01

 人とあやかしが共に暮らす国と言ってもだ。姿形の異なる者同士が並び立てば、何かしらの問題は起こるものと決まっている。

「おっかねー顔! やい悪鬼(あっき)!」
「野山にかえれ! かえれ!」

 同じ里で暮らす、小さな二本の角を額に生やしたあやかしの少女は、いつも悪ガキ達にその容姿をからかわれていた。

 野山に近い田舎では、あやかしとの交流が都と比べ頻繁にあり、彼らと接する機会が多かった。とはいえ、そういったやり取りは、何処にでも生まれてしまうもの。が生まれ育った、珍しいものはないが自然に囲まれた長閑な里でも、それは確かにあった。
 昔から、その類が大嫌いだった。

「うぉらー! 女子(おなご)をかこんで何してんだ! 恥ずかしくねえのか!」

 だから、相手がどれほど年上だろうと、無鉄砲な喧嘩を吹っ掛けては、たくさんの怪我をこしらえていた。勝つ事もあれば負ける事もあり、怪我どころか大いに泣かされる事も少なくはなかったが、弱音を吐いて逃げ出す真似だけは絶対にしなかった。
 ――そのせいで生傷は絶えなかったし、助けたはずの少女から逆に心配される始末であったが。

くん、またこんなに怪我して……あぶないよ。痛いでしょ?」
「いだぐねえ! ……いッでぇ?!」
「ふうふう、痛いの痛いのとんでけ」

 鬼の少女はきまって、袂(たもと)から手巾を取り出し、の擦り切れた頬や額へ優しく当ててくれた。それが嬉しいやら恥ずかしいやらで、本音を言えば物凄く痛かったくせに、平気なふりをし誤魔化していた。

「だッだいたい、何でいつも言われっぱなしなんだよ! お前、悪いことなんかしてないんだから、ちょっとくらい怒れよ!」
「でも、私が怒る前に、くんがいつも飛んできて怒ってくれるから」

 切れ長な瞳を、さらに糸のように細くし、少女は微笑む。

くんは優しいね、ありがとう」

 ――彼女の大人びた面持ちが、無邪気に染まるその瞬間。
 は、子どもながらに誇らしさを感じていた。

「お、おれは男だから、当たり前だ。と、年下あつかいすんなよな」
「でも、私の方がお姉さん」
「五つしか変わんねえし!!」

 五つ年上の少女の手を引っ張り、先頭を進む。たったの五歳差といえど、その頃は少女の方がずっと背丈もあって、大人びて品があった。どんぐりの背比べかもしれないが、の方が遥かに子どもであった。しかし、少女はそれをからかったりせず、にこにこと微笑んで、黙ってに手を引かれていた。

「ちかげは、おれが守ってやる。だから、ずっと、ずっと、となりにいろ」
「あい。ありがとう、くん」

 ぎゅっと握った小さな手のひらを、ずっと離さず守ろうと、あの頃から一丁前に思っていた。


 他愛のない子ども同士の口約束を交わした少女は、隣近所に住む鬼の一家の娘だった。何もなくても、日頃から顔を合わせ、いつの間にか側にいるほど仲は良かった。
 月日を経て、は成長し、小さかった背丈はぐんと伸びた。かつて見上げていた少女は見下ろすようになり、やがて互いに“大人”と呼ばれる年となり。

 ――そして今も、の隣には、彼女が居る。
 花嫁衣装に身を包んだ、美しい姿で。


◆◇◆


「毎度ありがとうございます。またお越し下さい」

 夕暮れに染まる往来の中へ去って行く客の背を見送り、は店の中へ戻った。

「旦那様、最後のお客様が帰られました」
「おう、そうかい。ご苦労さま」
「そろそろお店を閉じる時間だね。今日もお疲れさま」

 朗らかに微笑んだ壮年の男女は、この店、伊月屋を商う夫婦である。
 伊月屋は、紐や足袋(たび)といった生活用品から装飾品まで取り扱う小間物屋で、二人の人柄と店の雰囲気から、近隣の住民によく慕われる店だった。は、その店の一員として働いていた。

 店で働く仲間と共に、手分けをして在庫確認や片付けの作業に勤しんでいると、暖簾を下げた入り口に人影が佇んだ。客かと思い、身体ごと振り向けば――紫苑色の着物を着た女性と、眼差しがぶつかった。

 腰の高さに届きそうなほど長い真っ直ぐとした黒髪を、一つに括って胸の前へ流した彼女は、細く切れ長な瞳が映える凜とした面持ちを宿している。けれど、目を引きつけるのは、先端の尖った耳と、額から伸びた二本の角だろう。
 けして大きくはないが、存在感を放つ、仄かに紅く染まった角。
 それと同じ紅色で染められた瞳が、“人ならざる存在”であるという事を物語っていた。

「千影(ちかげ)」

 が名を呼べば、彼女は淡く微笑んだ。

「突然、ごめんなさい。買い物があって、その帰りなの」

 その言葉通りに、彼女の腕には包みが抱えられていた。
 やがて千影に気付いた従業員がわらわらと集まり出し、「千影姐さんじゃないですか」「こんにちは、相変わらず綺麗ですね」などと嬉しそうに好き勝手な言葉を掛けていく。が彼らの首を締めている間に、伊月屋の夫妻もやって来て、千影を温かく迎えた。

「いらっしゃい、千影さん」
「まあまあまあ! 千影ちゃん、よく来たね!」
「こんにちは、いつもお世話になっております。お騒がせしてしまって、すみません」

 千影は凜とした面持ちのまま、武家の娘のように見事な礼をした。伊月屋の女将は、その堅苦しさを吹き飛ばすように声を上げて笑い、千影の手を握った。

「賑やかで悪い事なんかありゃしないよ。ちゃんもじきに上がるから、千影ちゃんはこっちで待ってなよ」
「ですが」
「いいの、いいの! 気にしないでおいでよ、ねえあんた」

 伊月屋の主人が頷くよりも早く、女将は千影を中へ招き入れていた。千影は困惑気味に押されていたが、板の間に腰掛けた時の彼女の横顔はけっこう嬉しそうにしているので、も口元を緩めた。

「悪いな、。いつも千影さんには、うちの女房の話し相手をさせてしまって」
「いいえ、光栄ですよ」

 千影がやって来るたび、ほぼ毎回捕まっているので、もう慣れたものである。

「そう言ってもらえると助かる。しかし千影さん、相変わらず物静かで品がある。隣に居るのがうちの女房だから、余計にそう感じるよ。本当に、迷惑じゃないかい?」
「千影は昔からそういう性分なんですよ。表情はあんまり動きませんが、女将さんをよく慕ってます」

 けして賑やかさはないが、千影はくすくすと控えめに微笑んでいる。他人から見れば分かりづらいかもしれないが、あれでとても楽しんでいるのだ。

「へえー夫の貫禄ってか……憎たらしい」
「殺意しか湧かねえわ、何で千影姐さんはこんな奴と」
「おいそこ! 聞こえてんだけど?!」

 が睨めば、彼らは一斉に背を向けた。その傍らで、主人は肩を震わせて笑っている。

、それが片付いたら、今日はもう帰っていい」
「いや、しかし」
「馬鹿野郎、もうじき陽も暮れるんだ。一人だなんて、危ないだろう」

 はその意図をすぐに察知し、気恥ずかしさを感じながらも、頭を下げて礼をした。
 その後の仕事が、普段の何倍も早く終わったのは……まあ、ご愛敬というもので見逃して欲しい。

「おい、いつもより手際良いな、の奴」
「惚れた女の力かね、まったく」

 からかうような仲間の笑い声を、さすがに否定は出来なかった。




 伊月屋を出た時には、空は茜色で染め尽くされていた。日中は賑わう町中もひっそりと静まり、帰り道を進む二人分の足音がよく響いた。

「伊月屋の方々、いつも楽しくて、素敵な人ばかりね。私にも、さんにも、良くしてくれて」
「ん、ああ」
「いきなり顔を出してしまってごめんなさい。迷惑だった?」

 不意に尋ねられ、は僅かに口籠もる。

「いや、別に、そんな事はねえけどよ……」

 なんとなく、気恥ずかしさでくすぐったくはなったが、迷惑だと思った事はない。
 と、言えればいいのだが、もごもごと口の中だけで呟く事しか出来なかった。そんなの隣で、千影はほんのりと微笑んでいる。の胸の内を、きっと見透かしているのだろう。こういうところが、五つ年上の品格か。糸のように細くなる瞳にも、たおやかに弧を描く唇にも、温かな慈愛がはっきりと浮かび上がる。

「ッほら、荷物、俺が持つから!」

 誤魔化すように、は千影の手荷物を強引に奪い取る。彼女は小さな笑い声をこぼし、身体をそっと寄せた。

「あい。ありがとう、さん」

 細い肩と共に感じる、甘い香の匂い。空いている手に自然と絡まる指は、温かく優しかった。
 は僅かに目を泳がせながら、千影の手を握り返す。手のひらで覆い隠せるほど、彼女の手は細く小さいのに、敵わないと思うのは何故だろうか。

 喧嘩っ早くて生傷が絶えず、正義感だけは一丁前だったを、いつも優しく手当てをしてくれた鬼の少女。あの頃から大人びていたが、今やすっかりと艶やかで上品な、美しい鬼の女性だ。

 ――正直、今も時々、不思議に思う。千影はどうして、自分なんかと夫婦(めおと)になってくれたのだろう。


◆◇◆


 下弦の月が昇った夜、は小さな縁側で本を開き、寝る前の読書に耽った。従業員の間で貸し借りをしているもので、この日は帯やかんざしなど小間物の図案が描かれた本だった。

「――さん、目が悪くなるわよ」

 ひょい、と蝋燭立てが持ち上がった。顔を起こしてそれを追いかけると、千影がそれを片手に見下ろしていた。蝋燭の火は、いつの間にか小さく消えかかっていた。

「ああ、わりい。気付かなかった」
「集中してたものね。でも、そろそろ休まないと」
「ここだけ見たらな」

 千影は仕方なさそうに笑みを浮かべ、小さくなってしまった灯火に唇を寄せる。ふう、と息を吹きかると、細く頼りなかった火がたちまち目映く輝いた。

 あやかしの多くは、何かしら不思議な妖術を扱う。千影の場合、炎に因んだ力を持っているので、暗くなってからの家の明かりは、全て彼女が用意している。ただ、長時間を維持するには体力を消耗するため、普段はほんの少し活用する程度の少ない力に留めている。時間と共に小さくなっていくが、それでも油や蝋燭の消費は格段に抑えられ、としては大助かりだった。

「俺にもそんな能力があったら便利なんだけどな~。あやかし達が羨ましいよ」
「ふふ、駄目よ。さんのお手伝いをする大切な仕事なんだから、あげられないわ」

 喧噪とは無縁な、物静かな性質の千影。くらいにしか分からないかもしれないが、彼女はよく見ればけっこう感情を表す方だと思う。

 ――だが、そう理解してもらえる前に、誤解ばかりを真っ先に受けてきた。

 昔から、千影は静かな性格だった。というか、田舎暮らしの子ども達の中で浮いてしまうくらい、妙に大人びで品があった。
 そして、恐らくこちらの方が原因なのだろうが、彼女の目は細い糸のような形をしているため、少々……いやだいぶ、きつそうな印象を人に与えてしまうのだ。もっと端的に言えば、目つきがあまり良くないのである。鬼のあやかしである事も、それを助長させたかもしれない。
 そのせいで、いわゆる悪ガキ達のからかいの標的になり、けっこうな頻度でそれを誹(そし)られてきた。

 外見のきつさに反して、心根が優しく穏やかである事を、隣近所に住んでいたはよく知っていた。何も言い返さない彼女に代わり、の方がよく怒り、喧嘩を買って出ていたくらいだ。そのせいで生傷が絶えず、挙げ句の果てが庇った彼女から手当てを受けるという、なんとも情けない事態に陥っていたが……。

 幼い頃から、は千影を姉のように慕い、千影もまたを弟のように可愛がり、実の家族のように仲はとても良かった。その好意が、男女の慕わしさに変わるのも、当然であったのかもしれない。成長したが里を出てこの町で働くようになり、身の回りも整ってきた頃……千影に想いを告げ、夫婦(めおと)となった。
 大人になり、ますます綺麗になった五つ年上の彼女は、躊躇う素振りもなく頷いてくれた。そう言ってくれる日を夢見ていました、と嬉しそうに囁いて。

 この国は、人とあやかしが共に暮らす国。従って、人とあやかしが結ばれるのも珍しい事ではなかったが……本当に、不思議だった。

「勉強熱心ね、さん」

 隣に腰を下ろす千影を見て、はハッと意識を戻した。

「店で働かせて頂く以上、二人の顔と伊月屋の暖簾に、泥を塗るような真似はしたくないしな」

 昔から喧嘩っ早く、頭を使うよりも拳を使う方が得意だった。伊月屋で働くようになったそもそもの経緯も、下働きではなくちょっとした用心棒代わりとしてだったのだ。だが、店の事や扱っている商品などを教えてくれて、今では客の対応も任せてくれるようになった。二人が道を示してくれたという事は、馬鹿なでもはっきりと理解している。店の一員として扱ってくれる事に、感謝しかない。
 その二人に報いたいと願うのは、至極、当然だろう。
 ……とはいえ、その道のりは険しい。

「かんざしや帯なんか、俺には何が良くて何が悪いのか、まったく分かんねえや。誰が作ったとか、何処で作られたとか、覚えるまで先は長い」

 こればかりは自分で研鑽を重ねる他ない。店で働くようになった当初と比べたらまともにもなったが、まだまだ学んでいかなくては。

「私も、見てもいい?」
「ん? 良いぞ、ほら」

 千影の前に、開いた本を寄せる。彼女はそれを、楽しそうに見下ろした。

「どれも綺麗な柄ね」
「やっぱり千影の方が、色とか絵に強いよな」
「鬼とはいえ、女ですから」

 そう言った千影の声は、無邪気に弾んでいた。やはり女性らしく、彼女もこういうのが好きなのだろう。

(……今まで、贈り物らしいものはやった事がないし。一本くらいはやらねえとな)

 前々から、ずっと考えていた。
 五つ年上で、見た目も中身も“大人”な千影。年下で、おまけに昔は喧嘩っ早い小僧だった自分なんかと夫婦になってくれたその感謝と想いを込め、いつか贈り物をしたい、と。

 実は彼女には内緒で、伊月屋の夫妻や仕事仲間には相談していた。折しも店は小間物屋、日用品から女性のための装飾品まで扱っている。少し特別なかんざしを贈ってみてはどうかと、ありがたい助言をもらった。千影は髪が長いし綺麗だから絶対に映える、と熱弁した奴らについては全力で羽交い締めにしておいたが、その通りだとも思った。
 そして近々、伊月屋が懇意にしている職人から、直接かんざしを卸してもらえるそうだ。その内の一本を買おうと心に決めたを、伊月屋の夫妻は太っ腹にも快く許してくれた。

(こういう事には疎いから、よく分からねえけど……喜んでくれるといいな)

 ほのかな笑みを湛える千影の横顔に、は密やかに想いを募らせた。



■人間の青年×二本角の鬼の女性

和モノな世界観で、異種間恋愛。でも暮らしや文化はなんちゃって感がありますので、あらかじめご了承下さい。

今回は、主人公が男性で、相手の女性が人外です。
人型ですので人外感は薄めですが(※重度な人外好きの方々には申し訳ない)、楽しんで頂けたら幸いです。

さくっと読める感じに仕上げいますので、どうぞよろしくお願いします!


皆さんは、年上の綺麗なお姉さんは好きですか? 私は好きです。(二次元的な意味で) 個人的に【黒髪】【糸目】は、和モノにおける正義であると信じています。

2018.8.25