20 羽狂い(1)

 誰も来ない国境支部が羨ましい――そんな残酷な言葉を浴びせられ続けた個性豊かな精鋭達の巣窟、アルシェンド騎士団国境支部。
 これまでなかった見学者二名という奇跡が起きたとある公開訓練日から、支部内ではある話題が冷める事なく飛び交っていた。

 ――鋼の竜人テオルグに、けしてないはずの“春”が訪れた。

 けしてないと、本人ではなく周囲が断定するのもおかしな話だが、事実そう思われても仕方のなかった男がテオルグである。その鋼鉄ぶりは、生涯を通し己を鍛え強くあろうとする竜人という種族の枠を、時に楽々と超えるほどだった。
 そんな彼の側に、全体的にほのぼのとする慎ましくも可憐な少女がちょこんと現れた、昨日の一件ときたら。
 多くの屈強な騎士達がド肝を抜かれた。
 しかも、鍛えられた長身のデカの部類に入るテオルグと、身長も厚みも彼の半分しかない物凄く小さな少女という、とんでもない構図。恐ろしく対照的な二人の姿は、各々の記憶へかつてない鮮明さをもって刻みつけられた。

 以前からテオルグに関しての話題は沸騰中であったけれど、この件によってますます熱を高め勢いづく。「鋼の竜人の私服事件は」「そういえば前も広場で」「ガーデンパーティーをした時のお店の従業員じゃあ」という、情報の伝達共有の尋常でない速さも手助けしてしまったのだろう(夢見る屈強な男達の速さを舐めてはならない)。
 そして数日も経つ頃には、テオルグに引き続き、鋼の竜人を恐れない喫茶店のお嬢様という呼び名が国境支部に浸透しつつあった。

 の存在を知った騎士達は、うっすらとだがテオルグの変化に気付き始めた。
 鋼鉄の空気がふわっと緩んだり、地面を踏み抜く勢いで長い脚を立たせたり、鉄板の類が仕込まれている口角に笑みが仄かに浮かんだり――時折見える、あるいは見せるようになったそれらの変化に、全員があんぐりと口を開いたものだ。
 唯一の例外といえば、彼の背に乗る事を許された騎者のアシルくらいだろう。大爆笑を隠さずにむしろ倍以上騒ぎ立てるという、彼の蛮勇に震えが止まらなくなる。

 そんな具合に半分ほどは面白がっているものの、残り半分では何処か安堵とも言うべき柔らかな気持ちを抱く、国境支部の仲間達。温かく見守り、時々しゃしゃり出る彼らは――。


 ――どっちを見ても、視界に片方の顔しか入らねえなあ


 行き過ぎた目線の高さの違いに翻弄されながら、しみじみと胸中で呟くのであった。
 誰に知られる事もないが、近頃の国境支部――年中、騎士の悲鳴が響き渡る場所――には、春めいたそよ風が吹いていた。



 そんな周囲の反応には気づかず。噂の一つになりつつあるは、その後もテオルグとほのぼのと交流していた。
 といっても、彼は国の騎士。喫茶店の従業員のように定期的な休日というものもなく、ほぼ毎日大切な任務へ従事している。国境の街とその周辺地域、街道などを警邏する時や、あるいは少しの休憩時間などに顔を合わせたり、その日の任務が終了した後アシルや同僚など他の騎士に連れられて喫茶店にやって来たり……そういった、ささやかな交流を楽しんでいた。
 何故か共通してその背景には満面の笑みを咲かせるアシルなどが映り込んでいるけれど、はあまり気にしてはいない。日頃任務に従事して街や周辺の治安を守ってくれる彼らに、せめてもの感謝と慰労を向ける事に変わらないのだ。もちろん、テオルグにも。


 本当に、不思議な事もある。過ぎた怪力によって逃げるように飛び込んだこの街で、特異な怪力を知っていながら受け入れてくれる一家に出会って、最初に出会ったテオルグをきっかけにしてか他の騎士とも知り合いになって。何かの巡り合わせだろうか。
 きっと、私の見る世界は狭かったんだ。
 だからこの街で何度も驚き、そして怪力を隠すしかなかったその度胸の無さに恥じ入るのだ。
 テオルグ。国境支部の最速の翼を持つ、黒髪と青眼の竜人。
 見上げるほどに大きく、そしてその背丈に見合う立派な身体つきの、異種族の男性。外見だけでなくその心も強く高潔で、どれほどの鍛錬を課してそうなったのか想像も出来ない。この人のようになれたら或いは、なんて白昼夢のような事をは本当に感じた。
 それは、憧憬であったはずなのだが。

(……もう一度)

 は、あの公開訓練日から、しきりに思った。

(……もう一度だけ、触りたいなあ)

 手のひらに、膝の裏に、未だ残る彼の存在の感触はしきりにを揺らしている。今は目の前にそのテオルグ――白竜姿ではなく人間の姿――が佇んでいるからか、気恥ずかしさも同時に覚えた。
 ここは夕暮れの街の広場。人々の憩いの場であり、荷物を運ぶ有翼獣達の受け入れ口は、暮れる空と共に人足も減り、今はアルシェンド騎士団国境支部の、本日の街の警邏担当の騎士達のみが存在している。
 任務を終えて国境支部に戻るまでの僅かな時間、はテオルグと少しばかりの談笑の時間を送っていた。双方共に言葉数は少ないけれど、暮れるそよ風と斜陽の温もりが気まずさを感じさせない。
 居心地が良い。きっとそう表現される空気なのだろう。

「あの、公開訓練日は、また近々に……?」
「ああ。今月は……もう一回程度だったか」

 じゃあ、またその時勉強をしに見学させて頂きますね。がそう告げると、テオルグはうっすらとだが笑う。この頃には、に対するテオルグの態度も、アシルと話す時のような空気を匂わせていた。

「滅多に窺う事のない、騎士様のお仕事の一つですから」

 それに、見上げた空を駆ける大きな白竜を、もう一度見られるから。
 とはさすがに言わなかったけれど、のほのぼのとした笑みは深まる。

「好きにすると良い。そういう日だ、それに他の騎士達も見学者が居れば身も引き締まるだろう……まあ顔は緩みきっているが」
「え?」
「いや、気にするな」

 小首を傾げた拍子に、赤みを帯びた光を受けるミルクティー色の髪が揺れる。不思議そうに見上げる瞳は直ぐにふわりと緩まり、テオルグは気づかれないところでうぐっと息を噛んでいた。
 そうして幾つか言葉を交わした後、テオルグは他の騎士と共に広場を後にし、国境支部へ戻る。またねー! と大きく手を振る騎士達に混じる事なく、テオルグはあくまで平常通りに広場を出た。

「お勤めご苦労様でした。お気をつけて」

 そよ風のように控えめながら、楚々としたの声は騎士達の背を見送った。そして彼女も紙袋を携え、帰路につく。



 小動物感たっぷりにちょこちょこと歩くの背を、テオルグは一瞬だけ盗み見た。
 いつ見てもあの少女はほのぼの和ませてくる危険な生き物であった。
 世の中にはこんな生物が居るのかと衝撃を受けたあの初対面から、縁あって交流の続く現在。日常の一つとして、既にの姿はごく自然なところに存在している。最初こそはあまりに別次元の生き物過ぎてどう接すればよいのか分からなかったが、今は以前の汗が滲むような緊張感はない。
 事あるごとに崩壊の窮地に立たされ、顔面と足に力の入る日々は変わらないが。
 気付けばテオルグの中で、小さく華奢で不思議な匂いを纏うの存在は、浅くないところにあるようだった。

 ……同時にそれは、今のテオルグにとって、困惑のもとでもあるのだけれど。

「難しい顔してるな、テオ」

 国境支部への帰路の途中、アシルがテオルグへ話しかけた。

「別に、大した事じゃない」

 アシルは隣で苦笑いを深める。

「また公開訓練日、来てくれるってな。俺や支部にとっては、嬉しい事だけど」

 途端、背面に続く騎士達が「脱・見学者ゼロ!」と歓喜の雄叫びをあげる。そんな仲間達にアシルは笑うものの、テオルグの反応は薄い。こういう時は決まって難しい事を考えているのだと、これまでの経験上で直ぐにアシルは察する。

「普通に良い子じゃないか、ちゃん。見学に来たって、何の問題もないだろ」

 むしろ問題があるのは、既に今、背後で喜びに踊り狂う国境支部の騎士達である。お前ら落ち着け。

「問題など、あるはずもない」
「なら何をそんな考えているんかな」
「いや……ただ」

 テオルグは、ぽつりと呟きを落とす。

「俺は人間ではなく竜だと……ふと、考えただけだ」

 アシルの不思議そうな視線にも気付きながら、テオルグは前を見続けた。

 そよ風に揺れる野花のごとく、慎ましく淡い色を浮かべる愛らしさ。小さく華奢な佇まいを彩る控えめで物静かな仕草は、ほのぼのと心身を和ませてくる。不機嫌な竜を前にしても崩さない、心根の優しい少女である事は、既にテオルグが知っていた。それに対して、嫌悪などとはとんでもない。むしろ非常に好意的である。
 けれど……何故かそれを、認めきれないのもテオルグだった。

 他種族と一線引き、空を根城にして君臨してきた竜の血か。弱さを排他し強さを求める、竜人の教えか。

 どちらにしろ、こんな事を考えるのは馬鹿げている。触れられる事を拒み、その背に乗せる者を厳しく選ぶくせに、無意識にも自ら進んで触れたのは――。
 普段は視界どころか胸にさえ届かない低い位置で、テオルグさん、と呼んでいたのに。片腕に乗せた時、決して見上げる事のなかった彼女が空を背にしていた。淡い色の髪を揺らして、緑色の瞳を丸く開いて。
 テオルグは口を閉ざす。あの光景が忘れられないなどと、言ってはならないような気がした。


 もう一度高潔な竜人に触れる事を淡く願うと、言い表せない困惑と焦燥の理由を探すテオルグ。
 二人が大きく動く事になったのは、それから間もなくの事である。
 謀っていたように、とある事件が国境の街と支部に近付いていた。


◆◇◆


 深い夜が明けゆく兆しが、東の空とその方角の山脈に見え始める頃だった。
 多くの人々が眠りの中にある仄蒼い朝方、郊外に構えた要塞――国境支部は、既に活動を始めていた。朝方の涼しさ、静けさをひりつかせる緊張を滲ませながら。

 国境支部に所属する全ての騎士が起床し身なりを整え、整然と一堂に集まる。その半分以上が根性の叩き直しやら技術力向上の修練やらを課せられたクセのある個性的な面々であるけれど、全支部トップを常に争う精鋭揃い。隙を作らず毅然と佇む姿には、普段との切り替えがはっきりと表れていた。
 勿論その中には、国境支部第一部隊の隊長であるアシルと、副隊長兼騎竜であるテオルグの姿もあった。
 集まった騎士達の前に、支部長ら上官が立つ。口を開いて語りだしたのは、緊急の非常事態が発生したという事であった。


 今朝方、別支部から緊急の案件を伝える伝達用の小型竜が到着した。
 有翼獣や竜を不法に捕え他国に密売しようとした違法商人の組織を摘発したが、その一部の小隊が既に発った後らしく、国境を越えようとしている事を吐いた。
 現在、既にこの地域に近付いている、あるいは侵入している事が窺える。支部防衛の一隊を除き、全部隊を導入して確実に捕えろ。


 ここ数十年は隣国との関係も良好で脅威のない国境であるが、年に数回、事件が起きる。国同士の大きな争いではなく、自国のもの、あるいは他国からもたらされるものだ。
 今回は、どうやら自国のものらしい。
 世界的に見ても、有翼獣や竜が数多く生息するアルシェンドは稀有な環境といえる。特に竜ともなれば、その価値はもはや杓子定規で測れるものではない。だからこそ、それを売り物にしようなどと思ったのだろうが……竜と共にある騎士からしてみても、非常に残念な事だ。異種族同士の発展途上の交流にせめて傷痕が残らない事を願う。

 それにしても、竜が何頭も巡回する上に険しい山脈が横断するこの場所を越えるとは……。随分と大きく出た。この業界でのみ有名とはいえ、そんなに国境支部の認知度は低いのだろうか。
 あまりに稚拙なやり方を思うに、常習犯ではないのだろう。その小隊とやらの捕縛は、問題ではない。注意すべきは――――。

「“何”を捕まえて運んでいるか、だろうなあ」
「他支部からの話では、まだ成長しきっていない幼体や攻撃性の低い個体とは言っていたが」

 アシルとテオルグは互いに顔を見合わせ、神妙に唸る。大体この手の事件の場合、目玉物件として一頭くらいは居るものだ。
 人が扱うには過ぎた力を持つ――猛獣が。

「とにかく、まずは小隊の確保だな。さっきの話の通りに、一隊を支部に残して、他の部隊は出動だ」

 夜の警邏を担当していた部隊は夜通しの任を既に行っているので、その部隊が支部に留まって連絡通達などの役に当たる。他の部隊は武装し、地上と上空から任務に当たる事となった。アシルとテオルグ率いる第一部隊は、上空から索敵強襲を担う。
 地上部隊は竜犬(りゅうけん)――竜種の亜種。字面の通りに竜と犬を合わせた姿をし、非常に鼻がよく小回りもきき、索敵と救助に大活躍――を連れ、常時連絡を取り合い、上空部隊が素早く遊撃という段取りとなった。
 アシルとテオルグなどを含む長から号令をかけられ、騎士達はそれぞれ動き出す。先に地上部隊が先行して探り、騎竜に乗る騎士達は素早く準備をして後に続く。国境支部の建物の頭上に飛び立った竜の影は、部隊長の指示に従って各方角へ散開していった。



 ――地上部隊と上空部隊の連携のもと行われた緊急の捕獲作戦は、仄蒼い空に光が差す頃に終結した。
 違法商人の小隊はそれぞれ別方向からのアプローチで商品を他国へ届けようとしたらしく、人目につかない林道などを進む隊もあれば、堂々と有翼獣で空中を進む隊もあった。何と言うか、計画性の無さを嘆けばいいのか、国境支部の騎竜を振り払える謎の自信に感心すればよいのか、多くの騎士が思ったという。
 商人達も、最初こそは意気盛んに騎士に挑んで突破しようと試みたが、支部の猛者と対峙した瞬間、戦う前から轟沈した。それもそうだろう、ここいらの騎士は少なくとも三割は何しない内から泣かれるタイプばかりだ。主に外見的な意味で(後に彼らは、悪党にまでびびられる顔って……と泣き崩れる)。さらに訓練によって騎竜も竜犬も筋肉がつき、いわゆるマッチョ体型である。そんな彼らに囲まれてしまっては、突破しようなどという甘い考えは一瞬で霧散する。
 彼らを検めたところ、不法に捕え売買しようとした生物達が頑丈な籠に窮屈そうに押し込まれていたので、問答無用で支部送りとなった。連行する際、騎竜の脚に縄を括りつけてやったのは、百歩譲った温情である。
 商人達はこの後、要請をした他支部へ引き渡す手筈になっていて、捕えられた生物達も休ませた後にそうなるのだろうが……。



「――案の定、だな」

 巨大な白竜姿のテオルグの呟きに、アシルは首の後ろを掻いた。
 二人の眼前には、見るからに大きな何かを運んでいましたと物語る、破壊された荷車が二つ転がっていた。商人達を捕えた後、取りこぼしがないか周辺を調べていた一部隊が発見したものである。
 今もなお、竜犬が警戒し唸っている。この騒動に関係するものだと見て間違いがないだろう。
 全長が軽く十メルタを越えるテオルグよりも小さいが、それでもその半分ほどに匹敵する十分に大きな造りの檻だ。ざっと見たところ、七、八メルタほどだろうか。支部の騎竜が楽々と一頭収まってしまう事になる。
 嫌な予感を抱かずに居られなかった。

「一体何を積んでたんだろうな。テオのお仲間か?」
「いや、これは……竜ではないな。獣の匂いがする」
「はぁー……全く、面倒事を持ち込みやがって」

 そこは山林の中であったが、付近には多くの人々が使う街道と街が存在している。危険が及ぶ前に何とか手立てを考えなければならない。

「まずはこの荷車に何を入れていたのか尋問だな。とりあえず支部に連絡だ」
「アシル隊長、私が行ってきます!」

 さっと告げたのは、キルテ――今回上空部隊に分けられていた、第三部隊の新人騎士の青年――だった。おう、じゃあ頼むよ、と返したアシルへ、キルテは敬礼し素早く騎竜に乗り飛び立った。
 気になる事は未だ多いが、後処理と今後を考え、一先ずは壊れた荷車の撤去だ。騎竜達の足に縄を繋ぎ、壊れた荷車を吊るして支部へ帰還となった。

 仄蒼い空は、昇り始めた朝陽によって白く染まりつつある。この地で生活する人々の一日が始まろうとしていたが、その美しい朝焼けとは裏腹に、それぞれの脳裏には暗雲が重く立ちこめていた。
 眼下に広がる豊かな山林の中に、あの大きな檻から解き放たれた何かがきっと紛れている。
 一体何を捕え、そして浅はかにも逃がしたのか。その正体が判明するのも、もう間もなくの事だった。



 商人達への尋問の末、壊された大きな荷車について判明した。
 愛玩や鑑賞の目的ではなく、唯一攻撃能力の高い個体を捕まえていたらしいが、あの場所で眠りから覚めてあっさりと脱走。再度捕える事も叶わないまま、騎士に拘束されたと言った。
 極めて攻撃性が高い上に、小型の飛竜くらいならば簡単に噛み殺す獰猛な獣――羽狂(はねぐる)い。
 広く活躍する有翼獣や竜の天敵とされ、アルシェンドという国にとっては正に宿敵といえる魔獣であった。



お待たせしてます、申し訳ありません。
時間が出来たので一つだけですが更新です。

この話は、少々甘苦い、甘辛い話になると思いますので、どうぞよろしくお願いします。また軽めの戦闘描写あります。本当にごく軽いです。たぶん。


2015.10.07