11 チビとデカの、約束の街角(2)

 理由がなんであれデートなんだから、楽しんでくるのよ。
 そんな力強い激励を、ルシェとその家族より贈られたであったが、終始小首を捻り「デートかなあ」とのんきに当日――つまりは今日を迎えていた。
 村で過ごしていた時からそんな単語とは無縁で、あまり実感が無かったせいかもしれない。とて、そういう色恋事にも興味を抱く事はあるし、結婚出来る十五歳に近付くにつれ思い浮かべる事も多々あった。けれど、思春期の甘酸っぱさは全て、のその望んだわけではないゴリラ並みの怪力によって漏れなく打ち砕かれてきた。村の人々には陰口を言われ、男の子たちからは散々にからかわれ、ゴリラ女のレッテルが貼られた。
 チビなくせに腕力だけはゴリラ並みの女を、きっと誰もお嫁さんに欲しがってなんかくれない。
 逃げるようにあの村を飛び出してきたには、今も劣等感が重く絡みついている。
 そのため、【デート】なんて言われても、喜ぶより先に困惑してしまう。まして相手は、こんな小娘にも礼を欠かない、とても立派な竜人の――白竜の騎士だ。そんな浮ついた事は決して思ってないだろうから、の心も自然とそうなる。

 それに、これから会うのは、あの真っ白な竜だもの。

 薄氷色を帯びた涼しげな白鱗を纏う、美しい立派な巨竜。チビなとは雲泥の差とも言えるほどの、それはそれは見惚れるばかりの美しい竜なのだ。

 がのほほんと構えている最大の理由はそれで、あった。

 それがとんだ勘違いであったと思い知るのは、人の姿のテオルグと再会した後であった。


 何故ルシェやオーナー夫妻が楽しんで来いなんて言ったのか、ようやく理解した。それと同時に、のほほんと構えていた心へ、衝撃と緊張が一斉に押し寄せてきた。
 申し訳ないなあ、迷惑かけちゃったなあ、などと暢気に噴水に座っていたの前に現れたのは、白竜のテオルグではなくて人の姿のテオルグであったのだ。
 声を掛けられたが振り返った時、黒髪と鮮烈な蒼い瞳を持つ、整った造作のかんばせが飛び込んだ。齢十六の小娘よりも、ずっと鋭利で、落ち着き払った年上の男性。一瞬、誰なのか直ぐに判断がつかなかった理由は、彼が蒼い騎士の服ではなくて私服であったからだろう。無駄のない引き締った肉体を包む白いシャツとズボン、そして黒いジャケットは、目を見張るほどの豪華さや装飾品はシンプルなのに、鍛えられた伸びやかな長躯にとても似合っていて。けれど、首筋や頬などに散りばめられた白鱗と、額から後ろへ反り出た四本の角が示す竜人の特徴は、の記憶に全て残っている。
 身なりは違うが、あの時の――ガーデンパーティーの片隅で出会った、騎士様だった。
 大体よく考えたら、あの大きな竜の姿で街中を歩くのは困難である。何でそんな事も分からなかったのか。
 は仰天し、腰を下ろしていた噴水の側から、跳びはねるように立ち上がった。それでもやはり身長差は埋められず、の素の目線の高さは、テオルグの胸の下、最悪、腹部である。
 ああこれは、軽食を差し出した時と同じ目線だ。きっと両手を伸ばしぜは、激突するのは彼のお腹だ。

 はすっかり混乱と緊張に襲われ、おどおどと言葉を探した。だが、先に口を開いたのはテオルグであった。彼は何故かの前に立つなり「すまなかった」と謝罪をしてきた。さらには混乱に陥る。

「え、え、どうして、あ、謝るんですか」
「いや、ともかく……私が悪かった」

 もしかして、果物の件か。ああ、それはどうか、もう気にしないで欲しい。小心者には、心臓に悪いから。
 恐縮したもぺこぺこと頭を下げて謝ったが、慌てるあまり、危惧していた通りにテオルグの硬い腹へ頭部がぶつかった。この低身長が憎い。恥ずかしくて真っ赤になったものの、逆にそれが空気を緩める事に成功したらしく、の頭上から笑みを含んだ呼気が聞こえた。
 恐る恐るが見上げると、まなじりを和らげる男性のかんばせがあった。

「……いや、気にしていないなら、それで良い。嬢」

 陽の光を受けて煌めく、肌に散らばる白鱗の欠片たち。不意にキラキラと感じたのは、恐らくそれだけのせいではない。
 白竜の姿の時もそうであるが、ただの村育ちの小娘がそんな風に丁寧に呼ばれるのは似合わないと分かっている。けれど、ゴリラ呼ばわりされてきたには、それはあまりにも眩しく、くすぐったくて。
 ルシェが口にした単語が、急に存在感を増す。そんな風に、変に意識したり浮かれたりなんてしたら駄目だと知っているけれど、の頬の熱は簡単に引かなかった。それは田舎の小娘であるせいか、それとも高潔な騎士であるせいか、果たして。



 とテオルグは共に、広場と直接繋がっている商店通りへ足を運んだ。日が昇るにつれて賑わう市場は、この日も街で暮らす人々や訪れた商人たちの姿が行き交う。街に来て半年あまり、様々な店と様々な人が訪れる通りの風景に、もようやく慣れてきたはずだったのだけれど。薄ぺらい細い身体の奥、心臓が落ち着きなく跳ねている。
 は、隣を歩む長身なテオルグの背を見上げる。男性と聞いてまず思い浮かぶ、村の男衆たちとも意地悪な男の子たちとも違って、粗暴さが欠片も見当たらない。シュッとした無駄のない佇まいで、ただ単純に歩いているだけなのに隙がないように見える。騎士服を脱ぎ、その職に就く証は何処にも見えなくなったとしても、彼の空気は些かも綻んでいない。シンプルな装いであるのに、それこそ、すれ違う獣人や鳥人たちよりもずっと目を引くようだった。
 対しては、肩回りや七分丈の袖口などゆったりと開いている白い衣服と、足首が見える程度の深緑色のロングスカート。働く時には括りつけている若草色のリボンを外しているが、こちらは普段とさして変わらない姿であるので、隣のテオルグとは比べるまでもなく平凡だ。

 背も高く、足も長く、凛々しい年上の男性。多分落ち着かないのは、からかわれるばかりであったが男慣れしていない事も要因だ。

 ――しかし、それは、ともかくとして。

(テ、テオルグさん、あ、足長いから、は、速い……!)

 は、緑色のロングスカートを揺らしながらせかせかと足を動かし、小走りで彼の背を追いかけていた。さながらそれは必死に追いかける子犬の如く。
 足も長く長身なテオルグに対し、はこの通りの低身長である。踏み出した際に現れる足の間隔は、当然の方が小さい。テオルグを窺う限り、急いでいるわけでもなくごく普通の姿であるので、これは競歩ではないのだろう。テオルグの視界に、低い位置にあるこの頭の天辺が入っていないからか。
 と思っていると、とテオルグの距離が、さらにじわじわと開いていく。

 あ、あ、待って、待ってテオルグさん!

「テ、テオルグ、さん……!」

 思わず、気弱な声で彼を呼びとめてしまった。ああ、チビでごめんなさい。チビな分、足が短くてごめんなさい。
 振り返ったテオルグは、がせかせか小走りをしている姿に気付き、ばつが悪そうに表情を歪める。思っていたよりも距離が空いていて、彼も彼で驚いたかもしれない。申し訳なさにが駆られていると、ふと、テオルグがその低い声で告げた。

「す、すまない。騎士団での歩く癖が、出ていたかもしれない」

 は足を止め、首を振る。けれど丸い肩は上下して跳ねていて、恰好はつかなかった。
 テオルグはしばらく困ったように考え込むと、不意にの隣へ改めて並び、腕をぎこちなく伸ばしてきた。の右隣に並んだので、左腕だ。
 はて、これはなんだろう。はきょとりとし、差し出された腕とテオルグの顔を見比べる。見上げすぎてちょっと首が痛い。

「……私が素で歩いていると、見失ってしまうだろうから」

 掴んでいてくれと、テオルグが小さく告げる。
 そうですよね、私の頭の天辺は、貴方の胸にすら届きませんからね。うんうんと頷いたであったが、数秒の後に、その言葉の意味を飲み込んでさらに目を真ん丸に見開かせた。
 つ、掴んでいてくれって。こ、これをですか。
 の細い腕よりもずっと逞しそうなそれと、テオルグの顔を、先ほどよりも激しく見比べる。嫌悪ではなく、動揺であった。けれどテオルグは、別段照れた様子も慌てる様子もなく、むしろ単純にチビなへの気遣いが蒼い瞳に滲んでいるだけだった。
 と、都会だし、慌てる方が恥ずかしい事なのかもしれない。は意を決して、右隣から差し出される彼の左腕へ、細い右手を伸ばした。けれど、恐る恐ると近付ける指先は直ぐに止まってしまう。何処に置けば良いのだろう。指先を数秒さまよわせた末に、は。

 テオルグの手首へと、そうっと手を回り込ませて置いてみた。

 全て握るのは恥ずかしいので、袖口を摘むように、軽く手のひらを添える。けして怪力を出さないよう、普段にも増して殊更の注を意しながら。

 彼は何も言わなかったがそのまま歩き出したので、どうやら正解だったようだ。ほっと安堵しながら、も歩を進める。ちょこちょこ歩きのを察し、彼はだいぶ速度を落としてくれた。彼にはきっと、物凄くまだるっこしい速さだろうに。そして、頭の天辺が視界に入らないチビが横について、さぞ邪魔な事だろうに。邪険に扱わないテオルグは、の知る男性と全く違う。

 村で暮らしていた頃、散々に言われるばかりで、こんな気遣いを受けた事なんて一度もない。

 彼が、年上として、騎士として、矜持を持った上での行動であると簡単に想像がつくのに。

(きっちりして、優しい人)

 単純にも、そう思ってしまう。やっぱり緊張し、ドキドキと心臓が跳ねた。賑やかな商店通りの中、一向に落ち着いてくれない心音が、の耳をついていた。



 ――しかし、そんな風にほのぼのとはにかむとは、対照的に。

 鋼の竜人ことテオルグの心境は、既に崩壊寸前の危機にあった。

 そもそも、広場にやって来た時から、テオルグはこの涼しげな顔面に反し、和みっぱなしであった。どうやらは白竜の方のテオルグが来ると思っていたらしく、人の姿を認めた瞬間、噴水の縁から飛び跳ねて立ち上がった。ただ、起立してもその頭の天辺はテオルグの胸にさえ届かず、低い位置で驚き慌てる姿は正に小動物。いつかのガーデンパーティーの時のように、きっと両腕を伸ばすと腹筋に激突するだろう。
 テオルグがまずは謝罪を述べると、彼女は不思議そうにし意図を計りかねているようだった。だが、ハッと何かに気付いて、クリーム色の柔らかく波打つ毛先を揺らし首を振る。もう果物の事は平気ですから、と。
 いや、ああ、そっちもあるが……気にしていないなら良いかと、安堵を浮かべる。クリーム色の頭が下がった瞬間、ぼすりとテオルグの腹筋にぶつかり、一気に気が抜けたとも言えた。
 彼女はたいそう恥ずかしそうにしていたが、おかげでテオルグはとても和んで――いや、冷静になれた。

 広場から商店通りへと向かうその隣に、ちょこちょこと足を動かすが並ぶ。
 華奢な鎖骨や首筋が窺える、ゆったりとした作りをした白い衣服。七分丈の袖口から伸びた腕は色白で細く、深緑色の長いスカートから見える足首も同じくらいに華奢だった。その全体的な細さに反し、衣服を押し上げる胸部はやはり存在を主張し、歩くたびに揺れている。
 テオルグの黒髪とは違い、の陽の光に染まったクリーム色の髪は、緩やかに波打つ毛先まで輝いている。豪奢な煌びやかさはない、けれど若葉色の瞳と華奢な佇まいは瑞々しいと同時に柔らかく、楚々とした空気は単純に好感が持てる。
 普段身を置く環境にはない生き物であると、テオルグはやはり思った。
 荒々しい男所帯の騎士団と同僚連中が、そもそもとの比較対照にはならないけれど。
 緊張しているのか、彼女の染まる頬の仕草はぎこちないが、ほのかに浮かぶはにかみはむず痒くなるほどにほのぼのとして温かい。
 控えめで物静かな、そよ風のように清楚な声を紡ぐ年下の少女。ごく普通に、くそ可愛い小動物だった。

 だがしかし、本当に頭の天辺が低いところにあるせいで直ぐに見失い、足の長さのせいで置いていってしまうのは難点だ。テオルグは急いでいるつもりはないけれど、身に染みた歩き方はやはり出ているのか、気付いたらは懸命に小走りで追いかけてきていた。肩に掛けたショルダーバッグを落とさないようきゅっと握り、深緑色のスカートを翻らせ、ちょこちょこと。正直、「何だあの小動物は」と両足に力を入れる羽目になった。
 ふむ、とテオルグはしばし考え、左腕を貸す事にした。掴んでいてもらえれば、置いていく心配もないし、頭の位置が低い小動物を見失う事もない。これでも、脳天気ながら対人能力はやたらに高い友人アシルと付き合ってきて、融通の利かない気難し屋の竜人ながらそれなりの気遣いはあるわけだが、は何度もテオルグの顔と腕を交互に見ていた。目線が激しく上下にぶれ、そのまま細い首がぽっきりともげるのではないかと心配になる。
 だが、クリームの色の髪と色白な肌の眩しさに、朱色がたちまち浮かんできた。いかにも慣れた様子のない少女に、少しの優越感を覚える。
 恐る恐ると伸びてくる白い指先を、テオルグは余裕を浮かべ、静かに待った。
 だが、そうっと手首に添えられた白い手に、別の意味で愕然とする事態に陥った。

 ……おい、この小動物は、指先まで小動物か。

 の小さな手のひらは、ぎこちなくテオルグの手首に触れ、そっと衣服の袖口に重なる。喫茶店で働いているためか、薄い桃色の爪は短く切り揃え、綺麗に整えてある。家事を知らない貴族令嬢の手ではなく、働く事を知る手だ。
 それでも、細い事には変わらない。まして、身長が高い分、手も大きいテオルグと比べれてしまえば。

 もうちょっとこう、がっしりと掴みに掛かる事を想像していただけに、恥ずかしそうに添えられる仕草はあまりにも可愛らしい。

 盛大に気が緩んでしまったが、それは平静を装う顔面の奥にしまい込み、小動物を連れて静かに歩き出す。ちらりと視線を下げると、腕を出され不安そうにしていたは、ほっと安堵しているようだった。ほのぼのとしたはにかみが、陽の光を受けて輝くクリーム色の髪の向こうに見える。若葉色の瞳は伏せがちであるが、袖口を握るように添えられた手に怯えはない。

 ちょこちょことしたその歩みに合わせて進む、商店通りの道。迷惑を掛けた彼女への償いでもある今日は、あまりにもゆったりとし過ぎてどうにも落ち着かなくなるが……こういう非番の使い方もあるのかと、鋼の竜人と称されるテオルグは、薄ぼんやりと思い浮かべた。


 ……ただ。
 己の身長が高く伸びている事は理解しているが、こうも少女が小さいと、相乗効果で殊更の身長差が滲み出る。
 ……正直、周囲からどう見られているのか、考えたくない。
 すれ違う街の住民や店の者たちがテオルグとを見ると、一瞬ぎょっとして二度見しているのは知っている。
 さぞや悪目立ちをしているだろう。黒髪の長身な竜人に、クリーム色の髪をしたふわふわする小さな少女など。




 ――最初はカチコチに緊張していただったが、のほほんとしたいつもの笑みが浮かぶのは、わりと直ぐであった。
 日替わりで店先に並ぶ品が変わる商店通りと、昼前の穏やかな陽気もあって、強張りは解れて進む爪先も軽やかになるというものだ(相変わらずのちょこちょこ歩きであるけれど)。基本的にほのぼのとした気質なので、右隣の長身なテオルグの存在にも慣れてしまえば、あとは大らかなものである。双方共にお喋りな性格ではないし口数は少ないものの、の言葉にテオルグは反応してくれるし、彼の方からもぽつりと語ってくれるから十分だ。

 顔見知りから、知人へ上がる程度には、仲良くなれただろうか。

 交流の幅の狭いであるから、騎士といえど知り合った人とは友好的にありたいと思う。

 テオルグは、先日駄目にしたものを持たせて欲しいと願い出た通りに、いくつかの店を渡り歩いてに好きなものを選ばせようとしてくれた。どうにも申し訳なさが消えず、は幾度も首を振ってはみたけれど、「迷惑料だと思って遠慮なく。逆に遠慮されるとこちらの恰好がつかないだろう」と薄い笑みを浮かべたテオルグは、正に年上。がオロオロとしている間に彼は、実は気になって何度も見ていた果物を的確にひょいひょいと選んでしまう。凄い観察眼ですね、とは思ったが言えなかった。

「こ、今度、これで何か作って、お礼をしますから……!」

 はほとんど半泣きの状態で、テオルグの腕を掴みながら精一杯にそう告げた。チビな少女が長身な彼に追い縋る様は、大木の周りをピーピーと飛び回る小鳥のようにさぞ滑稽だっただろうが、彼は薄く苦笑いを浮かべながらも頷いてくれた。
 これはもう、ジャムとは言わず、立派なお礼を作らなければならない。
 は一人、力を込めてぐっと拳を握る。手のひらに木の実があったなら、頑強な殻ごと粉砕しているところだ。

 テオルグとがそんなやり取りをしていると、果物屋の店主が商品を詰めた紙袋を抱え、近づいてきた。にこにこと人好きのする笑顔を浮かべる、中年の男性だ。

「はいよ、お待ちどうさん。たくさん買ってくれてありがとうな」

 店主は紙袋をテオルグへ差し出し、には茶目っ気たっぷりに片目を閉じて「おまけしといたからねお嬢ちゃん」と言った。ぺこりと頭を下げて礼をすると、店主は何やらテオルグとを交互に見始めた。目線どころか頭まで上下に揺れ動いている。さぞこの身長差は見物なのだろうなあ……。

「兄さん、随分可愛い子を連れてるじゃないか」

 店の主人は、にっこりと微笑んだ。もびっくりしたが、テオルグもまた驚いたように目を丸くしていた。
 にこにこと笑うその仕草に、互いについ気色ばむ。これはまさか、そういう風に勘違いを……!

「ち、違いま――」
「姪っ子か、親戚の子かい? 優しそうな子じゃないか~」


 ……。


 ……姪っ子?


 とテオルグの表情が、ほぼ同じタイミングで、沈黙する。店主の笑顔が温かいだけに、心に吹く隙間風は強く感じた。



 だってチビだもの、これはもう仕方ない。
 思いながらも、の顔はすっかり素面である。というのも、あの後も別の店などを覗いたのだが、掛けられる言葉はどれも衝撃的であったのだ。


「もしかして妹さんかい?」

「娘さんですか?」


 続く続く身内発言に、驚嘆の嵐。角も無ければ耳も尖っていないのに、そういう風に見えるものだろうか。
 極めつけに、別の店では。


「お嬢ちゃん……大丈夫? 怖い事があったら、遠慮なく言って良いんだよ」


 何故か、犯罪とかに、間違えられている。
 そして疑いの眼が、どういうわけかテオルグに向けられている。
 制服を脱いでいるとはいえ、その心身は国のため人のためにと捧げた立派な騎士であるのに、その疑惑は一体何処から湧くのだろう。
 ちらりと見上げて窺った時、さすがの冷静なテオルグも表情が強張っていた。誰であっても、そうならざるを得ないだろう。

 そんな事が続くと、のほほんとするも、次第に気付き始める。
 よくよく見渡せば、商店通りの道を行き交う人々は、とテオルグの背を視線で追いかけていた。目線の高さがまったく合わない、その背中を。
 獣人や鳥人などの異種族の背が高い事は誰もが知っているが、ここまで豪快なデカとチビの図だと、思わず二度見してしまうのかもしれない。これはテオルグが大きすぎるのか、が小さすぎるのか。相乗効果も働き、自覚する以上に面白い光景になっているのかもしれない。
 しかし、なによりもが申し訳なく思うのは、姪や娘に間違えられるだけならまだしも、不審者に疑われる事である。しかも、騎士を勤めている、このテオルグが。

 ああ、ごめんなさい、テオルグさん。私がチビなばっかりに。

 紙袋まで持ってくれて、ちょこちょこ歩きに付き合ってくれて、あまつさえ見失わないようにと左腕まで貸してくれているのに。こんなの、恩を仇で返しているようなものだ。
 テオルグの胸に届かない頭が、しょんぼりと項垂れる。ミルクティー色の髪を照らす陽気だけが能天気だった。

「……嬢、その、なんだ、気落ちしなくとも」

 すっかりしょげるを察して、遥か天辺でテオルグが気遣う。
 うう、心に傷を受けたのは、テオルグさんの方なのに……。

「ごめんなさい、テオルグさん。私なんかが娘でも姪でも嬉しくないのに、おまけに変な風に……。本当、チビでごめんなさい」

 申し訳なさにうなだれたの前を、一組のカップルが横切ってゆき――その向こうで、優雅に歩く犬を連れたご婦人が静かに視界へ入る。これはやはりデートなどではなく、言うなればあんな感じだ。もちろん、綺麗なご婦人はテオルグで、紐で連れられた犬がである。

「これでも身長が伸びるようにと、昔から牛乳をたくさん飲んでたのですが……結局、伸びずじまいです」

 毎日毎日、きちんと飲んでいたのに。願いを込めて体内に取り込んだ牛乳の栄養は、身長ではなく胸に全部いってしまった事が憎らしい。
 の申し訳なさは、過日の記憶にまで遡る始末である。
 しかしそれは、テオルグを和ませるだけの可愛らしい告白だった。
 己の低身長のせいだと思い込んでいるらしいに、テオルグは気にするなと声を掛ける。人好きのするアシルのように上手く言えれば良いのだが、残念ながらその技術はないので、出来る限り穏やかに告げる。

「私は、別に気にしていない。だから、貴方も気にする必要はない」
「……気にして、ないですか……?」

 本当に、と不安がるの瞳が、テオルグを見つめてくる。

 ……まあ、確かに、ごく軽やかにサクッと心を切りつけられた。

 親子や親戚に間違われるならまだ流せるけれど(そもそも似ている部分は無いと思うが)、まさか「兄さん、悪い事はしちゃなんねえ」と言われる日が来ようとは。人生初めての出来事は、思いもよらぬ方面からやって来るらしい。の細さだけでなく、テオルグのその顔つきも影響しているのだろう。

 知っている。毎年恒例の配属されてくる新人達から、恐れ戦かれている事くらい。

 第一に、黒髪の長身な男と、クリーム色の髪の全体的に細いふわふわした小さな少女が並べば、どちらが小悪党に見えるかなど考えるまでもないというものだ。
 だがテオルグは、それを口にする事はしない。いくら軍隊式の鉄壁な生活を送っている男だとしても、横に並ぶこの、ごめんなさいオーラの滲み出る無垢な小動物を見て――出来るはずが、ない。

「ああ、気にしていない」

 テオルグは、力強く頷く。不安げに萎びていたの表情は、見る見る明るさを取り戻していき、慎ましやかな花が再び頬に咲く。
 何という、小動物感。緩みそうになった心を必死に引き締めて、テオルグは努めて平素を装う。

 は頬をほころばせ、テオルグを見上げた。

「あ、あの、私も、気にしていないですからねっ」

 ちょっとしたフォローのつもりで、は言葉を重ねた。気遣い半分、けれど本心も半分だった。手すりのように差し出されているテオルグの左腕の、左手首に添えた彼女の白い指先は、袖口を自然と強く握る。

「あの、テオルグさんが兄であっても父であっても、その、こ、光栄ですからねっ」

 テオルグの腕が一瞬跳ねるように動いたが、は気付かなかった。
 短いけれど厳しさのない低音で「そうか」と返され、は満足げに微笑んでいた。
 その隣で、デカの竜人が地面を踏み抜く勢いで両足に力を込めているなど知る、由もない。
 フォローするつもりでそう言ったのだろうとは、テオルグも察する。単純に、普通に心優しい気遣いだと思う。だが、小さい背丈で懸命に背伸びをし、日向に向かって控えめなはにかみを咲かせる姿は――小動物感を、倍増させるだけであった。
 大体、己の胸にすら届かない背丈なのに、低い場所でほのぼのと笑われるのは。
 額から伸びて後ろへ反る四本の白い角が、感覚などないのに、不意にむず痒くなった。


 良かった良かった、誤解は解けた。は、満足そうにほのぼのと微笑んで。
 だから何なんだこのくそ可愛い小動物は。テオルグは、この日も内心絶叫を上げている。

 思わず誰もが二度見をしてしまう、見た目も歩き方もデコボコなチビとデカのゆく街角は、長閑な陽気が注いでいる。
 時刻は、もう間もなく正午になろうとしていた。