数えたら両の指を超えた(4)

厳かな社の内部を、淡く映し出す燭台の灯火。
それが幾つも並べば、橙色の光が満たされ、外の薄暗さも丁度良く映える。

ユラ、と時折揺れる影を片隅に見つめながら、は静かに座した。その正面には、人と狼の姿を持つ獣神が膝をつき見つめている。

何が始まるか、理解している。だが、この緊張は、それだけでない。彼を前にして、心臓が徐々に鼓動を速めていく。

「――――― 交神の儀、何故受けようと思った」

ふ、と上げた視線が、正面に片膝を立てる神……十六夜伏丸を捉えた。
彼の金色の目には、純粋な疑問が浮かんでいるように思えた。
今まで、彼はの思いを聞く立場を貫いていたが、この瞬間は他意なく尋ねている。

交神の儀を、受けようと思った理由。

それは、当初の《使命》ではなく、が自ら願い出た事を指しているのだろうと、予想が出来た。
正座した膝の上、丁寧に置いた手をキュッと握る。

「……欲が、出ました」

ピクリ、と狼の耳が揺れる。

「交神の儀を終えればお役目御免と、思ってはいたのですが。
それだけじゃ、生まれてくる子に申し訳ないと。空っぽの弓矢をまた教えるわけには、いかないではないですか」

橙色に照らされても、その肌の白さがよく分かる。優しげな面持ちに浮かぶ笑みが、その白さによく似合っていた。
けれど、優しいだけでなく、恐らく初めて……《我欲》が滲んでいる。決意にも似て、願望にも似て。それでいて、伏丸の獣の性を震わせるものが含まれている。

「……上手くは、言えませんが。空っぽの私が得られるものがあると、与えてくれるものがあると、知ってしまいまして。それが、何よりも欲しくなりました」

真っ直ぐなの眼差しが、正しく本心を語っている。
目は口ほどに物を言うとは、上手く表現したものだ。言葉だけでなく、その眼差しにも伏丸は背を震わせた。

「当主様の、お達しではありますけれど、貴方様で良かったと今は心から感謝しています」

心を満たすのが、この獣神であって、本当に良かった。
は、今は真に、そう思っている。
恥ずかしいながらも、伏丸へ微笑んで見せる。朱が差す頬と同じく、身体が緊張と何とも言えぬ甘やかさで火照る。

「……そうか」

彼の言葉は、やはり短い。
けれど。

「願われるのであれば、応えないわけにはいかない」

そう告げた声が、言葉こそ素っ気なくとも、酷く真剣で熱を伴っていた事。
初心なにも、よく分かった。

片膝を立てて正面に中腰になっていた、伏丸の腕が橙色の明かりの中を伸びる。
獣の毛に覆われたそれは太く、頑丈と形容しても差し支えないほどだった。片腕であっても、それがの背に回された時、温かく感じ、そして同時に逃げられないとも思えるほどに。

「……始めるぞ」

短く告げた伏丸に、は心臓が飛び出すかと思った。
身体を震わせ、小さく頭を頷かせる。それしか、むしろ出来なかった。
の小さな反応に、伏丸は目を細めて引き寄せた。その強さに、は正座していた足が横座りへと崩れ、伏丸の広い胸に顔を埋める形となった。
ふわりとした、感触。少し、土と獣の匂いもするが、不思議と気にならない。
が、恥ずかしくてたまらない。これだけで、もう心臓が破れてしまいそうだ。
恐らくきっと、当初の頃のように使命と思っていれば、淡々と行えただろうが、突如として恥ずかしくなったのは彼女が彼に対し抱く念が明らかに変化したからである。

「い、十六夜伏丸様……」

どうすれば良いか分からず、といった具合に腕の中で慌てるが、妙に可笑しくもあった。が、その小ささと柔らかさに、一瞬の恐怖すら覚える。
弓矢を扱っているはずのの身体は、頼り無い。その点も恐怖であるには違いないが、大事に扱おうと思えない自身の獣じみた感情が過ぎるのが恐ろしい。
神と呼ばれようが、生前しょせんは野で生きていた狼、という事だろう。

「……伏丸、で構わん」
「え……ッ?」

ぴくり、と震えたの振動が、非常に牙を立てたくなる。
けれどそれを必死に抑え込むのは、人の性……心の土の気質か。
ただ、伏丸の顔を無防備に見上げるは、やや躊躇った後にその優しい声で。

「は、はい……ふ、伏丸様」

などと告げるのだから、伏丸が表には出ずとも叫び出しそうになったのは仕方ない。

彼は、勢いよく立ち上がると同時に、片腕で捕らえたの身体を持ち上げて横抱きに抱えた。
悲鳴じみた声が、の口から漏れる。それをぐっと飲み込んだけれど、大柄な狼の神が進んだ先がにあてがわれていた一室の、引かれた布団の前だったのだからまたも声が出そうになる。

運ばれたというより、何だか美味しく食べられる厨 ( くりや ) へ持ち込まれた気分でもある。

分かってる、ちゃんと分かってる。
交神の儀が何をするのか、ちゃんと覚悟している。何も知識が無いわけではない、家族へ一体何をするのかなんて尋ねたが、その実ちゃんと分かっている。
けれど……。

ドク、ドク、と震える心臓が、の身体をも揺らす。
まな板に魚でも置くような仕草で、ぽんと布団の上に下ろされ、は唇をきつく引き結ぶ。
堪えるように、きつく瞼を閉ざすの表情が強張り、赤みを増す。

「……初めに、言っておく」

低い声が、の耳元で響く。
その些細な振動にも、は盛大に肩を飛び跳ねさせた。

「俺は、人の性は持つが、獣の性の方が強い。交わり方も、他の神、あるいは人間とは異なるやもしれん」

伏丸らしい、言い回しのないはっきりとした言葉だった。変に言い回しをされるよりも、よほど良心的であるのに、何だかこれから始まる事を突きつけられて妙な気分だ。
そう思った布団の上に座らされるの前に、狼が膝をつく。
部屋の格子戸から、うっすらと光が射し込んでいたが、燭台にポッポッと小さな灯火がつき、橙色に染まっていく。

「……それと、これはお前にだが」

は、そろりと顔を上げた。目の前に、伏丸の狼のそれが飛び込む。

「言いたい事があれば、言え。わざわざ耐えようとするな」

……強い、正しく獣の瞳。
今まで見ていたのが彼の言う人の性であれば、今チラチラと窺えるものが、獣の性なのだろうか。
そんな事も、今のには理解しようもない。寄せてきた大きな身体が触れ、困惑と羞恥が遙かに勝っていたのだから。

が小さな反応を見せるよりも早くに、伏丸の腕が今一度伸び、の身体を引き寄せる。
まるで、食らいつくようであった。の頬をぺろりと舐めていった肉厚な長い舌は、犬と同じである。だが、そのまま耳の裏や首筋をくすぐる仕草は、決して獣にはないだろう。
予想外の温かさとくすぐったさに、は少し笑みを浮かべた。
唇の端から漏れた声が、こそばゆく伏丸にも届く。捕らえたの身体は、まだぎこちなさが強いけれど、幾らか力を抜き伏丸に寄り添っている。

「……嫌では、ないか」

は、細めた瞳で伏丸を見た。鳶色の毛しか見えなかったが、彼の顔である事は分かっている。

「嫌、と言いますと……ッふふ」
「見た目が人でない俺に、こうされるのは」

ぴちゃ、と首筋で肉厚な舌が這い上がる。くすぐったいけれど、単にそれだけじゃなくゾワリと来るものもあった。だが、それに対し「気持ち悪い」だとか「止めて欲しい」だとかは思わなかったので。

「嫌だなんて、そんな事はありませんよ……きっと伏丸様だから、でしょうね」

ふふ、と笑ったままのであるが、「そうか」とやや小さな声で返す伏丸に。
今し方、自分が口にした言葉をようやく意味を解し、あっと慌てる。

「や、やだ、私ったら。あの、その……ッひゃ?!」

くすくすと笑う声が一転し、声が弾む。首筋を舐め上げた伏丸のそれが、顎の下を戻って、白衣の合わせ目からいつの間にかずれて覗いていた、胸元を掠めた。
豊かな乳房が押し合って生まれた谷間に、ぐいぐいと舌先がねじ込んでくる。あわあわと慌て始めたの目の前で、伏丸の耳がピクピクと揺れている。広い肩を押して見たが、そうするだけ拘束してくる伏丸の力が増して、きつく抱きすくめられる。

濡れた感触が、胸の間でうごめく感覚が、広がる。
ビクビクと簡単に震える自身が恨めしいものの、恥ずかしさが強い。
つまりは、自分の胸の前に伏丸の顔があるのだ。恥ずかしくないわけが―――――。

その時、はカッと目を見開いた。
突如として思い出した事に、彼女が途端に身振りを激しくし押してくる。
伏丸には、赤ん坊が叩いてきてるようなものなので、逆に押し返した。
呆気なく、の身体が布団に倒れ込み、仰向きに動きを奪われる。

「ッあ……! 伏丸様ッ」

とん、と背に触れた布団の柔らかさと同じく、の身体に触れた伏丸の身体もふかふかであった。だが、その中に際だつ力強さに、一瞬恐ろしくもなる。万の力で抑えられたようで……まさに、獣に食われる兎か何かの気分にも近い。

「わ、私、あの……ッあ……ッ!」

ずり、と白衣が肩からずり下げられていく。が、直ぐに大きな獣の手が胸元を掴み、左右に割られる。冷たい外気にさらされる感覚に、はギュウッと瞼を閉じる。
服の下に閉じこめられていた、柔らかい乳房がこぼれる。元々、鍛えているだけに身体の輪郭はほっそりと整っている。それに加えて、二十代前半かあるいはもう少し若年な、成熟した女の柔らかさが既にあちこちで窺えている。その細さにも合う白い素肌をし、橙色の薄暗さにもはっきりと浮かび上がる。
何も纏っていないの乳房は丸く大振りで、振動にぷるりと揺れた。
伏丸の喉の奥で、獣じみた唸り声が微かに漏れる。グルグルと、昂揚する狼と同じように。

「伏丸、様……ッ」

ギュウ、と真っ赤に頬を染めて何かを告げようとするの声。
息を荒げた伏丸が、ハッと意識を戻す。が、扇情的に広がる髪の光景にまたも気が狂いそうになり、「何だ」と返した彼はよほど良心的っであっただろう。

「わ、私……ッ」

ああ、くそ、早く牙を立ててやりたい。
なんて伏丸が思っているのにも気付いていないのか、は止めたままもったいぶる。

「こ、此処へ来る前に、しっかりと身は清めたのですが……ひ、一晩明かしてしまって簡単にしか身体を拭けていないです」
「……ん?」
「だ、だから、その、汚いのではないか、と……」

一ヶ月近くも平気に、討伐が長引けば下手したら二ヶ月、風呂に入る事が出来ないのに慣れているのに。
あっさりと済ませてしまった湯浴みを思い出して、は慌てた。
幾ら汗塗れに慣れているとはいえ、其処は女。そしてこれから伏丸に抱かれるのだから、やはり女。思い出すと気になって仕方なくなる。

……が、そんな女の心情など、今の状態の伏丸が理解してくれるかと言えば。

「別に構わん」

まあ、否と言えるだろう。

あっさり一言で切られ、の顔が「ええー?!」と驚嘆する。
だって匂いとか、誰だって気にするだろう、とが告げると、伏丸の大きな身体がのし掛かり、丸い肩に鼻先が顔が埋まる。

「気になる匂いなど無い、むしろ……良い匂いだ」

すんすんと、鼻が鳴る。素肌の匂いと、髪の匂いを嗅ぐ原始的な仕草にも、は再度顔を赤らめた。

「せっかくこの場所には無いものだ……洗い流しては、もったいない」
「もっ……い、言いたい事は言えと、先ほど伏丸様が申されたのに」

ふっと、笑うような息遣いが、の髪に掛かった。
大きな手が無防備な脇腹を容赦なく撫で上げ、唇から困惑の声が漏れる。
前だけ開いたような白衣を掴み、帯を解けさせていく傍らで、伏丸が呟いた。

「言えとは告げたが、別に止めるとは言っていない」
「そ、そんな屁理屈みたいな……わッあッ」

するり、するり。
乱暴ではないけれど、決して優しいとも言い難い彼の手で、身体がどんどんさらけ出される。
弓使いの戦装束も肌の露出は無く、普段から他人へ肌を見せた事が少ないには、外気の冷たさが恥ずかしさを煽った。丸めて隠そうとし横向きになっていくの身体を、伏丸の手が許さず、細い背に張り付くように横たわった大きな身体へ容易に引き寄せられる。

背中へ重なった、伏丸の胸の広さに、は改めて驚く。微かに顔を向けて背後の彼を見上げると、その頬に舌が再び触れる。
先ほどはくすぐるようだったが、今は熱く、熱心に。
「ん、んッ」籠もった声が、口の中で漏れる。触れたところから、妙に肌が熱くなる。言うなれば獣に舐められているのに、何故だろうかとも思ったけれど。

――――― その疑念が、次の瞬間吹き飛んだ。

微かな振動で震えていた、剥き出しの乳房が、ぎゅむっと包まれる。
何にか、当然伏丸の大きな手に。

「ッ! あ、う……ッ」

きゅ、と眉が寄せられると、の頭に伏丸の顎が乗る。
片腕はの身体と布団の間にねじ込んで、もう片腕はの上から伸ばされていた。そうして、厚い毛が覆う彼の手のひらに、すっぽりと両胸を包まれると、撫でさすられる。
獣の毛の感触が、ぞわぞわと響く。異性に触れられる不思議な感覚が、じんわりとの後ろ頭を伝う。噛んだ吐息を漏らし、空をさまよった白い手が、伏丸の手の甲に触れる。

その細さが、伏丸を疼かせた。
衣服の下に閉じこめられた、生きた人間の素肌の匂いにも十分当てられたのだが、その仕草もまた同じである。
丸い輪郭を確かめるように触れた手のひらが、やや強く掴み、指をまばらに動かす。

急に動きを変えた伏丸の手に、はあっと声を漏らし、思わず掴んだ。太い指は、細い棒のようでもあって、強く握ってもびくともしない。
むしろ、が顕著な反応を示すと、伏丸がより熱く揉むものだから、の声が震えて悴む。

「う、ふ……ッん、伏丸様……ッ! あッ」

ぐに、ぐに、と形が変わる様は、自分の身体の一部とは思えないほどで、初めて厭らしいとまで思える。それを視界に入れるのも恥ずかしく、伏丸に自然と縋っていたが、そうすると彼は止めるどころかをがっちり抑え込む。もぞりと動く白い足が獣の足で挟まれ、頭上で低く呟きを漏らす。

「ああ……人間の身体も、良いものだ」

ぞく、との肌が戦慄く。
低い声、けれどとても熱く震えて。

「――――― 血が、たぎりそうだ」

獣と同じ、昂揚を宿して、欲望が疼いている。
人の性と、獣の性。逆転し始めている事が、交神に初めて挑むにも分かった。いや、これは嫌でも理解するだろう。
恥ずかしさに目の前が霞みそうになる中、見上げた伏丸の狼の顔は。
正しく餓えた獣という爛々と輝いた瞳をしており、をぎらりと見下ろしている。

射竦められる、といった状態でもあった。
でもそれは恐怖ではなく、初めて真っ向から男に求められている事を視線で感じた、緊張と羞恥心。

「伏丸様……ッ」

何だか嬉しくなった。
使命と我欲で望んだ自分にも、この神が求めてくれる事が。

少なくとも、はこの神域にやって来てから伏丸より多くを貰った。
彼が最初に言ったように「神の使命」で応えてくれるのであれば、それは勿論嬉しいが申し訳なさも抱いた……が、今は、違う。
少しでも、彼に返せるのだと、安堵した。

握っていた伏丸の指を離し、代わりに太い腕へと手を伸ばすと、しっかりと回して掴む。まだこちないけれど身を委ねる姿勢は、伏丸の中の情欲を膨らませた。
ひとしきり、伏丸の手のひらを満たしていた柔らかい乳房を弄くり回し、の身体が火照り力を抜いた頃。
既に震える身体を仰向けにして、移動した。
ふう、ふう、と悩ましくつく溜息が、室内に満ちる。がっちりと包まれた温もりが離れて、が探ると、伏丸は布団へしなだれる身体に跨がり見下ろしていた。
腹を見せた兎の気分を今一度味わうが、それを恥じらう間もなく伏丸の顔が下がった。

「え?」

がぱ、と開いた狼の口から、牙が覗く。
投げ出されていた白い足が掴まれ、情緒もなく持ち上げられる。
布団から離れていく足と、若干浮いた腰に、が声を戸惑わせる。

「わッ?! ふ、伏丸様、お待ちを……ッ!」

手を伸ばし、広い肩を掴む。
が、腕に衣が引っかかっているだけのような状態の身体に、阻む要素もない。まして、の力で伏丸の大柄な身体を押し返す事が出来るわけもない。
何も纏わない四肢が、自分にも見え、そしてそれを伏丸に見つめられるこの恥ずかしさ。
ギュウ、と堪えても身体は熱を帯びて染まった。

ばさりと落ちた白衣から、裸体が露わになり、伏丸の眼下に広がる。
丸い肩と柔らかい豊かな乳房から続いて、均整が取れた身体は女性らしい曲線があちこちに描かれている。だが肉体的に成熟しながら、未だ男を知らない無垢さも窺え、伏丸の思考が凶暴に歪みそうになる。

開いた口で、そのまま噛みついてやりたいが。
傷つけては獣そのものな為、舌を伸ばして微かに震える腹を舐め上げる。

「ッひえ……ッ?!」

びく、と腹が飛び跳ねる。
色っぽさの欠片もない驚いた声が漏れたが、じくじくと舌先で嬲られ、ぞくんと下腹部が疼いた。
宙に浮く足が、伏丸の肩に掛けられ、半ば開かれるように固定される。

……何という格好だろうかと、は震えた。
衣服が落ちて何も纏うものが無くなってしまった身体が、彼に持ち上げられ。開かされた足の間に、彼の身体があって。あまうさえ固定され、やもすれば不浄の場所ともいえる秘所が明るみにされる形を取られている。
交神の儀とは、こんな事もするのか。そりゃ家族が、そんな事聞くんもんじゃねえと怒るのも頷ける。今になって理解し、本当申し訳ない兄上と謝る。

などと思っていると、無防備な下半身に伏丸の視線が集まる。何もそんなじっくり見なくたっていいではないかと、恥ずかしいのかもう分からないくらいに混乱し半分泣いているが見上げている中で、伏丸が何やら恐ろしい事をやり始めた。
今一度、の腰部をがっしり掴むと、不本意ながら見せるような形になっていた秘所に狼の顔が近づく。
それが、とても恐ろしい予感とって、の脳裏に過ぎった。

「や、止め―――――」

だが、全て告げる前に。
伏丸の狼の口が、ガパッと開いて挟んだ。次いで、の肌を舐め回した肉厚な舌が、これからされる事を予期し震える其処へ触れた。

の身体が、恐らく今までになく飛び跳ねた。

「ああ……ッ!」

ぴちゃ、と音が鳴ったのは、どちらのものであったか、には分からない。
けれど、ぐねぐねと動いて舌先で開かれた時の未知の感覚と、絶えず響く奇妙なこそばゆさ、そして……内側から溢れ出す熱は、混乱するの頭に叩きつけられた。
身を捩って堪えるも、伏丸の舌はぎこちなく綻ぶ花弁をかき分けて進む。ほんの僅かな濡れた動きも、びくびくと飛び跳ねるには強い刺激で、ほっそりとした腰がうねる。
ふと、伏丸の舌が、じゅるりと何かを啜った。その音を聞いて、は一層飛び跳ねると、肩に掛けられた足がぶるぶると震え出した。

「……ふ、既に濡れていたか」

まるで、止めを刺されたような。罪を暴かれたような気分だった。
真っ赤になって涙を浮かべたが、それでも溢れ出る自らの蜜に言いようもなく恥ずかしくなる。

「う、う……ッやだ、私……ッ」

未知の感覚に加えてそうも言われれば、いくら大人でも涙ぐむものだ。
ぎゅう、と胸の前で両手を握り、堪えるの様を見て、不覚にもズクンッと心臓が跳ねる。力なく頭を挟んでくるの足を、思えば伏丸らしかぬ優しさでそっと触れて撫でると、一度秘所から口を離す。
顎を伝った蜜を舐めとり、舌の上に残る女の匂いを飲み下し、を見た。

「安心していたところだ……気にするな」

え、とが見上げる。やっぱりとんでもない格好で目眩がしたが、伏丸の漏らした小さな言葉が耳に残る。

「……伏丸様でも、心配する事はございますか」
「何だ、おかしいか」
「いえ……」

朱の差した頬が、微かに微笑んだ。

「私も、嬉しいです」

多くは告げない伏丸の表情が、笑うように一瞬緩まった気がした。

力の抜けた四肢を今一度抱くと、伏丸の舌が再び伸びる。
先ほどよりも、は素直に受け止めたが、やはり慣れぬ未知の感覚は悩ましく翻弄する。時折、牙が掠める鋭さもあったけれど、決して怖いと思わず、むしろそれも不思議との身体を火照らす。
小さな籠もった声も、次第に艶やかさが表れ、堅く閉ざしていた唇が綻んでいた。
ビクビクと飛び跳ねた身体も、伏丸の舌や与えられる感覚を異物ではなく激しい心地よさに覚える頃には、汗を滲ませうねり、色めいた匂いを放つようになった。

「ん、う……ッあ、ふ……ッ」

心許なくさまよっていた手が、次第に伏丸へと吸い寄せられ、ピンッと立った耳をぎこちなく掴む。
痛くも何ともなく、まあ少々楽でないかと思う程度であるが、伏丸はその手を払う事も無く好きなようにさせた。
縋るように何度も握ったり、撫たりする指先から、の思考が次第に熱で蕩けている事を肯定しているようなもので。秘所を嬲り尽くされ滴る様は、獣じみた情欲を一層煽った。
指先には爪が伸びている為、また口には牙が正しく生え揃っている為、考慮しての愛撫であるが、がそれを受け入れて女の色香を滲ませるようになり悪くない選択肢であったと思う。
頼り無く挟んでくる足が、ぱたぱたと肩で揺れる。その振動が、妙に背を震わす。

獣らしい愛撫に悶える女は、外見こそは成熟したもの。だが中身は頑なだった分発展途上でもあり、特に異性については全くの真っ白。何にも無いと言っても、良いだろう。
それをふと思った時、伏丸は口角を上げた。上げざるを得なかった。
の中に他の雄が刷り込まれる前に、自分が好きなように快楽を与え、教え、染める事が出来る。
音を立てて舐め啜る伏丸の目が、爛々と輝いた。

唾液と愛液でどろどろになった秘所に、侵入した伏丸の舌が、突如として動きを変える。
ずるり、ずるり、と緩慢に行き来していた肉厚なそれが、明らかに速度を増して内側を擦る。

「ッひ……!」

ぎゅむ、と強く伏丸の耳を掴んでしまった。が、ジュブジュブと音を立て引っかき回す舌先が、恐ろしく奥まで進んでいくのが分かった。

「あ、伏丸様、ま、待って……ッ! な、何か、何か溢れ……ッん、ァ……!」

腹部の奥で、疼く熱が膨れ上がる。全身の汗を伝って這い上がり、の目の前が時折パチ、パチ、と白く霞む。
押し止めようと腕を突っ張るが、伏丸は止めるどころかさらに速度を上げてきて、の下半身をがっしりと抑え込む。僅かでも逃げる事を拒むような、強さだった。白く細い四肢がうねり、激しく悶える。
そうして、堪えて閉ざした瞼を少し開けた時に、敢然と舌を暴れさせる伏丸の獣の輝きしか無い瞳を見えて。

――――― ゾクンッと震え、限界まで堪えた身体が、呆気なく崩壊する。

膨れ上がった疼きが、頭の後ろから爪先まで弾けて、は声を上げ甘い衝撃に襲われる。
緊張に満ちた四肢が弛緩し、伏丸の腕に抱えられた足がずるりと下がる。

「ん、ん……ッ」

じくじくと残る余韻が、の断続的に震える身体に熱を落とす。
吐き出した吐息が、酷く甘く室内を満たす。

きつく舌を締め上げられ、どっと溢れた蜜が、気をやった事を伏丸に教えるも、彼女はそれを未だ理解はしていないかもしれない。
たった一度のそれで、息も絶え絶えな様はすっかり溶け甘い匂いを放っている。
痛くは、無かったのだが……の痴態と直に感じる女の匂いに、一瞬伏丸も熱が放たれるかと思った。
辛うじてそれは耐えたが、痛いくらいに主張し勃ち上がっている自身が、餓鬼のように震えている。

ずるん、と舌を引き抜くと、その感覚にもが悩ましく声を漏らす。
広い肩を滑り落ちる足を、腕の肘の部分で受け止めて、静かに広げる。
大きな身体を、汗が滲み淡く朱で染まるの上に倒す。ジャラ、と下がった牙と骸の首飾りを、布団の外へ放り投げると、その音で微かに が瞳を開ける。

「伏丸、様……」

とろんと、溶けた声が、耳をくすぐる。
まなじりに浮かんでいた涙と、その伝った跡を手のひらで拭い、頭を起こす。
すっかり慣れた獣毛の感触に、は顔を傾け、不器用げに髪を梳く太い指にすり寄る。
その時、自分の真上に、体重を掛けないようにと片腕を突っ張りのし掛かる伏丸を確認して小さく声を漏らす。

「あ……」

大きな胸が、目の前にある。伏丸の方が身体は大きいのだから、当然の体格差であるけれど……は思わず腕を伸ばした。
ふかふかの、鳶色の毛皮。暖かいが、その下は非常に屈強な筋肉が覆っており、胸から腹部までがっしりとした感触が続いている事が窺える。こつん、と額を押し当てると、心臓の音はしなかったが……グルグルと喉を鳴らす音は聞こえた。音というより、振動かもしれないが。

「……そろそろ、良いか」

低い声が、頭の天辺に落ちてくる。そうして、今自分が片足を伏丸に抱えられ開かされている事に気付いて、次にされる事を予期した。
ドク、と跳ねた心臓が、もしかしたら伝わったかもしれない。

足を抱えていた腕を、一度離し、自らの簡素な衣服を掴む。ぐい、と肩から脱ぎ取り、腰の紐を次に掴む。がチラチラと見ているのも知ってか否か、わりと遠慮なく豪快に解いた。はだけた着物が落ち、そうして袴が緩まると、の剥き出した白い腹の上に何かが飛び出す。

「ッ!」

思い切り目の当たりにして、が顔をこれでもかと真っ赤にしたのは言うまでもない。
ズルン、と飛び出したそれは……さすがの初めて交神に挑むにも理解している。何せ真面目で忍耐強い性格で、交神の儀にも覚悟を持って臨んでいる。一族は皆誰も通る道、と頭に刻んで。
……だが、少々覚悟の範疇を越えていたのは、その大きさであるというか。
勃ち上がった男性器のその逞しさの事……少なくとも、幼少時に風呂場で見た一族の男性たちのものとは、記憶が曖昧でも正直失礼なくらいで。
要するに、いざ目の当たりにしたそれに、狼狽えたわけである。

「……伏丸、様」

やや怯えた声が、意図せずこぼれる。縋るように目の前の広い胸に顔を重ね、覆う鳶色の獣毛を掴み寄せる。若干痛そうな呻き声が聞こえたが、それもの不安には勝らない。
彼は口数が多くないので、やはり何も言わないが、抱えるように持ち上げたの頭を撫で、やんわり肩を叩いてあやす。
落ち着け、身構えるな、とでも言っているのだろうか。
呼吸し上下する広い胸に合わせ、も息遣いを重ねる。

「痛かったら、そう言え」

短く、けれどギリギリの部分で理性を保っている低い声に、はたっぷりと空白を持った後に頷いた。脅された気がしないでもないが、耐えなければ。大丈夫、皆通ってきたのだから。
片腕での肩を支えたまま、もう片腕がわしっと足を掴み広げさせる。
胸にあてがったの腕が、そろりと伏丸の脇腹に触れる。とん、とん、と肩が軽く叩かれ、静かに息を吐き出す。

ひたり、と時折腹の上にくっついていた伏丸のそれが、互いの腰の位置を調整され足の間へと向かい。
唾液か愛液かで濡れる秘所へ先端が触れる。その熱さに小さく声を漏らすも。

――――― 次の瞬間には、それがググッと押し入ってきた。
肉厚な舌よりも、明らかに質量のある熱の塊が、侵入してくる感覚。火を突っ込まれたような錯覚さえし、は目を見開いた。

「か、は……ッ!」

息が詰まりそうになる。痛いのか熱いのか、分からない。いや、下手したら両方かもしれない。
火傷を刻まれながら、狭い場所を進んでいく。みちみち、と肉が蠢く音が胎内から聞こえてくる。
途端に震えて逃げ出しそうになったの身体を、伏丸の腕が掴んで抱き込む。

「う、う……ッく……ッ」

痛ければそう言え、と伏丸に気遣われたが。
やはりそう言わないのが、である。伏丸に迷惑になると、叫びたくなる悲鳴は必死に飲み込み、きつく彼の身体にしがみつく。が、代わりにの琥珀色の瞳が濡れ、ボロボロと雫がこぼれる。

初陣で鬼に殴られた時は、耐えられた。
華厳の身引き裂く冷たさと圧力を受けた時も、何とか耐えられた。
混乱状態になった剣士の攻撃を受けてしまった時も、一瞬彼岸を見てしまったけれど辛うじて耐えた。

だが、これは―――――。


すると、困惑極められり、といった状態に陥ったの耳に。

「ッは、あ……ッ」

苦しげな、けれど不思議と色っぽくもある男の声が、届いた。
うっすらと、は目を開き、見上げる。
野にいる獣の、鳶色の毛色。見慣れた人と狼の神性を持つ獣神の身体。太い首の先の、狼の横顔は……。
少し苦しげに、しかめられていた。牙を覗かせて荒く息を吐き出した口元から、呻く声が漏れてに落ちる。
胎内を一杯に押し広げられ、鈍痛がじくじくと走るし相変わらず火傷じみた熱さしかないけれど、その声が不思議と気を紛らわせてくれる。

「……伏丸、様……お辛い、のですか……」

掠れた、小さな声であった。が、伏丸の耳にはしっかりと、涼やかに響いてくる。

「ふ……辛いのは、お前だろう。痛かったら言えと、先に告げたのに」

初花を散らした残骸が、赤く伏丸の怒張に絡まる。断続的に震える振動は、ぎこちなく困惑が強い。それでもくわえ込み受け入れる様を見ると、やはり女かと思う。
汗がびっしょりと浮かぶ白い四肢が、伏丸の獣の身体にしがみつく。

「……ッ伏丸様が、求めて下さる事が、嬉しいんです」

痛苦が拭えない表情に、笑みが混ざる。泣き笑いに、近いやもしれなかった。

「ん……ッ今も、いつか直ぐに消えてしまう私を……気遣ってくれて……それだけで……」

荒く息を吐き出すも、その吐息は甘く香るようだった。
形よい唇が微かに弧を作り、伏丸の眼下で艶やかに笑う。

「……交神の儀を終えれば、きっと多くのものを頂きます……。だから、それまでに、多くのものを返したいんです……」

頼り無い手が、伏丸の狼の顔へとそっと移動し、頬を挟んだ。
ぐ、と引き寄せられ、その鼻の頭に、桜色の唇が触れた。

「どうか、伏丸様の、好きなように……ッ大丈夫、私は土の心が勝る女……きっと、ついていけます」

いいえ、ついていきますから。

痛みの中で笑う女が、強かに輝く。
一丁前な事を言って、息が弾んでいるくせに。尽くすような素振りを見せるな。
などと、思っても……今更、遅いような気がした。

呪われた一族。
明日生きられるかも分からない定め。

だからなのだろうか、生きるという事に貪欲で、それが酷く目映い。
その目映さに捕らわれたのは、果たしてどちらか。
健気な眼差しと声に、胎内に埋めたそれが、ググッと弓なりに反って悶えたのが、情緒もなく表しているようだ。

「……なら、しっかり掴まっているんだな」

ぎらり、と輝いた狼の瞳に、は恐れずに微かな笑みを返す。
本当に、食べられるような気配がした。でもそれも、良いかもしれない。今だけは、何も考えずに、この神……いや、父となってくれるこの男に身を委ねて、食い破られても。
鈍痛の中に、微かな甘い疼きが生まれる。キュ、と食いちぎらんばかりの締め付けが、柔らかく解け、蠢く。
伏丸の牙の覗く口から、グウッと低い唸り声が聞こえる。やや乱暴に、抱き抱えたを布団に押しつけると、彼女のうねる腰を掴む。

だが、実際、耐えかねていたのも事実で。

単調に動き出した伏丸の腰が、叩きつけられるようになるのは直ぐの事である。
埋めた怒張が、ギリギリまで引き抜かれ、最奥まで突き上げられる。
すすり泣くようにその衝撃と熱さに、甘く鳴いて吐息を吐き出す。熱で冒される世界に、聞こえるのは言葉ではなく身体を求め合う淫猥な音と、荒い呼吸が二つ分。
獣の息遣いを頭上に聞いて、堪えるようにしかめた表情を見上げ、揺らされるはやはり鈍痛に息を飲んだけれど。
そうされながら求められる行為と、見上げた先の狼の猛々しさを、焼き付けるように視界へ納める。

「ッふァ……ッんう、あ、あ……ッ!」

身を捩って伏丸に穿たれる身体が、波打つ。豊かな乳房が、時折伏丸の舌で舐められ、大きな手のひらで撫ぜられる。

「ぐ、う……ッ」

ずちゅ、ずちゅ、と無心に揺らす彼から、せり上がる声が次第に張りつめていく。
ふと、両足を開かされ、きつく捕らえられると。
動きが加速し、の胎内の奥で浅く、けれど強く小突かれていく。
ぐ、と膨れていく伏丸の自身に、は目の前の彼にしがみつく。そうすると、ギュウッと締め付けが増し、伏丸の動きが煽り立てられる。

そうして、直ぐにそれは訪れる。
最奥を数度突いたと思うと、限界まで膨れたそれが熱を奔流のように放つ。
胎内で破裂し満ちていく熱い精を受け、は甘く叫んだ。
ビク、と幾度も腰を震わせて精を注ぐ伏丸は、先端を天辺にすり付けて全てこぼさぬようにとするものだから。
後になって思い出せば、きっと獣の交尾と同じであったかもしれない。
が、はそれでも喜んで受け止め、伏丸に身を差し出した。
頭上で、獣の咆哮と同じそれを聞き、広い胸に閉じこめられて身動きを奪われても。

次第に、ゆっくりと弛緩する四肢が、乱れた布団の上に横たわる。
一族の人間と、神が、魂を重ね合わせる事で子をもうける交神の儀が、此処に成立したが。
甘やかさと情交の後の匂いを孕む余韻に漂い、しばしの間身体を繋げたままは離れなかった。それを放り出すほど、伏丸は残酷ではない……時間の流れが違うといえど、今この時を共有するのも悪くないと思い、静かに抱きかかえ横になった。

同じ神がもしも見聞きすれば、きっと驚くであろう。
狼と人の神性を持つ獣神の十六夜伏丸が、人間を慈しみ、献身的に愛したのは、止まった刻で恐らくこの瞬間のみだろうから。



――――― 社の境内に、軽やかな音色が響く。
的に向かい矢を放つの姿が、其処にあった。タン、タン、と外さず真ん中を射抜く姿は、身体を重ね合わせた淫猥さはすでに無く。けれど、何処か満ち足りた凛とする横顔は、当初とは明らかに違う。

「きっと、伏丸様に似て、素敵な男の子だと思います」

そう不意に告げたは、一度弓を下ろし構えを解いた。
直ぐそばに腰掛けて見つめていた伏丸は、「急に何だ」と返す。は、ふふっと楽しそうに微笑んで、「生まれてくる子です」と言った。

「ああ、でも、女の子も良いですね。伏丸様と同じ、男勝りな子も良いです」
「俺に似ては、ろくな事はない」

言葉短くはあったが、立派な狼の尻尾はパタリパタリと横に揺れているので実に分かりやすい。口にはしないけれど、はその分笑みを深めた。
だが、こういう会話を交わす事が出来るのも、残り少ない事を静かに知っている。

「……出来るものなら、子どもが育つ二ヶ月も、この場所に居たい」

やや寂しそうに漏らしたけれど、彼女はそれに勝る輝きをもって伏丸を見つめた。

「でも、その間に……私は、母となる準備をしようと思います。
二ヶ月なんてあっという間、そして直ぐに鬼と戦う事になる……だから、私の思う事を、出来るだけ伝えられるように」

それは使命だけでなく、の一個人の願いであった。
もともと穏やかな面もちが、今は既に母となろうとしより一層美しさが増している。

神の中には、自ら人間を愛した者や、知恵や力の使い方を教えた者も存在する。そのどちらも、後に裏切られて今も下界に捕らわれ鬼となっているが、人間への不干渉の掟を破ってまで起こしたのは……もしかしたら、こういった生きるものの強かさを見出したからやもしれない。
どれも、もう神には持ち合わせないからこそ、きっと。

伏丸も、当初の気まぐれな興味が、今は真に向き合うだけの親しみへ変わっている。
この一族に関わった神が皆、変化していたように、伏丸もその一柱となっているようだ。

悪い気など、しない。むしろ、満ちている。

「……伏丸様」

そっと、が歩み寄る。岩場に腰掛けた伏丸の前に、細い彼女が佇む。

「男の子でも、女の子でも、生まれてくる子には……貴方の名を頂いても、良いでしょうか」
「俺の名、か」
「はい。元気で健やかな子で、伏丸様の名を頂いて、それだけで私は幸せです」

それに、とはたおやかに微笑んだ。

「――――― 貴方の事を、ずうっと思い出せますから」

そう告げたの表情が、微かに涙をこぼしそうになったのを見て。
伏丸は「好きなようにすればいい」と呟き、ゆるりと抱きすくめた。そして。

「……お前の子は、俺が責任をもって見届よう―――――

キュ、と首に腕を回して最後に甘えた後、は伏丸の神域を去った。



「――――― お勤め、ご苦労様でした」

久しぶりに見たイツ花は、いつもの賑やかさが嘘みたいに静かに出迎えた。ずいぶん、長く彼女を見ていなかったような気がしたは、「うん」と頷いた。
天界から屋敷に戻り、当主へ報告する前に、イツ花はふとに尋ねる。

「迷いは、晴れましたでしょうか」

は、しばし考え、ふっと笑った。

「まだ、一族の女としての覚悟は浅いかもしれないけれど。少しね、欲が出たの」
「欲、ですか」
「うん、あのね、交神の儀が終わればお役目御免なんて思っていたりもしていたのだけれど……」

キュ、と自らの両手を握り合わせ、イツ花へ笑った。

「もう少しね、生きる事に貪欲になろうと、思っちゃった」

冗談っぽく彼女は告げたけれど、その表情が既に母のそれと同じもので。
かの神と過ごした時間が、をここまで美しくしたと、イツ花は自分の事のように嬉しく思えた。

「はい、それで良いと思いますよ様! 自分の為に、自分の幸せの為に、生きてみたって罰なんか当たりませんから」
「そうかな」
「そうですとも!」

底抜けの元気な笑顔に、もつられて笑みを深めた。



――――― そして、交神の儀を終えた後。
は、普段の弓矢の鍛錬や、鬼の討伐などに力を入れる傍ら、屋敷の家事だとか勉学だとかに励むようになった。
急に元気になったと一族の者たちや当主は驚いて、無理をしているのではないかとも不安になったが。
「今の私は空っぽでなくなったので、今まで曖昧だった分明確に働いてみる事にしました」と本人は笑って、自らの意志だと主張していた。
その真意は一族の者たちには今一つ分からなかったけれど、ただ一つ理解したのは、先の交神の儀でかの神と何かあったのだろう、という事だ。
口出しするほど野暮ではないが、あの狼の姿の獣神と一体何を交わしていたのかは、しばし囁かれていた。

そして、二ヶ月の後、イツ花が天界より、かの神……十六夜伏丸のもとから子を連れて舞い戻った。
なんと奇跡か、男女の双子であった。まだまだ常人の年齢でいう八歳前後の幼さであったものの、どちらも土の性質を強く持ち、一方の少年はニコニコと笑う無邪気な子、一方の少女は緊張しているのか少し強ばっているが落ち着いた様が窺える。

母であるも、この二ヶ月の間でまた年齢を重ねよりたおやかに美しさを増していたが。
「私はやっぱり、あの方から多くを貰いました」と涙を浮かべて嬉しそうに微笑んだ。
彼女が自分たちの母であると本能的に悟った双子は、まだ舌っ足らずな声で「かかさまーッ」と飛びついた。
二人を腕にギュウッと抱いたは、やはり嬉しそうにしていたという。

その後、双子の訓練に励むは、母としても一族の模範としても、立派な人物であると語られるようになる。



屋敷の広い畳の間に、緑から赤へ色づき始めた秋の風が涼やかに舞い込む。
其処では、術や戦いの基礎を教わる、双子の兄弟が机を前にし座っていた。その正面で、がゆったりと本を開いて文字を追いながら語る。
先に約束していた通りに、この兄弟は十六夜伏丸の名を付けられた。
剣士となった少年には、伏丸。と同じ弓使いになった少女には、十六夜と付けられた。

既に一ヶ月過ぎ、もう一ヶ月もすれば討伐隊に加わるようになる。拙い言葉も幾らか成長し、流暢に話すようになり、成長の速さに自分もこうだったのだろうかとは不思議な気分になっていた。
休憩の時間となって、お茶を用意する隣で、伏丸がに声をかける。もちろん我が子の少年であるが。

「あのな、母様」
「なあに?」
「母様みたいに、俺たちも後少ししたら戦うようになるんだよな?」

コトン、と湯飲みを置いて、は「そうね」と頷いた。

「母様は、どう思って、戦ってる?」
「……私も、気になる」

溌剌とした伏丸に対し、十六夜は誰に似たのかとても物静かな子であった。だが時折見せる笑顔は子犬のようだと皆に可愛がられている。

「どう思って戦う、か。難しいわねえ」
「難しい?」
「私が戦いながら思っている事が、貴方たちにしっくり来るかどうか分からないじゃない?」
「でも母様の話が聞きたい」

そう言って、双子は身を乗り出してくる。は小さく笑うと、湯飲みに口をつけながら語った。

「私はずっとね、貴方たちが来るほんの少し前まで、何で戦ってるのかって思ってたわ」

ええ!? と明らかに目を真ん丸にする。
は懐かしそうに思い出し、続ける。

「私のお母様は、とっても武芸達者で、女傑みたいに勇ましい人だったの。よくね、望む未来を願えって、幸せを願えって言われたの。
でも、あんまり分からなくてね……ただ単純に、弓を握ってたかしら。そう、意味なんかなくね」

じいっと見上げる双子の眼差しが、やや不安げに揺れる。
けれどはありのまま告げた。それが以前の、の真実であるからだ。

「でも、あの人……貴方たちのお父様に出会ってからね、少し分かったの」

おいでおいで、とが手招きすると、双子はトコトコと歩み寄って隣に座る。それをギュッと抱くと、クスクスと微笑んで告げた。

「ちゃんと願ってこその幸せかなって。だから今はとっても幸せ。この一族に生まれて、一族の為に自分の願いで働けて、貴方たちを授かって。すごく、満足だもの」

くすぐったそうにしていた双子も、次第に落ち着いてされるがままである。

「……あのね、母様」

十六夜が不意に呟くと、いそいそ首に下げていたお守り袋を取り出す。生まれてから大切に持っている、神から授けられる《七光の御玉》だ。
透き通った琥珀色の小さな玉が入ってる守り袋を掲げて、十六夜は小さく微笑んだ。

「父様も、同じ事を言っていたんだよ」
「え?」

ととさま……それが指す人物なんて、双子の名が既に示している。

「『お前たちの母は、自分がどうあるべきかなど考える女であった。そんな難しい事は、生きる内に探せば良い、それがどうであれ本人が幸せであれば良い』って」
「『だがそんな母も、嫌いでは無かった』って。父様、いっつも母様の話していたんだよ!」

ニーッと笑う伏丸と、嬉しそうに笑う十六夜に挟まれ。
は、顔をやや赤くした。


――――― 伏丸様……。


思い浮かべた狼は、無愛想に顔を背けていたけれど。
立派な尻尾は、パタパタと揺れていた。

その日の晩、偶然か否か、見事な十六夜の月が昇った。



という、十六夜伏丸の話でした。
獣人大好き、獣人大好きハァハァ! ( 落ち着け )

話の時間系列は、少し初期っぽいですね。

ちなみにこれも、実話です。十六夜伏丸のもとに嫁がせた娘は弓使いで、そしたら特に計算もしていないのに偶然にも双子の男女が!
一気に子沢山(笑)
で、その男の子の方には伏丸とつけ、女の子には十六夜とつけました。この話と同じ職にもつけて。

何だかロマンを感じたので、そのまま話にしてみた。

ちなみにこの男の子、ゲームでは後に一族当主となって、紅蓮の祠で赤猫お夏と一ツ髪を打ち破ります。
はい、実際は中盤過ぎでした! あ、伏丸はそれまで何度も交神させて神位が上がっておりましたもので。
とても優秀な剣士で、女の子の方も恐ろしいまでの活躍を見せてくれたという……。

俺屍は、本当にロマンだと思います。
書いてて楽しかった!

( お題借用:悪魔とワルツを 様 )

2012.08.25