01

 いつものように、は父が作った装飾品を机に広げて確認作業をした。
 この日、町の装飾店へ納品する品は五つだ。今回は、淑やかな女性に似合うだろう上品なデザインの首飾りや耳飾りといった品である。父が丹誠込めて作り上げたそれらはどれも美しく、窓辺に差す柔らかい日差しを受け光を纏っている。
 手元の発注リストと装飾品を照らし合わせ、間違いがない事を確認した後は、丁寧に包装して木箱に納める。父が昔から愛用していたその箱は、もう年季が入り貫禄も滲んでいる。感慨深くなってその蓋を撫でつつ、は自らの身支度も整え、木箱を片手に玄関へ爪先を向ける。

 ――その前に、チェストの上に飾られた、二つの首飾りへ視線を配った。

 丸く綺麗に磨かれた、青色の石の首飾り。箱に入って並ぶその二つは、どちらも同じ形をしている。

「行ってきます。父さん、母さん」

 両親が生前身に着けていたお揃いの品へ微笑みかけ、今度こそは木箱を大切に持って自宅を後にした。

 外は、緑を抱く長閑な村に相応しい、暖かな陽気に満ちている。暮らし慣れた普段通りの村の風景だが、いつもと変わらないものとして受け止められるようになったのも、喪失の色が薄れてきたからだろう。
 は大きく息を吐き出すと、歩いて十数分ほどの隣町に向かって踏み出した。



 ――装飾品を作る職人として生計を立てていた父が、二ヶ月ほど前に世を去った。
 は十八歳を迎えたので、世間体で言えば年頃の娘。その父となれば随分若いのだろうとよく想像されるが、父は享年六十歳である。
 父が結婚したのは、なんと四十歳を超えてから。そして母はなんと二十歳半ば。見事な年の差婚だった。
 母は病気がちで身体が弱く、が十歳を迎えたところで先に旅立ったが、父は見送る事を覚悟の上で結婚したそうだ。そしてたっぷり泣いた後、彼はくよくよせず活動してを育てた。あの世でアイツに会った時怒られたらたまらないからな、とは父の言葉だ。父、母にだけは昔からめっぽう弱かった。
 そんな父のおかげで、も前を向いてゆけた。家事を一手に引き受け、母の代わりに父を支えた。

 そして、も働けるようになり一人前となってから現在――父は母のもとへ旅立った。

 病気もなく生来元気に活動していた彼だったので、きっと天寿だったのだろう。

 それでも、や村の人々にとっては衝撃だった事には変わりない。飾り物を作る職業柄、手先は器用で物作りなども得意だった父は村の人々からよく修理の相談を受けて、快く引き受けていた。気っ風の良い人物として親しまれてきたので、父の死を悼む声は当時多くあがった。当然、もそうである。しかし、一人娘の彼女はいつまでもくよくよとしていなかった。母が居なくなった後の父がそうであったように、もまたその心を受け継ぎ、満足するまで思い切り泣いた後顔を上げた。
 すぐに立ち直る事は難しく、ぐずぐずと涙はこぼれ、また今も時々ふと一人きりである事を噛みしめてしまうけれど。最初と比べてしまえば、かなり逞しく立ち上がったと言えるだろう。

 なにせには、いつまでも悲嘆に暮れているわけにはいかない理由もあったのだから。



 通いなれたいつもの道を進み隣町へやってきたは、その足で目的地へ向かった。店が軒を連ねる通りの一角に佇む、装飾品店である。
 は居住まいを整え、その扉を開けた。

「こんにちは。おじさん、居ますか? です」

 様々な装飾品たちが並ぶ店内へ踏み入れ、入り口で少し待つ。
 ほどなくし、奥から足音が軽快に近付いてくる。顔を覗かせたのはこの店のオーナーである男性だ。柔和な笑みがとても似合う齢五十を超えたその人物は、の父と仕事関係にあったが、私生活でも親しく付き合っていた人でもある。幼い頃からも世話になり、今では気軽におじ様と呼んでいる。

「いらっしゃい、ちゃん」
「お邪魔します。父さんが請け負っていた仕事の納品に来ました。確認をお願いします」

 カウンターへ近付き、丁寧に木箱を置く。オーナーは少し雰囲気を変え、微笑みながら頷いた。彼が片眼鏡を掛ける傍らで、木箱を開いてそっと差し出す。

「もうすっかり板についたね、ちゃん」
「父さんからお願いされた最後の仕事ですから」
「……しっかり者の娘が居て、レドは安心して逝けただろうな」

 オーナーはしわの刻まれたまなじりを緩め、木箱の中から装飾品を取り出した。
 この日に納品する約束であった、父の最後の仕事。床に臥せる前に、力を振り絞り完成させた父の遺作は、きらりと輝いた。

「父さんから託された納品の仕事は――これで終わりです」

 は微笑み、これまでたくさんの作品を運んできた古い木箱をひと撫でした。やり遂げた達成感もあるけれど、ほんの少しの寂しさも残った。



 残っている完成品を、届けてくれないか――それが父の最期の頼みだった。
 約束の納品日に遅れるような真似は決してしなかった、職人としての父らしい頼み事。はもちろん頷いた。

 父の作業場には、長年使ってきた道具や機器、そして棚に並べられた完成品たちがそのままの状態で置かれていた。まるでつい先ほどまで誰かが居たような、煩雑さ。父、昔から家事全般が不得意だった。なのでが一手に引き受けたくらいだった。
 ボードに貼られたメモ紙と、納品日の書き込まれたカレンダーを見比べながら、装飾品を木箱に詰めて届ける日々が始まる。依頼人のもとへ出向いて直接手渡したものもあったが、基本的に大部分は隣町の装飾品店のオーナーが仲介してくれたので彼に引き渡していた。
 またそれだけでなく、父が亡くなったという事で仕事関係の人々からの挨拶だとか何だとか、あるいは自宅の片付けだとか、怒涛の身辺整理も開始されたのではこの二ヶ月間とにかく駆けずり回っていた。
 これまで父を手伝ってきたとはいえ、その父の代わりとして動くのは初めての事。ここにきて慣れない作業がしこたま続いたが、おかげで悲しみも薄れ思い出に昇華された。
 もようやく、ごく自然に笑えるようになったのである。



 ――そして、今日。
 職人の父から託された頼みは、これで全て完了した。
 約束の日を待っていた作品は依頼人やオーナーへしっかり届け、作業場の棚は空になった。少し寂しくもあるが、父の仕事が果たされた事の方が嬉しい。

 ほっと息をついたへ、オーナーが微笑みかける。「これで終わりだね、お疲れ様」労う声は優しく響く。も笑みを返した。

「はい。あとは……父さんが使っていた道具を、使ってくれる人に譲れば」
「え、レドの道具、手放しちゃうのかい?」

 オーナーから驚いた声が上がった。は頷くと「私は使えないですから」と告げた。
 職人として真摯に仕事に向き合う父の後ろ姿は好きだったが、その仕事を継ぐという考えには至らなかった。その事は父も納得しており、道具は大事に使ってくれる人に渡すようにとへ言っていた。

「大切に使ってくれる人へ渡した方が、埃被って眠るよりもずっと良いですから」
「そうか……なら、私の仲間に聞いてみるよ。あいつらだったら、絶対に大事に使ってくれるから」
「いつもありがとう、おじさん」

 は木箱の蓋を閉じた。それを手に持った時、カウンター越しにオーナーが尋ねた。

ちゃんは、これからどうするんだい?」

 彼の柔和な瞳は優しく視線を寄越している。身辺整理が済んだの、今後を心配してくれているのだろう。少し考え込むへ、彼は「いや、無理に言わなくて良いよ」と大きな手で制した。

「ただ、何かあったら、相談に乗るからね。遠慮しないで言ってくれよ」

 は微笑んで頷き、店の外へと出た。後ろ手で入り口の扉を閉め、ふう、と息を吐き出す。
 これから、か。
 近頃のを考えさせる、避けてはゆけない現実問題。父の身辺整理も一段落つき始め、ようやくの日常も落ち着きを取り戻している。今後の身の振りを決めなくてはないのだと、自身もそう思う。

(父さんも、私の好きなようにして良いと言ってくれたけど)

 は少し考えつつも、肩に掛けた鞄を直し空の木箱を振って歩き出す。一番の目的であった装飾品店の用事は終わったので、今度は働いている食堂へと足を運ばせる。これまで隔日あるいは隔週で不規則に店に出ていたが、今後は復帰できる旨を伝えるためだ。


 はゆったりとした足取りで町の通りを進む。喧噪とは無縁な空気が流れているそこには、普段よりも人の姿が行き交っているような気がした。
 豊かな自然に囲まれた風景の通りに、この一帯はいわゆる田舎に分類されるので、目を引く珍しいものや輝かしいものはない。ただ、ここ最近は少し来訪者が多いような気配を感じた。ごく小さな町なので、旅装束や町人とは異なる装いは特に目立つからかもしれない。


「――――ねえ、ごめん、そこの人」


 ――と、ぼんやりとそんな事を思いながらゆっくり進むへ、不意に呼び止める声が掛けられた。

 視界の片隅で動く人影へ、は視線をやる。側面から近付いてくるその人は――獣人だった。
 身体つきは人間と同じ、しかしすらりと伸びた四肢には毛皮を纏い、獣の尻尾と頭部を持った獣そのものな人。


 ――獣人。その名の通りに、人と獣、二つの性質を持つという種族。
 力と身体能力に優れたものが多く、特に肉食動物は戦いに力を発揮すると言われている。
 また能力だけでなく、個人差はあるが外見にも獣性が現れる。人とほぼ同じ姿であったり、あるいは毛皮を纏い獣の頭部をしていたりと様々だが、共通して獣の耳や尻尾を生やす。そして彼らが持つ獣の種は多種多様に分岐するので、国籍で判断される人間よりも遥かに多いという。


 獣人や人間だけでなく、鳥人や魚人などなど数多くの異種族たちが互いの領分を守り明確な線引きをなされていたのは、もう過去の話。現在はごく普通に交流しているところだ。
 ただ、土地柄や歴史によって種族の分布は異なるので、その割合には多少の偏りがあるかもしれない。
 が暮らすこの一帯は普段は基本的に人間が多く過ごしているので、獣人はちらほらと見かける程度だった。

 しかし、だからといって警戒する事ではない。古くから獣と共に暮らしてきた人間にとっては隣人のような存在であるし、何より互いが同じ言葉を持つのだから道理の通じない相手でない。
 さすがに獅子や豹、虎や狼といった獣人には怯むかもしれないが……。

 それを考えれば、のもとへ近付いてくる獣人は外見的な恐ろしさや威圧感はない。むしろ第一印象は、可愛いとすら思えた。
 すらりとした身体の天辺へ乗った頭部は獣そのものだけど、鼻先の尖った丸い輪郭の中に円らな瞳ときゅっと閉じた口がある。黒い鼻は小さく、その鼻梁も犬ほど長くない。耳は丸みを帯びてやはり小さく、ちょこんと頭の上に生えていた。
 全体的に少し濃い茶褐色の体毛に覆われているが、口の周辺と喉元は白く、鼻筋と目の周辺までは暗褐色に染まっている。模様のない無地の毛皮は、ふわふわというより、ふかふかとした柔らかさを感じる。

 その顔には、覚えがある。
 あれは確か、ウィーズル――つまりは、イタチだ。

 先端が黒く染まった茶褐色の豊かな尾を優雅に揺らし、近付いてくるイタチの獣人。その種に通じる細さやしなやかさなどに目を引かれつつ、は立ち止まった。

「はい、なんでしょうか」
「町の人だよね。少し聞きたい事があるんだけど」

 きゅっと閉じた口から、青年の声がこぼれる。可愛らしいイタチのお顔だけでは年齢が全く分からないが、年の近い人物のようだ。齢二十前後だろうか。あるいは、と同い年かもしれない。

「この町にあるパン屋って何処があるのか、教えてくれませんか」
「パン屋、ですか?」

 身なりからしてこの辺りに住む人ではなさそうだ。足を運ばずにいられないような有名なパン屋はなかった気がするものの、は指で示した。

「町のパン屋は、この通りの、あのお店ですよ」
「うーんと、そこは別の人にも教えてもらったんだけど、他の場所とか」
「いえ、パン屋はあそこだけです」

 新しいパン屋が出来たとも聞いていないので、この通りにある店のみだ。
 が告げると、イタチ獣人の彼はそうですかと小さく呟いた。毛足の長い弾力のありそうな尻尾が、少し寂しそうに揺れる。

「もしかして移動販売とかだったのかな……。ありがとう、呼び止めてすみませんでした」

 が「いいえ」と返す前に、イタチ獣人は踵を返して去って行った。豊かな尾をたなびかせ、遠ざかる彼の背をぼんやりと見送る。
 随分と、珍しい事を尋ねる人が居るものだ。
 町人や村人などと異なる上質な衣装を着て、鞄を肩に掛けて、見るからに外からの来訪者であるのに、尋ねた事はパン屋の有無。大抵、食事所だとか宿屋だとかを尋ねてくるのだが。けれど不審者と一切思わなかったのは、その愛らしいイタチの顔のおかげだろう。
 不思議な事もあるものだ。は特に気には留めず食堂へ急いだ。


 食堂を営む夫妻は、を労いつつ復帰する事を快く受け入れてくれた。「これから忙しくなるから良かった」と喜んでくれて、さっそく明日から再び働く事となった。
 明日からまた頑張ろうと心を改めるの中に、不思議なイタチ獣人の存在はもう無くなった。


◆◇◆


 その翌日の正午から、は食堂に立って働いていた。
 唯一の従業員だったので、常連の町人たちは皆の事情を知っていた。復帰を喜ぶと同時に何処か気遣わしく接してきたけれど、そのたびにが明るく応じたので空気が重くなる事はない。
 いつまでもくよくよとしていられなかった。ただ、そうやって自身に言い聞かせているのも事実である。賑わう食堂で何も考えず働けて良かったかもしれないと、は忙しなくテーブルとカウンターを行き来した。

 それはさておき、食堂にやって来る客の数が普段よりも多い。町に数軒しかない飲食店は普段見慣れた常連客ばかりなのだが、今日は見知らぬ顔ぶれが並んでいるように思う。ここ最近は隔週で出てきていたためか、殊更にそれを体感する。
 今日でこれだから、きっと数日後にはもっと来訪者が増えているのだろう。
 父の件でうっかり忘れがちだったが、長閑な田舎町や近隣の村々、そして周辺一帯を年に一度賑わす時期がやってきたのだ。

(今までは父さんが居てくれたけど……今年はどうしようかなあ)

 浮上する問題は忙しさを理由に脇へ寄せる事にした。先送りとも言う。



 昼食時を過ぎれば、食堂にはすっかりと落ち着いた空気が漂った。
 ちらほらと散らばった客は、のんびりと飲み物を口に含んだり穏やかな会話を弾ませたりとしている。もほっと息を吐き、人心地つく。

 再び食堂の扉が開き、取り付けた小さなベルがカランと鳴り響いた。

「いらっしゃいま……あッ」

 振り返った姿勢で、は目を瞬かせる。
 入り口に佇んでいたのは、シュッとしたしなやかさを持つ体躯の、イタチの獣人であった。
 昨日の人だとが思った時、恐らくは相手もそうなのだろう、円らな瞳を少し丸くしていた。
 茶褐色の尻尾を揺らし食堂に踏み入れる彼のもとへ、はトレーを脇に挟んで近付いた。

「昨日の人ですよね。いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」

 彼は可愛らしいイタチのお顔を頷かせ、カウンターに近いテーブルへ座った。
 お水を取りに駆け寄った厨房から、夫妻が知り合いかと尋ねてくる。昨日ちょっとだけ、と短く答え、イタチ獣人のもとへ向かう。
 「お水とメニューです」テーブルに置くと、彼は小さく頷き、つぶらな瞳でを見上げた。

「昨日はありがとう」
「いいえ。探してるパン屋さんは見つかりましたか?」

 彼は少し笑うと、肩を竦めて首を振った。そうだろうな、あの店しかないのだから。は慰めるように笑みを返す。

「そうでしたか……でも、せっかく来て下さったんですから、ゆっくりしていって下さいね」

 あんまり見所はないけど、のんびりとした良いところですから。がにこやかに告げると、彼はつぶらな瞳を瞬かせる。椅子からはみ出た尻尾がふわりと揺れた。
 獣人は総じて身体能力に長け、その上強靭な肉体を持つという。その点で恐れられる事も多々あるようだが、の目の前にいる彼はとても可愛らしい。いつだったか食堂へやって来た狼獣人や虎獣人などは獣の風格が凄まじく圧倒されてしまったけれど、目の前の彼は親しみさえ感じた。

(獣人といっても、色んな人がいるのね)

 はそんな事を思いながら給仕に当たった。


 ――しかしこの後、彼もまた獣であるとは痛感させられる。
 可愛らしいイタチのお顔に反して、食べる際には歯茎と鋭い牙を剥き出すらしく、その姿はじゃっかん恐怖を抱くほどに野生的だった。

 ひとくちに獣人といっても、本当に色んな人物がいるようだ……。

 は別の意味でドキドキしっぱなしであった。



■イタチ獣人と人間娘

あまり他に見ない動物の獣人の物語が読みたかったのですが、そもそも自分好みの獣人小説が何処にも見当たらなかった。(※通常運転)
ので、自給自足するべくネットの海を泳いだ結果、出るわ出るわの伝説に心奪われた、白銀トオルです。

なお、生態や形態など、作者の妄想が混ぜ込まれているところもありますので、あらかじめご注意下さいませ。
また例に漏れず、この物語には【獣頭の全身フル毛皮な獣人】が出現しています。

くつろぎのお供になる、そんな毛皮物語でありますように。


2016.06.18 連載開始