お月さまのまいごたち(1)

「――へえ、貴方達が使う武器は、色んなものがあるのね」

 獣狩りを行う狩人が用いる武器は、特殊な仕掛けが施されているらしい。ノコギリと鉈、手斧と長柄斧、杖と鞭といった風に二つの姿を持ち、それを切り替えながら扱うのだという。
 それは、仕掛けを変えて戦うだけの知性がまだ残っているという、意思表明に他ならない――目の前の彼は、そう教えてくれた。

 この黒ずくめの狩人が住居を訪れるたび、は紅茶を振る舞い、ごく短い休息に付き合ってきた。
 その礼のつもりなのだろうか。彼は狩人という存在の事、今夜の常と異なる狩りの有様など、口にするようになったのだ。

 が長年、忌み嫌ってきた狩人。彼らの事を理解しようなどと、これまで考えた事はなかったのだが、彼と出会ってから、狩人には狩人の報われぬ現実が待ち受けていると知った。そして、それはの元を尋ねてくるこの異邦人の男にも、起こり得る事でもあるのだ。
 だからせめて、彼の語る言葉には耳を傾けようと、は思うようになった。彼が狩りを全う出来るよう、少しでも重荷を引き受けていこう、と。

「貴公に見せるものではないが……そうだな、これなら、まだ大丈夫だろう」

 狩人はおもむろに、近くの壁に剣を立てかけた。
 銀色の直剣と、その刀身には余りある巨大な鞘だった。
 彼が好んで握っている、ノコギリ鉈なる武器と比べると、洗練された美しい外観をしていた。

「それも、仕掛けがあるの?」
「ああ。これは、振りの早い剣として使えるのだが、この鞘に入れれば」

 ガキン、と音を奏で、剣と鞘が一体化する。巨大な鞘は、重量のある大剣へと姿を変えた。

「“ルドウイークの聖剣”と言ってな。過去、実際に存在したという狩人の名が付けられている」
「ルドウイーク……」
「医療教会の、最初の狩人らしい」

 今や血と医療に狂い、所以の知らぬ怪しい施術を行っている、医療教会。
 その医療教会が、ヤーナムを医療の街として栄えさせ、まだ人々の救世主だった最初期に在った、古い狩人だという。教会初の狩人として獣を狩り続けたというその人物は、言い伝えでは卓越した剣技を持ち、後に教会の剣の象徴となったのだとか。
 ヤーナムの住人の中から狩人を募り、彼らを率いて狩りの先頭に立ち、導いてきたその人物は――いつからか“英雄”と呼ばれるようになったという。

 この武器は、英雄の用いた武器を模ったものなのだと、彼は言った。

「英雄……」

 は、無感情に、その言葉を呟いた。

 英雄……英雄か、狩人が。
 病は止まらず、獣は増えるばかり。住人からは忌み嫌われ、その存在意義も危ぶまれる、彼らが。

 英雄という呼び名は、あまりにも眩しい。狩人の行いは、そんなに華やかに称されるものではないのだ。
 けれど……いつか血に狂い、獣に成り果てる存在であるなら――英雄だったのだと、夢を見る事くらい許されるべきなのかもしれない。



 束の間の休息を取った後、狩人は再び、狩りへ繰り出した。
 次にやって来るのは、いつになるのだろう。
 獣避けの香が満ちる部屋の中、はソファーに腰を掛け――微睡みに身を委ね、瞼を下ろした。


◆◇◆


 ――暗闇が、目の前に広がっていた。
 先の見えぬヤーナムのように、深く、不気味な、暗闇だった。

 上下も左右も分からなくなるその暗さは、夢現にしてはやけに生々しいと、は片隅でぼんやりと思っていた。

 その時、目の前に、光が灯った。
 小さな、とても小さな、月光のような光。小人めいた輪郭が透けて見える光は、悪戯に踊り、を誘った。

 自然と、足が動く。手招きする幾人の光の小人に、手を伸ばし触れようとして――そこで、微睡みが唐突に消え去った。



「……え?」

 目が覚めると共に、は絶句した。何故か住居の外の、路地の片隅に座り込んでいたのだ。

 ソファーに腰を掛けていたのに、何故、外にいるのだろう。
 しかもそこからは、夕暮れに染まる赤い空が見えた。白い月が浮かぶ夜空ではない。

(何で、こんなところに。夕暮れなんて、もうとっくに終わったはず)

 何故こんな場所に座っていたのか、分からないがともかく、早く家へ戻らなければ。は混乱に苛まれながらも、地べたから立ち上がり、ひとまず細い路地を抜けるべく歩き出した。


 しかし、これはどうした事だろう……。市街地のあちらこちらから、人々の話し声が上がっている。夜明けを待ち、黙りこくって閉じこもる住人達が、こんな風に喋るなんてまず無いはずだ。言い表せない違和感を抱きながら、は慎重に進み……どうにか、細い路地を抜け出した。

 ――そして、再び、絶句した。

「な、に……これ……」

 明かりで照らされる大通りを歩む、たくさんの住人の姿。建物の側や、道端で話し込む人までおり、は茫然とその光景を見渡した。

 獣狩りの夜に、こんな風に出歩く者などいない。皆、家に閉じこもり、夜明けをじっと待っているはずだ。
 それなのに、この賑わいは、何なのか。

 の目の前に広がる光景は、確かに、見慣れた大通りのものだ。聖堂街へ続く大橋もあり、建物の並びにも覚えがある。だが、この途方もない違和感は何なのだろう。乱雑ではあるが荒れ果てた様子はなく、捨て置かれた馬車や無数の棺もない。建物も小綺麗で、褪せた色はしておらず、美しく整然と佇んでいる。なにより、住人の数が妙に多く、獣狩り夜でありながら不思議な熱狂に彩られ――これではまるで、目映く栄える都のようではないか。

 ここは、本当に私が知るヤーナムなのだろうか……――。

「今夜は、獣狩りだね。うちの息子達、獣を殺すってまた行っちまったよ」
「そうかい、獣は増えているからねえ。狩りをしてくれるのなら、ありがたいさ」

 聞こえて来た老婆達の会話に、は「え?」と眉を顰めた。
 市民が、獣狩りを行う? それを、市民が感謝し、歓迎している?
 そんなはずがない。ヤーナムの住人は、もはや閉じこもるばかり。狩人は罵られ、少数の自警団だけが守りの真似事をしているだけである。住人達こそが、望んで狩りを行っているなど、あり得ない事のはずだ……。

「……ああ、ほら、狩人達だ。これから酒場に集まるんだろうね」

 人々の視線が動き、もそれに習い顔を向けた。
 通りを悠々と進む、武器を携えた集団……あれが狩人だろうか。ざっと見て十人ほどいるようだが、その多さに驚きを禁じ得ない。もちろん、その集団は知らぬ顔ばかりで、あの異邦人の彼の姿も無かった。もしかしたらと期待してしまっただけに、落胆が強く圧し掛かる。

「しかし……獣狩りはいつ終わるんだろうな。もしかして、このままなんだろうか」
「おい、恐ろしい事を言うもんじゃない」

 声を潜め交わされる住人の会話が、の耳を突いた。

「だが、本当の事じゃないか。みんな、本当は気付いてるはずだ。ここのところ、行方不明になる奴らが後を絶たないし、獣は増えるばかり。あいつら、一体何処から来ているんだ」
「それは……」
「医療教会の方々が、素晴らしい医療を広めて下さり、ヤーナムは医療の街として栄えている。それなのに……不気味じゃあないか」

 医療の街として栄えている。この、ヤーナムが。

 どういう事だろう。その栄華は、既に遠い時代のもののはずなのに。は不気味な焦燥感に駆られ、考え込んでいたが、すれ違いざまに人とぶつかってしまった。

「んあ? なんだい、あんた……見ない顔だな」
「あ、すみません、私は……」

 ぶつかった男は一瞬目を顰めたが、の姿を映すなりその表情を変え、上から下までじいっと眺め見ていった。

「……あー、なるほどな。あんた、稼ぎに来た娼婦かい」
「は、はあ?」
「あんたみたいな別嬪、久しく見たぜ。ほら、夜が来る前に、向こうへ行こうぜ」

 にやついた笑みと共に手が伸び、は慌てて男を押し退け、賑わう大通りを駆け抜けた。
 人々の笑い声、話し声、表情、全てが鮮明で、ぶつかった感触までもはっきりとしている。娼婦と勘違いし連れて行こうとする、下卑た欲望までも感じ取った。
 こんな、おかしな夢があるだろうか。
 異邦人の彼から、色々と聞かされてきたせいなのか。だとしても、色も匂いも感触も鮮明で、なんて生々しい現実味を帯びた夢だろう。どうか早く醒めて欲しいと、は何度も胸の中で懇願した。

 ――けれど、目の前の風景が、暮らし慣れた自宅の風景に戻る事はなかった。

 それどころか、市街地から入り組んだ路地へ迷い込んでしまい、ますます不安と心細さが増す。見知った建物、土地のはずなのに、初めて訪れたような寂しさが心を吹き抜ける。せめて、人気のある場所へ戻ろうと、は自らを奮い立たせ突き進む。その甲斐あって、細い路地から抜ける事に成功したが……目の前には、市民の住居ではない、巨大な建造物が聳えていた。

 清廉な白い色、厳かな佇まい……医療教会の大聖堂だろう。

 は、もう、乾いた声で笑うしかなかった。

「なによ、変な夢。立地まで、めちゃくちゃじゃない」

「――おい、あいつは居たか」

 唐突に声が聞こえ、は反射的に物陰へ隠れる。身を潜めながらそっと辺りを窺うと、医療教会の白い装束に身を包んだ男が二人、話し込んでいる姿が見えた。

「いいや、見ていないな」
「そうか……まったく、近頃は姿を消す事が多い」
「仕方ないだろう。なにせ“あんなナリ”だ。日に日に、人間では無くなりつつあると聞く」
「それでも、何も知らぬ民衆は、英雄と仰ぐ。我々もまた、あれを担ぐ。ヤーナムに現れる獣の正体を知られぬよう、狩りをしてもらわなくては」
「獣狩りの英雄、か……哀れなものだ」

 蔑みと哀れみが入り混じる声に背を向け、はその場を静かに離れる。足取りはあまりにも重く、冷静に何かを考える余裕は失われていた。

 大聖堂の、人気の無い裏手へ伝い歩き、そこでようやく腰を下ろした。膝に顔を埋め、らしくもなく気弱な溜め息を吐き出す。

 頭の中が、ずっと掻き回されているようだ。気持ちが悪い。こんな夢、早く醒めて欲しい。

 彼は、こんな想いをしながら、狩りをしているのだろうか。だとしたら、なんて強い人だろう。夢の中ですら、私はこんな有様だ。


「――……誰か、いるのか」


 弾かれたように、顔を起こす。医療教会の人間が居たのかと身構えたが、周囲を見渡すも人の姿は何処にも見当たらない。ただ側に、裏口だろうか、暗く冷えきった細い通路があった。恐らく大聖堂の中へ続いている。しかし、薄暗い時刻とはいえあまりにも暗闇は深く、その先へ進むのは躊躇われた。

「ごめんなさい。少し、道に迷っただけなの。その」
「……ご婦人、今夜は満月、獣狩りの夜だ。出歩いては危険だろうに」

 恐る恐る、入り口から話しかけたところ、暗闇の奥深くから言葉が返された。しかしその内容に、は耳を疑う。まさかと思い空を見上げれば、赤い夕暮れは、いつの間にか藍色へ染まっていた。満月と、散りばめられた星屑が、頭上で静かに輝いている。
 何処までも、生々しい夢。忌まわしい獣狩りが、ここでも、始まるのだろうか。

「私も、早く、戻りたいとは思うけど……」
「……ふうむ」

 暗がりから、息遣いが響いてくる。何故だろう、人間のそれとは異なるように聞こえる。重く、深い、まるで獣の呼吸音のような……――。

「じき、夜が訪れる……。何か理由があるのだろうが……せめて、人の多い街中へ向かった方がいい」
「それは、その、そうなんだけど……」
「……ご婦人、もしも不安があるのならば、私で良ければ供をさせていただこう」

 は、その提案にたじろいだ。見ず知らずの誰かなど、ろくな信用など出来ない。しかし、いくら夢の中とはいえ、獣に襲われるのはたまったものではない。結局、はその提案をきっぱりと跳ね退ける事が出来なかった。

「じゃあ……一番近い、人がいるところまで……」
「承った。ならば、行こう」

 暗澹とした暗がりから、ズ、ズ、と重い音が鳴り響く。人の足音とは思えない重厚なその音色に、は怯んだ。
 やがて、そこから現れたのは――薄汚れた外套で全身をすっぽりと覆い尽くした、見上げるほど大きな体格の人物だった。上背もあり、いやに立派な身体つきをしている。それは何処か、人間離れした躯体にも見えた。

「……恐ろしいかもしれないが、どうか安心してくれ。けして、貴女に危害は加えない」

 全身を外套で隠した男は、あまりにも怪しい外見に反し、とても丁寧な言葉でそう告げた。しかしながら不安は薄まらず、は曖昧に頷きながら、男と共に歩き出すほかなかった。



2020.08.02