06 ぐるりと繋がる、出会いの縁(2)

「――ほ、本当に、すみませんでした!!」

 は背中を直角に曲げ、勢いよく頭を下げた。あまりに申し訳なさすぎて、涙を落としそうになるほどに瞳は潤む。
 そんなとは正反対に、喫茶店を営む夫妻とそこの看板娘は可笑しそうに笑うばかりだ。また、先の不審人物である外套男――もとい、二十代半ばほどの男性も、キンキンに冷えている氷嚢(ひょうのう)を頭に乗せながら笑みを浮かべていた。

 臨時休業の札を掛けた喫茶店内には、カウンター席の一つに座るこの男性を除き、他の客の姿はない。その理由は、まあ、先ほどが大声を上げてしまった事と男性を昏倒させてしまったせいなので、もはや何を謝るべきやらだ。下げっぱなしのの頭はまったく上がらない。

「いやいや、良いって良いって。びっくりさせちゃったのは俺なんだから、気にしないでよ」

 年上であるけれど、堅苦しくない朗らかな仕草。不審者丸出しなあの外套の下には、近所のお兄さんといった印象を与えてくる優男風の男性がいた。だが恐ろしい事に、その男性は街に来てからというもの見覚えのある、荘厳な蒼い制服を着込んでいた。
 すなわち、アルシェンド騎士団の、制服。
 は顔面を蒼白させ、人形のように頭を上下させて謝り倒した。どう考えても丸太の輪切りをぶん投げて良い相手ではない。

「大丈夫だって、これでも騎士なんて荒職に就いてるから身体は頑丈だし。それにどう考えても非があるのは、こんな恰好して裏口から来る方なんだから」

 笑うルシェは、男性が身に着けていた外套を両腕で掲げて、ぽいっと近くの椅子へ置いた。その通りだとばかりに、男性はうんうんと頷いている。
 身体が頑丈という点では、も同意する。思わず高速投球してしまった丸太の輪切りをもろに受け、後ろに吹っ飛んだわりに、男性は頭にこぶ一つ作っただったのだから。


 結論を言ってしまえば、ルシェがへ言った会わせたい人というのは、この外套男だった。
 アルシェンド騎士団、国境支部所属の騎士。高潔な竜人の背に乗る、数少ない一握りに含まれる部隊長――アシル。
 明るい茶色の髪と瞳を持つその人は、なんとこの喫茶店で生まれ育った息子であった。つまりは、友人ルシェの紛れもなく血の繋がった実兄である。

 どうりで顔立ちから雰囲気、言葉づかいまで似ているわけだ。遠慮はないけれど鼻につかず、朗らかな陽射しのような笑顔が眩しい。二人が並ぶと、お日様が二つ現れたように感じる。

「で、でも、ごめんね、ルシェのお兄様に酷い事……」
「良いってばぁ、気にしなくて。第一……」

 ルシェは長い溜め息をつくと、実の兄――アシルをじとりと見た。

「兄さん、こっちに来るのは夕方のはずでしょ? 約束の時間じゃないわ」
「それが急に仕事が入ってきたもんだから、とりあえずパッと見てパッと戻ろうかと」
「だからって普通こんなの着る?」

 こんなの、と指すのは、外套だ。だが本人は「他の連中に見つかると面倒だろう」と胸を張っている。方々から溜め息が聞こえた。

「えっと、とにかく本当に、すみませんでした」

 は最後にそう謝罪した後、背中を起こす。アシルはにこりと笑うと、首を振った。

「この程度で怒る奴なんか居ないって。それに、そんな恐縮しなくて良い。騎士なんて、世間で言われるほどそう特別なものではないしな」

 アシルはそう告げると、さて、と一言置き氷嚢を外し立ち上がった。椅子に腰かけていても目を惹く長い足が伸び、しなやかな長身がの前に佇む。
 やっぱりが小柄なせいで、普通にしていると目線の高さはアシルの胸の下だった。もうちょっと身長が欲しい。

「改めまして、いつも身内がご迷惑をお掛けしております。この喫茶店の息子であり愚妹の兄である、アシルと言います。どうぞ、お見知り置きを」

 惚れ惚れするほどの綺麗な礼を取る姿は、騎士である事実を明瞭に体現しているようだった。
 蒼い騎士を目の前に見て、は恐縮しがちだったけれど、先ほどよりも自然に振る舞えたのは彼の親しみの持てる雰囲気のお陰だろう。きちんと自己紹介を返すに向けられた笑みは、ルシェと同じものだった。

「でも、ルシェにお兄様が居たなんて知らなかった。それも騎士様なんて」
「兄さんの事なんて、聞かれないと言わないしね。別に隠してたわけじゃないよ」

 確かに己の身内についての話題は率先して語るような事ではない。
 「この街に元から暮らしている人達なら結構知っているんだけど、ちゃんにはまだ話して無かったわね」夫妻はカウンターの向こうで微笑んでいる。

「でも、ルシェのお兄様だったとはいえ、パーティーの事で会いたがってる人がいるなんて、今朝言われた時はびっくりしちゃった」
「アシルで良いよ、ちゃん。突然悪かったね」
「い、いいえ! あの、でもどうして……」

 上目使いをしているわけではないが、身長差が顕著だとどうしてもそんな窺い方になってしまう。エプロンスカートの前で、きゅっと両手を握りしめる。

「あー、ほら、前にここでパーティーあっただろ? あれ、うちの支部の連中でさ」
「あっ! もしかして、おじ様とおば様が見つけてきた催しって……」
「そうそう、うちの父さんと母さんが探してた時、ちょうどこっちでも切ない叫びが上がってたものだから、俺が仲介になってさ」

 内緒な? と片目を閉じるアシルへ、は神妙に頷く。
 なるほど、あのガーデンパーティー開催の経緯がようやく理解出来た。
 騎士の集まり事なんて一体どういう伝手があったのか疑問だったが、なるほど、身内がそこに居れば可能な事だ。
 パーティーの件はお客様の事なので、もちろん口外する事はしない。こくこくと頷いたに、アシルはまなじりを和らげた。こうして見ると笑顔が朗らかな男性なのに、部隊長とは。市井の出身だから、妙に親しみも感じられるのだろうか。
 あの時出会った竜人の騎士様は、正に騎士といった感じの気品があったけれど。
 あんまり思い込みと決めつけは良くないなあと、はぼんやりと思い浮かべていた。

「で、その連中が楽しかったって何度も話してくれたもんだからさ、仲介した側としては気になるだろう? それに実家で頑張って働いてくれる子がいるなら、一言礼くらいは言いたかったんだ」
「そうなんですか。あ、あの、こちらこそ、いつもルシェと、おじ様とおば様にはお世話になってます」

 改めて礼を告げ、ぺこりと頭を下げる。その隣では、ルシェが嬉しそうに笑っていた。


 アシルは関心し、しげしげと少女を見下ろした。先の言葉はもちろん嘘偽りなく生家を大切に想うアシルの本心であるが、半分ほどは、鋼の竜人を一瞬とはいえ崩壊させた少女への好奇心であるのも事実だった。
 パーティーに参加した者たちが言う事には、凄くちっちゃい、凄く可愛い、凄く妹みたい、などなど様々であったが。
 「つまり、俺の盟友は幼女趣味だったのか……?」とアシルの脳内想像を大暴れさせる程度には、訳が分からなかった。だから殊更に、実際に一目見たいとアシルに思わせたのだが。

(こりゃあ、ルシェが渋った理由も分かるな)

 一言で言えば、ごく普通の少女だった。特に珍しくはない色素の薄い細やかな髪を、若草色のリボンで緩く結び、背中に流している。少し癖があるようで、毛先辺りに柔らかな波が刻まれていた。働きやすい襟刳りの開いた衣服とエプロンスカートに身を包んで、少女らしい華奢な身体が動く。ごくごく普通の、市井にある少女の姿だ。
 けれどさらに付け加えれば、よく出来た娘さんでもあった。
 ちょこちょことした小動物感でマメに動いて、礼も気遣いも出来て、ほのぼのとした仕草は純朴な柔らかさ(隣にいるのがこの妹だから余計にそう感じる)。少なくともこの数十分間で、アシルの少女への好意的な第一印象はぐんぐん上っている。
 要約すると、普通にめちゃくちゃ良い子だ。
 少々控えめな気質らしいのは、その物静かな声音や佇まいからも察するが、耳にすっと入る清楚な響きはがさつなルシェとも国境支部の男たちとも大違いである(と言うと、妹の凶悪な肘打ちは確定なので口にはしない)。

 それに。

 緩やかな波を刻む髪に添えられる若草色のリボンと同じ、瑞々しい緑色の瞳は優しげな形をし。緊張の為か染まる色が真白な肌を引き立てており。ルシェよりも幾らか小さな背丈と華奢な身体つきからは、成熟途中にある危うげな魅力も放っている。特に、衣服を押し上げはっきりと主張する胸部など。

 同僚達が、物凄く可愛いだの、物凄く小動物っぽいだの、盛りに盛って力説してきた理由が分かった。人の美醜を比べるつもりはないが、アシルの目の前にちょこんと立つ少女は、ごく普通に可愛い生き物である。ふっと微笑む仕草は、小さな花が綻ぶよう。
 同僚達の中には、仕事一筋になるあまり可愛い恋人を夢見る者もいる。こんな生物がふんわりと現れてちょこちょこ働いていたら、そりゃあもう補正も掛かろう。

 ともかく、普通に可愛らしい、働き者な真面目そうな少女であった。

(……しかし、テオよ。この子、お前よりもだいぶちっちゃいぞ)

 鋼の竜人テオルグは、同性から見てもだいぶ背丈がある。たぶん、いや確実に、この少女の頭の天辺は噂の竜人の胸にも届かないだろう。まして、騎士として訓練された男とふんわりほのぼのな少女だ。あまりにも鮮明に身長差と体格差が甚だしい光景が浮かび上がってきて、アシルは笑いを堪えるのに必死だった。

 盟友よ、そりゃあさぞやパーティーでも目立った事だろう。これはもう誰のせいでもなく仕方ない。(※無理矢理ぶち込んだのはこの男である)

「アシルさん?」
「……ん? ああ! 気にしないでくれ」

 一人勝手にうんうんと頷くアシルを見上げながら、は小首を捻る。ルシェの明るい茶色の瞳も、胡乱げに実兄を見ている。

「まあ、ともかく、だ。ちゃん、うちで働いてくれてありがとうな」
「い、いいえ! 私の方こそ、田舎から出てきたばかりで、凄く良くして貰って……いつも、感謝です」

 はにかむの背後から、ルシェが抱きついてぐりぐりと頭を押しつける。その向こうでは、両親がまさに実の娘を見つめるように微笑んでいた。
 その光景だけで、アシルも理解出来るというものだ。なるほど良い子なのだろうな、と。

「へえ、ちゃん、田舎から出てきたのか」
「はい、半年くらい前に」
「国の中心とかなら、もっと華やかだろうに。どうしてこの街に?」

 言ってはなんだが、それなりに繁盛してはいるが中心地と比べればだいぶ地味だ。郊外の国境支部の周囲など、大自然そのもの。
 アシルの何気ない問いかけに、は肩を揺らした。ふっと伏せられた睫毛が、薄く瞳に影を生み出す。

「……その、村から一番近かった場所がこの街で、理由は特に無かったんです。村を離れられたら、何処でも」

 努めて平常を装って答えたつもりだったが、声は強ばってしまったらしい。目の前に佇んだアシルの表情が、微かに動いた。

「……そういえば、さっきちゃん、小麦粉袋を二つも抱えてたよな。その後は、中々豪快な投球を見せてくれたし。そんなに細い腕なのに、凄いな」

 ぎくり、との全身が跳ねる。を背後から抱きしめるルシェはその振動を感じ取り、アシルをキッと睨む。

「兄さん!」
「あッい、良いの、ルシェ、私は――」
はちょっと木こり以上に怪力なだけよ! ゴリラなんて言わないで!」


 まだ言ってないよルシェーーーー!!


 の強ばった顔に、声のない絶叫が浮かび上がった。
 その正面では、「ゴリラ?」と不思議そうに言葉を反芻し、瞬きを何度も繰り返すアシルが立ち尽くしていた。




 ――――かくして。
 墓まで持ってゆこうと決めた【ゴリラ級の怪力】というの秘密は、またしてもあっさりと大暴露を迎える事になった。記念すべき三度目である。
 一度目は、友人ルシェ。
 二度目は、その直後にルシェの両親。
 そして三度目は、今日のルシェの実兄。
 この一家の間にある縁はきっとこういう縁なのだと、は身に染みて感じ入る。怒ったり焦ったりしたのがほんの一瞬であったのは、当のよりもルシェの方が大変な事になっていたからだろう。己が言ってしまった言葉にハッとなって、今も泣きそうな顔で「ごめんね、ごめんね」とに謝っている。たぶん、ついカッとなったのだ。相手が実兄だから緩んだのかもしれない。大慌てなルシェを見ていたら、逆にの方が落ち着いてきたので、今はほのぼのと彼女を宥めている。

 当初はさすがに冗談だろうとアシルも笑っていたが、今はただただ不思議そうにを見下ろしている。頭の天辺から足の爪先まで、華奢で重量物など持てない外見をしているのに、これで本当に怪力少女であったのだから驚きだった。大の男でも力む小麦粉袋を、二つどころか三つも重ねて優しく持ち上げられた時、アシルは己の常識が覆ったのをはっきりと自覚した。
 そういえば先ほど、重量物であるはずの丸太の輪切りを高速ストレートで繰り出されたのは、アシルである。
 世の中とは、かくも奇想天外なり。

「こんなに細くてちっちゃいのになあ……」

 しみじみと。本当にしみじみと、アシルは呟いた。

 どうせバレたのだからと、は昔からこうであった事を彼に明かす事にした。アシルは不思議そうにはしていたものの、相槌を入れながら親身に話を聞いてくれた。散々いじられてきた過ぎた怪力を、からかったり笑ったりなど少しもしない。その姿は、騎士というよりは兄であった。きっと兄がいたらこんな感じだろう。
 彼は全て聞いた後、「大変だったな」とまなじりを緩める。無意識の内に身構え縮こまっていたは、温かな安堵に包まれた。

「兄さん、絶対に余所で言いふらさないでよ。肝心なところで能天気なんだから」
「さすがの俺でも言って回らないっての。大体、それをお前が言ったら説得力ないだろ」
「う! そ、それは、その」

 アシルとルシェのやり取りに、はくすくすと笑みをこぼす。仲の良い兄妹なんですねと告げると、二人は否定する。息ぴったりな同じ仕草に、笑みが深まる。

「まあ、ともかく。立場上、色んな奴と話す機会がある俺だ、そう身構えなくて良い。それに」

 ニカッと、アシルは笑った。

「働き者な上に力持ちなんて、文武両道ってやつじゃないか! 凄い事だ!」

 えっへんと胸を張って高らかに宣言したアシルに――喫茶店内の空気が、ふわっと緩んだ。
 思っていたよりもずっと生温かい反応が返ってきて、アシルは首を傾げる。

「……あれ? 変な事言ったか、俺」
「兄さん兄さん、それ、私がもう言ってるから」
「なん、だと……?」

 丸みを帯びた細い肩を揺らして、はたまらず噴き出す。この言葉を聞くのも、何度目だろうか。やっぱり血の繋がった一家なのだと思わずにいられない。
 そして同時に、は安堵していた。こういう風に身構えてしまうのは、どうしても長年からかわれてきた記憶が消えず、委縮する癖になってしまっているせいだろう。
 笑って受け入れてくれる人が居る事にとても驚いたように、の視野はきっと、自覚している以上に狭い。村で暮らしていた時も、家族以外に居たら……自信も持てたのだろうか。今はまだ分からない事だ。この過ぎた怪力を、笑って明かせるようになる日なんて、もっと想像も出来ないでいるのだから。



「――とりあえず、ちゃんの秘密の特技は置いといて」

 アシルは話題を変えると、改めてを見下ろした。

「うちの同僚たちがやたら盛りに盛った理由も分かった。……これはあいつが顔を崩壊させたのも納得がいく」
「えっ?」

 は首を傾げる。アシルは途端、おっと、と口を閉じる。

「何でもないよ。ああ、そうだ、ところでさちゃんさ、こないだのパーティーの……」
「ねえ、兄さん」

 言い掛けの言葉を遮って、ルシェがおもむろに尋ねた。

「……そういえばパッと見てパッと帰るって言ってたけど。時間、大丈夫なの?」

 あ。
 アシルの口が、今思い出したとばかりに大きく開く。

 ――その時だった。

 突然鳴り響いた風の音が、喫茶店の窓や壁を叩いた。
 ゴウ、と聞こえる音に無防備な意識が揺られ、の身体は跳ね上がった。今のは、一体。

「……やべ、迎えだわ」

 ぽつりと呟かれたアシルの声には、冷や汗が滲んでいた。



墓まで持ってく秘密は、こうしてあっさりと広まります。


2015.02.01