そう言った彼女は、遠くへ進んでいる気がした

「困りましたねぇ」

いたってのんびりと、あまり困った様子の感じられない口調で、その女性は呟いた。
まるで、子供のささやかな悪戯に手を焼くような、そんな口調ではあるのだが――

「思ったより、数が多いです」

彼女の視線の先にあるのは、慌ただしく出撃準備を整える兵たちの姿だった。
気付かれぬよう身を隠しながら、切り立った崖の上から視線を巡らせ、拠点内の兵の配置を確認する。

( これなら、多少力押しをしても問題ないでしょう )

用心のために持ってきた火計の準備をその場に置き、彼女は静かに目を閉じた。
一陣の風が吹き抜ける中、息を吸い込み、ゆっくりと目を開く。

「では、参りましょうか」

そう言って敵陣を見据えるその姿から、先程までの穏やかな雰囲気は一瞬で消え失せ、「武人」の顔になる。
これまで数え切れないほどの戦場を共にした愛剣の柄を握り直すと、彼女は地を蹴り、その身体を宙に躍らせた。

――その日の戦は、長期戦になるだろうという大方の予想を裏切り、呆気なく幕を閉じた。
戦の流れを決定付けたのは、後方に陣を構えていた敵の挟撃部隊を壊滅させた、ひとりの女武将の働きが大きかったという。





「…それで、今日は何をしたのだ」

めっきり深くなってしまった眉間の皺を擦りながら、孫権は目の前にいる部下に問うた。
膝をつき臣下の礼を取っていたその人物が、ゆっくりと顔をあげる。その柔和な顔立ちだけであれば女官のひとりにも見えるが、身に纏う鎧と傍らに置かれた長剣が、彼女――璃空が戦場に出ていることを示していた。

「自分ならここから攻めると思った場所に、敵の拠点がありましたので。崖の上から、奇襲しました」

穏やかな口調と相反する内容の報告に、孫権は大きく溜息を吐いた。

「戦の度に、お前の副官に泣きつかれる私の身にもなってくれ」

敵の奇襲を察知すれば、部下を置いて突撃する。
姿が見えなくなったと思えば、敵拠点を壊滅させて戻ってくる。
崖下を行軍する敵兵を見つければ、何も言わずに崖から飛び降りて殲滅してくる。
それらを可能にする腕前を持っているのは承知しているが、周りで見ている方は気が気ではないと、戦の度に涙目で訴える璃空の副官をなだめてやるのが、いつからか孫権の役回りになっていた。

「申し訳ありません」

そう言って頭を下げるが、このやり取りが何度も繰り返されているため、孫権が僅かに眉を顰めたのも仕方がないかもしれない。

「…もう良い。下がれ」
「失礼いたします」

再度臣下の礼を取って退室した璃空の姿が見えなくなってから、孫権は再び大きな溜息を吐いた。
戦場を縦横無尽に駆け、他の武将達に引けを取らない武勲を上げる璃空の働きを、咎めるつもりはない。むしろ、褒め称えるべきものではあるのだが――

「…どうにも、危うくて、な」

誰に言うでもなく呟いた言葉が、更に自分の眉間の皺を深くさせたことに、孫権自身も気付いていなかった。



ありとあらゆる部分で趣味の似ている、女神……もとい仲良くして下さるあずみ様がエディ武将の話を書いて下さいました。
嬉しくて、鼻血出ました。

2011.04.29