07

 夢うつつに、冷えた空気が顔を撫で付けた。
 は微かに瞼を震わせ、ゆるりと持ち上げる。
 目の前には、黄色がかった白い鱗が広がっていた。
 これは何だっけと、しばし寝ぼけ眼で眺めた後、ぐるりと辺りを見渡す。高い天井、大きな家具、自分の部屋ではない内装。一つ一つを順番に認識し、ようやくそこが何処なのか思い出した。同時に、昨晩の事も。

(なんか、凄い事されたような……)

 真っ先にそんな言葉を浮かべ、目の前の鱗の壁――もといグウィンの分厚い胸から視線を外す。
 ほのかに明るい部屋はひんやりと冷たく、しん、と音のない静寂が漂う。雪が降っているのかと、カーテンが覆う窓に視線をやり、身体を持ち上げる。
 が、途中で引っかかり、肘を立てた状態で止まってしまった。
 はリネンをめくり、中を覗き込む。の胴体と両足には、鱗がびっしりの腕と尻尾が巻き付いていた。
 外気が入って寒かったのか、きゅうっとその力が強まる。私から暖を取っているのだろうか。は小さく笑いながら、丁寧に尻尾を外し、腕の中から潜り抜ける。目が冴えたし起き上がろう、とベッドから出て――。

「さむ!!」

 小さく叫び、身体を震わせた。服どころか下着も着けていないので、当然の寒さである。
 衣服などは恐らく浴室にあるだろうが、全裸でグウィンの自宅をうろつくというのは、さすがに恥ずかしい。何か着るものはないと部屋を見渡し、ベッド脇のチェストに置かれていたシャツに目が留まった。

 すみませんグウィンさん、借ります!

 何処とは言えないが痛む身体を素早く動かし、ベッドから抜け出して駆け寄ると、シャツを羽織る。グウィンの身長を鑑みれば、そのサイズ差は著しく、全体的にぶかぶかな有様だった。
 膝上丈のワンピースを着ているみたい。
 ふふ、と小さく笑い、シャツのボタンを三つ、四つほど閉じる。多少は安心出来る格好になったところで、部屋を暖める魔道具の前へ移動した。寒さが事のほか苦手なグウィンのため、先につけておく。

「今何時だろ……あ、時計あった。六時かあ」

 薬局へ出勤するまでだいぶ余裕はあるが、その前に一度帰宅して、身支度を整えなければ。
 ぶかぶかな袖で欠伸を隠しながら、浴室へ衣服を取りに向かい、下着だけ先に履く。再び部屋に戻ったは、なんとなしに窓辺へ近付き、僅かに開いたカーテンを左右に割る。
 硝子窓の向こうに広がった朝の王都の街並みは、雪化粧が施され白く輝いていた。
 きっと、夜半の内に降り積もったのだろう。薄れていた道端の積雪も、存在感を取り戻している。
 冷たく澄み渡る朝陽が、空気を煌めかせ、街並みを照らし出す、しんと美しい冬景色。綺麗だと、は素直に見惚れていた。

「――ああ、雪が降りましたね。どおりで」

 何の気配も物音もなく、唐突に背面から抱えられた時、驚きすぎて声も出なかった。
 飛び跳ねる勢いで全身を竦ませたを、長い両腕が包み込む。ひやりと冷たい鱗を見下ろしてから、少し笑って顔を上げる。

「グウィンさぁん……もう、びっくりしました」
「すみません、つい」

 頭上で響いた彼の声からは、あまり悪びれた様子は感じられない。

「部屋、暖めてくれたんですね」
「あ、ごめんなさい、勝手に触って」
「いえ、助かります。普段はまずベッドから抜け出すまでに一時間ほどは掛かるので。それはそれとして……」

 グウィンはおもむろに数歩退くと、爬虫類の眼をきょろきょろと動かし、の全身を眺め始めた。
 ああ、そうだ、シャツも勝手に羽織ってしまったんだ。
 がそれについても言おうとすると、彼は手のひらで静かに制した。

「それは構わないのですが、、少し回ってみてはくれませんか」
「……え? あ、はい」

 言われるがまま、はその場でくるりと一回りする。グウィンは爪の生えた指で自らの顎をなぞると、ふむ、と頷く。

「良いですね。もう一度」

 グウィンはさらに、もう一回りさせる。ぶかぶかなシャツを翻すを見つめ、ふむふむ、としきりに頷いていた。

「眼福です。今朝から素晴らしいものをありがとうございます」

 グウィンの顔と声はキリリと引き締まり、真面目くさった雰囲気を醸し出しているが――どうやら、とても喜んでいるらしい。彼のその足元では、長い尻尾が軽快にうねっていた。

「そ、そう、ですか? でもあの、ちょっと恥ずかしいので、すぐ着替えます」
「おや、それは……残念ですね」

 グウィンは呟くと、シャツ一枚のみを身に着けたを抱き寄せ、耳元に鼻先を擦り付けた。

「次も是非、その姿を見せて下さいね」

 笑みを含んだ息遣いと、愛おしげな低い声が、肌をくすぐる。
 冗談なのかそうでないのか、さっぱり分からないまま、の耳は今日も今朝から赤く染まるのであった。



 が自分の衣服に着替えたその後は、グウィンのもとで朝食を食べてゆく事になった。も調理場に立ち手伝いをしたので、時間は掛からず二人分の用意は出来たのだが……。

「やはりには大きいですね」

 昨晩も思った事だが、カップや皿といった食器は、どれもの手には大きい。レードルくらいはありそうなスプーンで、慎重にスープを掬い上げ、口に運ぶ。
 見た目は少々不恰好だが、使う分には問題ない。小人になった気分だと、は小さく笑う。

「人間と有鱗族は違うけど、こういうところは面白いですね」

 食器も違えば、食事の量も違う。こうして互いの分を見比べても、当然、の方が量も少ない。器に盛る時なんか、その量で大丈夫ですかと、グウィンから心配されてしまったくらいだ。
 特に遠慮もしていないし、日頃から食べる量をよそったのだが、自分のところだけ無理なダイエットを課しているように見える。
 そういった部分は、比べてみると楽しいのではないだろうか。

「……違いを楽しむ、か。は柔軟ですね」

 感心するような声色で、グウィンは呟いた。

「私も、そうなれたら良いのでしょうが……当分の間は、無理そうだ」

 首を傾げたへ、彼の指が伸びる。鱗で包まれ、爪の生える指先が、膨らむ頬を撫でていった。

「――貴女が居てくれて良かったと、つくづく思いますよ」

 トカゲの頭に表情らしいものは見当たらないが、向けられる眼差しからは、穏やかな微笑みを感じた。



 朝食を終えてすぐに、はコートを着込み、手荷物を携えた。
 この後は職場の薬局に向かうので、そろそろ自宅に戻らなければならない。
 玄関口でブーツに履き替えるの背面には、グウィンが佇む。外まで送りますよと彼は言ってくれたが、今朝もよく冷え込んでいるのでそれは遠慮した。寒さが苦手だという有鱗族の特性は、けして誇大表現ではないのだと、改めて学んだので。

「グウィンさんも騎士のお仕事がありますし。暗殺者スタイルはまだ大丈夫です」
「暗殺者……?」
「あッ! いえいえ、何でもないです」

 はブーツを履き終えると、グウィンへ向き直った。

「じゃあ、そろそろ行きますね。あの……」

 はじっとグウィンを見つめた後、少しだけ屈んでくれますか、と頼んだ。グウィンは不思議がりつつも伸びやかな上背を曲げ、トカゲの頭を下げる。暗褐色の、刺状の鱗が生える、凜々しい面持ち。はそれを両手で包むと、心持ち爪先立ちをし、鼻先へ唇を寄せた。
 ほんのりと冷たい、ざらついた鱗の感触が、柔らかい唇に重なった。
 表情こそ変わらなかったが、グウィンは面食らったような雰囲気を滲ませた。はゆっくりと離れ、気恥ずかしさを誤魔化し、あどけなく微笑む。
 すると、今度はグウィンの方から顔を寄せ、の頬に鼻先を押し当てる。そして、二股に割れた赤い舌先を、名残惜しそうに唇へ這わせていった。
 冷たくもない、温かくもない、傍から見れば捕食風景の――彼なりの、不恰好な口付け。


「は、はい」
「また、後ほど」

 笑みを湛えた低音が、耳をなぞる。は僅かに目を見張ると、柔らかく緩めた。

「――はい、また」

 噛み締めるように、言葉を紡ぐ。穏やかに佇むグウィンに手を振り、扉を開けて外へと踏み出す。

 また。
 もしかしたら告げる事は出来なかったかもしれない、その言葉。
 何度も繰り返しながら、ああ良かったと、素直に、純粋に嬉しかった。
 の胸に、幸福感が満ちてゆく。肌を貫く朝方の冷たさに包まれながらも、赤みを帯びた頬は、温かく綻んだ。笑みを含む白い吐息が、澄み渡った目映い空へ軽やかに昇る。

 グウィンも同じように思っていたら嬉しいと、は願いながら足を進める。踏み荒らされた様子のない、薄く降り積もった白雪には、の足跡が軽快に刻まれていった。


◆◇◆


 曖昧だったとグウィンの関係が、自信を持って“恋人”だと言えるようになってから、数日後の事。
 グウィンから突然、合同のパーティーをしないかと、提案が持ちかけられた。

「我々、第六師団の騎士と、の働く薬局の人々で。親睦会のようなものでしょうか」

 いつだったかの酒場の件で、非礼をしてしまったのではないかと彼らが気にし、詫びなども含み催したいと言っているそうだ。あの時は、むしろの方が場を濁してしまったと思っているのだが、単純に一緒に飲食がしたいという強い願望があるらしい。

 騎士と薬術師――戦う者と癒やす者。対極の位置にあるような、異色な組み合わせによる親睦会。どうなるのかまったく想像もつかないが、愉快な事になりそうな予感はした。

「楽しそうですね。どのくらい集まるか分かりませんが、聞いてみます」

 はもちろん参加させて貰うが、しかし、先輩方はどうだろう。何人か来てくれればいいのだが――。





 そして、一抹の不安を胸に過ぎらせ、迎えた当日――。

「第六師団は! そんなに世間で言うほど! 綺麗な部隊じゃないんだ!」
「大変ね、住民の英雄は……。ほら、これを飲みなさい、うち特性の栄養ドリンクよ」
「うう、ぐす、ありがと……ぶべーッ!!」
「おい! 気付け薬持ってきたの誰だ?!」

「騎士団の常備薬、きちんと身体を考えたもの使っている? 治れば良いだけじゃないのよ、薬って」
「ええと、確か、こんな感じの名前のやつとかありました」
「見せて。……ああそれ、効果は確かに抜群だけど、多用したら弱っちゃうわ。おすすめのいくつかメモしてあげるから、騎士団のぽんこつ薬術師どもに渡してみて」
「こんなの使わなきゃならないなんて、騎士も大変なんだなあ」

「何か入り用なのがあったら、是非うちの薬局を……」
「ええ是非……さっそくですがあの入浴剤、冬季の間、定期購入したいのですが……」
「もちろんです……。ところで、夏になると、今度は湯上がりが涼しくなる清涼感のあるものを置くようになるのですが……」

 酒場に響き渡る、笑い声、叫び声、何処かにぶつかる音。
 会場となった店内は――騎士(非番)と薬術師が入り乱れ、大所帯となっていた。

 騎士と薬術師という職業の垣根は、立食形式の自由さのもと、既に取り払われている。賑やかで、親しげで、正反対の職業に就く者たちが集まっているとは誰も思わないだろう。
 この日を迎えるまでに過ぎった一抹の不安は、ただの杞憂であったらしい。冬の寒さを吹き飛ばすその活気が、全てを物語っている。

「盛況してますね。薬局の皆さんが来て下さって良かった」

 両手にグラスを持ち、グウィンが傍らへやって来た。その一つを受け取りながら、は苦笑をこぼす。

「私も、最初は来てくれるかどうか心配だったんですが、全然そんな事なくて」

 ……まさか声を揃え「行く!」と力強く返してくれるとは、思わなかった。
 その理由の半分ぐらいは営業目的もあるようだが(実際、何か売り込んでいる先輩が居た)、普段ならまず考えられない組み合わせの親睦会を、意外にも楽しんでいるようだ。
 勤務時には絶対に見せないはしゃぎ様には、少々驚いたものの、グウィンの同僚である私服の騎士たちも同じような雰囲気だ。一角では、肩を組んで酒を注ぎあう姿まで見える。

 たまには、こういう賑やかさも悪くない。も笑みを浮かべ、グラスを傾けた。

「薬局の女神ィ! 楽しんでますかァ!」

 上機嫌な赤ら顔の青年が、瓶を片手にやって来た。始まってからそれほど時間は経っていないのに、すでに酔いが回ったらしい。
 前回、を酒場に連れて行った人物であり、また今回の親睦会の発足人でもあるという彼は、引き続き見事な泥酔ぶりを披露している。
 しかし、悪酔いした不快な空気はなく、楽しげな雰囲気を振りまいていた。

「はい、楽しいです。とっても」
「それは良かったっす! さあ女神、今度こそ俺の酒を――」

 最後まで言わず、彼は真横へ吹っ飛んだ。
 割り込んだ別の青年が、真横へ容赦なく押し退けたからである。

「すみません、こいつすぐ酔っ払って。後で殴っとくので、気にしないで下さい」
「何すんだよ、俺ァ女神に、感謝の御酒を」
「邪魔しようとすんな馬鹿!」

 そのやり取りに笑ってしまいながら、は彼らを宥める。

「邪魔ではないですよ、ね?」
「いえ、邪魔です」
「ちょ、もう、グウィンさん!」

 トカゲの顔はぴくりとも動かないので、妙に真に迫っているが、声色は穏やかな笑みを浮かべている。彼なりの冗談だろう……と思う。
 が笑ってグウィンの腕を軽く叩くと、彼は長い尻尾を器用に持ち上げ、の背中に擦り付ける。悪戯っぽい仕草に、の笑みは深まった。

「……あれ、お二人って」
「もしかして」

 彼らは何か尋ねようとしたが、タイミングよく大皿の料理が運ばれ、湧き上がった歓声に掻き消された。

ちゃん、美味しそうなの来たわよ! こっちにおいで!」
「はーい!」

 はグウィンの腕を取り、不思議そうに佇む二人の青年も連れ、料理のもとへ向かった。
 大皿に鎮座する、香辛料の香りが刺激的な肉料理を、全員で取り分けて頬張る。あっという間に大皿は綺麗に平らげられ、さらに追加の注文を入れる。身体を激しく動かす職業に就く、男性たちの旺盛な食欲に、薬術師側はこっそりと衝撃を受けた。


 しばらくすると、気分が盛り上がってきたらしい数名の騎士が、グラスを手にし椅子の上に乗った。おのずと視線が集まり、囃し立てる声が上がる。

「いやあ楽しい、実に楽しい!」
「全く職種が違うけどォ、今後も我々の親睦を願って! 今一度、乾杯!」

 高らかにグラスが掲げられ、天井に吊り下げられた明かりが反射する。同じように、全員がグラスを掲げ、朗らかな笑い声が響いた。





 ――楽しい時間は過ぎてゆき、終わりを迎えた。
 酒場の外は夜が深まり、一段と大気が冷え込んでいるが、賑やかさの余韻が残る身体には少し心地好くもあった。
 この場で解散となり、帰宅するという人がほとんどだったが、二件目に向かうというグループも傍らに出来上がっていた。対極的な職業同士である事を忘れ、すっかり打ち解けたらしい。

さんもどうですか、二件目」
「えっと、お誘いは嬉しいのですが、私も今日はこれで失礼します」

 食べ過ぎて、なんだかお腹一杯だし。
 が控えめに断ると、彼らは酷く残念そうな声を漏らしたが、強引に連れて行こうとはしなかった。それなら次の機会にと提案する彼らは、十分に紳士的である。

「なら、帰りは大丈夫か。なんなら途中まで――」
「その心配は要りません」

 遮るように、低い声が響く。
 各々が振り返ると、そこには暗闇を纏ったような黒ずくめの長身な人物が佇んでいた。
 膝下まで届く、黒いコート。首周りを覆う、マフラー。深々と被り、暗闇を落とすフード。夜道で出会ったら悲鳴も上げられず腰を抜かすだろう、その出で立ちは――。

「ぎゃーッ! 死神ィー!」
「人の顔を見るなり失礼ですよ」
「ってお前かよ! 見えねえよ顔なんかよォォォ!」

 寒さが大の苦手なグウィンの、防寒装備である。

 ジャンプして振りかぶった仲間の手が、勢いよくグウィンの頭に叩き付けられる。目深に被ったフードが外れ、トカゲの頭が露わになったが、彼は怒るでもなく元の位置に直す。

 深まった夜を背にすると、その暗殺と見紛う外見の迫力は、余計に増している。そう思うのはだけでなく、グウィンの仲間たちも同じであったらしいが……堂々と死神と言い放つ辺り、気心の知れた仲間の、遠慮のなさを目撃した気分になった。

、私もご一緒しますが、大丈夫ですか」
「もちろんです!」

 さすがグウィンさん、優しい。
 は子どものように喜んでいたが、何やらその場の空気が変わった事に気付く。騎士たちは動きを止め、薬師たちはニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「え、グウィン……? お前、送り狼なんて奴じゃなかったよな」
「……何を言っているんですか、貴方たちは」

 グウィンは、フードの向こうで大きく溜め息を吐き出した。
 それを見て仲間たちは、そうだよな、と笑っていたが――。

「送り届けるのは恋人の務め。当然でしょう」

 横切る風のように、あまりにも自然な声音でグウィンが告げた、次の瞬間――第六師団の同僚全員が、等しく硬直した。
 見る見る開かれてゆく、彼らの瞳。そこには、驚愕の感情がありありと滲んでいた。

「な、な、なんだって?」
「おま、いま、なん、おま」

 激しく狼狽え、行き場を無くしたように両手が宙をさまよう。屈強な騎士らしからぬその反応に、はすぐに察知した。隣に佇むグウィンのコートをそっと引き、爪先立ちになる。

「……グウィンさん、もしかして、あれから言ってなかったんですか?」

 グウィンは首を捻っていたが、どうやらようやく思い至ったようで、ばつが悪そうに声を潜めた。

「まあ、有り体に言えば……忘れていました」

 グウィンが呟くと同時に、凍り付いていた空気がドッと弾け飛ぶ。

「恋人だとォォォォオオ?!」
「よくぞ言ったァァァアアア!!」

 騎士たちからは悲鳴が、薬局の先輩からは歓声が、それぞれ異なる温度差をもって響いた。
 屈強な男性たちのさめざめとした悲鳴も気にはなるが、それよりも、先輩方の笑い顔の方にの視線は向かった。

「まったく、どれだけ待たせる気だったのかしら」
「ようやくか、遅いんだよこの野郎」

 とグウィンの事情を知っている分、彼らの言葉には深みがあった。
 あれから何も言わなかったが、彼らなりに、やはり心配してくれていたのだろう。
 さすがのグウィンも少々たじろぎ、フード越しに頭を掻いている。もつられて笑みをこぼし、隣に佇む完全防寒装備のグウィンを見上げた。

「ほらほら、こんなとこに居ないで、二人は早く行きなさい!」
ちゃんを、ちゃあんと送り届けてちょうだいね」

 薬術師の女性たちが、グウィンとの身体を押す。グウィンは静かに頷くと、へ向き直り、手のひらを差し出した。鱗で包まれた、大きなトカゲの手のひら。鋭い爪の伸びる長い指には、外見に反した恭しさが宿っている。はくすぐったく微笑むと、自らの手のひらを乗せ、ぎゅっと握った。
 途端に、わっと賑やかな声が増えたが――狼狽える野太い悲鳴は、今も背景で響き渡っている。

「待てグウィン! おま、女神と、どういう」
「明日の仕事には支障のない程度で楽しんで来て下さい、皆さん。それと言い忘れていましたが……彼女は私の女神です」
「いやおま、それ今関係あるか?!」

 グウィンはさっさと仲間たちに背を向けると、さあ行きましょう、との手を引いて歩き始めた。
 彼の隣に並びながら、はそっと振り返る。店先の明かりに照らされる薬局の先輩たちは、にこやかに微笑み、手を振っていた。声は聞こえなかったが、良かったねと、彼らの唇が動いた気がした――。





「はー楽しかったです、こんな風にたくさんの人と食べるのは初めてです」
「それは良かった」

 街灯が照らし出す王都の街中を、とグウィンは同じ速度で進む。
 夜は深まったが、人の往来はまだそれなりにある。擦れ違う人々は、一瞬ぎょっとなったり、あるいは振り返って目で追いかけてきたりとしている。この日も眼差しを集めているが、不快な気分にはならない。
 がそっと、鱗の生えた長い指を握ると、彼もやんわりと応じて握り返してくれる。
 たったそれだけの事ではあるが、は嬉しくなる。今まで、彼がこの指を握り返してくれた事は、なかったのだ。

「貴女の手は、温かいですね」
「ふふ、グウィンさんも、あったかいですよ!」
「しかし、我々の種族は、体温というものを持たないのですが……」
「もお~! 気持ちの問題です!」

 取り留めのない言葉を交わしていると、不意に目の前を、何かが降りていった。
 思わず足を止め、夜空を仰ぎ見る。
 綿のように柔らかい雪が、ふわふわと、降り始めていた。

「雪、降ってきましたね」
「もうすっかりと、冬本番ですしね。積もるほど降らないといいのですが」

 グウィンの言葉の節々には、忌々しさが浮き彫りになっている。本当に、寒さが苦手なようだ。

「こう寒いと、早く終わって欲しいって思いますね。まだ冬も始まったばかりなのに」
「そうですね。冬が終われば、そうしたら春に……」

 グウィンは途中で声を止めると、不意に押し黙ってしまった。どうかしたのかと、は深々と被ったフードの中を覗き込むように首を傾ける。彼はすぐにハッなって意識を戻すと、に眼差しを向けた。

「いえ、すみません。少し思い出して」
「何をですか?」
「我々は、春になると……」

 グウィンは呟いた言葉を再び飲み込み、そっと首を振った。

「いえ、秘密にしましょう。春になったら、お教えいたしますよ」
「ええっ? 何かあるんですか?」
「さあ、何でしょうね」

 グウィンは広い肩を揺らし、穏やかに微笑んだ。落ち着きを払う物腰は変わらないが、何処か楽しそうな雰囲気が浮かんでいるように感じた。

「さあ、帰りましょう。冷える前に」

 は大きく頷き、グウィンの――トカゲの手を握り直した。
 見た目も大きさも感触も、何処を見ても同じとは言いがたい互いの手の、その間に宿った温もりが消えないよう、強く――。


◆◇◆


 ――春。
 それは、多くの動植物の命が芽吹く、特別な季節である。
 人間たちもその季節の訪れを喜ぶだろうが、有鱗族等を含む異種族にとっては、もっと大きな意味を孕んでいる。

 雪が溶け、暖かな風が吹けば、凍えた季節に閉ざされていた本能が、一気に疼く。
 繁殖期――俗に言えば、恋の季節を迎えるのだ。
 それがどれほど抗いがたく、また魅惑的なものであるのか、きっと人間には生涯を通して理解は出来まい。

 グウィンも、無関係ではなかった。

 繁殖期を迎えた有鱗族の雄は、喉から胸にかけ、赤い色が浮かび上がる。普段は子孫を残す身体ではないが、この季節に限って子を作る事が出来るようになるので、その証とも言える。
 その赤色は、有鱗族にとって、特別な色だ。だから春の間は、雌にはもちろん同じ雄にもけして見せず、大切にひた隠している。
 雄がその色を見せるのは、意中の雌に対してのみ。
 赤く染まった喉を見せる事が、有鱗族の雄にとっての、求愛行動である。

 これまではそんな相手は存在しなかったので、喉元に赤色が浮かび上がっても、誰にも見せる事はなかった。疼き出す本能を抑え、春という季節をやり過ごしていた。

 だが――今回からは、違う。

 雪がちらつく夜の冬空の下、鱗に覆われる手を握り、恐れる事なく隣を歩む、暖かい存在。好意の感情を表す甘やかな匂いを、今も目眩がするほど纏っている、愛おしむべき娘が側に居る。

 春になり、突然現れた喉元の色を、彼女は恐らく不思議がる。そうして好奇心で瞳を輝かせながら、指を伸ばし、無防備に触れるに違いない。
 その時になったら、教えるつもりだ。この忌むべきトカゲの身体に、命を残す雄の本能が目覚めたのだと。喉元の赤色を捧げる相手が、貴女以外には居ないのだと。

 彼女は、何というだろうか。どのような、反応をするだろうか。

(綺麗な色が、現れてくれたら良いが)

 暖かな春の訪れは、まだ遠い。
 だが、未来を思いながら過ごす冬も、悪くはなかった。



獣人だけかと思ったか?
残念だったな……俺はもともと幅広く人外を愛せるタチなんだぜ。
(大事な事なので二回言います)

◆◇◆

そんな事で【全身鱗なリザードマン系人外×人間娘】でございました。
寒い季節にはあったかくなさそうな鱗系ですが、胸がほっこりして頂けたら何よりです。
ちょっと物理的にあったかくなろうとしてる場面もありましたが。(お風呂シーンとか)

作業の手間の関係上、投稿サイトにて先行公開でしたが、個人サイトにもようやく掲載させて頂きます。

ちなみにグウィンのビジュアルモチーフですが【オオヨロイトカゲ】という種類のトカゲのビジュアルをお借りしています。

そして【同じ色の春を待つ】というタイトルの意味、最後の辺りでふわっと分かったかと思われます。

改めまして、お付き合い頂きましてありがとうございました。
さっくりとした中編でしたが、楽しんで頂けたら何よりです。
これからもこのジャンルが、ひっそりと、けれどじっくりと、発展していく事を願っています。

そしてこの話により、獣人だけでなくリザードマン系にも心ときめいてしまう方が現れたら、嬉しいです……。
おいでませ、人外の沼地!(常に住民は募集中!)

◆◇◆

より情熱的な後書きらしい後書きは投稿サイトの活動報告をどうぞ。
ここと日記にリンクを繋げてあります。


2017.03.17