英雄と紅葉の村(10)

――――― 長かったようで短い、ユクモ村社会見学の最終日。

とカルトの元に、今朝ネコバアが訪れ、帰りの時間を説明してくれた。ユクモ村からたちの暮らす渓流へは、送迎屋を利用するにしても時間が掛かるため昼前には出発するとのことだ。帰り支度、というほどの物はないけれど、その前に村に挨拶して回らなければと、はカルトを引っ張って行った。

最初に回った場所は、温泉と可愛い受付嬢で心底癒された集会浴場。ギルドカウンターや番台、ドリンク屋にも挨拶をしたところ「また来てね」と優しい言葉をかけて頂き、そしてお土産にと何かお菓子をたくさん貰った。流石に申し訳ないと思ったのだが、カルトががっちりと掴んで抱え込んでしまったため返せなくなった。
そして。

「――――― 姐さん!」

猫の形をした笠と風呂敷、そして花形の眼帯をつけたメラルーのニャン次郎が、の元へと駆け寄って来た。そういえば、彼にはあまり会わなかったな……きっと配達の仕事が忙しかったのだろう。それでも、最終日に彼と会えて良かった。

「今日、帰られるんで」
「そうなの、ありがとうね。とても楽しかった」
「いえ、あっしは何も。でも、あっしの方こそ、とても楽しい思いをさせて貰ったニャ」

彼は言うと、笠を外して礼をした。

「これからまた一仕事に行かなくちゃなりませんが、またお会いした時はどうか」

彼はぐっとの手を掴むと、樽に乗っかり、転がしながら颯爽と去っていった。相変わらず彼は、とても格好良い江戸っ子であった。

それから、市場通りの道具屋の女性に挨拶をし、老いたかつてのオトモアイルーのモミジイの元へ向かい。ユクモ村の女村長にもしっかりと帰りの挨拶をした。いつ見ても綺麗な人で、たおやかな優雅さを纏い、とカルトの頭を撫で「またいらして下さいね」と微笑んでくれた。

そうする頃には、もう帰りの時刻になろうとしていて、最後に影丸やレイリンなどにも挨拶をしようと、四日間お世話になったレイリン宅へと戻った。
だが家の前には、既に影丸とヒゲツの姿があり、レイリンとコウジンもまた玄関に寄りかかっていた。
おや、とが不思議がると、彼女たちは手を振り呼ぶ。

「待ってたんですよ、さん」
「挨拶回りをしてて……ごめんね」

挨拶回り? 人間みたいなことするなあ、と影丸の呟きが聞こえる。
レイリンは家の中へバタバタと戻ると、何かをその腕にごっそりと抱えての前へとしゃがんだ。

「お土産に、良かったら。袋に入っていたりするものは、邪魔になるだろうし、後で燃やして捨てられる紙袋に全部入れてみました」

ユクモ村で食べた、果物の詰め合わせ。その中に混じって、大きめの瓶が一つ納められている。中には、綺麗な金色のとろりとした液体が満たされており、質感と漏れている匂いですぐに察した。

「これ」
「《あの人》に、お土産です」

レイリンは、片目を閉じて見せた。瓶の中身のハチミツは、やはりアオアシラへの物だったらしい。
後ろで不思議そうにする影丸とヒゲツへ、他の野生のアイルーのことですと誤魔化しを入れ、紙袋をギュッと抱く。

「……ごめんね、何から何まで」

するとレイリンは、ブンブンと首を勢いよく横へ振った。

「誘ったのは私ですし、それに、とても楽しかったです。何だか、私まで良い経験をさせて貰ったっていうか。だから……ありがとうございました、この数日間」

ぺこり、とレイリンの頭が下げられる。そんな風にしなくても、大したことはしていないのに、とはその頭をポンポンと軽く叩いた。

「こちらこそ、ありがとう。とても、良い思い出になりました」

にっこりと笑うと、レイリンも笑みを返してくれた。今までで、一番明るいとびきりの笑顔だった。

「でも何でアンタがここに居るニャー」

コウジンがぶすっと言うと、ヒゲツの睨みが向けられる。

「今日帰るという同胞の見送りくらいは当然だろう。コウジン、やはりお前には今一度礼儀作法を叩き込まなくてはならないか」
「い、嫌ニャ……!」

ガタガタと震え出したコウジンは、慌ててレイリンの背中に張り付く。
クスクス、とも笑ったが、このやり取りもしばらくは見納めか……。そう思うと、少し寂しくもあった。

「ま、また来る機会があれば、遠慮なく来な。そんでもって、また農場の手伝いをしろよ」

ニヤニヤ、と笑った影丸に、は一瞬の殺意を抱いたが、これも最後のため同じくらい意地悪げに笑みを返してやる。今度はオトモ虫取りでも、記録を更新してやるから、と。

それからほどなくし、ネコバアが彼女たちの元を訪れ、出発の時刻を告げた。
ユクモ村の鳥居の姿をした門を潜り、石畳の階段の下で待っていたガーグァの送迎屋に荷物を乗せる。見送りに来てくれたレイリンや影丸が、妙に多くなってしまった手土産を全て乗せ、最後にとカルトを荷台へ抱き上げて乗せたが。
は、ふと影丸に振り返り、これだけは言っておかなければと思っていたことを告げる。

「ねえ、影丸」
「うん?」
「レイリンちゃんにも、いつかちゃんと話をしてあげてよね」

隣でレイリンが、「え?」と首を傾げた。影丸は何も言わなかったが、の強い眼差しについには肩を落とし、「そうだな」と短く呟く。

「いつかは、ちゃんと聞かせてやらねえとな」

影丸の手が、ポンッとの頭に乗せられ、そして静かに離れた。
レイリンは「何の話ですか?」「師匠?」とピョコピョコと小さな身体を飛び跳ねさせていたが、影丸に押さえつけられ、呻り声を漏らす。「そのうち、だ」と言う影丸の表情は……少しだけ、穏やかであったかもしれない。

さて、そろそろ出発しようか、とネコバアが言った時。
カルトが、急にピョンッと荷台を飛び降りて、ヒゲツの前に立った。
ヒゲツは驚いて少し目を丸くしたが、「どうした」と変わらず冷静に言う。すると、カルトは。

「ヒゲツの兄貴!」
「あ、あに……?」

その瞬間、隣で影丸がブフォッと吹き出したのが聞こえた。

「オレ、兄貴の強さに感動したニャ! 兄貴から教えて貰ったこと忘れないで、もっと強くなって、兄貴みたいになるのニャ!」

キラキラと、それはもう溢れんばかりの尊敬と憧れの輝きを放っていた。

「そんで、将来は兄貴みたいなオトモアイルーになりたいのニャ!」

は、カルトの言葉に驚いて、じっと見つめた。
ヒゲツは、しばし口を閉ざしていたが、ふっと息を吐くと。

「……そうか、楽しみにしていよう」

そう笑った。カルトは胸を張ると、「頑張るのニャ!」と飛び跳ねた。
ユクモ村に来て、カルトにも良かったのだと、は改めて思う。野生のアイルーが人の強さに付き従うということ……モミジイの言葉が過ぎり、その意味を少しまた、理解したように思う。
その光景を、興味なさそうにコウジンは見ていたけれど、急に何かを思い出したようで二匹の間に割って入った。

「ちょっと待つニャ、それなら尊敬する相手はボクじゃないのかニャ?!」
「ニャ? 何でニャ」
「自分の身を持って色々学ばせてやったのに、何でボクじゃなくてよりにもよってヒゲツなのニャ?!」

キーッとコウジンが怒り出す。ああ、そうか勝負の件があったな。やレイリンなどは思い出したが、この様子を見るとカルトの中での印象の強さはコウジンではなくヒゲツが圧倒的に上らしい。既に「何のことニャ」などと言っている。ますます、コウジンが憤慨していく。

「何で負けたアンタを尊敬しなくちゃいけないのニャ」
「お、おま……! 誰のためにそうしてやったと……!」
「黙れコウジン」

ついにはヒゲツより一喝され、コウジンは慌ててレイリンの足の後ろに隠れる。

「そろそろ出発だろう、さ、早く乗れ」

ヒゲツに促され、カルトはの乗り込んだ荷台へと戻ってくる。その表情はやはり、晴れ晴れと明るく、そして新たな夢を抱いた無垢なもので。ぐっと成長した様子を、改めて感じた。

「じゃあ、出発するからね~」

ネコバアは、相変わらずゴツい籠を背負ったまま、ガーグァを操るアイルーへと近づくと声をかける。パシリ、と手綱が音を立て、丸々とした ガーグァが歩きだし、荷台がゆっくりと動き出す。帰りはとカルトだけのため、バッと立ち上がると、影丸とレイリン、ヒゲツやコウジンに向かい小さい手を目一杯振る。

「お世話になりましたー!」
「兄貴ーまたニャー!」

ちょ、他の人に挨拶! とは思わず叱ったものの、村の入り口で手を振り返してくれる彼らの笑顔を、じっと見つめた。

悩みを持ち、それでもハンターとして頑張っている普通の女の子なレイリン。
あんまり仲良くなれてはいないかもしれないけれど、彼女を慕う気持ちで溢れているコウジン。

そして、ジンオウガ討伐の英雄の影丸と。
彼を信じ新たに主人へ選んだ、もう一人の英雄のオトモだったヒゲツ。

彼らを通じ、この世界の人々の暮らしやハンターの生活、葛藤、そして繋がりを感じさせてもらった。いつか自分も、あの中に入りたいと思ったが、もっと勉強し学んでからでないとならないような気もした。今の自分では、たとえ人間に戻っても……彼らのように、強く逞しくいられないかもしれない。
カルトが、この社会見学で大きく成長したように。自分も、もっと。

手を振る彼らが小さくなり、いつしかユクモ村が遠ざかっていく。温泉の湯気と、赤々と輝く紅葉で彩られる村の風景。それをはじっと見つめ、記憶に刻み込んだ。
――――― 近くて、とても遠い場所である、その美しい村を。

「ねえ、カルト」
「ニャ?」

ゴトリ、ゴトリ。荷台が、心地よく揺れる。

「いつかまた、行きたいね」



というわけで、ユクモ村社会見学終了いたしました。
長かった割に、ニャン次郎が空気だったという突っ込みは受け付けます。むしろ目立っていたのはモミジイだった。シルバー世代萌え。

今回、むしろ大きく変わったのはカルトでございました。彼の将来に期待です。

オリジナルなハンターたちの過去話だとかふんだんに出て参りましたが、彼らは今後も出ますので、どうぞお付き合いをばお願いします。
さて次は、渓流に戻ってからのお話でございますが……よっし、ジンオウガさんの有耶無耶なところを全てはっきりとさせたいと思います。

2012.01.09