優しい狼に告ぐ

 一週間の休みは、取っていた。
 その間中に、父母をきちんと故郷の大地へと帰し、その後は自らも故郷の空気をのんびりと楽しむ予定だった。特別な見所など無いけれど、かつて過ごした町を見て、周辺を散策して、懐かしさを心に満ちるまで味わって、最終日にはが過ごしている都市へと戻り再び其処での生活を始める。その予定は、なりに漠然と頭の中に描いていたのだ。
 いたのだけれど。

 ――――おかげ様で、現在その予定はほぼ狂わされていた。

 確かに、明確な予定があった訳ではない。きっちりとスケジュールを組んではいないし、あくまで漠然と一週間を過ごすという事だけを念頭に置いていた。従って、怠惰を謳歌する旅行者の図も、もしかしたら事の運びようによっては未来の一つとしてあったのかもしれない。
 とは言っても、だ。さすがにこれは、全くは思ってもなかった。

 ディランの家から出られず、彼の寝室にほぼ籠もりきっりになっていた。



 見慣れなかったはずの、ディランの寝室。十年の空白の間に一人暮らしするようになってから、彼が使っているというその部屋は、にとってはまさに他人の部屋であったはずである。なのだが、ほぼ丸一日を過ごしてしまうと視界にも身体にも馴染んでしまうというか。成人した獣人男性が寝られる大きな寝台から見る寝室の景色は、にはもう見慣れてしまった。
 ああ、いや、見慣れた事は問題ではない。
 の意識は時折ぼんやりと混濁したが、今ははっきりと浮上している。しわだらけのシーツを足の爪先で伸ばし横たわった身体を、ゆるりと持ち上げる。服どころか下着まで全て寝台の下に追いやられて、倦怠感が募る自らの裸体には生温い空気が掠められる。声を噛む息を吐き出して、外を見ようと窓を見上げる。光が差し、室内は照らされて、空は濃い青だ。今はどれほどの時刻なのだろうか……そう考えてしまうほどに、とんでもない一日を過ごしていたのは自覚していた。
 その時、起きあがろうとしたの腰に太い腕が縋った。黒の混じる雄壮な銀色の獣毛の覆う、人間の女などとは次元の異なる逞しい腕。

 はぽふりと、力なくシーツに倒れる。そして、引っ張られ、抱きすくめられる。の細い背中に、ふわふわの毛が重ねられた。その柔い感触は、もう肌が覚えてしまった。

「ディラン」

 振り返るように顔を上げ、背後を覗く。そうすると、の無防備な額にべろりと肉厚な舌が這った。獣人に比べれば、断然小さく細い人間の身体を、彼は大事そうに大事そうに、太い腕に抱えるのだ。耳元にある狼の喉からは、グルグルと甘える音。可愛い、子犬みたい……じゃなくて。はほだされる心を懸命に奮い立たす。もうそろそろ、この現状をどうにかしよう。

「ディラン、あの」

 呼ぶと、彼の顔が覗き込んだ。狼の、雄壮な顔ばせ。獣の瞳にはを想う情念が透けて見える。
 あう……。情けなくも、は胸を震わす。

「……何だ」

 蕩ける手前の、掠れた低い声。もうそれは幼馴染みを気遣う兄の声ではなく、自らの物にした雌への情愛が滲む雄の声だった。彼もこんな声を出すのかと胸が疼き、奇妙な熱を覚えたけれど、は小さく呟く。

「あの、ベッドから降りない? きちんと、ご飯食べて」
「別にこのままでも問題ないし、飯も食べさせた」
「ああ、うん……え、食べさせてくれたの、そう……お風呂にも、入りたい」
「昨日入れてやったが」

 全てが気を失っている間の事である。ありがたいが、ありがたくない。
 そういう事ではないのだがとが見ると、絶対に彼は眼差しの意味を分かっているだろうに目を剃らす。
 丸一日だ。丸一日、はこの寝室のベッドで過ごした。そして、それ以外の記憶がほぼ無い。この現状は、どうだろう……少し考えてみたくもならないだろうか。
 命芽吹く暖かな季節、獣人たちの命を繋ぐ繁殖の季節。最後の満月の晩は、一昨日に終えた。とディランはその晩に結ばれ、翌朝には互いが新たな男女の関係になる事を承諾した。嬉しい、それは嬉しいと素直に言える。左手の薬指の証は、ふと視界に映るたびにドキリとする。だがその後、は朝方から早々にディランから求められ、抱き潰される事となった。幾度かあの秘薬とかいう液体を使われて交わり続け、最早記憶も曖昧だ。気が付いたら翌日……現在である。

 何という、爛れた初日だろうか。
 これは膝をつきあわせ、じっくり話し合いをしなければならないと思う。

 は、じっと見る。ディランは小さく息を吐き出すと、腕の力を緩めた。

「……分かった」

 いかにも不満のある声を出したが、を抱き起こす。彼も起きあがると、寝台の下に散らばった衣服や下着などをおもむろに集め、腕に引っかける。

「風呂に行こう、まずは。連れて行くから」

 ディランは言うや、の両足を束ねて膝裏を抱え、肩を掴んだ。軽々と持ち上げられたの裸体は、ディランによって律儀に運ばれる。

「じ、自分で、動けるよ」
「……いや、多分まともに歩けないだろうから、構うな。それに……番の世話を焼くのが、雄の習性だ」

 ディランは笑い、軽やかに階段を下り、一階のリビングへと向かう。コップ一杯の水を互いに飲み干すと、それから真っ直ぐと風呂場へと進んでいった。
 ディランの胸に寄りかかり、は目を細める。分かっているのだ、きちんと。睦言と快楽に飲まれて意識は混濁していたが、ディランの声は聞こえていた。満月の晩を経て結ばれた獣人の夫婦は、その後の数日間は篭もって蜜月を過ごすようになる。その間、雌の世話を雄が手ずから焼いてあげて、密な時間を送るのだと。だからこれが、彼ら獣人にとっては何らおかしな事でない習性の一つであるのは、も理解している。
 ただ……少し本当に、話し合わなければならない事があるのだ。



 獣人の身体が入れるように造られた、石材の湯船。木材なんかで造ってしまえば、板が抜けるのは時間の問題なのだろう。いかにも大きく頑丈そうな外見だが、これはこれで素敵な風呂場だなあと呑気に思うも大概逞しさが滲み出ている。
 ディランは温かい湯の張った湯船へと、抱えたを入れた。事前にもう用意してくれている優しさと、湯の温かい心地よさに、は頬を緩めた。熱すぎず、人肌よりも温かい程度の温度。疲労と羞恥心で萎縮しガチガチだった肉体が、解けてゆくようだった。
 ちゃぷちゃぷ。湯の水面を、手遊びで揺らす。

 ちゃぷちゃぷ……どぼん

 ……今明らかに波紋が泡だったのはどうしてだろうか。

「え、わ……ッ」

 背後から抱え込まれる。ディランの腕だ。厚い胸板と、ふかふかの毛の感触が再び重なる。ゆらゆら揺れる湯の中を見下ろせば、の白いほっそりした両足と、倍の太さの逞しい狼の足が伸びている。造形は人と似ているが、足先の鋭い爪は狼のそれだと思う。

「ディランも入るの?」
「……ああ」
「一人でも大丈夫だわ」
「……ああ、まあ……そうだが」

 ぺとり、とディランの顎がの頭の天辺に乗せられる。

「其処は、察してくれないか……多少は……」
「え、あ……ごめんなさい」

 ああ、甘えているらしい。この年上のお兄さんは。
 はディランの胸に背を預け、体重を掛けた。それでも全くびくともしない胸板に驚きつつ、腰を抱く腕に自らも手を重ねた。途端に、喉からグルグルと甘える音色が奏でられる。……満月の晩を過ぎて蜜月を迎えた獣人って、こうもベタベタに甘えるのかしら。不思議に思いながらも、決して嫌な気分はないので、も恥ずかしながら小さく笑った。

「……悪い」
「え?」

 静かな風呂場に、ディランの声が響く。唐突に謝られ、は小首を傾げた。理由が見あたらないといった風に睫毛をパチパチと瞬かせるへ、ディランが続ける。

「一日抱き潰した、すまなかった」
「あ、ああ……うん、えっと……大丈夫、だよ」

 途端に呼び起こされる交わり続けた記憶に、は頬を赤らめた。過ぎる暑さは、湯船や蒸気のせいだけではない。

「……お前が昨日、日中寝ている間に、自警団の方に休みの申請出したりしたんだが。その時、シャーリーに会ってな」

 は気絶しても、彼はピンピンと動き回れるらしい。何という体力差。

「『体格も体力も全然違うんだから気遣ってやってるだろうな』と、暗に怒られた」

 道端で腕を組み叱りつける、友人シャーリーの姿がありありと浮かんだ。二児の母は、かくも強し。そしてもう、ディランとの関係は既にバレているようだった。

「……これでも、かなり我慢はしたんだが」

 ぽつりと呟く彼の言葉に、は目を剥いた。あれでまだ耐えていたと……? 思わず振り向いて視線で訴えると、ばつが悪そうに泳く狼の目を見つけた。

「……まあ、ともかくそれは置いといて。無理をさせた、悪い。身体は平気か」
「だ、大丈夫」

 全然大丈夫じゃない、と先ほどまでは思っていたのはであるけれど、謝罪と気遣いを向けられると許してしまうのもである。首を緩やかに横へ振ると、ディランは狼の強面をやや緩め、の細い肩口へと尖った獣の口を埋める。毛の感触、吐息の振動が首筋に伝う。クスクスと笑えば、ディランの腕がさらに包み込む。改めて感じ入る、体格差と歳月の経過。それと同時に呼び起こされる情交の記憶に、恥じらいがくすぐったく這った。
 しばらくはそうして、温かい湯の中で互いの何も纏わぬ肉体を寄り添わせ、たゆたうような心地よさに微睡んだ。

「……それでね、ディラン」
「ああ」
「相談しなきゃならない事があるの」
「ああ、何だ」

 は、自らの腰に回った彼の両腕を撫でた。筋張った逞しさが、小さな手のひらを埋め尽くす。応えるように、ディランの大きな手のひらがの素肌を撫で上げた。

「私、都市に戻らなきゃ」

 ああ、と頷こうとしたディランの声が、途中で凍り付いた気配がした。瞬間的に身体を強ばらせた屈強な狼の獣人を、はぽやんとし振り返った。

「も、どる……?」

 驚愕を露わにし見開かれた、狼の瞳。も驚いて目を丸くする。

「え、う、うん。戻らないと」

 口ごもりながらも、一度頷く。あからさまに、狼の顔が絶望に染まった。穏やかな静寂が、凍り付いた沈黙へと変わり果てる。心なしか温かい浴室が冷えているような気さえしてきた。

「……なあ、や。話をしなかったか、俺は」

 呟いたディランの声は低く、屈強な肩がわなわなと震える。

「満月を経て結ばれた獣人は、しばらくは篭もって番で過ごすと」
「うん、聞いたんだけど」
「なのにお前は、あっさりとそれを捨てると……番の世話をしたい雄を捨てると……つくづくお前は、傷つけるのが上手いな……」

 ぐっと、尖った歯を噛みしめる。実に忌々しそうに、悲しそうに、狼の顔ばせを歪ませる。それを見ながらと言えば、それにしても此処までドロドロに甘くなるのか獣人って不思議ー、などと見当違いな事を思い浮かべた。

「あのね、別にディランを捨てるわけじゃないのよ。ただ……」

 ぐるりと、の身体が回転する。音を立てて湯の水面が跳ね、波紋が泡立つ。目の前には、ディランの胸が広がっていた。濡れたせいで、ふかふかの銀色の毛は胸板に張り付きその逞しさが顕著に浮き上がっている。の柔らかい胸と、ディランの堅い胸が、重なった。感触も厚みも違う、人間と獣人の差異。ただ鼓動の強さが、一緒だった。

「私、もともと旅行だったの」
「ああ」
「一週間くらいしか休みを取ってなくて、一度戻らないと」
「分かってる」

 そのわりに、斜め上の獣の喉からはキュウウと切ない鳴き声が聞こえてくる。ディランの胸に両手をあてがい押すと、彼の腕に力が増してに縋った。押しつけられる形になったの乳房と、肉体を、離すまいとするように。は思わず、苦笑いをこぼした。

「……ねえ、今生の別れじゃないんだけど」
「……言うな、情けなさはもう痛感している」

 吐き出すように、低い重厚な声が告げる。一応、理性の部分では理解しているらしい。けれど、獣人の性では、それさえ受け入れ難いと叫んでいる。こんなに立派な体格で、屈強な獣の男なのに。そう成長したというのに。丸太みたいな腕と脚が、細いを閉じ込めようとしている。
 が思う以上に、獣人にとっては辛いのだろうか。彼女は人間だ、獣人の思考は、言われて理解はしても持ち合わせてはいない。にとってはささやかな事でも、彼らにとっては深く思い悩むような事なのかもしれない。安易にあっさりと言ってしまわない方が良かったか、は眉を下げた。

「あの、ディラン」
「……くっそ、分かってはいるんだが……」

 腹筋の割れた逞しい腹の上へ、を横抱きにし抱える。視線が上がり、の目の前に彼の顔が並んだ。黒の混じる、銀色の狼の顔。苦悶に歪む目が潤み、鼻面にしわが寄る。尖った口先からは、牙が見える。何かを懸命に堪えているようにも見えた。

「……大丈夫だ、引き留めるつもりはない。都市に戻るのは仕方ない事だ、当初は旅行だったのだから残してきたものが多いだろう」

 割り込んでしまったのは俺なのだと、ディランは呟く。言葉は譲渡しているのに、顔は心底辛いのだと物語っている。

「……これからの事も、決めなきゃならないし。ディランの、小父さんや小母さんにも会わなきゃだし。その前には、やっぱり都市に戻らないと」

 目の前にある狼の額へ、は自らの額を合わせ擦り付ける。それに応え、ディランもの額を押した。視界の片隅で、ぱたぱたと動く三角の耳が見える。しばらくじゃれ合うように額を擦り合わせていると、ふと、ディランが呟いた。

「……有休申請、追加で入れてくるか。酒の一つ二つ持って行けばあいつらも交代してくれるだろう」
「え?」

 は、パッと離れた。狼の眼と視線がぶつかる。

「着いてきてくれるの?」
「……当たり前だろう、番ったばかりの雌を放っておく雄がいるか」

 それとも、もしかして、嫌なのか。ディランの目が無言に語りかける。心なしか、眼差しが揺れ動いている。
 此処で仮にが嫌だと言ってしまえば、きっと彼は轟沈して泣き始めるのだろう。だが、は決してそう思う事もなく、潤った唇に笑みを浮かべた。

「そっか……ありがとう、嬉しい」

 くすぐったそうにはにかみ、両手を広い肩へと乗せる。湿った毛の感触を確かめるように、首筋へ頬を寄せる。グルグルと、聞き慣れた獣の喉の音が聞こえた。

「此処とは全然違うけど、都市もね、良いところなんだよ」
「そうか」
「そうなの、ふふ……楽しみ」

 は瞳を細める。傾けた視界へ、自らの左手を掲げる。薬指を彩る約束の証を見やり、笑みを深める。

「色々順番は間違えたけど、デートみたいだねえ」
「……そうだな」

 言葉は短いが、ディランの低い声にも蕩けるような歓喜が滲んでいた。

「今は、何日目だ……五日目か? もう明日には、準備をしなきゃならないのか」
「そうだね、荷物まとめて都市に行かないと」
「……なら、今日が最後か」

 はディランの首筋から顔を離す。正面へと頭を持ち上げれば、ディランの狼の眼がを真っ直ぐと見据えていた。苦笑いの色を浮かべている瞳に、は小首を傾げる。

「最後?」
「ああ、最後」

 スウ、と狼の目の色が変わったのはその瞬間だった。が気付いた時には、腰に回っていた太い腕が一本離れ、の片頬へ大きな手のひらが被さっていた。濡れて張り付いた髪が、獣の指先でくすぐるように払いのけられる。竦めた肩に、こそばゆい感覚が留まった。



 ディランの、狼の顔が近付いた。薄く開いた顎の向こう、鋭い牙の向こうから長い舌が差し出される。肉厚な赤いそれを見取ると、顎の下をくすぐり耳の裏まで舐め上げられた。不意に走る湿った感触に、無防備だったは肩を揺らして小さく悲鳴を漏らす。温く優しい湯船よりも、格段に熱い。
 。今一度呼ぶ低い声に応え、反射的に閉じた瞼を押し上げる。そうっと窺った目の前の狼の目には、獣欲の色。開き掛けた口を閉ざす。どうしたの、などとは言えないだろう。あまりにも雄弁で、何を訴えているのか分かる。

 ……番ったばかりの獣人だから。そういう理由でもないのだと、ようやく察した心地がした。目が、吐息が、全身が、足らないと。本当は数日では満たされないと。十年以上も想い続けるという、ある種の狂気じみた片想いの末に成就されて救われたはずの心が、今度はその飢餓感を潤すべく欲しているのだと。立派な狼が、ひたすらに訴えている。
 それをは、不思議な事に、震えるほどに嬉しいとも思うのである。けれど、一抹の不安。獣人と人間の、体格差と根本的な体力の違い。受け止めるにはは小さかった。

「ディラン……」

 ぎゅっと手のひらをすぼめて、ディランの広い肩を掴む。

「無理はしたくないし、させたくもない。だが……」
「うん……」
「悪い、とは思ってる。これでも。ただ、それでも」
「うん……ッ」

 の片頬を包んだ大きな手が、頭の後ろへと移動する。言葉には反して、を自らへと近づけようと手のひらに、はまなじりを赤く染めた。大丈夫、やる事成す事裏目に出ても、ちゃんとそれくらい分かってるから。ぶつけてくる幼馴染み、いや、将来を共にする男へは頷いて身を寄せた。ただ、それでも、形のない不安がちらつく。

「や……」

 呟きに反応し、ぱたりと狼の耳が揺れる。

「や……ッや、優しく、して、下さい……」

 なりの、精一杯の言葉であった。小さな肩をさらに小さく縮め、ディランへと寄りかかるに対しディランはというと、ナイフでも突きつけられたように、動きを止めていた。

「……」
「……ディラン……?」
「……ああ、いや、うん」

 目の前のディランはしばらく硬直し視線を泳がせたが、おもむろにを抱き直し、風呂場へ連れてきた時と同じように横抱きにすると。
 バシャリ、と音を立てて湯船から勢いよく出た。
 内心で、がギャアッと叫んだのは仕方ない。

「ちょ、ちょっと、あのッ」
「お前の口から、そんな言葉を聞けるとは思わなかったな……」

 嬉しそうに噛みしめ、湯船の横の洗い場へとしゃがみ、を下ろす。冷たい石のタイルが、尻と後ろ手についた手のひらへと当たるが、ぶるりと震えたのはその冷たさだけではない。

「優しく、だったな。

 瞬いた狼の瞳が細められる。覆い被さるように近付く狼の獣人を見上げて、ドクリとの心臓が跳ね上がった。

「優しくするとも――――番の願いを聞くのが、雄の本望だ」

 そう告げるディランの低い声は、蕩けるように優しかったというのに。
 ……どうしてだろうか。の抱く一抹の不安が、さらに増したような気配がした。



 屈強な獣人が使用する為、頑丈さに重きを置いた殺風景とも言える風呂場だったのだが、あっという間に恋人たちの睦む寝室とほぼ同化していた。微かな湯気の漂う天井に、響くのは湯の音ではなく自身の震えた声である。反響しているのだろうか、普段以上に耳につく自らの声に追いつめられている気がした。
 だって、どうしよう、本当に。
 胡座をかいてどっしりと座った狼の太い足の上、は白い裸体を縮こまる。後ろから抱えるその逞しい腕に、逃げ場などないのに無性に飛び出してしまいたくなる。
 ディランは本当に、懇切丁寧に愛撫してくれている。牙が生え、爪も伸び、人間とは全く異なる強さを内包する獣の姿で、大きな獣の手のひらに包まれる乳房が、ただ触れられるだけでぞわぞわと粟立つほどに。

「う、う……ッ」

 長い指が、ふに、と柔い肉へ埋まる。全てを包み込んだ手のひらが形を変えながら、円を描いて、絶えず振動を与える。耐えようと無意識の内に噛みしめる唇から、震えた声がこぼれる。喉の奥に留めようと、息をせき止めるようには力を入れていたが。
 不意に、胸の頂を摘まれて、背筋にまでその粟が走った。

「~~~~ッ! あ、あァ……ッ!」

 ハアッと吐き出した吐息と共に、切なく声が溢れる。指先の爪が、傷を付けない力で時折引っかいて、指の腹に挟まれ弄ばれる。大きく息を吐き出したせいで、口は閉じてくれなかった。



 後ろから名を呼ぶ狼が、厚い胸板を背中へ押しつけてくる。毛皮の中に篭もった体温は、やけに高い。の顔の横から、覗き込むように下がった顔が見えた。銀色の狼を視界の片隅へ納め、けれど摘まれた頂が軽く引っ張られると、の瞼は力なく閉じられる。
 痛い事など、何もないけれど。けど。
 は右手の甲を唇へ押しつけ、空いている左手は太い腕をさする。
 むず痒い心地と困惑に震えるの無防備な少女めいた様を、ディランの狼の眼は、全て見ており。
 
「……気持ちいいか」

 嬉しそうに、楽しそうに、牙を覗かせ呟くのだ。
 じわりと涙の滲みそうなまなじりが、仄かに染まる。形を変える乳房が持ち上げられ、指先がさらに埋まってゆく。ぴくり、と跳ねた肩と切なくしかめた眉が、の困惑を恐らく伝えているだろうに。

「……ああ、そうだったな、言わなくてもよく分かる」

 ――――匂いが香ってきた。
 楽しそうに、狼の口が敢えて暴き立てて告げる。の耳元で、じっとりと。カッと染め上がる頬に、熱を帯びた吐息と共に獣の舌が触れた。
 確かに懇切丁寧に愛撫してくれるけれど、同時にあらゆる逃げ道も塞がれ、全てディランの獣らしい情欲へと導かれぶつかっているような気がする。お尻の下の脚も、閉じ込める腕も、重なる胸も、全てが。

「ディ、ラ……ッう……ッ」

 悴む指先を、ディランの腕へと重ねる。掴むというより、縋るように。それをディランは至極嬉しそうに喉を鳴らして、さらにの乳房を愛するのだ。
 優しい、でも、怖い。
 細い身体をもじつかせて揺らす。在りし日のように、強請れば直ぐに強く抱きしめる狼の温もりに安堵し、そしてまた粟立つ感覚に目の前が染まる。怖いと、そう思うのが正しいのか間違っているのか、そんな事を判断するほどは冷静でないし材料がない。ただ、触れるその大きな手に、身体が熱くなるのである。

 ディランの愛撫は、やはり乳房だけでは終わらず。首筋や腕、腹や腰、太股から足先までと全身くまなく撫で回してくれた。その頃にはすっかり、の肉体は蕩け、屈強なディランを座椅子に脱力しきっていた。
 溶けそう、本当に。優しいのと、くすぐったいのとで。
 けれど、意識が落とされるほどの、決定的な快楽はもたらされず。
 執拗に熱を煽り立てているのに、理性だけは決して崩そうとしない。恐らくはそうしているのだろうけれど、何で、とは息を荒げて胸板に寄りかかる。

「ディラン……ッあ……ッ」
「……ああ、匂いがどんどん、増えてる。、分かるか、なあ」

 肩口に鼻先が埋まり、すんすんと鳴らし吸い込む。よほど、それが好きらしい。もう何度もされた仕草なのに、それをされるといよいよ逃げ道が壊される気がし、恥ずかしくてたまらなくなる。には決して分からない事であるが、もしも嗅ぎ分ける事が出来たのなら……私も彼のようになるのかしらと、ぼんやり思う。

「……全部、俺が触ってる。なあ、

 低い声が、笑みを含んでの耳元で這う。ちらりと見上げた先、獣欲がありありと滲んでいる狼の眼を見て、ぞくりと戦慄いた。ああ、その目、もう知っている。噛みついてきそうな、お腹を空かせた鋭い獣の目。人の知性と獣の獰猛性を持つ、獣人という種族の本能の定めよ。彼の持つ獣性が欲望にじわじわと染まり、へと、全てを向ける。
 熱を帯びたのは、ディランだけではなかった。
 震えるの太股の裏へ、ディランの片手が触れている。汗ばんだ柔い素肌に、太い指先が埋まり撫でさする。

「……大丈夫か」

 獣の欲望が見えるのに、それでもなお存在する一握りの理性。満月の晩や昨日と比べると幾らか治まったのだろうかと思ってもみたが、疼いている低い声はそうでもないと物語る。はほんの少しだけ、笑って見せた。力の抜けた、しんなりした笑み。昔からそうだった、彼は決してが泣きじゃくるほど嫌悪するような事は冗談でもしなかった。

「ん、平気……」

 答えるのは、恥ずかしいが。小さな声であっても、頭上の狼の耳は容易く拾う。そうか、と一言呟いた低い声の向こうで、唸り声が混ざる。歓喜か、それとも。
 の白い足が、開かれる。片足の太股をしっかりと掴み、持ち上げる獣の手の仕草。横座りの姿勢になっていた両足が崩される様を、は眼下で見た。ぎゅっと思わず目を瞑る。急ぎ立ててはいないけれど、閉じさせはしまいと掛ける獣の力は強い。
 ディランの指先が、それまで触れていなかった秘所に触れた。
 ――――瞬間、の全身に痺れが駆け巡った。

「ッ! あ、あ……ッ!」

 跳ねながら捩るの身体を、ディランの左腕が抱き留める。というより、押さえつけ逃がすまいとする。反射的に閉ざそうとした足は、彼の手に阻まれて叶わなかった。
 くすぶっていた熱が、一気に膨れ上がる。くすぐったくなるほどに優しく触れられ、執拗に転がされ、直結するような快楽が無かったせいかもしれない。丁度、ディランの鎖骨辺りへと頭を押しつけ、湿った銀色の毛に片頬を埋める。頭上から、、と名を呼ぶ低い声が落ちてくる。気遣っているのに、の痴態を嬉しそうに煽る、実に欲望の湛える響きだった。
 優しい、乱暴はしない指先。けれど。
 は甘く息を吐き出す。何度も触れられた秘所が、ディランの指で呆気なく蕩ける。自らの感覚で、蜜がしとどに溢れている事は、あまりしたくはないが理解させられている。数日間でものの見事に解かれてしまった女の性、それなのに彼はまだ優しく追いつめる。胸や腹の奥に、疼く振動がこみ上げる。

「ディラ、ディラン……ッ」

 細い腕では敵いもしないだろう、逞しい腕を必死に掴む。ディランの顔が下がり、荒く呼気を漏らす濡れた鼻先がの耳の裏を掠める。グウウ、と苦しそうな喉の音が聞こえる。
 ゆるりと秘所の入り口をくすぐり、浅く指先が埋められた。

「……良いな、やっぱり。どの声でも、お前に名前を呼ばれるのは」

 震えるの背後で、ディランの声に熱が浮かぶ。目眩を起こしたような、色っぽい声音が鼓膜を這った。
 すると、指先が、深くへと沈み込む。ぞくぞく、と一気に走る痺れには戦慄いた。疼く腹部の奥が、ディランの指を急いて締め付ける。

「……ああ、

 荒い息の混ざった声を辿って、ディランの顔を見る。ゆらゆらと震える狼の眼に、実は理性らしいものなんて無かったらしい。獰猛な肉食の眼光が、映るを欲しいと告げている。カッと、新たな熱が浮かんだ。
 どうしよう、何か、今すごく。
 ときめく、と呼ぶには少々情欲の匂いが強いが、そう言って差し支えない。というか、ときめいた。
 バッとは顔を背け、火照る頬を隠そうと頭を下げた。が、その時、思わぬものを目の当たりにする。悴むように震えている白い両足の間、ディランの大きな手が伸ばされ秘所を弄ぶその光景。十分に厭らしいというのに、さらにその向こう、今頃になって気付いた。
 が服を着ていなければ、当然ディランも服を着ていない。だから、彼の肉体も隠せるものがない。何時からかは知らないが、天井に向かい勃ち上がった大層立派なディランの男性器が、其処にあった。

「あ……ッ」

 熱が篭もっているのか、赤く腫れ、びくりと全体が時折震える。尖った先端から先走りがこぼれ、伝い落ちていたせいか濡れて光っている。
 まじまじ見るものではないのだろうが、今この時、初めてまともに見てしまった男性のそれに、の目が泳ぎに泳ぐ。それでも、何度も視界へ納めて見取っては、生々しい様相に逸らすに逸らせない。
 どうしよう、どうすれば。も大概な格好をしているとは思うのだけれど、目の当たりにする幼馴染みの欲情している証に、はくはくと唇が開閉する。

「……言っただろう、番の匂いは媚薬だと」

 苦笑いを混ぜたディランの声が、耳元で響いた。の身体を抱え直すが、それでも隠すつもりはもう無いらしく、の泳ぐ視界には否応でも入ってくる。苦しそうに、彼のものがビクリと跳ねた。

「お前も、俺たちのように鼻が良けりゃ分かっただろうよ。はあ、番の匂いだけで盛って、喉が渇いて、食いつきたくなる気持ちが」
「あ、う……ッ」

 匂いだけで、欲情する。そう言われても、彼の指す匂いなんてに分かるものではないから、真に理解する事は不可能なのだけれど。窮屈そうに、苦しそうに跳ねる勃ち上がったそれを見て、はディランをそうっと窺う。

「……他の、女の人の匂いでも、こうなるの?」
「……お前だけだ」

 ディランは、心外だとでも言わんばかりの、憮然とした声で呟いた。

「……私、だけ?」
「……ああ」

 一度、ディランの鼻先がスンッと音を立てる。

「お前の匂いが良い……お前だけが良い」

 番の匂いの甘さと芳しさを知れば、他者の匂いなどあってないものだ。そう呟くディランに、は再三思ったけれど、きゅうっと胸を締め付けられときめきを覚える。獣人たちの言動の根本は、非常に本能的な面が多いけれど……その直球過ぎる表現は人間を軽く超える。特に、十年以上も懸想してくれていたと暴露したディランが言うと……感情が込められ、初なには涙が滲みそうである。嬉しいやら、恥ずかしいやら。

「そっか……」
「……気持ち悪い、か」

 キュウウ、と喉が鳴る。三角の耳が、ぺたりと伏せがちがちになる。はそれを見て、ふっと気の抜けた笑みをこぼした。これがやはり、ディランという狼獣人である。

「……ううん、ありがとう」

 礼を言う場面ではないが、浮かんだのはそんな言葉だった。ディランの耳がピンッと立ち、安堵した溜め息をの首筋へ吹きかける。
 ――――ディランの指が、の胎内から引き抜かれたのは、その時だった。

「ん、んん……ッ!」

 高められた神経だけが敏感に取り残され、は盛大に身体を震わす。物足りなさを感じた自らを、は自分の事ながら恥ずかしさに眉を寄せたけれど。離れたディランの手は、近くの桶をむんずと掴んだ。それを湯船へ入れ湯を掬うと、タイルの上へとバッシャンとこぼした。仄かな湯気が、足下から立ち昇る。
 そしては、座椅子にしていたディランの身体からひょいっと浮かされ、温いタイルへ四つん這いにされる。

「う……?」

 ぺたりと、両手と両膝がつく。真下には、丁度マットが敷かれている。火照る頭でぼんやりと不思議がっていたが、その後ろから毛皮が覆い被さった時には――――何を次にされるのか、即座に理解した。
 ゆるりと開かれる両足の間へ、触れた熱く滾るもの。内股を厭らしくなぞり、幾度も濡れた先端が秘所をつつく。振り返ろうとしたの背へ、厚い胸板が折り重なった。陰を生み出すくらいに、立派な獣の肉体。恐らく本気を出さなくても、を蹂躙し手折るくらいは容易だろうに。それが、獣人という屈強な種族であり、異種族の異性の純然たる力の差だ。それを、全ての体重を掛けないようにと腕や足がタイルを突っ張るディランに、温かな溜め息が溢れた。
 心地よい重みと熱さが、双方の僅かな隙間を埋める。そっと首を振り向かせて窺うと、彼の顔が斜め後ろに見えた。

「……

 腹を空かせた狼そのものの、欲情し果てようとする獣の眼。どうか早く、許しを。それをへ向けながら、必死に崩れ落ちる手前で踏ん張り、窺っている。が「優しく」などと言ったからだろう、だから【堅物】なんて町人たちから揶揄されるのだ。そういうところが、実にディランらしい。
 とん、とん。どちらの蜜かも知れないほどしとどに濡れる、小さな秘所へ苦しげな欲望がすり付けられる。伝い落ちる感触を覚えながら、は染まる顔をほんの少し、小さく頷かせる。同時に濡れた睫毛を瞬かせ、瞳の動きで応えた。
 良いよ。
 ぎらり、と。狼の目が煌めいた。
 窺っていたディランの欲望が、小さな入り口を探り当て、その瞬間。

「ッ! きゃ、あァ……ッあ……ッ!」

 太い肉の杭が、胎内へと入り込む。それまで決定打を与えられずに熱を弄ばれ、執拗な優しさで追い立てられた疼く身体が、一気に歓喜を爆発させた。納められるディランのその熱さに、全身が恥ずかしいほどに粟立って、目の前が一瞬閃光が走った気がした。
 呼吸が、上手く出来ない。足や腕に力が入らず、倒れてしまいそうになる。切なく痙攣する細い四肢を、ディランの腕が支えてくれたけれど、その彼からも声を噛みしめるようにグウッという喉の音が聞こえる。喉元に耳を押し当てなくても、はっきりと聞き取れるほどの大きな音だ。

「ッう、苦しい、か」

 よりも苦しがっているのではないかと思うような、息の荒い声だった。牙の揃う顎からこぼれる呼気が、の頭に落ちる。
 ああ、そうか、そう言えばあの秘薬とかいうものを今は使っていないのだ。
 あれを使われると、いつも意識と身体が蕩けて落ちてしまい、初なも快楽へ導かれる。だが今は、意識は残りながら身体が蕩けてゆく。確かに、苦しいかもしれない。疼く腹の奥が苦しい、ディランの声の響く胸の奥が苦しい、それでも求められる熱杭に切なくて苦しい。言おうと思ったけれど、言葉としては形に成らず、全ての息遣いへと変わる。
 苦しいけれど、痛苦ではないのだ。ドクドクと、拍動が胎内で響いている。どちらなのかは、定かでないが。

「……ッき……いい……」
「……ッ?」
「きも、ち……い……ッ」

 もう身体が、ディランを覚えてしまったらしい。手を繋いで一緒に歩いた幼馴染みの彼を、満月の晩に契った男として。羞恥と歓喜でまなじりが滲むの背後で、ディランが息を吸い込んだ。

「お、お前……ッ」
「え、う……ッ?」
「ッく、そ……ッ」

 ディランは突然、そう悪態をついた。その理由は、直ぐに分かった。ひきつった声が急に色っぽさを増し、悩ましい狼の声が響く。の狭い膣を押し広げる欲望が、奥へと性急に腰を進ませて穿つ。も甘く声を漏らした、その瞬間――――熱い奔流が放たれて、胎内から溢れたのが分かった。

「あ、きゃッ?!」

 パタパタパタ、と幾度も重い雫が落ちる。その感覚に、懸命に耐えていた四肢がついに折れて、はぺたんとタイルへうつ伏せになった。腰だけ掲げられたような状態で。
 ふるふると瞼を震わせ、ふと首を振り返らせる。凄絶に色っぽい声を漏らすディランを見上げ、ドキドキと視線を下げる。自らの足の間に、こぼれている白濁とした滑り。タイルの上を伝い、膝をとろりと濡らす独特な鼻をつく匂い。
 これは。
 も直ぐに分かったけれど、心なしかディランが肩を落としているような気配がし何も言えない。

「…………」
「ディ、ラン……?」
「……悪い」

 謝る事なのだろうか。男性の事情は分からないけれど、は別に謝罪を欲しいと思っていない。彼女本人も、ドキドキとはしても気にしてはいないので、笑みを浮かべて首を振った。ディランはやや気落ちしてみせたものの、ふわりとの首筋を舐め上げ直ぐに復活する。彼自身も……の胎内へ埋めたままの下半身も。

「向き、変えるぞ」
「え……ッあッ?!」

 ディランは身体をやや離すと、力の入らない足の片方を持ち上げた。うつ伏せになるの上半身が仰向けとなり、掲げていた下半身もそれに習い尻を下にし温いタイルへと下ろされる。だが、未だ秘所にはディランのものが入っている為、図らずも中を掻き回される事になり、は呻いた。

「ん、ふ……ッ」
「……なあ、、さっき」

 の両足を脇に抱え、ディランの胸板が倒れる。腕を突っ張り覆い被さった狼が、真上から見下ろしている。

「軽く、イッたか」

 さっき、というのは、恐らくディランが入った時の事だろう。はカッと頬を真っ赤にして、狼の目を見る。の口からは何も言わなかったけれど、きっと内心の事は伝わっているのだろう。呆気なく肯定だと受け取られ、ディランは「そうか」と呟いて。

「秘薬はもう、使っていかなくても平気か……」

 安堵と喜びを湛えた声音で、笑い声を微かに浮かべた。そうして、先ほど精を放ったとは思えない剛直が、胎内で動き出した。緩やかに、けれど、しっかりと馴染ませるように。

「あふっ」

 息が漏れたような、声が飛び出した。とんでもないとばかりに、は自らの口を片手で覆う。が、それをディランの手が許してくれないようで、タイルの上へとその手を押しつける。何でもない動作なのに、力が掛けられ全く動かない。何という馬鹿力だろうか。

「駄目だ、絶対に塞ぐな」
「そん、な……ッあゥッ!」

 とん、と。ディランの腰が動く。絡められたの足が、それに合わせて爪先を揺らす。緩やかなのに、熱量の存在が大きすぎて甘い苦しみが増す。秘薬と呼ばれるものは、半ば肉体を高みへと引きずり上げるようだった。それが、今は。
 反射的に堅く閉ざす瞼の端から、ポロリと、雫が落ちる。



 べろり、と雫を肉厚な舌先が舐め取った。

、平気だから……ふっ」
「ん、ん……ッ」

 低い声が蕩けている。そろりと瞼を押し上げる、それと同時に、の頭の後ろにもう片方の手が回った。熱っぽさに目眩がする。大きな手はそのまま肩へと回り、ディランの胸へ抱えられるように起こされた。
 そうして薄く開く視界には。

「ッ! ちょ、や……ッんあッ」

 一気に羞恥で覚醒する頭、それと同時にさらに明瞭な甘い熱さが震わせてきた。
 目の前に、狼と人間の繋がった光景があった。の腹部とディランの腹部には、先ほどの溢れた白濁の残滓が伝い。緩やかに狼の欲望が上下に動き、時折こね回す。胎内に響く振動が、音となってにも聞こえてきた。じゅぷり、じゅぷり。はしたない水音が、塞ぐ事の出来ない耳へと滑り込む。
 どうして、そんな。わざとそうしている事は直ぐに分かったけれど、の肩を撫でる大きな手のひらが妙に穏やかで余計に困惑する。

「……十年だ」

 ぽつりと響く言葉。蕩ける声が、の耳元で這う。

「十年も待ち続けた、何処まで本当だったか知れない口約束と、お前が、ずっと欲しかった。なあ、

 熱に浮かされ、薄ぼんやりとし、優しいのに凶暴な余韻。胎内を犯す剛直は激しく動いてはいないのに、容赦なく埋め尽くしている。

「……お前を抱いてんのは俺だと、俺がお前を抱いてんだと、覚えさせてくれよ」

 の起こされた視界に、繋がりが映る。緩慢な動き、容赦のない厭らしさ。銀色の狼が吐露する熱情に、も吐息をこぼした。

 における異性の経験は全て、この狼の獣人だけである。他人とは比べられないし、仮にあったとしても比べて難癖をつけるつもりはない。それでも、羞恥と熱情の織りなした朧気な意識の中でも、幾らか覚えてはいるのだ。満月の晩の情交は、互いの存在を確かめるようにぎこちなく、けれど激しく。その翌日の丸一日の情交は、体格の違う肉体を極力離さずに貪り喰らうように、枷が無くなり激しく。けれど今は……異種なる互いの肉体を覚え味わうように、凶暴手前の優しさのもと。

 なにせ彼は、《狼》だ。食べられてしまいそう、そう思って仕方ない。むしろもう、食べられているではないか。容赦なく、狡賢く。そのくせ、くすぐったいくらいに優しく、甘美に。

 胎内に馴染むディランの欲望を、は強く抱き込む。タイルに押しつけられた自らの手をぐっと動かすと、ディランの拘束が緩む。はそうっと、その指を小さな指先で絡めて握った。長さも、太さも、大きさも、感触さえも全く異なる獣人と人間の手が、ぎこちない初々しさで絡み合う。

「……

 弱く縋るの手を、ディランは強く握った。上半身が全て倒れ、を胸に掻き抱く。ぐりぐりと、頭や首に、狼の顔がすり寄るのを理解した。は浅く呼吸をしながら、濡れた唇に笑みを浮かべる。
 緩慢に上下していた剛直が、速度を上げたのはその時だ。
 ぐちゅりと鳴った水音に、肉を打ったような音が混じる。こぼすの吐息と声は甘く溶け、ディランの喉から漏れる音も心地よさそうに色を帯びていた。上下に揺られる肉体が、一緒になって踊りピンと張りつめてゆく。優しげな執拗さを捨てて、快楽を愚直に追い求め全身の熱が一気に膨れ上がった。

「あ、あ……ッふ、でぃら……ッ!」

 細い身体が、無意識の内に反る。何かが訪れるような、予感めいた感覚。恐々と快楽に震えた汗ばみ吸い付く四肢を、ディランは大事そうに抱きかかえた。その力強さに、やはりは安堵してしがみつく。

 これまで秘薬によって霞んでいたの意識は、今は混じりけのないディランという存在で蕩けている。それはきっと、彼も知っているのだろう。

「う、く……ッ

 姿形は情欲に煽られた狼そのものであるのに、凄絶に色っぽく、歓喜し蕩けた低い声を漏らす。次第に突き崩すような激しさが宿り、お腹の奥を食む欲望が膨れて。は掠れた嬌声と共に気をやって、ディランも獣の呻き声を漏らして奔流のように吐き出した。急いてこぼした一度目の精を払拭するように、二度目は余すことなくの胎内へ押し込んだ。
 弾けた視界へ、白い閃光。達した衝撃に、反る細い喉が戦慄く。

「あ、あ……ッ」

 びくびくと震えるを、きつく抱き込んだディランの大きな背もまた震えている。寒さに震える、子犬みたい。大きく口を開けて酸素を取り込むは、ぼんやりと思った。
 身体はしばらく繋げたまま、熱情の余韻を含む気だるい空気にくるまれる。
 ふと、ディランのすり寄った頭が横へと動き、繋いだ手を見下ろした。それに釣られ、もコテンと頭を傾げる。見た目も大きさも違う、異種族同士の指が絡まり握り合い、タイルへと押しつけられている光景をも見た。それをディランの指が緩め、閉じこめられていたの細い指を外へと現す。繋げていたの手は、左手だった。薬指に贈られた光る証が、二人の目に映る。
 ディランはの左手を緩慢に持ち上げると、其処へそろりと舌を伸ばしてくすぐった。薬指の、爪の先を。彼が贈り、が受け入れた証を。

 ……彼ら獣人の、こういうところが好ましいと思う。感情の表現は真っ直ぐと分かりやすく、その上がり下がりも顕著に目に見える。疑いの余地のないへの求愛と渇望は、彼の少ない言葉を十分なほどに補っている。


 ねえ、ディラン。これからやる事はたくさんあるのに。
 それだけで、幸福そうにして。


 は瞳を細めて、赤い頬に笑顔を浮かべる。はディランの太い指を握り返し、自らへ引き寄せる。こつり、力なく額を押し当てると、暖かい獣の感触がした。


 これから、一緒に居るのに。


 がその微笑みを、頭上のディランへと向けると。嬉しそうに蕩けた狼の眼差しが、降り注いだ。


 じっくり話し合うどころか、結局こうなった。まあ仕方ないかとは完結させ、狼の喉から奏でられる音と慰める肉厚な舌を甘受した。
 狼に食べられるというのは、こういう事なのだろう。なら幾らでもこの身をどうぞ。

 本当に、何と格好いい、可愛い狼だろうか。



幼馴染み萌えを目指したつもりの、読み切り。

が、好評頂けたから、調子に乗って書いてみました。
おだてられると直ぐにやらかします。イエス!

あれが一応本編なので、後日談、というところでしょうか。
幼馴染みのお兄さんがどんどんドえらい方向へ進んでいる気がします。後悔は当然ながら微塵もない。
あと女性向けでない気もしています。後悔はないです(二回目)

2014.02.21