07 ぐるりと繋がる、出会いの縁(3)

 喫茶店の外に向かうアシルの後を、とルシェは自然と追いかけていた。
 街外れにある庭付きの店は、普段は静けさの中にあるのだが、今は強い風が吹き付けている。青い空は清々しく晴れ渡っているのに、どういうわけか店の周囲ばかりが襲われているようだった。
 は激しく揺れる髪とエプロンスカートを押さえながら、僅かな不安に駆られる。

「そんなに時間が経っていたかな。うちの副隊長はマメだなー」

 風が吹き下ろす空を、アシルは仰ぎ見ている。その背後から、も目を細め顔を上げた。

 バサリ、バサリ――重厚な羽音と共に降りてくる巨影が、陽の光を背に受け止め、小さなをもその影で覆った。それが何なのか理解出来た瞬間、は初めて街に来た時と同じ心臓の高鳴りを覚えた。

 風を押し上げ空を駆る、膜の張った大きな翼。宙に浮く屈強な体躯と4本の足を覆う、美しい薄氷色の白鱗。長い首の先に、四本の角を持つ誇り高い面持ち。
 竜だ。薄氷色を帯びた白鱗の、とても大きな竜。
 は吹きつけられる風の中、緑色の瞳を真ん丸に見開かせた。隣のルシェもそうであるが、よりも落ち着いているのは彼女が古くからこの街に暮らし、竜の姿を見てきたからだろう。

「あら、随分と立派な竜……」

 ルシェは呟くが、は見惚れてしまって何にも言えないでいる。自らよりも何十倍も大きな竜、一抹の恐怖も感じるところだけれど、大部分にあるのは間近で初めて見る竜の勇姿へのときめきだ。《碧空と竜翼の国》なんて、よく喩えたものだと思う。
 降りてきた白竜は、逞しい四肢で地面をずっしりと踏みしめた。大きな翼を折り畳み、アシルの前で胸を張る。体長十メルタ(=メートル)はくだらない、もしかしたら二十メルタ近くあるかもしれない。それほどまでに大きく立派な竜であったが、ここが街外れの一角だったので障害物が少なかった事が幸いし、竜は容易に降り立つ事が出来た。

 とルシェが背後で見つめる中、アシルと現れた白竜は顔を見合わせ言葉を交わす。

「悪い! そんなに時間掛かっていたか」
「戻って来る気配が無いからな……全く、お前のほんの少しというのは当てにならん」

 現れた白竜は、アシルの騎竜――つまり竜に転変した、第一部隊副隊長、竜人テオルグ。またの名を、国境支部の鋼の竜人である。
 竜人たちが持つもう一つの竜の姿は、個人によって様々で同じところが一つも無いという。テオルグのこの姿は、騎士団の中でも指折りの美しさを誇るらしい(本人は男なのでそう言われると不機嫌になるが)。
 そんな勇猛な竜のかんばせは、呆れたようにアシルを見下ろしている。

「いやあ本当にちょこっとした用事だったんだが、つい……」

 アシルはそこまで言うと、はたと口を閉じる。
 ちょっと待てよ。これは何か、良いタイミングじゃないか?
 アシルは、ちらりと肩越しに振り返る。妹ルシェの隣で、国境支部で話題沸騰中であるかの【凄くちっちゃい女の子】が、呆然と立ち尽くしている。その優しい形をした緑色の瞳は、アシルを通り越し、その先の白竜をぽかんと見上げている。ルシェは何故か胡散臭そうな顔でアシルを見ているが、そこは気にしないようにし、アシルはニッと口角をつり上げた。

「ちょっとした用事だったのは間違いないんだ。そうだ、ついでだしお前にも紹介しとくよ」

 は? とテオルグは眼をつり上げる。ついでって、お前これから仕事が。言いかけたものの、アシルは嬉々として背を向けてしまったので、重く溜め息をつく。
 そしてアシルは、にこやかな笑顔を浮かべたまま、背後に立つ少女二人を手招きした。

「ルシェ、ちゃんも。一応紹介しておくよ、これも何かの縁だし」

 おいでおいで、と騎士らしかぬ気軽さで呼ぶアシルの側へ、恐縮しながらそろりと足を進めるとは対照的に、ルシェは何かを察したように肩を竦める。伊達に長年、兄妹をしているわけではないので、実兄の思惑は読み取れるというものだ。

 昨日の夜に兄が言った、竜人の副隊長というのがこの白竜であるのならば、件のパーティーの時の騎士も。

 が頷いたらって言ったのに。いっつも肝心なところで能天気なんだから。ルシェは内心で思う。どうせこれはただの挨拶だと、カウントしないつもりだろう。

 そんな兄妹の思惑など露知らず、渦中にあるテオルグとはこの時再び引き合わせられる事となった。もっとも、気付いたのはテオルグのみで、は目の前の竜とあの騎士が結びつかずに完全初対面の境地であったが。
 己の騎者であり友人であるアシルの隣に、覚えのある少女が立った時、テオルグはこの一角が先日の|苦行《パーティー》が催された場所であると、ようやく思い至った。それと同時に、徹夜明けの身に染みた何て事のない気遣いにじんわりした記憶も鮮明に浮上する。
 がちん、と動きを止めた白竜の視線は、既にアシルではなく少女に注がれていた。

「副隊長、俺の身内を紹介する。こっちが妹のルシェ、それでこっちがうちの実家で働いてくれてる従業員の子のちゃん」

 ほら、とアシルに軽く肩を揺すられ、はぽかんとしていた佇まいを慌てて正した。

「は、初めまして、と言います。いつも、えっと、アシルさんのご実家とご家族には、お世話になっています」

 後になって思えば、きっと「これはちょっと違う」と呟いたところであるが、今のにはそれで精一杯である。まさか本日二度目の騎士との邂逅を果たすなんて、思ってもいなかったのた。それも、副隊長という、何だかとても重要そうな立場の騎士に。田舎から出てきたばかりのにとって、騎士とはやはりキラキラした存在だった。その後、ルシェも「兄がお世話になっています」とごく普通な挨拶をし、軽くスカートを摘まみ礼をする。

「で、こっちは俺の騎竜であり、副隊長であり、友達でもある竜人の……ん? 副隊長?」

 アシルは首を傾げて様子を窺った。高潔の白竜は、置物のように硬直し動かないでいる。けれどその炯眼は、一点を強く見つめている。辿っていった先にいるのは、カチコチに緊張しているだ。
 アシルは、吹き出しそうになるのを抑えた。
 嘘だろう、お前、まじで本当に。驚き半分、嬉しさ半分、爆笑してやりたい失礼な感情小さじ一杯ほど。アシルは普段と顕著に様子が異なる友人に、驚愕した。
 アシルはしばし彼らを交互に見て、それから一つ頷く。

「じゃあ、俺はちょっとマントを取ってくるから、少し待っていてくれ!」

 言いながら、アシルは妹ルシェの肩を掴んでぐいぐいと喫茶店に戻る。「ちょっと、何で私まで」文句を上げるルシェだったが、実兄に引きずられるままに扉の中へと消えるしかなかった。

 かくして取り残されたのは、動きを止める白竜テオルグと、カチコチに緊張するである。
 互いが互いで言葉を出せないでいるせいで、奇妙な沈黙が流れ、見つめ合いは数十秒と続くばかりである。

 そしてテオルグの内心はというと――――情けなくも、青二才のように打ち震えていた。
 徹夜明け、それも隊服を着たままぶち込まれた苦行の園(交流パーティー)で、精神をガリガリ削られ呪い言を呟く竜人。さぞ殺伐とした顔つきをしていただろうに、ちょこちょこ動きながら身に染みる普通の優しさと気遣いをしてくれた、小動物。
 それが、目の前に立っている。
 常に強く、誇り高くあれ、背に乗せるは認めた者のみ。本能に刻まれ、それを尊ぶ高潔な種族性で、ここ数日頭を掻き毟りながらも抑え込んでいたわけだが。

……、か)

 名前一つで、御覧の通りである。これは誰に笑われても仕方ない。
 小さく華奢な少女は、体高のある竜の姿で見ると余計にチビだった。こんなに小動物であると、動いたら誤って怪我をさせてしまう未来が見えて、さらにテオルグは硬直する。

 そんな彼――白竜を、でじっと見上げていた。
 こんなに間近で、自国の象徴ともいえる竜を見るなんて、初めてだ。ただでさえチビなからすれば、体長十メルタ超えの竜など、最早巨人レベルである。前足に踏まれたらぺっしゃんこになる自信が……ああ、いや、過ぎた怪力なら片手でガードするくらいは余裕な気がする。自分で心の傷を広げてしまったが、それはさておき。
 チビで薄ぺらい身体つきに不釣り合いな、大きく成長してしまった胸の奥が、ドキドキと高鳴る。間近で見る屈強な存在への不安もあるが、その絵画のような美しさに見惚れるしかなかった。
 人と竜の姿を持つ、高潔な種族。人間とは一線を画した、誇り高い勇姿。《碧空と竜翼の国》と称される国に暮らしていながら、その威光が届かずに居た僻地の故郷では、決して見る事の無かった美しい存在。
 あんまりにもキラキラしていて、目が眩みそうだった。いや、実際、光を受ける薄氷色がかった白鱗は、本当にキラキラしているのだけれど。
 聞きかじった程度では、竜人はその背に乗る者を非常に吟味するという。こんなに綺麗な竜に乗るなんて、ルシェのお兄様は凄いんだなあ。何処か羨望めいたときめきを感じながら、は胸の前で両手を握りしめ、真上を仰ぐほどに見つめていた。

「……とても、素敵ですね」

 無意識に、は呟いた。目の前の白竜がびくんっと跳びはねたのを見て、ぼんやりと見惚れたもハッと意識を戻した。

「す、すみません、すみません! あの、失礼な事を……!」

 ぺこぺこと頭を下げるたびに、のミルクティー色の髪が跳ねまくる。

「りゅ、竜人の方に会うのも、間近で竜のお姿を見るのも、は、初めてだったもので……あの、深い意味はないんです。ただ本当に、とっても素敵で……」

 弁解するほどに、ますます己の田舎者っぷりを露呈しているようだった。は恥ずかしさに顔を赤く染める。それに白竜は黙りこくったまま微動だにしないので、気に障ったのかとしょんぼりもした。

 だが、俯くは気付かない。
 その白竜は今――みっともなく倒れないよう、四肢に渾身の力を込めているなど。

 足元の小さな小動物は、良い意味で普通だ。騎士を前にし恐縮し、竜という姿を前に緊張し、ごく普通の当たり前な反応をしている。その普通さが妙に染みるのは、男性率の高い職業柄か、騎士と聞いた途端目の色を変える者とそれなりに出会ってきたからか。あの日と同じ、普通の気遣いにやっぱりじんわりとした。

 別に怒ってなどいない、気にするな。こないだの催しでも、ありがとう。

 と、言えば良いのに口が回らず「グルルル」という甘えた喉の音が出る。阿呆か、何だそのみっともない音は。そうじゃねえだろと己を激しく罵倒しながら、どうにかしようとを覗き見るべく体勢を低くする。半ば這いつくばる恰好になってようやく視線の位置が合わさったけれど、かといってその後の事は考えて無かった。結局、間にある沈黙は続いた。

 あっと小さな声を漏らし、は顔を上げた。目の前には、遥か天辺にあった竜の頭部が下げられている。くらいは一口でぱくっと食べられそうな、立派な顎。けれど、フスフスと掛けられる鼻息は温かい。不可触の美しさを纏いながらも、これが呼吸をする生き物であるだと、改めては理解した。
 グルルル、と聞こえる重厚な喉の音。いや、グルル、ではなく、ドゥルルン、という擬音が正しいか。小さな犬や猫などとは比べられない大きな音であったけれど、不思議と怖くはない。その音にどういった意味があるのかは分からないけれど、の緊張が少し緩んだのは事実だ。
 そっと見つめ返す、縦に裂けた瞳孔を持つ蒼い炯眼も――やはり、素敵だった。まるで宝石のようじゃないか、なんて綺麗なのだろう。
 そしてこんなに綺麗でありながら、とても強くて、誇り高くて。その背に人を乗せ、共に空を駆けながら、国を守っている。
 田舎では分からなかった自国の一面を、学んだような気がした。

「……私、実は田舎から出てきたばかりなんです」

 独り言のように、は呟く。

「騎士様の事も、お国の事も、勉強不足ですけれど、でも守って下さっている事は分かります」

 緊張に強ばる表情が緩み、ふんわりと微笑みがこぼれる。白竜の姿のテオルグは、微かにその眼を見開く。

「えっと、あの、いつもお勤めご苦労様です。私、口が堅い自信ありますので、今度お店にいらして下さいね」

 それは、きっとただの社交辞令。喫茶店で働く少女の、社交辞令だ。けれど、あの時と同じ耳に心地好い、そよ風にも似た清々しい清楚な声が聞こえる。ふんわりとした柔らかな物腰で、心に染みる言葉を紡ぐ。
 そしてテオルグは、全くもってあの日と変わらない事を思い浮かべた。

 なんなんだ、このくそ可愛い小動物は――。




「お待たせ~副隊長、休憩時間ギリギリだし戻ろ……ぶッッほォ!!」

 喫茶店から意気揚々出てきたアシルは、扉を開けたその瞬間、顔面を崩壊させ吹き出す羽目になった。

 国境支部の鋼の竜人は、小さく華奢な少女を前で、半ば這いつくばるように身を低く伏せ、それでいて大地を踏み抜く勢いで四肢を力ませていたのだから。

 ゲラゲラ笑うアシルと、謎の体勢を取る白竜と、呆れて溜め息をつくルシェに囲まれて。
 はというと、ほのぼのと小首を傾げていた。



チビとデカの第二の邂逅。


2015.02.01