生きた罪を許して欲しいと乞う日(2)

とカルトの社会見学より数日。賑やかな日はあっという間に過ぎて、再び彼女の日常が舞い戻ってくる。けれど、ここのところのレイリンは、とても上機嫌で何も無いところで転ぼうが依頼でヘマをしようが、立ち直りが早く、村人たちも不思議がるほどだった。オトモアイルーのコウジンは、鼻歌交じりなレイリンを見上げて何度も溜め息をついてムスッとするけれど、そんなことは今の幸福に浸った彼女には何の障害にもならない。

だって、師匠が昔の話をしてくれたんだもの!

思い出しただけでも、胸が満たされる。弟子入りを果たしてから、かれこれ二年ほど経過しているものの、師として尊敬してやまない影丸の過去の話や内情を彼の口より聞いたことはない。彼は、あの話題については決して自ら口にすることはなく、知られることを止めなかったが語ることについては、頑なに拒んだ。その身に纏う空気が、それを体現していて、レイリンも直接踏み込むことは出来なかった。そのため、ギルドマネージャーや村長などより、過去起きたジンオウガ討伐の話やもう一人存在したハンターが消えてしまったことは聞き及んでいたのだが。

軽い採取ツアーに出向いた時、影丸は採取をしながら、歩きながら、話してくれた。独り言のようであったけれど、それがレイリンにとってどれだけ嬉しいことであったか、彼は知らないだろう。

( さんやカルトさんが来てから、何だか少し変わってる )

硬直してどうしようも出来なかった師弟という関係の間の隔たりが、少し一歩近づけて、親しくなれた気がする。もちろん、影丸が全てを語ったわけはないことは承知だ。けれど、ようやく、その話題に触れることを許されたような気さえし、彼女はますます笑みをクスクスと綻ばせる。

「――――― おい、何一人で笑ってんだ」

幸せに花さえ飛ばしていたレイリンの頭が、グワシッと後ろより掴まれた。普段にも増し無防備だったがゆえ、あっさりとその頭はグリグリと捻られる。痛みを訴え両手をばたつかせたが、何の効果もない。
このようなことをする人物は、思い浮かべる限り一人だけだ。レイリンはすぐに察し振り返ろうとする。が、手の力は強くまともに動けない。
僅かな救いと言えば、現在いる集会浴場に朝方のため人が少ないことだった。

「う、ぐ、うゥゥゥい、痛い、です……!」
「おーあんまりに隙だらけだからな」
「り、理由に、なってな……ッ!」

ワタワタとその手を掴もうとすると、ひらりと離れ、レイリンの頭から圧迫感が消える。そしてすぐに後ろを見れば、やはり影丸であった。彼が好んで装備する、迅竜ナルガクルガの防具を一式纏っており、やや眠そうな目であったものの僅かでもその鋭さを損なわせることはない。
「痛いです師匠」と訴えてみても、彼は笑うばかりで懲りた様子もない。こうやって見る分には、朗らかな男性なのだけれど……。
レイリンの頭を小突いた後に、ギルドのクエスト受注カウンターへと向かうと、開口出た言葉は「あのジンオウガは見つかったか」である。
半年ほど前だろうか、影丸が依頼を受けて人里に近づいた最大金冠サイズのジンオウガを仕留め損ねてから、彼はずっとその姿を探している。過去に起きた、彼の傷跡のせいだろうか、レイリンにはその胸中で想うことを知らないためただじっと見つめるしか出来ないが。

私は、それでも師匠の後ろを着いて行くんだから。
さんが、言ってくれたように。

後悔する前に、行動を起こした方が良い。
ユクモ村へ見学にし来た、渓流の野生のアイルーは、そう言った。彼女の言葉は、不思議とレイリンに染み渡り、何故か脳裏より離れなかった。

「……おい、またニヤニヤしてんぞ」
「えっ?! そ、そんなこと無いですよ」

レイリンは誤魔化すように、笑って見せた。影丸は呆れたようであったが、肩を竦めて笑みを返した。

また、会いに行きたいな。今度は何を持って行ってあげよう。

レイリンは、そんなことを考えていたのだが、ふと集会浴場に賑やかな青年の声が響いた。うおーすげ、温泉だ、飾りもなんか異国っぽい、とはしゃぐ言葉が近づいてくる。振り返ると、レイリンと同年齢ほどか、あるいはもう少し年下の青年のハンターが二人佇んでいた。片方はレザー装備一式の双剣使い、もう片方はジャギィ装備一式の片手剣使いで、その落ち着きの無さから初めてユクモ村にやって来たのだと察する。私も最初、あんな感じだったな、なんて思ってそれを見守っていると、彼らはギルドカウンターへと歩み寄った。ギルドの受付嬢の象徴でもある赤い撫子衣装を纏った下位クエスト担当の彼女が、元気よく挨拶をする。

「なあ、採取ツアーに行きたいんだけど、あるかな」
「採取ツアーですね。渓流のがありますよ」
「渓流か。そこには、大型モンスターは近くに居たりするのか?」

受付嬢は、何かの本を取り出すとパラパラとめくる。「うーん」としばし考えた後、それを閉じ二人のハンターを見る。

「今は特に確認されていないみたいですよ! 危険要素が皆無です」

そう告げると、彼らはあからさまに落胆した。「何だよ、居たら討伐してやったのによー」「腕試ししたかったのに」と言い合っている。血気盛んな様子をレイリンは眺めたが、受付嬢はうふふと意味深に笑うと、不意に隣へと指さした。

「この辺りは、最近ほとんど平和で……ユクモ村の専属ハンターが頑張ってくれてるからなんですよ! だから、大型モンスターはあんまり見かけてないの」

指さした方向には、掲示板に張り出される依頼書を見ている影丸の姿がある。二人のハンターは、「もしかして、前あったジンオウガ騒ぎの英雄 ?」と囁き合い、不躾なまでに全身を見ている。そして、ぽつりと一言。

「……何だ、案外普通じゃん」

自分のことではないけれど、レイリンはムッと頬を膨らませる。礼儀云々の前に、そもそも非常識で失礼な言葉だ。レイリンでなくとも、誰しもむっと眉を寄せるに違いない。彼女はドスドスと歩み寄ったけれど、二人のハンターは出発口へとさっさと進んで消えてしまった。レイリンの苛立ちがぶつけられることは無くなり、プンプンとその場で湯気が昇った。

「……もう、初対面であんなこと言うなんて!」

しかし彼女に反し、影丸は気にもしていないようで、「まあオーラは無いだろうなあ」と肯定すらしていた。彼にとって、ああいうものは蚊に刺された程度にもならないのだろう。懐が広いといえば広いのだが、恐らく彼の大部分を占めるものが、モンスターへの狩猟意欲のためでもある。

「めぼしいものは無いし、道具の調合でもしてるか。お前はどうする?」

影丸に尋ねられ、レイリンはしばし考えた。けれど、彼女が言う前に、影丸は意地悪げな笑みを浮かべて言った。

「どうせお前のことだから、あの渓流に行って、カルトやに会いに行くつもりだろ」
「う……」

レリインは、肩を狭める。けれど彼は、ふっと声を穏やかにし。

「……会いに行ったら、宜しく伝えてくれ」

レイリンは思わずバッと顔を上げて、食い入るように影丸を見てしまった。けれどそこにあったのは、普段と同じ表情だった。
「ん? 何だ」影丸が腰に手を当てる。レリインは首を振ると、満面の笑みで「何でもないです」と返した。

……とカルトが来てから、レイリンも、影丸も、少し変化をもたらされた。それが良い事であると、この時レイリンは信じきっていた。


――――― とカルトが、アオアシラとジンオウガと共に、ユクモ村付近の渓流に辿り着いた時の、村の様子である。
その頃の、ユクモ村。
何かのフラグを立てました。

2012.01.14