その距離、口喧嘩にちょうどよく

赤茶に染まった、紅鳶色の髪と、同じ色の瞳。首筋に掛かるところで跳ねた毛先は短く、少々乱雑ではあるが、顔立ちは精悍で身体つきや身長も恵まれている。屈強というよりもしなやかさの方が見て取れる。
印象は、悪くなかった。むしろその逆で、好ましい。二十代前半あるいは半ばの男性は、甲斐姫の前で礼をしており、整った顔ぶれの多い武将らにも勝るとも劣らぬ容姿であった。恐らく混ざっても、違和感は無いだろう。
彼を紹介してくれた孫尚香に、猛烈な感謝の念を抱いたものだ。
だが……。

「なるほど、貴方が評判の熊女ですか。初めまして」

――――― 好印象から、一転。
甲斐姫はその瞬間、この男性……を、天敵と見なした。



「――――― 熊女で悪かったわね、馬鹿

出会い頭に、憮然として言い放たれる。
は苦笑いをこぼし、「会えば直ぐにそれですね」と呟く。甲斐姫は亜麻色の髪をブンッと乱暴に揺らして顔を背けると、鼻息荒く「そりゃそうよ」と噛み付いた。

「初対面で熊女なんて、誰が忘れるってのよ」
「いや、だから、それは」
「乙女を何だと思ってんだっつの!」

徐々にヒートアップしていく、甲斐姫の怒りのボルテージ。好印象など一瞬で崩れた初対面から結構時間は経っているものの、の暴言を今も覚えている甲斐姫には常に沸点超え。会えばそれを言い、周囲も「またか」と笑うほどだ。
かくいうも、逆に笑いが込み上げてくるほどで、苦笑いが徐々に抑えきれない笑いに変わりつつある。隠すのは上手いと自負しているので、それは甲斐姫には分からないだろうが、しかし……。

( 其処まで、気にするもんかねえ )

などとは、怒り狂う甲斐姫を前に、のん気に思っていた。
まあ、自分も猛獣一家の長男などと地元で不本意にも呼ばれていたので、分からないでもないが。
彼女は、剣を握る女武将だが、年齢はまだ二十歳にも満たない少女。気難しい年頃、とかいうやつだろう。

「……なぁに笑ってんのよ」
「いえ? 何でも無いですよ」
「ッは、腹立つわね……! アンタ本当に、二十歳超えてんの?」
「失礼な。こう見えても、とっくに超えてますよ。俺は」

の性格ゆえと言うべきか、彼は年齢のわりに子どもじみて見えるらしい。その証拠に、敬語を使っているわりに不恰好に聞こえると、度々言われている。
出身場所が、気品から真逆に突き進む下町の庶民なのだから、致し方ない。
を見上げてくる甲斐姫は、相変わらずしかめっ面で、せっかくの容姿が台無しだ。もっとも、それも彼女らしさだ。

「はあ、すみませんでしたって。つい口が、うっかり滑りました」
「……滑ったァ?!」

カッと目を見開いた甲斐姫は、肩を怒らさせて眼差しを鋭くする。焼け爛れた大地も、黒い空も、今の甲斐姫よりは可愛くも見えた。
まあ、恐らくこういうところも含め、熊女などと呼ばれたり、男扱いを受けたりするのだろうが……そう気にするものでも無いと、は思う。

「でも、甲斐姫様。其処まで何も気にしなくて良いじゃないんですか」
「初対面で、熊女呼ばわりされて気にするなと」
「だからそれは、別の意味でうっかり口が滑ったんですって」

滑ったもんは滑ったんじゃない、と甲斐姫の目がぎらりと鋭さを増す。
は苦く笑い、すぐにでも頭突きをかましそうな臨戦態勢の彼女を宥める。

「熊女だとか坊主だとか言われているから、どんな野蛮な女かと思ってたんですよ」
「ちょ、」
「最後まで聞いて下さい」

むぐ、と甲斐姫の口が、の手で塞がれる。
恨めしく見上げると、苦笑いを浮かべていると眼差しがぶつかり合う。しかし、その様子を見るに、彼は困り果てた空気も無く、むしろ甲斐姫の憤慨振りを楽しんでいる……ようにも見える。
……身長差が無ければ、本当に頭突きをしているところだ。

「そしたら、尚香様がご紹介して下さった人は、普通に綺麗な人で驚いた。それだけですよ」

――――― ピタリ、と甲斐姫の動きが止まる。
少しでも手がずれれば手のひらを噛み付きそうなほどに暴れていたのだが、その振動が消え去り、は「おや」と小首を傾げる。が、程なくし目を真ん丸に見開いた彼女の顔が真っ赤に染め上がるのを見て、は察し思わずニイッと口元を意地悪く吊り上げた。
第三者がこの場に居合わせたのであれば、恐らくの尻から悪魔の尻尾が生えていると気付いただろう。

「俺が聞いてきた話とは、随分違うほど綺麗で、でもさすが戦場に身を置くだけある人だと」
「む、むぐ……ッ」

フシュウ、と甲斐姫の頭の天辺から湯気が立ち上る。
散々怒鳴り散らしていたわりに、急にしおらしくなり、は自分でやっておきながらも彼女を見下ろして思う。ああ、こうしていれば普通に可愛い子なのに、と。

「――――― ていうのは最初ですが。まあ話してみたら、噂通りでもありましたけどね」
「……ッ! なぁんですってェェェ!」

甲斐姫は、細い腕ながら男顔負けの腕力で、バッとの手を振り解く。
しおらしさは嘘のように、鼻息荒く憤慨する様に、は堪らずブハッと噴き出して笑った。

「怒らないで下さいよ」
「ッもう良いわよ、アンタなんて!」

あー駄目だ楽しい、とが笑うものだから、甲斐姫は背を向け腕を組んでしまう。
どうにも性格なのか、彼は反発すればするほど弄りたくなる性質であるようで、申し訳なさどころか一層意地が悪くなる。が、そこは抑えて、甲斐姫を宥めた。

「どうせ熊女よ、私は」
「ですからね、最初と言ったじゃないですか」
「今もそうでしょ!」
「まあ否定はしませんけど」

顔を真っ赤にして振り返った甲斐姫は、怒り任せに張り手でもかましてやろうかと睨み上げた。
が、その正面に、の顔がふっと近付き、互いの距離が僅か数十センチのところまで詰められた。
甲斐姫は、ギョッとして声を呑み込み、振りかぶった腕をそのままにの目を視線がぶつかり合う。
紅鳶色の髪と同じ、赤みを帯びた目。子どものような、意地悪く笑みが浮かんでいたのに、何故今目の前にあるのは、年齢に相応する男性らしい静けさと鋭さを含んでいるのだろう。
少なからずそれは、彼女が長らく側に置いて貰っていた、相模の獅子と名高い北条氏康のそれと似ているようにも見える。

「まあさっきのは、半分くらい脚色が入ったけれど」

の顔に、ふっと笑みが浮かぶ。

「残り半分くらいは、本音かな」

耳元で、潜められて響いたの声。
その低さに、甲斐姫の肩がビクンと震える。
だが、は直ぐにその静けさを奥へと引っ込め、普段見せている気楽な笑みを表情に被せた。

「ま、そういう訳で、あまり毛嫌いしないで下さいよ」

甲斐姫はしばし動けなかったものの、急に針が動き出したように意識を戻すと、ふいっと顔を逸らす。「うるさい」と可愛げなく返すと、は背後でクツクツと笑っていた。
何処までが本気で、何処までが嘘か定かでない彼は、やはり天敵ではないかと思う。



夢主と甲斐姫は、喧嘩仲間であれば良いと思う。
そういうモダモダした感じも……大好きだ!!と声を大きくし叫びたい。

甲斐姫、めちゃくちゃ可愛いですけどね……! 可愛い女の子は大好き。

2012.03.23