01

 人からはよく尋ねられる。何故、“彼”と出会い、そして交際に至ったのか、と。
 だからそのたびに、こう答えるのだ。ごく普通に出会って、ごく普通に恋をした、と。




「ありがとうございました、またお越し下さい」

 商品を購入していった客を見送った後、は小さく安堵の吐息を漏らす。大きな息づかいではないのに、たちまち上がった白い息は目の前を一瞬煙らせる。

 店の前に広がる美しい煉瓦造りの町の景観には、真綿に似た柔らかな白雪が降り積もっていた。夜半に降りた雪は道端や屋根に重なっているものの、人の足首ほどの可愛らしさで、美しい町並みをより美しく引き立てている。
 今は雪も止み、銀鼠(ぎんねず)色の厚い雲の隙間から、淡い色合いの空が覗いていた。

 冬の到来が告げられたばかりだが、それでも吹く風はとても冷たい。身震いし、慌てて店の中へ戻った。

「雪が降ったせいか、今日は薬より飲料系が人気ですね」
「あと入浴剤とかね」
「薬局兼雑貨店だからなあ、うちは。あ、そこの棚からまた忽然と商品が消えて」

 ほんのりと暖かい店内では、従業員たちがのんきな会話をしながら商品の陳列などに精を出している。

さん、ちょっとこっち手伝ってくれるかい」
「は~い、ただいま」

 魔術薬師として、王都の薬局で働くようになって二年――まだそれだけの月日しか経過していないが、ようやく店の従業員として自信が持てるようになった。



 魔術薬師――文字の通り、魔術と薬学の知識を持つ薬師の事である。
 この世界の魔術は攻撃系統しか存在ないので、魔術薬師はその不足部分を補う、いわゆる回復や補助特化の職業だ。
 魔力、あるいは魔石を用いて特別な薬品の調合を行い、人を癒す薬から人を害す薬まで幅広く精通し、さらに特殊な植物の取り扱いなどにも詳しいとされている。
 とても重大な立場にあるので、初級から上級までの資格段階が設けられており、かつ試験を合格する事で初めてその職を名乗れる。人命に関わるので、当然だろう。
 ちなみに薬師と魔術薬師と区別されていた時代もあるが、今は垣根がなくなり、単純な薬師という名で呼ばれる事もある。

 が、この資格の初級を取ったのは、十八歳の時だった。初級とはいえ勉強には苦労したが、無事に合格し、その後は地元を離れ王都の薬局――現在のこの職場だ――で働くようになった。
 人や物が集まり多く行き交う王都だが、どこもかしこも賑やかで気忙しいというわけではない。住民街は静かで、の職場の薬局はその一角に佇んでいる。いわゆる地域密着型の店舗で、観光客が数多く行き交う大通りの店舗と比べると雰囲気などはだいぶ異なっているが、からしてみればまったく大差なく、立派な店構えだと感じている。

 後から知った事だが、実際、この薬局は一部の人々には一目置かれ賞賛される店らしい。
 薬局だけでなくその知識を応用した雑貨店も兼ねたこの店では、薬の処方だけでなく、別のものにも力を入れている。
 それは、入浴用品だ。
 魔術薬師と魔道具製作の上級資格を持つ、おばあさん店主が自身の健康と冷え性改善、そして辛い冬を乗り切るためにやり始めたのがきっかけだという。そしてこれがバカウケし、近隣住民の寒い季節の必需品となったそうだ。今では温暖効果や疲労回復効果が抜群の入浴剤から、肌を労る優しい石鹸まで、幅広く揃えられている。
 おばあさん店主の高度な技術と知識が惜しげもなくを注ぎ込まれた入浴用品に、住民だけでなく、こっそりとお忍びで貴族が買いに来る事もある。
 それまで多彩な入浴用品を知らなかったが、その素晴らしさにはも感動した。
 当時はたまたま見つけて目に留まった募集だが、この店にやって来れて良かったと、今も心から思っている。

 そして、は二十歳の誕生日をこの地で迎えた。二年が経ち、ようやく仕事や生活は馴染んだところである。



 慌ただしかった店内に落ち着きが戻る頃には、もう夕方だった。
 日中もそれほど雪は降らなかったので、今日の夜の天気次第ではあるが、きっとこの忙しさは明日明後日程度で治まるだろうと、仲間たちは言葉を交わす。

「もうちょっとで仕事も終わるし、頑張らなきゃね」
「はい」

 少しの含みを持たせた言葉に、が笑みを返し箱を持ち上げた時である。
 突然、店の外から、大音声が響き渡った。
 何事かと全員が揃って窓や入り口に張り付くと、まさしく店の真正面で、千鳥足の男が何やら叫んでいた。呂律の回らない口調、はっきりと見て取れる赤ら顔に、据わった目つき。そして片手に握った細長い瓶。考えるまでもなく、あれは。

「飲酒における、過度なアルコール摂取。つまり酔っぱらいだな」
「何も薬局の前で~……」
「よし、あれの口にこの酔い覚ましを突っ込んでしまいましょう」

 呆れるの隣では、苦すぎて飲めたものじゃないと評判で、もっぱら気付け薬として活躍している栄養剤を握る先輩がいる。そしてその瓶は男性店員へ差し出し、ぐいぐいと背中を押し始めた。

「ほら、行ってきなさい。男でしょう」
「嫌ですよ、なんで俺が!」

 暴れる病人をも余裕で押さえつける人々とは思えないやり取りに苦笑していると、酷く泥酔したその男性は視線を動かし、扉を開けて様子を窺っていたのもとへやって来る。

「あんだァ? ヒック、何見てやがる……酒注いでくれんのかァ? ああ?」
「え、ちょ、何で私……酒くさ!」

 あまりの匂いに、つい鼻を覆って顔を背けてしまう。ここは薬剤師らしく助言を、と思ったがむんずと腕を捕まれ、入り口から何故か引っ張り出されてしまう。
 慌てたように、店の先輩方も身を乗り出した。まったく、とんだとばっちりだ。恐怖よりも呆れの感情が強い。

「おお、お嬢ちゃん、俺にそんな引っ付いてきて……イック、嬉しいねえ」
「いや、あの、そちら様が掴んで……あの、離して下さいませんか? 飲み過ぎは……」

 身体に毒ですよ、と言おうとした時、酒臭い息を吐く男の顔が近付いた。さすがに嫌悪感を覚え、身体ごとそらした――その瞬間。

 と男の間に、誰かの腕が勢いよく伸ばされた。

「あァん、邪魔すんじゃ……ッひッ?!」

 気勢の良かった男の声が、急に小さくひきつった。
 そこに佇んでいたのは、体格のいい男の背丈すら凌駕する、馬鹿みたいに長身な身の丈の人物だった。膝下まで覆う真っ黒なコートで全身を包み、毛皮のついた黒いフードは目深に被っている。その下にある顔は、影が落とされ少々見えにくいときた。
 ――端的に言って、凄まじい威圧感を放っている。
 全身真っ黒な巨人に、酔っていた男どころか心配し店を飛び出した仕事仲間すらも青ざめて萎縮する。
 そのひとが誰なのか理解しただけが、表情を安堵で緩めていた。

 黒ずくめの人物は、一度へ視線をやった後、掴み掛かっていた男を軽々と押しのける。背中へ庇うようにの正面に立つと、フードの向こうで口を開いた。

「――過ぎた飲酒をされたようですね。このまま帰宅するならば、口頭注意のみで済ませましょう」

 不審者全開な黒ずくめの出で立ちでありながら、紡がれた言葉は粗暴さの欠片もなく、丁寧な響きに溢れていた。またその声も、非常に耳に心地好い低音であった。
 思わぬ声音が飛び出したからだろう、男は面食らい、忙しなく瞬きを繰り返した。

「それでもなお暴れるというのならば、営業妨害と見なされてしまいますよ。そうなっては、お困りになるのはそちらでは」
「な、な、なんだてめえは」
「……ああ、これは失礼を」

 腕を持ち上げると、大きな手が視界へと入る。
 黒い袖口から現れたそれは、暗褐色の鱗がびっしりと生え揃っていた。
 人間のものでない事は明白な、頑強そうな爬虫類の手だ。
 鋭い爪を伸ばした長い指が、黒いコートの襟元を引っ張る。その下に着込んでいる衣服を見せると、青ざめる男の顔色がさらに悪くなった。

「騎士団所属の、警邏中の者です」

 男はもごもごと何かを言うと、酒瓶を落としそうになりながらそそくさと去って行った。酒気の帯びた赤ら顔はすっかりと青くなっていたので、酔いは完全に覚めた事だろう。

 黒ずくめの人物は、ゆっくりとへ振り返った。

「大丈夫でしたか、
「はい、グウィンさんのおかげで」

 こうして向き直ると、長身だという事が本当に痛感させられる。小柄ではなく標準的な背丈なのに、の目線は、彼の胸の下辺りで止まってしまっている。
 は顔を目一杯上げ、ありがとうございました、とはにかんだ。影を落とすフードの下から、柔らかい息づかいが聞こえる。きっと、それは安堵だろう。

「おっと……すぐに同僚と合流しなくては。、また後ほど」
「はい、また」

 黒ずくめの人物は、鱗がびっしりと生えた大きな手を持ち上げ、の頭をそっと撫でる。去ってゆく黒いコートの裾からは、手と同じ、鱗に覆われた細長い尾がたなびいていた。

ちゃん、大丈夫?」
「はい、問題ないです!」
「それにしても……凄い貫禄だなあ。俺よりもずっとデカいじゃないか」

 駆け寄ってきた薬局の仲間は、去ってゆく黒ずくめの人物へしみじみとした言葉をこぼした。

「当たり前じゃない、馬鹿ね、有鱗(ゆうりん)族のひとよ。あの生まれのひと達は、男性も女性もとても身長があるから」
「へえ~……あんなにデカくて貫禄のある騎士がいたら、一般住民は安心だな」

 隣から聞こえる言葉に、は自らの誉れのように誇らしさを抱いた。

さん、知り合いだったのか。さっきのひとと」
「あらやだ、知らなかったの。恋人よ、ちゃんの」
「…………は?」

 素っ頓狂な声をこぼし、たっぷりと沈黙した後――彼は酷く仰天し叫んだ。
 だが、は仕事仲間の叫び声など気にも留めず、颯爽と去る黒ずくめの後ろ姿を見つめる。グウィンさん今日も素敵、と熱心に想いを馳せながら。




 有鱗族のひととお付き合いしていると告げた時、驚かれるのは珍しい事ではない。
 そういう反応をしてしまうのは無理もないと、も日頃から思っている。気にしてはいないし、すでにもう慣れっこだ。

 今日は職場の先輩に仰天されたなあと、はのんきに考えながら町中を進む。最近は一段と日暮れが早くなり、仕事が終わる頃にはすっかりと夜の風景だ。
 人々とすれ違いながら進んでゆくと、三つ、四つ先の街灯の下に佇む、長身な人影を見つける。鱗が生えた長い尻尾を揺らす、全身黒ずくめの人物だ。通り過ぎる人々は不自然に遠回りをしたり、あるいは踵を返して別の道を選んだりしているが、はぱっと表情を明るくさせ躊躇せず近付く。
 グウィンさん、と呼びかけれると全身黒ずくめがゆらりと動き、へ身体を向けた。

「お疲れ様です、

 被っていた黒いフードは外され、隠れていた頭部が街灯の明かりに照らされる。
 現れたのは、暗褐色の鱗で覆われた――爬虫類のトカゲそのものな頭部だった。

 有鱗(ゆうりん)族とは、字の通りに鱗の有る種族――つまり、蛇やトカゲといった爬虫類の生き物の血を持つ人々である。
 爬虫類の頭部や全身に生える鱗など、その外見には特徴があり、特有の身体の造りや生態などを持っているものの、生活自体は人間と変わらない。姿形で人を怯ませてしまうが、その実、彼らはとても温厚かつ礼儀正しい種族であると言われてる。
 だからなのか、恵まれた身体能力によって力を奮い、本能を尊ぶ獣人族とは、何かと相性が悪いと聞く。
 獣人族からすると、同等の力を持つくせに慇懃な態度をするところが癪に障る、なんていう話も耳にしたりする。
 もちろん、全てがその限りではないが。

 人間にも様々な土地の出身が存在するように、獣人にも様々な部族があるように、有鱗族にも厳密にいえば様々な種が存在しているという。事実、の前に佇むグウィンの持つ暗褐色の鱗は、つるりと平らではなく、刺状のものだ。顔立ちだけ見ると、まるで物語に出てくる竜のようにかっこいい。

 かっこいいのだが……。

(防寒対策が、なかなか目を引くんだよねえ~)

 やはり爬虫類の血に影響されるのか、有鱗族はすこぶる寒さに弱い。冬眠の文化はないものの、寒さ対策をしないとすぐに体調を崩すそうだ。実際、季節の変わり目になると薬局や医院に駆け込む有鱗族が圧倒的に増える。
 グウィンもその例に漏れず、防寒具をきっちりと着込んでいるが、問題は……その格好だろう。

 頭をすっぽりと隠す、白い毛皮付きの黒いフード。
 膝下までがっちりと守る、丈の長い黒いコート。
 首回りを守る、紺色のマフラー。

 ――端から見たら、殺し屋か、暗殺者である。

 慣れたはかっこいいの一言で済むが、そうでない人々は間違いなく怯む。一目見て、速攻引き返すだろう。そして悲しい事に、現にそうなってしまっている。

(かといって、グウィンさんが明るい色のコートとか考えられないし)

 この暗殺者カラーが、彼に一番似合う色なのだ。きっと。
 は怯む事なくにこりと微笑むと、彼と並んで歩き始める。

「グウィンさん、今日は町中の警邏だったんですね」
「ええ。災難でしたね、酔っぱらいに絡まれるなんて」
「グウィンさんのおかげで、お店やお客様に迷惑は掛からなかったです」

 が表情を緩めれば、グウィンはその魅惑の低音で「それはなによりです」と返す。

 トカゲそのものな頭には人間のような明瞭な表情の変化は少ないが、声音はとても穏やかで、耳がくすぐったくなるほど優しい。
 この外見で、この声と物腰。反則である。
 は胸を高鳴らせ、グウィンをそっと見上げた。

 暗褐色の刺状の鱗が生え揃った、トカゲそのものの頭部。同様の鱗で覆われた大きな手と、指先の鋭い爪。黒いコートの裾から飛び出している、長い尾。そして、小柄ではないはずのが小さく見えてしまう、非常に伸びた身の丈。
 隣に並ぶひとの外見は、怯ませるものがあるのかもしれない。
 けれど、その印象がことごとく当てはまらない事を、は知っている。

 だから、自ら望んで、彼の隣に立ったのだ。

 誰もが驚くし、色眼鏡で見てくる。信じてくれるひとは、きっと少ない。
 それでも、本当なのだ。本当に、彼とお付き合いをしている。言葉で言うしか出来ないが、嘘ではないのだ。

 そんな風になれた事は、今も時々、は不思議に思うが、嬉しい事には変わらない。すれ違ったひとの視線や、振り返る気配も、全く気にならないほどに。

 しかし。

(グウィンさんが、それを信じてくれているのかは、正直まだ分からないけど……)

 側に居たいと願ったのが、一時の迷いや、遊びや冗談のつもりなどではないと、彼に伝わって欲しい。
 この日もは、凛々しいトカゲの横顔へ思いを馳せた。



■トカゲ人(リザードマン系人外)と人間娘

今回は、代名詞と化した(ような気がする)全身フル毛皮な獣頭の獣人ではなく。
鱗びっしりリザードマン系人外がヒーローになります。

例に漏れず【全身を通してモロ人外】ですので、それが大好物の猛者の方のみどうぞ。
また爬虫類系が苦手な方は、今のうちに引き返した方が吉です。自重せず全力で書いてますので。

【人外】ジャンルの発展と、うっかり新たな扉を開いてしまう方が増えるようにと、願いを込めて。

また作中の設定には脚色など入ってる部分がたくさんありますので、あらかじめご了承下さいませ。


2017.02.11