02

「――うん、今日も良い状態だね。安心して買い取れるよ」

 いつものように持ち込んだ牙や毛皮へ、馴染みの店の女主人はそう褒めてくれた。

「ジルダのところは、良い肉と毛皮を持ってきてくれるからね。助かるよ」
「良かった。そう言ってもらえると、嬉しいです」

 ジルダが率いる一族だけでなく、各地で暮らす同族もそうだろうが、ハイエナ獣人は狩りがすこぶる上手いとされている。なにせ人数も多く(ジルダの群れは子どもを除いても大人が三十人近くいる)、集団で行うから、狩猟の成功率も極めて高い。生粋の狩猟民族としてそれを生業とするため、基本的には一カ所に留まらず、一年間に幾度も各地を移動し暮らしている。

 無尽蔵の体力を前提とする彼らの狩りに参加出来ないは、余った肉や毛皮などを売りに行くのが仕事の一つだった。

 こういう風に、仲間の成果を褒められるのは、悪くない。今日の一番いい獲物は、ザナが狩ったものだ。あれで彼は、群れの中でも狩り上手と評判で、他の男達からも目を掛けられている。女長ジルダもよく「いずれ頭角を現す」と語っているくらいだ。自らの事のように、も誇らしく思う。


 普段のように、女店主の代金の計算を待っていると――町の人々が、同じ方向に視線をやっている事に気付いた。物珍しそうな表情に、もそっと顔を向けてみる。それと同時に、通りの向こうを見慣れない一行が過ぎ去っていった。
 三、四人程度のごく少人数でまとまった人間達だったのだが……荒野の国でよく見られる民族衣装の系統とは異なった、品の良い小綺麗な洋服に身を包んでいた。動きやすさを重視したそれは、見るからに西の国のものだった。いかにも、異国からの来訪者といった雰囲気だ。荒野の国の外からやって来る旅人や商人も珍しくはないが、それらとはまた違うような……。

「おばさま、あの人達は? 何だか、旅人とは違うようだけれど……」
「ああ、ちょっと前から町に滞在している人達だよ。西の方の国から来たんだってさ。視察だとかなんとか」

 視察。初めて聞く単語ではないが、珍しい。この町は草原地帯における中心的な位置付けにあり、商人や旅人などの拠点の一つとされているものの、取り立てて珍しいものは無いように思うが……。
 ふうん、と息を漏らし、は遠ざかる一行から視線を外した。

「町の若い子達なんか、鼻息を荒くしちゃってるよ。ここいらにない綺麗な品のある顔立ちだったからねえ。見初められるように身奇麗にしなきゃってさ」
「へえ……そうなんですか」
「そういやちゃん、ジルダのとこの自慢の娘さんだろう? 荒野の花なんて呼ばれているそうじゃないか」
「やだ、おばさまにまでそんな話、いってるの?」

 小さな頃の冗談話だというのに、一体誰が言いふらして回っているのだろう。

「もしかして、お声が掛かったりしちゃうかもね」
「もう、そんな事、ない。子どもの頃の冗談のようなものなんですから」

 はやんわりと否定を入れたが、足下で一斉にぶち模様の毛玉達が「ねえちゃんはびじんだもん!」と騒ぎ出した。
 一緒におつかいに着いてきた、ハイエナの子ども達である。

「こらこら、静かにって、約束」
「だって、ほんとのことだもん!」

 純粋さに満ちた丸い瞳に、は苦笑を浮かべる他ない。

「ありがとう。お姉ちゃん、嬉しい」
「ほんとだよ、しんじてないの?」
「ぼくたち、まちのみんなにもいってるんだよ! ねえちゃんは、おはなみたいにきれいだって!」

 ……なるほど、犯人はこの子達か。

 こんなに犯人が可愛らしいと、怒るに怒れないではないか。溜め息をこぼすの正面で、女店主は愉快そうに笑っていた。


◆◇◆


「――ああ、なんか他と匂いの違う奴らが、確かにいたな」
「西の方からの視察だってな。ま、俺らにゃあ関係のない事だ」

 燃え盛る赤い焚き火に照らされながら、ゴリゴリと骨ごと肉を食らう、まだら模様の猫背気味な獣人達。その姿は、よくてチンピラ、悪くて山賊の風貌だ。
 なんて事はない、群れの仲間が一堂に集まり夕食を取る、いつもの食事の風景である。
 至るところから、咀嚼音としては物騒なゴリゴリと骨を噛み砕く音が響いているが、とっくの昔には慣れてしまった。

「町の女の子達はみんな、見初められるように綺麗にしているんだって。お店のおばさまが言ってた」
「ははは、そうかい。まあ、年頃の女の子はそうなんだろうな」

 ライオン獣人の男をボコボコに伸した逸話を持つ姉、ジルダはしばらく笑っていたのだが、ふとへ眼差しを移し、ぽつりと呟いた。

「そうか。そういえばも、もうそんな年頃になっていたね。時間の流れは、あっという間だな」
「どうしたの、急に」
「いや、そろそろ、お前もつがいを得ても良い年齢だったなと」
「ブフォッ!!」

 唐突に飛び出した“つがい”という単語に、は咽せた。スープが気管にまで入ってしまい、激しく咳き込む。

「ゲホ、ゴホッ……よ、よしてよ、姉さん。急に」
「何故だ、本当の事だろう? ふふ、お前が選ぶつがいとは、どういう奴だろうな」

 楽しそうに笑う女長の顔に、はどう反応して良いのか分からなかった。

(言われてみれば、確かに、そうなんだけど……)

 この群れに受け入れられ、五年以上。もう、結婚しても良い年齢だし、身体付きにもなった。

 獣人の輪の中で暮らすようになってから、彼らの考え方などにも多く触れてきた。基本的に獣人という種族は、つがいを得る――つまりは夫婦を作る事に、とても積極的だ。男女の関係を築く過程も同様で、下手な言い回しや間怠っこしい段取りも取らない。もちろん個々によって様々だとは思うが、男女共に、その傾向にある者は多いと思う。
 少なくとも……の周りにいる獣人は、ほとんどがそうだった。

 は、人間。この群れ唯一の、異種族――異分子だ。
 とはいえ、興味が無いというわけではない。

(ただ、想像が、上手く出来ない)

 たとえば、この群れで伴侶を得て、子どもを作り、家庭を築く……そんな風に、なれるのだろうか。

 私は、人間。彼ら獣人にとって、あまりにも弱く、脆い存在。ましてハイエナの獣人は、揺るぎない女性優位社会だ。強い女性が尊ばれ、むしろ女性が男性を選りすぐる立場にある。

 ――私は……そういう風に、振る舞う事を、許されているのだろうか。

 彼らに助けられ、仲間に受け入れられた。けして短くはない間、寝食を共にし、彼らの一員だと胸を張って言える。
 だが、時々、こうも思う。
 本当に、ここにいても良いのだろうか、と。


◆◇◆


 あれから草原地帯の町では、視察にやって来たという珍しい身なりの、西の地の一行の話題が持ちきりであった。この辺りでは見ない、西の国らしい身綺麗かつ眩しい容貌だから、余計に噂になるのだろう。人間も獣人も関係なく、特に年頃の若い娘達が密かに盛り上がっているようだ。

 ようだ、というのは、自身はあまり興味を持っていないからである。視察というからには、もしや西の地の偉い方々なのだろうか。その程度の認識だった。


 だから、まさか――。


「とても立派な牙ですね。それに、状態もとても良い。これは、貴女が?」


 まさかその話題の一行から、熱心に声を掛けられるなど、まったく想像していなかったのだ。



2020.09.01