01  (18禁)

 ――予想と、大きく違った。

 思えば、幼少時代からの付き合い。夫(おさななじみ)の種族の性質、特徴など、人よりも知っている方だと自負していた。
 さらには、結婚するにあたり報告へ回った知人、恩人、友人全てから、ほぼ同じような内容の気遣いと忠告を、懇々と賜った。
 一抹の不安を抱きながらも、覚悟を決め、臨んだのだ。

 それなのに。


「――淡白すぎない?」


 兎獣人の青年と結婚して、一ヶ月あまり――夜の営みの淡白さに、驚きが隠せない。





 それが悪いかと言われれば、そんな事はない。
 人間には人間の、獣人には獣人の、それぞれの特徴というものがあったとしても、それが全ての人々に適用されるかと言えば、けしてそうではないだろう。世間の印象を当てはめてしまうのは、少し乱暴だ。

 分かる、それは大いに分かる。
 分かって、いるのだが……――。


「新婚さん? え、相手は兎の獣人……? よ、よく普通に出歩けるね、すごいな」


「寝たきりになるのが多いと聞くんだけど……珍しいなあ」


「兎の獣人だよね……え、大丈夫……? つらくない……?」


 という具合に、知人とご近所から、心配もしくは疑いを向けられている現在である。
 ここまで同じような台詞を続けて聞いてしまうと、考えてしまうというものだ。

 ――ちなみに、結婚してからの一ヶ月あまり、は一度も寝込まず、元気に新妻をしている。

 苦も無く起き上がり、家仕事をして、溌剌と外出もする。
 どうやらこれは、とても珍しい状態のようだ。
 人間族ならばまだしも、獣人族にまで言われてしまっては、気にしないでいられない。

(そもそも比較対象を私が知らないから、何がどう違っているのか、さっぱり分からないのよねえ)

 そういうもんか、と片付けてはならなかったのだろうか。新婚生活に、早くも擦れ違いが起きているとしたら、どうしよう。一大事だ。

(誰かに聞くにしても……いやどう聞けばいいのか……)

 そもそも、こんな悩み、人に明かすものなのか。惚気か、と一蹴されそうだ。


 ううむ、とが唸っていた時――傍らに、人の気配が近付いた。
 あっと声を漏らし、顔を上げる。真っ先に視界へ飛び込んだのは、ピンッと立った、二つの細長い耳だった。周囲の音に反応するように、ぴくぴくと揺れる立派なそれは、真っ白な兎の耳である。

「どうしたの、。考え込んで」

 少し肩を下げ、覗き込んだその容貌は、つぶらな黒い瞳をした白兎そのもの。“×”の形に見える、可愛らしいお鼻と口が、の目の前でピスピスと揺れている。

 ふんわりした白兎の頭に、しなやかな人間の身体を持つ、兎獣人の青年。
 一ヶ月ほど前に、幼馴染みから夫になった、シリルである。
 柔らかい響きを有する名を裏切らず、こぼれたその声も優しく穏やかだ。今日も今日とて、兎の可愛らしさを全身に纏っている。

「あ、いや、何でもない。ど、どっちが良いかなって」

 店先に、所狭しと並ぶ色鮮やかな野菜たちを示す。少しの間、シリルはつぶらな丸い黒目でじっと見つめる。狙いを澄ましたように、木箱から素早く野菜を引き抜くと、の両手に持たせた。

「これとこれ、あと、これかな。一番美味しい」

 確信に満ちたシリルの言葉通り、彼に選ばれた野菜は格別に色艶がよく、とても瑞々しかった。
 さすが、野菜好きの兎の獣人である。彼の目利きが外れた事は、昔から一度もない。

「はー……相変わらず、さすがね。シリルが食材屋だったら、絶対繁盛しそう」
「そうかな。悪くないけど、僕は静かなところで働いていたいな」

 シリルは、声色に微笑みを乗せる。その言葉の通りに、彼の勤め先は、この街の大きな図書館である。

 兎にはよく“寂し過ぎると死んでしまう”なんて話が出回っているが――実際のところ、彼らの性質は猫に近い。一人の静けさと、その環境を好む。
 獣人の種族は、その身に宿した獣の性質に、良くも悪くも左右される場面が多々ある。シリルも例に漏れず、幼い頃は一人で本を読んでいる子どもであった。もちろん、個々の性格によるものでもあるだろうけれど。

 会計を済ませ、買い物客で賑わう店から離れる。荷物を半分ずつ持ち、陽射しの注ぐ明るい街中へと繰り出して直ぐの事。



 シリルが、空いている片手をひらひらと揺らす。その意図をはすぐさま理解したが、少しツンとし、視線を逸らしながら、彼の手を握った。
 真っ白な手は、温かくふかふかとし、触り心地は抜群だった。けれど、毛皮に包まれた指は長く、手のひらの部分も大きい。見た目よりずっと男性的で、の手を簡単にすっぽりと包んでしまった。

「照れてる?」
「馬鹿」

 恥ずかしさ紛れに悪態をついたが、シリルはそれを見透かしたように、上機嫌な空気を漂わせる。
 白兎そのものの顔は、感情が乏しく、何を考えているか分かりづらいという。しかし、伊達に幼少期からの付き合いではない。つぶらな黒豆の瞳には、確かに“喜び”の感情が見えた。

 ――何らかの不満は……ないようだ。

 ほっとする一方で、の胸の中に巣食った靄は深まる。周囲の言葉に翻弄されるものではないと思いながらも、そうなってしまうくらいには、シリルを大切に思っているのだ。

 ツンツンしてる。気が強い。騒がしいほど明るい――過去、ろくな意味を含んでいないだろう代名詞を付けられてきただが、それでも確かに、恋をしている。
 今も昔も、変わらず、この白兎に。


◆◇◆


 ――片田舎の長閑な村で生まれ育った、幼馴染み同士の結婚。

 それはごくありふれたものだろうし、物語のように劇的ではない。だが、は十二分に、幸福を感じていた。

 は幼少期、身体が弱かった。どのくらい弱かったかと言えば、季節が一つ変わるたびに熱を出し、長時間遊ぼうものなら倒れるくらいには弱かった。
 今と比べると、驚くほどに虚弱だった。
 しかし性格は、今と変わらず、いや今以上に活発であったために、構わず外へ飛び出し遊んでは派手に熱を出した。お前は本当にこっちの寿命を縮めたよ、とは家族の言葉である。
 おかげで、ついた通り名は“虚弱なおてんば”だった。

 同年代の、同じような性格の子達からは、あまり歓迎されなかった。そりゃあ毎回毎回熱を出しぶっ倒れていたら、やりづらい事この上ないだろう。特に、幼少期から体力、身体能力共に優れる元気有り余る獣人の子ども達には、遠巻きにされたものだ。
 病気がちで辛い、という記憶は、実はあまりない。ただ、意思とは裏腹に弱すぎた自身の身体が、少し疎ましかった。

 ――そんな幼少期において、同年代の子の中にあったシリルもまた、ある種異端だった。
 兎の性質が影響している、というより、彼本人の性格だろう。誰かと遊びまわる事はせず、本を好み黙々と読んでいた。悪い事ではないはずなのに、同じ年頃の獣人の子が皆身体を動かす事が大好きなせいで、目立ってしまっていた。
 後から聞いたが、家族からは「お友達とお外で遊んできたら」とよく言われていたそうだ。逆に止められていたとは、大違いである。

 そういう事情が互いにあったからか。今も不思議だが、性格は真逆なくせに、一緒にいる時間が多かった。まあその大半が、がシリルを引っ張り出して遊ぶか、あるいは図鑑を開き一緒にぼうっと眺めているかの、二択しかなかったが。
 ただ、図鑑を見つめる時間は、意外とすぐに好きになれた。なにより、幼少期、遊びたい盛りの子が圧倒的に多かった中、すぐに身体を壊すせいで接しづらかっただろうに付き合ってくれたのは、シリルだけだった。
 子どもながらに、あの時間はけっこう救われた――は時折、そんな風に思い返している。

 虚弱体質のくせに、構わず遊びに出る
 それを止めようとしては振り回され、連れ回されるシリル。
 そんな幼少期を経て、年頃の娘と青年へ成長していっても――中身は互いに、さして変わらなかった。

 ただ、大人になっていった事で、変わったものは多かった。
 “虚弱なおてんば”と呼ばれたは、陽の光を吸い込んだような眩しい金髪の、気の強い溌剌とした娘となり。ぬいぐるみのようだったもこもこの子兎だったシリルは、すらっとした身体付きの、穏やかな物腰の青年となった。

 そうして、長い間、遊び仲間として築かれた友情は――恋心へと色を変えた。

 意外にも、先に男女の仲をこいねがったのは、繊細な気質のシリルだった。
 昔から好きだった。どうか僕だけのになって欲しい。
 あの時ばかりは、気が強いも感極まって号泣し、返事をする代わりに飛びつき、彼の鼻にキスしていた。

 そうして、現在――気の強い娘と穏やかな白兎の獣人は、夫婦となって結ばれた。

 家族と友人からは、驚かれた。そんなに意外だろうかと、互いに顔を見合わせては笑ったものだ。
 何かと周囲の言葉に悩まされたとシリルにとって、互いが理解者であり、相談相手だった。惹かれ合ったのは、きっと、当然でもあったのだ。




 ――しかし、それはそれ、これはこれだ。
 他人同士、まして異種族同士ともなれば、立ちはだかるものは大きい。

(ただ、エッチが淡白すぎるって、悩みとしてどうだろう?)

 人に言うにはあまりに恥ずかしい悩みだ。しかし、口酸っぱく言われ、覚悟してきただけに、逆に不安に駆られてしまう。
 ……というのも、兎獣人といったら、多くの人が知っているだろう。


 ――精力が強い傾向にある獣人の中でも、兎獣人は屈指の絶倫である。


 ピンッと立った、あるいはてろんと垂れた、二つの柔らかい耳。ふわふわの毛を持ち、ぴょこっとした小さな丸い尻尾。兎の獣人は、男女関係なく、すべからく可愛い。屈強、大柄、鋭い爪牙といった単語が似合う、名立たる肉食獣の獣人達とは、まったく異なる。可愛い獣人ランキングでは、堂々上位に君臨するだろう。
 しかしその逸話は、屈強な肉食獣の獣人達を凌駕する、恐ろしい迫力を帯びている。絶倫という単語だけで怯ませてくる。

 人間と比べれば十分に身体能力に優れているものの、獣人族の広い定義では、兎は力を持たない草食獣。そのため、狼や熊の獣人にはどうしても力に劣り、敵わない。それを補うための、突出した子孫繁栄力とも言うらしいが……同じ獣人達から「兎は夜が激しい」「回数が多い」と囁かれているのだから、相当なのだろう。
 というか、シリルの身内、つまり義理の家族から、既に心配されている。

ちゃん、昔から身体が弱いから、大丈夫かしら」
「危険だと思ったら、前歯をへし折ってでも止めなさい。絶対に止めなさい」

 兎にとっての前歯は、見目の良さと死活問題に関わるとされているはずだが、そんな大事な場所まで出され注意を促されてしまっては、いよいよただ事ではない。

 これは……冗談の類ではない。下手したら、死ぬかもしれないようだ。

 は青ざめた。だがその後、それを上回る気合で恐れを丸め込み、覚悟を決めた。伊達に幼少期、身体を壊したわけではない。前向きに自身を見つめ、虚弱体質はだいぶ克服したのだ。相変わらず、季節の変わり目は風邪を引きやすいけれど、健康そのものと言って良い。

 熱を出すのが怖くて、獣人と暮らせるものか。は、持ち前の胆力と、気の強さと、超アクティブ傾向により、怯まなかった。
 だから、結婚に当たり、色々と備えてはいたのだ。獣人族屈指の絶倫とまで言わしめる兎の獣人に、不満を感じさせないよう、満足してもらえるよう、年上の女性達から夜のアレコレを教わったりして(ただし実践は出来ていない)。

 しかしながら、初夜から今の今まで――覚悟した事態には、陥っていない。

 いや、良い事なのだろうけれど……。



「――、眉間にしわが寄ってる」

 ハッと、意識が戻る。
 机を挟んだ向かい側で、行儀よくスプーンを握るシリルが、笑いながらを見つめていた。

「美味しくなかった?」
「そ、そんな事ないわよ! ぐうの音が出ないくらいに美味しいわ……いつもの事ながら……」
「良かった」

 真っ白な二つの耳が、ぴょん、と揺れる。嬉しそうな空気が、ふわりと彼の周りに漂った。
 いけない、今は食事中。夕飯の時まで、こんな考え事はいけない。
 はさっさっとスプーンを動かし、口元へスープを運ぶ。いやしかし、本当に美味しい。野菜多めだがきちんと肉も入っており、味の加減もちょうどいい。

「何でこんなに料理上手なのよ……ありがたいけど」
「そりゃあ、勉強したもの」
「え?」
「何処かの誰かさんは、身体が弱いから。そのくせ、誰よりも動くし、誰よりも寝込むし。その子の身体が元気でいられるように、色々教えてもらったんだから」

 シリルは溜め息交じりに、しみじみと呟いた。呆れも含まれているが、それ以上に、つぶらな黒い瞳は何処までも優しかった。

 子どもの頃から、シリルは変わらない。身体の弱さに反抗するように外へ出る無鉄砲が過ぎるおてんばな少女の後ろで、困ったように追いかけてきては一緒に過ごしてくれた、あの優しい男の子の時から――本当に、変わらない。

「……そこまで、もう、身体は弱くないわよ」

 受け止めきれないほど甘く、そして柔らかな空気に、は赤らむ頬を不器用に澄ましてしまう。
 もっと可愛い反応を返せたら良いのにと、常々思っているくせに、いつもこうだ。

 身体が弱いくせに、気が強く勝ち気な、厄介な少女。あの頃から変わらず、今に至ってしまった私は――きっと、可愛くないままだ。

「――シリル」
「なに?」

 はスープをぐっと平らげると、スプーンを置き、正面を見据えた。

 気ばかり強い、可愛げのない女。けれど、そんな女なりに、好きな人のために“女”になろうと頑張ってきた。
 何処までその努力が実ったか分からないが、多少は、彼を惑わせる色気の欠片を得たのだと、願いたい。

「――今日、エッチしよう」

 真剣に告げれば、対面に座るシリルは、ブホッとスープを吹き出し激しく噎せ込んだ。
 新妻に対しその反応は物申すに値するが……視線を忙しなくさまよわせながらも、うん、と頷いてくれたから、それで許そう。
 は両頬を真っ赤に染め、不格好に微笑んだ。


◆◇◆


「――あ、あ……ッ!」

 熱く湿った空気が充満する寝室に、の細い声が響く。
 登り詰める甘い衝動に未だ慣れない身体だが、リネンの上でビクビクと跳ねながら、必死に与えられた快楽を飲み込む。
 その上に被さった白兎も、呻き声をこぼし、しなやかな背を震わせた。汗と熱に染まるの中に、彼の精がトクトクと注がれていく。
 そうして動きを止めた数秒の後、余韻に浸りながらゆっくりと弛緩し、重なり合いながらベッドへ沈んだ。

「は、あ……ッ、大丈夫……?」

 耳元で、シリルの声が吐息混じりに囁く。こそばゆい振動が、過敏になった肌へと伝い、またぞわぞわと震えた。恥ずかしさに見舞われながら、がこくりと頷きを返せば、シリルの空気がふわりと緩んだ。
 良かった、と安堵を告げるように、シリルの手はの頭を撫でた。ベッドに広がった金色の髪ごと撫でていく、ふわふわの白い手。獣人の種族らしく毛皮に包まれた彼の手は、意外にも大きく、とても温かい。ただ無造作に撫でられているだけなのに、それだけで心地良くなる。

 乱れた呼吸を整えながら、はそっとシリルを覗き見る。ベッド横のサイドテーブルの明かりに照らされた彼は、満足したように身体をベッドに預け、を大事そうに抱きしめている。

 一回、だけ。初めて身体を重ねた日から、やはり変わらない。

 兎の獣人の絶倫ぶりは、獣人族屈指――あの話が事実であるとするならば、我慢させてしまっている事になるが、不満を抱いている気配は彼の白兎の顔には見当たらないように思う。

 誘い方が駄目だったか。もしくは、色気が足りなかったかもしれない。
 最悪、最中の私は非常に萎える姿を曝け出してしまっているという事も、考えられる。

 ――最後のは、出来れば外れていて欲しい。

 はそんな事を思いながら、目の前の、意外にも大きなもこもこの胸へ、顔を押し付ける。

「……シリル、満足出来た?」

 毛皮に吸い込まれそうな小さな声で、ぽつりと、尋ねた。

「え……? したよ、とても」
「……ん、そっか」

 本当に?
 無意識に出掛かっていた言葉を、は静かに飲み込んだ。けれど、シリルからは、僅かに戸惑いの空気が滲んでいる。を抱きしめる腕も、何処か気遣うようであった。

「……ねえ
「うん」
「今日、何かあった?」
「……ううん。何も、ないよ」

 まさか、あるわけ、ないじゃないか。

「ずっと、幸せ。私はね」

 ――ただ、君を満足させられていない可能性が浮上し、不安なだけです。


 もしも。
 もしも、本当に、シリルを萎えさせるような姿をしているのだとしたら、本当にごめん。

 は心の中で謝罪すると共に、新たな決意を胸に宿した。
 今度は近所のお姉様方から勧められた勝負下着をがっつり着込んでこよう、と。



■ 兎獣人×人間娘

以前より多くの方から要望があった“ウサギ”の獣人です。
ついに来ました、有名なげっ歯類。

毎度お馴染み、ヒーローは【全身フル毛皮の獣頭な獣人】ですので、ご注意くださいませ。



2020.03.08