01

 役立たずの烙印と共に捨てられたあの日から、気付けば五年以上。
 荒野の国での暮らしにも、随分と慣れた。




 果てなく広がる、乾いた赤茶色の大地。地平線にまで伸びる、大らかな大河。乾燥地帯特有の、背の低い植物。茶色い世界を切り裂くような鮮やかな青空に、力強く吹く乾いた風――。
 無骨で厳しく、それでいて手付かずの自然の雄大さを体現するこの土地は、風景のまま“荒野の国”と広く呼ばれている。

 草原地帯から砂漠地帯まである、この広大な世界はけして優しくはない。だが、そんな土地でも、逞しく暮らす人々は意外にも多い。人間から獣人、ヘビ人やトカゲ人など種族は様々で、その全てが土地に適応し、各地に町村を作り、あるいは渡り歩き生活を送っている。
 しかし、ともかく面積が大きなこの国では、地図に記されていない町村が多くある。古い時代から外界と切り離されるように存在してきたからか、それとも種族それぞれが独自的な掟や習わしを持っているからか、地図の作成が追いつかないのだと誰かから聞いた。季節ごとに場所を移動する一族もあるくらいだから、増えては減り、減っては増えて、それを繰り返しているという。

 外から見たら不便と思われるのかもしれないが、我々からすればそれが普通であり、不満はまったくなかった。

 ――暮らしについては。



 荒野の国の中でも、緑と木々が多い草原地帯。その中心的な位置にあり、数少なく地図に記されるこの大きな町は、今日も雑多な賑わいを見せている。中継地点、あるいは活動拠点に選ばれる事が多いため、ここは特に他所の部族や荒野の商人、外からの旅人などが集まるのだ。太陽が中天に昇る時刻ともなれば、どの店も盛況し至るところで明るい声が飛び交う。

 立ち並ぶ乾いた赤煉瓦の建物と、屋根の下で色鮮やかな布地がはためく、見慣れた風景を眺めながら懇意にしている店を訪ねた。

「おばさま、こんにちは」
「おや、ちゃん。いらっしゃい」
「今日も、人が多くて賑やかだね」

 軽く言葉を交わしながら、は背負っていた布の包みを下ろし、持ってきた毛皮や牙、爪といったものを差し出す。

「お、立派な獲物じゃないか。状態も……うん、綺麗だ。いつもながら、感心するよ」
「ありがとう」
「じゃあ、ちょっと待ってておくれよ。すぐに勘定するからね」

 恰幅のある女店主は、大らかに笑いながら作業へ移る。その間、店の前を住人や旅人などが店先を通るが、一様にぎょっと目を剥き、足早に過ぎ去る。遠巻きに距離を置かれている、というこの感覚は既に慣れてしまったが……何もそこまでしなくて良いだろうに。

「いやあ、ちゃんのとこの仲間は本当、迫力があるねえ……」

 計算作業の片手間に、店主はしみじみと呟く。彼女の眼差しは、を通り越し、その背後に向けられていた。

 日々の荒野暮らしにより培った強靱さを、ありありと滲ませる体躯。やや猫背気味ではあるが、伸びやかな上背はけして小柄には見せず、獣人という種族らしい屈強さに満ちている。
 けれど、妙な凄みを放っているのは、その風貌なのだろう。
 全身を包む短い体毛は粗く、黄褐色の毛衣には黒いまだら模様が散らされている。獣の頭部から背に掛けては、逆立った毛がたてがみのように揃い、確かな存在感があった。それが両腕を組み、店舗の外壁に寄りかかっているものだから、要らぬ迫力まで生み出してしまっている。

 何て事はない。荒野の国で暮らしている、狩猟に秀でた獣人の一族――ハイエナ獣人、それだけなのだが。

「まあでも、ちゃん達が贔屓にしてくれるおかげで、変なチンピラとかに絡まれる事は無くなったんだ。ジルダの部族様々だよ!」
「ふふ、ありがとう。姉さんに伝えるね」
「――、用事は他にあるだろ。行くぞ」

 壁に寄りかかっていたハイエナ獣人が、の傍らへやって来るとぶっきらぼうに告げた。

「ザナ、うん、そうだね。おばさま、また」
「あいよ! いつでも来ておくれ!」

 女店主の明るい声に送られながら、はハイエナ獣人の青年ザナと共に、陽の注ぐ町中を歩いた。通りに並ぶ店をいくつか巡り、必要なものを買い揃えていったが、やはり行き交う人々からは遠巻きにされてしまった。格好良くて見惚れるとか、美しさに目を奪われるとか、そういう次元ではない。猫背気味の長身な獣人、しかも目つきがそこそこ悪いとなれば、小悪党が練り歩いているように映るのだろう。彼らはきっと、この町あるいは荒野の国自体が、初めての来訪者なのだ。そう思う事にする。

「不思議だね。ハイエナの獣人がこんな風に見られるなんて」
「今に始まった事じゃねえだろ、気にするな」

 そう告げるザナの声は、本当に僅かも気にしていない。もちろん、も深刻に考えてはいないが、不思議に思ってしまうのだ。荒野の国では珍しくもないハイエナの一族に、かくも不名誉な心象が付き纏う事が。


 用事を済ませ、町の入り口へ戻れば、探すまでもなく集結している仲間を見つける。
 なにせ、たてがみを持つまだら模様の獣人だ。風貌も相まって、悪党集団のような悪目立ちをしてしまう。実際、視覚の圧までも凄まじい。

「おう、戻ってきたな」
「さっさと帰ろうぜ」

 屈強な身体のハイエナ獣人が、くいっと顎をしゃくる。見慣れているが、その仕草は恐ろしく様になっていた。

 その時、たまたま擦れ違った人が、ハイエナ獣人の集団に驚いたのか荷物を落とした。それを見たザナや仲間は「おい、危ねえだろ。気をつけろ」「ちゃんと前見ろ」と言葉を投げ掛ける。その人はやはり驚いた表情のまま、慌ただしく荷物を拾い上げ、何度も頭を下げ走り去っていった。

「……絶対に、勘違いされたね」

 言葉は短く、ぶっきらぼうではあるが、あれは彼らなりの「怪我をしてしまったら大変だぞ、気をつけて歩いてくれ」という優しさである。正しく伝わらず、ねじ曲がり伝わってしまった。

 それもこれも、ハイエナの獣人という、この外見だからである。なんとも、難儀な話だ。

 そんな事は全く気にも留めないハイエナ獣人の集団に混じり、も町を後にした。


◆◇◆


 荒野の国に引かれた数少ない街道を横断した後は、整備されてはいない道ならぬ道を行く。人々の暮らす町や建物などの風景が遠ざかれば、そこには乾いた大地に力強く根を張る樹木と、風にそよぐ黄色がかった草原ばかりが広がっている。
 しばらく草原を進むと、やがてとハイエナ獣人達は、木々が身を寄せ合う一角に辿り着いた。そこには、茶色や赤褐色といった色合いのテントが複数並び、賑やかな声も近づいてくる。

 とハイエナ獣人達が、今現在腰を下ろし暮らしている場所だった。




「――ああ、戻ったか。

 帰還した達を出迎えてくれる仲間の先頭に佇んでいたのは、ザナはもちろん他の男達よりも上背の伸びたハイエナ獣人だった。小柄なからすればザナとて大きな存在だが、それよりも大きいとなると、首が痛んでしまうくらい見上げなくてはならない。けれど、種族の特徴でもある猫背の外見と、まだら模様の野性的な風貌とは裏腹に、纏う空気や獣の顎から放たれる声は凜としていた。そして、なにより、を見下ろす獣の瞳はとても優しい。

「ただいま、ジルダ姉さん」

 男達よりも背丈はあるが、れっきとした女で、の姉である。
 そして――。

「今帰った、長」
「ああ、ご苦労」

 この群れの、紛う事なき族長であり――群れ一番の、最強の女傑である。

 荒野の国で暮らす人々にも知られていないかもしれないが、ハイエナ獣人というのは基本的に女の方が強く、身体も大きく、立場も上の――いわゆる女性優位社会なのだ。

「おねえちゃん、おねえちゃん! みて!」
「みて~!」

 まだ子犬のようなハイエナ獣人の子ども達が、の足下へ駆け寄ってくる。キャッキャッと笑うような鳴き声をこぼす、ぶち模様の可愛らしい子ども達に囲まれ、は膝を折り目線を合わせた。

「なあに? どうしたの?」

 そして、小さな背中から出したのは――この荒野の国に咲く、目が覚めるように鮮やかな青い花弁の野花だった。

「わ、とっても綺麗。摘んできたの?」
「うん! おねえちゃんのおめめと、おなじいろ!」
「さいてたの、おねえちゃんにあげる!」

 の瞳と同じ色だと、無邪気に笑う姿は可愛いの一言に尽きる。目元をくしゃっと緩め、ありがとうと労った。

「あのね、おみみにかけてあげる!」
「あげるー!」

 の顔に、まだ力強さとは無縁な、子犬のようなむっちりとした手が群がる。獣人とは違う人間特有の丸い耳や、ゆったりと二つ結びにし束ねた黒髪の中へ、青い花が差し込まれていった。
 のそんな姿を見て、ハイエナ獣人の大人達は微笑ましそうに言う。

「お、似合うじゃないか。まさしく花みたいだ」
「荒野に咲いた花のようだね、
「もう……恥ずかしいから、そろそろ止めてよ」

 何故だ、と本当に不思議がり首を傾げるものだから、余計には気恥ずかしくなった。

 荒野の花――子どもの頃のが、大人達から口々に言われた呼び名だった。
 花のようだなんて、小さな頃はお姫様になれたようで嬉しかったが、さすがに十七歳となった今ではなかなかの恥ずかしさがある。

「そうだな、確かにこいつは、花じゃあねえな」
「ザナ?」

 が握り拳を上げれば、ザナは「おお怖い」と口元をつり上げる。端から見れば、それは実に悪どい笑みかもしれないが、これがザナの気さくな笑い顔である。

「ザナ、おねえちゃんをいじめるな!」
「やっつけろー!」
「それー!」

 ころころとしたぶち模様の子ども達が、一斉にザナへ群がる。足下から這い上がり、頭や肩などにしがみつく小さな毛玉を、ザナは意外にも振り落とさず自由に遊ばせていた。
 口調は荒っぽく、悪者のような外見だが、これで意外にも兄貴肌な一面もある青年なのだ。子ども達もそれを知っているから、彼によく懐いている。

 けれど、それはザナに限った事ではない。この群れのハイエナ獣人の仲間は皆、変に気取らず気風のいい者ばかりだ。悪人なんて、いるはずがない。
 ではなければ、ハイエナ獣人のみで構成されたこの群れに、小柄かつ貧弱な女が入れるわけがない。
 その上、群れでただ一人の、人間なのだ。
 異分子とも呼ぶべき存在が受け入れられ、笑って暮らせるのは、本当に素晴らしい事であり、感謝すべき事である。は常々、そう思っていた。





 黄色がかった草原を照らした目映い太陽が、地平線へと沈んだ。
 夜を迎えた荒野の国は、乾いた風が吹く力強い大地の世界と打って変わり、満天に星屑が輝く藍色の世界へと姿を変えた。

 ほとんどの者は眠りにつくだろうが、ハイエナ獣人はこれからが長い。基本的に彼らは夜型なのだ。明るい焚き火を囲み賑やかに談笑する仲間の傍らで、子ども達は元気に走り回っている。が作ってあげた青い野花の花冠を頭に乗せ、ご機嫌のようだった。

「ふふ、可愛い……へっくし!」

 くしゃみを一つこぼし、すんと鼻を鳴らす。今日は珍しく風が涼しいな、と思っていると、の頭に色鮮やか羽織が放り投げられた。

「これくらいで寒いなんて、人間は不便だな」
「獣人は毛皮があるけど、人間はないから。ありがとう」

 ザナは顔を背けると、ふんと鼻を鳴らし、の隣に腰を下ろした。彼の口の端から、太い骨がはみ出ている。きっと食後のおやつだろう。ハイエナ獣人は、骨まで食する事でも有名な種族なのだ。

 ザナの言動は基本的に少々粗暴で、小悪党な風に映るのかもしれない。だが、よくよく見ると、ただの良い奴なのだ。なにより、ハイエナの頭は平常を装っているが、尾は緩やかに横へ揺れている。獣人は、こういうところが素直で良いと思う。

「群れのみんな、良い人達ばかりなのに」
「……何だ、急に」
「ほら、今日、町に行った時。あそこは何度も行っているけど、今日は旅人が多かったみたいで、ザナ達の事をよく知らない人がたくさんいて」

 ザナはガリガリと骨をかじりながら、ああ、と今し方思い出したような声をこぼした。きっと、彼らにとっては些末な事なのだろう。としては、やはり少し、面白くはないのだが。

「不思議だよね。どうしてハイエナの獣人は、悪い風に見られるんだろう」
「知らね。顔じゃねえか?」

 お前がそれを言っちゃうのか……。は小さく噴き出した。


 しかし、実際のところ、まったくもって不思議である。
 荒野の国でのみ暮らすという、まだら模様のハイエナ獣人。またの名を、タテガミイヌの獣人。
 何故だか彼らは、あまり良い心証を人へ与えない。小悪党あるいはチンピラのように見られがちで、よく損をする。そういう印象が、荒野の外にあるのだろう。

 獣人という種族は、往々にして、その生き物の生態を色濃く引き継ぎ、また左右されるのだという。
 彼らを形作るハイエナという肉食獣は、まだら模様の入った黄褐色の体毛と、頭部から背に掛け生え揃う短いたてがみが特徴的で、ザナなどにもそれが外見に反映されている。身体は逞しく、体力もあり非常に俊敏。男ですらそうなのだから、力関係に勝る女はもっと逞しい。少なくとも、の周囲にいる大人も、同年代の少女も、等しく背が高い。
 人間という種族性だけでなく、子どもの頃の影響により少々小柄なは、彼らの中では最も小さな存在だった。

 彼らには何故か“狡猾”、“死肉を貪る”、“掃除屋、“性格悪そう”といった良くない印象ばかりが付き纏う。まあ、も最初はそう思ってしまったし、悪党の集団と勘違いした。
 けれど、実際は、そんな事はない。
 彼らは仲間に対しとても情が厚く、同じ群れで暮らす者を等しく家族と見て、怪我や病気を煩った者や年老いた者をけして放り投げる事はしない。食べ物を分け合い、助け合い、この国で逞しく暮らしている。そんな風にするのは、荒野暮らしの獣人の中でも、この一族くらいではないだろうか。

 馬や兎といった獣人から、ライオンやヒョウなどの鋭い爪牙を持つ獣人まで、多種多様にせめぎ合う獣人王国のようなこの土地で、小悪党に見られがちなハイエナの一族は、力と数の優位ではなく身内の結束力を取ったのだ。けっこう、素敵な事だと思う。

 だからといって、ハイエナ獣人は、けして弱くない。少なくとも、骨を丸ごと噛み砕く強靱過ぎる顎と、ぺろりと残さず食べてしまう胃袋の頑丈さは、弱々しさと無縁である。
 荒野の国で最たる力の象徴として君臨する、ライオンの獣人すら敵わないその違いは、誇るべき事なのに。

 何故だろう。かくも悪者のように思われがちなのは。


「――何だ、俺らが落ち込むとでも思ってんのか」

 ガリ、ゴリ、と骨を砕く音を鳴らし、ザナが挑発的に笑う。

「まさか。そんな卑屈な一族じゃないって事は、姉さんを見てよく知ってる」

 獅子? だから何だ、良い気になるなよ――そう言って、喧嘩を吹っ掛けてきた生意気なライオン獣人の男をボコボコに伸したという、女長ジルダの武勇伝は今も酒の席の語り草である。

 勇ましくて、逞しくて、仲間にはとても優しくて――だから、ほんの少し、不満がわだかまるのだ。
 彼らの存在が、正しく伝わらない事を。

 は彼らに救われ、受け入れられ、不自由なく暮らしている。たとえ人間という全く異なる種族であったとしても、何の隔たりもなく、皆が家族のように接してくれている。この群れの長であり、つまりは群れ最強でもある女傑のジルダは、を実の妹のように可愛がってくれている。
 本当に、彼女にも、仲間にも、感謝してもしきれない。
 そして、自身も、彼らを家族と思っている。もちろん、傍らに座るザナの事も、だ。

「私を助けてくれたのが、この群れの人達で良かったな」
「……いきなり面と向かって言うな。痒くなる」
「そう? 本当の事、言っただけ」

 照れ隠しなのだろう、ザナの鬱陶しげな表情は全く怖くない。の頭をすっぽり包めそうなほど大きな獣の手で、ぎゅっと押さえ付けられても、恐ろしく思わなかった。


 ――本当だよ。私を助けてくれたのが、この群れの人達で良かった。


 荒野の国らしい、色の濃い肌。腰部にまで届く、すっと伸びた長い黒髪。西の方の血が入っているのか、両目は空を映した鮮やかな青色。
 ザナ達のような獣の耳も、爪も、牙も、手足も持たず、遙かに細く小柄で、比べるまでもなく頼りない存在だ。
 そんな存在が――こんなに人並みの容姿へ変われた。

 弱くて、自分の意思も無くて、骨と皮ばかりの痩せすぎたあの子どもが、こんな風に変われたのだ。



■ハイエナ獣人×人間娘

ドマイナー動物がモチーフの、獣人モノです。マイナーを発掘したい。
もしかしたら今はもうあまりマイナーではないかもしれないですが、作者の中ではマイナー。
ハイエナの良さともう一つの姿を伝えたい。

作者恒例の【全身フル毛皮の獣頭な獣人】となっております。
また、生態等、創作仕様になっている部分もありますので、あらかじめご了承下さいませ。

少しでも楽しんでいただけますように。
そしてあわよくば、人外モノに足を滑らせる方が現れますように。


2020.09.01