐っこく笑うと、気さくにの腕を取る。彼はにっこりと笑うと、尚香に引っ張られるまま歩き始め、去り際に兵たちへ「孫策様は戻ってくるはずだから、頑張ってな」と声をかけ手を振った。こういったところも、慕われる理由なのだろう。
が下町から引き抜かれた時、彼は青年、尚香は少女だった。孫堅と孫策が彼を直々に選んで武芸を学ばせ学業も学ばせ、手厚い恩義を彼なりに感じていたようでよく孫家の手伝いをしてくれていた。身分は違えど、彼とはその頃からの長い付き合いのつもりで、兵たちが慕う理由も何となく理解出来る。

鍛錬場を離れた二人は、時おり言葉をかわして談笑に弾みながら、目的の場所に向かう。孫呉の姫と副将が、と思われるところだろうがこの国の特徴としてやたら誰もがフレンドリーということがあげられるせいか、違和感を持つものはほとんどいない。それに加えて、泣くわ感動するわの情熱人が多いせいか、必然的に妙な団結をもたらす熱々とした国で、そのシンボルカラーに相応しく実に暑苦しい日常が繰り広げられている。話がそれたが、尚香とが肩を並べてもおかしいことではないのだ。
二人の足は、城内の豪奢な回廊を抜けて外庭へと踏み入れ、人の気配が少ない馬舎の前へと辿り着く。が、馬のいななきが響くそこは過ぎ去り、一層整備の怪しい路に入る。生い茂る竹林が、ここが城内の一角にあるとは思えないほどの静寂を漂わせるが、二人は臆することなく突き進む。そして、簡素だが柵で囲って整えた円状の庭と、馬舎と比べたらずいぶんと頑丈に補強され物々しさのある建物が現れる。
そこは、限られたものたちしか足を運ばないような場所で、男勝りな尚香もあまり一人では来ないようなところだった。隣にがいて、ようやく足を踏み入れる。
建物からは、低い唸り声に似た獣の声が僅かに響き、がっちりと組まれた入り口を越えればそれが一層近くに聞こえる。動物特有の匂いが漂う、けれど馬舎とは全く異なる気配の数には弓腰姫とて一瞬だけたじろぐ。その中でも、は慣れたように進んで、二つ、三つといかにも頑丈そうな檻を過ぎ、ひときわ巨大なそれの前に立った。尚香もそれに習い、そっと隣に佇む。
は、檻の格子の向こうへ、そっと言った。

「雪斗 ( ゆきと ) 」

《雪斗》と呼ばれたそれは、の気配を感じ取っていたのかすでに横たわらせた身体を起こしていて、のそりと格子に身を寄せる。巨大な体躯であるのに、その甘えるような仕草が不釣合いにも見える。が太い格子の間に腕を伸ばして、それをワシャワシャと撫でると、気持ちよさそうに低い鳴声を漏らした。
と尚香の前にいるもの、それは……―――――。

「よしよし、良い子にしてたか? 今、外に出してやるからな」

尚香はそっとの斜め後ろに後ずさり、それを確認しは檻の戸をガシャンとためらいなく開けた。そうして、ゆっくりと檻の中から出てきたものは、仄かに青い虎模様が描かれる白銀の毛並みの生き物。あらゆる身体の部分が太くそして強靭で、並みでない威圧感をすでに放つそれは、最近ではとりわけ恐れられる巨大虎である。
そう、二人が今いる場所は、不必要に人が寄り付かない獣舎……戦に駆り出される猛獣たちを収める建物であった。
おそらく一般人か兵、まあ文官であっても武将であっても、絶対に失神する光景だろう。村々を襲う野生の虎の、親玉のような存在である巨大虎を檻から出した挙句に、何の装備もなく目の前にいるのだから。狂人かあるいは無謀な阿呆と思われるところだ。だがはそのまんま突っ立って、真っ白な巨大虎をポンポンと撫でている。巨大虎も、ちらつく鋭い牙を向けることもなく、甘えて身体を擦り付けている。それこそ、人に慣れた猫みたいだ。
《雪斗》と呼ばれた巨大虎は、の隣に並んで、彼が歩けば一緒に進む。

……が変わり者である最大の理由が、この光景。
猛獣の扱いが上手いのも、彼の実家が《猛獣狩り一家》なんて呼ばれるから。そしてこの巨大虎は、幼い頃から共に過ごしてきた兄弟のような存在だから。
はその話が出るたび心底不本意そうな顔をしているが、十分に彼も日常から逸脱している。( とはいえ孫呉はやたら熱い面々が多いため、馴染んでいるが )

「尚香様?」

尚香は首を振ると、すぐさま駆け寄り、の隣に並ぶ。変わり者だけれど、彼はとても居心地の良い人物だ。
獣舎の内部は風通し良く造られているが、やはり遮るもののない外の方が心地良く、雪斗も飛び跳ねるように駆け回っている。
それを眺めるの横顔を、尚香はそっと盗み見た。
精悍な顔立ちに浮かぶ、悪戯っぽい笑み。細められた紅鳶色の瞳に、意図せず意識が集中する。

「尚香様は、変わった方ですね」

急にそう言って、が顔を向ける。尚香は慌てて顔をそらし、「何が?」と何事もなく返した。

「いえ、そうそう獣舎に来ないでしょうに。女の人っていうのは」
「孫家は江東の虎と呼ばれる一族よ。虎は普段からそばにいるもの。本当は一人で来たって良いんだから」
「それは、ご勘弁を」

は肩をすくめて笑うと、細めた瞳を尚香へ向け言った。

「貴方に何かあれば、俺が殿や大殿に叱られてしまいますからねえ」

冗談めいた口調だったが、彼が尚香を案じているという感情は含められていた。
尚香は幼い頃から中々のおてんばで、女官たちや家族の目を盗んでは、たびたび獣舎に出入りしたり、虎の群れに突撃していたりしたらしい。いくら飼いならされたと言っても、相手は猛獣だ。もしものことを考えると気が気でなかった孫堅と兄達だが、そこにポンッと飛び込んできたのが、巷で有名な《猛獣狩り一家》の長男。( 飛び込んだというより連れ込んだ ) 彼が一緒なら獣舎に出入りしてもいいという、実に大胆な条件がつけられたのだ。
それは今も続き、曰くが「何かあれば大変だから」とのことで、現在もと尚香はほぼセットで獣舎にいる。

「私は、大丈夫なのに」
「まあまあ、煩わしいのは承知ですので。お願いしますよ」

彼はそう言ったが、尚香が煩わしいと思ったことは一度もない。むしろ、この時間は穏やかになれるとても有意義なものだった。それを素直に口にすることは出来ず、曖昧に濁すだけに留まってしまった。

幼い頃から顔を合わせる機会が多かった、と尚香。孫堅にその条件をつけられてからはますます親しくなり、いつのまにか立場を越え仲良くなっていた。あの時は、立場などよく分からなかったが、今はそれをどうしても感じてしまう。
おてんばな少女は、一国の姫君に。
門下生だった青年は、武将の補佐を努める副官に。
もう互いに成長し、年齢や男女差も、立場も、はっきりとしてしまった。今も、隣に並べば分かる。もう彼には、力で勝てっこないのだ。


――――― 敬語じゃなくていい。

尚香がそう言ったことはあったが、が首を縦に振ることはなかった。大体のことを笑って頷いてくれた彼が、ただその時だけは頑なに譲らなかったことを覚えている。
それが唯一、尚香の胸をチクリと刺す《痛み》であったが、培ってきた親しさはこの先変わらないと信じていたい。

「ね、私と雪斗、前よりも仲良くなった?」

話を変えてそう尋ねると、は「ああ」と視線を白銀の巨大虎へ移し、そして再び尚香を見つめる。

「尚香様とも、付き合い長いですから。もうアイツもすっかり気を許してますよ」
「そっか、もうちょっとしたら、背中に乗せてくれるかも!」
「はは、そりゃ困りましたね。俺の立場がなくなってしまいますって」

尚香はコロコロと笑い、雪斗を呼ぶ。巨大虎は振り返ると、そのどっしりとした体躯で尚香のもとへ駆け寄り擦り寄った。
もういくら撫でても怒らないし、呼べば飛んでくる。もう少しで、背中に乗れるだろう。この白虎と親しくなると、とも一層親しくなれる気がした。
雪斗と戯れる尚香を眺め、はふっと笑みをこぼし言った。

「もし、ソイツに乗れる時が来たら」

振り返った尚香の前に、の笑みが飛び込む。昔と変わらない気さくで人の良い、そして現在の男性の精悍さの滲む大人らしい笑みだ。

「俺も、お供をさせてもらいますよ」


――――― 彼は変わり者で、そんな彼が気に入ってる。
その単純な一言に、収まりきらない想いがあることに、尚香はまだ気付かない。



孫尚香と夢主の話。呉はけっこうフリーダムなイメージ。

彼と尚香は仲良しなら良いな、という願いを込めた結果こうなりました。
恋か友情かはっきりしない感じも、好きです。

2011.02.01