英雄と紅葉の村(1)

最近は、ジンオウガとの交流が以前より親密になった気がした。
もともと、口数が少なく不要な言葉は口にしない性格であるが、との会話をそれなりに楽しんでくれて、幾らか話も弾んだ。
その変化は、先の一件を境にしているのは言うまでもない。人でないモンスターに、自らが人間であると認められた、あの日だ。もまた、人の居ない渓流での生活に、心の余裕が生まれたように思う。
もちろん、カルトやアオアシラとも一層親しくなったし、知り合ったハンターであるレイリンという少女とも、上手くいっている。オトモアイルーのコウジンには、何故か嫌われているけれど。( 旦那様に近付くな、とのことだが、さっぱり意味が分からない )

そんなことで、近頃のカルトとにはある遊びが流行っている。
それは、渓流が夜を迎え、藍色に静まり返ってから始まるのだが。

「さあ、行っくニャー!」

カルトが高らかに号令をかける場所は、ジンオウガの頭上。恐れ多くも無双の狩人の、勇猛な象徴とも言える黄土色の尖角に片足を置き、得意のどんぐりハンマーを持ち上げ、上機嫌に佇んでいる。
自殺行為とも取れる、ポジショニングである。
普段ならば宥めるのが、の仕事であるけれど、そのも、ジンオウガの隆起した肩に腹這いに伏せ首にこっそりしがみつき、発進を待つ裏切り者であった。
当のジンオウガと言えば、ご想像の通り、酷く迷惑そうに目を細め、「何で俺がこんなこと」と言わんばかりの不服オーラ全開である。頭の上ではアイルー、首の後ろにもアイルー、さぞ鬱陶しいことだろう。が、しばらくすれば仕方なさそうにその太い四肢をもって立ち上がる。地面をゆったりと踏みしめて、洞窟内を登って行き、月明かりの下へその碧色の体躯をさらすと、カルトとの口からは感嘆の声が上がる。

「ニャハー! 空が高いニャー! どんどん進むのニャー!」
「……何なんだ、お前らは」

呆れたように低い声で呟くも、今のカルトには例え人の言葉であったとしても届きはしない。誰もが恐れる大型モンスターの頭上で大地を見下ろし、すっかり良い気分に浸っている。
ジンオウガにとっては迷惑極まりない、渓流のナイトウォーク。頼み込んでしまったのは、実を言うとであった。一度で良いから彼の背に乗ってみたい、この状況だからこそ叶えられる願望を聞き届けてもらえないかとジンオウガに無理を言ったのだ。「一度だけだ」と、彼は渋々ながら乗せてくれたのだが……これが、想像以上に楽しい。ゆらゆらと揺らされながら、月明かりの下を進む渓流。何をするでもないけれど、の胸を満たした。童心に返ったようで、すっかり今も継続し満喫中である。
ただし勝手に盛り上がるアイルー二匹とは正反対に、ジンオウガの気分はダダ下がりである。

「……一体、何が楽しいんだ?」
「え、えへへ。理由はあまりないんですが、ジンオウガさんの背に乗っているだけで楽しいっていいますか」

ジンオウガの周囲を舞う雷光虫が、蛍のようにユラユラと淡く光る。微力とは言え電気を帯びた昆虫のため触れることは出来ないが、こうやって見るだけでも十分だ。
ジンオウガの纏う電気により、強い光を宿した青白い雷光虫も美しいが、鮮烈な蒼さよりこちらの淡さの方が心穏やかになる。

「……楽しい、か」

俺には分からない、とジンオウガは低い声で呟いたけれど。はしっかりと彼の優しさを理解している。振り払わず好きなようにさせ、落ちないよう歩みを緩めているのだから。
彼もなかなか、不器用な性格のモンスターである。

……ふと思ったが、この渓流で過ごして、もう何日経過しただろうか。
時間の感覚は、もうすっかり分からなくなってしまった。けれど、あれだけ苦痛だったこの日々も、そう悪くないように思えてきた。
それは、自分の感覚が人を失い始めたのか、それとも逆に受け入れているのか、定かでない。
けれど、もし、人間に戻っても。
……あまり考えたくないが、アイルーの姿のままであっても。
この渓流の景色は、覚えていよう。そう、思った。
今この瞬間の、種族を超えた親交も―――――。




――――― さて、そんなある日のことだが。
長靴の音を立てるハンターの少女……レイリンが、数日ぶりに渓流へやって来た。相変わらず、明るく可愛くて、あまりハンターっぽさのない女の子だ。そしてやはり、手を振りながら駆け寄ってくるものの、石につまずき豪快に顔面から転げた。痛々しい音が、静寂に響き渡る。
……もう慣れてしまったが、この子はかなりのドジっ子であるらしい。いや、ポーチの中身を全てばら撒いたり、何も無いところで転んだり、挙句川に頭から落ちたり……の思うドジっ子を超越してしまっているか。そのわりにピンピンしているのは、身体が丈夫な証拠か、それとも数々の転倒で強くなったのか……。
ともあれその光景に慣れたは、レイリンの顔の土を払って、立たせてやる。

「今日はどうしたの? コウジンくんも居ないし」

いつもであれば、レイリンの後ろでピョンピョンと跳ねているオトモアイルーがいるのだが、珍しくその存在が見えない。カルトが隣で喜んでいるので、ちょっと引っかいてやる。( 悲鳴が聞こえたが無視 )
すると、彼女は首を横へ振り、「今日は、一応採取クエストで来てますが、さんとカルトさんに用があったんです」と笑った。
予想外な言葉が出たため、二人は互いに顔を見合わせ、首を傾げる。

「用、っていうのは……?」
「実はですね―――――」



「なるほど、人里へ社会見学か」

ジンオウガが昼間姿を隠す、洞窟内部。
腹這いに伏せ、前足を組みその上へ顎を乗せたジンオウガの隣で、は頷いた。

「アイルーの紹介をしてるネコバァっていう人が、この辺りに来るそうで。その人は人の世界に行きたいアイルーのスカウトをしたり、気にしているアイルーに見学をさせたり、しているらしいんです。もし良かったら村を見に来ないかって、その子に言われました」
「それで、返答は?」
「もちろん、頷きましたよ!」

この世界の人々の暮らしに、触れられる絶好のチャンスだ。本を見ても深く理解など出来ない、やはり実際に見なければならないし、その道中渓流外の景観も見て回れるかもしれない。
これを逃さす手は、ないだろう。
人の世界へ行く云々は、まだ考えていないが……ここで繋がりを作っておけば、後々にも役立ちそうだ。

「来るのは数日後と言ってました。その子はそれだけ聞いたら、帰りましたけど。今から楽しみです」
「そうか……で、」

ジンオウガの視線が、の横へとそれる。

「まさか、そのアイルーも行くのか」

ジンオウガの声は、何処と無く訝しげでもあった。まあ、そうもなろう。

「カルトも行きますよ、何故かはりきってます」
「アイツの鼻っ柱、へし折ってやるニャ!」

すでに主旨を違えたやる気を見せる、カルト。アイツというのは、考えるまでもなく、レイリンちゃんのオトモアイルーのコウジンだろう。こんなもの連れて行って大丈夫かと、も一抹の不安を感じはしたのだが、何故か本人が「見に行ってやるニャ!」と言っているため、突っ返すのも可愛そうだったのだ。彼も何だかんだで、人間の生活に興味を示しているようだから。
結局、社会見学にはカルトの名も連なり、二人の見学旅行が計画された。
ジンオウガに報告しても、彼は嫌悪感を見せるかと思ったが、意外やあまりそういった類のものは見せなかった。それを思わず漏らせば。

「好きにすればいい」

短すぎる、その言葉だけが返ってきた。
ただ、その時、何かを飲み込み耐えるような。少しだけ寂しそうに面影が翳ったような。そんなハッとする空気も見え隠れしたのだが、はこの時気にならなかった。社会見学であっても、暮らしを見れることが嬉しくて、舞い上がっていたからなのだろう。
楽しみだな、などと談笑し、持ち込んだ果物をかじる。

「……で、見学に行くという、場所は?」

ジンオウガは、グルル、と低く喉を鳴らし、尋ねた。

「その子が暮らしている、ユクモ村というところなんですよ」
「すいぶん前に、ジンオウガ騒ぎのあった村ニャー」

「――――― ユクモ、村?」

横たわっていたジンオウガが、突如として身体を起こした。その時、前足へとぶつかったためとカルトはコロリと後ろへ倒れる。

「ニャにするニャー!」

カルトは、分かりやすく憤慨しているけれど、は仰向けのまま、ジンオウガを見上げた。
空気が強張り、張り詰めていく。突然の変化に、は戸惑い、「ジンオウガさん……?」と呟けば、彼は一瞬ハッとなり、顔を下げ視線を合わせた。
「……いや、すまない」そう言ったけれど、空気が和らぐことはない。とカルトは身体を起こし、じっと見上げる。

「……お前が会ったハンターというのは」
「はい」
「女、だったのだな? 男ではなく」

……レイリンちゃんの、ことだろうか。
ジンオウガが何故そのような問いを投げかけるか不思議ではあったものの、静かに頷く。が今まで会ったハンターは彼女だけで、男のハンターなど見たことはない。
そう返せば、彼は何処か肩を落とすように落胆を僅かに見せ、顔をそらす。

「……いや、変なことを聞いた。忘れてくれ」

彼はそう言い、乗り出すように起こした身体を、再び横たえる。が勝手にそう見えただけなのかもしれないが、何かを……耐えているようにも見える、横顔だった。《何を》など、それこそ分からなかったけれど、ただそれ以上は聞きくことは出来ず、静かに会話を終わらせた。

言わない方が、やはり良かっただろうか。
流れ落ちる滝が隠す、真っ暗な洞窟の入り口を見上げる。カルトに呼ばれ、は静かにその場を離れたけれど、気がかりではあった。
以前も、ユクモ村の単語が出た時、彼は一瞬様子を変えた。彼の過去、その村に何かあったのだろうか。大型モンスターであるし、何かあっても―――――。
はそこまで考え、ハッとなった。

ユクモ村は、ジンオウガの脅威にさらされていた。

まるで、呪いの言葉のように脳裏へ過ぎり、慌てて振り払う。
その出来事はカルト曰くもうずいぶん昔で、その上ハンターに倒された結末がすでにある。あのジンオウガが……まさか、ユクモ村を襲ったジンオウガと同一であるということは、突拍子が無さすぎる。は自らの考えを即刻捨てた。

けれど……。

ハンターと争い手傷を負って、流れ着いた手負いの王者。
それ以外に、何かが隠れていそうなどと、飛躍しているだろうか。

、早く来るニャー!」
「あ、はーい!」

気付けば、カルトは遥か先で飛び跳ねている。は、ひとまず疑問は置き、カルトへ駆け寄った。



「……ユクモ村、か」

……そうか、この場所は、ユクモ村からは遠くはないのか。
上位の地から逃げて来る際、ずいぶんと足を引きずりながら歩いたことは覚えているが、距離感までは分からなかった。その地から、離れることに必死になるあまりの結果だろう。
しかし……よもや、ユクモ村に近付いてしまったとは。これもまた、何かの因果だろうか。
そう思った瞬間、ジンオウガの胸がざわついた。忘れたはずであるのに、目を閉ざすと、まざまざと浮かび上がる過日の記憶。


――――― 近くでジンオウガが暴れてて、二人のハンターに退治されたとかニャ。


――――― でもどっちか片っぽが死んだって話ニャ。今はそのユクモ村は、その残った片っぽが守ってるらしいニャ。


捨てたはずだったが。捨て切れては、いないらしい。

「……人の居ない世界が似合いだとしても、俺はまだ……―――――」

ジンオウガの呟きは、ひっそりと静寂に溶け、消えていった。



――――― それから、数日後のこと。
いつものようにベッコバッコと長靴の音を立てながら、レイリンがやって来た。「ネコバアが来るっていうから、一緒に来ちゃいました」と彼女は笑い、付近にあった手頃な岩へ腰掛ける。まあもちろん、そのまま後ろへスッ転んだのは言うまでもない。
では準備をしなくては、とは一旦レイリンと別れ寝床まで戻ることにした。彼女は採取をしながら待っていてくれるとのことなので、打ち捨てられた村々の南にある、唯一大型モンスターの入る恐れのないガーグァの住処周辺を待ち合わせ場所にした。は足早に踏み慣れた森林部へ向かい、岩壁によじ登る。亀裂の中へ飛び込んで、大きめの紙包みを取った。せっかくだから、レイリンがわざわざ作ってくれたこの服を着ていこうか。ボロ布のワンピースは脱ぎ、手早く身づくろいをしてからスポンッと頭から被る。紅葉色の、着物とワンピースが組み合わさったような可愛らしい服、人間の姿であれば似合わなかったがアイルーの姿なら違和感がないことが救いだ。裾を撫でて整えつつ、後は持っていくものだ。よれよれの羊皮紙数枚と、折れる間際の万年筆を握り、竹筒へ慎重に入れ蓋を閉じる。しっかりと腰へ巻かれているのを確認し、は寝床から出た。

さん……?」

控えめな少年の声に、は顔を上げる。ぽつん、と寂しそうに佇んでいるアオアシラを視線の先に見つけ、は駆け寄った。
の身なりが変わっていることに、アオアシラなりに気付き、何かあると察したのだろうか。いつもならベロンベロンとヒゲがもげそうになるほどに舐め回す彼は、しょんぼりとしていた。

さん、何処に行くの……?」

クウン、と喉を鳴らした彼に、はどうするかと考えた。だが素直に「人間の村を、見に行ってくる」と伝える。
彼は赤い垂れ目を途端に見開いて、慌しく身体を揺らした。「さん、人間は危ないよ」彼にしては珍しく、強い口調だった。を心配してのことだろうが、はそっと宥めるように頭を撫でる。
……以前は、「人間は怖い生き物だって聞いた」とあやふやな言葉を口にしたが、今は「危ない」と完全に断定している。こないだの、レイリンの件をすっかり覚え、認識してしまったのだろう。モンスターにとってハンターは脅威であるだろうが、全てのハンターをそう敵視していいかどうか……には疑問でもあったが、彼にそれを求めるわけにもいかない。
いっそ危険だと思っていた方が、争いも起きないかもしれないのだ。

「私は大丈夫よ、ただ見に行くだけだもの。すぐに帰って来る」

ね、と首を傾げてみたが、アオアシラはやはり浮かぬ面持ちである。

「……だって、この前」
「うん?」
さん、あの人間に……」

レイリンから、誤って攻撃を受けてしまったことか。あれは確かに痛かったが、今は身体に支障をきたさず健康体だ。
しかしアオアシラなりに、衝撃的だったのだろう。彼はしょんぼりとしたまま、呟いた。

「ボクが、ちゃんとしてなかったから……」
「アシラくん」
「ボクが、弱かったから、守れなかったから」

続きそうになった声を、は顔を抱きしめ止めた。
ポンポン、と後ろ首を叩くと、硬質な青毛の感触が返って来る。

「大丈夫、アシラくんは悪くないから。私は何ともないし、気にしないで」
「でも……」
「そうやって思ってくれるだけで良いから。だから、あんまり悩まないで」

ポンポン、とあやし続けると、アオアシラの気弱な鳴声が次第に普段と同じものになる。ペロリ、との頬を掠めるように舐めると、そっと離れた。

「……気をつけてね、すぐ帰ってきてね」
「うん。お土産、持ってくるからね」
「お、みやげ??」
「えーと……美味しそうなもの、持って帰ってくるから」

そう言えば、アオアシラは嬉しそうにブオンッと一鳴きした。
はそれに満足し手を振って分かれると、レイリンの元へ急いで向かった。
そのの背が見えなくなるまで、じっと見つめていたアオアシラの視線は、やはり終始不安そうであった。

「……あ、そうだ」

浅く緩やかなせせらぎの先、横へ広い滝の向こうに開く洞窟の入り口。それを見て、は少しだけ寄り道をすることにした。
濡れないよう注意しながら、滝の後ろへと掻い潜るように回り込み、洞窟内部へと踏み入れる。平地を飛び降り、隆起した地面を進み、壁の窪みへヒョコッと顔を覗かせる。

「ジンオウガさん」

いつものように、は呼ぶ。昼間はほとんど動かないため、今も横たわり息を潜めているのかと思ったのだが……この日は、座り込み、前を見据えていた。何かを、覚悟したような。そんな錯覚すらした。竜の横顔から、感情をうかがうことは難しいけれど。
そびえるように映った彼を、はしばし見上げていた。
彼女に気付いたジンオウガが、先に口を開き一瞬の静寂を破る。

「……今日か、人里へ行くのは」
「はい。いつもと違う格好だから、分かりやすいですね」
「そうだな……」

彼の声は、沈み込んでいるわけではないが、普段の力強さは無かった。は気になったものの、「すぐに向かうんだろう」と尋ねられたことで口にすることは出来なかった。

「一日はかかるだろうな、移動に。気長に行くことだ」
「あ、はい……」

は、行って来ます、とだけ言うことしか出来なかった。くるりと背を向け、カルトを探しに向かおうとしたが、「もしも」と不意に低い声がかかり足を止めた。

「もしも村に行き、覚えていたらハンターのことを……」

ハンター……?
は振り返ったが、ジンオウガの声はその言いかけた途中で止まり、「いや、これも忘れろ」と言った。
彼にしては……曖昧な口調だ。けれど、を見下ろす竜の瞳は何かを宿していた。それは今まで見ていなかった、覚悟のようなものだ。真摯に見つめられたからと言って、モンスター相手にドキリとするのは感覚が狂っているのだろうか。

「……この渓流に戻ってきて、気が向いたら」

彼の声は、先ほどとは違い決意を秘めたように強く響いた。

「気が向いたら、俺と、付き合って欲しい場所がある」

は、目を真ん丸にした。しばらくの間、驚くあまり上手く反応を返せず、口をパクパクと動かした。
その様子を、ジンオウガは否定的な意味で受け取ったのか「気が向いたらだ、無理にとは言わない」と付け足した。
は慌てて首を振ると、「そんなことないです!」と語尾を強くし返した。

「い、行きます、人里見学が終わったら、必ず!」

勢い込んだせいか、やや跳ねた口調になってしまった。ジンオウガは一瞬目を見開くも、フッとそれを穏やかに細め、「そうか」と呟いた。

「……そろそろ行った方が良い。あの小うるさいアイルーも連れて行くのだろう」
「あ、はい!」

は満面の笑みを咲かせて、おじぎをしその場を去った。
あのジンオウガから、頼まれごとなんて。驚きと嬉しさの入り混じる胸が、妙に逸った。
脆弱なアイルーの自分が、側に居ても良いと認められたような気さえする。それは少々、誇大表現かもしれないが、の内心はまさにそれのようだった。

「……何処だろう、行きたい場所って」

紅葉色の洋服を揺らしながら、はカルトが居るであろう竹林を目指した。



よそ行きの洋服を着て行ったアイルーの背は、嬉しそうにしているのが目に見えた。それをジンオウガは静かに見送り、後に残る静寂へ呟く。

「――――― 羨ましい、か」

そう思うのは、やはり捨てきれていないからか。
呼吸をし始めた感情が、今度は熱を伴い、身体の奥底で震える。
諦めたつもりになって、それでもやはりあのアイルーを羨ましく思う。彼女が妬ましいと呟いたのと、同じように。ちっぽけな彼女を、今自分は酷く妬んでいるのだ。けれど、あのアイルーの諦めたくないと訴えた瞳に、共感もしていた。


――――― それでも私は、人間が良いんですね。人間で、居たいんです。


俺は……あれを捨てたつもりになっていただけか。

「……覚悟を、決めるとしよう」

これも恐らくは、因果なのだ。




先行するは、上機嫌に鼻歌を奏でていた。後ろについているカルトが「気持ち悪いニャ」と呟くも、今の彼女には効果はない。
あのジンオウガが、付き合って欲しいと言ったのだ。カルトにはそれが、どれほどのことか分からないだろう。
彼は、へ声をかけることは今まで無かった。それは、彼の引いていた線はある一定の警戒を持って関わろうとしなかったからからだ。それを自分が超えることを、許されたのだろうか。他のモンスターとは異なる、彼のその不可思議で不透明な部分へ、近付くことを。もしそうであったなら、にとって何と誉れある事か、喜ぶ以外に表現はない。

「フンフ~ン♪ 良いの、ほら、行きましょうよ」

レイリンと待ち合わせた場所に向かうまで、カルトは終始「何だコイツ」という面持ちであった。
さて、渓流の景観を一望出来る、切り立った崖上の台地。そこを過ぎ、さらに入り組んだ細道を降りていくと、大型モンスターや危険なジャギィも現れない、ガーグァの住処へと踏み込む。湧き出た清水が、優しく大地を濡らしていき水溜りを作り出している。空の青さを映しだしたそれをピチャピチャと踏み、レイリンの姿を探す。

「あ、さん、こっちです!」

階段状の台地の一番下で、レイリンが手を振っている。はカルトと共に立ち止まって、登って来る彼女を待つ。

「お待たせしました。ごめんなさい」
「いいえ、私も採取してましたから平気です!」

レイリンはそう言って、ふんわりと笑ってみせた。「それより」と呟くと、を見下ろして嬉しそうに目を細めた。

「私が作った服、着てくれたんですね! ありがとうございます」
「せっかく、お出かけするから綺麗な方が良いと思って」
「自分で言うのは何ですが、我ながら上手く出来ましたー。可愛いです!」

パチパチと両手を合わせる彼女は、ごつい身なりなのにやっぱり普通の少女であった。
ハンターというのは、こんな感じなのだろうか。彼女しか見たことがなくそれを判断は出来ないが……少なくとも、彼女のようなハンターもいるという事実だけははしっかり受け入れる。

「さ、行きましょう! ネコバアと、タル配達のメラルーがお待ちです」

タル配達? まさか……。
がパッと顔を明るくさせたのを、隣のカルトが人知れず眉をひそめたが、それを彼女は知らない。
行きますよー、と片腕を上げた彼女は、歩きだした瞬間水溜りのぬかるみに足を取られたのかビッタンと転げた。



久しく来てはいなかった、切り立った崖の小道。相変わらず、地上は遥か彼方、霧のような薄い雲を纏った山々と静かな自然がの視界へそっと映った。空に、何かが飛んでいる。鳥か、あるいはモンスターだろうか。
ここまでは来たことのなかったであろうカルトは、キョロキョロと辺りをうかがっている。高さに怯えた様子がないのは、彼が普段過ごしている場所のせいだろうか。
その様子が何だか面白くてつい笑みを漏らすが、「あそこですよ」とレイリンが声をかけたので顔を上げた。
道なりに進んでいく先、小さいけれど誰かが立っていた。片方は、やけに大きなカゴを背負った小柄な人間。そして、片方は……。

「ニャン次郎!」
姐さん、お久しぶりニャ。変わらずお元気そうでなによりでさ」

猫の形をした笠を外すと、花の形をした眼帯をつけた瞳が笑う。
風呂敷をマント代わりに纏い、草の茎をくわえたメラルー。手形つきのタルを横に置き、野生にはない格好よさが浮かんでいる。
久し振りに会ったけれど、彼も変わらず元気そうで良かったと、覚えていてくれて良かったと、も笑った。
タル配達なる職で人間の世界へ進出したメラルー……ニャン次郎。彼は鈴をチリンッと鳴らすと、を見やり、「綺麗な服ですニャ」と言った。

「どなたかから、貰ったのニャ?」
「レイリンちゃんから、作ってもらったの」
「ニャんと! それは良いことですニャ、レイリンさんも良い仕事しなさるけど、姐さんよく似合ってるニャ」

さすがは別嬪さん、何着ても似合う。ニャン次郎はそう滑らかに言った。さすが慣れている、思わずドキリとしてしまった。
……ネコ相手にドキリとするのは、やはり私の感覚が獣じみてきているのだろうか。
しかしニャン次郎は、格好いいと思う。「お上手ですね」と言いながら、レイリンも共感し頷いている。

「……やや、そちらの方は」

ニャン次郎が、の斜め後ろにいたカルトを見る。
「渓流の、友達です。今回一緒に」と紹介しつつ、カルトへ振り返ると。
凄い嫌そうな顔をしていた。一瞬で友好的な挨拶もしたくなくなる、非常に不機嫌な顔だ。

「ちょ、ちょっと、カルト」

ほら挨拶、とそっと呟いてみるも、彼は会釈程度でそっぽを向いてしまう。
……何なのよ、もう。急に不機嫌になったり、嬉しがったり、忙しい子だ。
はニャン次郎に謝ったが、彼は気にしていないようで笠をかぶり笑っている。

「で、さん、こちらがアイルーのスカウトや見学を全部引き受けているネコバアです。ハンターにつくアイルーの推薦もしているから、ギルドとも直接的なやり取りをしている凄い人なんですよ」

レイリンが紹介した、もう一人の人物。アイルーとほぼ同じ大きさの、小柄な老婆だった。真ん丸眼鏡をかけ、農婦のような衣服を着て、ほっこりとした優しい印象がした。しかしながらその身に背負う、そのゴツイ籠が存在感をやけに放っている。
……重くないのだろうか。

「ネコバアさん、この子たちがお話したアイルーたちです」

ネコバアは、とカルトを見ると、「おやおやまあまあ」とシワだらけの顔に笑顔を浮かべて、トコトコと歩み寄って来る。カルトが警戒を露わにしたけれど、ネコバアはさして気にする様子もなく、から見ていく。

「まあまあ、可愛い子だねえ。それに何だか、今まで見たアイルーちゃんたちとはちょっと違うわねえ」

そう言って、シワだらけの小さな手を伸ばしてくる。の頭と喉を撫でていくが……凄く、あったかくて優しい仕草だった。猫の本能か、ゴロゴロとつい喉を鳴らしてしまう。それに何だか、懐かしい匂いもして、祖母の姿を思い出してしまった。
よしよし、と頭を再度撫でてから、今度はカルトへ向かう。あんなに警戒を露わにしていたカルトも、ネコバアの手ですっかり緊張が解けてニャゴニャゴ言っている。
……恐るべし、ネコバア。

「コウジンも、ネコバアから紹介してもらったんですよ」
「へえ……レイリンちゃんのところには、他の子もいるの?」
「はい! 一番最初に来てくれたのがコウジンで、他にも数匹。さんと同じ、桜色のアイルーもいるんですよ」

へえ、それは凄い。
が関心すると、ネコバアが「さて」と振り返った。

「じゃあ、早速行こうかしら。旅ながら、アイルーちゃんたちに人間の里のことを話して、事前勉強しなくちゃね」

ほっこりとした、可愛い笑顔を浮かべたネコバアに、レイリンも頷いた。そこから少し歩き、ネコタクという数匹のアイルーが引っ張る車に乗り込んだ。
ニャン次郎はタルに乗り、ゴロゴロと隣を進む。何でもこれの方が彼には良いらしい。仕事柄だからだろうか。
ゴトゴト、と山道を進みながら、ネコバアから人里での注意点などなどを説明してもらった。は、中身は元人間なので人里での常識は問題ないが、カルトには念入りに聞かせた。
の世界の、高速で進む乗り物とは違い、ゆったりと進んでいくけれど、これはこれでとても味がある。流れていく景色が、ゆっくりと変わり、穏やかな陽射しが心地好い。

「そういえば、レイリンちゃんの暮らしているユクモ村って、どんな場所なんですか?」

が尋ねると、レイリンは「そうですねー」と手を合わせる。

「ユクモ村って、実は周囲に天然の温泉がたくさん湧き出ていて、有名な温泉地なんです。湯治客もたくさんいて、ハンターさんも多くやってきます」
「温泉!」

うわァァァ入りてェェェェ! と叫びたくなったのは、やはり日本人の血が騒ぐからだろう。

「ユクモ村に来る前、生まれ育った場所は本当に田舎で。東国に似た雰囲気の村と温泉に感動しちゃいました。
さんも、気に入ると思いますよ!」

自慢げに言ったレイリンに、は笑みを返した。
隣に並んだニャン次郎も頷いていて、「仕事が終わった後の温泉は最高ですニャ」と、日本人と握手が交わせる言葉を放つ。

「そういえば、レイリンさんのお師匠様ですかニャ? よく温泉に入ってる御仁だニャ」
「……師匠?」

レイリンは一瞬動きを止めたけれど、「私の、先輩のハンターです」とはにかんだ。

「温泉に時間があれば入って、そのまま酔いつぶれちゃう人なんです。でも、ハンターとしての腕は本物ですよ!」
「へえ、先輩かあ。素敵な人?」
「す、素敵だなんてそんな……師匠は男の人ですけど、厳しくって」

少し気恥ずかしいのだろう、俯きがちであった。けれど村の話をする時よりも、嬉しそうに言った彼女からは、慕う気持ちを感じ取る。
師匠か……どんな人なんだろう。
その響きから、ごつい印象の男性像を思い浮かべただった。

村の見学、レイリンの師匠……なかなか楽しみなイベントが、詰まっていそうだ。
そういえば渓流で暮らしてから、いつも水浴びばかりだった。あったかいお湯に入って、さっぱりしたいものである。
まだ見ぬユクモ村なる温泉地に想いを馳せ、彼女らを乗せたネコタクは進んでいく。
時おり休憩を挟みながら、緑豊かな山道をひたすら行った。太陽も傾き始め、地面の影も伸びていった。

そして、不意に緑の道を抜けた時。
ついに、やって来た。

「――――― 見えましたよ、あれです!」

レイリンが、ネコタクから身を乗り出して指差した。ずり落ちそうになったため、は慌てて腰にすがり支えたが。
広がった光景に、思わず声を漏らした。

渓流の、豊かな緑が広がる先に、鮮やかな赤が見えた。それは、懐かしくも美しい、紅葉の色だ。そして、湯けむりが至る所から立ち上り、温泉特有の硫黄っぽい香りが鼻を掠める。
その中で、優雅に溶け込んでいる村があった。遠目でも分かる、和風な造りと、朱色な鳥居の大門。東国と言ったのは、和風の建築様式のことだったか。
懐かしく、そして何処か異世界にやって来たと印象付ける、美しさがすでにうかがえた。

「ユクモ村ですよ!」

斜陽に照らされた紅葉に囲まれたユクモ村を、はじっと魅入った。
おいでませユクモ村!
なんてことがあれば良いなーと思いました。
アイルーのスカウトをするなら、そういった社会見学の場を作ってあげたりしていると嬉しいぞネコバア!

完全にオリジナル進行ですので、何度も言うようですがご了承下さいませね。

さて村に来たからには、彼を出さないと……!!


2011.11.20