04

「――でも、限度ってものがあると思うの。雪綱さん」
「誠に申し訳ない」

 新しい年の、一番最初の朝は、もうすっかりと白く明るんでいた。
 普段ならばもっと早くに目覚め、身支度などを整えているというのに、何も出来ずにこの有様だ。

 大切な始まりの日を、まさか寝坊で迎える事になろうとは――。

 夜半、夫婦(めおと)となってから初めて身体を重ね、結ばれた。優しい雪綱へ心身を捧げられて嬉しく思ったが……しかし一度、二度では雪綱の獣欲は治まらなかったという事態に陥り、さらに三度、四度と獣の情事は続いた。終盤、にほとんど意識がなく、雪綱の求める声と息遣いだけが遠くで聞こえていて……気がついたら、別部屋の布団の中に彼と共に居た。
 つい先ほどまで情事に耽っていましたと言わんばかりの、はしたない格好で。
 そして、囲炉裏の周りは、色々と悲惨だった。何がとは言うまい、言いたくない。

 まっさらな清き新年が、爛れた始まりを刻むなんて。
 いや、後片付けからか。

 くらりとしたの傍らで、雪綱は大きな身体を小さくし頭を下げ、三角のお耳と丸く巻いた尻尾を垂らした。

「後片付けとお掃除、手伝ってくれますよね」
「ああ、何でも言ってくれ」

 仰せのままにと、彼はさらに小さくなった。それ以上怒れなくなるのだから、黒柴の顔はずるいと思う。

「えーと、裏の洗い場へ全部持っていって、それから朝ご飯……いたッ!」

 ひりつくような鈍痛が走り、の足下がよろめく。

「大丈夫か、。身体が痛むか」
「う、平気です……たぶん、夜中の……」

 思い出したら恥ずかしくなり、顔を伏せる。だが、視界の片隅に、揺れる尻尾が映り込んだ。じとりと、は半眼で雪綱を見上げる。

「もう、雪綱さんのせいじゃない」
「うむ、俺のせいだな。すまない」
「嬉しそうにして! もう、こういう無茶な事は“めッ”ですよ!」

 あい分かった、と揚々と頷く表情はキリッとしているが……尻尾はやはり嬉しそうに揺れている。それを少々憎たらしく感じながらも、しょうがないなあとのしかめっ面は苦笑へ変わってしまう。

「……ところで、少し前から思っていたが、時々俺の事をそこらの犬扱いしていないか」
「えッ?! そ、そんな事、ないですよ?」

 じいっと注がれる胡乱げな眼差しから、顔を背ける。

「さ、さあ、ともかく、片付けをしない。あと、私たちも、綺麗にならないと」

 身体の方も、酷い有様だ。湯浴み用の湯も、大量に用意しなければならない。
 しかし取りかかろうにも、いつもはしゃんと働く身体がよたよたとして覚束ない。丈夫さには自信があるので、動けなくはないが、少し情けない気分にさせられる。

、あまり、無理をするな」

 よろめいて転びそうになるところを、雪綱が支える。彼は頭を下げると、濡れた鼻先での額を小突き、毛皮を擦り付けた。

「身体を拭くなら、俺が手伝おう」
「……雪綱さん?」

 凄みを利かせて微笑むと、雪綱は三角の耳をぺたんと伏せ、キュウッと喉を鳴らした。


◆◇◆


 結局、午前はまるまる掃除に費やされた。お天道様は中天を過ぎてしまったが、これでようやく町中へ出掛けられそうだ。

 普段は着ない、少し特別なよそ行きの衣服を着付けたは、足早に雪綱のもとへ向かう。

「お待たせしました、準備万端です! いつでも行けますよ」
「そう慌てずとも、守神様の社は逃げないぞ」

 まあ、その通りではあるのだが、浮き足だってしまうのは仕方ない。これから、雪綱と共に、町外れにあるお社へ向かうのだ。
 とても立派な造りをしているその古い社には、町の守神であり、国を守護する龍神のご神体――龍神が自ら分け与えたという宝玉よりも美しい翡翠の鱗――を祀っているという。一年の始まりの挨拶と、良い年を過ごせるよう、必ず参拝をするのが町のしきたりらしい。人間たちもお社を伺うが、あやかし達の方が遙かに重きを置いているようだ。

、身体は本当に平気なのか」

 無理はするなと案じられたが、全く問題はないので、は力強く頷きを返す。
 今朝は幼児のようによろよろと覚束ない動きを繰り返していたものの、時間が過ぎたらわりと回復した。内太股や臀部の違和感は拭えないが、それほど支障はない。幼少期から野山を駆け回り、鍛えてきた足腰のおかげだろう。故郷の同年代の男子からはどん引きされたが、今は頑丈に育って良かったと思う。

「さあさあ、雪綱さん、行きましょう」

 履き物に足を通し、一足先に家の外へ飛び出す。小さく笑う雪綱の声を背中で聞きながら、は空を仰ぐ。晴れ渡った空の澄んだ青を、久しぶりに見た気がして、それだけで朗らかな心地が広がった。

「雪綱さん」

 くるりと振り返り、家を出てやって来る雪綱へ微笑んだ。

「今年もよろしくね――お前様!」

 雪綱の表情が、驚いたように固まる。黒い瞳は丸く見開かれ、三角の耳は真っ直ぐと伸びた。

、今」
「ふふ、行きましょ、行きましょ!」

 雪綱の横へ並び、彼の腕に自らの手を回す。雪綱はしばらく呆気に捕らわれていたが、やがてその面持ちを緩めると、口角を持ち上げ穏やかに微笑んだ。

 ――ああ、これからもこのひとと、楽しく過ごせますように。

 この一年も、その次の年も、行く先の未来で末永く。
 胸に宿ったほのかな期待と喜びがそうさせたのか、賑やかなあやかしの町は、今までになく輝いて見えた。



お前ら末永く爆発しろ!!
という心で書きました、和モノな人外小説。少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
季節感はガン無視ですが。(季節感の無さには定評がある作者です)

そろそろ人外ものにも、和モノが充実したって良いんでないか……? 和モノな人外を推したって、良いんでないか……? そんな心でした。
「悪く……ないな……」と思って頂けたら、光栄の極み。そして、あわよくば全身まるっと人外な読み物がもっと増えて、もっと沼地への永住者が増えますように。

◆◇◆

より情熱的な後書きは【投稿サイトの活動報告】にあります。良かったらこちらもどうぞ。


2018.05.04