13 動き出すもの、それぞれ(1)

 居住区の一角に佇む、煉瓦造りのアパートメントハウス。
 その一室を借り生活しているの前には、果物が並んでいた。リビングの机の上で、甘い香りを仄かに漂わせるそれらを、も頬杖をついて見つめる。

 先日、国境支部に従事する竜人の騎士――テオルグと共に市場を回って得たものだ。

 私服に身を包んでも、損なわれる事のない冷静な気品を放つ、黒髪と碧眼の長身な男性。竜人の特徴でもある、肌に散りばめられた白鱗と、額から後頭部へと伸びる四本の角は、人の姿であっても竜の美しさを纏うようだった。あのガーデンパーティーで出会った当初に感じた通りに、チビな小娘にも礼を欠かない彼は、広場で駄目にしてしまった果物を持たせてくれと願い出てきた。有り難さと申し訳なさに恐縮していたけれど、言葉は少なく表情は薄いが、彼はけしてチビな小娘を蔑ろにしなかった。あまりのチビさに、姪や娘どころか犯罪に勘違いされたとしても。

 テオルグはきっと、騎士として、年上として、その姿勢を貫いてくれたのだ。もそう理解しているけれど、異性から散々雑な扱いをされてきた彼女にとって、テオルグの振る舞いは、眩しいほどの憧憬と尊敬を抱かせた。
 単純に、凄いと思った。テオルグという人物が。
 机の上の果物の山を見て、考える。彼にとってこれが当然であるのならば、それにお礼をするのがにとっての当然だ。
 よし、と一つ頷いたその後、いつものようにルシェ一家の喫茶店へ向かった。



 喫茶店に到着し、いつものように挨拶をして、髪を若草色のリボンで括ってエプロンを腰に巻く。それから開店前に、ルシェと共に机や窓などを綺麗に拭くのだが、この日早々に掛けられた言葉は。

「竜人の騎士様とのデートは、どうだった?!」

 ルシェどころか彼女の両親までも勢い込んで尋ねてきた。一挙一動ほぼ同じで、血の繋がりを感じずにはいられない。
 どうだったって……。は困ったように笑う。そもそもあれは、デートという色っぽいものではなかったと思われる。デートであったなら、少なくとも犯罪に間違われる事はないはずだ。引きつったテオルグの横顔が、鮮明に浮かんでくる。あれはが小さすぎたのか、それともテオルグが大きすぎたのか。
 けれど。
 友人一家の熱い眼差しを浴びる中、は先日の事を思い返し考えてみる。

「デ、デートじゃあ、やっぱり無かったと思うけど……でも」
「でも?」

 少しの間を挟んだ後、打って変わり、はふわりと微笑んだ。

「でも――凄い人だなって、思ったよ」

 思い返してみても、身長差の甚だしいチビとデカのちぐはぐな光景でしかなかっただろうけれど。
 騎士らしさや竜人らしさを知ると同時に、それ以上にテオルグという人物の持つ、けして氷のように冷たくはない高潔さと冷静さを理解した日だった。
 少し羨ましく感じるその強かさを、は純粋に、人として好意的に感じた。

 チョコレートに似たルシェの明るい茶色の瞳が、の正面でぱしぱしと瞬く。そして次第に、ルシェの面持ちには笑みが浮かんだ。

「楽しかった? 怖い事は、無かった?」

 真っ直ぐとしたルシェの問いかけに、再び先日の事を思い浮かべる。姪や娘に間違われたり商店通りで事件が起きたり、思った以上に不思議な日になっていた。けれど。
 はこくりと頷き、慎ましい花をほんのりと咲かせた。
 ルシェをそれを見て、満足そうに頷く。「それなら良かった」と告げるルシェの声は、嬉しそうに弾んでいた。

「……兄さんが何かしでかしてたら、どうしようかと思った」
「え?」
「あ、何でもない。楽しかったなら何よりだよ!」

 ルシェは誤魔化し、小さなの肩をぽんぽんと叩く。は不思議そうにしていたけれど、釣られるようにほのぼのと笑った。普通に可愛い友人だと、ルシェは今日も思う。

 小柄で華奢で、控えめだけどほのぼのと柔らかい空気を纏う少女。持って生まれた《力》を長い間疎まれ、強い劣等感が深いところにまで根付いてしまって、どうしても一歩を踏み出せない気弱な性格をしている。けれど、そうして小さな花を咲かせて微笑む姿なんか、もう小動物みたいで可愛い。振り返るほどの美人ではないかもしれないけれど、はにかむ仕草の可愛い、気立ての優しい子だ。同性でさえそう思っているのだから、男から見たらどれだけの破壊力がある事やら。目当てで足を運ぶ客が居る現状から、押して測るべし。
 そういう普通に良い子なが、多くの人に知られても良いのではとルシェは常日頃思っている。反面、そう簡単に消えない劣等感を持つ彼女が、傷つく事がないようにとも。
 出会ってまだ半年程度。しかしの人となりを理解するルシェとしては、いつかその劣等感が薄れていったら素敵な事だと思うのだ。

 そして、近頃の身辺で話題沸騰中の、かの存在。
 実兄アシルの、友人であり、副隊長であり、騎竜であるという――竜人テオルグ。
 市井を飛び出し今や部隊長となった兄の生活は、詳細まで把握していない。友人の話を何度か聞かせてくれたりもしたが……その人だろうか、テオルグという人物は。
 ガーデンパーティーに騎士服のままぶっ込まれ、避難しているところで予期せぬ遭遇を果たしたという、竜人の騎士。その人は……の事を気にかけてくれているのだろうか。いや、一人のために非番を使ったというのは、何であれ好意的と捉えて良いかもしれない。
 またも、恋心云々は置いて、数日前の困り顔から一転し、柔らかい笑顔を見せている。控えめな性格ゆえか、少し人見知りの気がある彼女が緊張を解いているのだから、これは好意的な印象である事は間違いがない。

 そう言えば、テオルグという人物の名前ばかりは知っているが、実物を見た事はない。一体どのような姿なのだろうか。が緊張を解いているし、まして騎士なのだから、悪い人ではないはずだとルシェは思う。

 ……しかし、なおさら余計に、一抹の不安として実兄の存在がちらつく。

(……兄さん、余計な事しないと良いけど)

 アシルという男は、平素は気の良い気さくな人柄であるものの、肝心なところでは脳天気になって悪戯に引っかき回す節がある。あれがどういう阿呆な男かは、身内が既に立証済みだ。そんな兄の背を見て育ったルシェは、わりと慎重に物事を進める派になった。

 ルシェは思考を巡らすのを一旦止め、を見やる。丁寧に開店準備をする小さな背中は、ちょこちょこと店の中を動き回っている。リボンを巻いて一括りにした、毛先を緩く波打たせるミルクティー色の髪がふわふわと揺れる。その華奢な外見から、まさか丸太の輪切りを鼻歌交じりで薪に形成するゴリラ級の怪力の持ち主だなんて、誰も思わないだろうが、ともかく。
 そのテオルグなる人物と、自慢の友人が親しくなっているのであれば、ルシェは応援していたいと思うのであった。

(もしそれが恋になるなら、私はもうはりきって背中押しちゃう!)

 ――何にせよ、ルシェとアシルは、血の繋がった兄妹であった。



「そうだ、あのね、ルシェ」

 はふと、ルシェへ言った。

「テオルグさんにね、駄目にしちゃった果物を代わりに買ってもらったの。たくさんあるんだけどね」

 は、少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。

「お礼、したいんだけど……果物をたくさん使える食べ物って、何だと思う?」


◆◇◆


 国境線となる山脈と大河を臨む、大自然に囲まれたアルシェンド騎士団国境支部。
 郊外に佇むその敷地では、訓練時ともなると常日頃野太い絶叫が響き渡っているのだが――この日のそれは、普段よりも殊更に切迫した悲壮感が滲んでいた。
 見事な青に恵まれた晴天を、揺らさんばかりに鳴り響かすいくつもの悲鳴。苛烈な訓練である意味有名な支部に従事する騎士だと、とても思えぬそれは、訓練場より高らかに放たれている。

「ひィィィすみません、本当すみません!」
「ほんの、ほんの出来心なんです! すみません!」

 涙こそは出ていないがほとんど半泣きで悲壮感を張り付ける騎士数名は、訓練場を全速力で駆け抜けていた。いや、正確には、全力で逃げていた。
 その背後を迫りくる鋼の竜人――もといテオルグから。
 姿形こそは人間であるが、竜の血を持つ男。大地を蹴り上げ迫りくる様子は、国の怨敵・怒れる暴竜。紛う事無き騎士であるが、その迫力たるや大の男が悲鳴を上げるほどだった。
 テオルグは現在、部分的に人から竜へ転変させているので、ズボンを捲り上げ露わになった足は人のそれではなく竜のそれだ。余計に凄みが増し、地響きすら凶暴性を伴っている。

 捕まったら最後、間違いなく喰われる。

 狩りの如き光景を見る周囲も、実際に追われる者も、そう思わずにいられなかった。

「一分間、俺から逃げ切った奴だけを許す。四の五の言わず倒れるまで走れ」
「許す気ゼロじゃないっすか!」
「いィやァァァァ! 無理過ぎるー!!」

 付かず離れず、けれどけして足を止められぬ一定の距離のもと、テオルグは駆ける。
 同様に、テオルグに追い立てられる者も、必死に駆ける。

 ちなみにこれは訓練ではなく、訓練の合間の休憩時間の一コマ。この容赦の無さが、アルシェンド騎士団国境支部であった。




 季節問わずに毎朝の自己鍛錬を怠らない、鋼の竜人に勝てるはずもなく。一分間死に物狂いで逃げ惑った騎士たちは、その後大地に倒れ、屍と化した。

 テオルグは身なりを正し、竜に変じていた足も人間のそれに戻す。一分間猛スピードで疾走した彼に疲労の色は無く、毅然とする佇まいは高潔な竜人でもあり一隊の副隊長でもあった。
 軽く息を吐き出し、テオルグは立ち位置に戻る。この日は空中訓練ではなく、地上訓練――つまり、竜に乗らず人同士の剣や組み手の修練を行う。竜の姿でなくとも、指導する立場は変わらない。
 そしてテオルグが戻ると、ニヤニヤと笑うアシルの顔がまず飛び込んだ。見慣れたその顔を殴りたいという衝動に駆られそうになるが、そこはぐっと堪える。

「そんなに怒るなよ、副隊長。仕方ないだろう、気になるもんは気になるんだから」

 テオルグの今日の怒りの理由を知りながら、この緩い発言である。殴りたいという衝動が強まった。

「仕方ないで済ますな、お前は。見回りが密集して動き回るなど阿呆でしかないだろう」
「だって実際そうなるもん。鋼の竜人が、休みに私服で街中デート……ッぶっくう! 考えるだけで笑いが!」

 堅く握りしめたテオルグの拳が、アシルの顔面にめり込むのはその直後である。
 やはりこいつは一度殴っておいた方が良い。もっとも、何をしても常にケロリとし、懲りた試しのない輩でもあるが。


 心どころか顔まで緩んでしまいそうになる小動物、もといと過ごした先日の件は――テオルグも全く予想していなかった事に、非常に和やかな時間であった。
 それこそ、鉄壁の生活を送る彼が「こんな日も悪くはないか」とふんわり思ってしまう程度には。
 目的は、何も浮ついたものではなく、広場での失態を払拭する為であったのだけれど……傍らにあった存在の雰囲気が、移ってしまったのだろうか。いつの間にやらテオルグは、あの生物の一挙一動に夢中だった。
 背丈から足の長さまでまるきり合わない彼女が、必死にテオルグの後を追いかけてくる姿も。頭の天辺を見失わないよう貸し出した左腕の袖口を、柔く掴み緊張に頬を染める姿も。緊張する少女のかんばせに、いつの間にかあのふわふわした優しい微笑を綻ばせている姿も。片頬を膨らませて食べ物を頬張り、幸せそうにテオルグへ微笑みかける姿も。
 いや、だから、なんだ、もう。
 額から伸びる角の根元が、むず痒く疼く。国境支部の建物内ではあまり思い返さない方が良いと、テオルグは本当に思う。にやけそうになる上に、両膝が崩れ落ちそうになる(ちなみに他人の目が無い私室では、何度も頭を抱えて悶絶した)。

 あの生き物は、危険だ。一挙一動がいちいち目を引きつけ、テオルグの高潔であろうとする精神を遠慮なく揺さぶりに掛かる。今もその姿は脳裏に残り、ふとした瞬間に思い出させるので顔面を保つのに大変な労力を要する。とても声に出して言えないが、何故あの生き物は、ああもくそ可愛いのだろうか。そして世界には、何故あんな生き物がいるのだろうか。そんな事を本気で疑問に思う、鋼の竜人テオルグが最近いる。

 だが、別の悩みも同時に増えた。
 同僚――国境支部の騎士達が、どういうわけか揃いも揃って、テオルグとの動向に食い気味なのだ。

 ただ私服になって非番を有効活用しただけだというのに、当然の如く割り入ってきた同僚の影。私服のテオルグ探し! という魂胆が透けて見えるほど、街の通りをうろつく蒼い騎士服の面々には、何というか、頭が痛い。に気付かれなかった事が、唯一の救いだった。
 テオルグの怒りを買おうとした彼らには、後日しっかりと騎士の職務も含んでお仕置きが施された。つい先ほどの事である。

 そのわりに、彼らも彼らで懲りた試しがないのは、主にアシルのせいなのだろう。やんちゃが過ぎたりなどして根性の叩き直しを課せられた者、あるいは自ら志願してやってくる変わり者ばかりが集う国境支部の性質ゆえか、個性的な性格の騎士ばかりが多いのも原因かもしれない。何故この支部ばかりが、こんな事に。
 と、テオルグは思うが、そもそもの発端はテオルグ本人のあからさまな変化であるのだが、彼も彼で気付いていない。


「あーあ、見てみたかったなあ。私服=戦闘服だと思われていたお前が、街まで行ってデートとか」

 あれはデートではない、とテオルグは否定をしたが、アシルの意地の悪い笑みが増すだけであった。

「誰かに会っていた事は、否定しないんだな」
「……アシル」
「はいはい、口を閉じますよー」

 アシルは肩を竦めた。人を怖がらせがちなテオルグの眼光を受けても平然とするのは、長い付き合いの友人である賜物だろう。
 「でも嬉しいなあ。お前の事、分かってくれる人が居て」アシルは隣で笑った。二十代半ばにして素直に物を言える彼の性格を、何だかんだテオルグは嫌いになれない。むしろその人好きのする性格であるからこそ、テオルグのような気難し屋にも躊躇なく接する事が出来るのだろう。ある種の尊敬も感じる。

 ……しかしながら、それはそれ、だ。

「……おい、アシル。まさかとは思うが」

 不意にテオルグは、その低い声を潜めて這うように呟く。

「街の見回り担当が、やけに通りに密集していたのは……」

 何か、余計な事をお前が言ったのでは無いだろうな――。

 テオルグは言いながらアシルを見たが、その言葉は全て口から出る事無く喉の奥で止まった。
 テヘッと言わんばかりに能天気に笑うアシルから、冷や汗が滝のように流れており、明るい茶色の瞳は激しく泳いでいた。
 見る見る内に、テオルグの精悍なかんばせに、暴竜の憤怒が再来する。



 その後、休憩時間終了を待たずして、訓練用の剣で激しく打ち合う国境支部最速ペアの姿が、多くの騎士達に見られたという。
 その異様な鬼気迫る光景にさえ、今日も国境支部は通常運転だと、従事し日が浅い者を除き誰も驚く事は無かった。


◆◇◆


 訓練は散々な目に遭った。いや、訓練ではなく、休憩時間の方で。

 自室に戻ったアシルは、机に突っ伏した。本気で打ち込んできた友人の攻撃をさばいていたら、腕が悲鳴を上げた。
 獣人に勝るとも劣らず頑強な竜人、相変わらず四肢に響く馬鹿力だ。人間と竜人、異種族同士の差異はどうしても現れてしまうのでこれは仕方ない。その分、人間には人間の利点があり、長所短所も半々といったところ。長年付き合ってきたアシルには、お手の物だ。受け流して打ち返すぐらいの気概は身についているが、逆を言えば慣れない相手では吹っ飛んでそれで終了である。
 この立場になると、遠慮なく気兼ねなく話せる相手は貴重であるし、テオルグを心より信頼出来る友と常思うが、それはそれ、これはこれ。
 俺じゃなかったら何人駄目にしていたか分からないぞ、友人よ。いやマジで。

「……あーあ、テオのデート姿、見てみたかったんだけどなあ」

 そして全くへこむ事がないというのも、アシルという男の特性である。元から喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプなので、相手の感情は鑑みつつも自身がへこたれた事はこれまで一度として無い。ゆえに、身内からも能天気男と公認済みだ。
 これが騎士の界隈では有名な、アルシェンド騎士団国境支部の最速ペアの片割れであり、人気かつ華やかな支部への配属候補を全部蹴って辺境に来た、変わり者部隊長である。

 休憩時間を全て使って打ち合った後にテオルグは、よく知らぬ者が対峙したら泣き出してしまうほどの、鋭く凍てついた目つきをしていた。そしてアシルに冷え切った眼光を投げつけ「阿呆な事はするな」と釘を刺してきた。もちろんだという意思を込め、「任せろ!」と力強く親指を立てサムズアップをしたのに、その後ぶん殴られた。何故か分からない、どうしてだろう。
 はあ、とアシルは溜め息をつく。テオルグは元々そういった事を自ら口にする気質ではないし、本人のあの慌てっぷり(出掛け前に紅茶を吹きかけられた愉快な件)からたぶん自覚すら無かったのだろう。さすがだ友人、たいへん面白い! だからこそ、鋼の竜人の動向が気になるのだ。

「……相手はきっと、ちゃんなんだろうなあ」

 アシルはぽつりと呟く。
 胸は大きく背丈はちっちゃく、ほのぼのした小動物みたいな可愛い少女――
 きっと、というより、ほぼ確定である。
 ついでに図らずも、国境支部に従事する最強の最速ペア片割れ、第一部隊長を伸した少女でもある。丸太の輪切りの高速投球の味は、今もアシルの記憶に鮮明だ。気絶したのは何時ぶりだろう。世の中は不思議だ。

 デカくて堅物で冷徹な表情の、見た目の通りの鋼の竜人と。
 チビで華奢でふんわりほのぼの、見た目に寄らず隠れ怪力少女。

 何もかも合致するところのない二人を、アシルは脳裏に思い浮かべる。
 ふう、と静かに溜め息を吐き出すと、机にそっと両手を置いて――。


「……チックショウ!! やっぱり俺も見回りに行きたかった!!」


 ―――ゴン、と額を机にぶつけ、アシルは絶叫した。

 何だよ皆ばっかりずるい、俺だって街の見回りが良かった。アシルはそんな風に内心叫びながら、頭をゴンゴンと押し付けた。



 鋼の竜人が、私服で、街。
 そんな事を聞いて、長年彼と付き合ってきたアシルが、大人しくしているかと言えば――。


「うおおおおー! 俺も街に行くぞー! テオのデート風景を盗み見てニヤニヤするんだぁー!」


 ――答えはきっぱりと、否である。

 テオルグが国境支部を後にした頃、彼の去った憩いの食堂は大混乱に陥っていた。主に、見回りの仕事をせがんで大騒ぎするアシルと、その日の見回りの任務に当たっている騎士達による、仁義なき攻防戦によって。

「駄目ですよ、アシル隊長! 隊長には隊長の仕事があるでしょう!」
「だったら交換だ! 俺が行くから、誰か俺の仕事をやってくれ!」
「絶対嫌だ! そんな面白そう……じゃなかった、大切な仕事を手放したりしませんよ!」

 今すぐにでも支部を飛び出しテオルグを尾行せんとするアシルを、ガタイの良い騎士たちが全員で抑え込む。両足、両手、腰に騎士達が取り付きぶら下がっているにも関わらず、よほどの執念があるのか、アシルは彼らを引きずりながら強引に進む。

「この、程度で、止められると、思うな、よォォ、ォォ……!」
「お前、バケモンかよ?!」
「行かせません、よ、ォォォ、ォ……!」

 本人たちは心底真剣な、だが傍から見るとどうでも良い攻防は、しばらく食堂で繰り広げられた。
 結局、その後さらに騎士達が投入され、アシルの奮戦虚しく惜敗した。
 じゃあお前らちゃんと見て来いよ、後で俺に詳しく教えろよ。それを条件として、泣く泣くアシルは引き下がった。そしてテオルグがとほのぼの過ごしている頃、彼は幽鬼のような目つきで書類仕事をしていたのである。

 その結果としては今日で分かる通り、テオルグの危機察知能力の高さと見回り部隊の阿呆さ加減が明らかとなっただけで、何の成果も無く轟沈し終了した。


 だがしかし、そんな事でへこたれるほど、アシルは伊達に能天気男の異名を取っていない。

 しばらく机で悶絶したアシルは、ふと動きを止め、突っ伏した上体を勢いよく起こす。
 アシルの顔には、笑みが浮かんでいた。
 身内が見れば間違いなく「あ、これはまずいパターンだ」と思う類の、実に嫌な笑みを。