明日のきみにやさしい歌を

「——いや、ちょっと……すごくない……?」

 の呟きは、力尽きるように儚く空気へ溶け消えてしまった。

 EDFが誇る、対侵略生物兵器を製造する「先進技術研究所」。戦場へ赴く兵士たちの武器やアーマー、戦場で用いられる兵器を造り出してきた部門で、“人類の武器”を生み出す大元と呼んでも過言ではないだろう。
 そんな大御所部門と、が現在所属する整備部門は非常に関わりが強く、即座に報告書が流れてくるのだが――近頃は、そのスパンがあまりにも短い。短いというか、ほとんどない。
 新たに打ち出される武器やアーマーの最新装備は、火力、耐久、機能面など、あらゆる面において大幅な性能の更新を受けることになった。むしろ良いことだろう、前線で戦う者たちにとっても。しかし、頻度というものの限度が、ここ最近はなくなってしまっている。

 ついこの間、整備班全員で勉強会を行い、その前には各倉庫の全整備士でミーティングも行ったというのに。
 まさか、もう新しい資料が届くなんて——!

「……あ、駄目、心がくじけそう」

 厚々とした資料を作業机の上に放り、目頭を揉む。台の上には、まだ読みきれていない別の資料が積み重なっている。班の全員で集まる前に、少しでも理解を深めておこうかと思ったが、これは先が長い。いっそのこと全員で悲鳴を上げながら読んだほうがマシな気がしてきた。

「お疲れ様、

 ——ぬっと、の頭上を影が覆う。
 見上げた先には、レンジャーの隊服に身を包んだ男性の顔があった。配給品であるエナジーゼリーのパックを口に咥え、一服の最中であるようだ。
 彼は、少し前に軍曹の部隊へ新しく加わったという、新人の兵士だ。しかし、身近な人々から聞いた話では、なんとEDFで開催された市民交流イベントの、その応援にやって来た民間人であるらしい。
 それが軍曹の部隊へ配属となり、今では戦果の目覚ましい兵士の一人だと期待されている。
 兵士になってからの期間こそ短いが、どういうわけか彼は激しい任務にばかり遭遇している。そのため実戦の経験は豊富で、それこそなどよりもはるかに多くの戦場を知っている。

(新人さんだなんて、もう呼べないや)

 そして、恐らくは今日も任務に出ていたのだろう。レンジャーの隊服は土埃で汚れ、怪物の爪痕や体液など、そこかしこに激戦の痕跡がはっきりと伺えた。ジュジュー、とパックのエナジーゼリーを流し込む姿も、どこか忙しそうに見える。次の戦場が、既に控えているのだろうか。

「……今日の整備倉庫は、やけに静かだな」

 作業倉庫を見渡しながら、不思議そうに彼は呟いた。

「整備士は皆いるみたいだが……なんだ、空き時間か?」
「そうなの、本当に珍しく空き時間になってね、今はみんな待機中なの」

 常ならば、フル稼働する機材の音と、その音に負けじと張り上げる整備士の声が、大音量で響き渡っているところなのだが、この日は本当に珍しく落ち着いていた。というのも、この基地に所属する各部隊の任務が重なり、次の仕事が舞い込むまで各自待機の時間が生じたのだ。
 この静けさの後、恐ろしい忙しさが待ち受けているというわけなのだが、その声がいつかかるのか分からないため、すぐに動けるようほとんどの整備士は倉庫内に控え、機材の点検や資材の確認など行っていた。

「あなたも、待機中?」
「まあ、そんなところだ。技研の知り合いと話していた」

 技研……件の、先進技術研究所のことだろう。科学者が集まる部門に知り合いがいるとは珍しい。彼の意外な交友関係を垣間見た。

「そうなんだ……あ、椅子! 空いてるから座って! 大将なんだから、ちょっとは身体を休めないと」
「……まいったな。君にまで移ったな、それ」

 少し困った風な、物静かな笑みが彼からこぼれた。よりも年齢は上だが、威圧はなく、親しみやすい素朴さがあった。

 “大将”というのは、彼のあだ名だ。
 軍曹の部下の一人が、戦場での活躍ぶりと、毎回無茶をする無謀さから、尊敬とからかいを込め“大将”と呼んでいた。それを知って以来、もいつから彼をそう呼ぶようになった。
 しかし、誇張ではなく、実際そのとおりの活躍ぶりだった。日々激化する侵略者との戦いで、EDFの士気の向上にも大いに貢献している。大将と呼ばれるに相応しい人物だ。当の本人は、良くも悪くも自らの活躍に無頓着であるが、きっと、もっと大きな存在になるに違いない。そんな確固たる予感を、は抱いていた。

「君は……読み仕事か?」

 倉庫を見渡していた彼の視線が、今度はの手元と、机上に積み重なった資料へ向けられた。

「そう……ちょっとでも詰め込もうと思って。あなたも知ってる? 最近、各兵種の装備が見直しを受けて、大幅な性能更新されてるって」

 一体いつの頃からだったか。ある時を境に、科学研究や兵器開発に携わる部門が急速に動き出し、兵器製造が盛んになった。それと同時に、各兵士——レンジャー、ウィングダイバー、フェンサー、エアレイダーの四兵種——の既存の装備も見直しを受け、大幅に更新されることとなった。
 火力面、耐久面、機能面、あらゆる面で劇的に向上し、兵士は大喜びだという。連日、悲鳴を上げて対応していた整備部門の苦労も、報われるというものだ。

(いや、本当に、あれは一周回って面白かったなあ……)

 短い期間で次々と届けられる、既存兵器の改修やら新開発する兵器の企画書。受け取った数日後にはまた新しいものが届けられ、整備士たちのミーティングはほぼ毎回波乱の幕開けだった。講習会の途中で新しい資料が届けられたときには、悲鳴に近いどよめきが響き渡り、届けた職員を説明員として取り押さえていた。あの人にとっては悲劇だったかもしれないが……少し面白かったな、と思い出す。

「唯一の救いは、既存武器の更新だから基礎パーツが同じってところかな……。あとは、うん、お察し!」
「そうか……」
「きっと、技研にすごい人がいるんだろうね……どんな人なんだろうなあ」

 いろいろと言いはするものの、こうも一斉に更新できるのだから、きっと恐ろしく優秀なのだろう。いわゆる天才なのかもしれない。
 が呟きを漏らすと、傍らの彼は視線を逸らした。エナジーゼリーを啜る速度も若干落ちている。

「あっと、ごめんね、愚痴っぽくなっちゃった。気にしなくていいからね、整備士はこれが仕事みたいなものだから」
「……やはり、大変か? いや、当たり前のことだが」

 ばつが悪そうに彼は言った。彼が気にすることではないのだが、こういうところが多くの兵士から好かれるのだろう。

「大変は大変だけど、そんなに嫌じゃないの。私たちが頑張る分だけ、前線の兵士の手助けになるんだから」

 むしろ、良いことだ。少しでも性能を更新し、前線で戦う兵士が幾人でも多く無事に帰還するのなら、これからもどんどん開発してもらいたい。それもまた、の偽りなき本心であった。

「……お疲れ様。今度、肩を揉むよ」
「ちょっと、そんなこと大将にさせたら、私が怒られちゃう」

 それに、そんなことをさせた日には、軍曹やその部下の面々から、しばらくの間からかわれることは間違いない。あの人とかあの人とかに「大将に肩を揉ませるたぁ、出世したじゃねえか!」と爆笑されるだろう。

「戦いが終わって平和になったら、ぜひお願いね」

 少しの冗談も含め、はおどけて言った。だが、彼はいやに神妙な仕草で頷く。

「——そうなるように、戦う」

 まるで、何か誓いを立てるような声色だ。冗談だったのだが、そんなふうに返されるとは思わなかった。

 本当に、不思議な人。

 笑みを浮かべるときでさえ、そうだ。ほかの人のように、希望を抱き平和を夢見る明るい笑みではなく、水面のように凪いだどこまでも静かな笑みをよく見せる。
 まるで、そうはならないとでも、言うかのような——。

「――おっと、呼び出しだ」

 彼は胸ポケットから、通信端末を取り出した。画面を一瞥すると、すぐさま仕舞い、へ申し訳なさそうな視線を向ける。

「すまない、騒がせた」
「いえいえ、これから任務? 気を付けてね、いってらっしゃい」
「ああ、ありがとう——行ってくる」

 彼はさっと身を翻し、倉庫から足早に去っていった。その後ろ姿を見送り、も自らの頬を軽く叩く。これから出動する部隊があるのなら、整備部門にも仕事が飛び込んでくるはずだ。先に戦場へ向かっている部隊もじきに帰還するだろうから、恐らく夜まで稼働することになる。
 そう思った矢先、聞き慣れたベル音が倉庫内に響き渡る。部隊の帰還を告げる音であり、整備士たちの出動の合図だ。

「さてと、少し早いけど待機終了——班員、すぐに集合して。お仕事だよ」

 通信端末で班員へ呼びかけ、持ち場へと向かった。


◆◇◆


 ——日が落ち、訪れた夜。
 大勢の兵士やタンク、コンバットフレームなどが行き来した基地にも、幾ばくかの静寂が訪れた。
 と言っても、敵の夜襲はもちろん、兵の出動も日中と変わらずにあるため、基地が完全に機能を停止し静まり返ることはなく、また消灯することもない。夜勤当番となった隊員たちがぞろぞろと通路を歩く風景も、いつからか見慣れたものになった。

 そしては、基地内にある隊員たちの居住区画、その一角のフリースペースにいた。自動販売機といくつかの学習スペースが設けられた程度の小さく簡素な一室だが、隊員たちの休憩所としては十分な機能だ。
 隊員たちの出入りは何度かあったものの、夜がも更けていくにつれて少なくなり、今はが独占していた。

(っと、さすがに目がショボショボしてきた……)

 紙媒体の資料を机に放り、目頭を押さえる。日中から引き続き、隙を見て新装備の仕様書を読み込んでいたが、さすがに集中力も切れてきた。
 懐に忍ばせていた、温くなったエナジーゼリーを啜る。ふと、フリースペースの壁掛け時計を見上げると、短針は12を示そうとしていた。いつの間にか、既にそんな時間になっていたようだ。

「さすがに戻んなきゃ……ふあ……」

 あくびをこぼし、目元を擦る。眠気を自覚したら、一気に押し寄せてきた。昼夜を問わない整備や点検の業務……疲れはあまり気にしないようにしてきたものの、やはり蓄積はされているのだろう。

 誰かに見られる前に、早く自室へ戻らなくては。

 瞼も一層重く下がり始める。それを必死にこらえながら資料を持ち上げ、学習スペースを立つ。うつらうつらとしながら入口まで向かい——そして、ごつりと硬い何かにぶつかった。

「……こんな時間まで起きているお嬢さんがいるとはな」

 凄みを含んだ、低い声。聞き覚えのあるその声は、誰のものであったか。ぼやけた視界に薄っすらと映る大柄な肉体は、どこかフェンサーの重装備を思わせる屈強さに溢れていた。

「……グリムリーパー、隊長……?」

 が呟くと、ああ、とごく短い頷きが返ってきた。

 EDF所属の兵士たちは、四つの兵種に分かれている。その中でも、鎧のごときアーマーを全身に着け、およそ人が持てる代物ではない超重量の重火器を扱う兵種を“フェンサー”と呼ぶ。
 そのフェンサー部隊の中でも、特に頭抜けた精鋭部隊が“グリムリーパー隊”であった。
 なんでも地球侵略以前の戦争の際、コンバットフレームを破壊したことがあるのだとか。歩く要塞とも呼ぶべきコンバットフレームを歩兵が破壊するという技量に、多くの者が恐れた。また、その部隊は一様にアーマーを黒く染めており、ついたあだ名が歩く死神部隊——グリムリーパーだった。

 精鋭中の精鋭、そしてコンバットフレームを破壊するという偉業。もともと他部隊と率先して交流するようなこともないため、殊更に近寄りがたい雰囲気が滲んでいる。彼らと親交を持つ隊員も、そう多くはないだろう。たまたまが所属する整備倉庫に、グリムリーパー隊のアーマーや銃器の緊急整備依頼がなければ、も顔見知りになることはなかっただろう。
 心折れて整備士に転身したが、むしろそうなってから様々な隊員と知り合い、縁を得ている。人生、不思議なことばかりだ。

 そんな精鋭部隊の隊長が、フェンサーの装備品を全て外し、フリースペースに現れるということは——。

「きょうの任務は、終わったんですか……?」
「そんなところだ」
「そうでしたか……遅くまで、お疲れ様です」

 右腕を上げ敬礼をしたが、グリムリーパー隊長はふっと小さく笑っている。びしっと決めたつもりだったが、ヘロヘロだったのかもしれない。

「夜勤か?」
「いえ……もうとっくにきょうの仕事は終わっているんですけど、新しく配備される装備の仕様書を見ていたら、こんな時間に……」
「……勉強熱心はいいが、ほどほどにしておけ。休むのも仕事だ」
「はい……そう、しまふ……」

 話すうちに、睡魔がより一層強くなる。精鋭の部隊長の前で無様は晒さないよう、は自らの頬の内側を噛んだ。

「部屋まで辿り着けるか」
「ふあい、らいじょうぶです」
「……ふ、了解した」

 グリムリーパー隊長は、笑みを含んだ声で呟くと、へすっと近づき——の腹部へ、おもむろに片腕を回した。
 僅かな圧迫が腹にあると感じたのも束の間、は軽々と宙に浮いており、そのままグリムリーパー隊長の頑強な肩に担がれていた。

 ——訓練生のとき、こんなふうに土嚢を運んだっけ。

 ぼんやりとする頭に過ぎる、EDFの訓練生時代。同期と共に土嚢を担いだ記憶が、なぜだか鮮やかに甦った。

 はて、しかし、この状況はいかに。
 疑問符が幾つも浮かぶを他所に、グリムリーパー隊長はフリースペースに背を向け、通路を進み始める。

「隊長、だいじょうぶです、わたし」

 とん、とん、と歩く振動が、腹から伝わってくる。下がる瞼が、さらに重くなってゆく。

「寝落ちる寸前の声だぞ」
「でも、副隊長に、貸しをつくってしまいます」

 脳裏にちらつく、グリムリーパーの副隊長——彼を一言で表すなれば、貸し借り勘定魔だ。様々な場面で「これは貸しだ、いずれ返してもらう」という台詞が出ていることは、整備部門でも有名な話である。厳しく取り立てられるというわけではないが、精鋭部隊の副隊長というその圧から、借りを返しに走る人々がいることもまた周知の事実だ。

 ……グリムリーパー隊が恐れられる要因に、副隊長の存在も多少なりあるのでは。

 そんな副隊長が、もしもこの場面を目撃してしまったら——。

、今回の貸しはでかいぞ。覚えておけよ」

 ——確実に、こうなる。

 普段よりも増した圧で、貸しの返済を要求される。そして返すまで、永遠に言われ続けるのだ。そうに違いない。

「さすがのあいつも、そうは言わんだろう」
「分かりませんよぉ、そんなこと……なので、放り投げてもらって、だいじょうぶ、です」

 は身体をひねってみたものの、全くびくともしない。金属で拘束されているようだ、土嚢担ぎの体勢から抜け出せなかった。

「グリムリーパー隊の兵装整備の礼、とでも思っておけ。部屋は何番だ」

 無人の通路に響く低い声、一定のリズムで伝わる足音と振動、そして殊のほか心地よい安定感——あ、だめだ……これは、もう……。

 睡魔に耐え、がくり、がくり、と上下に跳ねていたの頭は、いよいよ落ちたまま動かなくなった。

「……グリムリーパー隊長?」

 誰かの声が、微かに聞こえた。願わくは、グリムリーパー副隊長ではありませんように。は最後にそんなふうに思い、ついに、意識を手放した。


◆◇◆


 夜戦を終え、基地へ戻ってきた頃には、もうとっくに日付は“今日”になっていた。
 地球侵略を受けたあの日から、基地の照明設備は電源を落とすことがなくなったらしく、通路は無人でありながら眩く照らされていた。常ならば戦車や出動する部隊が駆け抜ける場所だが、真夜中ともなればさすがにその光景はない。自分一人だけ、というのも、何とも言えない不気味さがあった。

 さすがに夜勤担当の兵士以外は寝静まったか——と思い、角を一つ曲がったときであった。

「……グリムリーパー隊長?」

 通路の端を、見覚えのある人物が歩いていた。
 紛争時代、コンバットフレームを歩兵部隊が破壊するという偉業を果たした、歩く死神部隊——フェンサーのグリムリーパー隊、その隊長だ。彼らを象徴する漆黒のアーマーを身に着けてはいないが、だてに“長く”共に戦ってきたわけではない。アーマーがなくとも、誰であるかは即座に判別できた。

「……ん? お前は……」

 振り返り、歩みを止めたグリムリーパー隊長へ駆け寄る。フェンサーの装備がなくとも、重厚な存在感と言おうか、滲むものがあった。自分よりはるかに年齢も上な熟達の兵士であり、死神と恐れられているが、彼自身はけして冷酷な性格ではない。むしろ、その逆ではないかと思う。でなければ、戦いの最前線に躍り出て多くの兵士たちの盾になる、そのような覚悟は持てないはずだ。

 “長く”共に戦えば、人よりも多く、そういう場面を見るものだろう。

「お疲れ様です。今、戻りでしたか」
「ああ」
「それで……肩に担いでいるそれは?」

 死神の逞しい肩に担がれ、四肢をだらりと伸ばし、ぴくりとも動かない何か。整備区画の倉庫でよく見る作業服を着ており、袖からは細い腕が覗いている。
 グリムリーパー隊長にこのようなことをさせるとは、随分肝の据わった整備士がいるようだ。
 一体どこの倉庫の整備士か、今度に聞いてやろう、と思いながら面白がって覗き込む。

 ——まさかその担がれた物体がだとは、思わなかった。

「ああ、寝床に辿り着けそうもないお嬢さんを見つけてな、その運搬中だ」

 当のは、グリムリーパー隊長の背中にだらりと上半身を伸ばし、何やらもごもごと呻いている。寝言だろうか、部隊長の背中で呑気なことだと、呆れて何も言えない。

「……みんなの……そうび……」

 ふと、明瞭に聞こえた寝言。グリムリーパー隊長と共に、の声に耳を澄ました。

「わたし……ちゃんと……かえってきますように……」

 ごく小さな声であったけれど、確かに聞こえたその言葉。

 ——私がちゃんと見るから、戦場から無事に帰ってきますように。

 一瞬呆けたのは、整備士の思いに無頓着であったからだろうか。が、そんなふうに祈ってくれていたことを、今になって初めて知った心地がした。
 それは恐らく、この“死神”と呼ばれたフェンサーも同様であったに違いない。

「……分かっている、我々が戦場で生き残れるのは、整備士たちの支えがあってこそだと」

 冷静さを崩すことのない低い声には、労りと感謝が微かに浮かんでいた。まるで娘、あるいは姪へ向けるように柔らかくて——思わず、声を割り込ませた。

「隊長、俺が連れていきます。任務帰りだったんでしょう」
「この程度は問題ないが」
「いえ、俺が、連れていきます」

 グリムリーパー隊長は少しの間口を閉ざした。無人の通路に沈黙が流れ、そして、ふっと呼気をこぼす音が一つ響いた。

「……了解した、なら任せるとしよう」

 グリムリーパー隊長の肩に、土嚢のように担がれていたが、自分の腕へ引き渡される。彼女の背中と膝裏に腕を回し、しっかりと抱きかかえた。

「部屋を伝える前に寝落ちてしまったが、場所は分かるか」
「はい、分かります」
「…………そうか。いや、理由は聞かないでおこう」
「は……? ……あッ?! いや! 本人から! 本人から聞いただけで、別に変な意味は……!」

 下手な想像をされないよう言い募ったが、グリムリーパー隊長は「ああ、分かっている」と普段にない優しさを浮かべている。これは、正しく払拭できているのだろうか。

「ともかく、お嬢さんの運搬は任せる。だが、基地内で送り狼は褒められたものではないぞ。それと、軍曹や部隊の連中に見つからないように注意しろよ」

 いや、だから変な意味は——と言おうとしたときには、グリムリーパー隊長は背を向け歩き出していた。
 結局、正しく理解してもらえたかどうか、疑わしいままに彼は去ってしまった。

「んむ……」

 横抱きにしたが、頭を揺らす。出かかった声はぐっと押し留め、彼女の部屋へ部屋へ向かう。たしか、同じ班の整備士がルームメイトと言っていた。彼女が起きていればいいが……。

 コンバットフレームも歩行できる幅のある通路に、自身の足音が響く。真昼のように明かりがついているのに、人の気配が薄く、重い沈黙が垂れ込む。
 大勢の兵士がいるはずの基地で、時折感じる空気。誰もいなくなってしまったような、一人きりで取り残されてしまったような、この静けさはあまり好きではない。

 “あの世界”を、どうしても想起してしまうから——。

 ふと、視線を下げれば、眠りこけるの顔が映った。伏せた睫毛は長く、少しだけ色の濃くなった隈に影を落とす。手のひらで掴んだ肩は意外にも鍛えられているが、それでも細いことには変わりなく、頼りなさを覚える。身体だって、こんなにも軽い。

 ……そういえば、昼間も疲れた顔をしていた。結局あれから根を詰め自主勉強に暮れていたのだろう。通常業務も膨大だったろうに。

 この細さでありながら——多くの兵士たちを、ひたむきに支えているのか。

「……、寝ているか?」

 囁きかけると、もごもごとした音が帰ってくる。若き整備班の期待のリーダーとされている彼女も、瞼を伏せ眠る様は年相応の幼さを感じさせた。思わず、ふっと笑ってしまう。

「……君は、よく整備士の仕事をしてくれているよ。心配するな」

 いつだって、どんなときだって、は整備士として戦い抜いてきた。“最期”のときまで、ずっと——。


 プライマーが現れ、世界各地が侵略を受けた、始まりの日。彼女はそのとき、両親や友人、仲の良かった隣近所の人々を一度に全て失ったという。その足で地球防衛軍——EDFへ入隊し、訓練生となった。
 そして基地の合同演習の際、突如現れた怪物の軍勢は基地の壁どころか岩盤ごと食い破り、基地へなだれ込んだ。基地にいた兵士たちは応戦し、戦い慣れていない候補生も武器を取り、懸命に戦った。
 しかし、その奮戦を嘲笑うように、数の暴力でもって余すことなく全てを蹂躙された。
 その凄惨を極めた生々しい痕跡に、到着した部隊も恐慌したという。
 は、そんな惨状から辛くも救い出された訓練生の一人だった。戦場の現実、散ってゆく多くの同期たち——目の前で見続けた彼女は、心が折れた。銃の引き金を、引くことができなくなってしまった。

 その凶事により、兵士を辞する者、強くあろうと兵士を続ける者といたが、そんな中では兵士としてではなく整備士としてEDFに残った。

 ただただ必死にしがみついているだけ——そんなふうに彼女は苦笑していたが、救われた者は大勢いるはずだ。生き残った彼女の同期が、整備士として一緒に戦っているんですよ、と言っていたのだから。

「……君の頑張りが無駄にならないように、“今回”こそ、頑張るからな」

 腕の中の温かい重みが、どうか“今度こそ”消えてしまわないように——。


◆◇◆


 ——つい先ほどまで、誰かと話していたような。

 むくりと、普段にない冷静さでもって起床したは、真っ先にそう思った。
 見慣れた天井、見慣れた金属フレームのベッド、そして使い慣れた寝具に着替え忘れたままの作業服……一体、自分はいつ戻ってきたのだろうか。
 思い出せない記憶を掘り返していると、先に起床していたルームメイトの、同班所属の整備士が洗面所から顔を覗かせた。その頬には、ニヤニヤと言おうか、勿体ぶった含み笑いが浮かんでいる。

「んふふ〜、さん、やるねぇ。モテモテでびっくりしちゃったよぉ、昨日は」

 モテモテ? 一体、何の話をしているのだろう。

「黒いフェンサーの隊長さんに担がれて、その後は期待の新人さんに持ち運ばれてたんだもの。びっくりしちゃったぁ」

 ……何だと?

 は、これでもかと目を丸く見開き、彼女を見た。朝からそんな重い冗談は面白くないぞ、とたしなめようとすら思ったが、彼女はますます笑みを深めた。

「本当だよぉ、嘘なんてつかないよ。あんまりにもさん帰ってくるの遅いから、迎えに行ったんだよ、私。そうしたら、黒いフェンサーの人に担がれてて、その後には期待の新人さんに抱えられて運ばれてたんだからぁ」

 邪魔しちゃ悪いかなぁとは思ったけど、私が案内してね、部屋に運んでもらったの。さんたら、すっかり寝ちゃってるんだもの——そう続いていく楽しげな声は、今のの耳には届かなかった。

 必死に呼び起こす、昨晩の記憶。フリースペースから出る際、確かに誰かに会い、言葉を交わした気がする。それがまさか、グリムリーパー隊長で、その後担がれたと。おまけに軍曹の部下の新人にも見つかり、彼が部屋へ運んだと。

 ——そんな恐ろしいことを、私が、させたなんて。

 ざあ、と血の気が引く。今も全く記憶にないが、ルームメイトの彼女の、この本当に楽しげにはしゃぐ様子を見るに、本当にそのようなことをしでかしたのだろう。

 なら、自分が今、真っ先にすべきことは——!

「……あ、ちょ、さぁん?!」

 は掛け布団を蹴り飛ばし、ベッドから飛び出す。足元がよろけ、近くの壁に激突したものの、その勢いは落とさず扉に手をかけた。

「顔も洗ってないでしょぉ?! 作業服だって昨日の……ね、寝グセもすごいよぉ~~!!」

 寝癖なんて気にしている場合ではない。せめて、軍曹の部下の彼らとか、グリムリーパー隊の副隊長には、知られる前に謝罪だけはしなければ――!

 悲鳴じみたルームメイトの声を背に、は扉を開け放った。軍曹の部隊やグリムリーパー部隊が普段身を置いている区画を目指し、寝癖だらけの髪を揺らしながら、朝の賑やかな通路を駆け抜けた。


地球防衛軍5 M106「死にゆく者たち」より

敵に囲まれたスプリガン隊の救出ミッションにて、駆けつけたグリムリーパー隊長が「手のかかるお嬢さん方を救出に向かう」と言っていた。
「お嬢さん」と言われたかったEDF隊員は、大勢いる。絶対にそう。(確信)

(お題借用:sprinklamp, 様)

2026.01.12