やさしさのかたちをしたひと

 ほんの一瞬の出来事だった。

 魔物の軍勢がやって来るという先触れが回って、そう時間も経たない内に、それは押し寄せてきた。
 激しい地響きを轟かせ、地平線を黒々と染める、無数の不気味な蠢き。
 両親に手を引かれながら、多くの村人たちと背を向け逃げ出したが、それをあざ笑うように、押し寄せた群衆は飲み込んだ。情け容赦なく、そこにあった全てのものを切り裂きながら。

 最後に見たのは、自分を突き飛ばした両親と、牙を向いた魔物の姿だった――。


 気が付いた時には、辺りは恐ろしいほどに静まり返っていた。
 冷たい暗闇と、重い何かに阻まれ、身動ぎの一つも取れず、押し潰されそうになりながら必死に父母を呼んだ。けれど返ってくもの、耳に聞こえるものはなく、力なく頭を横たえ、意識を手放さそうとしたのだけれど――。

 その時、閉ざされていた光が、瞼の裏に届いたのだ。

「姉上、姉上! ここに女の子がいる!」
「まだ息をしてる……! お父様、こちらに、早く!」

 同い年ほどの少年と少女の声が、頭上で響いた。朦朧としながら指先を伸ばすと、力強く、握り返してくれた。

「もう大丈夫だぞ、だから、諦めるな――!」

 何度も呼びかける声と、手のひらの温もりに、訳もなく涙が溢れた。





 ほのかに白む空へ、一縷の光が差し込んだ。
 月夜と夜桜の美しさはアイサ大陸随一と称賛される、海原に囲まれた“月光の島”は、夜明けを告げる朝陽に遍く照らし出される。
 島の主であり、アイサ大陸を司る“四皇”の一人が住まう厳格な城にも、その光は届いた。

 朝靄のたなびく風景には、未だ静寂が満ちている。朝方に吹く涼やかな風を感じながら、の一日が始まる。
 まずは身支度を整え、城の下働きたちと顔を合わせる。一日の役割分担などを確認し、それぞれが掃除や厨、馬屋といった持ち場へ向かい朝方の勤めに精を出す。
 はというと、立場としてはありふれた侍女だが――。

、こっちはもう大丈夫だから、行っても平気よ」
「デイジー様は夜のお勤めだったから眠っていらっしゃるだろうけど、領主様は気付くとすぐにお部屋をお出になられてしまうからね」
「ありがとう。じゃあ、後はお願いします」

 任せて、と笑う仕事仲間であり友人の侍女たちに見送られ、はさっと移動する。

 城仕えの侍女だが、この城で唯一、領主とその姉君のお世話係として認められているので、彼らの身の回りのお世話に窺うのが長年の朝仕事だった。
 だけ、というのに理由はあるが、それはさておき。
 お二方の立場はそれぞれで異なるので、起床時間なども互いにずれる。まずは、領主様――四皇のもとへ向かった。熱めの湯を溜めた桶の支度は、きちんと欠かさずに。

 城の奥、領主が過ごす住居区域へと入る途中、警備に当たる兵たちとすれ違う。彼らともすっかり顔見知りなので、やあ、と気心の知れた挨拶を交わした。

 この立場になってからの、毎朝の勤めもすっかり慣れたもの。仕事も板についてきて、今ではの存在も広く認められている。
 ようやく少しは“ご恩返し”も出来るようになっただろうか。
 その思いは、今日もの中にあった。



 領主の寝所に伺うと、そこは既にもぬけの殻となっていた。
 主の居ない寝台の上には、丁寧に畳まれた白い夜着がある。ほとんど毎朝の事なので驚きはせず、は慣れた足取りで庭へ向かった。


 月光の島の代名詞である、立派な桜の木が佇んだそこに、“彼”は居た。
 夜明けの空を目映く照らす朝陽の中、凛と佇んだ青年の後ろ姿。一つに束ねた、水色がかった清廉な白い長髪へ、風に揺られた桜の花弁が降りる。
 ――刹那、音もなく鞘から抜き払われた刀が、静寂を真一文字に断つ。
 風が動き、花弁が舞う。朝陽を浴び宙に描かれる太刀筋の鋭さが、の肌にも伝わってきた。

 刀と向き合い、自らを見つめる、彼の大切な時間を、は邪魔したりしない。庭を臨む回廊の片隅で、そっと正座をして静かに待つ。領主の立場と、四皇を名乗る重責――それらから解放される、数少ない、唯一の時間なのだ。



 ――キン、と音を立て、刀が鞘へ納まる。

 彼は気を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐き出した。すっと姿勢を正すと、刀を持ち直し、静かに礼をした。
 張り詰めていた空気が、穏やかに凪ぐ。朝方の静けさが舞い戻ったところで、彼は振り返った。その眼差しは、すぐにへ向けられる。
 は静かに一礼し、立ち上がって彼のもとへ歩み寄った。

「おはようございます、陛下。今日もまた朝からご精が出ますね」

 この城の主であり、月光の島の領主。そして、アイサ大陸を司る四皇の一人――エース。
 若くして多くの重責を背負う彼も、今は簡素な出で立ちをし、清々しい面持ちを宿していた。

「さ、陛下、こちらへ。まずは汗をお拭き下さいませ」

 用意した桶の中の湯は、ちょうどよい温度に下がっている。そこに手巾をくぐらせて絞ると、回廊に腰掛けたエースへそれを差し出す。
 彼が顔を拭っている間、は別の手巾を取り出し、桶の中へ沈めて強めに絞る。失礼しますと声を掛け、エースの衣服の襟ぐりを緩めると、首周りなどを丁寧に拭く。
 また一段と、軍を率いる大将として相応しい身体つきになられた。
 がそんな風に人知れず思っていると、目の前の引き締まった肩が揺れた。

「すっかり、侍女の振る舞いが板についたな」

 からかうようなエースの声に、は小さく微笑みを浮かべる。

「そうでないと、陛下や姉君様のお世話が出来ず、申し訳ないところですよ」
「そうか。……ここには、俺としか居ない。二人の時は、前のように呼んでいい」

 前にもそう言っただろ、とエースが笑みを向ける。
 幼い頃から側で見てきた、彼らしい爽やかな仕草に、はやや苦笑をこぼし。

「デイジー様も同じ事を言ってます。本当に昔からそっくりな姉弟ですよ――エース様は」

 観念したように砕けた言葉をが使うと、エースは満足そうに頷く。彼の姉であるデイジーも、きっと同じ仕草をするのだろう。

「エース様も、すっかり、慣れて下さったようで嬉しいです」

 が侍女見習いとしてお仕えした当初は、の手伝いを酷く嫌がっていた。嫌がっていたというより、恥ずかしがっていた、というべきか。
 自分が助けた少女に身辺の世話をされるのは、少年心にも葛藤があったのだろう。
 そのわりにはデイジーが「じゃあ私専属の侍女ね! いつでも一緒よ!」と言うと、エースは酷く不貞腐れて泣きそうになっていた。

 懐かしいなあ、とが思い出すと、エースは「それはもう忘れろ」と表情を歪める。
 はクスクスと笑い、手巾を再び温かい桶へ沈める。

「――もう十年以上も、前の事なんですね」

 ぎゅ、と絞ったそれを、エースの背に重ねる。
 かつて魔物の群れに襲われた村の、ただ一人の生き残りだった少女のを救い出した少年の背は、今はもうこんなにも逞しい。
 出会った当初はそんなに背丈は変わらなかったけれど、十年も経てば変わる。背格好も、その立場も。
 それでも、彼と、彼の姉君、今は亡き彼らの両親へ抱く想いは、全く変わらない。
 日常を壊された“あの日”から、何一つ――。


 幼い少女の頃に、は魔物の軍勢に襲われた。
 当時の月光の島の領主――エースとデイジーの実父に当たる人物――が兵を連れてやって来た時には、もう蹂躙され尽くした後だった。
 領主について来たエースとデイジーによって、崩れた家屋の中から発見されたは、唯一救い出された生き残りとなった。だが、家族も、居場所も、これからの事も、全て奪われたには何も残っていなかった。
 涙が枯れ果てるまで咽び泣いた後、手を伸ばしてくれたのは、他ならぬエースたちだった。
 手ずからを看病して、この城に下働きとして迎え入れてくれた。教養の無かった村娘に学びの機会も与えて下さり、下働きから侍女見習い、さらに城勤めとして恥ずかしくない侍女への道筋を立ててくれた。


 彼らが居なければ、今のは存在していない。
 だから、幼い頃から、堅く誓っていた。このご恩は忘れず、彼らに仕え、一生を捧げて尽くす、と。
 村娘の一生なんて大したものにはならないかもしれないが、何か一つでも彼らの役に立てるのなら、それを必ず果たす。
 はその想いで、この場所に居る。

「エース様やデイジー様に出来る事は、全てお引き受けすると決めたんです」

 エースは、そうか、と笑みを浮かべたが、不意に小さく呟いた。

には、感謝している」
「止して下さい。これは私の意地でもあるのですから」
「いや、実際のところ――が居てくれて、良かったと思っている」

 気を楽にしていられる時間も、相手も、もう多くはないからな。
 そう言って口元を緩めるエースの横顔を、は静かに見つめる。すると、エースはハッとなって言い繕った。

「あ、いや、俺だけでなく、姉上もそう思っておられるだろう」
「……この上ない光栄ですよ。私も、お二人に尽くせる事が、とても嬉しいです」

 心からそう告げれば、エースはやや慌ただしく顔を戻した。はクスクスと笑い、手巾を丁寧に滑らせる。

「……俺はまだまだ、先代にも、先々代にも及ばぬ未熟な領主だろう。だから、これからも……頼むぞ」
「もちろんです、エース様」

 はこの先ずっと、エース様とデイジー様に、お仕えさせて頂きます。
 言い淀む事もなく、真っ直ぐと告げれば、エースは何処か安堵したようにまなじりを緩めた。その横顔は、少しだけ、幼い頃の彼を思い出させた。



 エースの身体を拭き終えた後は、庭から別の一室へと移動する。はその後ろに従い、訪れた部屋にて、改めてエース着替えを手伝った。
 無造作に括っただけの髪を、丁寧に櫛で梳き、高く結い上げる。鍛錬用の簡素な衣服を外し、綺麗に整えて用意している正装を持ち上げる。

 純白の上衣に、烏羽色の袴。そして、その上から身に着ける、厳かな黄金色の武具。
 月光の島の領主であり、アイサ大陸の四皇である事を象徴する、雄壮な装束。

 袖へ腕を通し、しなやかな身体を包めば――美しく厳格な統率者へ彼は表情を変える。
 年若さなど関係のない、四皇の一柱である事を裏付ける覇気が、その出で立ちにまざまざと浮かび上がっていた。

「朝餉は、すぐにお持ちいたしますね」

 エースは頷き、陣羽織を翻した。部屋を出て行く彼の後ろ姿は、もう、の及ばぬ強者のものになっている。
 幼い頃からそれを見てきたは、誇らしく思うと同時に、精一杯のお力添えをしなくてはならないという使命感が滾った。



 エースもまた、幼い頃に両親を亡くした。
 が彼らの遊び相手になりながら、下働きとして習うようになって、すぐの事だった。
 領主の座は息子のエースが背負う事になり、祖父の代からの知り合いだという“とある人物”に厳しく鍛えられながら、領主としての器を磨き続けた。
 月光の島の主が代々引き継ぐという、伝説の宝刀――叢雲(そううん)剣に認められ、真の領主となった時、エースを鍛えた人物から四皇の座も譲られ、彼は多くのものを背負う事となった。

 彼が涙を見せたのは、両親が亡くなった時と、領主の座に着く事になった時だけだ。
 彼はそれから、一度も弱さをこぼした事はない。にも、もちろん、実姉であるデイジーにも。

 懸命に使命を全うしようとする弟のため、デイジーもまた姫としての日々は全て投げ捨て、武術を学んだ。そして自らを長とする“月光守護団”という組織をもって、領主を守るために戦う事を選んだ。

 多くのものを背負い、多くのものを捨て、人々と国のために尽くす彼らの姿を、は誰よりも近くで見てきた。だからことさらに思っている。彼らのために、自分が果たすべき事は全てやり遂げよう、と。

 私だって、“ただの侍女”として、ここに居るわけではない。

 彼らが信用出来て身の回りの事を任せられる唯一の侍女である以上、狙われるのはも同様だ。その信頼を守り抜くため、自身も、誰にも文句のつけられない侍女として広く認められるよう学び続けた。

 いざという時には、彼らの背後を守る護衛にもなれるようにと――。



「……よし!」

 は自らの頬を軽く叩くと、すぐに立ち上がり、桶などを持って仕事を再開する。
 エースに朝餉を運んだら、彼はすぐに領主の仕事に取りかかる。その後は、デイジーのもとへ向かい、彼女のお世話に当たらなければ。他にも、彼らの寝所の掃除に城の雑務、も懇意にしている月光守護団の者たちと会う事になるだろうから差し入れなど……。
 やるべき事を頭の中に描きながら、は気を引き締めて取りかかる。

 たくさん仕事があるわねと仲間たちに気遣われた事があるが、とんでもない。彼らに尽くせる事がなによりも嬉しいにとって、苦に思った事は一度としてない。

「……さて、まずは、エース様の朝食!」

 目映い朝陽に照らされた、月光の島の領主の城。
 の一日は、こうして始まるのであった。



という妄想を、夢小説で書く事に決めました。
誰も書いてくれないので、妄想を自給自足で満たします。
なお、こういう事があったらいいなというふわっとした願望も含まれておりますので、何卒ご了承下さいませ。
(公式設定集とか日本でも出れば良いんだけどなあー!)

◆◇◆

主人公たちであるエバン遠征隊やセブンナイツには目もくれず、心はがっちりとアイサ大陸――特にエースやデイジーの所属する月光の島に捕らわれております。

だって一番好きなんです、エース。
デイジー可愛いじゃない。
月光守護団の面々も良い。常にわいわいして仲良さそう。
(むしろ一番アットホームな陣営は、月光の島ではないかと思っている)

四皇の中で一番ぱっとしないとか弱いとか散々に言われていますが、一番創作意欲掻き立てるのはそのエース。もうむしろ二次するしかない設定の宝庫。

エースはきっと、後の【覚醒】でトップへ躍り出るに違いない。

エバン遠征隊や、セブンナイツ諸侯も好きですよ。
でもエースを書きたい現在の心。


……ソシャゲのセブンナイツも、よろしくお願いします。
(無理矢理に締める)


(お題借用:ジャベリン 様)


2017.02.05