04

「――こんにちは、さん。今日もお店へ? お疲れ様です」

 白い肌が似合う、涼やかな面立ち。襟足が首筋に軽く掛かる程度の、短い金色の髪。そして、楽しそうに笑う、爽やかな緑色の瞳。乾いた風と土埃が舞う雑多な町並みの中で、青年の佇まいは今日も上品な輝きを放っている。

「こんにちは、エリオス。足の疲れはどう? 元気になった?」
「あ、はは……お恥ずかしい。一日寝たら体力も戻りましたし、もう大丈夫です」

 苦笑を浮かべる彼――エリオスの様子は、一昨日と変わらず柔らかい。歩き通しでさすがに疲れ果てたように見えたけれど、既にその影はない。清々しい外見とは裏腹に、意外な活力を持っている。荒野の国暮らしのも素直に驚かされる。

「じゃあ、今日も、町の周りを案内しよっか?」
「是非」
「分かった、ちょっと待ってて。仕事だけ終わらせるから」

 はにこりと微笑み、それから、傍らのザナを見上げる。

「良いよね?」
「……好きにしろ」

 まあ、なんとぶっきらぼうな事か。面白くないという心情がありありと現れ、ザナの風貌には普段の三割増しでごろつき感が溢れている。

「俺も着いていくからな」

 ハイエナ特有の落ち窪んだ両目は、鋭く青年を見据えている。猫背気味だがそこそこ大柄なハイエナ獣人の相変わらずな容貌に、青年の護衛である付き人達からは見事な誤解を受けている。だが、やはりエリオス本人は、にこやかな姿勢を崩さない。

 もっと楽しい、明るくのびのびした“道案内”を思い描いていたんだけど。
 何だか、想像とは正反対な、妙な雰囲気の道案内になっちゃったな……――。

 ハイエナ獣人と人間の、二人の青年の間に挟まれながら、はこの日も小さく苦笑いをこぼした。




 乾いた季候と、無骨な自然で形成される、厳しくも美しい土地――荒野の国。一方で、多種多様な種族が独自の習わしのもと暮らしている、稀に見る獣人大国でもある。
 その一角に広がる、比較的過ごしやすく水源にも恵まれた草原地帯の、中心となっている町へやって来た人間の青年。何処か不思議な香りを漂わせる、西の国出身の彼との交流が新しくの日常に加わり、数日が経過していた。

 交流といっても、大した事はしていない。町やその周辺を案内したり、この辺りでの暮らし方、暮らしている種族などを軽く伝える程度の、世間話の延長だった。(そもそも自身でも、全てを知り尽くしているわけではない)
 けれど、荒野の国は広く、砂漠地帯のような場所もあり、独自的な文化が散見される。西の国からやって来た彼にとっては、そのどれもがきっと珍しいものなのだろう。の拙い説明にも、毎回瞳を輝かせてくれた。

 今日だって、彼は好奇心の熱を両目に浮かべ……――。


「はあ……はあ……ッ」


 ――サクサクと進むとザナの後ろを、肩で呼吸をしながら、必死に着いてくる。


「エリオス、大丈夫?」
「はあ……ッええ……な、なんとか……」
「頑張って。丘の天辺は、もうちょっとだよ」

 振り返りながら応援するへ、青年の「頑張ります」という細い声が返ってくる。荒野の国は、丁寧に整備された道が少ないけれど、比較的歩きやすい場所を選んでいるつもりだが……西の国と違う土は、それだけで慣れないものなのだろう。

 西の国から遊学のためやって来たというこの青年は、エリオスという名らしい。金髪と緑眼に彩られた涼やかな美しい容貌に似合う、柔らかな響きの名だ。そして、その名の後ろには、長い姓が続いた。予想の通り、やはり彼は、貴族の子息であった。
 西の国の貴い身分の方だと、エリオスの付き人でもある護衛の人達からこっそり聞いたのだが……まあ何せここにいるのは、その西の国とは縁の無かったとザナである。貴族の子息と接する正しい作法など、残念ながら持ち合わせていなかった。エリオスの「貴族ではなく、ただの旅人として接して欲しい」という言葉が無ければ、不敬罪で十回は処罰されているだろう。(木の実を取ってあげようとしたら虫を彼の頭上に降らしてしまったり、涼もうとして連れて行った川縁から水の中に落っことしてしまったり……)

 己の見聞を深めるため、自身を鍛えるため、あえて荒野の国を選んだのだとエリオスは教えてくれた。どういった理由や経緯があったのか、そこはがとやかく言うところではないが……荒野の国は、そこまで危険な無法地帯ではないと、思いたい。

 エリオスは、繊細な美しい容貌とは裏腹に、未知への情熱と好奇心で溢れた人物だった。他にも色んな場所を見てみたいのだと、密かな意気込みを語ってくれた。荒野の国にそんな眼差しを向けてくれるのは、とてもありがたいし、素晴らしい事だと純粋に思う。だが、「それはひとまず止めた方が良い」と静かに諭した。彼に対し極端に口数が少なく棘のある態度を見せるザナも、その時ばかりはさすがにと同じ言葉を口にしていた。
 荒野の国と一口に言っても、その全容はあまりにも広く、土地柄も様々。下手したら命が枯れ果ててしまうような、危険な砂漠地帯もあるほどだ。生白く弱々しい身体付き、とは言わないが、比較的平穏な草原地帯で既に息が上がっている姿を見ると、あまりも不安であった。
 彼の内に秘めた好奇心と活力は、確かに本物で、目を見張るほどであるのだが。

 ――念のため今回の件は、姉であり群れの長であるジルダから、きちんと許しを貰っている。「他所の土地の話を聞くのも面白いだろう。良い勉強になる」と長が全面的に認めたため、それに異議を申し立てる者はいなかった。というか、ほとんどの仲間は、他所の人間に興味はあまりなく好きにしろといった風だった。

 しかし、その中でただ一人、ザナだけは、面白そうにしていなかった。
 初めに突きつけた条件を違えず、エリオスの道案内をする時には必ずの側にあった。

「忙しかったら、私だけでも良いんだからね」

 そう何度か伝えてはいるのだが、ザナはの傍らに立っている。まるで、エリオス達の動向を監視するようだ。実際、信用はまだしていないのだろう。
 つまりザナは、を案じてくれているのだ。
 ぶっきらぼうで、口は悪いが、根は悪い奴じゃあない。ただ、顔面と態度が、致命的なまでに誤解されやすいだけである。

「……なんだ」

 ザナが訝しげに振り返る。は口元を緩めながら、なんでもない、と笑みを返した。

「エリオス、ほら、もうすぐそこ」

 無造作に転がる岩や倒木を軽く飛び越えていけば、丘の上へついに到着した。小高く盛り上がった場所から臨んだ、黄色がかった草原の風景。遠くには町があり、人の往来も見えたが、ほんの少し視線をずらせばそこには雄大な大自然が果てなく広がっている。
 乾いた大地に、剥き出しの岩々、そして鮮烈な青空――見慣れた、けれど今も心を満たす、荒野の日常の景色だ。
 力強く吹いた風に肌と髪を撫でられながら、は深く息を吸い込んだ。
 その少し後、エリオスも丘の上へ辿り着いた。彼は両肩を上下に揺らしていたが、顔を起こしたその瞬間に、表情をはっと輝かせた。疲れなど、一瞬の内に吹き飛んでしまったのだろう。正しく心を奪われたようなその横顔は、静寂と感動を湛え、とても美しく映った。

「すごい……こんな……とても、綺麗だ……」

 陶然とするエリオスの声音に、は誇らしさを抱く。厳しい環境だが、荒々しい美しさを秘めた荒野の国の姿を、また一つ伝えられたようだ。
 丘の上から臨む風景をエリオスが心ゆくまで堪能するその間、もまた改めて胸に刻みつけた。




「それにしても、さんもザナさんも、逞しいんですね。これでも、私も鍛えていたはずなのですが」

 手ごろな倒木に腰を下ろしたエリオスは、苦笑を浮かべながら足を擦っている。

「これが私達の日常だからかな。もう平気」
「そうですか……お強いなあ」

 それは嫌味などではなく、純粋な称賛のようだった。その時、は初めて気付いた。どうやらこの小柄な身体には、相当な体力と疲れ知らずの健脚が備わっているのだと。
 ハイエナ獣人に囲まれながら過ごした、五年以上の歳月。おかげで、人間の中では十分に逞しくなっていたらしい。ありがとう、姉さん、みんな。

「そっか、気が付かなかった。ね、ザナ、驚き……――」

 言いながらザナへ振り返り、は言葉を噤む。彼は、険しい面持ちを宿し、じっとエリオスの方を見ていた。

「……? どうかされましたか。えっと、ザナさん……?」

 先ほどまでとは違う、張り詰めた空気がザナの周囲に漂っている。それを感じ取ったのだろう、エリオスの穏やかな表情にも強張りが浮かんだ。

「……動くなよ、絶対に」
「ザナさん」
「黙ってろ」

 唸るように、ザナが囁く。携えた槍を素早く構えると、鋭利な穂先を突き付けた。いよいよ空気が緊張を帯び、エリオスの傍らに立つ護衛達もザナの動向を注視し、いつでも剣を抜き払えるよう柄に手を置いた。

 それを見ながらも、ザナは槍を構えたまま足を運び、距離を詰める。そして――。


 ――ザシュ!!


 素早く突き出した槍は、エリオスの横を過ぎ去り、斜め後ろの地面を貫いた。

「……え?」
「ぼうっとしてんじゃねえぞ」

 ザナは素っ気なく言い、槍を引き抜き、その穂先を見せた。
 鋭い先端で、細長い蛇が身をくねらせ、激しくのたうち回っていた。

「……蛇、ですか?」
「うわ、それかあ。危なかったね」

 一見すると、ごく普通の小さな蛇に見えるかもしれないが、強力な毒を持つため危険視されている。それこそ、荒野暮らしの大型の獣ですら、もがき苦しんだ末に泡を吹いて死に絶えるほどの。
 生息数自体は少ないため、遭遇する事は珍しいのだが――なんという、引きの良さだろう。

「“持ってる”人だね、エリオス」

 がそう告げれば、不思議そうにしていたエリオスの表情もさすがに強張った。

「あ、ありがとうございます。ザナさん」
「ハッ……気ィ抜いてんじゃねえぞ」

 ザナは鼻を鳴らし、槍を大きく振る。穂先に貫かれた蛇は、遠くの茂みへ放り投げられた。そして再び、ザナは背を向ける。

「……いい人だね、彼」
「そうでしょ。口調は雑だけど、良い奴なの……あれ?」

 エリオスの袖が、裂けている事に気付いた。

「大変、服が破けてる。ザナの槍が当たったのかな」
「俺がそんな下手くそな訳ねえだろ」
「え? ああ、何処かに引っかけたかな。気にしないで下さい」

 にこやかに告げる彼へ、はすっと両目を細くしてみせた。

「――だめ。荒野の国を、甘く見ないで」

 たかが衣服、されど衣服だ。荒野の国にある植物の中には、枝葉が非常に頑丈で、うっかり肌を傷つけてしまうものも存在している。も頻繁に擦り傷を作り、そのたびに姉である女長ジルダから「こんなに人間はか弱いなんて」と心配されたものだ。
 は少し考えた後、エリオスへ提案する。

「……ねえ、気にしないのなら、私が縫ってあげる。これでも、お裁縫は得意」
「いえ、さんの手を煩わせるなんて」
「……お裁縫の道具は、群れが暮らしているところにある。そこに行けば、他のハイエナ獣人にも会えるよ」
「是非お願いします」

 なんとまあ、予想通りの、華麗な即答だった。
 エリオスという青年がどういう人物か、少し理解した気がした。


◆◇◆


 エリオス達を引き連れ、仲間が過ごす拠点へ到着した。
 立ち並ぶテントの周囲では、手作業をする女性達、狩りの支度をする男性達、無邪気に遊ぶむっちりした子ども達が、思い思いにのんびりと過ごしていた。
 そんな日常の風景を、エリオスはまるで絶景でも発見したように、瞳を輝かせ見つめている。

「ここで待ってて。道具を持ってくるから」

 きちんと耳に届いたかどうか不明だが、エリオス達をその場に残し、テントへと向かう。

「ああ、、おかえり」
「姉さん、ただいま」

 群れの長でもあるジルダへ、はエリオスの事を告げた。群れの中には入れないから、外で縫い物をさせて欲しい。そう請うと、彼女は快く了承してくれた。

「なるほど……あれが噂の、西の国の人間か」

 興味深そうに、ジルダはエリオスを眺めている。そして、凜としたハイエナの面立ちをくしゃりと緩ませ「陽の光のような、眩しい姿だな」とこぼした。

「町の娘達が夢中になるというのも、分かるような気がするよ。この辺りにはない面立ちと美しさだ」
「ふふ、私もそう思う。でも、でもね、エリオスは、とても良い人だよ」
「そうか。……も、ああいう男が好きか?」

 流れるように続いた姉の言葉に、は一瞬声を詰まらせる。エリオスという青年の人となりは、好ましいと思うが……。

「そういうのじゃ、ないよ」

 は誤魔化すように小さく笑い、エリオスのもとへ戻る。背中には、遠ざかるジルダの眼差しが、嫌に強く感じられた。




「お待たせ、エリオス。早く済ませるね」

 はエリオスの傍らに座り、裁縫箱を開く。針と糸を両手に装備し向き直ると、にこりと微笑み「さあ脱いで」と促した。

「いや、しかし、それは」
「別に、気にしない。群れの男達で、もう慣れてる」

 もっとも、彼らの場合は、普段から上半身裸の半裸の上に、毛むくじゃらだが。

 しかし、促してみても、エリオスは渋り顔だ。脱いでくれた方が楽なのだが……仕方ない。袖から腕を引き抜いてもらい、そのまま縫う事にした。
 旅人とはいえ、貴族の子息。もしも針先を掠めようものなら、今度こそ手打ちかもしれない。
 細心の注意を払い、は丁寧に針を通した。静かに糸を通し縫い合わせていく作業がよほど面白いのか、エリオスはじっとの手元を見つめている。

「上手なんですね、裁縫が」
「うん。私の、得意な事。仲間の……家族の服も、私が繕ってあげてる」
「そうですか。家族……」

 エリオスの眼差しが、思い思いに過ごすハイエナ獣人達へ向いた。彼にとっては、もしかしたら馴染みのない感覚なのかもしれない。その気持ちは、も、少し理解している。

「ここにいる、皆が皆、血が繋がっているわけじゃない。あっちの大人も、向こうの大人も、厳密に言えば別の家族。でも、この群れでは、一つの大きな家族なの」

 ハイエナ獣人は、群れを作り大人数で暮らしている。数が多ければ、その分だけ群れに備わる力も増すが、彼らは武力ではなく身内の結束力を選び取った。こんな風に情が厚い種族は他にいないだろうと、は心から思っている。

 しかし、そういった美点や誇るべき習わしは、きっとどの一族にも存在している。それが上手い具合に噛み合い、回っているから、獣人大国とも呼ぶべきこの荒野の国で特定の一族が突出したり力を驕ったりはしていないのだろう。
 そう考えると、荒野の国は、とても面白く成り立っている。

「私達の国では、獅子……ライオンの獣人が、一番強いという印象なのですが」
「そうなの? 変ね、西の国は。ライオンの獣人は、ここではそんなに特別な存在じゃないよ」

 “百獣の王”という立派な呼び名を冠するくらいだから、彼らは一際目立つ存在だし、肉食獣の獣人達の中でも確固たる地位と力を持っている。荒野の国でも、顔と呼ぶべき獣人の一族だろう。
 しかし、ハイエナ獣人にとっては、どうやらあまり好かない存在らしいのだ。この群れの女長であり、の姉であるジルダは、卑怯だと軽蔑している節すらある。やたら幅を利かせたがるが、狩りは女主体で、男は待つばかり。侍らせた女にばかり狩りをさせるとはどういう了見だと、大きな声では言わないが愚痴をこぼしているのを知っている。

 それに、なにより、ライオンの獣人は――。

「獲物を、奪い合う相手だしね」
「奪い合う、ですか」
「ああ、この国はこんな環境だし、取り合う事自体は別に悪い事じゃないよ。ただ、ライオンの獣人だって奪っていくのに、ハイエナ獣人ばっかりずる賢いとか意地汚いとか思われるから、そこがちょっと嫌」

 ……何も言わなかったが、エリオスも、恐らくそういった心象を抱いていたのだろう。この表情からしてそうに違いないと、は確信した。

「私の仲間達の事、正しく、伝えてね」
「……しかと、心に刻みました」

 恭しく頷いたエリオスと、少しの間、見つめ合った。そして、どちらかともなく、ふっと笑みをこぼす。

 西の国と、獣人王国の荒野の国では、風景の見え方や捉え方、考え方がやはり異なるのだろう。
 西の国で暮らす獣人達は、どうなのだろうか。どういう風に日々を過ごし、人間と接しているのだろうか。
 これまでは抱く事の無かった疑問がふわりと過ぎり、の心は確かに未知の好奇心で弾んでいた。

「……良かったら、私にも、教えて」
「え?」
「西の国の事。それに……エリオスの事も」

 ちょうど縫い終わり、エリオスの衣服から糸をぷつっと抜き取る。

「それと――もっと砕けた言葉で、いいよ。私だって、こんな風に話しているんだから」

 ずっと思っていたのだ。荒野暮らしの身には、彼の言葉は丁寧過ぎてむず痒いと。
 エリオスは、その整った美しい面立ちに驚きを浮かべたが、やがて笑みを綻ばせた。

「そうだね……そうさせてもらおうかな」
「うん。それがいいよ」

 この数日間、が見てきたエリオスの笑みは、貴族の子息らしい丁寧な上品さに溢れていた。けれど今の彼には、飾りっけのない、何処か幼い笑みが咲いている。それが、エリオスという青年の本来の姿ではないかと、は片隅でそっと思った。

 そしてそれは、西の国からやって来た奇妙な旅人と現地の案内人という不思議な関係から、距離が近付き互いに親しみを抱いた、その瞬間でもあったのだ。



2020.09.02