数えたら両の指を超えた(1)

短命と種絶という、忌まわしい二つの呪い。
それを断つには、鬼朱点を打ち倒さねばならぬ。

先代、先々代と、受け継がれてきた宿願と、戦う事を義務付けられた命短、つわものたちの亡骸。
未来を得ようにも、明日さえ生きる事も出来るか分からない一族にとって、それはあまりにも途方もなく長く厳しい旅路であった。
人と神の間に生まれ、下界へやって来た時、まだ幼ない姿の自分を、家族は皆温かく受け入れた。
初代当主からの教え……どんな時であっても、新しい家族がやって来たら皆で祝え。そして祝い事は、全員で祝え。
その言葉の通りに、自分は祝福された。
けれど、その中で感じていなかったわけではない。屋敷には言いようのない死の気配、あるいは生き急ぐ焦燥感が感じられた。常人とは異なる速さで死ぬために、その成長速度も二、三ヶ月あまりで既に十歳ほどの外見年齢であった。
渡された弓矢、伝えられる教え、まっさらな頭でも本能で既に理解していた。

私は、戦うため、此処にいるのだと。



――――― 矢筒から、数本矢を取り出し、弓へつがえる。
凛とした姿勢で構えたは、優しげな顔立ちを今は修羅と変え、狙いを研ぎ澄ます。
前線で剣士と薙刀が刃を振るい、妖怪を切り伏せる。噴き出した黒い血飛沫の向こうに、別の妖怪が爪を振るったのが見える。
は、引き絞った弦を放した。真っ直ぐと、勢いも的も下げない鋭利な矢の切っ先が、妖怪の頭を貫く。瞬間、人間よりも強靭な人外の首は、胴体から引きちぎれて宙へ吹き飛んだ。
それが戦いの幕引きとなって、一通りの妖怪の群れを蹴散らし、討伐隊は呼吸を整える。

、さすがだ。当代きっての弓使い、お見事」

そう告げたのは、現当主の若き男性だ。
妖怪の跋扈する迷宮の一つ《相翼院》に繰り出した討伐隊の隊長でもある。
は首を振ると、そっと額の汗を拭って、微笑んだ。
先ほどまで浮べていた勇ましさは、戦いを終えてやや穏やかになっている。霧と水に恵まれたこの天女が座すという相翼院に、よく映える明るい色白な肌をし、弓使いの帽子からは水色の髪が覗いている。当主へと向けた瞳は、豊かな琥珀の色である。
外見年齢は、二十歳かその前後で、年若く物腰も穏やかな女性。それでも妖怪の首を吹き飛ばす、弓使いである。
他の隊員も、を労う。討伐隊に加わってまだ短いが、既に剣士や薙刀士などの前衛職に負けぬ目覚しい活躍を見せていた。

「だが、無理はするな。お前は何も言わないが、辛い時には辛いと申せ。良いな」
「……はい、当主様、私は平気です。さあ、進みましょう」

はにこりと微笑む。
当主は、「ああ」と頷いたけれど……未だ言い足りなかったのも事実であった。
も気付いていたが、あえて知らぬふりをし、弓矢を握り締める。

今は亡き、母が身に着けていた武器と防具……これを着て、妖怪を倒し切磋琢磨する事が責務であると、思っているには当主の瞳はいささか気まずくもあった。


、こんな人の生についても、嘆いては駄目。幸せを、貴方の望む未来を、持ちなさい』


一族のもとへやって来て、母が直ぐに伝えた言葉。戦いの事でもなく、呪いの事でもなく、の生を諭す言葉だった。
彼女は優秀な弓使いであり、その血筋をは受け継いだ。綺麗で、強かった母……共にいた時間は圧倒的に短かったけれど、彼女の言葉は今もの中に存在している。床に臥せて死ぬ間際、出陣の準備は出来たのかと、早くしなと笑いながら怒ったくらいの、強かな人だった。

……母のように、なりたいと思った。だからこうして、武器を持っている。

の背には、絶えず当主の眼差しが注がれていたけれど、他の隊員と言葉を交わして気を紛らわせた。
……母のようになりたいと思って、間違ってはいないはずなのに。今まで、胸の靄が晴れた事は一度だって無かった。


相翼院での討伐に一ヶ月を費やした後、討伐隊は京の屋敷へと帰還した。
屋敷の門を潜って、中へと踏み入れると、屋敷に残っていた一族の者たちが出迎えた。その中には、まだ自習訓練の期間のあどけない面影が未だ残る少年少女も居る。
「ととさま!」「かかさま!」と討伐隊の者に飛びついて、帰還を喜ぶ。それから、当主へと礼をし、にも飛びついた。

ねえさま、おかえりなさい!」
「はい、ただいま。良い子にしてた?」

小手を外して、よしよしと弟や妹でもある子どもらの頭を撫でる。一族の証でもある呪いの印は、丸い額にしっかりとある。

「――――― お帰りなさいませ、ご無事で何よりです!」

底抜けに明るい、少女の声が響き渡った。桃色の小袖を纏い、丸い眼鏡を掛けた彼女は、イツ花という一族の世話係である。
おっちょこちょいであるが、一族の良きムードメーカーであり相談役であり、大切な家族でもある。

「さあさ、お風呂の準備はパパーッとやってありますので、お入り下さい! あ、でも、温くても怒らないで下さいね」

うっかり何か最後で言ってるが、いつもの事であるので気にしない。
討伐隊の面々であった者たちは、縁側まで移動すると各々防具を外していく。も、弓矢をそっと置くと、帽子を外した。
帽子の中に入れてあった髪が、ふわりと風に揺れてこぼれる。秋の空を思い出す静かな水色で、背中を覆う豊かな長い髪だった。少し汗ばんだ頬に掛かったそれを、耳へ掛ける。

様、討伐隊参加お疲れ様です」

にっこりと隣から笑ったのは、イツ花だ。は笑みを返し、肩当なども外していく。

「イツ花も、ありがとう。皆、変わりは無かった?」
「はい、そりゃもう、障子を破ったりなんかの悪戯があるくらいに元気元気ですよ!」
「ふふ、良かった」

穏やかに微笑んでいる、。イツ花はしばし見つめ、そっと尋ねた。

様も、お変わりありませんか……?」

その声音は、何かを含んでいるようにも聞こえる。が、は「大丈夫よ」と笑うだけであった。

「当主様と他の方が入られてから、私も入るわ。部屋で少し休んでるから」
「……そうですか、分かりました!」

イツ花は頭を下げると、また賑やかな足取りで当主のもとへ駆け寄る。
はそれを見送った後、全ての防具を身体から外した。


「――――― の様子は」
「はい、いつもとお変わりなく。普段通りでございます」
「……つまりは、普段と同じく、さっぱりした顔ではない、と」

風呂へと行く前に、当主とイツ花はそう言葉をかわした。
当主は、静かに肩を下げると、嘆息を漏らすように呟く。

「……あれは確かに優秀な弓使いだ。母の技術をよく継いだ、今回の討伐でも、よく活躍してくれて嬉しい。
――――― だが、母とは決定的に違う部分がある」

キシ、キシ、と板を軋ませて廊下を進む。その後ろを、イツ花が続く。

は、母の気質とは反対に穏やかな性格だ。戦いには向かないし、恐らく本人も使命感だけで戦っている。中身のない、空っぽな覚悟しかない。
それでも良いかもしれぬが……迷いはいずれ、の首を絞めるだろう」
「一族に生まれた者の、必ず通る道ですね」
「……なあ、イツ花。俺は何て言えばいいだろう」

妙にしょんぼりとする大の男の背を見上げ、イツ花は笑みを浮べた。

「それを決めるのも、ご本人様次第でございます。皆誰もが通って、悩み、そして答えを導いて生きるのでございます。
勿論、中には結局悩み続けて生を全うする者も居らっしゃいました。全ては、様のお心かと」
「う、む……そうだけれど」

当主とは、数ヶ月違いの年齢が近い者同士。気心が知れており、また過ごした時間も比較的多い。
つい妹のような感情があるものだから、気になって仕方なかった。
それにこの当主とて、似たような道を通っていたから、の何とも言えない寂しそうな姿勢は、気掛かりであった。

彼女は、勇ましい母のようになろうとしているのだろうか。
それとも、戦い続ける事に慣れようとしているのだろうか。
はたまた、本当は弓矢を持つ事さえも実は迷っているのではないか。

最後の疑問は本末転倒であるけれど、は優しい。子どもたちは皆を慕っているし、そんな子どもたちをは楽しそうに相手をしている。あの姿を見ると……なおさら、戦いの最中の押し殺した能面のような顔が、気になった。
はもしかしたら、戦わずに屋敷に居た方が似合うのやもしれない。

「あれは優しい性格だから、きっと誰にも言うつもりもないのだろうな……」

しょんぼり、しょんぼり。
当主の広い背が、哀愁を漂う。何とも可笑しな光景で、イツ花は小さく笑うが……の事が気になるのは、イツ花とて同じであった。



ほかほかと、風呂から上がったばかりの湯気と熱を纏って、は風通りのよい縁側に腰掛ける。
一ヶ月の討伐期間で、風呂になどは入れなかったから、とても心地良い気分だった。すっかり染み付いた汚れなども、全て綺麗に洗え、の肌もツヤツヤとしている。
柱に寄りかかり、其処から見えるごくごく平凡な庭先を眺めた。
多くの一族の者が、この庭で鍛錬して、駆け回って、そしてその光景をあの庭に生えた一本の木が見つめている。生きていくものも、死んでいくものも、きっと全てを。

「……私も、あとどれくらいで、死ぬのかな」

などと、小さな呟きが、の唇から漏れた。

「――――― 様、お加減はいかがでしたか」

不意に届いた少女の声に、はハッと振り返った。
湯飲みを持ったイツ花が、にっこりと笑って佇んでいた。疚しい事などしていないのに、少し慌てて体勢を整える。

「湯冷めしてはいけませんよ、女の大敵ですので!」
「ふふ、ありがとう。イツ花」

湯飲みを受け取って、そっと口をつける。ちょっと熱いし、苦い。その大雑把具合がイツ花らしく、けれどこれくらいで丁度良かった。
ふう、ふう、と茶を冷ますの隣へ、イツ花は腰を下ろす。

「お夕飯は、準備が出来ましたので」
「そう、ありがとう。いつも」
「いえ! ……あの、様」

そろり、と窺うようにイツ花が覗き込む。しばし声を迷わせていたが、の「なあに?」と向けられた琥珀色の瞳に、意を決し告げる。

「あの、イツ花がお尋ねするには差し出がましいかもしれませんが、様は……お悩みを、打ち明けては下さらないのでしょうか」

は、少し目を丸くした。イツ花のぱっちりと開いた瞳は、真剣にを見据えている。
カナカナカナ、と遠くで鳴く虫の音が、静寂を彩る。

「……悩み、か」

イツ花は一瞬身構えたけれど、は特に怒ったりはせず。むしろ、微かな笑い声を漏らした。

「心配させてごめんなさいね、イツ花。きっと当主様も、そう思ってらっしゃるかもしれないわね」
様……」
「ううん、自分でも分かっているの。当主様が、心配しないわけがないわ……」

何度も気遣う素振りを見せているのは、しっかりとも気付いている。
洗い立ての香りがする水色の髪が、座り直した拍子にさらりと揺れた。
はしばし口を閉ざし、ゆったりとイツ花へ言った。

「悩みを、打ち明けないつもりは、ないのよ」

……いや、これは悩みというものなのだろうか。
ずうっと、討伐隊に加わってからも、それ以前に屋敷に来たばかりな当初の頃からも、少なからずが抱いてきた事。
母のように、一族の為に、そう思ってきたけれど、何故か空虚を彷徨っている感覚は拭えなかった。幸せを願う亡き母の言葉に、従ったつもりであったけれど、そうではなかったのだろうか。
まるで、形の無くなったぼやけた輪郭の物体を、手探りして正体を当てているような錯覚。
上手くは言えないけれど、地に足がついていないような。
戦う事に対し否定はしていないけれど、異物を抱えているような。
……そんな感じが、ずっと消えないでいる。

は、弓矢を扱う自身の手のひらを見下ろし、琥珀色の瞳を細めた。
告げる彼女の言葉は、要領を得ないけれど、言わんとする事は察するに容易だった。

様……イツ花は、様に迷いなくあって欲しいと思います。
……そう思うイツ花は、ご迷惑でしょうか」

いつも底抜けに明るい少女が落ち込んでそう言うものだから、はふっと笑みをこぼす。

「そんな事ないよ、ありがとう。イツ花が心配してくれるだけで嬉しいよ」

の言葉に、繕ったものはない。全て本心だろう。だが浮べた笑みが綺麗であるほどに、彼女が抱いた《迷い》が晴れて欲しいと強く願ってしまう。
イツ花は至らなさに手のひらを握り締めたが、パンッと膝を打つと立ち上がる。

「さ、様。ご飯を食べましょう、とにもかくにも、こういう時は美味しいものを食べるのが一番です!
今日は、イツ花特製のお鍋料理なので、一杯食べましょう!」
「ふふ、そうね、楽しみ」

イツ花に腕を引かれながら、も立ち上がった。
イツ花の明るさには、本当に救われる。きっとだけでなく、他の家族も、現当主も、今は亡き一族の者たちも、皆イツ花に励まされてきたに違いない。
……だからこそ、心配など掛けないようにしなくてはならないと、思う。

( 分かっては、いるのだけど…… )

僅かに眉を顰めたの前。先導しているイツ花はそれを盗み見て、キュッと手の力を強めた。



――――― それから、翌月の事。
月初め、当月の方針を決める重要な話し合いが当主とイツ花の間で行われたのだが、その際当主はふと現一族の顔ぶれを確認して思い至る。

「そういえば、先月先々月と連続して討伐に念を置いたな……。そろそろ、誰かしら交神の儀を執り行うか」

それを決めるのも当主の役目、交神の儀は一族の未来を託す大切な儀式であるけれど……それだけでなく、男女間の繊細な配慮も必要なもので、毎度当主はこれに悩む。

「交神の儀に挑んでもよいのは、誰だろうか……」
「この方とこの方は、既にされておりますね。丁度よい年齢の方は ……」

一族の名を追っていき、イツ花は「あっ」と声を漏らした。

様が……もう交神の儀も受けられる年齢をとうに過ぎておりますね」
「……そうか、も。そうだな、俺と同じくらいだ、討伐ばかりで気が向かなかったが」

当主は、腕を組み考えた。その横顔から、何を思っているか実に容易に測れる。

様は、きっと直ぐに頷きましょう、『これも一族の為』と。ですが……優しい様なので、お相手の男神様には何卒ご配慮を」
「う、む……それは、勿論そうだが」

渋る当主を前に、イツ花は水鏡を出すと、其処に神々の姿を映していく。
当主はそれを覗き込んで、順番に見ていく。
奉納点は二ヶ月分貯めてあるので、少し余裕がある。は、水と風の資質が富んでいるので、土か火といったところだが。今現在ある奉納点内の火の男神は、今一つ考え物だ。となると土だが……。

「……には、よい神のもとに向かわせてやりたい。あれは我々には絶対に思いを伝えないくらいに、人を気遣う優しい女だ。せめて、の心情に配慮下さる神が良いな」

まるで、妹の見合い相手を慎重に探す兄のように。
当主の眼差しは、普段と異なる真剣さが滲んでいる。
笑ったイツ花であったが、彼女も同じくそう願う。は優しい、イツ花も皆平等に可愛がってくれる。だからきっと、胸の底にあるものを吐露出来ない……それを察してくれる、男神はいるだろうか。

「……人であるから、きっと言えないだろうし。であれば……イツ花」
「はい?」
「この男神に、お願い申しあげようと思うのだが……どうだろう」

当主は、ある神の名のところで指先を止めた。イツ花はそれを見て、意外すぎる選択肢に思わず目を見開いた。いや……きっとこの男神は、そりゃ確かに優しいだろうが……。

「……宜しいのですか? 当主様」
「何故」
「いえ、私がこう言っちゃ何ですが、この方、見た目が人間じゃないんですよ?」
「だから良いのではないか」

その自信が、一体何処から来るのか、全く不明である。

そうですかねえ、とイツ花はひたすらに首を傾げた。
が、当主が言う事には、曰く「土の神だから忍耐深いだろうし、聞けば落ち着いた思慮深い方というではないか。見た目に関しては、は気にはしないだろう」という、的を得ているんだかいないんだかよく分からない言い分が返された。

「……当主様がお決めになられた事なら、良いんですけど」

当のはどう思うだろうか。
ひとまず、今月にでもの交神の儀を執り行うという方針になったのだけれど、まずは彼女に話をしなくてはならないので、当主のもとへは呼び出された。


ほどなくし、襖がスッと開けられ、その向こうに腰を下ろしたが現れた。
水色の髪を背に流し、静かに頭を下げる。「お呼びでございましょうか、当主様」
は顔を上げ、当主と視線を交わした。明るい白い肌には、穏やかな面もちがあり、琥珀色の瞳の眦は桜色で彩られていた。
こうやって見ると、本当にその細い腕で放つ矢が妖怪の首を吹き飛ばすとはとても思えないほどに静かな女性だ。
当主は少し咳払いをすると、「中へ」と促した。
はしずしずと入り、当主の前に座した。隣ではイツ花が水鏡を手にしているので、彼女も直ぐに察した。

「……交神の儀、でございますか」

当主が言う前に、が尋ねる。

「ああ……そろそろ、交神の儀を執り行おうと思うのだが、、お前を選ぶ事にした」
「……そう、ですか」
「その……良いか?」
「え、勿論ですよ? 何故、当主様が狼狽えているのです」

は、いつものように微笑んでいた。ただ、やや緊張した色が差すのは仕方ない、誰しもそうである。
だが、この時は選ばれたよりも、何故か当主の方が酷く狼狽え滑稽であった。

「いや……懸想している相手とか、いないか? 気になっている男神とか」

一応、そう尋ねた当主であるが、はしばし考えると、苦笑いをこぼす。

「ございません……もう年若い女の子の時期も過ぎましたし、当主様の仰る通りに致します。私の役目なれば、いかようにも」

……色っぽさに欠ける言葉であるが、それも彼女が一重に責務を全うしようと振る舞ってきた真面目さが物語っているのかもしれない。
複雑な心境になりながらも、当主は改めて咳払いをすると、水鏡にかの神の名と姿を映し出し、へと見せた。

「この神と、交神の儀を執り行おうと思っている。どうだ、承諾してくれるか? もっと別の神なら、それでもと思うが……」

は、蒼い波紋の中に見える男神を見て、ドキリとした。けれど、特に否定的な感情も抱かなかったので、当主へ向き直るや静かに畳へと三つ指をつき礼をした。

「謹んで、お受けいたします。どうぞ宜しくお願いします」

当主は、少しばかり安堵し、「そうか、良かった」と漏らした。
きっとこの男神ならば、の迷いも静かに晴らしてくれるだろう。きっと。

当主の想いはさておいて、は再び水鏡に映るかの神を見つめた。

――――― 濃い鳶色をし、厚みのある毛皮で覆われた屈強な身体付きと、狼の横顔。
孤高の象徴でもある獰猛な狼の神性を持つ、人と獣の両姿を持つ獣神。
多くの神の中でも特異な容姿の、土の神……十六夜伏丸 ( いざよい ふせまる ) 。
の交神の儀の相手として上げられた、男神である。

つまりは……―――――。

( この神との間に、私は子どもを…… )

キュ、とは形良い唇を緊張に閉ざした。
いずれはと、思っていた事であったけれど……やはりいざ言い渡されると、なかなかザワザワとし落ち着かなかった。

……母はどのような気持ちで、交神の儀に挑み、自分を生んだのだろうか。

ふと思いながら、は来るべき儀式の時を考え、気を引き締めた。
これも責務、二年も生きられない一族の大切な仕事なのだから。

そしてその準備を進めた数日後、はイツ花に連れられ天界へ登った。



2012.08.21