夢の終わりは二人の始まり(2)

 ジンオウガ時代には、何度も踏んでいたはずの渓流の大地。珍しくもない、まして初めて訪れたわけではないというのに、ベースキャンプから望む霧深い山岳の景色は妙にセルギスの気を高揚させた。吹き上げる風は少々肌寒いものの、今のセルギスには丁度いい。そわそわと落ち着かない身体を、冷やしてくれる。
 鞍を着け荷物を背負った馬代わりのアプトノスが、近場の草を食みながらプオーンとのん気に鳴いた。セルギスは振り返り、それと同時に駆け寄って来る小さな足音を追い視線を下げる。

「妙に久しいような、初めて見たような気がするな。カルト」
「ニャ。言われてみれば、そんな気もするニャ」

 ユクモノネコ装備の笠を手で押し上げ、カルトのアーモンド型の瞳が笑う。言葉こそは努めて冷静を装っているようだが、ぱたぱたと忙しなく揺れる尾から、本格的な狩猟に挑む興奮がはっきりと表れている。分かりやすい、とセルギスも笑った。自分にとっても、この狩猟はある意味初陣でもあるのだ。

「さて、支給ボックスの中身を持っていくか」

 ベースキャンプ横の、青い箱へと歩み寄る。手を掛けて蓋をガコンと開くと、支給品がきちんと納まっていた。応急薬、携帯食料、毒ビンに支給専用シビレ罠……妙に懐かしく感じながら、必要な道具全てを取りだしてポーチに入れた。
 それにしても、下位のありがたさと言ったら。上位になると、ハンターをキャンプ地ではなくモンスターの目の前に放り出す事も珍しくないし、支給品も狩猟開始して下手したら倒す間際で届けられる事だってある。その時のハンターたちの声、「今頃届けるなよ!!」という叫びは、狩場へ響く絶叫の言葉ランキングの上位に位置している。セルギスもその口だ。上位の狩猟は危険で、補助するギルドも事を滞りなく進めるのが難しいという表れなのかもしれないが、ハンターたちの間では「ギルドの仕事は大体適当だ」が通説だ。この手際の良さは下位ならではだったな、とセルギスはふと思い出す。

「……お、シビレ罠肉が入っている。ドスジャギィがスタミナ切れの時は、楽になりそうだ」

 腹を空かせたモンスターに食わせる罠肉、初手必ず麻痺状態にさせるハンターの道具の一つである。それを手に取って持ち上げると、カルトが「あ!」と声を出して跳ねた。

「オレ、それ知ってるニャ! お腹減ったモンスターに食わせると、麻痺させる生肉ニャ!」
「ほう、道具の事も勉強してきたのか」
「ふふん、これでもちゃんと、ヒゲツの兄貴と一緒にモンニャン隊に行ったり狩猟に着いて行ったりして、教えて貰ったのニャ。オレの目指すオトモは、ヒゲツの兄貴なのニャ」

 ヒゲツの兄貴、か。すっかり懐いているな。コウジンというオトモアイルーは、どうやらかなりヒゲツを嫌っているようだけれど、カルトは正反対らしい。
 今でこそヒゲツも年を取って落ち着き払っているが、その実、セルギスの新人時代にはカルトと同じような喋り方で落ち着きのない若いメラルーで、結構それなりにやんちゃもした事があったのだが……きっとカルトは、思ってもいないのだろう。それはいずれ語る事にし、「そうか」とだけ小さく笑った。

「……渓流に居た頃は、真夜中に関わらず俺へ喧嘩を吹っかけて来たり、人の頭によじ登って挙げ句角に足を乗っけてたりしたのにな」
「まあ、それはそれ。これはこれニャ」

 記憶に残っているらしく、カルトの目は泳いでいる。笑いつつ、手に取った罠肉をしっかりとポーチへしまい立ち上がる。渓流のただ中へ向かう道へと、セルギスとカルトは並んで進んだ。

「そういえば、カルト。お前はどうして俺のオトモになると言ったんだ」
「ニャ?」
「影丸のオトモになれば、ヒゲツとも一緒に居られるだろう」

 尋ねたセルギスへ、カルトは答える。「それもそれ、これもこれニャ」
 短い返答だが、カルトの笑みにセルギスも「そうか」とだけ告げて、その頭を笠越しにぽんぽんと撫でた。手のひらには、編んだ干し草の感触が伝わった。これも、ジンオウガの獣の前足では出来なかった事だ。

「……さて、道すがら採取でもしながら、ドスジャギィを探すとしよう」
「了解したニャ!」

 しっかりと地面を蹴り、彼らは狩場へと踏み入れた。
 雲間から覗く太陽は、空の真上に昇ろうとしていた。




 温泉観光地ユクモ村は、今日も変わらず湯治客やハンターたちで賑わい、様々な店が軒を並べる市場通りは朗らかな人々の声で満ちていた。象徴とも言える、鮮やかな朱色に染まった紅葉の葉はひらりと温泉の香りを孕む風に揺れ、何処からともなく降りてきている。
 いつもと変わらない村の様子を感じながらも、妙にそわそわとしたのは頭が村ではなく渓流へと向かっているからか。今頃、もう既に狩場へ到着しているであろうセルギスとカルトを、は思い浮かべる。

「大丈夫かなあ、セルギスさんとカルト……」

 小さく呟いてしまったが、その声は周囲の人々の賑わいにかき消される。の隣、食品を取り扱う店の先でどれを買おうか悩むレイリンにも届かなかった。は彼女の姿に小さく笑い、あんまり心配しても仕方ないかと自答し終えた。セルギスならドスジャギィくらい問題なく片づけられるだろう、と疑いなく言い放ったのは、彼と付き合いの長い影丸やヒゲツだ。彼らが言うのならその通りなのだろう、ともは思い出す。

さん、お魚とお肉、どっちが良いと思いますか? セルギスさんてどっちが好きなんだろう」

 レイリンがくるりと振り返った。仕事の無い日の為、防具ではなくユクモ村の伝統装束を着た彼女。その細い腕には手提げかごが掛けられ、ハンターではなくお使いに来た女の子そのものな姿である。
 はレイリンの正面へと視線を移す。店先の机には、氷結晶の敷き詰められた箱に納まる生魚と、同じように箱に納められた生肉が並んでいた。

「魚と肉かあ……ねーえー、影丸ー!」

 こういう時はよく知る人物に尋ねるのが一番と、は首を横へ向ける。なまものも取り扱うこの食材店の、一軒隣で何やら商品を物色している影丸を呼んだ。
 「あー?」と言いながら顔を上げた彼は、一度其処から離れとレイリンの元へとやって来る。彼も村の衣装をやや着崩して纏っているが、こちらは狩人の鋭さが隠れず剥き出しのままだ。

「セルギスさんって、肉派? 魚派?」
「アイツは肉だろ。昔から飯食う時必ず肉料理頼んでたし」
「じゃあ、お肉にします! さん、何とこんなところに市場にあまり出回らないアプトノスの霜降り肉が……ッ!」
「よーし今の内に買い占めておこう」
「おいコラ、テメエら。材料費が俺持ちだからって調子に乗るな」

 影丸の眉が一瞬揺れたものの、その後はレイリンがすかさず。

「……師匠、今日はお酒いくら飲んでも止めないし、怒りませんよ」
「おーし、その隣の飛竜のモモ肉も買っていくぞー」

 なんて変わり身の早さ。
 デコボコ師弟の薄暗い取引を垣間見てしまった気もするが、何だかんだ影丸も楽しそうにしている様子に、はこっそりと笑った。

 実は、以前よりこの三人とオトモアイルーたちで、とある計画を立てていたのだ。セルギスが復帰し、カルトがオトモデビューしたら、全員でささやかなお祝いをしようと。
 訓練中のセルギスとカルトに決してばれないよう、影でこっそりと話し合っていた事だ。その結果、お祝いの食事会を開く事にし、とレイリンは料理担当。ヒゲツとコウジンは農場施設でハンター生活に必要な道具の調達、兼、カルトへ内緒のオトモ装備プレゼント担当。そして影丸はというと、お祝い会にかかる全ての費用のお財布担当と、それぞれ順当なところに決まった。まあ影丸本人は、細々とした準備は苦手だと言って自ら名乗り出た担当なのだが。
 まあ、影丸にはこの程度の出費、何の支障もないだろう。あけっぴろげに言う事ではないが、影丸の稼ぎは実際のところ凄まじいものであったと知ったのは最近だ。というか、かなりの荒稼ぎだった。レイリンからこっそりと聞いたところ、彼の受ける狩猟依頼の報酬金は……対象モンスターの素材の売値価格は……あまりに現実味なさすぎる数字だった、としか言えないほどで。温泉で飲んだくれて辺り構わず酔い潰れる彼が、どうやら本当に相当な実力ある狩人なのだとはあの時再確認し、身震いした。(普段からそんなイメージは欠片も抱いていなかった)
 彼は普段どのような依頼を受けているのか……気にはなるが、同時に恐ろしいような思いもあって、一度として尋ねた事はない。今後もきっと、出来ないだろう。

 話はそれたが、この日セルギスとカルトは、試験と称した狩猟へ出かけた。戻って来るのは夕方頃だろうし、夜にお祝い会を開こうとついに最後の食材調達に市場へ出掛けてきたのが、現在だった。

 野菜等の保存の効くものは、既にレイリンの家に準備してある。日持ちしないなまものを買い込めば、あとは料理支度をするだけだった。といっても、この世界の料理はあまり知らないし、単純にレイリンの方が料理上手なので、はお手伝いになりそうであるが。
 丁寧に包みへ入れられた生肉たちを籠に入れたところで、とレイリンは顔を見合わせて満面の笑みを浮かべる。さて戻ろうか、としたところ、さっきまで居た影丸の姿が無い事に気づく。そうして直ぐ隣の店から、影丸が何事もなかったようにニュッと出てきて近付いてくる。やけに存在感の放つ、四角い細長のケースを二つ両脇に抱えながら。

「……なあに、それ?」
「師匠、何買ってきたんですか?」

 とレイリンの視線は、それに集まる。影丸はやはり何事も無かったように、ああ、と呟いてケース二つを見せた。

「酒」
「は?!」
「ちなみに大吟醸」
「だ、大吟醸ォ?!」

 大吟醸って確か、めちゃくちゃ高いお酒じゃあ……。とレイリンは目を真ん丸に見開いたが、影丸は実に悪役じみた邪悪な微笑を浮かべ「祝い酒だ」と告げる。何だその悪の作戦が成功したみたいな声は。妙に高級感溢れるケースを、彼は再びその小脇に抱えた。

「大吟醸《王牙》と、同じく大吟醸《豊龍》。いやーセルギスが無事復帰するなら、これくらいは買わないとなー」
「ちょ、師匠それ前から自分で飲みたいって言ってたヤツじゃないですか! アルコール度数がやけに高いから止めてたのィィィィ!」

 地へ崩れ落ちるレイリンの前で、誇らしげに笑う影丸。その顔が悪魔に見えたのは、きっとの見間違えではないだろう。あーあ、とは思ったが、今日くらいは仕方ないかとは力なく肩を落とした。

「昔からあんま飲まねえから、今日くらいはセルギスを潰す

 しかも物騒な計画まで立て始めた。その大吟醸とやらが食卓に並んだ際には、覚悟しておかないとならないようだ。主に、死んだように寝始める影丸の世話を。

「まあ、とりあえずこれで必要なものは揃ったし、私とレイリンちゃんは準備を始めよっか」
「うう……はい」
「影丸は? こっち来る?」

 影丸は少し考え、首を横に振った。一度農場に行って、ヒゲツとコウジンの様子を見てみる。彼はそう答えた。たちは一旦其処で別れる事にし、夕暮れ前には会場となるレイリン宅に集まるよう約束を交わした。



「――――さて、では」

 レイリン宅の台所に集まった食材たちを前に、はエプロンの紐をギュッと腰の後ろで結ぶ。

「宜しくお願いします、レイリン先生!」
「もう、さんてば。先生なんて止めて下さいよ~」

 直角に背を曲げた先で、レイリンは鈴が転がったような声で笑った。いやいや、実際レイリンちゃんの料理能力は先生レベルだからね。本当に。
 レイリンもエプロンを身に着けると、綺麗な蝶々の形に紐を結んだ。もともと小柄な身体つきの彼女のだ、その姿は少女の可愛らしさを体現している。これでハンターなのだから、世の中不思議だ。

「レイリンちゃんの方が料理上手だもの。私だと手伝いにしかならないかもだけど……」
「そんな事ないです、頼りにしてます!」
「いやいや、こちらこそ。何でも言ってね、手伝うから」

 互いに笑みを交わした後、レイリンは机の上に置いていた料理本を取り、見出しを張り付けたページを開いた。事前に作る料理を決めていたので、あとはプロの指示のもと調理を始めるだけだ。ちなみに献立は、炊き込みご飯、汁物、肉の照り焼き、副菜……一般家庭の夕飯といったところだろう。だが、大食いそうな成人男性とアイルーたちの分を考えると、その量は多いと思われる。用意した食材たちの盛られた光景は圧巻で、大人数で食卓を囲んだ事があまり無いのも要因だろう。
 がそれを思わず呟くと、レイリンはきょとりとして「そうですか?」と小首を傾げた。

「私、これはまだ少ないと思いますよ」
「ええ?! そ、そう、なの?」

 レイリンの可愛らしい口から飛び出す言葉に、はやや目を剥いた。レイリンはいつものふんわりした笑顔を浮かべて、「実家のせいだと思います」と答えた。

「家族の人数が、結構多かったみたいなんです。……あ、炊き込みご飯の準備しますね」
「了解、じゃあ私は汁物から攻めてみるよ。……そっかあ、レイリンちゃん大家族だったんだ。何人?」
「七人兄弟と、両親の、九人家族です」
「七人兄弟?!」

 むしろその兄弟数には驚いた。お裁縫にお料理、お掃除……何でも出来る子だとは思っていたが、もしかして姉だったのだろうか。普段聞く事もないし、聞かれなければ本人も口にする事のない情報なので、思い込みの衝撃は凄まじい。

「上から、兄が二人で、私、弟と妹が四人です」
「え、ええ……?! 凄いねえ、お兄さん達って今何歳くらい?」
「んーと、もう二十五歳は過ぎてるかと」
影丸とほぼ同じとか……! レイリンちゃんのお母さん、一体何歳に子ども産んだの」

 レイリンちゃんがこんなに美少女なら、さぞや美しいお母様なのだろう、とはこっそり邪推してしまう。そのレイリンは、のんびりと麻袋を開け米を取り出していた。

「母が結婚したのは十七歳くらいだったと聞いてます。その後直ぐに妊娠して、兄を」
「そっかあ……凄いねえ。レイリンちゃんのお母さん、七人も産んで育てたんだ」
「ふふ、はい。ちなみにその暮らしていた場所では、父と母は通称《美女と野獣》でした」
野獣?! レイリンちゃん家って本当どんな家族だったの?!」

 レイリンは楽しそうに笑うばかりで、は感嘆の溜め息を吐き出した。このふわふわと表情が綻ぶ少女は、たくさんの兄弟の長女だったとは。言われてみれば心根はとてもしっかり屋さんだ、ただ起こす行動が全てドジっ子に繋がるだけで。

「影丸も、兄弟とか居るのかな」
「師匠ですか? そういえば、聞いた事ないですねー……シキの国出身っていうのは知ってますが」
「影丸って、兄弟居るとしたら確実に弟よね。あれが兄貴とか、絶対に私信じない。もしくは一人っ子」
「あっそんな感じします!」

 影丸がこの場に居ないのを良い事に、想像話で盛り上がる。女が集えば賑やかになるというが、そういえばレイリンとこんな風に話した事は少なかったとは思い出した。

「そうしたら、セルギスさんはきっと兄弟の一番上ですね!」
「あー、あの滲み出る安心感は絶対そうだ。あれはお兄ちゃん気質よ」
「ふふっ」

 レイリンの細い肩が揺れる。それに釣られて、も声を出し笑った。

「セルギスさんが無事に戻ってきて、ハンター復帰したら、村つきのハンターは三人になるね」
「はい、嬉しいです」
「そうだね……ねえ、レイリンちゃん」

 不意に、声音を変えて話しかける。レイリンは口元に笑みを浮かべたまま、「はい?」と顔を上げた。グレーの髪と同じ色の、綺麗な瞳がを見つめてくる。

「私はハンターじゃないし、全然ハンターの世界とか知らないけど……でも、これからも宜しくね?」

 突然そう口にしてしまえば、レイリンは困ってしまうだろうか、とも思ったけれど。彼女は少し驚いて、何度も瞳を瞬かせた後、にっこりと満面の笑みを咲かせた。それはもう、同じ女のから見ても可愛らしい、とびきりの笑顔だった。

「――――はい、こちらこそ!」
「ふふ、良かった」
さん、やっぱりお姉さんみたいです。兄しか知らないけど、姉が居たらこんな感じなのかなー」

 えへへー、とまた可愛い事を口にするものだから、の中でレイリンに対する好感度は上昇する一方である。全くこやつめ、ともニコニコと自らの頬を緩める。

「レイリンちゃん可愛いなー。お嫁さんに欲しい」
「え、ええ?! もう、何言ってるんですかさんってば」
「いや本当に。私が男だったらほっとかない、即効口説いてるわ。そして影丸から奪い取って、奴の目の前で堂々とイチャイチャする」

 影丸なんぞに絶対渡さん、と意気込む側で、レイリンはコロコロと笑って肩を揺らす。腰の後ろへ結んだ蝶々の形のエプロン紐は、はたはたと跳ねていた。
 それからしばらく、レイリン宅の台所からは二人分の笑い声が絶えず響く事になり、通りがかる村人たちは小首を傾げながらも微笑ましそうに通り過ぎて行ったという。



 ――――とレイリンが楽しく夕飯支度をしている、その頃。一度彼女らと別れた影丸は、自らの農場へと訪れていた。
 ハンター生活を支える道具を育て調達出来るその地には、様々な施設が設営されており、特に鉱石類を採掘出来る《採掘場》は多くのハンターにとって拝み倒すほどに便利な施設であり。
 今は、オトモアイルーであるヒゲツとコウジンが、この施設に通いつめているのだ。
 新しい生活に踏み出すセルギスとカルトへの、彼らの考えたお祝いのプレゼント。セルギスには、ハンター生活に必ず必要になるであろう鉱石や鎧玉一式を。カルトには、新しいオトモ装備を、それぞれ贈る事にしたのである。影丸は、その採掘場を貸しているだけだった。別に料金は取ったりするつもりなど毛頭無かったのに、コウジンが「お前には絶対貸しなんか作らないニャ!」と息を巻いて、採掘過程で掘られた必要ではない鉱石を影丸へ献上する事でチャラにすると言いだした。
 アイツは馬鹿だが変なところでマメだ。
 その辺りは主人のレイリンに似たのだろうと、影丸は思って見ていた。
 カルトへのプレゼントであるオトモ装備の作成についてだが、これはカルトの修行と称して度々出掛けていたモンニャン隊で、こっそり集めたあるモンスターの素材をこつこつと集めておいたのだ。そうしてそれは、カルトには内緒でオトモ装備作成の匠であるモミジィのもとへ持ち込まれ、端材へ交換されていた。
 数十年前という、大昔の事。かつてユクモ村は、七年前のようにジンオウガが人里へ現れる惨事が起きていた。それを鎮めたのは、当時の村つきハンターと、そのオトモであった若き日の《唐獅子のモミジイ》その人……いや、そのネコである。
 大先輩のモミジイは、ヒゲツとコウジンのお願いに快く頷いて、現在オトモ装備を作ってくれている。ものは既に完成しているので、後は受け取りに向かうだけだ。その料金の支払いに……彼らの採掘で出てきた鉱石を影丸が売り払い、工面しているわけだ。

 重武具玉が出ない、と文句を言いながらツルハシイタケを振り回していたが、さて今日こそは出ているだろうか。影丸は薄ぼんやりと思いつつ、農場の採掘場へ到着した。
 カンカン、カンカン。岩をもほじくる硬さを誇るシイタケの音が、梯子の上から響いている。天辺から聞こえるが、相変わらず出ないのだろうか。地上から見上げる影丸の視界にヒゲツとコウジンの姿は見当たらないものの、今も必死に採掘作業に勤しんでいる事は分かった。もういっそ譲っても良いが、と思っていたところで、ガツン、と何かを掘り当てた気配のする音が混じった。

「――――ニャー! 出たニャー!」

 ひゃっほう、と大はしゃぎするコウジンの声。その後、笑みを含んだヒゲツの声が微かに影丸の耳へと届く。どうやら最終日にして、ようやく採掘出来たようだ。ふっと影丸は口角を上げ、彼らを待つ。しばらくし、音符を頭上に飛ばし意気揚々とするコウジンと珍しく上機嫌なヒゲツが共に梯子を降りてきた。

「よう、必要なもんは出たみたいだな」
「旦那」
「ニャ、これで採掘は完了ニャ!」

 どやあ、とコウジンが両手に持って見せてくる武具玉。深紅に染まるそれは、武器や防具の更なる強化に必要不可欠な道具で、貴重なものだった。泣いて喜ぶと良いニャ、と馬鹿みたいな事をコウジンは言っているが、何だかんだ秘密のプレゼント集めに真剣だったのだろう、非常に得意げで胸を張っている。これまで何本もツルハシイタケを折っていたのだ、熱の入れようは、影丸もよく知っている。

「じゃあ、武具玉一式集めは完了か」
「ああ」

 隠密模様の体色に浮かび上がる、金色のメラルーの瞳。安堵し細めた瞳に、かつて彼が付き従ってきた親愛なるハンターへの感情が浮き上がっている。影丸もそうだが、ヒゲツとてセルギスの復帰を喜んでいる一人だ。
 七年前の凶事。自らの主人を見殺しにして帰ってきた不肖の過ぎる新人ハンターに、手を差し出してくれた唯一のオトモ。あの日から、ヒゲツは影丸に行方不明になった主人の技術を教え、そして影丸は自らの足でドン底から這い上がってきた。今や背中を預けられる、頼れる相棒だが……。
 上機嫌に採掘した武具玉を篭へ入れるコウジンを、見守るヒゲツ。その背を見やり、ふと影丸は呟いた。

「戻るべきじゃなかったのか、ヒゲツ」
「ん?」

 くるり、と振り返ったアカムトネコ装備のメラルー。細い金色の目が、影丸を見上げる。何の話だ、と疑問を向けていた。

「七年前に、俺はお前と約束した。もう二度と青臭い英雄の夢なんか持たないで、現実に向かえるだけの、強いハンターになると。セルギスを見殺しにして逃げ帰るしか出来なかった自分を捨てて、今度こそ、村を守るハンターになると」
「……」
「あれから……約束は果たせてるんじゃないかと、自分なりに思ってる。セルギスも、生きて戻ってきた。まあ、まさかジンオウガになっていて、しかも半年以上追いかけていた最大金冠の奴だったとは思わなかったが……」

 影丸は、言葉を濁しながら、首の後ろを手のひらで掻く。何を言いたいのか、ヒゲツは既に気づいていた。

「アイツは今日、ハンターとして復帰する。その時は、お前もセルギスの……」
「――――俺は別に、七年前の約束だけで今まで、お前の側に居たわけじゃないニャ」

 メラルーとは思えないほど、強い言葉でヒゲツは遮った。影丸は一瞬面くらい、珍しく素っ頓狂に見開いた眼でヒゲツを見下ろす。

「七年前はそうであっても、今は……今の俺の主人は、お前だ。影丸」
「ヒゲツ」
「旦那……いや、セルギスのオトモにはカルトが付いた。俺は必要ないだろうし、出る幕じゃない。今更全てを元通りにする気はない、俺の旦那は今後も……旦那だ。だから、これで良いニャ」

 何処か、満足そうな面もちであった。ヒゲツの尻尾が緩やかに横へ振れて、くるりと回る。影丸はしばし口を開き、幾度か言葉を言い掛けたが、金色のメラルーの芯のある瞳に押し黙る。それからようやく、ふっと肩から力を抜いた。

「……そうか」
「ああ、そうニャ」

 影丸は小さく笑い、さて、と手を打った。

「武具玉集めは完了したし、モミジイんところに行ってみるか。カルトのオトモ装備一式、早めに受け取って隠しとかなきゃならないしな」
「ニャ! 行くニャ!」

 あいつめ、泣いて喜べ崇め奉れ。コウジンはそんな馬鹿な事を言いながら、我先にと武具玉を納めた篭を腕に持ち、駆け出した。何だかんだ、やはり嬉しいのだろう。逸るあまりこぼれ落ちていく武具玉を、ヒゲツが仕方なさそうに集め「お前は少しは落ち着け」と叱るヒゲツも、普段より声が緩んでいる。影丸は笑みを隠さず、肩を震わせながら彼らの後ろへ続いた。
 新しいオトモと、ハンターの復帰。門出を祝うには、今日は本当にすこぶる良い天気だと、空を仰ぎ見ながら。




 ――――それぞれでお祝い会の支度を進め、太陽が天辺から僅かに傾いた頃。
 レイリン宅で料理の準備をしていた、料理担当のとその家主レイリンは、ある程度作業も落ち着いたので厨房の近くで少しの休憩を取っていた。まあ嵐が過ぎ去ったような光景が其処には広がっているものの、ふう、と息を吐き出して汗を拭えば不思議と心地好い疲労感を覚えた。
 厨房からは、食欲をくすぐる香りが既に漂っている。かまどから、温かい湯気がほこほこと立ち昇っている。

「汁物と副菜は完成したし、ご飯は後で炊き始めれば良いし、お肉は下味を付けてるし……うん、もうちょっとで完成ね」
「ですねえ~さん、お茶どうぞ」
「あ、ありがとう」

 湯呑みを受け取り、椅子へ深く腰掛ける。ふうふう、と息を吹きかけて、は湯呑みへ唇を寄せる。

「レイリンちゃんやっぱり料理上手。お姉さん、今度教えて貰わなきゃ」
「そ、そんな事ないですよ」
「それに、大家族の食卓に慣れてるからかな、テキパキこなすよね」
「もう、止めて下さいってば。恥ずかしいですよ、さん!」

 そうレイリンは言っているものの、本当に大部分はレイリンがしたので、はお手伝いをしている感じだった。
 しっかり者で、家事上手。娘さんを是非うちに、と言ってしまいたくなる出来た子なのに……嗚呼、どうして。何故、神はよく出来た娘さんな彼女へ、ドジっ子というプラスを相殺する壮絶なマイナス要素を与えたのだろうか。
 ほわほわと柔らかく微笑む美少女を見つめ、は心よりそう思った。

「……そういえば、ヒゲツとコウジンくんたちの方は順調かな」
「武具玉一式と、オトモ装備ですね」
「そうそう。あ、オトモ装備ってどんなのかな、カルトへあげる新しい装備でしょ?」

 ヒゲツやコウジン、今日のカルトの格好でも察するが、小さいわりにクオリティーが高すぎるオトモ装備。さぞやきっと可愛らしいものだろうと、は笑みをこぼす。

「私も分からないです、コウジンに聞いても『秘密ニャ!』とか言って教えてくれないんですよ」
「ふふ……コウジンくんも、すっかり先輩だね」
「そうですねえ、何だかんだカルトさんの事気に入ってるようですし。秘密のプレゼントだって、それはもう張り切ってたんですから」

 本人は隠しているみたいですけれど、とレイリンは悪戯っぽく笑う。
 彼女の言う通りに、アメショー模様なアイルーのコウジンは、嘘が付けない。思うに主人であるレイリンと似ているのだろう。……プレゼントの事がばれていないと良いけれど。

 少しの休憩を挟んだ後、そろそろ片づけもやり始めようかととレイリンが立ち上がった時だった。丁度話をしていた、そのコウジンが勢いよく家に駆け込んできた。音符さえ飛び交っているほどの、ご機嫌な様子で。
 集まったニャ、とレイリンへ報告するその後ろから、数拍置いてヒゲツ、そして影丸が玄関の暖簾を潜ってやって来る。もう勝手知ったる何とやら、慣れたように入ってくる彼らの自然さと言ったら。

「武具玉集め、終わったんだ」

 が尋ねると、ヒゲツは一つ頷いて篭を掲げた。その中には、色とりどりな水晶が並んでいる。緑、青、紫、赤……宝石みたいな輝きが、視界を照らした。綺麗、これが武器や防具の強化に必要なものなのか。

「それと、カルトにやるオトモ装備も、モミジイから受け取ってきた」

 どっこいせ、と影丸は小脇に抱えた箱を机へ置いた。30センチ幅の、わりとこじんまりとした印象を受ける箱だ。どんなものが入っているのかと、とレイリンは近付いて窺う。意図を汲み取り、影丸がその蓋に手を掛けて、カパリと外した。わくわく、といった感情を隠さずに覗き込んで……その中にあった可愛らしい装備に、思わず声を漏らした。
 西洋の衛兵を彷彿とさせる、赤い色合いの衣装。ピンク、と言っても良いだろうか。帽子には白い綿の飾り付きで、武器となるナイフもしっかりと用意されている。

「やだ! 可愛い~!」
「なるほど、新人オトモの登竜門ですね!」
「背格好なんか、どのアイルーもメラルーも大して変わらねえからな。とりあえず、ヒゲツのサイズに合わせた」

 ヒゲツとコウジンが、得意げに耳を揺らす。先輩二人からの素敵なプレゼントだ、カルトは大喜びする事だろう。セルギスも、きっと喜んでくれる。ひとまず武具玉一式とオトモ装備は見えないところへ隠すべく、レイリンの寝室に一時保管する事になった。ヒゲツとコウジン、レイリンがそれらを持って二階へ上がってゆく音を聞きながら、は厨房の片づけに取りかかる。

「そっちは、あらかた終わったっぽいな」
「うん、後はセルギスさんたちが帰ってきてからだから……食べ始める頃に完成するようにしようって、レイリンちゃんと話してたの。つまみ食いしないでよ?」
「しねえよ、其処まで食い意地張ってないっての」

 は悪戯っぽく微笑をこぼす。エプロンの紐を結び直し、洗い場へと包丁やまな板等を持って行く。そして、食器拭き用のタオルを掴み、影丸へ押しつける。彼は一瞬だけ眉を動かしたものの、文句は言わずにタオルを取っての隣に並んだ。にっこりと彼へ笑い、は作業を始めた。

「セルギスさんとカルト、今頃どうしてるかな」
「さあ、現地にはもう着いてるだろうし、今頃ドスジャギィを追いかけてんじゃねえのか」

 ザバザバ、とザルや入れ物を洗い、ぬるま湯で濯ぐ。それを影丸へ手渡して、影丸が拭く。

「大丈夫、よね?」

 の抱く少しの不安が、言葉に表れる。影丸は表情を揺らさず、ただ視線だけでを見下ろした。

「さあな。大丈夫か大丈夫じゃないかってのは、俺たちが口に出来る事じゃないだろ」
「そうだけど」
「狩り場では何が起こるか分からない。危険の有無という点では、大丈夫じゃない、と言うしかないだろうな」

 は、小さく苦笑いをこぼす。影丸はこういう男だ、桜色アイルーの時から知っている。曖昧な希望は決して口にしない、至極現実的に物事を告げる。ある意味で嘘偽りがないから、少しそれが刺さる時もあるけれど。

「……けどまあ、セルギスとカルトなら、問題なく戻って来るだろう」

 嘘は決して言わないから、こういう時、安堵する。
 言葉短いが、けれどはっきりと言い切った影丸へ、は小さく「そっか」と返す。あの彼が言うのだ、きっと……大丈夫だろう。陽の注ぐあの渓流で、今頃もしかしたら……もう倒しているかもしれないのだ。此処で案じても仕方ないと、は一つ頷いて笑う。
 それにしても。
 はちらりと影丸を見て、一言。

「影丸、家事する姿、全っ然似合わない!」
「ぶっ飛ばすぞ」

 影丸の肘が、の腕をぼすっと小突く。けれど実際、本当に影丸のその姿が似合わなくて、笑ってしまいそうになるのだ。少しくらい、良いだろうに。

「ねえ、影丸」
「何だ」
「早く、二人が戻って来ると良いね」
「……ああ」

 影丸も本当は、多くを口に出さないだけで心よりそう思っているのだ。無事で、戻って来るようにと。まだ陽の高いユクモ村、彼らが帰ってくる予定である夕方まで、まだ数時間ある。何となく気が逸ってしまい、村で待つのもそわそわするなとは思い浮かべた。

 大丈夫、きっと、怪我なく戻ってくるわ。直ぐにでも、ドスジャギィを狩猟して……――――。


「――――す、すみません、レイリンさん! 影丸さん! 居ますか?!」

 突如として、和やかな空気が慌ただしい第三者の声で打ち破られた。

 ザッと走る緊張感に、は全身を震わせた。二階へ上がっていたレイリンやヒゲツ、コウジンも、何事かと慌てて降りてくる。
 精悍な面持ちに鋭気を巡らせた影丸と共に、も振り返る。暖簾の揺れる玄関口には、見慣れた赤服の受付嬢が佇んでいる。けれど、彼女の纏う空気は何やら尋常でなく、肩で呼吸を繰り返し、両手を強く胸の前で握っている。


 直ぐにでも、戻って来て……


 嫌な予感が、の脳裏を冷ややかに差した。