01

 かつて“宇宙人”と呼ばれていた存在は、今では珍しくは無い隣人となった。 





『――地球への滞在申請が増加している、その理由とは。異星人文化に詳しい専門家から話を聞きました……』

『――異星人による事件が多発。その背景にあるものは……』

『――異星人旅行者の来訪が急上昇している日本。その中でもとりわけ人気なスポットを独自ランキング……』

 テレビに映るニュースキャスター達は、今日も欠かさず、珍しくなくなった単語を伝えている。お茶の間に届けられる話題に、異星人関連のネタが聞こえない日はもう無いだろう。

 しかし、聞き慣れた話題ではあるものの、どこどこの星のなになに人が、という話は今も不思議な感覚を呼び戻す。そもそも、地球に存在する国や都市の名前ですら場所によっては危ういのに、宇宙規模にまで拡大したこのご時世、一般市民に惑星名まで覚えろというのは至難の技だ。
 下手したら、身近な異星人の正式名称すら怪しいというのに……。

「色んな星のひとが映ってるなあ……あ、あれは初めて見る異星人さん。ねえ、ウルもさすがに全部は把握して……してるの? 何なのその知識量。雑学王かよ」

 太腿の上に乗せた黒い丸型クッションを、腹いせにふにふにと揉み込む。直径三十センチほどのそれは、フワッフワの肌触りに、もっちもちの柔らかい弾力。極上のふわもち感触が返ってきて、今日もは悶絶し顔を埋める。

 数多くの異星人がやって来るようになったご時世であるが、の傍らにいる異星人だけは、未だに未知の生命体だ。
 何なのだろう、本当この、この――。

「はぁぁぁ……! ウルは今日もモチモチだねえ!」

 顔を押し付け、もちもちのクッションを熱く抱擁する。
 人を駄目にする、この魅惑の感触。素晴らしい休日の朝が、よりいっそう至福な一時となる。

 すると、黒猫の尻尾のような柔らかい触手が本体からニュウッと生え、の頭をぽんぽんと叩く。はいはい分かった、と言わんばかりに。

 ちなみに、先ほどから抱きかかえている、この極上の黒い真ん丸クッション。
 フワッフワでもっちもちのそれこそが――の身近な異星人、ウルである。

 大抵の人は、この黒いクッションが異星人だと言われると、困惑するか、まさかと疑りに掛かる。そしてそれがれっきとした生命体なのだと知れば、更なる混乱に襲われ、途方に暮れる。この一連の反応は、もはや様式美だ。も、最初はそうだった。

 こんなふわもちの外見では、混乱してしまうのも仕方ないが……彼本人はいたって温厚で、地球とも人間とも友好的な異星人だった。

 ただ、種族名をこちらの言葉に近づけると“満たされぬ顎(あぎと)”なんていう物騒な名前をしているらしいが……。

 あと性別年齢不詳の外見ではあるが、れっきとした男性体である。まったくそうには見えない、極上のふわもちっぷりだ。


 魅惑の弾力を顔面で楽しんでいると、とんとん、と頭をつつかれた。が顔を起こせば、真ん丸のクッションボディから伸びている、猫の尻尾に限りなく似た触手が、一生懸命にテレビを指し示していた。
 放送されているのは、季節の花に彩られた植物庭園の一場面のようだ。たくさんの人々が、美しい花を見上げ微笑んでいる。どうやら、今が旬の人気観光スポットの特集を放送しているらしい。

「綺麗だね。ウルは、こういうの好き?」

 尋ねると、触手がばしばしと液晶画面を叩く。なるほどそんなに好きなのかと驚いたが……よく見ていると、彼が興味を示したのは花ではなかった。
 道行く人々が食べている、庭園限定スイーツの、バラのジェラートだった。
 美味しそうに味わう表情とジェラートを、興味津々に見て……いや、触手でなでなでしている。


 美しい風景ではなく、美味しい食べ物に注目する、分かりやすい好奇心よ。
 そんな極端な食いしん坊の君も、とても可愛いです。


 “満たされぬ顎”などと呼ばれる所以がそうなのか、彼は好奇心が強く、知らぬ事に対して意欲的。とりわけ、食べるという事に対し、並々ならぬ情熱と執着を抱いている。
 いわゆる、食いしん坊だ。
 地球の、それも日本で暮らすという理由の一つが「美味しい食べ物がたくさんあると聞いたから」だというのだから、推して知るべし。

 こんなふわもちクッションの外見でも、味覚が備わっている事も驚きだが、ウルは基本的に、好き嫌いなく何でも食べてしまう。紅茶も飲むし、クッキーも食べるし、野菜から肉まで何でも美味しく食べる。
 ――ただ本当に、“なんでも食べてしまう”。食物どころか、無機物までも。
 失敗した料理も構わず美味しいと言って食べてくれるのはありがたいが(彼の味覚にはオンオフ機能でも付いているのだろうか)、食物という括りを飛び越え無機物まで消化してしまうのは、まあ少し……いや、本音は物凄く、驚いた。うっかり落としてしまった食器を、綺麗に掻き集め、綺麗に消化し始めた時は、どうしようかと思った。

 そもそも彼の食事方法からして、地球人にはない、異星人らしさが溢れている。
 人間でいうところの“口”にあたる器官はなく、触手の先端で吸い上げるか、もしくは丸いボディにずぶずぶと埋めるかして取り込んでしまうのだ。

 ウルは、あれだ、一昔前からゲームや漫画などで描かれてきた“スライム”という有名モンスターのイメージそのものだ。
 “満たされぬ顎”という物騒な名も、あながち間違いではないのかもしれない。

「あれはね、バラのジェラート……アイスクリームだって。おしゃれだよねえ、そこらのお店ではなかなか見ないよ」

 そう告げた途端、ウルの真ん丸ボディが、腕の中でバルバルと激しく震えた。
 期間限定、地域限定等という言葉に異常に弱いクッション星人。見た目はこんなだが、まるで日本人のよう。

 バルバルと揺れるボディから、黒い触手が一本伸び、の手首に巻き付いた。極上のふわとろ感触を纏ったそれは、猫の尻尾が悪戯に絡まるように、優雅に、柔らかく、の肌をくすぐった。

「食べに行きたい? ふふ、行動派だなあ。いいよ行ってきても……え、一緒に?」

 もちろん、と黒いボディが震えた。

「……そうだね。今度のお休みとかに、ちょっと遠出して、この植物庭園に行ってみようか。それで、バラのジェラート、食べてこよう」

 膝に抱えたウルを、ぎゅっと抱きしめる。ウルの身体から、黒い触手がもう二本ほど伸び、の背中へと回った。人を駄目にする魅惑の感触が、を優しく包み込んだ。


 その外見は、黒いクッションの謎の生命体。無機物まで食べてしまう特徴までも備わっており、地球人とは見るからに異なる存在だけれど。
 穏やかで、居心地の優しい――可愛い恋人だ。


 異星人が隣人となり、街中を闊歩しているのが珍しくは無くなっても、彼らとの交流等は発展途上にある。偏見と先入観が未だに飛び交っているのも事実だが、ウルと共に過ごしている事を、後ろめたく思った事は一度も無い。

 ウルと――異星人と、恋愛関係にあるという事も。


◆◇◆


 とはいえ実際のところ、この関係は、まだまだ手探りの状態だ。
 なにせ相手は、黒い毛玉スライム――不定形宇宙人なのだ。
 互いの姿形はさる事ながら、暮らし方や文化など、あまりにも違いがある。

 周囲の理解を得る事すらままならず、なかなか前途多難なのが現状だ。

(こうして街中に出ると、異星人は普通に歩いていたりはするんだけど)

 人間と変わらない外見の、耳が尖っただけの異星人。
 外見こそ人間だが、肌の色が薄い青色であったり、額から突起物が生えていたりする異星人。
 獣に酷似した頭部だったり、背丈がとても低かったり、特徴的な身体付きであったりと、多様な容姿の異星人がちらほらと歩いている。

 いつからかその風景は当たり前のものになったが、世間で言うほど、異星人はそう多くは居ないような気がする。
 地球にやって来る彼らは、何十項目にも及ぶ厳密な審査を受け、やっとの思いで許可を貰ったとしても、その後は非常に多くの制約が課せられると聞く。実際のところ、異星人の参入はどの国も不安に思っているのだろう。
 その中で日本は特に人気らしく、面倒な手続きを乗り越え訪れる者は増えているらしい。

 余所の星からの来訪者が増えれば、異星間交流における課題や問題なども積み重なる。彼らが起こす事件も、その内の一つ。
 異星人への色眼鏡が今も絶えないのは、それも原因か。
 ウルのような、極めて温厚な異星人が、迷惑を被らない日が来たら良いのにと、は心の片隅で思う。



 人足の多い通りを離れ、遊歩道も設営されている大きな公園に差し掛かると、トートバッグの中からウルが飛び出す。ぽん、ぽん、と軽やかに跳ねながら、公園へと入った。
 人の多い場所では、もっぱらトートバッグに入るか、の背中や肩にへばりつくかが、ウルの移動スタイルである。こういう広い場所でないと、なかなか一緒には歩けないのだ。

 いつだったか人通りの多いところを並んで歩いていた際、忙しく行き交う人々に存在を気付いてもらえず、延々と蹴っ飛ばされた事もあったっけなあ。

 今も思い出しては、ふふっと笑ってしまう。
 ……いや、あのふわもちボディが蹴られるのは、由々しき事態ではあるのだが。


 訪れた公園は、外出した際にショートカット目的で利用する事が多い。今日は休日という事もあり、遊びにやって来た家族や、散歩する老夫婦、走り込む青少年などの姿が見え、思い思いに過ごす和やかな風景が見えた。
 ちょうど陽射しもぽかぽかと暖かいし、絶好のお休み日和だろう。

「今日は陽射しがあったかいね」

 ぽん、ぽん、と軽快に遊歩道を跳ねて進むウルにも、陽射しが万遍なく注がれている。
 陽の光を浴び、ツヤツヤと輝く黒い毛皮。その真っ黒なボディは、さぞかし日向の匂いがし、ほかほかと温かい事だろう……。

(本当、不思議な姿)

 ウルの種族について、実のところ、はあまり詳しくは知らない。
 書籍なり、テレビなり、ネットなりで調べてはみるが、緻密な情報へ辿り着いた試はなかった。色んな異星人が現れる昨今、情報整理など追いついていないのだろう。
 が知っている事、というより、ウルから教えてもらった事は、種族名の別称と、スライム系異星人という事ぐらいである。

 長ったらしい上に聞き慣れない語感のため、未だに覚えられていないが、確か……グラニュー糖みたいな響きを有する種族名だった。
 その名前をこちらの言葉に近付けると“満たされぬ顎”という意味があるのだそうだ。
 物騒だが、そこそこ納得もしている。割れた皿を取り込み消化してしまう光景を、は目の当たりにしている。

 祖先は不定形、いわゆるスライムといった類いの生命体だったという、ウルの種族。食欲と消化力がほぼ無限大で、燃え盛る火山地帯から凍て付く極寒地帯まであらゆる環境で生き延びる、抜群の適応力の高さを誇ったそうだ。
 やがて自我と知恵を持つまでに至り、今日のスライム系“異星人”にまで進化した。

 灼熱と極寒の環境に適応する事を可能にしたのが――本体の上にある、防護膜。
 ウルで言うと、もちもちの丸いボディを余すことなく包む、黒いふわふわの毛皮の部分に当たる。
 いかにも柔らかそうな見た目ではあるが、防護膜と言うくらいだから、実際はかなりの耐久性を備えているらしい。地球の火災くらいならビクともしないよ! と彼はとても得意げだった。どうして火事場に突入する事態を予想しているのかは疑問である。
 しかしながらがそれ以上に気になったのは、地球を訪れるためにわざわざ外見をそれに変えたらしいが(まず変えられるという事に衝撃)……何故、地球に適応したら、ふわもちの黒い毛玉になったのか。彼には一体、我が星がどういう風に見えているのやら。

 ウルに問いかけてみたところ、曰く、この星の、特に日本という国は、猫や犬といった固有生命体をよく可愛がっている。異星人への警戒心を与えなくて済むと思ったから、との事だった。

 まあ確かに、魅惑のふわもち感触のおかげで、も警戒心どころか理性までも秒で吹き飛んだ。

 ただし警戒を解く事に成功はしたが、過度な接触を謀ってくる人間が稀に現れるから困ると、後に失敗も語った。同じ雄に身体を揉まれるなんて、ただの惨たらしい暴力だ――そんな苦々しさ満点のぼやきも付け加えて。

 けれど、にされるのは一向に構わない、と大らかな姿勢を見せつけるものだから、今日も魅惑の感触に骨抜きにされている。
 人を駄目にするクッションを地でいける唯一の存在ではないかと、はこのところ真に思っている。



 遊歩道の終わりが近付くと、三段程度しかない、幅の広い緩やかな階段が現れた。
 すると、ウルはすかさず階段の下へと飛び降り、その一番下からニュウッと触手を伸ばした。恭しくへと差し出される、黒猫の尻尾のようなそれ。さながら、お手をどうぞ、と言ったところか。
 小説や漫画でなら、見目麗しく美しい王子がする一場面だが、そこにいるのは真っ黒な毛玉スライム。思わず吹き出したが、も丁寧に触手を握り返し、階段を下りた。

 地球の文化を勉強した、と彼は得意げなのだが……一体、何処から仕入れているやら。
 記憶力抜群なのに、いつも斜め方向へ向かおうとする。こういうところが、ウルらしいというか、なんというか。

 種族名と見た目は特殊だが、優しく、極めて温厚、そして意外にも紳士的。食いしん坊で、知りたがりで、謎の雑学王と、変な側面も多い。
 けれど、がウルに抱く想いは――間違いなく、慕わしさと、恋心。

 それをきっと、まだ多くの地球人が、せせら笑うのだろう――。

 触手を握ったままが階段を全て下りると、ウルはとても満足そうにプルプルと震えた。真ん丸ボディに、目や口、表情といったものは無いが、意外にも仕草は感情豊かで分かりやすく思う。の手に巻き付いたままの触手も、嬉しそうに何度も手の甲を撫でていた。


 ――なんて、和やかに笑っていたら、ウルが突如として視界からフェードアウトした。


 傍らを歩いていたご婦人の連れている中型犬が、すれ違いざまに駆け出し、ウルに頭突きを繰り出したのだ。


「ウルーーーー!!」

 の手に触手が巻き付いているため、幸いにも遙か彼方にまで飛んでゆくという事態にはならなかった。
 真横へ転がっていった彼を慌てて目で追えば、楽しそうに尻尾を振る中型犬から鼻や前足で小突き回される姿が映った。
 きっと、あのお犬様には、玩具に見えてしまったのだろう。引っ張り紐付きの、ボールか何かに。
 飼い主の女性は、真っ青になりリードを引き寄せている。ごめんなさい、普段はこんな事しないのに、と何度も謝罪を口にする

「えーと、わりと平気そうなので、大丈夫ですよ」

 楽しそうに転がされ、付き合っているから、たぶん怪我は何もない。

「本当にごめんなさいね。えっと、ボール……かしら、あれ……それとも、ぬいぐるみ……?」
「いえ、恋人です」
「え?」
「恋人、です」

 言葉を強調しつつ微笑めば、優しそうなご婦人の瞳はこれでもかと見開き、ウルを見つめた。
 ああ、分かりやすい狼狽が、はっきりと窺える。今日も様式美は輝きを放っているようだ。




 中型犬の玩具にされても、涎まみれにされても、ウルは怒らなかった。満更でもない様子からして、現地の固有生物と触れ合えたと思っているに違いない。

「本当に、ウルは怒らないね」

 濡らしたハンカチで涎を拭き取りながら、はしみじみと呟いた。

 ウルと出会い、短くはない時間を共にしているが、未だかつて怒った姿を見た事がない。いや、多少の口喧嘩くらいはするのだが、感情を露わにし嚇怒(かくど)するような姿を、見た事がなかった。もちろん、穏やかなのは良い事ではあるけれど。

 がじっと見つめると、ウルの丸い身体が細長く縦に伸び、くにゃりと傾いた。人間で言う、首を傾げる動作を表現しているのだろう。は小さく吹き出し、何でもない、と首を振った。


 こうして共に過ごしてみても、未だにウルは、謎が多い。
 彼の事を理解するため、の奮戦は続いているが、それでもまだまだ情報が足りず、疑問は尽きない。

 現在、特に気になる事といえば……。

 ――ウルにも、性欲の類いは、あるのだろうか。

 この三十センチボディの中に、そもそも生殖行為とか、生殖概念とか、存在しているのか定かでない。男性体とは言ってもなにせ不定形スライム、細胞分裂的な増え方をしているという可能性も否めないだろう。
 単刀直入に訊いても良いのだが……さすがにそれは。

(私が人間だから、ウルは何か、我慢していないかな)

 恋人だと、胸を張って言える。けれど、ウルはどうなのだろう。我慢している事や、やりづらく思う事などは、無いのだろうか。
 乱暴な事など何も無い、穏やかなスライム星人を見ていると、本当にそう思ってしまう。


 彼は、何処にでも適応出来る逞しい異星人で――私は、特別な力なんて持たない、脆弱な人間。
 そればっかりは、けして覆す事は出来ないのだ。



■ふわもち感触の毛玉スライム星人×人間女性

他星間での交易、交流をするようになった、ふわっとした世界観。
スライム星人と日本人女性が、キャッキャしてるだけのお話です。

例に漏れず人化とか絶対にしませんし、なんならヒーローは謎の毛玉スライムだし、触手もジャンジャン出ますしジャンジャン使います。
スライム系、触手系、苦手な方は特にご注意下さいませ。
念のために明かせば、作者はかなり重度な人外好きです。
でも正直、何を言われるか、ビクビクしています。


2019.04.28