02

 やってしまった。
 完全に、やらかしてしまった。

 神秘を探求する触媒である魔力に、酩酊し、自我をほぼ失った。熟練の魔術師も言っていた、魔力という力に己を見失う事なかれ、と。完全に、見失っていた。
 なし崩し的にとはいえ、最後は自ら望んで黒犬の魔獣とまぐわい、快楽で泣きじゃくっていた。
 それも、野外で! 誰が見ているとも知れない場所で!

 ――死にたい。

 この地上から消え去ってしまいたいと、は痛烈に願った。
 その上、悲しい事に、未だ下半身は黒犬と繋がったままだった。それはもうみっちりと突き刺さっており、抜ける気配が全くない。
 何処かの文献で読んだ気がする。確か犬の交尾は、雄の生殖器の根本がこぶのように膨らむため、雌の体内から抜けなくなる。そして射精に三段階あるから時間がかかるとかなんとか……。犬の魔獣も、どうやら同じだったらしい。
つまり、も黒犬の魔獣と、あと小一時間は繋がりっぱなしという事になる。
 地面に四つん這いになった格好のまま、背中に黒犬の巨体を背負い、抜けるまで待たなくてはならないというのか。

「信じられない……」

 魔力に酔い思考がぶっ飛んでしまった結末に、顔を覆う。幾度となくは自身を罵倒するが、当事者の一頭であるはずの黒犬はというと、はふはふと荒い息を繰り返し、を真上から押し潰す。その内、立っているのが面倒になったのか、ごろりと横たわってしまった。当然、繋がったままのはそれに引っ張られ、四つん這いから横向きの体勢へ強引に変わる。黒犬の四肢に抱き込まれてしまったような恰好だ。
あまりにも悠然とした態度に、の複雑に湧く感情は、当て所なく夜風に攫われてゆく。もう、怒りすら湧かなくなってきた。

「……それにしても、なんだか、思ったよりも……」

 冷静になった今、よくよく観察すると、美しい漆黒の毛皮はゴワゴワとしている。それに、獣の匂いが凄まじい。外で飼われている犬よりも強烈な気がしてくる。匂い立つほど昂った魔力が落ち着けば、このようなものだろう。なにせ黒犬は、なりは犬だが野で生きる魔獣なのだ。身体を洗う習慣が、あるはずがない。
 許されるなら、頭から尻尾まで丸洗いをして、毛玉が一つも無くなるまでブラシで梳いて、獣臭を消し飛ばしてやりたい。
 だが、とても、温かかった。下半身が露わになったままだが、夜の涼しさを全く感じないほどだ。
 黒犬は、の身体を抱え、すっかりくつろぎの体勢である。満足げに息を吐き出し、時折、悪戯に背後から頬を舐めたり匂いを嗅いだりとしている。

「……なんだか、最初よりも、態度が柔らかくなったような」
「グルルルル」
「ご、ごめんなさ……」

 途端に響き渡る、不機嫌そうな唸り声。あんだと? ああん? と凄まれた気がし、は秒速で謝罪を述べた。柔らかくなったように思ったが、恐らく気のせいだ。けして変わらぬ迫力が、背後からひしひしと感じられる。

「抜けるまで、あとどれくらいだろう……」

 そもそも、儀式が始まってから、どれくらいの時間が経ったのか。淫らな宴を続ける洋館の中は、果たしてどうなったのだろう。夜明けまで儀式が続くとは聞いていないから、やがて終わりを迎えるのだろうが……。

「ねえ、あなた」

 は、共に寝転がる黒犬へ、話しかける。

「あなたも一応、使い魔選定の儀式に参加したんだよね。使い魔になってもいい魔術師さんとか、見つけなくていいの?」

 真剣に主人を探さない使い魔候補がいる事は、先刻の下級悪魔との追いかけっこにて知ったが……この魔獣は、主人を探しているのか否か、果たしてどちらか。はもう今夜の儀式は諦めたが、蒼色と漆黒の毛皮が綺麗な魔獣なのだから、使い魔にしたがる魔術師も多そうだ。

「ゆっくりしていて、大丈夫……? 私、あっちに行くよ……?」

 抜けそうだったら強引に抜く事も辞さなかっただが、起き上がろうとすると黒犬が低く吼えるため、動けなかった。どうやら大人しく寝転がっていなければならないらしい。

「もう、分かったよ……どうせまだ抜けないし」

 がぼやくと、黒犬は当然だとばかりに鼻を鳴らした。
何だろう、随所で尊大な態度が透けて見える。たぶん本当に、この魔獣は人間の言葉を理解しているのではなかろうか。

「……ねえ、あの、触ってみてもいい?」

 抜けるまでひたすら待つ時間は、虚無に包まれる。せめて気を紛らわせたいがための思い付きだった。
強く出られず、窺うように尋ねたに、黒犬は意外にも唸り声はあげなかった。一度だけふんっと鼻を鳴らし、ごろりと身体を寝そべる。好きにしろ、そう言ったような気がした。

「あ、ありがとう」

 身体の向きを慎重に変える。下半身に深く埋まった獣の剛直が擦れてしまったが、声を抑える。
 の目の前に、黒いモコモコの胸毛が広がった。黒犬の顔を窺いながら、両手を伸ばす。恐る恐ると触れた毛皮は、思った通りにゴワゴワとし、触り心地は特別良くはない。ただただ丸洗いしたい欲求が高まった。だが、なりは何であれ、犬は犬。強面に目を瞑れば、その存在は巨大な犬そのものだ。そう思えば、の恐怖も薄れてゆく。襲われた恨みは、忘れてはいないのだが。
 鬱憤晴らしも兼ね、かき混ぜるようにわしゃわしゃと毛皮を撫でる。黒犬は心地好さそうに吐息を漏らす。だんだんと、本当に可愛く見えてきてしまった。
 魔獣なのに、こんなに綺麗な姿をしているのはずるい。

「……色んな魔術師が、使い魔にしたがりそうなのに。あなた、主を探したりしないの?」

 黒犬は、を一瞬だけちらりと見る。すぐに視線を外すと、目を閉じてしまった。どうやら主探しには興味が無いらしい。見つかりにくい庭園に潜んでいたくらいなのだから、別に主を探したいわけではないのだろう。

「おかしな魔獣だね。まあ、平凡な魔術師が言う事じゃないか」

 なにはともあれ、今は黒犬のものが抜けるまで待たなければならない。ゴワゴワした毛皮に埋もれながら、は小さく笑い、瞼を下ろした。


◆◇◆


 リィン、リィン――何処からか、鐘の音が響き渡った。
 月夜に奏でられるその音色は、一夜の淫らな宴には不釣り合いなほど、美しく澄み渡っている。はハッと瞼を開き、首を起こした。一瞬眠ってしまっていた自身の図太さに呆れながら、辺りを見渡す。この古びた洋館に、鐘の類は見えなかった。これは恐らく、魔術師によるものだ。

「この音は……もしかして、儀式の終わり、かな」

 やがて澄んだ音色は止み、静けさが舞い戻る。庭から見た洋館は、青い光が漏れ、にわかにざわつきを感じた。恐らく、互いの魔力の相性を確かめていた魔術師と使い魔の候補達が、支度か何かでもしているのだろう。
 もしかしたら儀式の終わりに何かするかもしれない。
 は横たえていた身体を起こし、胎内に埋まる黒犬のものが抜けないか試みる。傍らの黒犬が不愉快げに唸るが、そうも言っていられない。

「一応、集まった方が良いかもしれないから」
「グルルルル」
「こ、怖い声出さないでよ……抜くだけじゃない……ッん、ん……!」

 ぐ、と下半身を離す。と黒犬を繋ぐものは、先ほどよりもゆるゆると動く。根元の部分につっかえるような感覚はあるが、これなら抜く事も可能だろう。が深呼吸をし、一息に抜き取ろうとした――その時、目の前にふわりと影が降りた。

「――あらあら、こんなところにいたのね。良かった」

 たわやかな女性の声が、の耳を撫でる。バッと顔を起こすと、全身をローブで覆い隠し、フードを目深に被った人物が傍らに佇んでいた。月を背にしているため、フードの中は暗くはっきりと見えない。だが、ほっそりした顎の輪郭と、妖艶な微笑みを浮かべる唇の形から、大層な美人である事は想像も容易い。
 よりも、遥かに高位の魔術師であるという事も。
 そんな先輩魔術師に、黒犬の一物を抜き取ろうとしている場面を見られ、は音も無く絶叫を上げた。
「うふふ、良いのよ、大丈夫。今夜はそういう一夜でもあるんだから」あげく優しく気遣われてしまい、更なる羞恥心に襲われた。今すぐ消え去りたい。

「……ふうん、なるほど、貴女、面白い魔力の匂いをしているのね」
「……え?」
「あったかくて、優しくて、ほんのり甘くて……とても清純。何にも染まりそうな、真っ白な色。そうね、ホットミルクみたいな魔力だわ」

 ホットミルク……自身の魔力の匂いはあまり自覚はしていなかったが、ホットミルクなのか……。
 果たしてそれは、喜んで良いのか。としては複雑な心境である。世の偉大な魔術師は、自らの魔力を海と称したり、あるいは風と称するのに、かたや自身はホットミルクである。
 何だろう、何処までも天と地ほどの差がある。ただまあ、ホットミルクは好きなので良しとしよう。

「ふふ、だから、なのかしらね。貴女、悪いものを引き寄せてしまいそう。こんなに染まりやすそうな魔力だもの、汚したいと思う異形は多そうねえ」
「汚した……え?」

 何か今、さらっと、とんでもない事を言われてしまったような……。

「ああ、ごめんなさい。話が逸れちゃったわ。さっきの鐘の音、聞こえたでしょう? そろそろ儀式は終わるわよ」

 そして最後に、互いを気に入った魔術師と使い魔候補達が、正式に使い魔の契約を交わす。多くの魔術師達に見守られながら、儀式の最後を飾るのだと、彼女は告げた。

「そう、なんですか。でもあの、私、使い魔は得られなかったし、こんな状態だから、見には行けないです」
「あら、主役の一人がそんな事を言ったら寂しいわ」

 ……主役?

 不思議そうに首を傾げるへ、魔術師はふふっと微笑みをこぼす。

「あらあら、よく分からないままお互いの魔力を食べ合っていたの? そこの魔獣は、貴女に心を許しているのに」

 魔術師の言葉を聞き、ようやくは気付いた。黒犬の一連の行動も、が黒犬の魔力に酩酊したのも、唸り声をあげていた黒犬が今はを受け入れている事も――全て、魔力を喰らい合う儀式の作法であったのだ。
 そういえば、最初に黒犬へ魔力入りの果実水を分け与えた。恐らくあれがきっかけだったのだろう。
 そして黒犬は、自身が気に入る魔力の持ち主を見つけた。主人として、を認めたのだ。

(……嬉しいはずなのに、何だろう。この手放しで喜べない感じは)

 この黒犬の魔獣には、散々にビビらされた。地面に引き倒され、新しいワンピースドレスと大切な下着を破かれそうになり、その上……交尾にまで及んでしまった。自我が溶けるくらいに魔力に酔い、どろどろの快楽に染まった。
 いや、それほど相性がいいと言われてしまえばそれまでなのだが……としては、何処かで一発、がつんと言ってやりたいところである。

「それにしても、貴女、すごいわね。その子、使い魔候補の目玉の一頭なのよ」
「え?」
「マナディールハウンド。またの名を、魔力喰いの魔犬。周囲の魔力を集め自身に貯める、特殊な能力を持つ希少な子なの」

 魔術師は、熱っぽく語った。
 いわばそれは、魔力の水を呼び寄せ、貯め続ける、貯水槽ともいうべき能力だ。しかもそれを常時行っているのだから、魔力の器は枯渇する事がない。魔力を扱う魔術師にとって、これほど有益な能力は無いだろう。それこそ、喉から手が出るほどに欲する存在だ。
 ――だが、一つ、問題がある。
 マナディールハウンドは、魔術師の魔力の選りすぐりが激しい。しかも魔獣らしく気性が荒く、見た目以上にとんでもなく気難しいのだという。もしも気に入らない相手があれば、その対象の魔力が枯れ果てるまで吸い尽くしてしまう。過去、魔術師だけではない、他の魔獣や悪魔、精霊が生命の危機に陥った。

(だから、あの下級悪魔は慌てて逃げ出したのか……)

 というか、下級とはいえ悪魔すら逃げ出すなんて……想像以上にどえらい魔獣のようだ。気に入らなければ生命の危機にまで追い詰めるとは……もしも気に入られなかった場合、も魔力を吸い尽くされていた可能性があるという事になる。

 あっぶな! 良かった、本当に良かった!!

「貴女、すごいのね。これは快挙よ、誇ってもいいわ」
「そ、そう、ですか……」

 正直、はそれどころではないため、誉めそやされてもあまり喜びは感じないし、実感すら無い。
 むしろ今どうにかしたいのは、魔獣と繋がったままになっている、己の下半身である。いい加減抜き取りたいため、全ての感情はそこに向かっていた。

「さて! 説明は置いといて、そろそろ使い魔の契約の儀式に行きましょう~」
「え?! いや、ちょっと待って下さい!」

 この状態で行けと?! 鬼かこの先輩!!
 慌てふためくを他所に、傍らの黒犬はというとのんきに寛いでいる。

「あら……でも、皆もう集まっているから。待たせてしまうのは悪いわ」
「じゃ、じゃあ、せめてこの状態をどうにかしてからお願いします……!」

 すぐに抜きますので、とは恥をかき捨て動こうとしたところ、黒犬が唸り声を上げた。横たえた身体を器用に起こし、地べたに座るに背中から圧し掛かる。真上から受ける重みにより、再び四つん這いの恰好になってしまった。

 頑として、抜かせまいとしているらしい。一体何がそこまでこの黒犬を駆り立てているのだろう……。

「あらあらまあまあ、随分と気に入られたのね。ふふ、可愛らしいこと。諦めて、この恰好のまま行きましょうか」
「え?! いや、あ、あの、本当、まっ……」

 女魔術師は、ほっそりとした白い指を宙に滑らせる。たちまち彼女の周囲には、金色に輝く魔力の粒子が溢れた。螺旋を描く金色の煌めきは、と黒犬を包み込んでしまう。暗闇を染めるようなその目映さに、は両目をかたく閉じる。
そして瞼を押し上げた時――の目の前には、大勢の魔術師達の姿が現れた。
 夜風が吹く朽ちた庭から、洋館の大広間へ、一瞬の内に転移したようだ。
 集まっている魔術師達の視線が、一斉に突き刺さる。四つん這いの恰好のと、その背中に覆い被さる黒犬の魔獣へ。

(い、い、い、いやあああああ!!)

 声にこそ出さなかったが、胸中では悲鳴が大音声で響き渡っていた。は大慌てでフードを被り、目深にぎゅっと押さえた。

「――ふふ、待たせてしまったわね。それでは、使い魔の契約の儀式へ移りましょう」

 あの女魔術師の声が、傍らから聞こえる。フードを押さえたまま、そっと周囲を窺った。大広間を仄青く照らすシャンデリアの真下には、の他に、異形の存在を従えた魔術師が複数名並んでいる。今夜の儀式で使い魔を獲得した、魔術師のお披露目も兼ねているのだろう。
 そんな大切な場で、繋がったままという非常に恥ずかしい恰好をしているのは、だけであった。

 死にたい。今すぐ消滅したい。

「――その前に、まずは、ちょっとしたお説教を」

 静けさに満ちた大広間に、女魔術師の踵の音が鋭く響いた。

「淫魔の子が紛れ込んでしまったアクシデントのせいで、今夜の儀式は大昔の淫らな宴のようになってしまった。特に、大広間のあの有様は、度し難いものがあるわ。淫魔の魔力に当てられ、色事に狂った魔術師諸君――名前と顔は覚えたわ、猛省なさい」

 たおやかな微笑みに溢れた姿からは想像がつかないほど、冷徹な声色だった。覚えがあるらしい魔術師達が、暗がりで身を竦め、視線を逸らしている。顔までは分からないが、結構な人数が反応を露わにした。
 どうやら、大広間のあの淫行に耽る事態は、想定外のものだったらしい。項垂れて出て行ったは、ある意味、正しい行動を取っていたのだ。

 もっとも、お叱りの対象にはならずに済んだが、それ以上に黒犬の魔獣と繋がったままという一生忘れない恥を味わってしまっているのだが。

 もう、なんでもいいから、早く終わって欲しい――の今の願いは、それだけだった。

「――はい、お説教は終わり。それじゃ、使い魔の契約の儀式を始めましょう」

 女魔術師がそう告げると、控えていた魔術師達が、今回使い魔を獲得する者達の前へ静かに佇んだ。
 の前に立ったのは、あの女魔術師だった。
 彼女はゆっくりとしゃがむと、へ優しく視線を合わせた。

「ふふ、恥ずかしい思い出になってしまったかもしれないけれど、おめでとう。その幸運と正しさを胸に、魔術師としてよりよくあってね」
「あ、ありがとうございます……」
「――ところで」

 女魔術師は、そっとの耳元へ顔を寄せた。秘密の話をするように、柔らかな囁きを告げる。

「その魔獣は元来、気性が激しく気難しいと、さっきお話したわね?」
「は、はい」
「そんな魔獣が、今は、貴女の側からけして離れようとしない。それこそ、組み敷いた恰好を、皆に見せてまで」

 え、とは声を漏らす。フードの向こうから微かに覗く、女魔術師の美しい面立ちには、鋭い微笑みが浮かんでいた。

「彼は、貴方の魔力を気に入った。という事は、貴女という存在にも執着を始めるわ。それこそ、他の魔力に見向きもせず、あるいは他の余計な魔力が寄り付かないように」

 そう言われた時、は初めて察した。黒犬の魔獣にとって、これは見せしめなのだ。繋がったままの恰好で、この人間の女は自分の所有物であると、魔術師だけでなく他の異形の者達に告げているのだ。
 そしてそれは、人間が描く友愛や信頼とは、まるで違う価値観からなる行動でもある。

「――しっかりと、手綱を握るのよ。貴女自身が喰われてしまわないように。魔力を持つ者達が無差別に枯れ果ててしまわないように」

 暗がりの中から見つめる瞳は、を真っ直ぐに射抜く。凄みに溢れた眼差しを浴びたは、岩のように固まった。

「――あら……あんまり近付くのは、同性でもお気に召さないみたいね」

 を腹で潰しながら、黒犬の魔獣は激しく唸り声を上げ、女魔術師を威嚇し始める。それをひらりと躱し、彼女は立ち上がった。

「貴女達がこれからどんな魔術師の道を歩むのか、楽しみにしているからね」

 高位の魔術師からの温かな激励が、今のには、警告に聞こえた。
 下から数えた方が早いような魔術師の小娘が、完全に手に余る魔獣に選ばれてしまったのだ。どう考えても、これから歩む事になる道のりは、が思い描く平穏さとは真逆を向く事になる。

「……あの、この儀式を、辞退する事は、出来ますか?」

 ひくりと口元を戦慄かせ、恐々と尋ねる。女魔術師は、口元に柔らかい微笑みを浮かべ、頬に手のひらを重ねると。

「あら、もちろん――無理に決まっているじゃない」

 優美な微笑みと共に、無慈悲な言葉をの頭へ容赦なく落とした。

「私が許したところで――貴女の真上に陣取る“彼”が、許すと思う?」

 それに呼応するように、魔獣の唸り声が一段と激しく鳴り響いた。その獰猛な声は、を恫喝するようである。逃がすとでも思っているのか、と。

(……本当、何で、こんな事に)

 私は、平凡な魔術師だ。唯一得意だと胸を張れる、魔力を込めた軽食作りと、広範囲に及ぶ探知魔術で、地域に密着する古き良き魔女のような魔術師になりたい。そう、淡く夢を描いていただけなのに。
 どう考えても手に余る、強力な魔獣が使い魔になるなんて、嬉しい事など一つもない。既にこの恥ずかしい有様なのに、どうやって手綱を握れと言うのだろうか。
 しかし、現状、なによりが不安なのは――下半身が繋がったまま使い魔契約を結んだ魔術師として、噂される事である。

 絶対にそうだ。不名誉な覚えられ方をするに違いない。

 が途方に暮れている間に、無情にも契約を結ぶ儀式は終わってしまった。無事に使い魔を得た魔術師達は喜び、得なかった魔術師達は祝福の拍手を惜しみなく向ける。それはきっと、素晴らしい瞬間だろう。
 ただ一人、を除いて。

 ――誰か、この魔獣の操り方を、教えてくれないか。

 魔術師として歩み出した道が、明日からどう捻じ曲がるのか。想像し、青ざめるの真上で、件の魔獣は悠々と欠伸をしていた。



たぶんこの後、気苦労の絶えない展開が待っているのでしょう。
頑張れ、ヒロイン。

◆◇◆

ミッドナイトにも掲載している、さくっと読める短編でした。
少しでも楽しんでいただけたら光栄です。

若干のサバトっぽさ? を足したら特に割れずに漏れ広がった感じです。
ともかく人外度の高いものを書きたかった。

【エグさのない異種姦】は良い、という思いが伝わりますように。


2021.01.02