05

 町へ戻る頃には、真夜中をとうに過ぎていた。
 中天に昇り詰めていた美しい銀色の月も、静かに下がり始めている頃だった。

 あの後、結局もう一度身体を繋げてしまい、身支度と休息に時間を取ってしまった。事件に巻き込まれた疲労より、ラースがぶつける獣欲を受け止める方が大変である。

 しかし、すっかりくたびれてしまったとは対照的に、ラースは元気よく地を踏みしめ進んでいる。竜をも昏倒させるという危ない薬も完全に抜け、ご機嫌な様子を隠さない。大変な目に遭ったはずなのだが……この竜は危機だと思っていないのだろうか。大した度胸だ、さすが幼少期から気位が高かっただけある。


 やがてとラースは森を抜け、街道へ出る事に成功した。あとは町へ戻るだけだったが……暗闇の中、その町がいくつもの明かりを灯し浮かび上がる様が遠くから見え、は首を傾げた。
 こんなに長閑な地方で、真夜中を過ぎてもなお目映く照らされる町なんて早々ない。
 不思議に思いながら、町の入口へついに到着する。恐る恐ると踏み入れたとラースを出迎えたのは、明かりを手に集結している集団だった。身なりなどからして、恐らくは町の警護を担う、自警団だろう。

「あの、一体……」
「あ、あんたら?!」
「おい、戻ってきたぞ!」
「え、え……?!」

 自警団員である屈強な男性達が、大わらわで駆け寄ってくる。途端にラースが牙を剥き出し威嚇したため、の周囲を筋肉質な壁が囲む事はなかったが、注目を浴びている事は変わらない。

「あ、あの、一体何が」

 キョロキョロと見渡しながら尋ねれば、彼らは一斉に「あんた達を探していたんだろうが!」と大きな声で告げた。

 二足歩行の緑竜を駆る若い娘という、良くも悪く非常に目立つ旅人。それが、忽然と宿屋から姿を消した。宿屋の女将が不思議に思い気に掛けていたが、いくら待っても戻る事はなく、その上獣舎は不自然に荒れ、中にいる馬達は落ち着きなく嘶いている。
 いくら希少な竜が傍らに居るとしても、あんなに若い娘に何かあったら大変だ。
 徐々に不安を強めた女将に声を掛けられ、自警団は今の今まで見回りなどをしてくれていたのだという。

 とラースが大変な事態になっている時、町もちょっとした騒ぎになってしまったようだ。

「それは……すみませんでした、お騒がせしてしまって」

 が深々と頭を下げれば、ラースは面白く無さそうに鼻を鳴らす。何故頭を下げなければならないのかと、自尊心の高さが透けて見えるようだった。はぺちりとその首を叩き、自警団へ事情を説明する。
 町に滞在していた冒険者集団の男達が、竜の素材目当てにラースを薬を用いて連れ出そうとし、またそれを目撃した主人であるも連れて行かれた。だが、自力でどうにか抜け出し、たった今ようやく町へ戻ってきた。
 騒がせてしまって申し訳ないと、もう一度頭を下げようとすると、自警団員の一人に止められた。その瞳には、憐憫が浮かんでいた。

「大丈夫、誰も責めたりしないよ。それより、ほら、若い娘さんがいつまでもそんな恰好じゃあ可哀そうだ。早く宿に戻って、女将さんを安心させてあげな」

 見上げた先にある、微笑みを浮かべた男性の面持ちは、優しかった。あの無法者の男達とは、全く異なる。衣服が裂かれ、外套を羽織り肌を隠すを気遣わしげに見つめ、宿へ戻るようにと促してくれた。
 足元がよろめいていたのは傍らの緑竜のせいであったのだが……その言葉に素直に頷き、宿屋へと戻った。
 心配し送り届けてくれた自警団員に、あの男達が居るだろう場所を伝えたから、きっとすぐに行動へ移してくれるだろう。
 宿屋へ戻るなり、出迎えた女将の渾身の抱擁を受けながら、はようやく安らぎを得た。


 希少な竜との旅は、人の醜さを目の当たりにする厄介事を引き起こすが――悪い事ばかりではない。
 欲望によるものではない、ただただ身を案じるだけのふくよかな温もりに包まれながら、ありふれた事を思い浮かべる。

 長い夜が――ようやく、終わりを迎えそうだった。


◆◇◆


 明くる日、はラースを伴い、自警団の本拠地へ向かった。
 自警団の本部へ来るようにという言伝をもらった時、一人で向かおうとしたのだが、常になくラースが離れる事を嫌がったせいである。あのまま無理に残したら、獣舎を破壊してでも追いかけて来るだろう。
 とはいえ、くっつきたがりの弟分を連れ到着した本部で、屈強な自警団員達を引きつらせる結果になってしまった事は、少しだけ申し訳なく思う。

 本部をざわつかせた後、は自警団のリーダーと面会する事になった。
 呼び出された理由とその内容は、考えるまでもなく、真夜中の騒動の件であるが……。

「最初に言っとく。お嬢さんに罰だとか、そういうのは全くないからな。全面的にあいつらが悪い。今回の件で、ようやく吹っ切れた」

 首を傾げたに、彼は教えてくれた。
 どうやらあの冒険者の皮を被った無法者達は、もともと歓迎されていない、好まれていない存在だったらしい。
 この町を拠点にし近郊で活動しているが、普段から素行が悪く住民達からの評判も最悪だった。しかし、腕が立つ上に目に見える直接的な悪事をしている訳でもなかったため、どれほど組合へ嘆願しても強い制裁などは期待出来なかった。追い出す事も叶わず、諦めかけていたが……今回の一件で、その踏ん切りがつきそうだと、彼は表情を怒らしめた。

「素材目的の拉致、挙句、若い娘に手を出した。人間のクズだ、そういう奴らは、この町にはけして置いとかねえ」

 これから余罪も叩き出し、町から永久的に追い出した上で、冒険者組合からも重く罰してもらう。凶悪に笑う面持ちから、相当な鬱憤を日頃から溜めていたという事が見て取れた。

「だが……若い娘さんのあんたには、怖い思いをさせた。それは、俺達の責任だ。悪かった」

 屈強な身体を折り曲げ、頭を下げた男性に、はすぐさま上げるよう促した。

「良いんです。私の代わりに、ラース……この竜が、ばっちり報復してくれましたから」

 の言葉に呼応し、ラースがグルグルと重厚な唸り声をこぼした。

「そ、そうか……そう言ってもらえるのは、ありがたいが……。あ、ああ、それとな、嬢ちゃんから教えてもらった廃墟だが」
「はい」
「さっそく、朝方に人をやった。うちの連中、そろそろ戻ってくる頃だろうよ」




 ――男性の言葉通り、それからほどなくし、出払っていた自警団員が町へ帰還した。
 大通りに集まる観衆の後方から、とラースもひっそりと見つめる。
 団員達に囲まれ、縄を縛り付けられた男達が、後ろに連なり歩いていた。ラースの素材欲しさに薬まで持ち出した、あの冒険者の男達だ。
 住人達の冷たい視線の集中砲火を浴びながら陽の下を歩む彼らは、随分と憔悴しきった様子だった。昨晩は暗かったせいで分からなかったが、身体のそこかしこを負傷させ、足元がかなり覚束ないでいる。壁際にまで吹っ飛ばした頭突きと、とどめの足蹴は、相当な威力だったらしい。
 だが、彼らにとって最も屈辱的であったのは、衣服をきちんと着せてもらえず肌が露出した情けない恰好のまま、冷ややかな観衆の中を歩く羽目になった事だろう。

(私が最後に縛った、あの縄。解かなかったんだな)

 老夫婦に習った結び方は、良い仕事をしたようだ。胸の奥底に残っていた最後の苦い一滴が消え、スカッとした晴れやかな気分を覚えた。
 大切なラースを、素材目的で連れ去ろうとしたのだ。当然の報いである。

 これから彼らは冒険者組合の監視のもと町を出て、隣町へ連れて行かれるそうだ。そこでの件を含め、他の罪を全て余す事なく叩き出し、相応の重い罰を受けさせるのだという。
 あの情けない、恥ずかしい恰好のまま。

「ふふ、ざまあみろ、だね」
「グオウッ!」

 せせら笑うように鳴くラースの頭を撫で、も男達を笑ってやった。


◆◇◆


 穏やかさを取り戻した町で、簡単な依頼で路銀を稼ぎ、旅道具の補充と身なりの整備を行う日々が数日続いた。
 そして、町を訪れてから一週間ほど経った今日――ついに、町を出立する事となった。

「お世話になりました、女将さん」

 がぺこりと頭を下げると、宿屋の女将は寂しさを隠さない溜め息をこぼした。

「寂しいねえ……おばちゃん、だんだんちゃんの事、娘みたいに思い始めてたのに」
「私も……」

 今や遠い家族を、彷彿とさせた。

「ふふ、嬉しいねえ。ほら、これは餞別だよ」

 女将はエプロンのポケットから、小さな布包みを取り出した。
 ふわりと香る、甘い砂糖とバターの香り――焼き菓子だ。

「無事に、故郷へ帰るんだよ」

 裏表のない、温かい優しさ。はぎゅっと唇を噛み、女将のふくよかな身体に抱き着く。頭を撫でるその手のひらを忘れないと、静かに心の中で呟いた。



 あの地獄から抜け出し、老夫婦のもとから旅立ったあの日――あれから、いくつかの町村を訪れ、そこで暮らす人々と触れ合った。
 とラースに好意的な人もいれば、遠巻きにし、時に敵意を向ける人もいる。最悪、今回のように良からぬ事件に遭遇する事も稀にある。人の醜さ、浅ましさを目の当たりにするたび、あの地獄とそう変わらないなと思う。
 世界は、取り立てて優しくはないのだ。

 けれど、悪い事ばかりではなく、行く先々でささやかな出会いと温もりに触れ救われる事もあるのだと素直に思えるのは――間違いなく、ラースの存在のおかげだ。

 子犬ほどの大きさの子竜の頃から、何人にも従おうとしないその気位の高さに、あの時確かに羨望し、勇気付けられていた。でなければ今、生に齧り付く事も、人の道を踏み外さないでいる事も、出来やしなかった。

 この頃、特に思う。世界は――たぶん、とても綺麗だ。

 あの檻の中にいても、一人きりで居ても、思い出す事のなかった感情だ。

 顔見知りになった人々に手を振り、町を出て、緑の中に真っ直ぐと敷かれた街道を臨む。爽やかな香りを含む涼しい風が横切り、は深く息を吸い込んだ。

「――さ、行こうか。ラース」

 荷物を括り付けた緑竜が、静かに伏せる。その背中に取り付けた鞍へ跨り、手綱を握れば、ゆっくりとラースは立ち上がった。

 また一つ、町を離れ、新しい町を目指す。とラース、人攫いに遭った者同士の長い旅が、再び始まる。
 未だ遠く彼方にある故郷を見つめ、はラースを走らせる。若い緑竜の足は、力強く大地を蹴り、駆け出した。



さくっと読める、二足歩行系竜(馬サイズ)と人間娘の物語でした。

こういう、エグさグロさのない愛ある異種姦モノが好きなんですが、残念ながら見当たらないため自給自足。誰も書かねえなら俺が書くしかねえ!

マイルドな風味ですが、お口に合いましたら光栄です。
そしてあわよくば、誰かの心を鷲掴みにしますように。

◆◇◆

投稿サイト【ミッドナイトノベル】に掲載しています。
その際に添えた別名義は、熟考を重ねとても気に入ってます(笑)
笑っていただけたら光栄。


2019.09.07