01

 山間を越え、鬱蒼と茂る森を抜けた時、目の前を柔らかい陽の光が照らし、爽やかな風が吹き上げた。
 たったそれだけの事で、疲労を含んだ溜め息は、軽やかな感嘆へと変わった。
 森を抜けた先には、なだらかな傾斜を描く丘が続き、その下には平原が広がっている。吹き上げてくる風の先へと視線を向ければ、久しく見る町が遠く映った

 ここしばらくは緑豊かな森続きであったから、丘の上から臨む爽やかな景観は、格別の開放感を感じさせた。清々しい風の匂いに、ほっと安堵が過ぎる。

 少しの間、景色を堪能したは、鞄から地図を取り出した。

「……良かった、地図の通りだ」

 古めかしい絵図を指で辿りながら、今はこの辺りだろうかと考え込んだ時――の横から、ぬうっと影が割り込んだ。
 森林の色よりも若々しい、ミントグリーンのような浅い緑色の鱗を持つ、竜の頭部である。

「もう、地図が見えないよ」
「グルルル」

 狼の唸り声よりも重厚な鳴き声が、不満げに響く。は苦笑いを浮かべ、馬の頭部と同程度の大きさの、ごつごつした質感の竜のそれに、手のひらを乗せた。慈しむように撫でれば、グルグルと鳴り響く喉の音が満足そうに深まり、の細い身体へ鱗に覆われた躯体を摺り寄せてきた。


 世界に数多存在する生き物や魔物たちの中で、最も名が知れ渡る、飛び抜けた王者――竜。
 膂力に満ち溢れた躯体を、炎も刃も寄せ付けぬ強靭な鱗で包み、空を支配する翼の持ち主であると、誰もが知っている存在だ。

 ただ一口に竜といっても、の傍らにいる緑鱗の竜の背中に、翼はない。また、その体形も四足歩行ではなく、前肢が小さくその代わりに後肢は太く強靭に発達した二足歩行のものだ。
 空ではなく大地を駆ける竜種であるが、けして見劣りはなく、翼が無い事による能力の差も無い。大地を疾駆する速さと力強さは、馬などにはけして負けず、鳥獣とはまた違う美しさと迫力が溢れている。

 とはいえ、まだ成長の途中にある若い個体なので、鱗は少し柔らかく瑞々しさがある。身体も駿馬ほどの大きさのため、竜としては小柄、絵物語のように巨大さはない。ただくらいの小娘と、少量の荷物程度は全く苦も無くその背に乗せてしまえる。
 傍から見れば、十二分に立派な竜だろう。


 ――ただその竜は、現在グルグルと喉を鳴らし、小さなに甘えている。
 思わず気圧される立派な見た目だが、悪戯好きで遊びたい盛りの、若い雄竜なのだ。


「ここのところ、ずっと野宿ばかりだったからね。町でようやく、ゆっくり休めるよ」
「グルルル……」
「あ、もちろん、君のおかげだね。大丈夫、分かってるよ」

 そうだろう、と言うように、緑竜が荒く鼻息を出す。細長い尻尾も、満足そうに草むらをなぎ倒している。
 この辺りの気位の高さは、さすがは竜種といったところか。今ではもう、も慣れたものだ。

「さて、あの町を目指して行こっか。うんしょ!」

 は地図を鞄へ戻し、鞍を取り付けた竜の背中へと飛び乗った。

「もうちょっとで休めるよ。よろしくね、ラース」

 浅い緑色をした鱗を持つ、二足歩行の雄竜――ラースは、ギャオウ、と一鳴きし、軽やかに丘を駆け下りた。


◆◇◆


 到着した麓の町はこじんまりとした佇まいで、派手な喧騒もなく、田舎らしい長閑な温かみがあった。

 町へ入るための手続きなどは無事に終わり、は意気揚々と踏み入れた。
 だが、ラースという竜が後ろにいるため、見張り役や旅人、商人、さらには町の住人と、多くの人々から視線を集める事になってしまった。少々気にはなるが、仕方ない事だ。翼を持たない種類とはいえ、竜は竜。古今東西、王者として語られる最強の一柱に属し、希少性も極めて高い。
 たとえラースがまだ幼く、人間で言えば十五歳程度のやんちゃ盛りの甘えた盛りであっても、彼らには特別なものに見えるだろう。

 そう長々と滞在はしないし、今だけの辛抱だ。

 背中を追いかけてくる視線は気にせず、はラースを連れて大通りを進む。大きな馬などが居ても平気な、獣舎付きの宿屋を教えて貰ったから、ひとまずはそこを目指した。




 宿屋の女将は、ラースの姿に酷く驚いた様子を見せたけれど「竜が客なんて箔がつくじゃないか」と朗らかに笑い大歓迎してくれた。竜という事で怯えて追い返す宿屋も少なくなかったから、これにはほっと安堵した。

「お嬢ちゃん、若いのに凄いね。竜を手懐けるなんて。獣操士か何かかい?」

 獣操士――別名で魔獣使いとも呼ばれる、その名の通りに野で生きる獣や魔物などを従える者達の総称だ。
 は小さく笑い、首を横へ振った。

「ただの旅人だよ、女将さん。あの竜は……もっと小さい頃に、偶然出会ったの。私の大切な相棒だよ」
「そうかい、頼もしいねえ! どこへ向かうんだい?」
「うんと離れた、私の故郷。森と湖の綺麗な、辺境の村なんだ」
「そうかい、じゃあ英気を養わないとね。うちはご飯も美味しいから、期待しておくれよ」
「ありがとう」

 女将から部屋の鍵を受け取ったは、ラースを獣舎で休ませ、部屋へと向かった。

(――間違った事は、言ってないよね)

 この旅は故郷へ戻るためのものだし、私自身は何の変哲もない旅人で、ラースはその相棒だ。

 ただし、付け加えるのなら、私は人攫いに遭い、遠く遠く運ばれ、そこで同じく密猟に遭ったまだ小さなラースと出会った。そして共に、故郷へ戻るため、旅をしているのだ。




 太陽が傾き、空は橙色へと染まってゆく。
 小さな町に、夕暮れが訪れた。

 宿の食事は、美味しいものばかりだった。旅の食事は手が込んだものは出来ないから、なおさら感動を抱く。
 うちの料理は美味しいだろう、と自信たっぷりに笑った女将の笑顔は、とても明るくかった。
 思わずおかわりまでしてしまい、は食事の時間をたっぷりと堪能したが――おかげで獣舎で待つ相棒のもとへ向かうのに遅れてしまった。

「遅くなってごめんね、ラース」

 明かりを灯した獣舎の中は、ラースの唸り声が響いている。すっかり、へそを曲げてしまったらしい。
 は苦笑いを浮かべながら、隅っこで不貞寝している竜のもとに近づく。

「ほら、ラースの分は、ちゃんと用意してるから。それに、道具も借りてきたの。ラースのご飯が終わったら、身体を綺麗にしてあげるから」

 ね、とが覗き込むと、そっぽを向いていた竜が仕方なさそうに身体を持ち上げた。

「グルルル……」
「うん、ちゃんと鱗を綺麗にして、かっこよくするからね」

 ぐいぐいとお腹に押し付けられる竜の頭を、は笑いながら撫でた。
 後頭部に掛けて生え揃う、大小異なる角は、まだ小ぶりだが既に鋭さを秘めている。きっと将来は、地上を支配するような勇猛な竜へと成長するだろう。

 しかし、駿馬ほどの大きさを有する身体は、これからもっと逞しくなるだろうに、既に竜としての風格が現れている。人間の娘などでは比較対象にならないくらい、とても立派だ。

「出会った時は、私でも抱っこ出来るくらいに、小さかったのにね」

 が呟くと、ラースはグオンッと鳴いた。鳴き声まで低くなり、すっかりオトナだ。
 本当に、感心する。竜の成長は、そこいらに居る犬猫とは訳が違う。
 どこまで大きくなるか分からないが、きっと今よりもずっと誇らしく、美しくなるのだろうな。


 ――本当に、幸運だった。
 何も持たない平凡な村娘が、人攫いに遭いながら彼らの手から逃れ、生き延びた事。
 そして、竜という跳びぬけた強さを誇る王者の力を得られた事は。


「君がのびのび過ごせる森や谷が、私の故郷にはたくさんある。それまでは、よろしくね」

 生まれ育った故郷へ帰るため――そんなありふれた、たった一つの願いを縁(よすが)にし、必死に人攫いから逃げ仰せ、そして彼らから掠め取った竜を手懐けた。
 打算と下心に溢れていたのは、紛れもない事実である。けれど、にとって既にこの雄竜が、かけがえのない唯一の存在になっている事も、嘘偽りなく真実だ。


 そもそも私がここに居るのは、この竜のおかげなのだから。



■ 二足歩行系の緑竜×人間娘

異種姦(異種和姦)モノとなっております。
喋らず、人化せず、竜の姿そのもの。そんな重度な人外好きに向けた特殊傾向にありますので、ご注意下さい。
けれどエグさグロさは、苦手な作者です。目指せ、愛ある異種姦。


2019.09.07