或いはそれも幸福

 “月光守護団”の詰め所に、ふわりと甘い匂いが漂っていた。
 レイは思わず鼻をすんっと鳴らし、匂いのもとを探して歩いていく。辿り着いた場所は詰め所の厨房で、中を覗き込むと、なにやら調理に勤しむ細い背が佇んでいた。

?」
「あ、レイさん、お疲れ様です」

 振り返った背は、月光守護団に出入りする馴染みの顔の、だった。

「何を作ってるの?」
「差し入れに、みたらしのお団子を」

 木べらを握った手を絶えず回し続けるへ、レイは歩み寄る。湯気の立ち昇る小鍋には、とろみのついた飴色のタレがくつくつと煮えていた。
 詰め所に漂う甘辛い良い匂いは、そこから流れているらしい。

「美味しそう」
「あと少しで完成しますよ。レイさんが試食の一番手です」
「やったぁ!」

 思わずぴょんっと跳ねると、はくすくすと笑った。

「夜半、捕物劇があったと私も聞きましたから。疲れた時には甘いものを食べるに限ります」
「いつも助かるよ~。が作ってくれるお菓子は美味しいから、みんなきっと喜ぶ」
「そう言ってもらえるのが、一番嬉しいです」

 頬を緩めるは、柔らかな雰囲気を纏っている。レイにもそれは伝わり、とても穏やかな気分になった。

 という娘は、同性から見ても可愛い人物だった。
 城仕えの侍女であり、領主とその姉君付きの唯一の存在だが、月光守護団の身の回りの雑事まで進んで引き受けてくれる、とても真面目で気配り上手な気質の持ち主。本人もそれをまったく鼻にかけず、誰よりも働く事でその誇りを周囲に示している。また、何故だか知らないがやたらと同性受けが良く、万が一に彼女に文句を言う者が現れたら、女性陣から袋叩きに遭う事は間違いない。もちろんその中には、レイも含まれている。
 ただ、もっと砕けた言葉を使ってくれても構わないのに、と思う事はあった。
 なんでもは、エースとデイジーの幼少時代から共に過ごしてきたそうだが、もとは平凡な農村の出身。彼らの側で働くため、礼儀作法などを徹底して学び、恥ずかしい思いをさせないよう頑張ったのだそうだ。
 そして現在、彼女は農村の出身とは思えないくらいに立派な侍女の頭角を現したが……すっかりと丁寧な言葉遣いが身に染み、誰に対してもこの口調だ。
 レイとしては、別に農村出身だからと気にはしないし、むしろ取っ付きやすく親しげがあって良いと思うのだが……領主と四皇の立場にあるエースと、その姉であり月光守護団の長のデイジーの側に居るという事は、色々と大変だったのだろう。
 いつか砕けた口調のも見てみたいと、レイは考えている。


 煮詰めた甘辛いタレを火から外し、器に並べた白いお団子へとろりと垂らす。

「――はい、手作りのみたらし団子、完成です」

 どや、と器を持ち上げたに、レイも大袈裟なほど大きく拍手を送る。
 出来立ての湯気を上げる、綺麗な飴色の蜜が掛かったお団子は、いかにも美味しそうな仕上がりだ。
 レイは早速とばかりに、用意してくれた竹串を摘まみ、団子に差す。それをぱくりと食べれば、甘い蜜ともちもちの触感が口の中へ一杯に広がった。思わず表情が、ゆるゆると綻んでしまう。

「んんん~……ッ! 美味しい!」
「良かった。冷めても美味しく食べられるから、みんなで食べて下さい」

 も一つ口に運ぶと、もくもくと頬張り頷く。どうやら、満足のいく仕上がりだったようだ。

は何でも出来るね、凄いよ」
「私が出来るのは、それくらいですから。それを言ったら、レイさんの方がずっと立派」
「え、私?」
「夜半の捕物劇もそう、城下町を守って、陛下の御身を守って……私は、そんな力を持っていないから」

 思わぬ事を聞かされ、レイは目を丸くする。その隣で、はにこりと微笑んでいたが、僅かに羨望の色を覗かせたような気がした。

「……なんて、私は私の出来る事をやらないといけないですね」

 は背を向け、後片付けを始める。レイは口の中の団子を飲み下すと、その背に声を掛けた。

だって、私達と同じだよ。仕事の種類は違うけど、全部陛下のためになっているんだから。そうでしょ?」
「……ありがとうございます、レイさん」

「――あら、良い匂いね。何を作っていたの?」

 その時、厨房に顔を覗かせた人物がいた。
 花が咲いたような、鮮やかな桃花の色を宿した髪の美女。真紅に染められた衣装を艶やかに着こなす出で立ちは、巷で呼ばれる“燃える蝶”“闇夜の主”等の異称に相応しく、とても美しい容貌である。
 空気まで華やぐ微笑みを浮かべ、彼女は厨房へと踏み入れた。

 月光守護団の長であり、四皇エースの実姉――デイジー。

 レイにとってもにとっても、敬うべき上官である。しかし、彼女自身の性格はとても気さくで、その立場をひけひらかすような事は一切なく――。

「みたらし団子の差し入れをと思いまして、作っていました」
「あら嬉しい! が作るものはどれも美味しいのよね、さっそく頂こうかし……ちょっと、レイ」
「もぐ、先に頂いてます~」
「わ、私よりも先に食べるなんて! ちょっとレイ、私にも一つちょうだい!」

 ――むしろ、この美貌を持ちながら無邪気な一面も持ち合わせる、可愛らしい人物だった。
 頭の天辺に生えた猫の耳を揺らし、優雅な長い尾をしならせ、デイジーは突撃してくる。ちょっと団長、そんな急がなくたって分けますから! 奪い取るような団長の暴挙に、レイは器を落とさないよう慌てふためく。
 そんなやり取りをしている間に、は片付けを終えたようで、手を拭きながら楽しそうに笑っていた。

「ふふ、どうですか、デイジー様」
「いつも通りに、おいひいわ!」
「団長~……食べ過ぎないで下さいよ? 他の団員たちの分もあるんですから」
「そこまで意地汚くないわよ!」

 とか言いながら、指先についたタレを、名残惜しそうに舐め取るデイジー。
 月光守護団の胃袋はにがっしりと掴まれているのだと思い知る。

「あ、そうでした。デイジー様、ご相談が……」
「何かしら」
「あの、その……」

 はそっと、別の小鉢に分けていた団子を持ち上げた。

「あの、陛下へ、お差し入れをしてもよろしいですか……?」

 窺う様子が、何だか小動物のようである。レイは思わず笑ってしまったが、デイジーもまたそう感じたのだろう。可笑しそうに細い肩を揺らし、その美貌に大らかな微笑みを咲かせた。まるで実の妹を見守る、姉のような柔らかさだ。

「構わないわ、月光守護団の団長である、私が許します。……あの子も喜ぶはずだから、持って行ってあげて」
「あ、ありがとうございます。では、さっそく届けに窺います」

 丁寧に礼をして月光守護団の詰め所を去って行ったが、心なしかその足取りは慌ただしく見えた。珍しいなと、レイは密かに思う。

「陛下も、よく拗ねるのよ。ああ見えて甘味が好きだから」

 以前、エースには内緒での手作りの菓子を食べた事がある。それを何処からか聞いたようで、一日中抗議の眼差しをもらったと、デイジーは笑った。

「昔はすぐ、姉上ばっかり、とふて腐れていたわ。今は言葉の代わりに目で非難するようになったけれど」
「へえ~……意外ですね、あの陛下が」

 若くして四皇と領主の立場を持ち、職務を全うする彼は、それはそれはとても厳格な人柄だと言われている。そんな子どもっぽい一面があるとは、とても意外だ。

「団長と一緒ですね?」
「姉弟だものね」

 悪戯っぽく微笑むデイジーは、月光守護団の長ではなく、優しい姉であった。

「……そういえば、陛下と団長付きの侍女って、だけですよね。やっぱり昔馴染みだからですか?」

 レイの何気ない問いかけに、デイジーは考え込む仕草を見せた。

「……そっか、レイには、まだ話してなかったわね。陛下の侍女が、だけの理由」
「理由、ですか」

 デイジーは頷いて続けた。

「昔は、きちんと付けていたのよ? でもね、大人数の侍女や侍従を付けるのを、陛下が嫌がったの」
「嫌がった、ですか」
「そう、物凄くね」

 その理由は、エースが領主の座を継いだばかりの頃に起きた事件に関わっていると、デイジーは言った。

 幼くして月光の島の領主となったエースは、今でこそ立派に勤め上げているが、その当時は万事上手くいっていたわけではない。覚える事、果たすべき事は山積みで、それは大変な苦労をした。
 当然ご崩御された先代の領主、実父の代に仕えた家臣たち、古くからの城仕えの者たちと協力し、学びながら、領主になろうと頑張っていた。

 ――だが、周囲の国々や、敵対していた者たちは、エースの成長を待ってはくれなかった。

 ある時、幼いエースに、刺客の凶刃が向けられたのだ。

「しかもその人物というのが……あの頃、エースの身の回りの世話に当たっていた侍女でね」

 幼い領主を陥れようと送り込んだ刺客の彼女は、エースを傷つけようとした。
 周りにはたくさんの侍女が居たが……悲しい事に、我先にと逃げ出したのだ。エースを置き去りにして。

「その時、唯一身を張って助けようとしたのが、よ」

 逃げ出した大人たちには目もくれず、真っ先にエースのもとへ駆け寄り、守ろうとした。

 そんな出来事が起こってからは、エースは侍女や侍従を大量に付けられる事を酷く嫌がり、頑として首を振らなかった。ただ一人、小さな身体で守ろうとしたを除いて――。

「そんな事があったんですね。陛下、おかわいそう……」
「そうね、本当に。あの時は私も怒り心頭してね、侍女を全員叩き出してやろうかと思ったわ」

 でもね、その時、痛感したの。
 デイジーはその美貌に決意を浮かべた。

「エースを守るためには、今のままではいけない。刺客とやり合うだけの力を私自身が身に着けなければならない、と」

 その思いがどれほど大きかったかは、今の彼女を見ればよく分かる事だろう。
 陛下を守る役割を持つ組織の中でも、常に長で在り続け、他者の追従を許さない、美しい武者。命を省みずに敵を屠る姿は、炎へ飛び込む蝶のようだと言われるほど――デイジーの強さと美しさには、レイも勝つ事が出来ない。

は、受け入れてくれたの」

 エースを守るための“武器”になり、戦場を共にし守り抜くと決めた時、デイジーはに言ったのだ。


 私は、エースを――陛下を守るため、戦場へ行きます。
 貴女は、戦場から戻るエースが、剣を置き寛げる場所をどうか守って。


 あの時の指切りは、今も思い出せる。絡めた少女の小指に、己の人生と存在意義をかけて交わした約束。それに頷いたは、こうして守り続けてくれている。

「……やっかみを受けたり、嫌がらせを受けたりもしたでしょう。でもは自らの足で、あの場所に立ってくれている」
も、立派に戦っているんですね」
「ええ、そうね。そういう意味では、彼女も立派な、月光守護団の一員だわ」

 レイとデイジーは視線を交わし、ふっと笑みをこぼした。

「……団長、は、陛下の事……」

 全てを口にする事は出来なかったが、デイジーは読み取ってくれたらしく、どうかしらと細い肩を竦めた。

「……は、私たちが思う以上に頑固だから、そんなはずがないと毅然としそうね」

 でも、もしもそうなら。

「私は、素敵な事だと思うわ。弟を、きっとどんな時でも支えてくれるだろうから。それに、が義妹になるなんて、願ったり叶ったりよ!」
「ふふ、そうですねえ」

 微笑むデイジーに、レイは頷きを返す。
 それが途方もない夢想である事も、訪れる事はないだろう未来だとしても、考えずにはいられない。

 美しく厳格な青年の隣に、文句の付けられない鑑というべきかの娘。
 肩を並べ、月光の島を守ってゆく未来を語り合ったりなんかしたら――。

(それ、すごく素敵)

 レイは笑みを深め、また一つ、ひょいっと団子を摘まみ取った。

「あ、ちょっとレイ! 私には言ったのに、食べ過ぎよ!」
「もうちょっとだけ~」
「ああもう、レイの馬鹿!」



 今頃、はエースのもとへ、無事に差し入れを運んだ事だろう。
 彼は不器用だから、きっと、少し休憩を挟まなくてはと言い訳がましく告げながら、仕事を一度横へ置き、差し入れの団子を口にしているに違いない。
 その隣には、控えめに佇みながらも、嬉しそうに頬を緩めるが居る。

 そんな彼らが、これからも在れば、どれだけ素敵だろうか――。

 願わずにはいられない月光の島は、今日はとても穏やかな風が吹いている。



月光の島エリアは、一番わいわいしてアットホームそう。
という妄想を、形にしてみました。

あらかじめ申し上げますが、これには作者の多大な妄想がふんだんに振りまかれております。どうぞお気を付け下さいませ。

妄想かき立てる、月光の島エリアとその住人が、大変愛おしい!


(お題借用:is 様)


2017.02.10