英雄と紅葉の村(9)

時間の経過とは、かくも早いものか。気づけば陽は落ち、見慣れたユクモ村に暮れる色が重なり、影も伸びやかになっていく。社会見学三日目が終わろうとしていることに、は改めて感じて、その景色を見つめていた。レイリンの自宅は、賑やかな市場通りから僅かに離れた位置にあるため、伝わってくる空気の振動、人々の声、の脳裏に刻まれる。

帰る場所である渓流は、これとはまるで正反対だろう。
人里に触れたことで、その相違点を一層感じてしまうかもしれないが、それでも。
ちゃんと覚えて持ち帰って、また頑張らなきゃ。
そう思うの脳裏に、過ぎる蒼い閃光の王者。
付き合って欲しい場所がある。一体、何処だろうか。

はしばし考えた後、パンッと両手を合わせ、レイリンの家へと戻った。悲鳴の響く、その家に。


「キャァァァ! コウジン、そんなに一度にお皿を持って行かないで~!」
「レイリン、これはもう出来たのニャ?」
「あ、それはまだ煮込んで……って、カルトさん火傷するからそんな鍋を覗き込まないでェェェ!!

……ごめんね、レイリンちゃん。

厨房の光景は、凄絶でもあった。コウジンが自分の身長以上の高さにまで積み重ねた皿を頭の上で持ち上げ、カルトはどうしているかと思えば調理光景が面白いのか火にかけてある鍋に顔を近づけている。それを止める家の主は、半ば泣いてあわあわと大慌てに駆け回って、料理どころではない。これ以上慌てさせると、今度は彼女が横転しそうだったため、はテコテコと近づくとカルトの尻尾を掴んで椅子から引きずり落とす。悲鳴が聞こえたが、無視する。

「ごめんね、ちょっと離れたら」

その瞬間の、奇跡を目撃したかのような輝いたレイリンの表情といったら……。本当に、申し訳ない。
コウジンの持つ、既に落ちてきそうな皿のタワーを、椅子の上に立って半分ほど奪い取る。机に置き、こんなに必要ないから戻した方が良いのではとご意見を申し上げてみたものの「そんなの分かるニャ!」と怒られた。……この子に私は何かしたのか、未だ原因不明の態度である。だがレイリンに戻すよう言われ、渋々と食器棚に片付けていった。

手際よく、野菜を切っていくレイリンの隣へ並び、も何か手伝おうと尋ねる。「じゃあ、この野菜を鍋に入れて下さい」と切った材料を手渡されたので、グツグツと水泡を立てる鍋に入れた。

「今日は、何だかまた豪勢ね。パーティーみたい」
「えへへ、今日は特別ですから」

木のお玉杓子で鍋をかき混ぜ、指示通りに調味料も入れる。
「特別?」とが尋ねると、レイリンの笑みが少しだけ寂しそうに塗り変わる。

「今日が、最後ですから」

レイリンはそう呟くと、壁に掛けられた平鍋を取り、火の上へと置く。

「だから、最後は少し豪華にして、みようかなって」

レイリンの笑みに、珍しくコウジンが口を噤んでいる。彼女の心中が、彼を見て感じ取れるようだった。

「……そっか。ありがとう、素敵な夕ご飯ね」

レイリンは笑みを深めると、木ベラを握りしめる。

「本当は、師匠やヒゲツさんも、呼びたいんですが……勇気が、無くて」
「え?」
「あ、いえ、何でもないです」

レイリンは慌てて口を閉ざし、野菜を炒め始めた。
しかし、彼女の言葉はにはしっかり届いていた。そういえば、レイリンは影丸を師として慕っていながら、付き合い方に未だ戸惑っている面が度々見て取れた。近い位置に居ながらの、ジレンマというものかもしれない。
影丸と、ヒゲツか……。
どちらも、この三日間よくしてくれたし、何だかんだでとても楽しい思いをさせてくれた。農場の手伝いは、正直心臓が止まるかと思ったが、人里で暮らすアイルーの生活の一片にも触れられた。
はそう、思い出を整理し、レイリンを見上げ、口をそっと開く。

「ねえ、レイリンちゃん」
「はい?」
「―――――二人も、呼んでこよっか」

レイリンの手が止まり、驚いたようにをバッと見下ろした。

「で、でも、私は」
「別に良いじゃない、ちょっとした食事会くらい。断らないと、思うけどなあ。それに私も、ヒゲツや影丸と居られるのはもうほんの僅かだもの」
「でも……」

レイリンは戸惑い、言葉を探す。だが本心くらい見て取れるは、カルトとコウジンへ振り返り、「二人に、声を掛けてきてもらっても良いかな」と告げる。
コウジンは途端に嫌そうな顔をし、あからさまな「絶対嫌だ」と空気で猛アピールを仕掛けてくるものの、すっかり懐いたカルトが意気揚々と「合点ニャ!」と腕を上げ飛び出していく。「止めてニャ、何で呼ぶのニャ!」と半泣きな声で制止しながらも背を追いかけたコウジンを、眼差しで見送ってから、静かになった厨房でレイリンを見上げる。

「それが出来る内は、やっていた方が良い」
「え……?」
「やれなくなった時に、とても後悔するから。次の瞬間には、自分がどうなっているか分からないものよ」

こういうのは、初めてなの? が尋ねると、レイリンは頷いた。そうだろうな、この数日で分かったが影丸は難のある性格と過去を持っているから。

「じゃあ、これを機に、もっと仲良くなりましょう。ね?」

レイリンはしばし俯いていたが、次第に表情を明るくし、普段見せるふわりとした笑顔になった。

さんは、不思議なアイルーさんですね」
「ふふ、よく言われる」

それからほどなく、レイリンの家の玄関から、カルトとコウジンが戻ってきた。カルトは満面の笑みで、コウジンは頭にタンコブを何故か作っていた。声を掛けに行っただけでどうして、とが不思議に思ったものの、玄関に掛けられた長暖簾が持ち上げられたことで直ぐに気にならなくなってしまう。

見慣れた漆黒の鎧と兜を纏う、隠密模様のメラルーと。
ユクモ村人の衣服を着流して纏う、影丸。

お邪魔します、と一言口にし入って来た彼らは、厨房の鍋や平鍋の数に声を上げた。

「おいおい、何か晩餐のような光景だな」
「お呼ばれさせて頂き、感謝する」

は鍋に蓋をすると、椅子を降りて二人のもとへと駆け寄る。もう完成するため、席に座ってもらうことにし、二人を押した。

「アンタも手伝ってるのか、へーこりゃ凄い」
「いえいえ、大体はレイリンちゃんが作ってるもの。私は手伝い」

飲み物でも、とすっかり慣れて戸棚から茶と器を取り出し、用意する。カルトが妙にはりきって「さあさ座るニャ!」とヒゲツのため椅子を引いている。本当に、すっかり懐いたわね。対するコウジンは不満あります、という表情のままだが。

さーん、ご飯を盛ってもらっても良いですか?」
「はーい」

茶を淹れた湯飲みはカルトに任せ、配ってもらうことにする。トトト、とレイリンの側に向かい、しゃもじでお焦げを壊さないようそっと炊き立てご飯を盛り分ける作業をした。

そのの背を、ヒゲツはじっと見つめた。

は、面白いアイルーだな」
「そうニャ、アイツは大体あんな感じだニャー」

カルトは笑うと、コトンと湯飲みを置く。そのはというと、気付かずにご飯を椀に盛り、カルトを呼ぶ。彼も厨房に向かって行き、からお盆を受け取っている。

「……本当に、不思議なアイルーだ」
「何だ、やっぱり気に入ったのか」

そしてヒゲツの隣から、ニヤニヤと笑みの含む声音で、影丸が呟く。

「別に、そう言うわけではない」
「隠すな、お前は《主人》によく似て、家庭的な雌が好きだろう?」

ヒゲツは黙りこくったが、直ぐに口を開く。「俺の今の旦那は、貴方だ」と。影丸は小さく笑うと、声を潜めたまま「それなんだけど」と返した。

には、全部話した」

ヒゲツが、途端に驚いた表情を露わにする。
「全部というのは、俺のこともか」と言ったが、影丸は首を振る。

「俺の昔話を聞いてもらっただけだ。それでどうこう何が変わるわけでもないけど」
「そう、か」
「アイツは、確かに変わったアイルーだよ」

影丸は、ふっと目を細める。

「まるで、人間と話をしているみたいだ」

ヒゲツは湯飲みを持ったまま、の背を見つめた。紅葉色の衣装の似合う、桜色のアイルーの背を。

彼らの会話は聞こえない、レイリンとはそれぞれ分担し盛り分けた料理と大皿、鍋を食卓へ運ぶ。
よ、とレイリンが大皿を丁寧に置くと、正面の影丸の視線とぶつかった。

「今日は悪いな」
「い、いえ! 来てくれて、ありがとうございます」

コウジンが運んだ小皿を渡すと、影丸は笑みを浮かべた面持ちのまま言った。

「そうか、明日でコイツらも帰るんだな」
「はい……」
「ま、寂しいようなそうでないような。ともかく、華々しいお別れ会になるな」

影丸に笑われ、レイリンも笑みを返した。

さんたちも、座って下さい。食べましょう!」
「ええ」

席に座ると、目の前の鍋や大皿に盛られたガーグァのもも肉のガーリック焼き、綺麗なお焦げの白米や、ユクモ原産の緑茶。豪勢な食卓だが、これも最後だと思うと、不思議な気分になった。

「レイリンちゃん、ありがとうね。影丸やヒゲツも、お世話になりました」

あ、あとコウジンも。付け足すと向かいではコウジンが憤慨しているけれど、ヒゲツから静かなゲンコツを食らってすぐに黙る。
ペコリ、と頭を下げると、カルトも見習ってか同じように下げた。

「まだ、明日もあるんですから。食べましょうよ」

レイリンに肩をそっと撫でられ、顔を上げた。

「そうだ! あとですね、飲み物も果物のジュースも買って来たんですよ!」
「レイリン、酒は?」
「そんなものありません! 師匠はたまには自重して下さい!」

レイリンはそう言いながら、保存庫の扉を開けると、中から冷えた瓶を取り出す。スキップ軽やかに駆け寄ってくるが、足下がおろそかになったのかグギリと足首をひねり、ジュースを高らかに放り投げた。
悲鳴や呆れた声、爆笑する声が響きわたったことを合図にし、ユクモ村での最後の食事は賑やかに始まった。




――――― それから食事会が、賑わい終わろうとした時。
とカルトは、影丸とヒゲツに連れられて夜のユクモ村を歩いていた。明かりを灯し照らし出された市場通りは、夜店を見て回る人々がやはり思った以上に多かったが、たちが向かう先はその賑やかさから離れた民家の立ち並ぶ静寂の野道であった。
夕飯の片付けを手伝おうとした時、影丸がふと「とカルトを借りて行っても良いか」と呟いたのだ。レイリンは不思議がったが首を横に振ることはなく、とカルトは家を離れることになった。提灯を握った影丸を先頭にし進む道すがら、彼はカルトにも過去に起きたことを説明した。カルトは噂で、二人のハンターにジンオウガが倒されたことや、その一人が消えたことを知っていたが、詳細を聞き少し驚いたようだったが、特別な反応は示さなかった。

「そうそう、それに続きがあるんだがな」

影丸はゆっくりと歩きながら、そう言った。

「もう一人のハンターは、崖から落ちて消えた。数日後、直ぐに捜索依頼が出されて何日と探したんだが、見つかったのはジンオウガの亡骸だけだった。肝心の、そいつの姿は何処にも無くてな」

仄かに照らされた顔が、肩越しに振り返る。普段と同じように見えたが、やはり本人がそう繕っているだけなのかもしれない。

「……ギルドは殉職したなんて阿呆なことを言ったんだが、俺はせめてアイツの姿を見ないことには信じられなくてな。たとえ亡骸でも、防具の欠片でも、見つかるまでは死んだと思わないようにしたんだ」

村人や、ギルドは、本当はもう死んでいると思っているのだろうが。頑なに俺がそう言ったから、言葉にはしないのかもしれない。
影丸はそう言うと、「ああ、此処だ」と提灯を高く持ち上げた。
とカルトが見上げると、そこには一軒の家屋が佇んでいた。けれどその家にはもちろんのこと、周囲に明かりはない。頭上で満ちる星の瞬く夜空と、涼しい風が、静寂を煽る。人の気配がないことは、も気付いた。そして、うっすらとこの家屋が何なのか、予想出来た。
けれど影丸は多く言わず、少し古ぼけた長暖簾を押し上げて中へと入っていく。ヒゲツも続いて入っていったのだが、その時、彼の横顔が酷く強張っていたことに気付いて、は息を飲んだ。

?」

カルトに手を引っ張られ、彼女はぐっと覚悟にも似たものを背負うと、その家へと踏み入れた。
中は、机や椅子、食器棚と家具が置かれていた。だが、折り重なった埃と籠もった空気が満ちて、もう長いこと使われていないことが伺える。そしてやはり人は住んでおらず、現に床は影丸の足跡やヒゲツの足跡がくっきりと刻まれている。

「……埃っぽいニャ」

カルトはそう呟きながら、机に指を滑らせる。べったりと、白い埃が付着した。

「まあな、あれから七年も人が住んでいなけりゃ、こうなるわな」

影丸は言うと、「こっち」と階段を登っていった。明かりを追いかけ、とカルトは駆け上った。
二階部分は、こじんまりとした私室のようだ。だが一階部分とは異なることがある。それは、この部屋に関してはあまり埃がなく、空気も真新しく涼しいことだ。それに……壁には、物々しい防具や武器が、立てかけられている光景に、真っ先に視線が向いてしまう。番の短剣――双剣が飾られ、その鋭さは薄暗い部屋の中で冷たく鋭利な輝きを放つ。
とカルトが、つい見渡している中……ヒゲツが、その防具の前に佇み、口を閉ざしたまま触れている姿を見つけた。
声をかけられないほど、ヒゲツの金色の瞳の眼差しは一心にその防具に注がれている。背負われたその静けさに、は見つめるしかなかった。

「ここはさ」

影丸は、埃のない机に歩み寄ると、椅子を引いて座った。
そっと置かれた提灯が、ゆらりと仄かな炎を揺らす。

「昔居た、ハンターの家」

は、影丸をじっと見つめた。
ああ、やはりそうか。そのような気は、していたのだ。

「たまに来るから、二階のこの部屋だけは割と綺麗にしてあるんだ。ま、俺も大概まだ引きずってるってことだ」

影丸は、机の上の本を開いた。少し厚いその本をゆっくり開き、彼はとカルトを呼んだ。

「ほれ、こいつがそれな」

トントン、と指先で叩いたそのページは、古ぼけたセピア色の写真が張り付けられていた。厚いそれは、思い出の記憶である、アルバムだったようだ。
そこには、首筋にかかる程度の、毛先がやや跳ねた短髪な男性が映っている。二十代前半といったところか。そしてその隣には、屈託のない笑顔の青年が並んでいる。この青年は、面影がありすぐに分かった。

「影丸ニャ」

カルトが言うと、「なかなか可愛げあるだろう」と冗談っぽく言った。隣の男性は、彼の言うもう一人の行方不明になったハンターなのだろう。はしばし眺めた後、そっと呟いた。

「……何故、私やカルトに」

教えてくれるのだ。
言うなれば野生で彼らには何の関係もないのに。

の困惑の眼差しに、影丸は気付いているが、無言を返すだけだった。そして、ふとページを何枚も進め、開いたアルバムをに手渡した。見れば、そこにはアイルーたちの写真がたくさん張り付けられていた。縞模様から無地、メラルーまでいる。それぞれ、可愛らしい装備を身に纏っていて、得意げに武器を持ち上げている。背後はよく分からないが、恐らく農場での一コマだろう。その可愛らしさと和やかさにはクスクスと笑ったが、ふと飛び込んだ一枚の写真にドキリとした。

そこには、先ほどの短髪のハンターが笑っていた。静かな、大人の男性らしい涼しさを秘めている。
けれどその隣には、真っ黒な、メラルーが並んでいた。

装備は違うが、間違いようがない。この特徴的な、メラルーにない眼光を放つ瞳は……。

「――――― 俺がその人と出会ったのは、もう随分と昔のことだ」

そう言ったのは、影丸ではなく。
背後で防具をそっと撫でていた、ヒゲツだった。

「そして最後に話をしたのも、ちょうど、七年前」

ヒゲツは、おもむろに赤い羽の飾られた兜を外すと、壁をじっと見上げた。姿形の異なる、様々な双剣……それらを見つめていくヒゲツの瞳は、とても穏やかで、そしてとても悲しそうであった。
はまた一つ、感じ取った。この消えてしまったハンターと、彼のかつての関係を。

「ヒゲツは、もしかして……」

が影丸を見上げると、彼は少しだけ苦く笑い、ゆったりと言った。

「……このハンターが居なくなった時、そりゃ大変だったな」

放心状態で戻った当時の影丸の話を聞き、村人は皆慌てふためき。ギルドマネージャーや当時の受付嬢はすぐに捜索依頼を出した。
だが一方で、ジンオウガと共に崖から落ちたというその凶報に最も泣き崩れたのは、ハンターのオトモアイルーたちであった。彼らは皆影丸を責め、そして罵倒した。旦那様を返せ、と。
その中には無論……このメラルーの、ヒゲツも居た。

「何日と捜索したが、出てきたのはジンオウガの亡骸だけ。肝心の、こいつだけは何も出てこなかった。防具も、武器も、骨の一つも」

その後ギルドは、これ以上の捜索は無意味と判断し、ハンターを殉職に相当すると決定を出した。だが、それを拒んだ影丸は、平に謝り倒しながらも、どうか死んだという扱いにはしないでくれと頼んだ。それは無論、師であり友人であるかのハンターへの情もあったが、別の思いもあったのだ。
泣き崩れた、オトモアイルーたち。
雇い主であるハンターが居なくなれば、当然オトモアイルーも解雇される。彼らをユクモ村に残してやりたい、そう思ったが、結局彼らは新たな雇い主を探すため散り散りになった。
ハンターという、職業。常に命が危険と隣り合わせの環境で、彼らもそのような事態にいつか遭遇してしまうのではないかという覚悟は持っていたことだろう。だが、感情と理性は相容れることはない。
旦那を殺した、ハンターのもとになんて居られない。
その言葉が、ただ影丸に残された。

だがその時、ただ一匹のオトモアイルーが、影丸の前に現れた。彼は、消えてしまったハンターの、最も側に居たオトモアイルーであった。
アンタは、これからどうするつもりだ。そう尋ねられ、彼は、強くなると、いつかアイツが帰ってくる時のため強くなると、そう告げた。

『……その言葉、信用するぞ。《旦那》』

差し出された小さな手を、影丸は強く握り締めた。枯れ果てたと思っていた涙が溢れるほど、嬉しく、そして同時に最後の懺悔をした。
あの時にも思ったものだ、共感してくれたこいつのためにも、青い志を持つ自惚れたハンターを葬り去って、真に納得出来る強さを求めよう、と。

影丸は、一呼吸置くと、やカルトを通り越し、その後ろへと視線をやった。

「……今でも、俺は覚えてるぞ。ヒゲツ」

ヒゲツはふっと笑うと、「そんなこともあった」と呟いた。
カナカナ、と虫の鳴き声が、歌うように響き、夜の静寂を彩る。
は、影丸とヒゲツの間にある絆、繋がりを、垣間見た。それは到底、現代人であるには程遠いものだったが、そんな彼らがとても誇り高く、大きく映った。
カルトも、キョロキョロと影丸とヒゲツを見比べたが、無粋な言葉は発さなかった。

「……さっき、言ったな。どうして自分に話すのかって」

アルバムを大切そうに持ったままのへ、影丸の声が落ちた。静かで、とても普段の悪戯めいたものは一切ない、声音だった。

「アンタたちは野生だし、まあ確かに関係ねえんだけどさ……お前ら見てると、色々思い出された」

影丸は、机に頬杖をつく。

「俺のやり方は、今後も変わることも変えることもないだろうけどよ、少しだけ……あの頃を思い出した」

影丸は言うと、とカルトの頭をガシガシと撫でた。
不器用げな、乱暴な仕草。けれどその手が、言葉少ない彼の心を、補うようだった。ありがとう、とでも、告げるような暖かさ。

「それに、何かお前たちを見てるとさ、アイツにも会えるような気がしてよー。なんて、これは流石に、疲れすぎたかな」

ハハ、と影丸はいつもの口調で笑った。
は、しばし口を閉ざし、そして、意を決して彼に告げた。

「……貴方は、モンスターを恨んでいるの?」

影丸は、ぴたりと揺れていた肩を止めた。その様子に、は怯みそうになったが、ぐっと堪えて続けた。

「貴方は、身を砕くほどの狩猟依頼にいつも赴いていると聞いてる。それが悪いかどうかを、言いたいんじゃないの。ただ、そうやるのはやっぱり、過去の一件なのよね」
「……どういう意味だ」
「――――― 貴方が今追いかけている最大金冠のジンオウガも、その中に含まれるの?」

その瞬間、ガタリと椅子を蹴り飛ばすように立ち上がった影丸が、の前にしゃがみ、その腕を掴んだ。その強さに、は眉を寄せる。

、お前、知っているのか。ジンオウガのことを」
「旦那」

ヒゲツが駆け寄ってきたが、はそれを視線で制し、痛みを堪えて言った。

「そのジンオウガのことは、知らない」

影丸の手から、力が抜ける。振り払うことも出来たが、は掴まれたまま、視線を逸らさない。

「けれど……いつ終わるの?」

影丸の目が、見開かれる。

「今追いかけているジンオウガをもしも倒した時、貴方はまた別のジンオウガを探すのだと、私は思う。ねえ、影丸……いつ、終わるの」

いつ、終わらせるの。その修羅のような、厳しい強さの探求を。
それとも、終わらせることはないのだろうか。
貴方を師として慕う少女を、安心させることもないのだろうか。

張りつめた静けさが、夜風と共に撫でていく。
と影丸の視線が、交わったまま長い沈黙が流れた。それを先に逸らしたのは……影丸であった。彼はの手を離すと、窓辺に寄りかかった。

「終わる、か……」

彼は呟くと、瞼を下ろす。そして、再び開けると、を見下ろした。

「さあな、もしかしたら終わらないのかもしれないし、終わるのかもしれない」

曖昧な言葉で、彼は告げた。それは彼の、本心が混ざっているのだろうか。彼の言葉からは、は汲み取れない。

「――――― やっぱりお前は、不思議なアイルーだな」

影丸は怒った様子はない。けれど、一瞬現れる鋭利な牙を持つ獣の横顔は、彼の奥底に秘めたものが如何なるものなのか、理解するには十分だ。ただ気遣われるは、とてもその心が、不安定であることだった。

「……居なくなった、そのハンターの名前は? 何ていう名前なの?」

の最後の問いかけに、彼はしんとした声で返した。

「――――― セルギス。セルギスっていうんだ」

もしもアイルーの情報網で聞いたら、頼むな。
彼はそう笑ったが、絞り出したように告げたその声が、耳の奥で残っていた。



影丸は、しばし消えてしまった友人ハンター……セルギスの空家に残るそうなので、ヒゲツがとカルトを送ってくれることになった。その暗い道は、猫の目おかげがとても鮮明に見え、転ぶこともなく、そして彼の輪郭もはっきりと浮かび上がらせた。

「――――― 俺は、旦那のやり方を、むしろ受け入れてる」

ヒゲツは、そう呟いた。

「セルギス……《旦那》が影丸を庇ってジンオウガと崖から落ちたと聞いた時、今すぐにでも殺してやろうかとも思った。だけど、半分くらいは……納得もしていたニャ。あの人はああいう性格でもあったし、ハンターという職業を俺自身が理解していなかった訳でもないから」

トトト、とカルトがヒゲツの隣へと並んだ。

「ヒゲツも、影丸みたいに、モンスターをたくさん倒したいのニャ?」
「……否定は出来ないな。俺もきっと、底の方ではそう思っているだろうし」

ヒゲツは、ふとカルトを見て、肩越しにへと視線を流す。

「お前たちを見ていたら、昔を思い出した。それに旦那も、少しは気が楽になったと思うニャ」
「楽に……?」
「ああ見えて、旦那は不器用だから、滅多に自分の悩みなど言わない。特にセルギスが居なくなったユクモ村のジンオウガ討伐の話は。なかなか、風当たりが悪かったしな、当時は。人でないからこそ、あの話を言えるのかもしれない」

ふと舞い降りた静寂の中、たちはレイリンの自宅に到着した。ヒゲツはまた、影丸の元へ戻るそうだが、それをはそっと引き留めた。

「ヒゲツも、何故、私たちに話をしてくれるの」

彼はしばし口を噤んだ後に、静かに呟いた。

「……そういう気分だった、で構わない」

彼も大概、影丸によく似ている。はそう思ったが、肩を竦めると小さく笑う。
すると、ヒゲツの手が不意に伸ばされ、カルトとは不思議そうに彼を見る。

「……俺たちも、楽しい思いをさせてもらった。感謝する」

ヒゲツの、珍しく笑みの混じった言葉。は意図を察して、ヒゲツの手をギュッと握った。カルトも、ヒゲツの手を握って、握手という行為に不思議がっていたが、少しだけ寂しそうにも見えた。

「では、また明日」

そう言って走り去るヒゲツの後ろ姿を、とカルトはじっと口を閉ざし見送った。その影はすぐに見えなり、二人の周囲は夜の静けさが増していった。

「明日だねえ、帰るのは」

改めて呟いた頭上は、妙に綺麗な夜空が広がっていた。
カルトの手を引っ張ってレイリンの家へと戻ったが、珍しくカルトの手が握り返してきた。



最後の夜は、みんなで夕ご飯。
それと影丸と、もう一人のハンターの名前も出せて、ヒゲツのことも明かせてすっきり。
イベント終盤になってね!

オトモアイルーが何も考えていないっていうのは、無いと思うので。当時のヒゲツはきっと、影丸を試す意味合いでも新しい旦那様に選んだのではないのかと思います。
ちなみに影丸が、前の話でちょくちょく「主人に似て~」と言っていますが、これは影丸のことではなくかつての主人のセルギスのことを指してますが、皆様お気づきでしょうかね……?

2012.01.08