03

「とても立派な牙ですね。それに、状態もとても良い。これは、貴女が?」

 の耳を撫でた青年の声色は、爽やかながら上品さを漂わせていた。それは物腰と雰囲気も同様で、随所から清涼な空気が感じられた。

 荒野の国と、獣人の群れでの暮らしに慣れたは、既にもう異国の香りを感じていた。
 考えるまでもなく、この町に滞在しているという一行の一人であろう。
 青年の後ろには、二人の男性が静かに佇んでいた。友人とも家族とも言えぬ、独特の緊張感……恐らくは護衛なのだろう。を見つめる眼差しも、やや鋭い。

「あ、いえ……私の仲間、です」
「へえ……」

 青年は小さく呟き、しげしげと覗き込む。いつものように店へ持ち込んだ獲物なのだが、何か面白いのだろうか、興味深そうに見つめている。
 は、いつの間にかその横顔に目を奪われていた。
 隣に佇む青年は、この辺りにはない涼やかな面立ちをし、白い肌をしている。襟足が首筋に軽く掛かる程度に短く整えられた髪は、眩しい金色。楽しそうに輝く瞳は、緑色を宿している。
 例えるならそれらは、大地を照らす太陽と、瑞々しく鮮やかな草木の葉の色だ。
 荒野の国とは異なる、緑豊かな美しい自然の風景がふっと浮かぶような、柔らかくも鮮やかな色調。同年代だろう若い印象も相まって、煌びやかな眩しさを感じ取った。

 金髪の青年は、仲間が狩った獲物を堪能するように観察した後、ふっとへその眼差しを移した。

「不躾に問う事を許していただきたいのですが、もしかして貴女が噂の、荒野の花姫でしょうか」
「え?」
「申し訳ない、知っていて、お声を掛けました。この通りに並ぶ店の主人達が語るものだから」

 荒野の花姫――そんな大層な呼ばれ方は、初めてだ。
 というか、店の主人って……。

 は、親しい女店主へと顔を向ける。彼女は、悪戯がばれたような面持ちを浮かべていた。

「お、おばさま……!」
「あらやだ、本当の事じゃないか。あんたの仲間はみーんな可愛がっているし、実際器量よしだろう?」
「もお~!」

 だからそれは子どもの時の話なのに、と項垂れる。不思議そうに瞳を瞬かせる青年へ、は苦笑いを向けるしか出来ない。

「ごめんなさい。子どもの時の、なんていうか、冗談のようなものなんです。変な話を、聞かせてしまって」
「いいえ、そんな」

 青年はにこりと微笑み、を見つめると。

「力強い色の肌に、美しい真っ直ぐな黒髪。それに、青い宝石のような見事な瞳の色をしている。荒野の国に映えるようで、驚きました。店の主人らの言葉にも納得です」

 青年から、爽やかな輝きがきらきらと放たれる。ここにだけ朝日が昇ったようだ。

 ――凄いな、西の国の殿方は。

 この荒野の国で、そんな風に言う人は多くないだろう。そしての周りには、そう表現する人はいない。
 なんとも不思議な人だと思いこそすれ、不快さは感じなかった。水辺に吹く風のような爽やかさが、絶えず彼の周りにあるからだろう。
 町で噂の人物だが――悪い印象は、抱かなかった。

「ところで、この毛皮と牙……確かこの辺りでは大物に部類される獣のものでは?」
「知っているんですね、そうですよ。私のところの、狩り上手な仲間達が仕留めたんです」
「へえ、それは、何処の……」

「――、おせえぞ。何してんだ」

 人混みを避け、いや人混みに避けられ、ザナが姿を見せた。
 まだら模様の黄褐色の毛皮、短いたてがみ、少し猫背気味な大きな身体。威圧感がある事で知られる大柄なライオンやヒョウの獣人達にも見劣りしないその外見に、傍らの青年達はぎょっと表情を歪めた。

「ごめん、ザナ、少し話し込んでて。あ、彼は私の仲間の……」
「荒野の国のみで暮らす、肉食獣の獣人……!」

 の声に被さり気味で、青年が口を開いた。先ほどは身構えていた青年だったが、今は何処か興奮したように、前のめりでザナを見ている。その変わり様に、の方が途中まで出た声を飲み込んでしまった。

「初めて拝見しました……! なるほど、こんなに」
「ああん?」
「確か、タテガミイヌ……いや、ハイエナだったか。自国では見ない力強い姿だ、こんなに雰囲気が違うとは」
「誰だ、あんたら……ッおい、ちけえぞ。何だってんだ!」

 詰め寄らんばかりの勢いの青年に、ザナの鬱陶しげな威嚇が響いた。





 貴女は彼らと暮らしているのか。
 一体、ここではどういう暮らしを。
 彼らとは普段、何処で暮らしているのか。

 矢継ぎ早に疑問が飛び出し、ザナとの頭上を何度も通り過ぎていく。好奇心が強い部類なのだろう、なかなか止まらず、声を挟む隙間もない。ついには後ろに控えた護衛から制止が入り、ようやく彼も落ち着いてくれたけれど、前のめりの姿勢はまったく変わらなかった。今にもザナへ飛びかかりそうである。

「申し訳ないです。もともと荒野の国の事を学びに来たものだから」

 苦笑と共に謝罪を口にしたが、その緑色の瞳に籠もる好奇心の熱は衰える兆しが見えない。
 変わった面白い人だと、は仄かに微笑んでいたが、ザナはそう思ってはいないらしい。面倒な輩に関わってしまったと言わんばかりにそっぽを向いている。

「あの、町の人達から色々と耳にしました。視察で、この町に滞在していると」
「視察というか……遊学のためですね。つい先日に来たばかりです」

 遊学……やはり聞き慣れない単語だ。彼は平凡な一般人ではないのだろう。

「その、いきなりのお願いで不躾だとは重々承知していますが……良かったら色々と話を聞かせてくれませんか」
「話、ですか」
「後学のためにも、是非」

 期待に満ちた青年の眼差しが、とザナへ向けられた。純粋な好奇心に満ちており、何か疚しい良からぬ事を考えている類いのものではない。
 が口を開きかけたその時、そっぽを向いていたザナがそれを遮るように声を割り込ませ。

「知るか、断る」
「ちょっと!」

 考える姿勢すら見せず、ばっさりと断ってしまった。
 何でいきなり喧嘩腰……あーもー、ほら、お付きの人達の眉がすごい事に。
 しかし、ザナは彼らを見もせず、ふんっと鼻を鳴らし顔を背ける。彼の粗暴な仕草は今に始まった事ではないが、ここまで露骨に面白く無さそうにするのも珍しい。

「あの、仲間がすみません。私で良かったら、いいですよ」
「おい!」
「本当ですか!」

 不機嫌なザナの声と、歓喜を浮かべた青年の声が、同時に上がった。

「そんなに難しい話は出来ないし、簡単なありふれた事しか分からないですが……」

 それでもいいのなら、と言おうとしたところで、まだら模様の太い腕がの肩へ回り、ぐいっと引き寄せた。

「おい、初めて会った奴だろ。ちったあ警戒したらどうだ」

 の耳元で囁いたザナの低い声には、機嫌の悪さがありありと滲んでいる。視界の片隅に見えるハイエナの鼻には、しわまで寄っていた。端から見れば獰猛なハイエナに恫喝されているような光景だろうが、もちろんが怯む事はない。

「だって、みんなが苦労して獲った獲物を褒めてくれたし、大物だってちゃんと知ってくれてるし……それに……」
「それに?」
「ザナを見ても、逃げ腰になっていないもの」

 ハイエナ獣人。その外見から、何故か悪人に見られがちな、不憫な獣人の一族である。

 初めて会う人や荒野の国の外からやって来た旅人などには、必ずと言って良いほど恐れられ遠巻きにされてきた。しかし、この青年には、その様子が全く感じられない。品のある物腰と爽やかな外見に反し、底知れぬ度胸を持っている。単純に怖いもの知らずの危うい性格なだけかもしれないが、こんな風に堂々と向き合ってくれる人は、なかなかお目に掛かれない。長年、ハイエナの獣人達に囲まれ過ごしてきただからこそ、そう思うのだ。

「それに、親しい人がいて、別に悪い事はないでしょ? ほら、何か良い事だってあるかも」
「だからって、お前なあ……」
「大丈夫。案内くらい、私にだって、上手く出来る」
「俺が言ってんのはそこじゃねえよ……」

 面白く無さそうにチッと舌打ちをこぼしたが、けしてを否定しない辺り、やはりザナはザナである。
 そんなやりとりを交わしていると、クスクスと笑う声が青年からこぼれた。

「仲が良いんですね。花姫様は、この町にはいつも来るのですか」
「あ、あの、花姫という名はちょっと恥ずかしいのですが……ええと、けっこう頻繁に」
「そうですか。それだったら、使いのついでで構いません。その時、少しお話を聞ければそれで良いんです」

 青年の眼差しが、静かにザナへ移る。

「貴方も、一緒に」

 丸みを帯びた耳をぴくりと跳ねさせ、ザナも青年の姿を映した。

「……ふん、分かった。俺がいる時以外に、こいつを連れ歩くのは無しだ。それが守れんなら、許可してやる」

 そんな条件付けなくても、と言おうとしたけれど、ザナの手のひらに塞がれてしまい言葉にはならなかった。

「ああ、それと――こいつはまだマシだが、俺は根っからの荒野暮らし。不作法はするだろうから、気を悪くすんなよ」

 窪んだ黒い瞳に、睨め付けるような眼光が宿る。普段から人相はあまり良いとは言えないが、今日は殊更にその傾向が強い。いよいよその強面が悪党のようだった。


 ――あれ……? 私はただ、世間話の延長だと思っているんだけど……?


 威圧を含むハイエナの雄と、にこやかな微笑みを崩さない人間の青年の間に、火花が爆ぜている。二人に挟まれる恰好となったは、一抹の不安を抱かずにいられなかった。



2020.09.01