みっともないほど愛してる(2)

 そして酒宴の後の風景は、壮絶だった。
 嵐のように過ぎていった賑やかさは、今は酒の匂い漂う静寂に制圧されていた。床には酒瓶、アイルー、影丸が転がり、机にはレイリンが突っ伏して、かくいうも額を抑えるセルギスと共に冷や水という名の回復薬を飲んでいた。
 思った通りの展開過ぎて、つっこみのしようがない。

 大吟醸二本を空けた程度では、酒飲みの猛者達の心は満たされず。杯を何度も傾けた影丸は「酒はまだまだあるんだぜ~ウィ~」とリビングの奥から酒瓶をぎっちり詰め込んだ箱を引っ張り出してきた。「どうして私の家に大量の酒がァ!」と家主レイリンが驚愕していた様子から察するに、密約をここぞとばかりに活用する為いつの間にか隠されていたらしい。好きなだけ飲んでも怒らないとは言っても限度があろうに。
 セルギスと影丸が次々と酒瓶を空ける傍らでは、カルトやコウジンにも注がれ早々に酔っ払いダウン。とレイリンにも次々と酒を勧めてくる影丸の魔の手が迫ったが、は杯を三杯分飲んだ程度でそれ以上を何とか死守出来た。さすがに酔いに火照って赤ら顔だろうが、それ以降は杯に注がれる酒を別の器にザアッと移し替えて飲んだふり。この面子の中で唯一の理性だったレイリンは……残念ながら珍しく飲まされてしまい、現在の通りに机で突っ伏している。
 ちなみに、散々飲んで飲ませるおっさんのような酒注ぎ魔と化した影丸は、本人は楽しいまま酒に倒れて起きる気配がない。元凶が真っ先にこの体たらくである。
 それぞれが酒に呑まれる結果となったこの中で、唯一の防波堤となったのは、最初数口嗜んだ以降さらりと酒を回避しお茶を啜っていたヒゲツのみ。メラルーなのに、彼はやり手だ。

 は水瓶から冷たい水を柄杓で掬い、それを口に運んで飲み下す。ほっと息をついて、柄杓をセルギスに差し出す。少々動きがふわふわとしているが、あれだけ飲んだわりに彼はしっかりとした動作で、柄杓を握って水を煽る。ごくんと上下する喉仏をぼんやりと見てから、おもむろに振り返り酒宴後の風景を改めて眺めた。
 何ていうか、凄い。世界は違えど酒宴後のこの空気は共通のようだ。何処かで見た事があると一人思った。

「セルギスさん、お酒強いんですね」
「まあ、あれに比べたらな」

 あれ、というのは当然だが影丸を指す。比較対象には残念ながらならないが、それでもセルギスの酒豪っぷりは純粋に凄いと思う。

「普段飲まないから今日くらいは潰す、なんて言ってたんですよ」

 セルギスは途端、顔に苦笑いを浮かべた。全くあいつは、とは言いながらも、彼が何故あそこまで酒好きなのかどうやら覚えはあるようだ。

「あいつがまだシキ国からユクモ村に来たばかりの頃な、新しい村つきハンター就任だっていうんで歓迎会をしたんだ。ユクモ村支所のギルドの奴らも一緒にな。で、まあ、ギルドマネージャーが酒を出してきて、影丸に飲ませたんだが……これが面白いくらい直ぐに潰れた。隣で俺が平然と飲んでいるのが、後で悔しかったらしくてな……対抗心が、現在の状態というやつか。おかげで酒好きになった。きっかけなんて、あいつは絶対言わないだろうがな」
「へえ……なんか、可愛いですね!」

 という事は、影丸はとにかくセルギスを追いかけてきたのか。新人時代から、今まで。口では決して言わない、セルギスの存在の大きさを改めて垣間見るも、あの飲んだくれた姿を見ればさざ波のように感動が引いてゆく。
 あんな風になりながら、翌日には酒気帯びにもならずシャッキリと活動しているのだから、強いんだか弱いんだか分からないのだ。

「さて……しかしこの状態をどうするか」

 やセルギス、ヒゲツはこの面子の中でだいぶマシであるが、全員等しく飲酒している事には変わらない。
 と思っていると、机に突っ伏していたレイリンがゾンビのようにずるりと動き出してか細い声で言った。

「片付げは……明日しまずので……おぎになざらず……」
「レイリンちゃん、まずはお水、お水飲んで!」
「すびばぜん……」

 水を差し出しすと、レイリンはコクコクと飲み下す。ほっと息をつくと、幾らか落ち着いた表情を浮かべた。

「お酒の密約なんて交わすんじゃなかった……今度からは好きなだけ山籠りしても怒らないに変えます……」

 モンスターはいねがあと徘徊する影丸の姿が、それぞれの脳裏に浮かび上がる。
 大連続狩猟を好むという命知らずな影丸に、適切かどうかはあえて触れないでおいた。
 レイリンは動きだして片付けに入ろうとしていたが、ただでさえドジっこを超越している彼女が今動けば、エンカウント率100%くらいの勢いでずっこけまくる。これは別の意味でよろしくないと達は押し止め、「明日改めて片付けをしよう、私達も来るから。今日は食器を水に浸けておくぐらいにしておこう」と誘導し、祝宴の最後の締めは動ける全員で簡単な片付けとなった。
 多少余った料理は、早速ヒゲツが大きな一枚皿に全て盛り、これから農場へ持って帰るらしい。もう夜更けよとは告げたけれど、ヒゲツは何処かメラルーらしかぬ仕草で「夜行性の俺達にはこれからが本番だ」と男らしく笑った。実に恰好良いメラルーである。
 床に倒れ込んでいた影丸達が起き上がったのは、宴の舞台となったリビングと食卓が綺麗になった後だった。

「いやあ、飲んだ飲んだ。楽しいなあ~酒のある宴ってのは」
「アンタ何でそんな元気なの……」

 コウジンとカルトはダウンしたまま動けないでいるのに、影丸と来たらまだ杯を持っている始末だ。当然であるがそれは即刻没収し帰宅を乞う。「大丈夫だ、どうせベッドに入れば直ぐに寝る」とはヒゲツの言葉である。
 各自で帰り支度をし、レイリンの家を一旦出て玄関前に集う。涼しい夜風が心地よく吹いていた。

「今日は感謝する、本当に。片付けなどは明日するからな。レイリンも、早く寝なさい」
「はいっ! ……その前に、師匠を連れていかなければならないですが」

 その辺で転びそうな影丸の腕を、レイリンは肩に掛けてぐっと身体を支えた。影丸よりも華奢で小柄なのに、この滲み出る逞しさはハンター由来のものか。
 コウジンとカルトは、レイリンの家で泊まる事になったので、引き取るのは明日になる。あの二匹は朝まで起きないだろう。

「はあ、全く我が後輩ながら情けない。レイリン、玄関前にでも転がしておいて構わないから、気を付けて」
「はい!」
「何が『はい!』だコラ」

 失礼な事を口にする影丸の頭を、はべちりと叩いておく。全ての元凶が何をのたまうか。

「レイリンちゃんにきちんと送って貰って、感謝しなさいよ」
「へいへい……ッうぐ、頭が」
「はいはい早く帰れ。セルギスさんは、私が送っていきますからね!」

 はえっへんと胸を張る。なにせ家の方向も同じであるし、平気そうではあるが大量に飲んでいたのはセルギスも変わらないのだ。失態を見せないからこそ酒豪の称号は相応しいとしても、倒れられたら非常に困る。
 使命感を宿すの瞳を見やり、セルギスは苦笑いを浮かべた。

「お二人だけなのが申し訳ないですが、お願いしますねさん」
「大丈夫、任せて」

 ……二人。セルギスはぼんやりとし、その言葉を聞いていた。
 レイリンとが言葉を交わしているその時、頭を抑える影丸がセルギスに視線を投げた。彼は、意味ありげにニヤリと口元をつり上げ、片目を瞑る。声にはせず唇の動きだけで告げられた言葉に、セルギスは目を張った。


 しっかりやれよ


 それが意味するものを、セルギスは直ぐに察した。お前、と言いかけたがが振り返ったのでそれを押しとどめる。

「さて! じゃあ行きましょう、セルギスさん」
「あ、ああ」
「お休みなさ~い、また明日!」

 手を振ってそれぞれの家へと向かう、夜更けの帰路。楽しかった、と笑うと神妙な面持ちのセルギスは、肩を並べて歩き出した。
 影丸が祝宴の途中で告げた、あの言葉の意味。チャンス、餞別、そして含みを込めた激励。酒のせいだけでない火照りを抱き、セルギスは狩猟とはまた異なる緊張を人知れず感じていた。夜風の涼しさがせめてもの救いだった。
 男性二人の秘めたやり取りには全く気付かないは、少しふわついた心を弾ませて上機嫌に進んでいた。

「楽しんでくれましたか、セルギスさん」
「あ、ああ。わざわざ、ありがとうな。楽しかったよ」

 昇りつめ注がれる月光は、静かだがとても鮮明で、夜更けに関わらず人と景色をはっきりと区別するほどに明るい。が見上げたセルギスの、笑みを浮かべたその横顔はしっかりと窺えた。
 ハンター復帰の祝宴は、無事に終わった。明日からは、また彼らの日常が始まる。セルギスも、同じようにきっと。

「ハンターのお仕事が、明日からいよいよ本格的に始まるんですね」

 は呟いた。以前ほどの寂しさはない。面と向かってお祝いをしたら、幾らかふっきれたのかもしれない。
 セルギスは、隣を歩むを見下ろす。月光に照らされた肌の白さと黒髪の艶が対比し、妙に眩しかった。それに意識が囚われそうになっているのを隠し、セルギスは返す。

「そうだな……と言っても、ハンターランクの低い新人にはキノコ採取だとかの納品依頼が多いがな」
「キノコ集め……ふふ、セルギスさんが地面にしゃがんでる姿、想像すると何だか可笑しい」
「それは俺も思う。新人の宿命だな」

 こんなガタイの良い男が、依頼のキノコを探して地べたを這いつくばるなんて。狩猟や討伐の荒々しさ、華やかさのない納品依頼、それもハンターという職業の姿である。
 クスクスと笑い合う男女の声が、寝静まる夜風に響く。

「……今日のような事が、これからもあるんでしょうけれど。気を付けて下さいね」

 桜色アイルーと手負いのジンオウガの、お伽噺のような現実。あれが終焉を迎えてから、もう何ヶ月経過しているのだろうか。が願うものは、今もそれだけだった。そしてその忙しいハンター生活の中に、僅かな一握り程度でもの想いがあれば、とも。
 人の暮らしに戻れたセルギスの歓喜の大きさは、も知っている。夕暮れのあの抱擁は、心の奥に留めておこう。
 ああ、と頷くセルギスに笑みを深め、夜の道を二人で進んだ。


 そろそろセルギスの家に到着する頃だ。そしてさらに奥へ進むと、の家である。
 言葉少なかったセルギスが不意にその口を開いたのは、そんな時だった。

「……そう言えばな、。お前に渡しておきたかったものがあるんだ」

 お前に持っていて貰いたいものが。そう告げたセルギスに、は一瞬飛び跳ねて驚きそうになったが、それを抑える。そうして彼女も「奇遇ですね」と微笑んだ。

「実は、私もセルギスさんにこっそりと用があるんですよ」

 今度は、セルギスが目を丸くした。