09

 ――やってしまったか。
 目覚めたが真っ先に思った事は、そんな言葉であった。


 海鳥の賑やかな鳴き声が、遠くから聞こえる。
 町の上には、今日も夏らしい鮮烈な青空が広がり、焼けそうなほど目映い太陽が輝いている。見事な晴天を迎えたこの日も、昨日に引き続き祭りの空気が海風に乗って吹いていた。

 自室の窓辺からそれを見たはというと――起き上がったその瞬間から、ベッドの上で頭を抱えて唸っていた。

 昨晩の記憶が、ばっちりとある。
 いや、終盤の記憶は少々曖昧だが、それまでの記憶は鮮明に残っている。
 散々に胸を揉まれ、身体中を愛撫された事も。大切なところを暴かれ、埋め尽くされた事も。普段ならば絶対に出さないような、甘えた声を上げ、子どものように縋った事も。

 ――ザギが隠していた本音と欲望を、強かにぶつけられ、凄艶な声を聞かされた事も。

「ぐおおおお……ッ!!」

 獣のように唸りながら、シーツを蹴飛ばし悶絶する。
 恥ずかしい。なんか、もう、恥ずかしい。
 次から次へと怒濤の勢いで情景が蘇り、語彙も貧弱になる。その上、悶絶するたびに身体のあらぬところが鈍く痛み、無視できない違和感を感じさせる。それがまた昨晩の証明となり、ますます羞恥心は煽られた。


 人がいなかったとはいえ、浜辺という野外で致してしまった、あの後。
 少々記憶は曖昧だが、ザギに背負われ、自宅へと戻ってきた事は覚えていた。さすがは、幼い頃からの付き合いである。家の場所はおろか、家の中の構造まで熟知していた。が説明せずとも、彼は迷いのない足取りで自室へと進み、ベッドに寝かせてくれた。

 救われたのは、父も母も、爆睡していた事だろう。(あのイビキからして、かなり酒が入っていたに違いない)両親と鉢合わせはしていないと思いたいが、足音などで起きた可能性も否めないし……。

 はしばらく唸り声を上げたが、ほどなくし、スッと頭を起こした。

「……まあ、考えても仕方ないか。ちょっとシャワー浴びよう」

 表情を落ち着かせると、ベッドから立ち上がり、風呂場へと向かった。
 もともと、細かい事は気にしない気質の。水を浴びてさっぱりと涼めば、大体のものは綺麗に流れていった。


 そのまま両親が寛ぐリビングへ向かうと、二人はを迎えるや、昨晩の踊りについて話し始めた。当のは踊りきった事に安堵し、観衆の評判など全く気に留めていなかったのだが、どうやらそこそこの好評を頂いたらしい。知人などから賞賛の声を掛けられたと、二人は嬉しそうに笑っていた。
 私だけの力ではない、他の踊り手の女の子たちのおかげだ。
 そう二人には言ったものの、練習を頑張った甲斐があるというもの。の胸には、誇らしさが宿った。

 しかし、気になるのは、二人の様子である。踊りの後はどうしていたかなど、尋ねてはこなかったが――。

も、もう大人だものね。やっぱりザギくんかしら」
「子どもの頃から、一緒だったもんな……しょうがないよなあ……」

 母はにこにこと上機嫌で、父はしょんぼりとしていた。
 何も言わないだけで、何か勘付いているような気がする。
 は逃げるように自室へ戻り、再び羞恥心に頭を抱えた。

(……あ、そういえば)

 はふと顔を上げ、手鏡を手に取る。襟元を引っ張り肩を出すと、鏡に映した。そこにはもう、何の痕も見当たらない。日焼けして色の濃くなった、自らの肌があるだけだった。

 ――欲しいんだ、全部。他の奴らじゃなく、俺にくれ

 剥き出した肩を、指先でなぞる。そこにはまだ、ザギの甘噛みした感触が残っているような錯覚を抱いた。じわりと頬に熱が集まったので、慌てて手鏡を下ろし、服を戻した。
 顔を上げ、テーブルへ視線を移す。結局、一晩借りっぱなしにしてしまった、踊り手の衣装と装飾品が広がっている。早めに、返しに行かなければ。

「……というか、私、肝心な事を、ザギから聞いていない気がする」

 女としては、絶対に聞いておきたい、大切であろう言葉を。

 は腰に手を当てると、ふんと鼻息を鳴らす。恥ずかしいが仕方ない、ザギにまた会っておかなければ。身支度を整え、ついでに踊り手の衣装を袋に詰めると、は自宅を後にした。

 目が眩むほどの陽差しが注ぐ町は、昨日と変わらずに賑やかな空気で包まれている。多くの店が立ち並ぶ水路通りは、日中から大勢の人が集まり盛況しているに違いない。
 しかし、もうじき、町は長閑な日常へ戻る。海凪の精霊祭は、今日の夜まで。陸の民と海の民が共催する祭りは、今日の夜で、終わりを迎えるのだ――。


◆◇◆


 祭りの役員本部なども集結している漁港へ到着し、は真っ先に衣装を返却すると、敷地内を散策した。ザギを探すのはそれほど難しい事ではなく目的の後ろ姿をすぐに見つけた。
 ただ、今は打ち合わせか何かの最中であるらしく、彼の周囲には姿形が異なるサメの魚人たちが数名ほど佇んでいる。あの面子から察するに、ザギと同じ警邏の担当たちだろう。荒くれ者の相手もするその立場上、必然的にああいった外見の者が集まるのだ。その一角だけ、異様な存在感が半垂れている。
 は邪魔をしないよう、しばらくの間、日陰でぼうっと待った。
 こうして窺う限り、ザギに変わったところは見当たらない。さすがは体力馬鹿、何の疲れもないのだろう。私はあらぬところに違和感があるのに。恥ずかしさよりも、そんな感情が先に出た。
 ほどなくし、打ち合わせが終わる。仲間たちが離れたタイミングで、は日陰から立ち上がった。

「よ、お疲れ」

 いつもの調子で、声を掛ける。ザギは大きな背中を振り返らせ、一瞬、面食らったような面持ちを浮かべた。

「ああ、か……漁港に用でもあったのか」
「まあ……借りっぱなしだった衣装を返しに」

 思わず、溜め息がこぼれた。ザギが不思議そうに、何かあったかと尋ねてくる。

「いやね、さっき、衣装の裏事情を知ってしまって……」

 一晩借りてしまった事を詫びながら返却すると、町の女性たちは怒ったりはしなかったが、誰もが意味ありげに微笑んだ。そして、衣装を見下ろしながら「ちゃんは、そんなに破かなかったわね」「若い子は羽目を外して、切ったり汚したりしてなんぼよ」と言ったのだ。
 祭りが始まるの前に衣装の試着をした時、町の女性たちは毎年必ず何着か新調すると言っていた。あの時は分からなかった言葉の意味が、その瞬間に、理解できた。
 それはつまり、そういう事であるらしい。
 恥ずかしくて、逃げるように出てきてしまった。しかしよくよく思い返すと、は、と言っていた。他の踊り手たちの中には、衣装を新調するに至った娘も居たのだろうか。そう考えたら、少し、ドキドキしてしまった。

「なんだ、破いて良かったのか。そうすりゃ良かったな」
「馬鹿、こっちは恥ずかしくて死ぬかと思ったんだからな! ええっと、それでその、帰りにちょっとザギの顔が見えてさ」

 実際はザギの方が目的であったが、そこはつい曖昧にぼかした。

「今、少しだけ、平気か?」

 ザギは断らず、頷いてくれた。

 人の往来の邪魔にならないよう、建物の日陰へ移動し、肩を並べてしゃがみ込む。その拍子に、両足の間に鈍痛が走り、は微かに眉を寄せた。

「いちち……」
「なんだ、痛いのか。昨日のあれか」
「だ、誰のせいだよ」
「悪い、俺だな」

 絶対に、悪いなんて思っていない。ニヤニヤとした笑みを向けられ、はつんと唇を尖らせる。

「まあ、冗談は置いとくとして」

 下ろされていた彼の手が、再び持ち上がる。らしくもない柔らかな仕草で、の金色の髪をくしゃりとなぞった。

「意外と平気そうだな、良かった」

 優しく響いた、耳に心地よい低音。不意打ちの音色に、の頬が真夏の暑さではない熱で、ふわりと染まる。

「へ、変なとこに違和感はあるけど……動けないほどじゃ、ないよ」
「そうか」

 並べた肩を撫でてゆくように、海風が通り抜ける。漁港には、話し声や海鳥の鳴き声、賑やかな波音など様々な音で溢れているのに、とザギだけが静寂の中に包まれているようだった。

 言葉を交わさなくても気まずさはない、慣れ親しんだ互いの距離感は、いつも通りだ。けれど、肌を掠めるのは――これまでにない、甘いくすぐったさ。
 少し落ち着かなかったが、不快感は、なかった。

 の中には、彼へ尋ねたい言葉があった。それをどんな風に伝えれば良いのかまでは分からず、あぐね果てていたのだが……。
 は唇に笑みを浮かべ、ふっと息をこぼした。

「――やめた。今は止しとこう」
「は? 何がだ」

 不思議そうにするザギを見上げると、はニッと悪戯っぽく微笑んだ。

「何でもない。ところでさ、ザギは、夕方辺りから時間ある?」
「夕方? まあ、見回りとか運航便の護衛は日中の少しだけだし、大丈夫だが」

 は頷くと、彼の顔をしっかりと見つめ、問いかけた。

「じゃあさ、あとで、ちょっと付き合ってよ」


◆◇◆


 太陽が海原に沈み、迎えた夕暮れ。瞬く間に、最果ての空と陸地には夜の気配が訪れ、涼しい風が町中に吹いた。
 海凪の精霊祭、最後の夜。町のいたるところで、最後の盛り上がりを見せていたが、一際に盛況していたのは浜辺である。

 歌と踊りの会場でもあった浜辺では、毎年、巨大な焚き火を用意する。夜空まで焦がすような炎の目映さに誘われ、多くの人が足を運び、炎の回りに集まる。そして、町人も、観光客も、種族も関係なく炎に照らされ、踊り明かすのだ。時間、形式、順番、そんな些末な事には気を取られず、ただひたすらに楽しく、笑顔で手を取り合う――それが、海凪の精霊祭、最後の夜の定番だった。

 しかし、炎を囲んで踊ったり、砂浜に座って寛いだりするだけでは足らず、服が濡れるのも構わず海へ入って騒いでいるような人もいる。つまるところ、思い思いに騒ぐ、無礼講会場だった。
 焚き火を熾してから、まだそれほど時間は経っていないだろうに。この町らしい陽気な風景に釣られ、の口元も緩んだ。


~こっち~!」

 焚き火の明かりがうっすらと届く波打ち際で、手を上げる二つの人影。強面のサメと、とびきり可愛い美少女の対比が著しい、ザギとメルだ。

「こんばんは、メルも来てたんだ」
「うん、他の姉様たちと一緒に」

 他の姉様というのは、仲間の人魚たちの事だろう。

「ザギを見つけたから、一緒に待ってたの。もしかしたらって、思ってたんだけど……」

 長い睫毛で縁取られた、メルの大きな瞳が、じっとを見つめてくる。何かを探すような、あるいは、確かめるような眼差しだった。やがて、メルは瞳を細め、にっこりと満面の笑顔を咲かせた。

「やっぱり、いつもと違う感じがするね。二人とも、ちょっぴり空気が甘い」

 ぎくりと、の肩が揺れる。正直、思い当たる事など、一つしかなかった。
 しかし、メルはそれを問いかけたりせず、ただ嬉しそうに微笑んでいる。いつか見た、同年代とは思えないほどの、大人びた美しい仕草だった。

「私は、とザギが、一緒に肩を並べてるのが好き。だからこれからも、そうあって欲しいな」
「メル」

 長い睫毛を、ゆっくりと瞬かせる。そうすると、無邪気に笑う、いつものメルが座っていた。
 彼女は両腕を広げ、勢いよくの首へと抱きつく。「でも私の事も、忘れちゃ駄目だからね! 構ってくれないと怒るから!」と悪戯っぽく唇を尖らせる、その可愛さときたら。同性の胸すら打ち抜く魅力で溢れている。

「ありがとう、メル。色々と」

 彼女の美貌と、朗らかな気質に、憧れた事もあったが。やっぱりこの子が側に居てくれて良かったと、心の底から思った。

「ふふ、どういたしまして」

 メルは身体を離すと、おもむろにその眼差しをザギへ移した。

「ザギも、また酷い事したら、私がタダじゃおかないんだから。そうなったら、私が横から捕っちゃうもんね!」
「ええッ?」
「ふふん、相手がザギなら、私は今まで通りににくっつけるもの。油断しない事ね!」

 ザギは一瞬、面食らったように目を丸くさせたが、すぐさまその顔に不遜な笑みを浮かべる。そして、太い腕をへ伸ばし、ひったくるように肩を掴んだ。

「肝に銘じておこう。だが、いくらお前でも、渡すわけにはいかねえな」
「ちょ、おい、ザギ!」

 の頬に、サメの顔が擦り寄る。メルは一瞬驚いたようだったが、次の瞬間には、嬉しそうに口元を緩めた。

 ――その時。

「おう、そこの仲の良いお二人さん! お前らも踊って来な!」

 突然やって来た見知らぬ男性が、陽気に笑いながらそう告げた。良い具合に顔が赤く染まっているので、酔っ払っている事はすぐに分かった。

「わあ、素敵! 二人とも、行ってきなよ」
「ええ?!」
「はあ?!」

 だけでなく、ザギもぎょっとしたようだった。しかし、メルはニコニコとした笑みを崩さず、ほらほらと手を振っている。

「みんな楽しく踊ってるんだもの。二人も、一緒に踊ってきてよ!」
「おう、人魚のお嬢ちゃんの言う通りだぜ。最後の祭りの夜だ、景気よくいかなきゃな!」

 男性はガハハと豪快に笑って、とザギの腕を掴んで立たせる。(大柄なザギまで引き上げるとは、酔っ払いは最強だ)その勢いに飲まれたは、ザギと共に、巨大な焚き火の側へと連れられていった。



「ふふ、みんなに伝えてよ。海の民は陸の民と手を取り合えるって。恋ばかりする私たちにも、夢を見させてよ――」

 たおやかに微笑んだメルの囁き声は、打ち寄せるさざ波の音色に包まれ消えた。



 夜空を染めるように燃える炎の周囲では、楽器を鳴らす人々、それに合わせて踊る人々が輪を作っていた。何か言う間すらなく、はその集団の中へ押し込まれる。もちろん、ザギも一緒に、だ。

「あれ、ちゃんじゃない!」
「本当! 踊り手の登場よ!」
「ザギじゃねえか! 良いぞ、踊れ踊れ!」

 なにせ半分は町の住民なので、顔見知りたちがそんな風に囃し立て始めた。そして炎の周囲を回る人々も「楽しんで踊りましょ」と陽気に笑って誘ってくる。
 これは、抜け出す猶予もないらしい。
 は苦笑いで留まったが、ザギは……何やらとても、物言いたそうにその顔を歪めていた。

「くそ熱い……あんの酔っ払いめ」

 吐き出された低い声は、酷く忌々しそうに響いた。まあ、見るからに彼はこういった事を好んではいなさそうなので、気持ちは分からなくもない。それに、ザギは魚人、乾燥を苦手とする一族だ。巨大な焚き火なんて忌避するところだろう。
 しかしこれが、この町の住民たちである。陽気で、荒削りで、様々な意味で怖い物知らず。種族も性別も問わず、輪の中に誘うのだ。

「私も昔からよくされてきたし。これは一周くらいしないとなあ」
「出る」
「おおい! 待て待て!」

 空気などお構いなしに、ザギは輪の外へ向かおうとする。彼の腕をしっかりと掴み、ニッと口元を上げる。

「良いじゃん、ザギ、覚悟を決めよう」
「は? いや、お前まさか……」
「さあ、踊るぞ!」

 これでもかと、ザギは目を剥いた。

「は、いや、おまッ」
「いいからいいから。ほら、私だって大舞台で踊れたんだから、ザギだって余裕だよ!」
「ふ、ふざけんな! 俺は絶対やらねえぞ!」
「ああん?! あんた私の事を散々笑ってたくせに! 私だってこの羞恥心を味わったんだから、あんたも味わえ!」
「ぐ、お、お前、それが本音か……!」

 はて、何の事かな。は白々しくすっとぼけ、掴んだザギの腕をけして離さない。
 喧嘩するように互いの身体を押し合うと、周囲から囃し立てる笑い声が上がる。

「大丈夫だって、ほら!」

 は隙を突いて、ザギの手を取った。左手と右手、それぞれの手でしっかりと、彼の手と繋がる。ひんやりする魚人の指と、自らの指を絡めて握れば、ザギはぎくりと広い肩を揺らした。

「長時間じゃなければ、火の近くでも平気なんだろ?」
「それは、まあ、そうだが」
「なら、少しだけ。祭りの最後なんだ、楽しもうよ」

 それは、の本心でもあった。
 ザギはしばらくの間、唸り声を上げていたが、繋いだ指を振り払う事が出来なかったらしく、ついに折れた。大きな溜め息を吐き出し、渋々、の手を握り返す。

「くそ、後で覚えてろよ……」
「ふははは、聞こえなーい!」

 は悪戯っぽく笑うと、ザギの手を引き、軽やかに爪先を跳ねさせた。
 賑やかな調べに合わせて踊る炎は、衰える事なく、夜を染め上げる。魚人と人間、姿形の異なる影を砂浜へ映し出すその目映さが、の胸を弾ませた。

「ザギ、楽しくない?」

 炎に照らされるサメの顔は、不機嫌な気配はないものの、踊りを楽しんでいるようには見えない。その足取りも、踊っているというより、寄り添っているといったところだ。

「……さあ、よく分からねえな」
「正直だなあ」
「……だけど、楽しそうにしているお前を見ていられるのは、悪くない」

 は、両目を丸く見開かせる。
 頭上からじっと見つめるザギの眼差しは、今もから外れない。その意味にようやく気付くと、気恥ずかしさが込み上げてきた。はぎゅっと唇を結んだが、ザギはうっすらと笑みを浮かべ、くつくつと喉を震わせた。

「……あ、あのさ、ザギ」

 繋いだザギの手を、ぎゅっと、強く握りしめる。

「昨日の事、なんだけど」
「何だ」
「……どう、思ってる?」

 サメの眼が、不思議そうに瞬く。足らなかった言葉を付け加え、はもう一度、ザギへ問いかけた。

「昨日の事は……そういう、気分だったのか?」
「は……? 何だ、それ」

 ザギの声に、微かな怒気が混じる。の手を握り直すと、身体を引き寄せ、胸を重ねるように密着した。

「その場の気分なんかで、俺がお前に、手は出したりすると思っているのか」

 長年、共に過ごしてきた幼馴染みに。
 あるいは、海ではなく陸で生きる、人間に。
 そんな言葉が、“お前に”という部分から、聞こえたような気がした。

 ザギの声には、一欠片の迷いも、冗談もない。彼は良くも悪くも、率直な物言いをするのだ。それが本心だろう事は、もよく理解している。どれほど長く、過ごしてきたと思っているのだろう。

 ――だが、そうであるからこそ。

「私もさ、女だよ」

 どんなに男勝りで、女の子らしさから離れ、無頓着でも。
 女であると、今は、声を大にして言いたい。

「――まだ大事な事、ザギから、聞いていない」

 は、ザギの両目をしっかりと見つめる。その強さに、ザギが微かに身構えた。

「ザギは、私の事、好きなのか? 幼馴染みじゃなくて、もっと別の意味で」

 聞けなかった、けれど聞きたくて仕方なかった、その問いかけをザギへぶつける。
 その瞬間、ザギは見て分かるほどに狼狽した。
 飛び跳ねるように震えた屈強な身体の向こうで、荒波を切るしなやかな尾びれが慌ただしく揺れている。かつてない、動揺ぶりだった。だが、逆には不思議に思う。あんな風にひとを組み敷き、抱いておいて、そこはそうなるのか、と。

「おまッそんぐらい、分かるだろ」
「うん、分かるよ」

 意外なほどに、静かな声が出た。ザギは虚を突かれたような面持ちを浮かべる。

「たぶん、分かってる。それくらい。でも、ちゃんと聞きたいんだよ」

 ザギの口から、直接。それくらい願ったって、罰なんて当たらないはずだ。

「私は、あんたの事、喧嘩仲間だとか幼馴染みだとか……そんな風には、もう、呼びたくないよ」

 あぐね果てていたザギの足が、ひたりと、静かに止まる。そうして見下ろす瞳は、大きく見開いていた。
 そこにあったのは、信じられない出来事に遭遇したような、驚愕。そして、昨日の夜、最果ての浜辺で見せた、あの熱情も宿っているような気がした。

 そんな、いきなり驚いたような顔して。
 私も馬鹿だけど、こいつも大概、馬鹿だと思う。
 ザギだったから、私は身体を預け、最後まで受け入れたというのに。

「……ザギが、言ってくれたら、私だって、ちゃんと言ってやる。だから」

 ――あんたの口で、言ってよ。

 賑やかな空気と、陽気な声が遠ざかるほどに、互いの眼差しが交錯する。
 女子にここまで言わせた仕返しだ。彼が口を開くまで、待つ。言ってくれるまで、ひたすら待つ。

「ザギ」

 しばらくし、ザギの頤(おとがい)が開く。ギザギザの歯を覗かせると、まるで観念したような、小さな笑みを呼気に含ませた。

「……敵わねえなあ、お前には」

 呟いた彼の声は、いくつもの声音を重ね合わせたような、美しく勇壮な声だった。



【後書き】

わちゃわちゃ騒いでる、不器用ケンカップルのお話。これにて無事に完結です。
お付き合い下さいまして、ありがとうございます!
サメの魚人という、人外成分が強く読む方を選ぶヒーローですが、楽しんで頂けたら嬉しいです。

そしてこれより、うっかり人外ものに片足を踏み入れてしまったり、あるいは人外好きがさらに深まってしまったら、さらに嬉しいです。
人外の沼地の深さを、どうか知って頂きたい。

◆◇◆

より情熱的な後書きは【投稿サイトの活動報告】に上げました。
良ければこちらもどうぞ。


2017.09.09