じきに運命が追いつくから(2)

セルギスとレイリンから、《G級》というモンスターについて聞いたのは、直ぐの事だった。

ユクモ村支所ハンターズギルドに寄せられる依頼は、二つのランクに分けられている。
一つは《下位》、初心者向けな採取依頼やタマゴの運搬依頼など比較的成功し易い依頼が多く、モンスターも若くさほど強くはない個体ばかりが多いランクだ。
もう一つは《上位》、下位と比べれば言わずもがな難易度は跳ね上がり、非常に屈強で大きく危険なモンスターを相手とする狩猟依頼が主になる。五体のモンスターを次々と倒す連続狩猟依頼、上位ランク最高位のハンターでなければ受注すら許されない巨大な竜の討伐など、並ぶ依頼は軒並み常軌を逸している。
影丸とレイリンはこの上位ランクを現在保持しており、セルギスもかつてはこの位置に属されていたという。

……そんな、大概恐ろしいモンスターを相手にする上位。これを優に越えたモンスターを相手とする、腕利きの化け物ハンターのみが到達出来るランク――――それが、《G級》である。

このG級に属されるモンスターは、とりわけ好戦的で体力も攻撃力、耐久力、あらゆる面において上位を遙かに超えおり、その気迫も増して人々を射殺すとまで言われている。
ユクモ村はそのG級狩猟に対応していないが、近年ではより凶暴な個体や真新しい新種が随時発見されるようになっており、別地域ではついにG級狩猟が始まっているらしい。
影丸があの時受けた狩猟は、【狩猟環境不安定】の文字があったという。そのモンスターだけでなく別の大型モンスターの存在があるかもしれない、不確かで非常に危険な状態な場合に付けられる警告だ。あの渓流で、G級蒼火竜――リオレウス亜種が現れたのも、必然かもしれない。彼らは、呟いた。

大概化け物じみた獣たちを、さらに凶悪にしたような存在。そしてそれに挑むG級ハンターもまた同じ。
G級とは、ハンターたちの目標地点であり、分岐点でもある。この厳しい職業を続けるか、否かの。

……そう告げた彼らに、はただ漠然と「恐ろしい」と思った。ああ、恐ろしい。何でそんな獣に挑むのだろう、ハンターたちに守られている一般人如きが口出しする事ではないが、何故高みを目指すのだろう。
そう尋ねると、彼らは少し困ったように笑って、こう返した。

これが、自分たちの仕事であり、生き甲斐だからだ。

誇らしく輝いた彼らが、にはただ眩しくて、視線を下げるばかりだった。きっと分からないのだろう、自分にはきっと、ずっと……――――。

(影丸も、もしかして、そう思っているのかな)


例え傷を負っても、これが自分の選んだ道だと、真っ直ぐ。邪悪に笑って、言ってのけるのだろうか。

であれば自分は……何も、言えなくなってしまうではないか。



―――― 影丸が、G級リオレウス亜種と遭遇してから、早くも数週間が経過しようとしていた。
とレイリン、セルギスは、話し合いの結果、交代で影丸の世話に当たる事となった。といっても、さすがに同性同士の方が都合が良い事もあるので、とレイリンについては主に食事なり洗濯などの簡単な家事の手伝いである。ヒゲツを筆頭にし、彼のオトモアイルーたちが主に頑張っている事もあるので、助力程度のものだ。

一時は空気が沈んでいたけれど、今はそれもない。影丸の家は、むしろ以前に比べ、賑やかになったくらいだ。

……と、言うのも。
全治二ヶ月と静養を言い渡された影丸であるが、最近どうも勝手にベッドを抜け出すようになってしまい、それを連れ戻したり何だりが、頻繁に繰り返されているからで。
どうにも、彼はもともと人体の自然治癒力というものが化け物じみていた人物なのか、わりと早くに二本の足で立って動き回るようになってしまった。その回復力たるや目覚ましく、「実は君、祖先はギィギだったんじゃない?」と医師たちもその謎の生命力について驚いていた。
軽く歩き回るくらいなら、もう大丈夫かもしれないね。ずっと寝ていると、身体が鈍るだろうし。無理のない範囲でなら歩いても平気だよ。
そう告げられ、ほっと安堵したたちであったけれど。

こうなると、あの影丸が大人しくベッドに入っている訳がない。

気付けば、加工屋や農場に居たりするのだから、ぞっとしない。動き回れるようになったと言っても、まだまだ無理はしない方が良いはずであるし、実際は未だ痛むだろう。彼がハンターという職業柄、痛みや怪我等には慣れているから、そもそも安静という単語が見あたらないのかもしれない。
そのたびに、一体その細い身体の何処にあるのだという馬鹿力をもって、レイリンが影丸を引きずりベッドへと連れ戻し。
(レイリン本当に凄い)
そして、セルギスやヒゲツなどから説教をくらい、罰としてネムリ草を食わされている。
(これは病人に対してどうなのだろう)

けれど、食欲も戻り三食しっかり食べているし、ギルドやユクモ村の医師 たちによる治療と薬によって、日に日に回復はしているのも事実だ。あれだけ巻かれていた包帯も多少は減っていて、ガーゼでカバーする程度になっている。
セルギスからも「お前の回復力は、いつまでもしぶといブナハブラか」とまで言われてしまっている。……本当に、大した体力だ。
影丸は、今もベッドの上で、「早く酒を飲みたい」とかのたまっているから、存外復帰するのも早いのかもしれない。
としては、もっと長々休んでいてもらいたいところであるが。
それを言えば、彼は面倒臭そうに首の後ろを掻いて。

「楽じゃねえんだよ……あんま、人に世話されんのとか、なんか」

いかにも煩わしそうに言ったけれど、照れ隠しである事と迷惑を掛ける申し訳なさである事くらい、にはお見通しだ。もちろん、セルギスやレイリン、オトモアイルーのヒゲツも分かっている。

「良いじゃない、たまには。これを機に、どんどん迷惑かけてちょうだい」

いつものお返しとばかりに、にんまり笑っては告げた。影丸はジトリと瞳を細め、の笑みを睨む。「この野郎」と悪態をついて仕方なさそうにベッドへ寝転がったが、その口元に邪悪さのない笑みが浮かんでいたのを、はしっかり見ている。

それからほどなくし、影丸は無理のない範囲で日常生活を送っても良いだろうと許可される事になった。



―――― そもそもの心身の鍛え方が、一般人なんかとは比べ物にならないのだろう。
包帯やガーゼを当てられ、負担を掛けないよう補助の杖を握っても、しゃんしゃんと動く影丸を見ていると、本当にそう思う。怪我なんか既に治っているんじゃないのかというくらいだ。(勿論、実際はまだ静養が必要な身である)
ハンターという職業の人間が身を置く環境は、言わずと知れた過酷な大自然。おまけに身の丈を優に超える巨大な竜や獣を討伐する事を生業とする彼らには、常に命のやり取りをしている。狩場で怪我など気にしていたら、それこそ死んでしまう。そういう事なのかもしれない。痛みへの耐性と、危険な状況下でも発揮される集中力……心底、ハンターというのは凄い職業であると思う。
この世界に身を置いてそれなりに長く生活してきたが、彼らへの畏怖の念は尽きそうになかった。ゲームの世界であるにしろ……これがにとっての現実だ。
から見ると重傷に見える影丸本人は、「治ったも同然」とかのたまって気にしていないようで。もう少し自らを労わって欲しいのが本音である。
けれど当の彼は、人の心配を余所に杖を片手に握り元気良く歩き、農場の整備や依頼状況に余念が無い。生粋の、ハンターというところか。弟子のレイリンが常々不安がる気持ちを、改めても理解する日々だった。
現に今も、集会浴場にある幅広の掲示板を眺めている。今日も今日とてハンターズギルドユクモ村支所に寄せられる依頼は、ペタペタと掲載されている通りになかなか豊作である。それを見上げる影丸の背は、漆黒のユクモ村装束に身を包んでいながら真っ直ぐと伸びている。
集会浴場の清掃員バイトに勤しんでいたは、ホウキとバケツを両手に持ったまま、その背に歩み寄った。

「珍しい依頼とか、あったの?」

尋ねながら、影丸の隣へと並び立つ。を一度見下ろし、それから影丸は口を開いた。

「んー? いや、依頼書の減りを見てた」
「減り?」
「そ、減り」

空いている左手が、依頼書をペラリと取る。そこに書かれている文字は、にはまだ正確には読めない。けれど、添えられたモンスターの絵を見ると……何かしらの大型モンスターの討伐依頼、のように見えた。

「ユクモ村の掲示板に貼ってある依頼ってのはな、大抵がギルド総本部で分配されたりしたヤツだ。これでも、ユクモ村は狩場に近い観光地だしやって来るハンターだって多い。だから此処にある依頼書ってのは、ほとんど別の奴らが受けて達成される。
俺が見てんのは、それじゃなくて、ユクモ村に直接寄せられてるヤツだ」
「直接……つまり、ユクモ村の人たちの依頼ってこと?」
「ま、そうとも言うな。あとは、近くの村からの依頼とかな」

ふうん、とは声を漏らす。何の気もなしに聞いていたが、影丸の次に出た言葉で、ようやく意図を理解した。

「……つまりだ、ユクモ村専属ハンターってのは、それを優先的に受けなきゃならない。大型モンスターの被害は、今までそんなに無かったんだが……なんか急に出てきたと思ってな。
もともと二人で依頼を回していたけど……どうなってるかと、思ったんだよ」

ああ、つまり。影丸なりに、心配はしているらしい。

数週間前、彼はレイリンに告げた。お前がユクモ村ハンターの顔になって依頼をこなせ、と。
あの時、レイリンはそれはもう大層驚いていた。が、あの影丸という師に任された事と、その師が動けないという現実を、何とか受け入れた。応えないわけにはいかないと、十八歳程度の小柄な身体で「頑張ります」と彼女は気合を入れていた。セルギスは「無理はするなよ」と苦笑いをしていたが……。
影丸が静養している現在、二人は依頼を受注したびたび出かけているのを、も見ている。新人ハンターとして再スタートを切ったセルギスは、もとの経験とジンオウガ時代の精神力があるのか何だか新人とは思えない重厚な貫禄であった。新人ハンターにまず最初に支給されるというユクモノ装備が、恐ろしいほど似合っていたのも記憶に新しい。レイリンが並ぶと、彼女の方が空気負けしているのも否めないが、影丸の鬼のような教育が物を言ったようで勇んで狩場へ向かっている。一重に、師の代わりを果たそうといういじらしい健気な姿勢があるのだろう。
それに彼女、一応は上位狩猟に挑む資格を有している。が思う以上に、きっと逞しさに満ちているに違いない。

とはいえ、やはり師の影丸としては、少々不安なところがあるようで。
興味などない、という横顔のくせして、目は感情を物語っている。こういうところが、不器用なのだろう。

「……で、師匠から見て、レイリンちゃんの頑張りはどう?」
「……まあまあだな」

嘘ばっかり。厳しい評価なんかしちゃって。
は隣で、こっそりと笑みをこぼした。本当はきっと感心してるだろうに、それを口に出来ない辺りが本当に影丸の性格を語る。

―――― と、その時。
噂をすればなんとやら。そのレイリンが、ベコバコと目立つ音を立てハンターズギルドの前に現れた。
「あ、さん、師匠!」と花のように笑った彼女は、サイズの合わない長靴――もといグリーブを派手に鳴らして、駆け寄ってくる。ハンター装備を纏っている事から、恐らく依頼を受注しに来たのだろう。腰には片手剣をしっかりと装備し、バックラーも腕に装着している。ついでに足元には、ユクモネコ装備のコウジンが立っていた。

「これから、お出かけ?」
「はい、受注する依頼の目星を付けていたので」
「そっか……頑張ってね、怪我しないように。どれに行くの?」

が尋ねると、彼女はの隣に立ち、掲示板から一枚取り外す。「これです!」と得意げに差し出したのは……見る限り、大型モンスターの討伐依頼書のようだ。手彫り判子の絵が添えられている。
……なんだろう、これ。緑色の、火を噴いていらっしゃる竜のようだが。
がしばし眺めていると、隣に居た影丸が覗き込む。途端、訝しむように「はあ?」と漏らした。

「おいレイリン、これ……」
「リオレイア一頭の狩猟です!」

えっへんと、レイリンは告げた。

リオレイア――――空を根城とする飛竜種に属される、緑色の獰猛な雌の火竜である。
言わずと知れた、《空の王者》と称され多くのハンターが目指す雄火竜リオレウスの、番だ。
《陸の女王》と言わしめる彼女もまたハンターたちが目指す一つであり、討伐経験者は語る――――雌と思って戦うな、鬼と思って戦え、と。

それはがまだ知らない事であるが、ただ漠然と名を聞く限り「なんかヤベエ」と感じたのは確かである。
実際、影丸の顔を見る限りかなり険しい……いやこれは、どちらかというとレイリンに向いているようだが。
影丸の目が、不穏に細められる。

「お前、リオレイアが何か分かってんのか」
「わ、分かりますよ! 飛竜で、リオレウスの番の雌火竜で……」
「そういう事じゃねえ。お前に出来るのかって俺は聞いてんだ」

さらに影丸の目が細められる。レイリンは萎縮して、まるで叱られるように肩を狭めた。
杖を持っても影丸は影丸、その凄みは病人とは思えないほどである。
隣では「ちょっと、何もそんな喧嘩越しに」と声を挟んだが、それよりも大きなコウジンの声で遮られた。

「別に行ってもいいニャ、どうせアンタ病人で動けないくせに! 旦那様は、アンタの代わりにって頑張ってんのニャ!」

コウジンもコウジンで、全く態度が変わらないのだから凄い。むしろ、影丸が負傷している事で、普段に増して強気だ。後が怖いなあ、とは思い、彼らを窺う。
影丸の目はコウジンを見ようともせず、どうなんだと、鋭く眼差しで問い質す。
レイリンは喚くコウジンを抑えつつ、静かに告げた。

「師匠は今まで、村を守ってきたから……私も、せめて任された分は頑張りたいんです。師匠に色々教わったんだから」
「……」
「そ、それに。セルギスさんも色々教えてくれますし、ここでちゃんとしないと……師匠がゆっくり、休めないですから」

大丈夫です、これぐらいしないと、師匠の代わりなんて出来ません。
そう言ったレイリンの表情は、笑みが浮かんでいた。純粋な、屈託のない笑顔。なんて健気な子なのだろうと目頭熱くなるの隣で、影丸はしばし黙った後。
長い溜め息をついて、レイリンの額を小突いた。

「……お前はドンくさい上に直ぐヘマをする。危なかったら、直ぐに戻れよ」
「! は、はい!」

許可して貰えた、とレイリンの目が輝いていた。大きく頭を下げて礼をすると、ポーチの中身をいつものように全て撒き散らしたものの、彼女はその後直ぐにユクモ村を出発した。女王を討伐しに、昼の渓流へと。
カウンター脇の出発口より元気良く旅立つレイリンとコウジンを、と影丸は揃って見送って。
レイリンの姿が見えなくなったところで、は呟いた。

「……心配なら心配って、言えば良いのに。ね? 師匠」
「……うるせえ」
「ふふッ、素直じゃないなあ。嬉しいくせに」

笑えば頭を叩かれたけれど、には痛くも何とも無かった。
師と弟子……そんな関係を誰かと持った事は、今までありはしなかったけれど。間近でそれを見ると、言葉には出来ないが「素敵だなあ」と思う。

「チッ……一人前みたいな事を言いやがって」

悪態をついている影丸。けれど、盗み見た横顔は少し寂しそうに笑っていて、だが元気良く旅立った弟子の姿に満足もしているようだった。
影丸はそういった事を口にする人物ではないから、全ての何となくの憶測だ。だが、やはり目は雄弁、という事なのだろう。
けれどやはり、は少々不安に駆られる。ついこないだ、親しい人が怪我を負い帰還した姿を見たのだ。レイリンも……あんな姿になって戻ってくる可能性が、あるのだろうか。

「……本当、怪我とかしなければ、良いんだけど」

は呟いた。だが隣の影丸は、それをよりにもよって、鼻で笑ってくれた。

「怪我にびくついてちゃ、ハンター稼業なんかやってられねえぞ。怪我すんのも当然、死にそうな事態になるのも当然。人間の縄張りを身一つで守るってのはそういう事だし、モンスターだって生き物だ。そりゃ必死にもなる」
「それは、そうだけど」
「ハンターは、英雄でも勇者でもない――――意地が続く限り戦ってるだけの、ただの人間だ。
レイリンもハンターがどんなものか知ってる、だから今すべき事も知ってる」

もっとも、アイツが戦ってんのは人の為だけど。
付け加えた影丸は、呆れたような笑みを微かに浮かべた。

「……影丸は」
「ん?」
「怖くないの? G級蒼火竜っていうものに、遭遇したのに」

彼に問うべきものではない事を、は尋ねる。返答なんか、おおよそ想像つくのに。
影丸はしばし考えた後、いつもの声で告げた。

「馬鹿かお前、怖いに決まってんだろ」
「えッ」
「怖くない、とでも言うと思ったか。あのな、そこまで狂っちゃいないよ」

図星。は押し黙る。
影丸は真上からを見下ろして、笑みを含んだ声で続けた。

「まあ、そういう生活は確かに一時期送ってたし……いや今もそうか。でも、おっかなくないなんて奴は、居ないだろうな。怪我だけでもものすっげえ痛いし」
「そ、うだよね」
「ああ、そういうもんだ。それでもハンターはどいつもこいつも止める気がない、馬鹿と意地っぱりしか居ないよ、大概な」

こないだの、セルギスとレイリンのように。影丸もまた、誇らしそうに告げた。
それがやはり、一般人とハンターの違いなのだろう。覚悟の重さも、精神力も、比べられないほど彼らはひたむきに育て抱き続け、厳しい世界に挑み続ける。人の為であれ、自らの為であれ。

影丸も、きっとそうなのだろう。

七年前の凶事に学んだ、現実と、自らの甘さ。
選び取った彼の進む道は、狂人と囁かれたほどに険しく、一切の夢を語らない。
何処までも現実を見据え、強くなる事だけを目指した彼の心。誰にも明かす事のない鋼のような蓋を外せば、きっと誰よりも真摯で熱くて。

誰よりも、《死》というものを恐れて。
誰よりも、強くなるという貪欲な理想を求め続けている。

分かっては、いるけれど。

「……怪我、治ったら。また、ハンターに戻るんだよね?」
「……ああ、絶対にな」

いつものように笑う影丸が、ほんの少し憎らしい。
口を挟める隙間なんて、にありはしないけれど。



―――― それから、数日が経過しただろうか。
レイリンが、渓流へ雌火竜リオレイアを討伐しに出かけている時。ユクモ村は普段と同じように、観光客と湯治客、ハンター達で賑わい、赤く色づいた紅葉がはらはらと温泉の匂いの香る空気に舞っていた。

ハンターが依頼を受注して出発し、達成し戻ってくるまで、数日、数週間、下手したら数ヶ月も掛かると知ったのは最近の事だ。
なにせ相手は、人間ではなく、人間より何倍も巨大な獣や獰猛な竜。しかも移動の基本は、のんびりアプトノスの馬車。渓流は近場であるからまだ良いとして、遠方の孤島や砂原は最悪だと、影丸やセルギスが言っていたのが記憶に鮮明だ。(それでも苦に思っていないのか慣れたと豪語しているけれど)
彼らについて行ったりするにとっては、まさに苦難の道中であり、とても慣れそうにないのが本音である。
レイリンもきっと、一週間は戻らないと予想はしているが……怪我もなく無事に戻って来ればそれでいいと、は今日も思う。普段も思っている事だったのだけれど、以前に増してそう願うのは、影丸の件があるからか。

その影丸は、人の心配なんかやっぱり余所にし、医者の診察をすっぽかしているというではないか。
影丸の自宅前を通りがかったは、往診にやってきた医者より聞いて呆れ果てる。「本当、生粋のハンターってやつだね」と医者は苦く笑っており、も大きく頷いた。「本当、嫌ですね」と返す。
どうせ農場だろうからと、は影丸へ声を掛けに出向く事にした。医者は先に、別の場所を往診するとの事で「早く戻ってくるように」としっかり伝言を賜った。
全く影丸は、本当に怪我人という事を忘れているのだろうか。はブツブツと胸中で文句を垂れたが、ふと思う。しっかり者のヒゲツが側に居るから、忘れる事も無さそうなのだけれど……。少々不思議に感じたが、取り立てて気になる事でもなかったから、はさっさと農場へと足を運んだ。

ユクモ村の郊外にある、大河に面した広い農場。
畑の畝や採掘場など、ハンターの生活を支える様々な施設が設置されたその中に、案の定、影丸の姿があった。農場の入り口から彼を眼下に納めて、一つ溜め息を漏らしたのだけれど、彼に向かい合って佇むセルギスの姿も同時に発見する。足元には、カルトとヒゲツの姿もあって……何か、長閑な空気とは少し異なる印象を受けた。
は首を傾げるも、医者からの言伝もあるので、なだらかな傾斜を下り彼らのもとへと向かう。オトモアイルーたちの情報を記した木のボードの前に居る彼らの声が、次第にの耳にも近付く。

「……もう、決めた事か」
「ああ、準備は進めている。村長やギルドマネージャーにも話はした、向こうさんとも調整中だ」
「……その様子じゃ、了解は取ってしまったみたいだな。俺からは何も言えないだろう、これは相談ではなく報告だ」
「悪い、セルギス」

……? 何の話を、してるんだろ。
影丸は背中しか見えない、けれど正面に立つセルギスの表情は……珍しく、険しさがある。

「……いつ、話すつもりだ。影丸」
「……レイリンが戻ってきてからだな。最終判断に、リオレイア討伐の事を聞く。ま、多分大丈夫なんだろうけどな」
「お前という奴は、本当に勝手な――――」

ハッと見開いた、セルギスの瞳。琥珀色の彼の目と鉢合って、は肩を揺らす。別に疚しい事などないのに、反射的に「すみません」と口にしてしまった。
影丸の背が振り返り、足元のアイルーたちからも視線を貰う。

「話してるとこ、ごめんなさい。お医者さんが、影丸を探していたから、伝えに」

言い訳がましく、早口に伝える。影丸の表情はいつも通りで、「あ、忘れてた」などと漏らした声も普段のそれだった。けれど、セルギスやカルトの表情は少々硬く、吐き出した息は乱暴に落ちた。

「話の続きは、後でまた」
「……ああ」

不満ありげな、セルギスの声。普段穏やかな彼にしては珍しいそれに、はただ窺う事しか出来ない。悪いタイミングで、来てしまったのだろうか。

「わりいな、あんがと」

コツリ、と杖の先を進め、の横に並んだ影丸。あっと彼を見上げると、額に彼の指が伸び、トン、と軽く押す。その仕草に、居心地の悪さが不可思議な予感に変わる。何かが起きそうな、曖昧な予感。あるいは、予想。何の? 別に正確なものではない。思い過ごしならばそれでいい。
けれど、あの口うるさいカルトがずっと押し黙り、ヒゲツも一向に喋ろうとしない光景を見下ろして。

見慣れたはずの、いつもの顔ぶれに、は息を吐き出すばかりの不安を覚える。
ざわざわと震える胸が、治まらない。



―――― それから、数日後。
無事に雌火竜リオレイアを討伐したレイリンとコウジンが、ユクモ村へと帰還した。

出迎えたたちの前に立った彼女は、死闘を繰り広げました、と言わんばかりの土だらけでズタボロな格好をしていた。だが、「頑張りました!」と誇らしそうに笑った小柄な少女の笑顔ときたら、それはもう輝いていて。は安堵して笑みをこぼした。
レイリンは影丸の前に立つと、アームで覆われた細い手でポーチの中を漁り、何を取り出して見せた。それは、陸の女王に勝った証でもある、体内で生成されるという珍しい素材《雌火竜の紅玉》であった。は勿論、綺麗な宝石とだけ思っていたけれど、ハンターにとってはそれは十二分に讃えられるほどの成果である。上位固体の雌火竜から、僅かな確立でしか手に入れる事の出来ない、貴重な素材なのだから。
それを見た影丸は、珍しくまなじりを緩めた。満足げな、横顔だった。特に賛美もせず、けれど厳しく言わず、「ご苦労さん」とそれ一言だけ短く告げた彼に、レイリンは吃驚したのか目を真ん丸にしていたけれど。「はい!」と大きく頷いて、嬉しそうにはにかんだ。

その翌日。
影丸の提案で、皆で集まり夕食を共に食べる事になった。彼の自宅で、のんびりと。

……そう言われた時、農場で感じた予感が、再び背に駆け巡った。



2013.04.25