はじまりなんて望まない(2)

 血と獣と病が蔓延るこの終わらぬ悪夢は、何度も繰り返した。
 始まりの悪夢で交わした約束を果たすため。共に夜明けを迎え、このおぞましい古都から離れるため。
 愛しい人の死と共に、何度も、何度も、繰り返してきた。

 果ての見えない悪夢の中で、様々な狩人達に出会ったが――今ですら、この狩人だけは、全く分からない。生い立ちも、経緯も、何もかも不明で、その存在を僅かでも明かせた事はなかった。

 ――それが今、俺の前にいる。

 人と獣の境目が曖昧になり、上位者どもの姿が現れる“赤い月”。あれが暴かれてから姿を見せるはずの、カインの流血鴉、あるいは千景の狩人が。





 が暮らす住居を離れ、狂乱する声が何処からか響く市街地を突き進む。彼女の耳にはけして届かないところにまで向かう俺の後ろに、カインの流血鴉が続いていた。無言を貫いてはいるが、俺の誘いに意外と素直に応じてくれたのは、恐らく向こうにも何らかの思惑があるからなのだろう。

 十分にの住居から距離を取ったところで、歩みを止める。後ろに続いた足音も、ひたりと止んだ。

「……の耳には届かない。もういいだろう」
「……」
「何の目的があり、彼女に近付く」


 カインの流血鴉。あるいは、千景の狩人。
 繰り返す悪夢の中、古くから狩りをしてきたという狩人達とは何度も出会った。その多くが、使命であり、執念であり、受け継いだ業でありと、何らかの想いを縁(よすが)にし狩人であろうとしていた。
 しかし、彼らの中で、この狩人はとりわけ異質の存在だった。その正体も、生い立ちも、何一つ判明していない。異国の刀剣を模った“千景”という名のカインハーストに連なる武器と、医療教会の連装銃を用いる事。鴉羽の外套の下に、カインハーストの銀色の鎧を身に着けている事。実名も定かではなく、上記の名で呼ばれているという事。それだけだ。

 そして――類い希な、強者でもあった。
 これまで出会った古狩人達を、容易く凌駕するほどの、だ。

 この狩人と対峙する場所は、ただ一つ。秘匿が破られた後に現れる赤い月に照らされる、大聖堂。巨大な白獣となった、医療教会の教区長エミーリアを狩る事になる、あの場所のみだ。
 そして、その条件は……――。

 そこまで考えたところで、目の前の流血鴉に意識を集中する。
 今はまだ赤い月が現れていないためか、この強者は正気を失ってはいない。この数時間の間に目撃した行為は、とても常人のそれではなく、既に狂っていると言っても差し支えないが……言葉を交わす事が出来るのは、間違いなく、この瞬間だけなのだろう。


 俺の問いかけに、流血鴉は押し黙るばかりだ。発狂する声が家々から漏れ聞こえてくる中、無言のまま対峙するその時間は、随分と長く感じられた。

「――それを問い、どうする。狩人よ」

 応じてくれる姿勢を見せたが、けして友好的とは言えない。悠然とし佇んでいながら、僅か一片の隙は無く、冷厳とも言える強者の空気を払っている。
 自身の背に、冷たい緊張が走ったのを自覚した。

「……俺は、俺の目的で、狩りをしている。守るため、問うだけだ」
「……あの女性のため、か」

 ふっと、呼気をこぼす。嘲るような笑みがそこに含まれていた。

「人を狩り、獣を狩る、血狂いの狩人が、まるで常人のように言う。それほどまでに、惑わすのか。あの甘く熱い血は、やはりそういう恐ろしさがあるらしい」

 ――甘く熱い血。
 その言い方が出来るという事は、やはり。

「……知っているんだな。あの血の所以を」

 医療教会が、かつて忌避したという、呪われた血。
 過去、処刑隊によって根絶やしにされたはずの、最も近く、純然とした血が――の中に、流れているのだ。

「……生きた血族と見えたのは初めてだ。虐殺から逃れた者があったとはな。裏切り者と誹られるだろうに」
「彼女はそれを知らない。知らぬまま、ヤーナムの外からやって来た人間だ」
「ほう、一度離れていながら再び戻ってきたのか。愚かな、正に呪いだ。だが、分からないでもない」

 それまで、ただ冷淡にあったカインの流血鴉の雰囲気が、どろりと蕩けた。

「あの血は、あまりにも危うい、甘さを秘めていた」

 誰も彼も、目の色を変え、見窄らしく求めるのだろう。そして、最期は惨めに狂うのだ。あれは、そういう血であり、それが血を持つ女の宿命だ。
 その恐ろしい感興に満ちた声音は――悪夢の中で対峙してきた、人の域を離れた狂人と、同じように聞こえた。

 ノコギリ鉈を掴み、仕掛けを変えながら振り抜く。獣の血を数え切れないほど啜ってきた鉈の刃を、ひたりと、流血鴉の正面へ突き付ける。

「何を、知っている」
「……」
「お前は、そもそも何処から来て、何の目的がありヤーナムに居る」

 処刑隊、すなわち医療教会と敵対する、カインハーストの血の狩人。
 カインハーストに由来する武器と防具、薬物を用いる一方で、その左手は医療教会の連装銃を握り締めている。

 血の狩人でありながら、医療教会に下ったのか。
 それとも、今もなお、医療教会の狩人を殺し、その血を集めているのか。
 あるいは、ただ単純に、享楽的に人を狩り、獣を狩っているのか。

 この男の真意を、明かすべきだ。これまでの悪夢で、血の狩人と末裔の邂逅は、一度たりとも起きた事はなかった。に、これ以上、近付けるべきではないだろう。

 カインの流血鴉は、悪夢の果てで、やがて……――。


「……余計な事まで知りたがるのは、お前もそういう“末裔”だからか」
「言葉遊びをするつもりはない」

 喉仏へ切っ先が沈み込んでしまいそうな距離まで、ノコギリ鉈を押し付ける。

「彼女にもう一度、その千景を振るうようなら――」
「殺す、か。狩人に相応しい、熱情と、狂気を伴う――暗い愛情だ」

 カインの流血鴉は、獣を引き裂く武器を突き付けられてもなお、その態度を変えなかった。棒きれでも払うように、ノコギリ鉈からすっと距離を取ると、銀色の甲冑を鳴らし月明かりの元へ歩んだ。狂乱する声が遠く響く市街地を、病に冒された荒廃した古都を、目映く照らす冷酷な満月。そこから注ぐ冷ややかな月光を浴びるその姿は、絵画に描き出されそうな美しさを秘めていて――俺の中の煮え滾る醜い感情が、ただただ増すばかりだった。

「とうの昔に絶えたと思っていた、血の主を見つけたのだ。害すつもりはない。ただ、興味はある」
「……興味だと?」
「ああ、興味だ。あの血に酔い、飲み込まれ、そうして最期は正気を失った連中を知っている。お前も、いずれそうなるのだろうな」

 どう狂うのか、実に愉しみだと思わないか、狩人よ――そう呟いたカインの流血鴉は、銀色の兜の向こうで、きっと醜悪な笑みを浮かべているに違いない。



 共に夜明けを迎え、ヤーナムを去る――と交わした“最初”の約束のためだけに、悪夢を繰り返し、彼女が生き延びる道を探し続けている。獣を殺し、狩人を殺し、その先で幾度も愛しい人の無残な死に行き着きながら。それを狂うという事なら、とうの昔に俺は、脳の髄まで狂っているというものだ。

 だが、俺とて、知っている。
 この悪夢の世界で、やがて正気を失い血に狂うのは、この狩人の方であると。




 カインの流血鴉。あるいは、千景の狩人。
 ビルゲンワースの蜘蛛が隠した秘密を破った先に、現れ出でる赤い月と青ざめた血の空。暴かれた一夜にのみ姿を見せるこの狩人は――後に、狩人狩りアイリーンを返り討ちにし深手を負わせる、血に酔った狩人になるのだ。



あんまり夢小説してなくて申し訳ないですが、そんな流血鴉の導入部分です。

ブラッドボーンの劇中において、最も謎多き存在と思っている、カインの流血鴉。
ボスでも何でもなくモブ敵狩人として登場しておきながら、その異常な強さに歯が立たず夢送りにされる狩人様が続出。
後に専用フォーラムが立ち上がるほどの溢れ出る強者っぷりに、同時に多大な人気を獲得した狩人でもあります。

――そんな彼を書くとなると、高めた啓蒙(妄想)を惜しみなく使用するしかねえ。

よって我が家の流血鴉は、大部分が妄想で仕上がっております。
あらかじめご了承下さいませ。

そもそも彼、ゲーム中では喋んないし、登場するのは発狂祭りの赤い月夜なんだもの(白目)

カインの流血鴉との出会いは、どんな末路を生み出すのか。
啓蒙(妄想)全消費で、書いていきたいです。


(お題借用:まほら 様)


2020.07.14