花に白猫(1)

 異種族たちが偏りなく暮らす街に、楽しげな浮き立つ雰囲気があった。
 歩き慣れた通りには赤やピンクといった華やかな色が添えられ、建物や店先の装いは普段とはまるっきり異なる。行き交う人々や店の従業員など、誰もが和やかな微笑みを浮かべて街並みを眺め見ている。もちろんその中に、も含まれていた。
 これから何か特別な事があるだろう予感を抱かせる、華やかさを纏う街の景観。
 は直ぐに思い出した。

 そうだ、そろそろ《花飾りの祝い日》が始まる時期だ。




「ああー、そういえばそんな事もあるな」

 自宅のソファーで寛ぐ白い美猫の獣人――ルシフは、そんな気の無い返事を返した。
 「もう、大切な事なのに」はほんの少しだけ唇を尖らせ、ルシフの隣へどっかりと腰掛ける。

「でも、色々あったからね。忘れてたのも仕方ないか」

 とルシフは視線を合わせ、笑みを交わす。
 色々、というのは、もちろんとルシフの現在に至る出来事のあれこれである。

「一年に一度の祝日だからね。お祝いしなくちゃ」

 花飾りの祝い日――――年に一度ある、誰もが知っている世界的な祝日だ。
 異性、同性、立場、種族など問わず、日頃の感謝と気持ちを伝え、一般的には贈り物をし合う日だ。贈り物を渡す相手が男性ならお菓子、女性なら花束というのがセオリーであるが、もちろん真心を込めたものならば何でも良い。伝え聞いた話では、花をモチーフにしたネックレスを贈った男性や、甘いものが苦手な男性に可愛いボトルのワインを贈った女性がいるらしい。
 その際には、赤やピンクといった系統の色彩、あるいは花を添える事が約束とされている。

 世界的な祝日となれば、各地はお祭りのように盛り上がる。
 例にもれず、この街もそうだ。

「街の通り、一気に華やかになったね。赤いリボンと花飾りがすごく綺麗で。びっくりしちゃった」
「派手だろ、あれ。この街の、毎年の定番」

 花飾りの祝い日は、各地で大々的に祝うが、その方法というのが実は異なる。この街のように全体の装いを赤く華やかに模様替えして盛り上げるところもあれば、その日限定の催しものを開くところもある。何処だったかは定かでないが、大勢の前で日頃の感謝や想いを叫ぶ、なんていう大胆な催しもあるそうだ。
 場所によって様々だが、至るところで華やかな雰囲気となり、祝日を祝う。それほど、この日は特別な存在となっているのだ。

「ごちそうを作らないとね。あ、それと赤い花も用意して飾らなくちゃ」

 は上機嫌に笑い、構想を練る。花が咲いたような彼女の横顔は、本当に楽しそうだった。ルシフは口元を緩め、を眺め見る。

「楽しそうだね、
「そりゃあ、もちろん。この街に来てから初めての祝い日だし」

 それに。の頬に浮かんだ笑みが、仕草を変えた。

「お祝いどころじゃ、なかったからね。今まで」

 貧しい家に生まれ、幼い内から奉公に出た。両親が病で倒れ運良く入る事の出来た孤児院で、お針子の勉強を人一倍頑張った。成長してからも、働きづくめだった。
 今まで花飾りの祝い日なんて、心から祝った事なんてあまりなかったように思う。
 大きな祝日なのに、その風景を何処か冷めた目で見つめていたような気がする。そこに自身が立っているという実感さえも、酷く薄かった。何を祝えば良かったのか分からず、感謝を祈る相手も本当に限られていたせいなのだろう。
 祝日自体は嫌いでなかったけれど、ただ雰囲気に便乗していただけだ。心から、何かに祈っていたわけではない。

 ――――けれど。

 は顔をふっと横に向ける。ソファーに腰掛ける優雅な白猫の、青色と黄色のオッドアイと視線が交わる。

「今年の祝い日は、すごく楽しみ。ルシフが居るもの」

 蜂蜜を溶かした艶やかな金髪に負けない、明るい微笑がに浮かぶ。ルシフは面食らい、むず痒く細いひげを震わせた。誤魔化すように長い足を組み直し、肘掛けに頬杖をつく。

「ルシフは? そういうお祭りは、あんまり好きじゃない?」

 は隣から覗き込むように身体を傾げる。ルシフはちらりと横目に彼女を見ると、前触れもなくその腕を引っ張り、自らの身体へ抱き寄せた。はルシフの胸に顔を打ち付け、身体をもたれ掛ける。
 オッドアイの美しい白猫の頭部が乗っかる身体は、見た目は細くしなやかだけれど、男性的な逞しさを有している。を抱き込んだ腕の強さは、獣人の男性そのものだった。
 白い毛皮が覆う手での背中を撫で上げる。首筋を掠め、耳元の髪をくるりと弄ぶ。悪戯な仕草にはくすくすと笑った。

「まあ、嫌いじゃないかな」

 興味のなさそうな、素っ気ない言葉。けれど、言葉だけだ。呟いた青年の声は嬉しそうに笑っていて、抱きすくめる腕は優しい。
 それに。
 は髪を撫でられながら、笑ってしまう。くるりと回っていた優雅な尻尾は、の足首に絡まっている。口では決して言わないのに、そういうところでは雄弁な仕草が、何ともルシフらしいとは思った。


◆◇◆


 花飾りの祝い日に向け街や人々が華やかに盛り上がってゆく中、一市民であるも準備を進めていた。職場の工房で働く同じ針子のお姉様方に、この街でのお祝いの方法や、食卓に並ぶお祝いの料理などを教えて貰った。自宅に飾る花は前日に用意するが、可愛いフラワーアレンジメントをしてくれる店も決めた。
 だてに幼い頃から奉公生活に明け暮れていたわけではない。性格に合わないとよく笑われたが、この辺りはの得意分野なので、滞りなくはかどっていた。

 ただ、一番の問題であるのが。

(ルシフへの贈り物、何が良いかな……)

 何かと世話になっている茶虎の猫獣人シズや職場の同僚であるお姉様方への、感謝の贈り物はすぐに決まった。ストロベリーチョコを纏わせた、花の形のクッキーだ。決して少なくはない人数なので、大量に作れる菓子は心強い味方だと思う。
 ただ、ルシフには、もっと別なものを、彼だけに渡すものを用意したいと考えた。

(ルシフって何を貰ったら嬉しいんだろ)

 は以前、懇親の力作である青いストールを贈った。その後、彼は頻繁に活用してくれている。言葉にこそしないけれど、上機嫌な空気はそのシュッとしなやかな姿から放たれていた。職業柄、普段からもっと上等なものを見ているだろうに、嬉しそうに使ってくれるのだ。そんなルシフに、は密かに幸せを噛みしめている。
 恐らく、彼はきっとどんなものを贈っても喜んでくれる。その優雅な外見に反し、意外とずぼらで、周囲には細かいわりに自身に関わる事には無頓着で、そのくせ読めぬ気まぐれな行動で大いに翻弄してくるけれど、根っこの部分は優しい芯が通っているのだ。
 もちろんそんな事を言えば、あのルシフの事だから照れ隠しで拗ねてしまうだろう。そういうところが、やはり猫らしい。

 突っぱねずに受け取ってくれるだろう事は察しても……出来れば、特別な人には、もっと喜んで貰いたい。

(ヘタに高級なものに手を出したって大惨事にしかならなそうだしなあ。やっぱり身の丈にあったものだろうけど……ううん、何が良いかな)

 は頭を捻りながらも、胸の中の温かさに自然と笑みをこぼした。
 こんな事は、本当に今までなかった。誰かのために贈り物を考える事も、花飾りの祝い日を楽しみに待ち望む事も、全て。

 感謝している。ルシフには、本当に。

 はちらりと自らの左手を見下ろす。薬指を彩るものは、今日も淡く輝いている。ふふ、と頬が綻ぶ。

 願わくは心から想うその気持ちも、彼に伝えられたら嬉しい。

 そんな風に考えた時、「やだ急に女の子みたいな考え方して」と自身を茶化す。そして、再びはりきって準備などに力を入れるのであった。



2016.04.02