いつか心も溶け合いますように

 獣人や鳥人といった異種族の集落が近郊にあってしかも囲まれているという、生まれ育って、そして戻ってきた人間の町。
 其処が世界的に見ても非常に特異な環境を有していた事は、は幼少期知らず、成熟してゆくにつれてようやく理解した事だった。家庭の事情――後になってこれが幼馴染みの獣人と己のせいであると知ったが――によって引っ越した都市でもそれを感じ取ったけれど、能天気な場所で育った結果か、は異種族との接し方等揺らぐ事は決して無かった。(都市の方で出来た知り合い達には酷く驚かれた。それなりに大きな都市であっても異種族との付き合いはまだまだ発展途上らしい)
 そしてこれからも、恋人兼婚約者兼旦那という色々な段階をすっ飛ばして結ばれた獣人の幼馴染みと、異種族同士ゆえの問題を少しずつ解決して上手くやっていきたいと思っている。
 思っては、いるが。


 私だって、私だってね。

 どうしても抗えない事の一つや二つ、あるわけでして。


 故郷への里帰りを果たし、幼馴染みを引きつれて都市へ一時帰還し、残してきた雑事全てを片付けて故郷に定住後の蜜月再開――――いや、最後のそれは置いといて。ほとんど息継ぎの間もなかった多忙の日々に、ようやく落ち着きが見えてきた、近頃。
 都市で暮らしていた頃にはなりを潜めていた《癖》が、の中でむくむくと起き上がっていた。



 すっかりと過ごし慣れたディラン宅で、は夕食後のくつろぎのひとときを送っていた。買い揃えた人間用のマグカップを両手で持ち、ほとんどベッドに近い獣人用のソファーに深々と腰掛ける。少しずつ中身の紅茶を含んでほっと息を吐き出し、のんびりと夜の静けさと共に味わっているのだが。
 その目は、ある一点を見据えたまま、動かない。
 ほかほか上がる湯気にも瞬きせず、眼光を鋭く光らせる先には――――ふさふさ揺れる、銀色の狼の尻尾。
 もとい、恋人兼婚約者兼旦那の、ディランの尻尾。
 年上の幼馴染みから見事異性へ昇華されたディランは、わりと無防備にその背を見せ尻尾を時々揺らしている。の眼が、さらに暗殺者のように光り輝く。
 いやだって、ねえ。はそのふさふさな尻尾に、意識が吸い込まれてゆく。

「ディラン、ディラン」

 が呼ぶと、ディランは直ぐに振り返った。肉体の造形は人に近いが、外見の差異はもちろんの事その背丈と強靭さは人間以上の、獣の性質を宿す獣人。見事な銀色の体毛を持ったディランは、狼の獣人――――ピンと耳を立てた凛々しい狼の頭部が、を見つめた。
 番を得たその日から一週間近くは巣穴にこもって密な時間を過ごすという、蜜月なる獣人の習慣。実はそれはまだ終わっていないらしいのだが(だいぶその期間は曖昧らしく個人によってまちまちだとか)、当初に比べればかなり落ち着いている。主にが大切な何かを削りながら、ベッドどころか家中どこでもお付き合いしたお陰だろう。何を、とは決して言うまい。
 感謝するといい! 誰にも迷惑掛けていないけど!
 それはさておき。子犬のようにトロトロに溶けた目と声がここ最近のディランの標準装備なわけだが、今だけは怪訝に目を顰めていた。なんて失礼な、この渾身の満面な笑みに対して。

「……なんだ」

 それでもきちんと反応する辺りが、実にディランらしい。
 はにっこりと浮かべた笑みをそのままに、マグカップをローテーブルへ置き、自らの隣をポンポン叩く。彼は些か躊躇う素振りを見せ、手に持ったコップの中の水を全て飲み干すと、仕方なさそうにやってくる。だがしかし、その尻尾がぶんぶんと上機嫌に横に跳ねているので、全く申し訳ないとは思わない。
 よりもずっと縦にも横にも大きな狼獣人が、ポンポンとソファーを叩く通りに、彼女の横へと腰掛ける。だけでは軋まなかったそれが、その時に大きくたわみ揺れた。覗き込むように顔を下げた狼が、どうしたのかと目で尋ねる。甘くとろけた情愛が、狼のそれに浮かんでいた。
 言葉少なく、それでいて目に見えるところでは雄弁に。彼ら獣人の、こういった感情露わなところが本当に好ましい。
 は笑みを深めたけれど、彼に問いかけには答えず、両手を回した。あっちを向いてくれの意である。

「は? 向こう?」
「良いから良いから、お願い」

 ディランは要領を得ない顔つきをしたが、【必殺・番のお願い攻撃】を前にし、言われた通りくるりと背を向ける。
 そして、の視線の、ほんの数センチ先で、無防備に伸びる銀色の尻尾。
 いよいよの笑みが深まり、興奮と好奇心で紅潮する。わきわきと動き出す両手が、その尻尾へと狙いを付けた。

、何がした――――」

 ディランの言葉を全て聞かず、は全力で。

 ディランの銀色の尻尾を、鷲掴みにした。


 次の瞬間、大人の犬が出すとは思えない、ギャインッというディランの悲鳴が響き渡った――――。




「尻尾は敏感な部位だと、昔から言っていたはずだが。
「はい、すみません……」

 は腕を組むディランに向き、ソファーの上で正座し深々と頭を下げる。この通り反省しておりますーと、平服した。
 だが。
 ディランはちらりと見下ろし、さらに低い声で呟く。

「……声が笑ってんだが」
「ご、ごめ……ッ」

 小さくかしずき俯いているが、肩どころか声までは震えていた。勿論、笑いを堪える意味で。
 だって怒られてはいるが、ちっとも怖くないのだ。こんなに立派な長躯で、見事な銀色の体毛を持つ勇壮な狼であるのに、先ほどが全力で掴んだ瞬間――――苛められた仔犬みたいな声を出したのだ。このいかにも屈強な獣人で、怖いものなど何一つないと叫んでいるような外見のくせに。今だって、ディランは尻尾を己の手で持ち、隠すように遠ざけている。
 それがもう、は可笑しくて可笑しくて仕方なかった。勿論、悪かったと思っているので、こうしてきちんと頭を下げて謝っている。が、笑いの方が先行してしまって声はぷるぷる震えている。せめて顔は見せないようにしたが、ディランの大変良い耳を前にして、表情を隠したくらいでは誤魔化せなかった。
 身体を起こしてひとしきり笑った後、は落ち着かせるように息を吐き出して。今度はきちんと謝った。

「ごめんね、触りたかったの」

 あの銀色の狼の尻尾に。
 素直に告げると、ディランはやたら大きな溜め息をつき、肩を下げた。組んでいた腕を解くも、その手は己の尻尾を掴んだままだ。

「……お前そう言えば、昔っから人の尻尾を追いかけ回していたな」

 えへ、とは首を傾げる。
 周囲を獣人などの異種族の集落に囲まれるという、故郷の町の特異な環境。幼少期からはそんな場所で暮らし、間近で彼らを見て育った。おかげで「不思議だなあ」と思う事はあっても、彼ら獣人たちを嫌う事はなく、むしろ体力ありあまる大きな彼らに遊んで貰って大好きだったくらいだ。一番の要因は、お隣の真っ白な犬のお兄ちゃん――もとい毛色が定まらない頃のディラン少年である。
 とはいえ、人間が持たない耳や尻尾、翼や毛皮などは、酷くの興味をそそって。何度も何度もディランに突撃しては、耳を狙い、尻尾を狙い、付いて回るたびに掴んでいた。まあ手加減をまだまだ知らない少女のが全力で尻尾を掴むので、ディランはそのたびに悲鳴を上げたし、アサシンのように突如狙うに警戒していたか。
 掴んだ回数=説教を貰った回数と言っても、過言ではない。のちょっとした武勇伝だ。(さぞディランを困らせただろうが)
 そうして結果として、ますます尻尾などへの執着は増し、の中には獣人の耳や尻尾を触りたがり病が発症した。ちなみにそれは、大人になった今も治まっていない。

 人間が決して持つ事のないものだから、気になるのだ。それに一度あのもふもふ感を味わうと、怒られたって何度も狙うというもの。
 しかもあの頃と違い、影から狙う必要がない。堂々と掴みにゆける。
 それだけで、もう。

「何で触りたがるんだろうな、人間は。珍しくもないだろう、獣人なんかあれだけ周りに居るのに」
「もーだから触りたいんじゃない。目の前でパタパタ揺れたら思わず掴みそうになるの!」
「全力で力説されてもな……」

 獣人たちには、恐らくこの感覚は理解出来ないだろう。

「ね、お願い。触らせて」

 今度から絶対、痛くしないし、乱暴にしないから。
 まるで彼氏が彼女へねだる時の台詞のようでもあるけれど(いや互いの関係を思えば違和感ないか)、其処は気にせずは真剣に告げる。揃えた膝をじりじりと近付けつつ、ディランを見上げる。ディランはそれを、じっと見下ろした。の目の中に、過日の記憶を鮮明に思い出させる、あの無邪気な色が浮かんでいる。何がそんなに楽しいかと疑問は尽きないが、それはさておき。愛しい番から熱烈に見られるのは悪い気分ではない。
 ……とはいえ。
 獣人にとって尻尾は、敏感な部位であり弱点とも言える部位。そして、尻尾の骨は背骨に直結しているから、直接触られるのは――――。
 考えるだけで、むずむずしてくる。

「……駄目?」

 だが見上げてくるには勝てないので、ディランはあっさりと放棄した。
 「まあ、良いか」とディランは肩を竦め、から遠ざけていた尻尾を差し出す。途端、の目に無邪気な輝きが戻り、ぱさりぱさりと揺らしてやればますます尻尾に釘付けとなる。その姿に、猫の姿が重なって見える。何が楽しいのか分からないが、少しくらいはまあ付き合ってやるか。ディランは背を向け、肩越しに振り返りつつソファーへ身を預ける。

「絶対、強く掴むなよ」
「ま、まかせてッ」

 語尾の「ッ」にの感情の高ぶりがはっきりと表れる。ただ本人はそれどころでなく、銀色のもっこもこな尻尾に心が躍っている。
 そろそろ、との両手の白い指が伸びる。指先が銀色の毛に埋もれると、尻尾がびくんと跳ねてわさわさ横に動く。言い難い高揚がの背筋に走り、無意識の内に顔が緩む。そうそう、これだから、子どもの時も追いかけてしまったのだ。今度は両の手のひらを慎重に重ね、横に振れる尻尾を持ち上げる。手のひらの中で、ぐねぐねばたばた動くそれに、背筋が粟立つ。
 改めて触れた尻尾の毛は、記憶の中よりも、少し硬めの質感だった。ディランの喉から胸を覆うふかふかなそれに比べれば柔らかくはないが、意外にもなめらかに滑る指通りは気持ちが良い。ばたばた動く尻尾を胸に寄せ、顔を押し付け抱きかかえる。これだけ、別の生き物のようだ。
 何という至福。は尻尾を抱え、撫で回し、ご満悦に表情を緩める。

「んふふ、ふかふか、ぐねぐね~」
「……何が楽しいのか、さっぱり分からない、が……ッぐ、ゥ……」

 ……。

 え、何、その変な声。

 尻尾は抱えたまま、は顔を上げる。目の前に聳えるような大きな背中は、何故か丸まっており、しかも震えていた。頭は見えないが、きっと三角の耳もぱたぱた動いているはずだ。

「ディラン?」

 それでもやはり、ぐねぐね動く尻尾は決して離さない。後ろから回り込んで見上げるように、身体を斜めにずらして脇から見ようと試みる。尻尾を引っ張ってしまったらしく、ディランの腰が跳ねた。痛かったのかもしれない、は慌てて止めた。

「お、思った以上に……ッ」

 しかしディランのその声は、何故か息も絶え絶えといった風に荒い。何、どうしたの。

「背骨が、く、ぞわぞわする……ッ」
「……はい?」

 ぞわぞわ、する? はぽかんとし、元の位置に戻ってぺたんと座りこむ。しばし押し黙り、抱えた尻尾をおもむろにわさわさと撫で回してみる。
 先ほどよりも際立って、尻尾がぐねぐねと動き回った。

「ッちょ、撫で回すな、本当ッ」
「やだー!」
「おま、やだじゃないだろう! ほ、本当、く、うァ……ッ!」

 悩ましげな声に一瞬ドキリとしたが、押し寄せる悪戯心に呑まれる。くすぐったいか、そうか、でも止めてやらん! とばかりには尻尾をわしわしと両手で撫でたが、いよいよディランの忍耐を超えたらしく取りあげられてしまった。その上、距離まで取られてしまった。
 に向けられていた背がソファーの背もたれに押し付けられ、尻尾が後ろ側へ消える。ああ、そんな、もこもこの尻尾。両手は名残惜しそうに、すっぽ抜けていったそれを追いかける。

「もう終わりだ、終わり。十分だろう」
「まだ!」
「……そんな真っ直ぐと言われても、困るんだが」

 ディランはまた大きな溜め息をついた。何をそんなに困らせたのか、にはさっぱり分からない。

「痛かった? 乱暴には、してないよ」
「いや、まあ、痛くはなかったが……ぞわぞわするというか、言葉にはし難いな」

 三角の耳をやや伏せ、頭を忙しなく動かす狼。見た目はいかにも勇ましく綺麗なのに、だからも小さい頃犬のお兄ちゃんなんて思っていたのだろう。
 そういえば、耳についてはそんなに怒られないが、尻尾は昔からよく怒られていた。それでも全く懲りずはアサシンのように何度も狙っていたが、その理由は確か。

「獣人にとって尻尾は、一番敏感なところで、他人にはあんまり触られたくないところだったっけ」
「ああ……」

 知っているわりにはお前は改めなかったと、ディランが力なく呟く。それがもふもふな尻尾の魔力というのだから、もう諦めて頂きたい。
 それに。

「だってディランが触らせてくれたから」
「……他の獣人の尻に向かって突撃されるくらいなら、俺は自分の身を差し出す」

 仏頂面を浮かべ、銀色の狼は唸った。頭が狼のそれのせいで、見慣れない人が見れば逃げ出したくなるほどかもしれないが、それは恐らく。

「そうだね、決まりがどうとか言ってたけど『他の奴らには行くな、俺だけにしろ』っていつも言ってた」

 途端、決まりが悪そうにディランは唸り声を小さくさせる。「何でそういうところは覚えているんだ」と苦々しい彼に、は笑みをこぼす。ディランは、怒ってはいたけれど最終的にはいつもの好きにさせていた。そのせいで触りたがり病は全く治らなかったわけだが、甘やかしていた理由は。

 ――――小さな子どもに独占欲なんて。
 全部を食べようとする狼に、相応しいかもしれない。

 にこにこするの隣で、ディランは居心地の悪そうに肩を揺らす。ただ単純にくすぐったいだけであれば、今も昔もディランは口酸っぱく言いはしなかったのだが……どうも彼女は肝心なところで抜けている。だが、じとりと見たところでその笑みの可愛さにディランの方が参る始末である。キュウ、と狼の喉が音を奏でた。
 ディランはしばし黙したが、爪が伸びる大きな手を持ち上げると、に人差し指を一本向ける。ちょいちょい、と指先が動きを呼んだ。
 少しこっちに来い、の意図だろう。は不思議がりながらも、ソファーの上を膝移動しながらディランへ近付く。拳一つ分程度の空白を残し、の膝がディランの身体に寄ったところで――――の腕は指招きしていたその手に捕らわれ、力強く引き寄せられた。
 小さく悲鳴を漏らしたは、その勢いのままディランの長い足の上に倒れるかと思ったが、彼は背もたれに寄りかかっていた己の身体をずらす。を胸で受け止め、後ろにばったりと倒れた。
 いわゆる、ソファーの上でごろ寝状態である。
 彼の身体は全て平行に倒れてはいないので、なだらかな傾斜を作って、丁度よくを受け止めている。が楽々と体重を掛けてもびくともしないその屈強な肉体は、さすがは人間を容易に超える強さを持つ獣人だ。人間の、それも女なんて、苦を感じる様子は一切無い。
 しかし唐突に、ふかふかな毛皮――もとい上下する胸の上に寝そべる形となって、はきょとんとディランを見た。彼は小さく笑うと、両手をの背と腰に添え、ゆっくりと撫でた。無骨な外見を宿す獣の手であるが、その仕草は優しい。も小さく笑って、ふわふわな毛が覆う胸に顔を埋める。のほぼ全身が乗っても平気なほど安定感だ。
 食後の満腹感も相まって、の目はとろんと緩まる。狼の喉元に耳を押し当てれば、今日も聞こえてくるグルグルと鳴る甘え声。ああ、何だか眠くなって――――。

 と思ったら、ディランの手が、唐突にお尻を掴んだ。

 は飛び起きるように身体を跳ねさせ、彼の胸の上で肘を立て上体を起こす。薄地のスカート越し、大きな手のひらが全て包み込んで指先を埋める。
 「ちょっと……わっ!」埋めた指が動き、下から掬うように撫で上げる。は小さく声を漏らし、ぞわぞわと響くむず痒さを堪えた。獣人の男という敵いっこない馬鹿力を前に逃げる事など出来やしないので、はキュッと唇を結んで眉をひそめる。

「――――獣人にとって、尻尾というのはな」

 言い聞かせ諭すような言葉で切りだしたディランの声は、優しげではあった。だが、手の動きはそれに一致しておらず、実際には僅かな逃げる隙間を埋められているような気がした。

「敏感な部位だから他人に触らせない、と言ってはいるが。さらに詳しく言えば、尻尾は背骨と直結しているから、ほとんどの感触が直に響く」

 ディランは指先をさらに沈める。柔い肉を割って、その向こうの秘めた場所を布越しに掠めた。その指先は、じれったく上へと伝い上がり、ほっそりとしたの腰と浮かぶ背骨を撫でる。ひくん、との身体が跳ねた。
 それを見やり、ディランの喉の音や眼差しには情欲が滲み始める。「多分《それ》と同じだ」とディランが呟いて、はカアッと赤く染まった。
 くすぐったいような、むず痒いような。身体は熱く染まるけれど、背筋がぞくぞくと戦慄いて、快楽の直前を悪戯に弄んでいるような。
 つまりは、がしていた事は、今ディランがしている事と、ほぼ同意義という事なのだろう。

「だって、そう、言われたって」

 お尻の全体やその下の秘めた所を、軽やかに撫でられる。声は容易く弾むが、あまりの軽さにもどかしさが募る。

「お、怒ってるの? や、止めろって言ったのに続けたから」
「別に、怒ってはいない。ただ、俺がさっきどういう生殺しの境地にあったのか知って貰おうと思っただけだ」

 怒ってるんじゃない!
 しかし、の開けた口からは、批難ではなく艶の帯びた吐息がこぼれるだけである。斜め前にあるディランの鼻先に掛けてしまったが、彼は目を細めて愉悦を浮かべる。意地の悪い獣の瞳であるのに、やはりその真ん中には、彼のに対する情愛の色が透けて見える。少しの意地の悪さも、それを見ると許せるのだから……で十分に呑まれているのだろう。狼の放つとろけた笑みに、はうっと声を詰まらせ耳を染める。
 不意に持ち上がった狼の顔が、の耳元へと近付く。濡れた熱い吐息が掛けられ、の背筋が震えた。

「……尻尾はそういう場所だから、人には触れられたくない。だが身内や番へは、話は別だ」

 大きな手が下から這い上がり、背をゆるりと撫でる。柔らかく抱き寄せる狼の腕は、小さなを丁寧に扱う。

「お前に触られるのであれば、俺は一向に異論はない」

 だから、と。ディランは付け加える。

「まあ、なんだ、今後も……他の獣人の尻には、突撃するな」

 は小さく吹き出す。それについては、心配しないで貰いたいところだ。

「大丈夫だよ。私、ディランしか興味ないよ」

 染まるのかんばせに、恥ずかしそうに綻ぶ笑み。ああ、もう、だから。ディランは殴られたような目眩を感じ、キュウ、と喉を鳴らす。身体の上に乗っかる柔らかい軽やかさに、満ち足りる胸が震える。

「えっとね、それでね、ディラン」
「……何だ」

 打って変わり、は羞恥に震えながら窺う。

「その、実はさっきから」

 視線が、下へと下がる。ディランの顔ではなく、丁度が跨がっている腹部辺り。スカートが広がって傍目には分からないが、その下にあるディランのズボンが。
 全て言わずとも、恐らくなどよりディランの方がよく知っている事だ。現に、黙りこくってしまった。長い沈黙の後、彼は何処か投げやりに「仕方ないだろう」と呟く。
 実際、仕方ない。番に触れ、番に触れられ、熱っぽい色香に当てられ、気弱げに縋られ。反応しない雄が、いるわけがない。跨がるの太股の内側に押しつけられたものが、自覚し、また硬く持ち上がる。
 困ったようには身動ぎしたが、ディランの腕は変わらず巻き付いているので離れられない。今更の事では、あるけれど、でも。火照った頬に浮かぶのは羞恥心だ。
 情緒はないが、それをディランは、可愛いなと思って見ていた。

「……悪い」

 は首を横に振り、視線をディランへと戻す。
 優しげに細められる、狼の瞳。けれど其処にあるのは、明確な情欲の感情だ。欲しい欲しいと訴えるのに、決してそれを強引に押しつけようとしない。もうその狼の手は、いつだって、幾らだって、へ届くというのに。
 知っている、彼がこういう獣人である事も。が本当に嫌悪する無茶を強要しない事も。言葉少なく、けれど全身の見えるところで雄弁に語る事も。
 は首を振り、微笑む。全然平気、と返すと、ディランの手が再びを撫でる。その触れ方は、それまでと違って妖しく熱を秘めていて、にも予感を抱かせる。

「さ、」
「さ?」
「触っても、良いか」

 狼の爪先が、襟刳りの開いた服をカリカリと引っかく。ぞくりと、衣服の下の肌が粟立った。

「もう、触ってるよ」

 それもそうだ、とディランが笑う。もつられてクスクスと呼気を漏らす。
 いつかの満月の夜に交わしたやり取りを思い出す。あの時はディランももはっきりと言えず、乞おうにも今一つ踏み込めず、期待と歓喜と少しの恐怖が混ざり合うばかりだった。だが、今は。
 ディランはソファーに寝そべった身体を起こす。跨がっていたも徐々に身体を平行状態から垂直へと持ってゆき、やはり立ち塞がるように視界を埋める彼の胸を見上げる。

「言葉を変える――――抱いても、良いか」

 銀色の狼の情欲を、が拒むはずもない。彼が優しいのなんて、もう前から知っている。首肯の意を含んで微笑むと、覆い被さる狼と共には後ろへと倒れた。



 互いの中でくすぶっていた熱は、あっという間に大きく広がっていった。邪魔でしかない衣服は床へ落ち、に至っては下着だけという状態。灯された室内用の明かりのもとに、彼女の裸体が照らし出される。人間のすべらかな肌と獣人の毛皮が重なり合って触れ合うだけで、その熱を増幅させていった。
 ディランの大きな手が、の全身のあらゆる場所を撫でてゆく。声を噛みながら、も両手を持ち上げる。目の前に被さる、影を落とすほどに広く逞しい獣人の胸へと、それをそっと押し当てる。喉から胸に掛けて覆っているふかふかな白い毛皮の下は、人間の肌とはまた違う地肌。けれど指先は熱さを感じて、彼も同じなのだと今更であるがぼんやり思う。それを柔く撫でると、頭上から心地良さそうな狼の声が聞こえてきた。グルグル、グルグル。音の厚みが増し、を愛撫するディランの手の動きも変わる。手のひらで乳房を掬い上げ、頂を爪の先でくすぐって摘む。は噛んでいた声をたまらず放ち、息を吸い込む。
 その声をもっと聞こうと、ディランは頭を下げの上気する顔の横へ鼻先を押し込んだ。
 湿った鼻と熱い息づかいが、伸びてきた狼の舌と共に首筋から耳の裏まで一気に這い上がった。

「ッ! あ、あッ」

 ディランの胸の毛を強く掴む。彼は痛がる素振りは見せず、の好きなようにさせ、肘をついて胸を寄せる。距離が詰まり、には重みが掛かったけれど、決して苦しくない。むしろぴたりと折り重なって、心地よさを感じるほど。
 。熱を帯びる低い声で名を呼び、押し込まれた鼻先をスンと鳴らす。肌の温もりの中に混じる、媚薬のように危険な、けれど甘く誘う番の快楽の匂い。人と獣の二つ性が一気に獣の方を重く傾かせ、歓喜と欲望で思考が溶けそうになる。ディランは目眩を後ろ頭に感じながら、満足げな吐息を含みながら呟く。「甘い匂いが、増えた」
 ひん、と情けない声をは漏らし、身体をひくつかせる。何度もされているが、この色っぽい低音で暴かれると、の逃げ場は無くなる。そうしてカッと染まる身体を、銀色の狼はさらに愛撫し、その匂いとやらを求めるのだ。己では嗅ぎ取れない事、けれどが隠したって彼には筒抜けの女の歓喜。
 恥ずかしくない、わけがない。
 力なく叩いたところで、彼に効いた試しは一度としてないが。
 くつくつと笑いながら、ディランはの投げ出された足を曲げて抱える。上気した頬と潤んだ瞳、ディランの中で熱を募らせる劣情を烈しくさせるだけだ。身体をずらし下がらせ、つんと上向くの乳房に舌先を滑らす。人間よりも長く、面積も広い舌。

「ふ、あ……ッ!」

 熱い舌が這い、の背筋が反る。そのまま食べられてしまいそうな光景が、の視界に映った。彼と比べればとても小さく華奢な人間を、欲しい欲しいと全身で告げる銀色の狼。その姿に、また身体が疼く。

 ……ディランは。

 は、ふと思う。

 ディランは、飽きていないだろうか。

 ディランからもたらされるものを甘受し、の全身は火照る。彼もそうだと、思う。毛皮に指先を埋めるとしっとりと汗ばんだ感触があるし、筋肉は興奮し躍動している。何よりも、荒い息づかいや忙しなく耳と尻尾を動かしている。だから、が不意に思った疑問は、自身が飽きただとか、彼を妙に勘ぐっているだとか、そういう意味は無く。
 ちゃんと彼が、満足出来てくれているのかどうか、気になったのだ。

 だって、彼は狼の獣人で。
 私は、ただの人間で。

「……ディラン?」

 は、己の胸の肉や谷間を舌先で熱く嬲る狼を呼ぶ。三角の耳が一度パタリと跳ねて、視線を起こした。どうしたと目で尋ねながらも、その長い舌は止まらずの乳房を絶えず刺激する。こぼれる吐息を声に含みながら、は彼へと問いかけてみる。

「ディラン、楽しい……ッ?」

 銀色の狼が、怪訝に目を細める。熱心に舐めていた舌を引っ込めると、下がっていた身体を再び持ち上げの頭上から覆い被さる。

「それは、どういう意味だ……?」
「つまらなく、ない?」
「……それは、お前の方が、飽きたと、言いたいのか……?」

 未だ蜜月の中にある獣人にとって、番の拒絶は痛恨の一撃である。年上の大きな狼は、あっという間に絶望に染まった。は大きく首を横へ振り、「違うの」と告げる。

「私、ディランからたくさんして貰って、嬉しい。でも、ディランは、どうかなって」

 ディランは、静かに耳を傾ける。

「私も、獣人みたいに身体が大きくて、体力があって、力があれば良かったのになって」

 明確な答えではなかったが、ディランはが何を言いたいのかうっすらと理解する。つまり彼女は、獣人とは違うこの身体でディランが営みに満足しているのかどうか、ふと気になったと。そういう事だろう。
 絶望に染まっていた彼は、どっと息を吐くと大きな肩を撫で下ろす。どうにもは己限定で無自覚に翻弄するのが得意らしいなと、ディランは小さく笑う。赤く上気し、一層艶やかなの裸体を眺め見ながら、彼女の薄い肩の裏側へと腕をねじ込む。起こされたの頭へと、ディランも狼の頭を近づけ、下顎を乗せる。
 とても近いところで聞こえる、グルグルという甘える音。はほうっと息を吐いて力を抜く。

「……口に出して言った事は無かったが、俺もな」

 囁いたディランの声には、少しの笑みが含まれている。

「人間との身体の違いや文化の違いを、何度も不思議に思ってきた」

 は目を開き、見上げるように頭を動かす。乗せられていたディランの顎が引いて、視線がぶつかった。情欲は薄れ、慈愛を浮かべている。

「それでも俺が欲しいと思ったのは、お前だけだった。だから、今こうして、お前を抱けるのは……なんだ、楽しいというか、嬉しい」
「あぅ……ッ」

 低い声に告げられ、は思わず変な声を上げた。火照った顔に増す熱が、くらりと甘い目眩をもたらす。
 獣人は基本的に、感情表現に変化球は使わない。直球ストレートか全身体当たりかのニ択しかない。ディランもそうである。隠さずに落としてくる言葉に、既に音を立てて震える心臓が殊更に波打った。けれどこういうところが、彼の方が年上という事を理解させられる。

「……それに」

 不意に、頭上で見下ろす狼の瞳に、どろりとこぼれてきそうな甘さが溢れる。の肩を抱いていたディランの腕が、背筋をなぞりながら腰へと移動する。ぞくりとして、は跳ねた。

「……毛皮が無いから、真っ赤になるのが直ぐに分かる肌とか」

 腰を持ち上げられ浮かされる形となった無防備な腹から胸へ、もう片方の手が鋭い爪を当てながら這う。

「小さい身体から出る、匂いや体温とか」

 呼吸に合わせて上下する柔らかな胸に、手のひらが被さり、撫で上げ喉へと向かう。

「俺が力を入れれば直ぐに折れそうな細い首も、肩も」

 羞恥か困惑かで真っ赤に染め上げられるの頬に、大きな手が触れた。耳の裏や首筋を、低い声と一緒に爪の先がくすぐりながら引っかく。

「ディ、ディラ……ッあッ?!」

 腰を持ち上げた手が、さらに下がった。無防備に預けていた両足の間に狼の手が伸び、の丸みを帯びるお尻を一撫でして下着をずり下げる。外気に晒される秘所に、人間の手とは異なる大きな指が触れた。急に攻められ、は喉を反らし甘く鳴く。反射的に手で口を覆おうとしたけれど、駄目だと言わんばかりにディランの顔が、尖った狼の口が、肩口に押し込まれる。

「雄を欲しがって濡れる小さい此処も、全て」

 熱く息を吐き出し告げる声が、耳を犯す。粘ついた水音をわざと立てる指は、暴き立てるように意地が悪いのに。決して乱暴にはしない。だからディランは狡いと、は震えながら思う。

「お前が、やたら獣人の尻尾や耳に執着するように俺も。牙を立てて、印を残してやりたいくらいに……なあ、

 想いの告白ではなく、劣情を吐露する激しさ。低い声には隠さない欲望と情愛が滲み出ていて、その生々しさを真っ直ぐへ落とす。けれどそれが、不思議とも嬉しい。
 全身から熱情を放つ狼に、多分、呑まれているのだ。
 身体の奥深くが疼き、内側へと入ってくる太い指を締め付ける。

「ん、あ、飽き、ない?」
「全然、はあ、全く」
「そ、か」
「お前は? 嫌か?」
「ん、ううん……ッ」
「そう、か」

 ソファーの上で折り重なる、狼と人間の身体が落ちないように。毛皮と肌をぴたりと密着させ、窮屈に、縋り合う。宿る熱が相互に行き渡り、安堵と同時に、欲望がさらに顕著に増す。ディランは性急にの秘所を解し、しとどに濡らすと、一度身体を離しズボンの前をくつろげる。きつく隆起していたそれを取り出して、へと擦り付ける。真っ赤に震える彼女がやっぱり可愛いと、荒く息を吐き出しながら彼は思っていた。



 入り口を、とんとん、と軽く小突かれる。入って良いか、入りたい、と訴える狼の目を、はとろんと見上げる。小さく頷いた、けれど「まって」と舌っ足らずにディランを呼んだ。浅く入り掛けたところで待ったを掛けられ、キュウウウ、と情けない声がディランから上がったが、それでも鋼の精神で言う通りにしたのは流石である。
 は力の入らない腕を二つ伸ばす。ディランは身体を倒して被さると、首に絡まる頼りない腕に引き寄せられる。持ち上がったの顔が、ディランの耳元で呟いた。こそばゆい振動にぞわぞわする彼であるが、呟かれた言葉に一瞬飛び跳ねた。

「……は、え、なに……?」
「……いや?」

 真っ赤になったが再び尋ねる。小さく華奢な裸体から香る匂いも相まって本当にぐらりとディランは揺れた。

「い、嫌、ではない、が……」
「じゃあ、ね……?」

 どちらかと言えばその狼狽えようは、困惑というよりは、言ってくれるとは思ってもなかったといったところだろう。己で口にしておきながらも後から倍の羞恥心に襲われていたが、意を決してさらに言い募る。

「私も、ディランに、したい……」

 とどめに「だめ?」と小首を傾げると。
 ウギュウ、と初めて聞く変な喉の音がディランから上がった。何だその音は。
 ディランは視線を泳がせながら、分かった、とごく小さく頷き、を抱き起こす。尻の位置を直しながらそのまま後ろへ倒れると、はディランの腹に跨がる形となった。いつも見上げるばかりのディランから、熱心に見上げられ、で変な声が出た。

「あ、あの、言っておきながら、なんだけど……」
「ああ」
「う、まく出来なかったら、ごめんね……」

 もぞもぞと身動ぎすると、のお尻にはディランの手が重なる。撫でさする動きは、気遣いと、大部分の期待が滲み出ている。実に分かりやすい。は意を決し、両手をディランの脇腹の横へつき、身体を持ち上げて膝立ちになる。四つん這いの体勢だ。ずりずりと下がりながら、視線を落とす。
 ゆるりと広げて立てた、彼の両足の間。ぶんぶん揺れてる、狼の尻尾が見えた。実に、分かりやすい。
 そしてその手前では、真っ赤に充血して膨れ上がっている、隆起したディランの性器。天辺に向いて時々跳ねているそれを、は怖々とし手のひらで包んだ。

「わ……ッ」

 思わず、は声を漏らして離した。寝そべったディランからも息を詰める音が聞こえる。は今一度、しっかりと手のひらで包んだ。まじまじと見るのもこれまでは初めての事であったが、直に触れるのはこの瞬間が初めてだ。ずっしりとしている、けれど、弾力があって、手のひらの中で跳ねている。尻尾よりもずっと生々しいけれど、これも別の生き物みたいと、はぼんやりとしその表面を撫でていた。
 その下では、ディランが死にそうな顔で、懸命にもどかしい快楽に耐えているが。
 番の手で、直接、愛撫される事の羞恥と歓喜。獣の頭で生まれてきて良かったと、ディランは感謝した。これが人間の顔であったならば、どのようなみっともなくだらしない緩んだ顔を晒していたか、分かったものではない。細い指が撫でているのは多分、興味本位であるから、だから。

(外で出すな外で出すな外で出すな……)

 と、いうような事を、ディランは己に叫んで耐える。ただでさえこれまで、何かと堪え性のない面を見せてしまっている為。
 だが、それでもお預け状態は辛いので、素直に申告はする。手のひらに吸い付くの尻を撫でると、も飛び跳ねた。

「あッごめん……い、痛かった……?」
「ッい、いや、痛くはない、が……」

 むしろ、物凄く気持ちよかった。
 とは、さすがにディランも言えなかった。まして、今度手淫もして貰えないかと考えてしまった事など。
 は不思議そうに見下ろし、手のひらに包んだ隆起したそれを、そっと足の間へと導く。大きく息を吐き出し、緊張と、羞恥を、何とか飲み下す。ぷるぷると震えているの手の振動が、ディランにも伝わった。小さく笑うと、片方の手は尻に添えたまま、もう片方はの足に置いた。

「足、楽な体勢に。跨がるのがきついなら、膝を立てるか」
「ん、ん……」

 ディランの手に支えられながら、片足を立ててみる。少しだらしないけど、楽な気がする。

「ん、じゃあ、あの……いく、よ?」

 もごもごと小さな声で呟くと、首肯の代わりに撫でる手がさらに忙しなくなる。実に、分かりやすい。
 は息を吐き出しながら、手のひらで包んだディランのそれを、己の入り口へと押し当てる。自分で入れるって、少し、怖いな。何度か先端が滑り、身体は跳ねるだけだったが、ディランの手助けも加わってゆっくりと腰を落とす。

「んッん~……ッ」

 先端が、蜜を押し上げながら、侵入する。は両手をディランの割れた腹に押しつけ、ゆっくりと飲み込む。きつく満たされる感覚に息を張りつめさせたが、悩ましげに呻く低い声が幾度が聞こえてきて、苦しさの中にもちょっとした余裕は生まれる。

 ――――こつん。内側で、先端が壁にぶつかる。

 は、大きく息を吐き出す。ぺったりと下腹部に座り込み、戦慄く背筋を伸ばす。ふー、ふー、と響く呼気の音は、けれどのものだけではない。薄く開いた眼下で、ディランが息荒くを見上げている。その呼吸に合わせ、割れた逞しい腹がもどかしそうな身動ぎをし跳ねる。何だか不思議な光景だなあと、は場違いではあるが思う。

「ッ

 柔く引っかく爪が、肌をくすぐる。はその手に震えながら、位置を整え足を置き直す。えっと、確か、う、動かして……。細い腰を浮かせ、飲み込んだ剛直をゆるりと抜くように出す。それをまた、ゆるりと飲み込む。やっぱり初めてだから、単調に、緩慢に上下させるしか出来ない。気を付けないと、抜けそうになってしまう。
 でも、ちゃんとディランにも、してあげなきゃ。
 ぞくぞくと熱で震えながら、は懸命に汗ばむ身体を揺すった。

「ッ」

 息を詰める、音がした。視線を下げると、ディランが、目を細め顰めていた。苦しそうに、悩ましく。潤んだ獣の目には、恐らくの姿が映っている。己が今どんな姿であるかは分かりはしないが、吐息を噛み身を強張らせる色っぽさには、ドキリと心臓が跳ねる。それを見ながら、先ほどよりも少し大きく上下させてみる。お尻の下に敷いたディランの身体が、びくりと反応した。グウウ、と呻く声も聞こえる。
 は、上気する頬を緩める。

「……気持ち、良い?」

 ディランは何も言わなかった。けれど、を見つめ返す瞳は、細い腰を撫でた手は、雄弁だった。強請る仕草が嬉しくて、は少し慣れてきたところで、身体を前に倒して揺すった。

「よか、た……ッん、ん、嬉し……」

 甘く喉を鳴らして、汗を滲ます細い身体が揺れる。ディランは、己の身体の上で行われる光景に、息を荒げた。汗の光るしなやかなの裸体が、赤く染まって、恥ずかしげに揺れている。きつく胎内にくわえ込んだ剛直を、慎重に、優しく擦る。どちらかと言えば、少々優しすぎてもどかしさの方が強いが、懸命に喜ばそうとしてくれている事が伝わってくる。拙い動きが次第に大胆に艶やかさを増してゆく変化も、そうして一層色めいたの肢体は、目眩がするほど綺麗だ。
 その光景は十分、ディランの獣欲を煽っていった。というより――――煽り過ぎた。

(ああ、もう、くそ)

 膨れ上がる熱が、ディランの中で渦巻く。喜ばそうとしてくれるを見守る理性が、それを蹂躙したくてたまらない欲望にすげ替えられてゆく。
 柔らかい、温かい其処を、もっと烈しくしてやりたい。
 ゆっくりと胎内で動く剛直が、さらに質量を増して、の内側を押し広げる。

 やっぱり慣れないから、少し疲れてくる。はディランのものは埋めたまま、一度動きを止めると呼吸を整え始めた。だが――――その途端、の身体が跳ね上がった。下から突き上げられた感覚に、ヒッと悲鳴じみた声が漏れた。浮いた尻をがしりと鷲掴みにされ、唐突に律動が始まった。

「あッ?! や、ま、まって……ッ!」

 捩った腰をも逃がさないとでも、言わんばかり。獣人の、それも男の馬鹿力を前にし、が敵うはずもない。ディランは伸ばしていた足を曲げ、動きやすい位置に正すと、さらに下から突き上げてくる。ソファーの軋む音が途端に大きくなり、その動きに合わせギシリと音を立てる。そのまま跳ばされてしまいそうな、強さ。躍動する腹筋の上に置いた両手が、懸命に縋り付く。

「あ、ま、まって、私、私が……ッ!」
「ッ駄目だ、あんまり、じらすな……ッ」

 べべべ別に、じらしてなんかない……!
 その言い方は語弊があるだろうとは動揺し胸中で叫んだが、激しく揺さぶってくる狼の上で跳ねるしかない。ついには肘や足が崩れ落ち、ディランの胸に上半身がぺったりと倒れ込んだ。ぶつかった毛皮の下は、先ほどよりもずっと熱く、じっとりと汗ばんだ感触もした。
 腰だけを掲げるような形となったへ、ディランは激しく打ち込む。急速に快楽を追いかけ、は啜り泣くような掠れた声を上げ、ディランは低い声を震わせ呻いた。

「ッあ、あ……!」

 ディランの声が、高く張りつめる。その凄絶な色っぽさにもはがぐがぐと震え、目の前の広い胸にしがみつく。奥深くへ穿つように剛直を押しつけて、縋るを抱き込むと、ディランは数回強く叩きつけ精を放つ。はギュッと目を閉じ、その奔流を甘受した――――。


 しばらく息を詰まらせた後、互いにどっと息を吐いて荒れた呼吸を整える。
 のお尻を鷲掴みにしていたディランの手はそっと緩まり、己の身体へゆったりと全身を寄りかからせる。労るように腰を包み、ふかふかな胸の毛に顔を埋めるの頭にも、ふわりと手が被さった。無造作に髪を梳く狼の指先に、身体に残る余韻が甘く響く。は小さく声を漏らし、上気する頬を擦り付ける。
 弾む息づかいと一緒に、ディランの鼻先が首筋を掠める。ぺろりと首筋を舐めると、ディランは。


 そのまま、身体を起こした。


「……う……?」

 激しい熱さにぼんやりと溶けるは、されるがまま起こされる。未だ繋がったままの場所が揺すられ、じわりと響いた快楽に身動ぎする。二本の腕の力のみで抱えたを、ディランはソファーへ仰向けに寝かせて――――ずるりと抜けそうになるそれを、再び中へ押し込んだ。

「ひぁッ」

 の背が弓なりに反る。なだらかに落ち着いていた快楽の余韻は、再び熱となって身体に灯った。思えば、お腹の奥に埋まったディランのそれは、全然衰えていない。こぼれそうになる残滓は、蓋をされるように納められる。

「今度は、俺が」

 の肌を撫で、銀色の狼が笑った。待って、と力の入らない腕を伸ばしたが、指先に触れたのは狼の舌だった。ぺろりとくすぐった仕草は、気怠く甘い。その向こうで瞬いた獣の瞳に、はたまらず震えた。
 ディランは穏便な仕草をもって、開きっぱなしで疲れていたの足を持ち上げると、膝と膝を重ねて束ね、楽な姿勢を取らせるけれど。その姿に相応しい獰猛な輝きは、あの目に宿ったままだ。の指を舐めた舌で、己の口を舐める仕草なんてもう、腹を空かせた猛獣そのものではないか。何て狡いのだろう、その鋭さには抗えないのに。
 はぽとんと、ソファーの上に手を戻す。ゆるりと覆い被さったディランの片手が、の手の上に重なる。左腕は足を脇に抱えているので、右手だ。そしてそれは、仰向けのの左手に絡まる。あえて言えば手の造形しか一致するところのない、何もかも違う二つの手をしっかりと握ったのを合図にして、再びディランの身体が揺れた。先ほどとは打って変わって、緩やかな動きだった。貫かれるほどの激しさは、ない。けれど、求める狼の情の深さは、先ほどよりもずっと。
 ぎゅっと力を込めたの指を、ディランは折れない程度の強さで握った。

「……ッあ、あ、

 口にしないだけで、欲しい欲しいと全身で語る、獰猛な狼の劣情。は断続的にこぼす甘い声で応じる。
 緩やかに、けれど隙間なんて無くなるくらいに、ディランの大きな身体が折り重なった。綺麗な銀色の毛皮越しに、彼の、熱い体温を感じた。姿形は違うけれど、多分きっと、もこれくらい火照っているのだろう。

「ふ、う……ッあつ、あつい、ディラ……ッ」

 が汗ばむ肌を寄せると、ディランが引き寄せる。グウウと、それこそ獣じみた唸り声を漏らしながら、影を落とす身体の下へと閉じ込めた。
 縋る華奢な存在が、酷く可愛い。けれど、人間の女を喜ばす情緒ある言葉は獣の血を宿す彼には浮かばないから、代わりに身体を揺する。媚薬じみた危険な匂いがさらに甘く香り立って、埋めた剛直はさらに質量を増す。私はこれほど貴方を求めているのだと必死に訴えながら、その貴方の中も全て蹂躙したいのだと膨れ上がる獣欲もきっと、隠しきれずに流し込んでいる。自覚しながら、熱情に蝕まれる狼は番を抱いていた。

 上下する動きが、次第に速まる。緩やかな挿入は、気付けば突き崩すばかりとなって、狼と人間の重なった腰が激しくうねり狂う。音を立てるほどの勢いとなって訪れた絶頂は、先ほど以上に互いを飲み込んだ。
 二度目の精を吐き出したディランも、甘受したも、うっとりとしその余韻の中で互いの身体をきつく抱きしめた。




 身なりを整えた後、すっかり疲れてしまったはディランに運ばれて二階の寝室に移動していた。最近ではこの獣人仕様のやたら大きなベッドも、ゆったりくつろげる場所になっている。
 そしては、ベッドに寝転がりながら。

「ッぐ、、もう良いだろう……ッ」
「もう少し~」

 ぐねぐねばたばたと動く銀色の尻尾を、撫でていた。
 寝転がったに大きな背を向け、ベッドの縁に腰掛けたディランに、はふにゃりと笑う。背骨に直結している敏感な部位とは聞いたが、触りたいものは触りたいので遠慮しない。くすぐったさからぶるぶる震えている大きな背を見上げ、一向に大人しくなる気配もなく暴れまくる尻尾を引き寄せる。

「これからは、尻尾のブラッシングは私が担当します」
「おい……ッう、ぐ」

 いかにも仕方なさそうに溜め息をついて、肩をわざとらしく落とす。けれど知っている、腕に閉じこめた尻尾が途端わさわさと横に飛び跳ねている事を。けれどは何も言わず、尻尾を撫でて微笑んだ。


 人と獣人が、覆せない異種族であると痛感する現在も、いつか。人と獣人という、覆せない異種族だったからこそ良かったのだと、言える未来が訪れると良い。そうして、父母の墓前で笑いたいものだ。あの時逃げ出して離れたのは、戻って来る為の何かの暗示であったのだと。


 人と獣人の違いを楽しみながら過ぎる今日という夜も、にとってもディランにとっても、幸福である事は間違いが無い。



【都市に行く編】をすっ飛ばし、【おうちでイチャイチャ編】の方が先に浮かんだので、勢いよく書いてみました。
【都市に行く編】も案をねりねりしてはいるのですが、完成したのが段階を飛ばしたこれという。
相変わらずのディランと、相変わらずの主人公です。

後悔していません、えっへん。

2015.01.13