14 動き出すもの、それぞれ(2)

 一週間の間に頂いている休日がやって来た。つまりは、喫茶店も休業日である。

 天候にも恵まれたお出かけ日和な今日、は友人のルシェと共に商店通りを進んでいた。国境となる山脈を遠くに臨む街は、辺境と言えど境目特有の商売等の中継地点として活用されているので、様々な人がこの日も行き交っている。
 そして通常通りに、チビで華奢なの頭の天辺は、多くの人――特に異種族の人――の視界に入るか入らないかのところで揺れていた。
 こういった人の往来では一人だと中々気付いて貰えない事が多く、通行人を不意にぎょっと驚かせてしまうが、今日は隣にルシェが居る。ほっと安堵するの頬には、ほのぼのとした笑みが咲く。

 ルシェは、この日はスカートではなく、パンツを着用していた。コツコツと煉瓦の路を鳴らす足元から、すっと伸びた背中まで、可愛らしいというより凛とした雰囲気が感じられる。少しだけ、ルシェの実兄――アシルを思い出した。やはり兄妹であるから、立ち姿や雰囲気など似るのだろう。チョコレート色な明るい茶髪は、働く時よりも緩くまとめているので、流れた毛先が宙を泳いでいる。

 とルシェが現在向かっている場所は、ルシェの実家とも仲が良いというとある食料品店。安いし、もしかしたらオマケして値引きしてくれるかも、とはルシェ談である。
 何を買いに行くのかと言えば、薄力粉や卵や砂糖、生クリームなど……お菓子作りの材料である。

「あの、付き合ってくれてありがとうね、ルシェ」

 が告げると、ルシェから笑顔が返ってきた。「良いって事よ、友達の為にひと肌脱ごうではないか!」お日様のような屈託の無い笑顔とすっきりした言葉は、穏やかな陽射しを浴びて一層キラキラしている。ルシェは今日も眩しくて素敵だ。
 しばらく肩を並べて進むと、ルシェの言う馴染みの店とやらが近付いた。上機嫌な彼女に先導され、は相変わらずのちょこちょこ歩きで店内へと入ってゆく。
 ルシェの言う通りに、店の人はルシェの事を含んで一家の事を熟知しているようだった。そして、これは予想外であったのだが、なんと喫茶店で働くの事も知っているらしく。

「小さな可愛い子がちょこちょこ一生懸命動き回ってるなあって、縁のある業者は皆知ってるよ」

 とは、店の人の言葉である。一瞬だけ、あの怪力の事が漏れてしまっているかと杞憂を感じたが、ニコニコ笑う姿は単純にの働きぶりを褒めているようだったので安心した。

 だが微笑ましそうに表情を緩める仕草が、まるで子どものお使いを見る大人のようであったのが、気になるところだ。
 あの、こんなチビでも結婚出来る齢十五は超えているのですけれど……。

 必要な材料を揃えたこの後は、ルシェ一家の営む喫茶店へ戻り、厨房の片隅を少しだけ借りる予定になっている。の頬には、絶えず柔らかな微笑が浮かんでいた。お菓子作りが楽しみなのもあるが、それだけでなく。

(テオルグさんの口に、合うと良いなあ)

 先日、彼からたくさん買っていただいた果物を使っての、お菓子作り。それはの考えたお礼である。


◆◇◆


 喫茶店の厨房に入ると、早速菓子作りを開始した。
 大量の果物は既に持ち込み済みなので、その一部を作業台に乗せ、先ほど購入した材料、それと目星を付けた菓子の作り方の本を広げた。

 果物をたくさん使える食べ物――すなわち、フルーツタルト。タルト生地の上に、カスタードホイップなどのクリームを敷いて、好きな果物を乗せて冷やすあのお菓子だ。

 テオルグは確か、甘いものを嫌っているわけではなかったはずだ。徹夜明けの身体が受け付けず食べられないだけだと、ガーデンパーティーで言っていた。
 ちなみにこの案をくれたのは、の隣に居るルシェである。物は試しにそれに挑戦するの手伝いもしてくれるのだから、非常に心強い。
 その昔、作業場の岩を相手に怪力の調整に明け暮れたは、反面「将来の夢はお嫁さん」と素で言えるくらいには女の子らしさを求めた。おかげで一通りの家事全般は得意なのだけれど、お菓子作りはまた違うところにある分野なので、ルシェの存在は頼もしい。

「よーし早速、作っていこー!」
「おーっ」

 元気よく腕を上げるルシェの隣で、も控えめに腕を上げる。良いなあ、こうやって友達と一緒に何か作るの。はほのぼのと思いながら、まず先に作るべきはタルト生地なので、その分量を計り下準備をするところから開始する。
 タルト生地だけでも使う材料は、薄力粉にバター、砂糖、卵黄、水、塩と種類が多い。薄力粉と砂糖と塩は混ぜ合わせてふるいに掛け、卵黄と水は混ぜ卵水を作っておく。下準備を済ませた後は、本格的に生地を作りに掛かる。

「わー凄い、タルト生地がクリームみたい」

 が生地を混ぜ合わせてこねると、ルシェからは率直な感想が飛び出した。
 練るという力技に関してのみは、も自信がある。まとまりにくくこね合わせのに力が必要な生地作りは、ゴリラ怪力には得意分野だ。鼻歌混じりにこねこねと揉み、あっという間に馴染ませて生地が完成である。それを、粉をまぶしある程度平らに伸ばしたら、冷えたところに一時間ほど寝かせる。

 生地を寝かせている間に、今度はカスタードホイップ作りである。これについてはが初めてで戸惑ったものの、昔から食に囲まれて育ったルシェが大活躍であった。

「――生クリームってね、レモンの汁を入れるとあっという間に固まるのよ!」

 忙しい時はこれに限ると言いながら、ルシェが凄まじい気迫で生クリームを泡立て器でグルングルンかき回す。
 なるほど豆知識かと感心したが、この勢いなら氷水だけでもいけそうだと、正直は思った。
 裏ごししそれらしく滑らかに作り上げたカスタードとホイップを混ぜ合わせ、器に入れてこれもまた一旦冷えた保存庫に置いておく。二人でつまみ食いしたが、初めてのわりに凄く美味しかった。

 そろそろオーブンの用意をしようと、ルシェが慣れた手つきで実家のオーブンに薪を入れ温める。その間に、寝かせていたタルト生地を再び作業台に取り出して、麺棒で均整に伸ばす。タルト皿に敷き詰めて丁寧に皿に馴染ませ、皿の底にフォークで穴をプスプスと開ける。「あっちい!」と騒ぐルシェの元へタルト皿を持ち、オーブンで焼き始める。
 様子を見ながら焼くため、二人揃ってオーブンの側で束の間の休憩を取る。少々談笑に華が咲きすぎて、結局生地が焦げたのはご愛敬だろう。

 あつあつの焼き立てなタルト生地から粗熱を取る間、メインとも言える果物を一口サイズに切り分ける作業へ移る。彩りの綺麗なリンゴやモモ、オレンジを中心に選んで皮や種を取り除く。その後は、タルト生地にカスタードホイップを流し込んで表面を慎重に整え、その上に果物を並べる。
 これでも既に美味しそうだったのだが、表面のコーティングとして、熱湯にゼラチンと砂糖を加え混ぜたものを塗り、さらに果物の隙間を埋めるイメージで流し込む。
 あとは十分に冷し――ようやく完成となる。

 全ての作業が終わる頃には、いつの間にやら正午を告げる鐘の音が遠くで響いていた。

「お菓子作りって大変だねえ……作業台が嵐の後みたい」
「冷やしてる間に、全部綺麗に片付けちゃおうかあ」

 ほっと一息つくのもそこそこに、とルシェは器具の後片付けへと移行する。
 やはりお菓子作りとご飯作りは違う。ご飯作りの方が早い。菓子職人の凄さというものを感じながらも、は初心者なりに作ったフルーツタルトに想いを馳せる。少々手間取ったが手順も作り方も理解したので、これで今度は一人でも平気だろう。まずは練習用のフルーツタルトを食べてみてからだが、はたしてどうだろうか。
 そんな風にが考えていると、隣のルシェにじーっと見つめられている事に気付く。「なあに?」と尋ねれば、ルシェの笑みが返ってくる。その仕草はお日様のようだったけれど、普段よりも、何か含みがあるように感じた。

「んー? いやあ、が男の人の為に何か作るなんて、そんなの初めて見たなあって」
「おとこ……ッえっと、確かにそういう感じになっちゃったんだけど、でも、そういうんじゃなくて」

 は手元を忙しなく動かし、器具を水洗いする。「兄さんの友達の……テオルグさんだっけ? その人そんなに良い人なのかなー」と、ルシェは悪戯っぽく笑っている。
 それは、あの人は確かに、視界にも入らないチビな小娘にも礼儀正しい、騎士の鑑のような人物だ。さらにそれは、種族や職業ではなく、テオルグ本人が持つもの。その強かさに、はこれまでの事が無くとも素直に憧憬を感じる。本当に、憧れに近いのだ。
 そんな事を呟くの隣で、ルシェはニコニコと笑う。悪戯っぽいけれど、不快になる所をからかったりしない辺りが、妙にルシェらしくもある。

「……あのね、。私さ」

 ルシェが、不意にそう切り出した。

は、見た目によらず結構強いと思うのよ。変な風に見られたり呼ばれたり、それでも頑張って誰にも迷惑かけないようにしたりとかさ。普通凄いと思うし、それをからかう村人って本当馬鹿って思うし」
「な、なあに? 急に」

 面と向かってそんな風に言われると、照れ臭くなる。

「うーんとね、つまりは」

 にしし、と効果音がつくように、屈託なくルシェが笑った。

「そういうの事、きちんと理解してくれる人が増えるのなら、私も嬉しいなってね」

 は目を丸くし、友人を見上げた。笑うチョコレート色の瞳は恥ずかしそうであったけれど、清々しい明るさはやはりお日様のようである。も、ルシェへふわりと頬笑みを返した。

「ありがとう、ルシェ」
「良いって事よ」

 何でもないように告げるルシェは、やはりお日様のようである。村を出て飛び込んだ真新しいこの環境で、最初に出会ったのが彼女で良かった。
 厨房の片隅ではしばらく、くすくすと頬笑みを転がす少女の笑い声が二つ響いていた。

 ゴリラ女とからかわれ続けて、ほぼ十年近く。こんな怪力、絶対に誰にも言わず墓にまで持っていくしかない。それぐらいの事は考えていた半年前のも、疎んでいたはずの怪力を使ってあげたくなるルシェと巡り合えた。また人の縁も不思議なもので、細々と慎ましく生活するの交流にまさか【騎士】という項目が加わるなんて、思ってもなかった。
 ついて回り嫌っていたはずのゴリラ級の怪力に、手助けもされているのだろう。
 いつか。いつか自分から明かして、笑い飛ばせるくらいになれたら。それが一番良い事だとはも思う。例えば、何があろうとその強かさや高潔さを貫く事が窺い知れる、テオルグのようになれたら。

 ……どうしてだろう。最近テオルグの毅然とした姿が、やけに浮かぶのだ。



 そろそろ貯蔵庫で冷やしているフルーツタルトも馴染んだ頃ではないかと、互いに顔を見合わせる。
 せっかく食べるのだからお茶も用意しよう。ルシェはカップやソーサーを取りに走り、は湯を沸かす。
 椅子を二つ引っ張り出し、準備を整え、いざ実食だ。わくわくとナイフを差し込み、慎重に切り分けていく


「――お邪魔しまーす! お兄様が来たぞ、妹達よー!」


 颯爽とアシルが裏口より現れたのは、フルーツタルトを口に入れようとしたまさにその瞬間であった。