01

 他愛ない約束を拠り所に、頑張った結果がこれである。
 本当、世の中ろくなもんじゃない。

 かつてない苦々しさを噛み締めて、は虚無を眺めた。それで目の前の現実が変わるわけもない事くらい知っているが、何だかもう、気力が片っぱしから抜けてゆくからどうしようもない。

「――――さあさあ、次の品はこちら! 混じり気のない、純正の雌の人間でございます!」

 ワインレッドの緞帳が左右に割れた、小さなステージの中央へと、は引き出される。目が眩むほどの照明が円状に照らしているけれど、対照的に周囲は薄暗く陰っている。はっきりと区別はつかないが、おぼろげな暗がりから正しく品定めをする視線が幾つも向けられている事は、肌で感じ取った。頭上から注ぐきつい光も相まって、は目眩を覚える。
 胡散臭い小奇麗なステージ。怪しげな売り手と買い手。そして、引き出される《品》。悲しいかな、此処はそういう会場だ。
 なおさら、の思考は逃避するように、自身の過去を振り返り始める。


 思い返せば幼い少女時代――――物心ついた時から既に、は下働きの生活に明け暮れていた。
 さして珍しい話ではないが、生まれた家が貧しく日々の暮らしも大変で、幼い内から下働きとして働いていた。いわゆる、出稼ぎというやつだろうか。けれど直ぐに家族を亡くし、ぽっと世間に放り出されてそのまま孤児に。そのままどこぞで倒れていてもおかしく無かったのだが、幸運な事にその後孤児院に入る事が出来て、手つかずだった学と生きてゆく術、それと寝泊まりする場所を得られた。幼いが何とか生活は出来ていたのは、周囲には同じような境遇の子がたくさん居て、互いに協力し合ってゆけた事も大きいだろう。勿論、孤児院や、孤児院に協力していた人々にも何度も助けて貰った。
 はそこで針子の技術を得て、きちんとした働き先を見つけた。好きこそものの上手なれと、何処かで聞いた。その通りだった。こんな境遇であったから、キラキラした洋服やお姫様が着るドレスなどへ幼心に憧れていたのかもしれない。
 それからは、は針子と下働きの仕事を渡り歩いて生活してきた。気付けば、拾って貰った孤児院は遠く、生まれた村にいたっては遥か彼方のところに立っているほどに。村に戻ろうとは思わないけれど、孤児院には一度戻って手紙だけでなく生の声もきちんと届けたいと思っている。

 辛く寂しい気持ちを耐えきれない夜は何度もあったけれど、は雑草根性で切り抜けてきた。少なくとも、そんじょそこらの柔な精神ではなくなったのは確かだ。
 ついでに、おかげで立派な嫁ぎ遅れの18歳にもなった。近頃は慎ましい家庭に想いを馳せる事も多くなった。

 ……まあ、そんなしぶとい心であっても、現状どういうわけかこんな怪しげな市場に立っているわけで。
 色々と、泣きたい。


「年は18歳、髪色はハニーブロンド、目の色は明るい薄茶色。まあ、何処にでもありふれた凡庸な人間の雌です」

 ほっとけ! は睨みそうになったけれど、首に付けられた首輪と鎖が先に引っ張ったので、ぐっと呻いただけに終わる。簡素の簡素、ただの木綿生地のワンピースに包まれたの横には、饒舌に品の説明をする売り手と、品の鎖を引く別の人物が佇んでいる。の抵抗なんて、ただ爪先で引っ掻かれた程度のものだと分かりきった事だ。
 本当は、泣きたいほどに怖かった。けれど、そうしたらますますどうしようもない事態になりそうだったので、は気丈に振る舞う。それはただの、意地であった。

 なにせ、この怪しげな会場は。

「少々性格は強気ですが、人間の雌は脆弱で躾も容易かと。そちらの狼の旦那様も、そちらの蛇の旦那様も、簡単に手懐けられるでしょう」

 ――――この通りに、人間ではない獣や爬虫類の種族――俗に獣人などの異種族のみが参加している、市場なもので。

 の説明をする売り手も、を拘束する関係者も、スポットライトの照らされる壇上の下互いの姿と顔を認識しないよう暗く影を落とす席に座る買い手も、恐らくは全て――――人間ではない。


 世界には、様々な種族が広く生活しているという。人間という種族も、その内の一つ。土地柄や気候などによって暮らす種族は様々で、大昔は異種族同士の交流は無いが、現在ではあちらこちらで交流があるという。
 とはいえ、その比率と積極性は土地と国によってまちまちで。全く無いところもあれば、毎日お祭り騒ぎのところもあったりとするらしい。が暮らしていた地は、その中間といった具合だった。渡り歩いた針子と下働きの仕事の中で、獣の耳と尻尾が生えた人や、全身鱗で覆われた人、はたまた言葉を喋る蝶々にだって出会った。だから別に、驚く事はたびたびあっても偏見はないつもりだ。
 ない、つもりだが。

 けれど、現在のこんな状況に置かれてしまっては、笑ってもいられない。異種族の差異は、本当に大きいのだ。


(自分のせいといえば、自分のせいなんだけど)

 だからってこんなところに売り飛ばしてくれるなんて、酷い話だ。思い当たる節はにも物凄くあるのが、あれはむしろ正当防衛であるから咎められる理由はないと思っている。が、結果はこれだから、余計に目は遠く虚ろになる。

 しぶとく、生きていけるだろうか。買われたとしても、売れ残ったとしても。

 きつい照明に顔を伏せて、瞳を細める。気丈に振る舞っても、己の事を饒舌に売り出す文句を遠くで聞くと、やっぱり涙は直ぐにでも溢れそうだった。
 結構、頑張ってたんだけどな。はステージの中央で、ぽつんと思う。心配してくれる家族は遥か遠く、この場には一人ぼっち。裸足で座り込んだステージは冷たさを殊更に感じさせて、世間に放り出された過日の幼少期をふと思い起こさせる。


 幼子の内から現実を認識していたとしても、過ごす日々の全てを耐え抜いたわけではない。ただ一人で放り出された世界は、途方もない孤独感を幼かったに与えてきて、孤児院の外でわんわんと泣いた事なんて数え切れないほどにある。
 そんな少女が、現在のように強かにいられるのは――――。

「一人ぼっち? へえ、なら一緒だね、俺もそうだよ」

「ねえ、アンタ名前は? 俺は――――」

 孤児院の外で泣いているに、そう笑ってきた少年と出会ったからだと思う。

 その子は、泥なのか埃なのか分からないけれど、頭の天辺から爪先までいつも薄汚れた身なりをしていた。も大概貧相な格好であったけれど、その子も負けず凄かったのは今も記憶に鮮明だ。
 少年と言っても、人間の悪ガキではない。その子は腕も足もしなやかな毛を有して、長い尻尾が生えて、なによりその頭部は――――細いひげも伸びていた、猫の顔で。
 少年は、猫の獣人だった。
 どうして彼と仲良くなったのかは、今もよく分からない。同じ境遇の人であると知って、親近感があったのか。それとも人生で初めて出会った異種族がこの少年で、興味があったのか。少年は、当時のとも年が近いだろう話し声であったのに、にはその時持つ事なんて叶わなかった強かさを確かに内包していたのだ。憧れも、あったのかもしれない。幼いはそれからというもの、その猫の少年によく懐いた。
 彼もたびたびへ会いに、決まって正午の鐘が鳴る頃に孤児院の外に立っていた。年上風を吹かせていたから、子分のように思っていたのかもしれない。もそうやって構って貰える事は嫌ではなかったから、彼が外に立っているといつも走って出て、少ない時間を共に過ごした。
 薄汚れて、全体的に灰色な埃っぽい出で立ちをした彼を、ほとんどの子は忌避していた。種族ではなく、外見が理由だろう。けれどは、彼の事を怖く思う事はなかった。猫の少年の瞳は、大きな綺麗な形をしていて、何よりも其処に宿る色彩が見惚れるほどに素敵だったのだ。二つの瞳は、片方は金色、片方は青色を宿していて、黄色いお花とお空の色だなんて思っていた。
 いわゆる、オッドアイと呼ばれる瞳だった。
 何の変哲もない薄茶色の瞳であるには、羨ましくなるほどに綺麗に見えたのだ。

 彼はよく、己の事を「野良猫」と称していた。そっちの方が逞しそうで良いだろう、とは彼の言葉である。それが何故かとても格好良く聞こえたから、も「じゃあ私は雑草になる」なんて言って笑った。
 そういえば、その頃からかもしれない。から気弱さが抜けて、少年のような強かさが芽生えてきたのは。

 孤児院の女子が針子の練習を始めた時に、真っ先に食いついてのめり込んだのはであった。指先に何度も針をぶっさして血を滲ませながらもチクチクと縫って、思い浮かべていたのはお姫様が着るドレスが作りたいという、ほんの児戯のような夢物語。別にそれが叶うなんて思ってもなかったけれど、そうして想いを込め、初めて一人で作り上げたハンカチーフは、猫の少年へ渡した。
 いつも薄汚れていたし、これで綺麗にして欲しい。せっかく素敵なお花とお空の瞳なんだからと、ませた事を言ったような気がするが記憶は定かでない。けれど、年上風を吹かせる少年が、その時初めて酷く驚いた表情をに見せた事だけは、鮮明だ。猫は存外表情豊かであると、幼いも思ったほどである。
 土埃と灰色の薄汚れた毛の中に浮かぶ、金と蒼の綺麗な二つの瞳は、とハンカチーフを交互に見つめていた。決してお世辞にも上手なんて言えないハンカチーフだったのに、彼は下手なんて馬鹿にせず、大事そうに握りしめていた。そして、へと言ったのだ。なら将来、誰よりも上手なお針子になって、今度はもっと特別なものを俺に作ってよ、と。

「うん、つくってあげる! が、ルシフににあう、おようふくでもなんでもつくるよ!」

 得意げに胸を張った幼いの前で、薄汚れた少年は笑っていた。
 その時、の細い足には、少年の汚れた細長い尻尾が巻き付いていた。埃まみれだったけれど、しなやかで柔らかい感触が、の足を包んでいた。


 ――――本当に。
 本当に、ただの幼い口約束。何て事はない、他愛ない子どもの約束だ。けれどにとっては、あのいつも汚れていた猫の少年との約束が、拠り所であったのは確かだ。いつか忘れて、思い出へと変わってゆくものだと知っていたが、針仕事が一番の得意になるまでずっとはその約束を捨てずに抱えていた。

 汚れた猫の少年は、いつからかの前に現れなくなった。何故だったのかはには分からない。そしてが、お針子仕事と下働きの職場を見つけて孤児院を離れるまで、少年はやはり姿を見せなかった。
 その時既に、思い出の約束になっていたのだ。

 が、今も鮮明に覚えているくらいだから、にとってはある一つの支えである事は間違いない。もし再会する事があったら、今度はうんと上手に作り上げたハンカチーフを渡してあげよう。そして何か、現在の彼に似合うものを作ってあげよう。野良猫な貴方のおかげで、こうして雑草根性を立派に根付かせ逞しくなれたと、らしくもない感謝なんて添えて。

 ルシフ。
 いっつも汚れていて、不思議な強かさを秘めた、猫獣人の少年。

 そう、淡く思ってきたわけだが……。



 ――――他愛ない約束を拠り所に、頑張った結果がこれである。
 本当、世の中ろくなもんじゃない。

 そして冒頭の、この台詞である。
 あの薄汚れた猫の獣人の少年との約束を、ただ覚えてやってきただけだというのに。は何故か、こうして真っ当じゃない競売に掛けられている。悲しいかな、現実とは酷である。
 誓っては、薄ら暗い事に手をつけた試しは一度だってない。というより、そんな度胸のない一般人として、至極真っ当に生きてきた。今後もそうでありたいと思う。

(……嫌だなあ、私、どうなるんだろう)

 過去に思いを馳せたら、なおさら泣けてきた。今頃大きく成長したであろう野良猫の少年との約束は、文字通りの儚い希望に終わりそうだ。(いや、そもそも叶うものではない淡い思春期の思い出であるが)
 首輪と鎖の重みが、ずしりとの全身に重くのし掛かった。

「――――さあさあ、では早速始めましょうか!」

 そんな言葉が聞こえて、は肩を跳ねさせて顔を上げた。
 気がついたら、もう値段が掛けられるところにきてるー!
 きつい照明が照らす壇上の外、薄暗さを帯びる空気がにわかに動き始めた。ぐいっと鎖を引かれて眉を寄せながら、も様子を窺った。

「まずは10から。10から始めましょう」

 10、とはいくらなのだろうか。もしかして10セスタ(貨幣の単位)だろうか。だとしたらもの凄く安い。何処の子どものお小遣いだ。それはそれで傷つくぞ、なんて心の中で思うを余所に、競売は始まる。
 10から始まった数字は、次第に20、30と値を高めてゆく。それでもやっぱり、決して高くはない。壇上の外を眺めていた為か、視界が慣れてきて幾らか周囲を判別出来る。特にを競り落とそうとしているのは、彼女から見て一番手前の人影。もちろん、人間の輪郭でない事は直ぐ様に理解する。

 競売にかかる熱気が、値段と共に高まってゆく。それとは裏腹に、の心はどんどん冷え切ってゆく。ステージの冷たさが足の先端から全身にゆっくりと回るように、の思考も落ち窪んでゆく。
 ふと、は顔を上げてきつい照明の向こうを順繰りに見てゆく。鎖と首輪の重みがかかる首を動かし、何の気もなしに見つめた。

 ――――と、その時。の視線が、ある一点で止まった。

 暗がりの中、壁際に佇む細身の影が動いた。するり、するり、と熱気をかわすような動作で、席を縫い進む。それは、少しずつ、今正にの競りが始まったステージに近付いている。
 全貌は全て見えないけれど、その影も人間ではない。だが、何故だろうか、薄暗い空気を裂くような強い眼差しをは感じ取った。その細身の影は、他の誰にも目もくれず、を見つめている。顔につけているのは……仮面だろうか。そうか、こんな市場だ、顔が割れてしまっては駄目なのだろうと暢気に考えた。

(……どうしてそんな風に、見つめてくるんだろう)

 こんな市場だ、何を欲しがったっておかしくはないけれど。細身の影にとっては、はそんな眼差しを受けるに値する品に映っているのだろうか。一番手前の、あの人物のように。

(……どうせ買われるなら)

 ああいう、細身の影の方が良いな。無駄がなくて、シュッとしている雰囲気の方が。そうしたらまだ、競り落とした人物を主として見て生きられるような気がする。脂ぎったり太っていたりより、断然良い。実際の扱いは、どのようなものかは知らないけれど。
 はぼうっとする頭のまま、ゆっくりと近付いてくる影を見つめた。互いの視線は、明らかにぶつかっている。その姿が判断出来るところにまで来た時、はその影が何であるのかも理解した。

 細身の影は、しなやかな長身だった。ステージの外は薄暗いので正確な色の判断はつかない、暗色のロングコートに包まれた身体は……女性ではなく、男性の形をしている。長い手足はシュッと伸びて、しなやかさの中に鋭利な涼しさも含まれている。その顔にはやはり仮面があったけれど、何となくだが、分かった。
 仮面の上には、ピンと立った、真っ白な三角の耳がある。横に伸びた細いひげも窺えて、コートの後ろでは不快そうに揺れる長い尻尾だ。この暗がりの中でもはっきりと浮かび上がる、真っ白な体毛。
 それは美しい、真っ白な毛並みの――――白猫の獣人だった。
 僅か少しのくすみすら無いような、見事な純白。暗色の衣服を着ているから殊更にそれが引き立てられ、何て綺麗なのだろうと、は己の境遇を一瞬忘れ見惚れた。渡り歩いてきた働き先で、猫の獣人とも出会ってきたはずなのに。今とても目を惹かれていたのは、つい過去の出来事に想いを馳せてしまって、脳裏にあの薄汚れた猫の少年と比べてしまったせいかもしれない。あの真っ白な猫も素敵だけれど、野良猫と自称した少年の小汚さはむしろ親しみを感じさせたかもしれない。


 ……なんて、悠長に考えている場合ではなかった。


「――――500! さあ、500以上のお客様は、いらっしゃらないでしょうか!」

 は、ハッと意識を戻す。熱く滲む空気に、その次の声は上がらなかった。
 500セスタも、そう高くはない。が働いていた時も、月々のお給金は何処も大体200~300セスタの間だった。一般の下働きが得る金額よりちょっぴり高いが、ほぼ同等で、目玉が飛び出すほどでない。それが、の値段なのだろう。
 ステージに一番近い席に座った、500の数字を挙げた影から笑みが聞こえた気がする。ああ、あの白猫の獣人よりもずっと太い……人間と比べ異種族の屈強さは言わずと知れているけれど、あれは屈強さとは違う部類の太さである。
 あ、あの人に、買われるとか……。
 最後の望みがついに絶たれた。の頭が、がくりと力を失い下がる。蜂蜜色の髪が、きつい照明に力なく光を反射させていた。



「――――1000」



 熱を帯びた空気が一瞬、水を打ったようにしんと静まり返る。
 うなだれたの耳にも、その声は聞こえた。競売人の声よりも、市場に行き交う声よりも、若いながら静かな芯の含む男性の声。何処か青年のような、張りのある高さも感じさせた。
 はバッと顔を上げた。視線がぶつかったのは、あの白猫の獣人だった。仮面の向こうにあるだろう瞳で、熱く、脇目も振らず、を見つめている。
 驚いて、は口を半開きにした。一縷の光である事は確かだが、けれど。

 熱気を孕む会場の空気が、次第にざわつき動き出す。

「さあ、1000! 1000が出ましたが、他には!」

 500の数字を出した人物は、苦く息を吐き出すと直ぐ様に「1100!」と放った。あっちはあっちで私の何が良いのだろうと、は疑問に思ったものの、商品である彼女はこの二者による争いを壇上から呆然と見守る他ない。
 白猫の獣人は声を変えず、「1200」とすかさず更に上げる。

「――――に、2000!」

 途端に起こるどよめきは、どちらかといえば面白い勝負への歓声にほど近い。何の変哲もない人間の雌へ、金額を跳ね上げ競り落とそうとする両者の一騎打ちは、きっと見物なのだろう。これ以上はさすがに、とでも言うようにその人物は息を吐き出したけれど、白猫の獣人はその声に静かな笑みを浮かべ。


「――――3000」


 会場の空気が、かつてない熱気に支配された瞬間であった。
 飛び出した値に、それ以上の上乗せをする者などいやしない。一騎打ちを演じた人物が、会場の片隅で落胆と驚愕を綯い交ぜにし肩を落とす。それが、勝敗の結果でもあった。
 その最中、壇上のは、当事者でありながら息を飲み込んだ。3000セスタなんて、そんな、一体何処の富裕層の大金だろうか。そして、そんな値がつけられて完売御礼となった己も、一体どういう事だろうか。先ほどとは異なる脱力感に襲われながらも、の視線はやはりあの白猫の獣人と交わされていた。
 白猫の獣人は、これから馬鹿みたいな大金を支払うというのに、まるでこの場の空気になど興味の無さそうな冷淡な佇まいをしている。けれど、優雅な白く長い尻尾を左右に踊らせ、仮面の向こうにある瞳は、絡めるような眼差しをへ注ぎ続けている。薄い粗末なワンピースの下にある、の四肢にすら伝わるほどの、熱い眼差しを。

 きつい照明の照らす小さなステージと、対照的に薄暗い客席の位置で。と、を競り落とした獣人の、その不思議な見つめ合いは彼女が緞帳の袖へ引き下げられるまでしばらく続いていた。
 互いの姿が見えなくなるその直前まで、美しい白猫は、やはりを見つめていた。


 こうしての、人生最大の出来事であり事件は、謎の獣人の大金と共に終了した。いや、正しくは、始まりかもしれない。



■白猫の獣人と人間のお話。

犬とは違うつれない仕草や、そのくせ時折べた甘にくっついてくる、猫特有の仕草も……可愛いですよね……。それを目指したくて書き始めてみました。


2015.07.03