いつか赦し合うための戦い(1)

落ち着きを取り戻したところで、は、レイリンとコウジンより経緯を改めて聞いた。
若い二人のハンターは、ユクモ村にやってきた新人であった事。
そして、偶然にも遭遇してしまったアオアシラを腕試しと称して挑んだ事。
ちょうどその時、たちの元へと向かおうとしていたレイリンとコウジンがやってきた事。
そして、事態を不穏に思ったカルトが、ジンオウガを呼び、二人の若いハンターを追い払った事。

幾らか落ち着いた頭は、すんなりと事態を飲み込んだ。いや、飲み込まないと、またアオアシラの死に意識が向いて気分が消沈しそうだったのだ。
は、カルトとジンオウガを隣に並べ、正面に座るレイリンとコウジンを見た。

「そっか……ごめんね、来ている途中で。こんな事」
「いいえ……」

レイリンが、もじもじと手遊びをする。それを汲み取り、コウジンが代わりに口を開いた。

「で、アンタたちは何で此処に。それに、そのジンオウガは何だニャ」

は、ジンオウガへ振り向く。彼は、少しだけ瞳を伏せる。今一つ、反応の意味を理解出来なかったが、きっと……言わないでくれ、という事かもしれない。

「えと……用事が、あって。皆で、此処に来たの。まさか、こんな事になるなんて思わなかったけど」
「用事って何だニャ」
「それは……」

何が一番違和感が無いだろうか、と探っていると、カルトがふんっとわざとらしく大きな鼻息を出した。

「ヒゲツの兄貴に、オレが会いたくなったのニャ。此処までくれば、ちょっとくらい見えるかなーって。だから、こいつらはオマケでついてきたのニャ」
「目立つご一行ニャ……」
「うるさいニャ」

カルトは、を見なかった。けれど、彼の繕った嘘から気遣いが溢れていた。この子は、本当に大人になったと思う。
コウジンは、カルトの言葉を信用したようで呆れているが、ジンオウガに関しては鋭い眼差しを崩さない。

「じゃあ、このジンオウガは。何でお前ら仲が良さそうなのニャ」

ジンオウガが、ガウッと唸る。コウジンは途端に身体を飛び跳ねさせ、慌ててレイリンの後ろへ隠れた。……コウジンくんよ。

「で、でも……本当に、あの、そのジンオウガは……?」

レイリンの瞳は、怯えながらも、気付いていた。だからこそ戸惑い、たちへそう尋ねずには居られなかった。
最大金冠サイズと思しき巨大な体躯に、人の動きを理解する賢さ、そして……後ろ足に刻まれている、歪に堅殻を砕かれた痕跡。
まさかとは、思うが。脳裏に、半年ほど前の影丸とジンオウガのある狩猟風景が過ぎった。

は小さく吐息を漏らすと、ジンオウガを見て、そして告げた。

「……セルギ……ううん、このジンオウガは」

少しだけ、空白を挟む。

「私やカルトの居た渓流へやってきた、流れのジンオウガで。初めて出会った時は、全身傷だらけだった」

どれくらい前の事なのか、時間の感覚が今一つで分からない。けれど、もう随分と経過している事は確かだ。そして、レイリンやコウジンと出会う前にであった事も。
の眼差しと、言葉に、レイリンとコウジンも「やはり」と思いながらも、驚きは隠せなかった。
影丸が、血眼になって探していた、無双の狩人。上位の狩場を逃れて下位の渓流に身を潜めていた。しかも、ユクモ村からあんなにも近い場所で。

「……さん」

レイリンが困惑しても、無理ない。彼女も気づけなかったばかりか、とカルトに、その繋がりがあったのだから。
は、彼女に打ち明ける事にした。ジンオウガの、存在を。そして自分が、モンスターの言葉をどういう訳か理解出来る事も。
ただ、このジンオウガが人であった事も、自分が人であった事も、変わらず隠し通したまま……―――――。




普段の三倍の速さですっ飛ばしたネコタクは、渓流の入り口で急停車した。停車したというより、スタミナ切れで倒れ込んだ、と表現した方が正しい。その荷車から、影丸とヒゲツは飛び降り、運転手であるアイルーらを労った。

「悪いな、無理言ってすっ飛ばしてもらって」
「ほ、本当ニャ……ッゼエ、ゼエ……ッもう、旦那の送迎はやりたくないニャ」
「もう動けないニャー……此処で寝てるニャー……」

ジンオウSヘルムの向こうで、影丸は小さく苦笑いを浮かべる。「まあ、そう言うなよ。マタタビ割り増しするから」
その瞬間、地面にへばりついていたアイルーらは俊敏に立ち上がると、ワイルドな面持ちで胸を張った。

「旦那の送迎は、俺たちの誇りニャ!」
「ドボルベルクが五匹出ようと、俺たちは旦那を何処までも運び、そして颯爽と救出するのニャ!」

ちょろいな。
容易く手駒にした影丸は、ネコタクを一度村へ帰す事にした。時間がどれほど掛かるか分からないし、いずれギルドから監視隊の乗った気球が空に現れる。連絡はすぐにつくだろう、と踏んだのだ。

さて、と影丸は身体の向きを直す。全身に纏ったジンオウS防具一式がガシャリと音を立てる。足下に並んだヒゲツもまた、漆黒の小さな身体に同じ防具をまとい、ヘルムを目深に被り直した。
薄く霧を纏う、山々が彼方にまで広がる、壮麗な光景。この渓流の何処かに、半年前に仕留め損ねたジンオウガが居る。ドク、ドク、と影丸の心臓が普段になく逸った。

単なる、偶然か。
だがまるで、七年前の凶事を再び演じているようだ。

だが、今回は違う。昔とは、違う。

「……今度こそ、アイツを」

赤黒い覚悟を刻んだ思考に、彼が過ぎる。無力だったばかりに、崖に落として失ってしまった、彼を……。
本当はもう、知っていた。どれだけ待っても、どれだけ強くなっても、戻らないものがあると。失ったままのものがあると。あの頃からそれを気付いていながら、受け入れられなかった。受け入れたら、彼の面影が消えてしまいそうだった。
いつ終わるとも知れぬ、モンスターとの狂宴。追いかけたジンオウガを倒した所で、恐らく変わらないだろう。だからこそ、せめて。

俺は今度こそ、七年前に勝たなければならない。

氷を纏う太刀《六花垂氷丸》を背負い直し、影丸は踏み入れた。その隣をヒゲツも付き従い、同じ速度で進む。
かつての光景を再現した渓流は、まるで仄暗い一人舞台のようだった。

――――― けれどこの時影丸は、そのジンオウガがまさか、己の弟子とユクモ村見学にやってきた野生のアイルーと共に居るとは。
思いも、していなかった。




レイリンとコウジンは、がモンスターの言葉を理解出来ると聞いた時、やはり驚いた反応をした。コウジンに至っては、嘲るように笑っていた。その反応を、予想はしていたが少しだけショックを受けたは、言うべきでは無かったかと後悔もする。
カルトが猛反抗してくれたが、は押しとどめ首を振る。
……けれどしばらくし、レイリンが口を開いた。

「……そう、ですか。そんな気が、していました」

何処か安堵した、穏やかな声だった。
顔を上げたの眼差しの先には、ふわりと微笑んでいるレイリンが居た。それはあざ笑っている訳でもなく、まして冗談を言っている訳でもない。この笑みは、の言葉を信じている笑みであった。

「し、信じるの?」
「だって、何だかそんな気がしていました。アオアシラとも、このジンオウガとも、会話が出来ているというか……不思議な、感じがしてましたし」

花が咲くような笑みで言われ、は拍子抜けする。けれど同時に嬉しくもあり、ようやく自然な笑みを返す事が出来た。

「でも、ジンオウガの事、どうして黙っていたんですか? やっぱり、師匠の事が……」
「う、ん……」

最初、彼と出会った時。人と争って逃げ落ちて来たことは薄々察していた。だが彼の事を誰かに話す事も無かったし、もし仮に誰かに会ったとしても告げる気は起きなかった。ただ、それがまさか、知り合いになったハンターの師の追っていたものだとは、本当に思いもしなかった。

( それに……まさか、そのハンターが影丸で……ジンオウガが影丸の友人だなんて )

後から分かった事と言え、それこそ告げる事も出来ない。

「でも、そうですよね……仲良くなったなら、話せませんよね」
「……ごめん、結果的に、何だか隠してるみたいになって」
「私は、いいんです。それよりも……」

レイリンの顔が、静かに上がる。ジンオウガをそっと見つめた彼女は、表情を曇らせた。

「師匠は、私みたいには思わない事が、一番気がかりです……」
「か、彼もきっと、分かってくれるんじゃ……」

彼は、他のモンスターとは違う。本能のまま生きて蹂躙する、獣とは違う。影丸が幾ら追いかけているとは言え、それが分かれば……。
なんて思ったが、それもすぐに消えてしまう。本当に? あの影丸が「分かった、もう手出ししない」なんて言うの?
素直に諦めてくれるのであれば、半年も追いかけていない。そして、ユクモ村のジンオウガ討伐狩猟の凶事を語る事はない。彼は未だ、あの出来事に囚われ続けている。
そしてそれを肯定するように、レイリンが沈んだ声で告げた。

「……師匠の、狩猟する時の風景を見れば、さんも分かります」

付き合いが二年ほどとは言え、レイリンは理解していた。影丸の、戦い方を。

「……師匠が、昔の話をしてくれたんです。さんたちが帰った後に。はは……その報告をしたかったんですが、今はそうも言えないですね」

深い影を抱いたレイリンの面持ちに、は言葉を無くす。
……どうしよう、いっそ、ジンオウガがセルギスである事を話そうか。信用してもらえるかどうかは別として、少なくとも話し合いの機会は多少は出来るかもしれない。例え姿形が変わっても、このジンオウガは……影丸の、師であり友人なのだから。

が俯いて考え込んでいると、ジンオウガの顔が不意に下がり耳元で尋ねてきた。

「……、この少女は」
「あ……ごめんなさい、まだ話はしていなかったですね。この子は、ユクモ村のハンターなんです」

ジンオウガは青い目を見開いた。レイリンを見下ろすと、「……そうか、この娘が」と感慨深く呟く。当然それは、にしか聞こえない言葉であるが。

「それで、お前たちが先ほどから話しているのは、何だ? 師匠とか、何とか……」
「それは……」

は、ふと動きを止めた。

「ジンオウガさん、レイリンちゃんの言葉が……?」
「……かつて人であった影響だろう。獣の言葉は分からないが、人の言葉は理解出来るらしい」
「そう、ですか……」

とジンオウガは声を潜め会話する正面で、レイリンが「本当に、話が出来るんですね」と微笑んでいる。……どうする、まさかこの少女が影丸の弟子であり、そしてセルギスを半年も追いかけているハンターの知り合いであるなんて、言えるのか。

……いや、彼を、もしかしたら傷つけるだけかもしれない。
人の姿を失ったばかりに、今度は友人と戦わねばならないなんて。

が考え込む傍ら、ジンオウガは不思議そうに小首を傾ける。

「――――― で、ところで」

カルトが、ピンッと伸びた声で尋ねた。

「あの二人の、男のハンターはどうしたのニャ? 何処かに行ったみたいだけど」

コウジンが、ああ、と反応すると首を振った。

「どうせすぐに帰ったニャ、あんなにされたら」
「そうなのニャ?」
「だって、渓流の入り口にはボクたちが乗っていたネコタクも丁度待機してたし、多分それに乗っかって帰ったのニャー」

今頃ユクモ村、大騒ぎニャー。コウジンがニャッニャッと笑った。

その瞬間、その場の空気が異様に凍り付いた。
レイリンの表情が、何かを思い出したように歪んでいく。

「……ネコタク……?」

レイリンはしばし考え込み、そして悲鳴のような叫び声を上げて立ち上がった。コウジンとカルトがビクンッと飛び跳ね、彼女を見上げる。

「ま、まずい、です……あ、あ、どうしよ……?!」
「レイリンちゃん、落ち着いて。どうしたの」
「ネ、ネコタクに、もしも乗って行ったのなら、師匠の耳に……入ってるかもしれないです……!」

慌てふためいたレイリンに、思わずも釣られて悲鳴を漏らす。
もしも影丸の耳に届いているのであれば。
彼は、直ぐにでもこの渓流へやって来る準備をするだろう。

「と、とりあえず、えっと、とりあえず……」

レイリンはギュッと両手を握りしめると、を見下ろすとギュッと手を握り引っ張る。その強さに驚いて、はされるまま立ち上がった。
「レイリンちゃん?」呟いた彼女の表情は、とても強張って怯えていたが、眼差しは力強い。

「は、早く、帰って下さい。此処から、今すぐに」

コウジンが途端に、「旦那様?!」と慌てて腕を振り引き留める。

「こ、こいつらを、逃がすって事ニャ?!」
「そうよ」
「カルトやはまだしも、旦那様、ジンオウガまで逃がしたら……」

コウジンの言葉を、「でも」とレイリンの声が止める。ギュウ、ときつく目を閉じた彼女は、自らが行おうとする行為を理解しているようだった。
ジンオウガを逃がすという事は、半年も探し続けていた師を裏切る事になる。彼女も、影丸から過去の事情を聞いたというのなら……それすらも否定する事に繋がってしまうのだ。その点ではも同一だが、彼女は弟子という立場がある。
それでも……逃してくれるという言葉は……どれほどの勇気が必要だろう。ましてレイリンはハンターだ、今改めて思うには遅すぎるが、彼女の職業の理念にも反している。

「レイリンちゃん……」
「師匠に、言うべきなんです。それは分かってるんですが……でも、アオアシラとさんを見てたら、よく分からなくなって」

だから、とレイリンはコウジンを見下ろす。

「今は、これで良いと思いたいの。後で、師匠には……何とか説明する」

コウジンの口は「でも」「だけど」と言い縋ったが、しばらくし諦めたように腕を下げる。長い溜め息を吐き出し、レイリンを見つめる。

「……半殺しに、されるかもしれないニャ。旦那様も、ボクも」
「ごめんね、コウジン」
「仕方ないニャ、そういう旦那様っていうのはボクが知ってるニャ」

コウジンはにこりと笑った。その笑みにレイリンも頬を緩め、直ぐに引き締めた。

「師匠は必ず来ます、だから、早くこの場所を去って下さい。師匠と一緒に、ヒゲツさんも来るでしょうから。あの人たちの強さは、一番側に居た私が分かるもの」

事態を見守っていたジンオウガは、ぴくりと耳を揺らした。
ヒゲツ、だと?
思わず彼は身を乗り出すと、の頭上で唸った。

「どういう事だ、何故ヒゲツが来る」
「……」
……?」

が言葉を出すに出せずに居ると、タイミング良く「さあ、早く行きましょう」とレイリンが言った。走り出したレイリンとコウジンの後ろに続き、カルトが向かう。「」と呼ばれ、彼女も走り出したため、背後のジンオウガは仕方なく一度疑問は仕舞う事にした。

「後で、説明をして貰うぞ。

はその言葉にも、頷けずにいた。

相変わらず静寂に覆われた渓流は、雑音がない。疾走するやレイリンたちの足音を引き立て、大きく鳴り響かせる。まるで、その必死さを嘲笑するような反響が、後ろからついてく。
森林の世界を長い事ひた走り其処を抜けると、目の前にはせせらぎが現れる。鈍い空を映す幅広なそれを、水際に沿うように上流へと駆けていけば 、大きな滝が視界に飛び込む。その向こうには、飛沫で隠されているが口を開けた洞窟が見える。レイリンは、あそこに向かおうというらしい。

「洞窟なら、師匠は真っ先に見ないはずですので……そこから、どうにか普段居る渓流へ帰って下さい」
「レ、レイリンちゃんは……?」
「私は……師匠が来ていないか、見てきます。もしも居たら、引き留めないと」

レイリンは、そう言い放つ。けれど語尾は震え、迷っている事は明確だ。彼女の気遣いはありがたいが、それでは……影丸との関係は……。
「無理しないで、私たちは勝手に何とか戻るから」はそう言ったが、レイリンは首を振る。

「……ずっと私、思ってたんです。師匠はモンスターを見れば必ず殺せって言ってたけれど、アオアシラや、そのジンオウガも攻撃して来なくて……もちろんさんが居るからですけど、そういうモンスターも居るんだって」

レイリンは肩越しに振り返り、小さく微笑んだ。

「自分でも言っている事が分からないけど、でも……今はこれで良いって、思います」
「レイリンちゃん……」

彼女が、優しいハンターで良かった。けれどそれを、影丸は受け入れてくれるとも思えない。ユクモ村の社会見学の最中、感じていた影丸の影と微かな激情は、この優しさを切り捨てる。その事の方が、あまりに生々しく予想された。

洞窟まで残り数十メートル……だが、そんな時に限って、邪魔は入る。丁度滝の前で、ジャギィノスやジャギィが集まり、群がっていた。彼らは向かってくるやレイリン、そして背後で駆けるジンオウガに気付くと、直ぐ様攻撃態勢に入り威嚇をしてきた。
ジンオウガが蹴散らせば一瞬であるが、それでも先頭に居たレイリンはバックラーを構え、片手剣を腰から引き抜いた。それに合わせて、コウジンも木刀を持った。

「ジンオウガさん、洞窟に……?」

が振り返ると、ジンオウガの足は緩やかに止まっていった。パシャリ、と水際を踏んだ前足が、静かにせせらぎへ埋まる。
「……ジンオウガさん?」は、トコトコと彼の前足に近づき、そこから見上げる。彼の目は、レイリンではなく、その向こうを見ていた。もちろん、ジャギィなどではない。
カルトも戻ってくると、ジンオウガを見上げた。
しばらくし、ジンオウガはその顎を開いた。グルル、と警戒するような鳴き声が低く響いていく。

「……人里付近に来る事の危険くらい、俺も熟知している」

ジンオウガの目が、ゆるりとを見下ろす。

「――――― 誰か、来てしまったようだな」

は目を見開き、バッとレイリンたちを見た。

引き抜いた剣を強く握りしめ、レイリンは果敢にジャギィへとジャンプし切りつける。ギャ、と呻いたジャギィは攻撃をレイリンに見定めると、周囲に居たジャギィと共に十分に殺傷能力のある牙を見せつけ、取り囲んだ。
けれど、今ばかりはレイリンは怯まなかった。その場を飛び退いて離れると、片手剣を持ち直して見据える。少し、ジャギィとジャギィノスの数が多いが……下位の渓流であるし、直ぐに片づけられる。そう踏んだ彼女は、再び剣を振りかざす。
だがその剣が、ジャギィを退ける事は無かった。


――――― ズラリ


鞘から刃を引き抜く、冷たくも鼓膜に残る音が、聞こえた。
レイリンはハッとなって足を止める。
恐らくはその瞬間である、群をなしていたジャギィとジャギィノスが、宙を舞う。レイリンの視界を、横切っていく彼らの悲鳴が、耳を通り越し背後へと落ちていった。静止画を見ているような、その素早い剣筋。それを切っ掛けにし次々と、バシャリ、バシャリ、と音を立てて水の中へ横たわって、彼らは動かなくなる。
それを、レイリンは振り返り確認しなかった。振り返る事が出来なかった。
鈍い空から降りてくる陰った光に、照らされた滝の前。
冷気を放つ鋭利な長い刃が、飛沫を凍てつかせ、冷たく空を切る。それは、男性の身の丈を超える太刀であった。そしてそれを両手で構えている者は……ある意味では、最悪の人物であった。
レイリンは、呼吸が浅くなるのを覚えた。覚悟はしていたのに、いざ目の前に現れると……その覚悟は、薄い紙のように吹き飛ばされていった。

鈍い空気を切り裂く、鮮烈な碧色。
その武者鎧を全身に纏った人物は、ヘルム越しにレイリンと視線を交わした。いや、視線で射殺す、と表現しても正しい。ヘルムの目は赤く、そして勇猛な二本の角で飾られ、荒々しいまでの王者の風格が滲んでいるのだ。
氷の太刀を背中の鞘へ戻したその蒼い武者は、ゆっくりと踏み出す。

びくり、とレイリンの足が震えた。意識せず、その足が数歩ずつ退いていった。
たちも気付き、その存在感を放つ武者を見つめた。

「……何処に居るかと思えば。まさか、ジンオウガなんぞと一緒に居るとは、さすがに思わなかったな」

冷徹な、低い声。レイリンは肩を跳ねさせた。
蒼い武者の足下から、同じ系統の蒼い鎧と兜を装備した漆黒のメラルーが現れる。

その声の響きと、足下のメラルー。だけでなく、カルトも気付く。この蒼い武者は、彼だと。

「……どういうつもりだ、馬鹿弟子が」

は、ぞっと震えていた。
ユクモ村で笑っていた彼とは思えないほど、低く冷徹で、感情の抑揚のない声。武者の防具を纏っているせいだけでない、その何人も近づけさせる気のない空気。モンスターだけでなく、人間まで遠ざけてしまうのではないのか。

これが、あの彼?

現れた蒼い武者――影丸を、は呆然と見つめるしか無かった。
ついに相対する、影丸とジンオウガ。
ラストのイベントに、突入です。

2012.01.28