17(18禁)

ちゃん、注文頼むよー!」
「はい、ただいまー!」

 昼時になり、賑やかな空気で満たされる食堂。
 はテーブル席に料理を運んだその足で、呼び掛けられたテーブルへ軽やかに移動する。座っているのは中年男性が三人で、全員が作業着姿だった。

「日替わり定食を三つな、大盛りで」
「はい、かしこまりました。午前は、お仕事だったんですか?」

 まあな、と笑った彼らからは、ほのかに花の香りが漂っている。白花に携わる仕事であるという事は、すぐに理解した。

「そろそろ作業も終盤だからよ。もう少ししたら、店に白花の花蜜が並ぶからな」
「わあ、本当ですか! 嬉しいです」

 抽出した白花の蜜を精製したものは、この地域では欠かせない甘味料だ。この季節でしか作られないものなので、楽しみにしている人々は大勢いる。

「おじさん達のおかげで今年も味わえるんですね。いつもありがとうございます」
「いやいやあ、それほどじゃねえよ~」
ちゃんに言われると嬉しいなあ~」

 表情をくしゃっと緩めた男性たちの背後から、「こら!」と声が割り込む。カウンターに立つ、食堂の女将である。

「良い年したおじさんが、デレデレになるんじゃないの!」
「なんだよう、良いじゃねえか~」
「うちの可愛い従業員にセクハラは許しません! それにね、ちゃんには、いい恋人がいるんだから」

 一瞬の沈黙の後、男性達は狼狽を露わにし「な、なにィッ?!」と慌ただしく椅子を揺らした。
 本当なのかと立ち上がり視線を向ける彼らへ、は柔らかくはにかんだ。



 一年に一度、大地を埋め尽くすように咲く、希少な白花の季節。
 たくさんの人の出入りがある中、普段は人里にやって来ない鳥獣たちが姿を見せたり、招かざる山賊の出現があったりと、予期せぬ事件に見舞われた今年の季節は、静かに終息を迎えていた。
 遠方からの来訪者や、その護衛などの任務を請け負った傭兵たちは、一人、また一人と、順番に去っていった。町の通りを行き交う顔ぶれは、すっかりと、顔馴染みの町民たちばかりだ。
 喧噪が過ぎ去った長閑な風景には、白花の甘い残り香だけが漂っている。

 ――そして、ナハトが傭兵都市へ帰還した日から、気付けばもう一ヶ月ほど。
 今日も彼は溜め込んだ任務の消化に明け暮れているのだろうかと、思い浮かべる日々を過ごしていた。



「女将さん、日替わり定食を三つです」
「はいはい。じゃあ、これを三番のテーブルへ運んでね」

 は両手に銀色のトレーを装備し、慣れた足取りで配膳に向かう。

ちゃん、恋人って一体誰だい?!」
「こらおじさんたちッ! そんなの気にしてどうしようっての!」

 背後で繰り広げられる会話に苦笑いをこぼすと、軽快なベルの音が鳴り響いた。
 視線を向けた入り口には、よく知る人物が扉を開けた格好で佇んでいた。

「こんにちは、ちゃん。ちょっと休憩させておくれ」

 父の古い友人である、装飾品店の主の男性が、にこりと微笑んだ。
 常連客の枠に入る彼を、はいつものようにカウンターテーブルへ導き、注文を取る。

「今日は、何だか賑やかだね?」
「あ、えっと、それが……」

 苦笑いをこぼしていると、テーブル席の会話がと男性の間にも届く。

ちゃんに恋人が居たなんて、俺ぁ知らなかったよ!」
「全く、いい年したおじさんが……大体、その話題はもう真新しくないわよ」

 視線をやった男性は理解したようで、可笑しそうに吹き出した。

「なるほどね、その話かい」
「お、お騒がせしました……」
「いやいや、大丈夫だよ。それより、ナハトくん、元気でやっているかい?」
「はい。手紙では、まだ仕事を片づけてる最中だとか」

 文面からは、もう一度放り投げたい! という感情がありありと読み取れた。それは自業自得というものなので、頑張って欲しいところだ。

「戻ってまだ一ヶ月くらいですけど、仕事が片づいたらまた此処に来ると書いてありました。それがいつになるかは分からないですが」
「そうか。……なあ、ちゃん」

 ふと、男性の声の調子が、真剣なものへと変わった。

「野暮な事を、聞くようなんだけど――ちゃんは、ナハトくんの事、好きかい?」

 柔らかな表情だが、真っ直ぐと見つめる眼差しは何処か鋭い。は一瞬狼狽えたけれど、しっかりとその眼差しを受け止め、頷いた。

「はい。大好きで……大切な人です」
「……そうか。そうだよな。それは、なによりだ」

 彼は、満足そうに笑った。その温かい仕草は、今はもういない父を思い出させた。

「レドの奴も、きっと、喜んでるよ。いや、もしかしたら、驚いているかもしれないな。こういう“縁”であったのかもしれない、と」

 そう言って、男性はじっとを見つめる。不思議な気分を抱きながら首を傾げると、彼はなんでもないよと首を振る。

「会える日が、楽しみだね」
「はい、とっても」

 微笑むも、その日を待ち望んでいる。またね、と手を振った彼が、今度は身を軽くしやって来る日を。

 本当に、つくづく不思議だ。出会った当初は、こんな風に焦がれるようになると、想像もしていなかった。

(……私は、ナハトに何をしてあげられるんだろうなあ)

 明るく悪戯っぽくて、けれど傭兵として身を立てるだけの強さを秘めた、しなやかな獣人の彼。

(私は、何が出来るんだろう)

 不器用だけど優しい彼に、自分がしてあげられる事は何なのかと、この頃は考えていた。




 それから、しばらく経った後の事。
 のもとへ、ナハトから手紙が再び届いた。

 配達屋の男性から受け取ったは、喜びを露わにそれを見下ろした。よく言えば小綺麗な、悪く言えば飾り気が一つもない封筒。隅に綴られた送り主の名は、意外にも綺麗な文字の形をしている。小躍りしながら自宅へ戻ると、早速その封を切った。

 先に手紙を送ってくれたのは、ナハトの方だった。
 町を離れた日からおよそ一週間後、彼から届いた時は驚いた。の方でもどうにか彼へ届けられないかと考えていたので、助かったといえば助かったが、彼はあの可愛らしい姿でなかなか抜け目ない。

 ――どうせ君の事だから手紙を送れないかって考えているでしょ。送り先を書いといたから、そこに送って。

 よく分かってるなあと、は感心した。おかげでも、傭兵都市にいる彼のもとへ手紙を届けられるようになった。

「溜まってたお仕事、少しは片づいたのかなあ」

 お母さん心を覚えながら、は封筒の中から便箋を取り出し、丁寧に広げ読み始めた。
 綴られた文章の内容は、ナハトの近況と傭兵都市の風景などで、特別なものはない。だが、その随所からは、彼が熱心に仕事をこなしているのだと不思議と読みとれた。もちろんそれをあのナハトが文字にするはずがないので、が勝手に思っている事だが。
 面倒だったから逃げてきたのだと言ったあの日の彼は、もう居ないような気がした。

 それは、良い事なのだが……。


 ――がまったく足らない。そろそろ気が狂う。


 手紙の回数を増やすごとに、この類の言葉が増えていく上に過激になっているのは、勘違いであって欲しい。
 隠す気配が全くない劣情の吐露を、は毎回、赤面して読む羽目に陥っている。便箋を持つ手も、羞恥心のあまり震えている。
 私が足らないって何だろう……栄養素か何かだろうか……。
 こういうところが、獣人と人間の違いなのかもしれない。

 そして読み進める手紙は、あっという間に最後へ到達した。


 ――そうそう、溜まっていた仕事もだいぶ片づいて、今やってるのを終わらせればまた時間空くんだ。

 ――もう少し掛かるけど、そのうち、またそっちへ行くよ。今度はちゃんと、本拠地の許可を貰ってね。


「……え、え? またそっちへ、行くって……」

 それは、つまり。
 次第に、の顔には驚きが広がってゆく。文章の意味を理解した瞬間、口から反射的に叫び声が飛び出していた。


 ナハトから連絡があったのは、それからさらに一週間以上が経ってからだった。
 準備が整い、いよいよ傭兵都市を発つと、そこには書かれていた。


◆◇◆


 ――そして、指折り数えて迎えた当日。
 いつ到着するだろうかと気忙しく過ごしていたに、ようやくその時がやって来た。

 喧噪のない長閑な村の空気に、ふと混ざった、賑やかな余韻。そして、この家へ近づいてくる、誰かの気配。はすぐさま動き出すと、急ぎ足で玄関へ向かい、その扉を開いた。
 そこには、扉を叩こうとしていたのだろう、握り拳を上げたまま動きを止める獣人が佇んでいた。シュッとしなやかな人間の身体に乗った、可愛らしいイタチの頭は、驚いたように目を丸くしている。
 ぱちぱちと瞬いたつぶらな瞳が、を認める。すると、足の後ろに見える茶褐色の尾を揺らし、イタチの頭に明らかな笑みを浮かべた。
 も表情を明るく緩め、両腕を広げながら彼へ飛びついた。額を押しつけた胸は、細い外見に反してふらつく事もなくを受け止めた。

「反応が大袈裟だよ、二ヶ月と少しくらいじゃないか」

 彼はからかうように言ったけれど、の身体を隙間なく抱きしめる腕は力強い。毛皮でふかふかの顎を頭の天辺に乗せ、ぐりぐりと遠慮なく擦りつけてくる。その行動が、何よりも雄弁だった。
 は嬉しさで胸を一杯にし、顔を上げる。視線の先で、キュウッと喉を鳴らすナハトも、にこやかに笑っていた。

「ああ、良かった! 怪我してない? ちゃんとバランスのいいご飯食べてた?」
「ほんッッと、君はお母さんみたいな事言うよねえ」
「ふふ! 大変だったでしょ、ここまで。少し休憩してよ、村はすっかり平和なもんだからさ」

 さっそく家の中へ招き入れようとしたところで、ナハトがやや歯切れの悪い声を上げた。

「……あー……それでね、ちょっと謝らなきゃならない事が……」

 え、と彼を見上げた――その瞬間、ナハトの背後から二つの顔が覗き込んだ。

「どうも、ナハトの友達です。初めまして」
「こんにちは、恋人さん! 突然、お邪魔します!」

 現れた見知らぬ顔に、の口から小さな声が上がる。
 ナハトの背面に佇んでいたのは、人間と獣人の青年たちだった。それぞれの腰や背には武器が装備され、見るからに旅人でも一般人でもない姿をしている。ナハトと同じ傭兵なのだろうという事はすぐに思い至った。
 二人の存在に全く気付かなかった事を恥ずかしく思いながら、はナハトの腕の中から抜け出して向き直る。

「あー……傭兵都市の、顔馴染みの傭兵。仕事仲間って奴。急に着いてきてさ」

 ナハトは面倒そうな感情を隠さず、雑な説明をした。

「おいおい。仕事仲間って、他人行儀だな。友達と言ってくれないか」
「……やっぱ置いてきた方が良かったな。今から消すか」
「ちょ、待て待て、物騒だな……! 武器は禁止だって言ったのお前だろ!」

 友人だという傭兵の男性たちは、どちらもなかなか立派な背格好をしている。二人のうちの片方は、ナハトと同様、獣の頭が乗っていた。見たところ、犬の獣人らしい。
 ナハトが全く気負わずに接しているので、とりわけ親密な友人なのだと分かるのだが……。

「……ナハト、お友達、居たんだね!」
「…………ちょっとそれ、どういう意味?」

 ナハトの背後で、友人たちが腹を抱え笑い転げた。





 ――空は暮れ、辺り一帯には静寂が訪れる。
 夜を迎えようとする村には、早々と物静かな雰囲気が漂っているが、の自宅はますます賑やかになっていた。

 普段は音のない殺風景な作業場に、陽気な笑い声が響く。飲み物や料理を並べた机からは温かい湯気が上がり、それを囲む来訪者たちは皆、楽しそうに表情を緩めている。
 荒事を請け負う傭兵だが、竹を割ったような快活な性格の彼らに、もつられて笑顔を浮かべた。
 ふくれっ面を見せる、少々不機嫌なナハトを除いて。
 こんな奴ら放り出せばいいのにと憎まれ口を叩いていたが、もちろんがそんな事をするはずもく、彼の友人たちも招いて賑やかな夕食会となった。
 こういう時、作業場のような大きな空間があって良かったと思う。

「たくさんお土産を頂いてしまって、本当、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ、突然押し掛けるような形になってしまった。どんなものが手土産に喜ばれるのか、さっぱり分からなくてな」
「いえいえ、この辺りでは見ないものばかり頂いて。こちらが感謝です」

 そのおかげで、豪華な夕食となった。さあどうぞ、とが酒の瓶を持ち上げると、彼らはほっと笑いグラスを差し出した。


 元々、この地域からほど近い場所で仕事があるそうだ。だが、あの“凶獣”ナハトが遠方の恋人に会いに行くと小耳に挟み、ついでだからとくっついてきたらしい。

「最初に漏らしたのは、ガルバインに頻繁に出入りする騎士の奴らだったな」
「前々から気にはなってたんだよなあ」

 その騎士というのが誰なのか、何となくだが想像ついた。
 の隣からは、途端に「余計なこと言いやがって」と真っ黒なオーラが迸ったが、しかし気になるのはナハトの生活だ。話題に上がってしまうような日々を送っているのかと、一抹の不安が過ぎる。

「ナハト、そんなに無茶な生活してるんですか?」
「あ、いや、そういうわけじゃないよ。今はね」
「そうですか……私は、ナハトの仕事はお手伝い出来ませんから、無茶しないよう代わりに見て下さいね」

 にっこりと笑うと、彼らは感心したように声をこぼす。

「いや、なんだ、全く想像なんかつかなかったけど……しっかりした子だな……」
「か、可愛い……いでででッ! 何で俺、耳引っ張られてんの?!」

 小さくとも存在感のある爪を立て、ナハトは友人の耳をぐいぐいと抓る。キャインッと鳴き声をあげる獣人の青年が不憫になり、はナハトを窘める。手はすぐに離れたが、イタチの頭はつんとそっぽを向いてしまった。
 彼にしては珍しい、幼稚な仕草。私生活をばらされてしまい、拗ねたのだろうか。

「ふふ、ほらほら、ナハトもいっぱい食べて。ナハトが来るって言って、私、頑張って作ったんだよ」

 丸い小さな耳を揺らし、そっぽを向いた視線が戻る。

「……どれ?」
「これとこれ!」

 料理の入った器や皿を示しながら、小皿に取る。すると、彼は受け取らず、代わりに口を開けて強請った。は吹き出しつつも、はいはいと綺麗に牙が並ぶ口へ運んであげた。
 途端にその顔面が、フォークごと噛み砕きそうな凶悪なものへ変貌する。
 二ヶ月ぶりのこの表情も、全く変わらず健在だ。

「……何だろうな、普通、ここはからかう場面なんだけど……」
「食う時の顔が怖すぎて、それどころじゃねえな……」

 正面では、友人たちが顔をひきつらせている。そしてその視線は、ナハトだけでなく、にも向けられていた。
 私はもう慣れましたとも、可愛いじゃないですか。
 ものすごく近いところで展開されるホラー顔を、だけはにこにこと上機嫌に見つめた。



「あ、お水が空になっちゃった」

 冷や水を注ごうとし、器が空になっていた事に気付く。は持って来ようと立ち上がったが、ナハトがそれを制し、空の器をひょいっと奪う。

「いいよ、僕が持ってくる。隣でしょ?」
「あ、うん、ありがとう」

 ナハトはすたすたと歩き、作業場と住居を繋ぐ扉を開けると、その向こうに姿を消した。

 ナハトの友人たちは、それまでの豪快な笑い声を抑え、穏やかな声音で呟いた。

「……あいつ、ずいぶん力を抜いてるな」
「ああ、本当に。真面目に、初めて見たよ」

 は視線を彼らへやる。酒が入り赤ら顔だが、緩んだ目には優しい感情が浮かんでいた。

「ガルバインで見てきたあいつは、何というか……そう、刃物みたいな奴っていうのかな」
「触っても危険、見てても危険……そんな感じだったよな」

 傭兵ギルドの総本山であり、傭兵たちが集う激戦地――傭兵都市ガルバイン。自らの力のみで渾名付きの傭兵になった彼は、必要以上に他人と関わらず、踏み込ませず、単独行動を貫き上位の位置を守り続けた。
 そんな彼が、ある日突然、何の前触れもなく、傭兵都市から姿を消した。
 その時は、様々な意味で大騒ぎとなり、波紋を呼んだ。もう、半年以上も前の事だと、二人は言った。

「半年以上……」

 逃げてきた、面倒になって――ナハトはたった一言しか言わなかったし、その旅行の期間がどれほどだったのかも詳しく聞かなかった。だが、もしかしたら……見た目では分からなかっただけで、本当はとても追いつめられていたのかもしれない。

「こんな稼業だ、思うところがあったんだろうとはすぐに想像ついた。まして、望んだわけでもないのに目立っているような奴だし」
「あいつはそういう事、特に誰にも言わない性格だしな」

 ナハトが姿を消していた間、誰もその行き先を突き止める事は出来なかった。彼の噂を掴んだと思ったら、すでにもう姿を消していた。そんな事が続き、最終的には張り紙という強引な手段まで取り始めていた。

 本人が戻ってくる以外に見つける術はないだろう。意欲的に探すのを止めた頃、任務に出ていた騎士が傭兵都市へ立ち寄り、こう言ったのだ。あいつなら見つかった、と。
 そして、ナハトは出て行った時と同じように、前触れもなくひょっこりと戻ってきた。ただし――以前とはだいぶ印象の異なる雰囲気を纏って。
 あの時は、消えた時以上の激震が迸った。

「戻ってきてから、何もなかったようにすぐ仕事を始めたけど……いやまさか、あそこまで大真面目にやるとはなあ……」
「それも、今までの“凶獣”だったら絶対に受けなかった、稼ぎにならない小さな依頼までな」
「あの時はさっぱり分からなかったが……ここに来たら、何となく理由が分かった」

 しみじみと言った彼らは、を見つめた。

「おっと、何があったかは言わなくて良いぞ。あいつはこと君に関しちゃ喋りたがらないしな。あとで殺されそうだ」
「それな、本当。ただ、俺たちは君らの関係にどうこう言うつもりはないけどさ……あいつ、凶獣だなんて呼ばれるが、そう悪い奴じゃないんだ」

 ただ、ものすごく、どうしようもないほど、不器用で臆病なだけで。

「だから、これからもあいつの事、見捨てないでくれると嬉しいよ」
「二面性が著しく酷いし不器用だけど、あれで懐に入れた奴は大切に扱うからさ」

 真剣な様子の彼らへ、は大きく頷き、笑みを返した。

「大丈夫です。私、ナハトの事は頼りにしてますし、それに――私も大切に思ってますから」

 いつの間にか好きになっていたひとが、“凶獣”と呼ばれる傭兵だった。それだけなのだ。
 これから先、その事実だけは絶対に変わる事はないだろう。
 微笑むの正面で、二人は一瞬、呆気に捕らわれたように目を丸くする。だが、次第に表情を緩めると、納得したように笑った。

「……あいつがあんなに躍起になっていた理由が、少し、分かった気がする」

 本当、獣人というのは、こうと決めたら一直線だな。何処か含みを込めた彼らの言葉に、は小首を傾げる。

「しかし、ナハトにはもったいない。なあさん、あいつに愛想を尽かしたらいつでも……」

 腰を上げ身を乗り出す二人は、にこやかに手を伸ばす。けれどその手が、に触れる事はなかった。

 真上から振り下ろされた別の手が、机へはたき落としたからである。

「――いつでも、何だって? そこの酔っぱらいどもが」

 悲鳴を上げた彼らに、ナハトが猛然と襲いかかる。はその光景を、涙が滲むほどに笑い声を上げて見つめるのだった。




 食事会が終わると、友人たちは身支度を整え、荷物を背負った。ここに足を運ぶ前に取っていた、町の宿に向かうそうだ。
 作業場の事を先に言っておけば、宿代が浮いただろうに。は申し訳なく思う。

「何だかごめんなさい。もう夜も遅いのに、片付けのお手伝いまでしてもらって……」
「いやいや! これくらいはさせてもらわないとな」
「さすがに寝泊まりまでお世話になるのは、こっちも申し訳ない。それに……そこでもうナハトは牙を剥いてるしな。噛みつかれたくはないよ」

 彼らは冗談を交えながら、明かりのついた角灯を片手に装備し、暗い夜道を歩き出した。「ごちそうさま、美味しかったよ」「またね」と手を振る彼らは、陽気な足取りで町へ向かっていった。本当に、清々しい快活な人達だ。

 角灯の明かりが小さくなるまで、とナハトは彼らを見送る。賑やかな余韻が残る身体に、静けさを帯びた夜風が過ぎ去った。
 いつの間にか、すっかり夜が深まっている。あんまりにも楽しくて、時間の流れを忘れてしまった。

「ナハトのお友達、素敵な人たちだね」
「騒がしい奴らだけどねえ」

 さも煩わしそうに憎まれ口を叩いたが、嫌っていない事は明白だ。素直じゃないなあ、とは笑い、作業場の明かりを落とし自宅へ戻った。



 作業場の片付けも終わり、たくさんの洗い物も終わっている。あとは何かやっておく事はあっただろうか――と考えた時、は背面から抱きしめられた。
 腹部に腕が回り、背中にぴったりと温もりが寄り添う。下がってきたイタチの頭は肩口に埋まり、ふわふわの毛皮を寄せる。くすぐったさに笑うと、キュウキュウと甲高い獣の鳴き声が耳元で響いた。
 たった二ヶ月で大袈裟、なんて言ったのはナハトの方だったはずだ。

「溜まってたお仕事、大変だった?」

 キュウ、と鳴き声が答えた。はクスクスと笑い、腹部に回った腕を撫でる。首筋に埋められた鼻が、ふんふんと音を立てて動く。

「仕事をやるのは問題なかったよ。ただ、あんまりにもむさ苦しい暑苦しいばっかだったから……」

 あんな場所だったかな、とナハトは疲れ果てた声で言った。そうして大きく息を吸い込むと、全身の力を抜き、安堵に満ちた吐息を漏らす。

「ようやく嗅げた。はあ……半分くらいは、満たされた」
「なあにそれ」

 喉を鳴らしながらすり寄るイタチは、さらにを抱きすくめる。僅かに爪先が浮き、バランスが崩れそうになる。

「おっとと……ナハト?」
「ん、誰の匂いもしない。僕の匂いも、薄くなっちゃってるけど」

 そんな細事まで分かるのか。獣人の嗅覚は凄い、と思う一方で、疑いを掛けられたような気分になる。

「私は、ナハト以外とこういう風にならないよ」
「知ってるし、分かってる。気を悪くしたなら謝るよ。でも――ずっと不安だったのは、きっと僕の方だ」

 ナハトは小さく笑うと、の身体に回していた両腕に力を入れ、持ち上げてしまった。ふらつく事なくスタスタと歩き始めると、テーブルへ近付き、その上にを下ろす。
 そして、テーブルの縁から投げ出すの両足の間へ、ナハトは自らの身体をねじ込み、正面から向かい合った。

「ナハト――」

 の声は、途中で遮られる。
 顔を寄せたイタチが、音もなく、の唇に食らい付く。鋭い牙が当たり、その向こうから伸ばされた舌がずるりと口腔を這う。
 一瞬、本当に食べられてしまいそうな予感が過ぎった。
 目の前に居るのは既に、可愛い小動物ではなく、獰猛な肉食獣だった。奪い取る牙の口付けに、は呻きながらしがみつく。
 名残惜しそうに、ナハトの口が離れてゆく。けれど、音を立てて唾液を啜り、唇を舐め、恍惚と笑う仕草に、隠さない欲望がはっきりと窺えた。
 の身体が、ぞくりと戦慄く。

「あっちに戻って、溜まってた仕事を片付けて……ずうっと、君の事ばかり考えてた」
「あう……ッ」
「不思議だよねえ。怖くなかったはずの事が、どんどん怖くなる」

 これだから獣人ってのはイヤんなるよ。
 冗談めいた言葉を吐きながら、そこに混ぜられた感情は熱く、深く響いた。

「だから、それを無くすにはどうしたら良いのかも、考えてた。奪うのは簡単なんだけど、それじゃない手段で。急いで仕事を片付けながらさ、準備もしてたんだ。基盤はもう出来上がってきてる、あともう少し」
「準備……?」

 何の準備だろうと見つめると、ナハトは獰猛に煌めく瞳を、柔らかく緩めた。まるで内緒話をする子どものように、無邪気に、楽しそうに。

「そう。でも、今は」

 ぐいっと、の腰が引っ張られる。衣服越しに押し当てられたナハトの下半身の変化に、すぐさま気付かされた。

「半分、まだ、足らない」

 つい、とイタチの舌先が顎をくすぐる。の頬が、じわりと熱を帯びた。輪郭を伝い頬や目尻へと伸びる舌の動きには、獣らしい欲望と懇願がありありと滲んでいる。言葉もなく、頂戴と、訴えられた気がした。
 身震いし熱を宿してしまうに、それを退ける事は出来るはずもない。彼が懇願するように、もそれを何処かで喜んでいるのだ。

 小さく頷き、そっと身体を寄せると――待ちわびていたように、獣の手がへと伸びた。

 見た目よりもずっと大きな手が、背中や腰をなぞる。微かに声をこぼしたの耳元に、ナハトの舌が伸びた。耳の縁をなぞり、ちゅっちゅっと音を立てて耳たぶを食む。注ぎ込まれる熱い息遣いに、目眩がしてくる。
 爪の伸びた指が、衣服を掴む。内側へ侵入しようとまさぐる仕草は、急き込むようだった。

「あ、待って、これ、ぬ、脱ぐから……ッ」
「ちょっと、僕が待てると思ってんの」

 ……待ってくれないのかと、逆に問いたい。
 困惑しているを置き去りにし、ナハトの手が衣服の裾から侵入を果たす。形こそは人間に近い、けれど毛皮を纏った獣人らしいふわふわな手が、肌を撫で上げる。ぞくぞくと、背筋が震えた。

「ひゃ、う……ッ」

 ごそごそと揺れる衣服の下で、ナハトの手が柔らかい胸を包む。の正面でこぼした吐息は熱く、喜びを含んでいたが、もどかしそうに喉を鳴らした。

「ん、やっぱりちょっと、邪魔だな。、破ってもいい?」
「だ、駄目に決まってるでしょ!」
「そうだよねえ……なら」

 ふにふにと胸を愛撫する手とは逆の、もう一方の空いている手で、の衣服を掴む。

「ちょっと、自分で持っててくれる?」
「へッ?!」

 がばりと、服が捲り上げられ、上半身が一気に露わになる。そうして、服の裾をへ持たせてきた。反射的にそれを掴んだものの、中途半端な自らの格好に、何故だか酷く恥ずかしくなる。
 こ、これじゃあ、自分で見せつけているようではないか。
 ドキドキと跳ねる心臓に合わせ、剥き出された二つの柔らかい山が微かに震える。

「ああ、綺麗。それに――」

 イタチの頭が、緩やかに下がる。見つめる眼差しは、まるで、獲物を見つけたよう。

「――すごく、いい眺め」
「や、う……ッ」

 嬉しそうな低音が、の耳を這う。欲望を放つ恍惚とした彼の声は、普段の調子とは違い、色っぽく響いた。意味もなく、泣きそうになってしまう。

「そのまま……んッ」

 近づいたイタチの頭が、舌を伸ばす。震える二つの胸の間を舐め上げると、ぴくりと跳ねる色づいた頂を口に含む。

「あ、あ……ッ」

 ぎゅ、と服を掴み、熱く這う獣の舌に身体を染める。

 ナハトは、みっともなく喉を鳴らして味わいながら、その様子を見つめた。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ、艶めかしい肉感の溢れる身体のくせに、仕草は初で柔順。初めて目の当たりにした時と同様、その危うさは強烈な目眩を与えてくる。
 これを知るのも、楽しむのも、慈しむのも、自分だけだ。
 あの日から褪せず焼き付いたままの獣の劣情は、今も、ナハトの理性を狂わせてゆく。無意識に浮かぶ笑みは、唯一の雌にのみ捧げる、狂気的な愛情で溢れていた。


 ナハトの手が、ふと、の両足の間へと伸びる。あっと思った時には、スカートが捲られ、柔らかい太股が露わにされていた。
 爪の伸びた指が、下着の上から秘所をなぞる。布地をずらすと、柔らかく割れ目に指を這わせ――つぷりと、浅く埋めた。

「あ、ひ……ッ」

 ゆっくりと、ナハトの指が動き出す。身体を震わせると、胸元からイタチの頭が持ち上がり、の唇を舐める。
 ナハトは、うっとりと笑っていた。獣の頭そのものなのに、見て分かるほどの甘さがそこに浮かんでいる。

「二回目、だし、まだ、きついかな。でも――すごい濡れてる」

 ほら、と言いながら、ナハトの指がわざと大きく動いた。グチュグチュ、と蜜の跳ねる水音が聞こえ、恨めしさと恥ずかしさで表情が歪む。
 聞かせて欲しいなんて言っていないのに、そんな風にわざと暴き立てるような事をしなくても良いではないか。

「ば、ば、ばかぁ……ッあ……ッ!」

 ぎゅう、とナハトにしがみつくと、彼は愉悦に満ちた音を喉で鳴らす。すり寄ってきたイタチの頭はふかふかで、悔しいほどに肌触りがいい。

「馬鹿にもなるよ、君が相手なら」

 慎重に秘所の内側を解す獣の指に、温かい蜜が滴る。おもむろにその指を引き抜くと、濡れた指をあろうことか口で拭った。絶句するの前で、ナハトが牙を見せ口角をつり上げる。
 その指で、の下着を引き下ろすと、片足だけ引き抜いた。くしゃくしゃに丸まった下着が、の膝上に残る。

 ナハトは少し距離を取ると、ズボンを緩めた。飛び出すように現れた張りつめた欲望が、の両足の間で微かに脈打つ。それを手のひらで包み、静かにあてがった。
 思わず、はナハトの服を引っ張る。彼は顔を下げると、宥めるように額を寄せた。
 温かい仕草にほっと瞳を瞳を緩めると――押しつけられた熱が、ゆっくりと沈み込んだ。

「あ、あ……ッ!」

 蜜で満たされた狭い内側は、押し上げられながら、ナハトを受け入れ飲み込んでゆく。苦しいほどの充足感にの呼吸が乱れたけれど、不思議と、奥底で熱が疼いた。
 正面で、しなやかなイタチが息を詰める。何かを必死に堪えながら吐き出した呼吸は、熱っぽく吹きかけられた。

「はあ……ッあったかい」

 もどかしそうに、ナハトの身体が揺れる。奥まで押し込まれた熱が、ゆっくりと引き抜かれ、そしてまた深く沈む。
 それに合わせ、の身体も揺れ動く。伝わる振動に、の瞳が甘く蕩ける。

 緩やかな動きがしばし繰り返されていたが、耐えかねたように、ナハトの背が戦慄く。ナハトは獣の声をこぼし、不意にの上半身をテーブルへ倒した。

「ナハト……ッあ……!」

 仰向けに転がり見上げた先で、膝の裏を持ち上げられる光景が飛び込む。両足は大きく開かれ、その間にねじ込まれたイタチの腰が、再び動き始めた。
 先ほどとは比べるべくもない激しい律動に、の息が跳ねる。使い古されたテーブルが、ガタガタと何度も音を立てる。
 が必死に手を伸ばすと、ナハトはそれを引き寄せ、握り返した。

「ひ、ん、あ、あッ」

 言葉になり損ねた声が、の唇から落ちる。それを、ナハトは酷く嬉しそうに見下ろしていた。愉悦に満ちた瞳は、本当に猛獣のようである。

「ふ……ッ痛かったり、辛くは、ない?」
「あ、わ、かんない、でも……ッ」

 は繋がった手を、仰向けになり晒される腹部へと引き寄せる。なめらかな肌の上に、毛むくじゃらの手をぎゅっと押し当てる。

「あ、あったかくて、ぞくぞくってして……ッ」
「……ッん、ん……ッそう」

 イタチが艶やかに微笑み、汗ばむ足を抱える。その肌を獣の爪で撫でると、捩る腰を掴み寄せ、埋めた欲望をさらに深く沈める。

「うあ……ッ!」
「“ここ”でも、覚えていてね、

 君を愛するのも、侵すのも、自分であると。自分だけであると。
 心地好さそうに息を吐くイタチの声は、甘く響く。どろどろに蕩け、呑み込んでしまいそうなほど、凄艶に。

「早く“ここ”にも、僕の匂いがついたらいいなあ……ッ」

 獣の手のひらが、柔らかな腹部を撫で擦る。その指先に何かの思惑を感じ取りながら、は与えられる律動の中で果てる。
 ナハトも人間とは違う獣の声を漏らすと、埋めていたものを引き抜き、精を放った。白濁とした飛沫が、柔い腹部と胸元へ迸り、染めるように肌を滑り落ちる。

 幾度も荒い呼吸を繰り返すに、静かに、ナハトが背中を倒し覆い被さる。毛皮を纏った胸とほんのり汗ばむ胸が重なり、ゆっくりと唇に牙が合わさる。
 気だるさを包み込む、言葉にしがたい甘やかさに、はうっとりとまなじりを緩めた。

 ――と、思っていたが。
 ナハトは唐突に、の背中を起こし、抱きかかえた。乱れた服や飛び散った精など整える事なく、全てそのままにし歩き始める。
 わあナハト、全然疲れてない……いやそうじゃなくて。
 呆然とするを運びながら、ナハトは言った。

「一回抜いたら、頭沸いてたのもちょっと治まった」
「え、え……?」
「次は、もう少しだけ、時間を掛けてあげるよ」

 ナハトの足は階段を上り、の部屋へと向かう。そうしてをベッドに下ろすと、ナハトはシーツに膝を立て、身を乗り出した。
 近づいたイタチの瞳を見上げ、息を呑み込む。彼の両目に宿った欲望の熱は、全く引かず、渦巻いていた。むしろ、先ほどよりも強まっているようにさえ感じる。

「ナハト……ッわ!」
「ふふ、僕の匂いが、また君に染み着いた」

 音もなく距離を詰め、身体を寄せた獣が、酷く嬉しそうに囁く。
 ねえ、
 その後ろで、豊かな尻尾がぱたぱたと跳ねているのが見える。

「二ヶ月近くほったらかしになった獣人が、たったあれっきりで終わるだなんて、思わないで」

 捲れ上がったスカートから晒される太股に、ぴたりと何かが触れる。視線を下げると、全く萎えた様子のない、硬く上向いたままの怒張があった。
 可愛らしいイタチの頭部とは何処か対照的な光景に、は頬をひきつらせる。

「大丈夫、無理はきっと、たぶん、させないから」
「ナ、ナハト」

 ぺろりと、イタチの舌が唇を舐める。にんまり笑った彼は、本当に、どんな猛獣よりも危険に見えた。

「僕の方が気持ちよくさせて貰ったからね――次は、君の番だよ」

 こんなにしなやかで、あざとくて、可愛らしいイタチの顔をした青年なのに。
 どんなに外見が可愛かろうと、獣人は獣人だった。

 は首筋を甘く噛まれながら、ナハトの手で再び、快楽の中へ呑み込まれる。どろどろに甘く溶け合う時間は、月が登り詰める夜更けになっても続けられた。


◆◇◆


 ――翌日。


「――ああ、そうだ、昨日の話の続きだけどね」

 心なしか纏う空気が艶々なナハトが、ふと切り出した。
 対しては、身体が重くよぼよぼな状態で、未だ疲労が抜けきっていない。体力には自信があったはずなのに、獣人と比べてはならない事を痛感した。

「昨日?」
「ほら、言ったでしょ? 仕事を片付けながら準備をしていたって」

 ああ、そういえば。は思い出し、ナハトを見つめる。

「実はさ、近々、一つのグループを作る事になったんだ」
「グループ?」
「分かりやすく言うと、複数人集まった傭兵の集団だね」

 そのメンバーには、昨日此処へやって来て共に食事を取った二人の傭兵が含まれている。それと、この場にはいないが、もう一人。そちらも、顔馴染みの人物との事だ。
 昨日の彼らはもともと二人組で活動をしているが、ナハトは単独活動が主流らしい。その方針は一つの集団になっても変わらないので、同盟関係と表した方が最も近いと彼は言う。

「と言っても、まだ準備段階だけどね。……でだ、そこで」

 ナハトは、不意に身を乗り出した。

「ここにいない仲間のもう一人は、傭兵を止めて店を開いた奴でね。その店を活動場所にしてもいいって言ってる。……、君、その店で働かない?」

 思わぬ言葉を告げられ、は目を丸く見開く。

「店がある場所は、傭兵都市から少し離れた町。ギルドに顔出ししたりするには悪くない距離だし、町自体も傭兵に寛容で、けっこう穏やかな雰囲気だったな。ガルバインの喧噪を嫌う奴が集まってるせいかも。その店も、ちょうど人手が欲しいって言ってたし」
「え、わ、私が?」

 いきなり言われ、困惑した声がこぼれる。が視線を揺らすと、ナハトは声音を変える。

「……まあ、従業員ってのは建前だけどね」

 僕なりに考えた結果これに行き着いたんだと、彼は言った。

「傭兵都市とこの場所は、何日も移動しなきゃならない距離。早馬を使っていっても、四日か五日……ほぼ一週間だよね。だからって傭兵都市に君は呼べないけど、仕事は傭兵都市でないと進まない。そうなると、活動場所を移し、なおかつ君が安全に過ごして僕の側に居てもらうには……」

 まあ、こうなるよね。ナハトは肩を竦めた。

「昨日の奴らも、それは承知済みだ。もともと細かい事は気にする性格じゃないしね、あいつら。手を組んで協力関係になる事に、君の存在は問題はないってさ」
「ナハト……」
「今すぐって話じゃない。まあ、本当はそう出来たら嬉しいのが本音だけど。今はただ、考えてくれるだけでもいいんだ」

 ナハトは視線を上げ、部屋の中を見渡す。

「ここは、君の大切な場所なんでしょ」

 それは、も否定出来なかった。大切な家族の思い出は、全てこの家に集まっている。ナハトもそれを分かっているから、優しく言っているのだろう。

「でも僕は、何日も費やさないと会えないような距離は、耐えられる自信がまったくないよ。この先、ずっと」

 笑えるでしょ、と彼は自嘲する。

「人間よりも力に優れながら、僕ら獣人はこういう事に関しては滅法弱くて――どうしようもないほど、馬鹿になる」

 君を知った以上は、とてもじゃないけど、無理だ。
 やり方はいくらでも変えられるのに、手放すという選択肢だけが何処にもない。

 怖くなかったはずのものが、どんどん怖くなってゆく――昨日、彼が吐露した言葉が過ぎった。

「いきなりで、今は何もいえないだろうけどさ。考えてくれるだけでも……」
「あ、あのね、ナハト」

 はナハトの声を遮った。

「私、ずっと考えていた事があるの」

 そう、ナハトがいない間、ずっと、考え続けていたのだ。

「私、ナハトのために何が出来るかなって。結局、何も思いつかなかったんだけど」

 しかし、今の言葉を聞き、少しだがようやく見えた気がした。きっと自分が出来る事は“それ”なのだろう、と。
 村も町も、家も、確かに大切だ。だが、それを上回るひとが、目の前にいる。

 全く違う立場で、違う境遇のはずなのに。不思議と惹かれ、気付けば好きになっていた。
 離れがたくなっているのは、の方でもあるのだ。

「私の自分探しも、ちょっとだけ、見つかったよ」

 は重たかった身体を忘れ、ナハトへ駆け寄る。毛むくじゃらの手を取ると、両手で包み込んだ。

「私も、何かしたいの。ナハトに」

 一瞬、ナハトは驚いたように目を見開く。次第にその表情を緩めると、呆れたような溜め息をこぼした。

「……君ってさ、馬鹿だよね」
「んなッ! 何それ」
「馬鹿だよ、本当」

 そんな言葉を言ったら、“僕”のような獣は、付け入るに決まっているじゃないか。
 ナハトはの手を握り返し、引き寄せる。

「だったら、側に居て。これからも、ずっと」

 立ち上がったナハトは、の身体を抱き寄せ、両腕の中に閉じこめる。

「僕の牙と爪は、君に全部あげる。だから、君も、全部ちょうだい」
「全部なんて、欲しがりだね」
「そうだよ、イタチとかクズリってのは、そういう生き物なんだよ」

 身体は小さいくせに、本性は獰猛で残忍。大型の狼やヒグマから獲物を奪い取り、追い散らし、時として噛み殺すほどの猛獣だ。
 生まれながらの執念深さと狡賢さ、そして蛮勇ぶりは、もしかしたら獣人随一なのかもしれない。

 人からああだこうだ言われるのが嫌なだけで、その本質を別に嫌っているわけではない。実際その通りだと、ナハトは認める。

「僕は一度捕まえたら、絶対に手放さない。だから君も、そのつもりで」

 ぎゅう、と抱きしめられながら、は微笑んだ。

「私、ナハトと居るよ。これからも」

 ナハトは顔を下げ、に牙を寄せる。その時の彼は、あどけない仕草で、嬉しそうに笑っていた。
 それを見ていると、もつられて口元が綻ぶ。彼が獣人で、傭兵であっても抱くものは変わらないのだと、満ち足りた心の片隅で思い浮かべた。


 すべき事はまだ多くあり、今すぐどうこうという話ではない。けれどきっと、と“凶獣”が肩を並べて過ごす未来は、そう遠くない事なのだと――不思議と、予感していた。


 その時には、再び思うのだろう。
 “凶獣”を愛するのも悪くはない、と。



村娘と凶獣の物語は、これにて無事に終了です。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
全身フル毛皮の獣頭こそ、正義……!

作業の手間の関係上、投稿サイトにて先行公開でしたが、こちらにもようやく全部ガツッと掲載です。

熱く情熱的でエレガンドかつ最高にかっこいいお客様や同志、新たな扉を開いてしまった方々が、満足して頂けたのなら光栄です……!
(賛美の言葉が見当たらず語彙の貧弱化)

どんなに読む方を選ぼうとも、今後もこの【全身通してまるっと人外】のスタンスは一ミクロンもぶれず貫いていきます。
そして一方で、【全身通して人外×人間】の小説がたくさん読めたらとも、願い続けます……。
(最終的にいつもそこへ辿り着く)

改めまして、お付き合い下さりましてありがとうございました。
心豊かな人外ものライフの手助けが出来る小説であれば、とても嬉しいです。

◆◇◆

より情熱的な後書きらしい後書きは、投稿サイトの活動報告にて。
よければどうぞ~。
(ここと日記にリンクを貼ってみました)


2016.12.24