英雄と紅葉の村(3)

――――― ユクモ村を、雷狼竜の脅威より守った、英雄。
その英雄は、温泉好きの飲んだくれ男性でした。

心のノートへその一文を書き込んだは、現在レイリンとコウジンの帰りを待っていた。
レイリンは、あの飲み過ぎで倒れていた男性を引きずり、「ちょっと酔いを冷ましてきます」と何処かへ行ってしまった。( レイリン凄い )
すぐ戻って来るとのことなので、は見学していようと、一通り集会浴場の中を見回り、その場に居た全員へ挨拶をした。
「野生のアイルーが社会見学してるって、チミのことだねえ」特徴的な口調の、山菜爺よりかは身の幅のある龍人族の老人……ギルドマネージャー。ユクモ村のこのギルドの、言ってみれば責任者だ。
そしてその隣の、濃桃色の衣服と帽子を被った少女と、水色の同じ形式の衣服を着た女性。ギルドで出す依頼の応対をする、受付嬢らしい。
道具屋、そして温泉の番台を務めるアイルー、飲み物を売るドリンク屋アイルー、あとはその辺に居た、ハンターらしき中年男性。笑い声が結構響く人物だった。

その後ギルドのクエスト受注カウンターにいた、綺麗なお姉さんと少女に撫でくり回されながら、ギルドの何たるかを色々と教えて頂いてる最中。
カルトはというと、受付嬢の少女から食べ物をもらって夢中になってかじっていた。( 大人しいと思ったら……! )

ジンオウガが以前教えてくれたのと同じで、ギルドとは狩猟者やその支援などを行う場所である、とのことだ。このカウンターは、ハンターたちが狩り場へ向かう最初の手続きを行うところで、各地から寄せられる依頼やギルドの緊急を要する依頼などを掲示し説明するらしい。簡単な竹の子採りから、大型モンスターの狩猟など、依頼は様々とか。少しだけその依頼書を見せてもらったが、あいにく良く分からなかった。ただ、その文章の雰囲気から、何だか物々しさだけは通じた。添えられた絵は……何だろう? 漆黒の毛皮に覆われ、何処か猫科の輪郭があり、けれど腕に翼が生えていて……片目が、ない? かなり曖昧な友人のゲームプレイ画面で、このようなモンスターを見たような気がするが、あいにく思い出せない。「へえ」と相槌を打って、ひとまず記録をしておこう。は、竹筒からみすぼらしい紙と万年筆を取り出すと、それをカウンターに広げて書き始めようとする。

「それ、どうしたの?」

赤い服の受付嬢の少女が、の手元を覗き込んだ。

「山菜爺さんから、貰ったんです」
「へえー山菜爺さんってそんなものもあげるんだ。でもそれ、もうボロボロじゃない?」
「ええ、まあ……気をつけないと、折れますね」

手元の器用さは鍛えられそうだけれど。
が苦く笑うと、スッと真新しい万年筆と紙の束を差し出された。見上げると、水色の衣装の受付嬢の女性が、微笑んでいた。

「使って下さい」
「でも……」
「記念です、ね、マネージャー。良いですよね?」

受付嬢が、ギルドマネージャーへと視線を向ける。瓢箪に口をつけ、プハーッと息を吐きながら、「ま、良いんじゃない?」と笑った。
断る理由もないため、は有難く使わせてもらうことにし、ボロの紙と万年筆は受付嬢に渡し交換した。

「それにしても野生のアイルーで万年筆と紙が使えるなんてねー。ねえ、それに可愛い服、これどうしたの?」
「えと、レイリンちゃんに、作ってもらって」
「レイリンさんが夜更けまで起きて内職していたのは、それなのですね」

ついでに、彼女の内職は村全体にばれていたことが判明した。
それにしても同性と話すのは楽しいものだ。すっかり和気あいあいとすると受付嬢の横で、カルトとギルドマネージャーが何かを食べていた。( 何なのこの子 )



――――― それから、数十分後のことだろうか。

さん、お待たせしましたー!」と、元気なレイリンの声が聞こえ、受付嬢に撫でまわされながら瞳を声の方向へと向ける。
ベッコンバッコン、と長靴の音を立てながらレイリンと、妙に大人しい……いや、怯えているコウジンが近付いてくる。
けれどその後ろに、先ほどの男性と思われる、の世界でいう忍に酷似した身なりのハンターと、真っ黒なメラルーの存在に眼を引かれたので、コウジンの様子はすぐに気にならなくなってしまった。
は受付嬢に礼をし、静かに膝から降りて、カウンターを出る。綺麗な女性らに撫でられるのもなかなか心臓に悪い、と思いつつ、まだ一生懸命物をかじってるカルトを引っ張る。

「ごめんなさい、お待たせしました」
「いいえ、あの……大丈夫で……?」

こそ、と尋ねると、彼女は何処か遠い眼差しを空へ向け「いつものことですから」と笑った。その笑みが妙に同情を誘ったのは、気のせいでないだろう。
その時、小柄なレイリンの頭へ、背後から伸びた手がグワシッと掴んだ。
背後に居た、レイリンの頭を二つ三つ飛びぬけた、すらりとした長身の男性……先ほどぶっ倒れていた酔っ払いだ。
「ヒイッ」と彼女の口から上擦った悲鳴が漏れるも、傍から見ても分かるほどの力でグリグリと撫ぜられる。いや、あれはむしろ、押し潰して背を縮めようとしている。

「……で、完璧に隠しているつもりになって、バレてないと思っていた阿呆弟子よ」
「う、うゥ……ッ」
「依頼に出かけていたからって、当日になって野生のアイルーの見学があると事後報告するなんて」
「う、う、うゥゥゥ」
「まさかお前がそこまで抜けているとは、思ってなかったな」
「うゥゥゥゥ……!」

痛みに呻いているのか、散々に言われて悲しんでいるのか、判断しかねる苦い表情をレイリンは悶えながら浮かべていた。払おうと一生懸命腕を上げているが、その手は空を掴み、頭を一層グリグリと捻られる。見ていて痛くなるほどだった。
コウジンがそろそろ怒りを露にし跳ねそうだとは思ったが、不思議なことに変わらず静かだった。よく見れば、彼の隣にいる漆黒のメラルーが睨みを利かせていた。何という眼光……物々しさ満点な紅色の線が彩る同じ漆黒の鎧と羽根つきの兜、そして背負った剣が、そうさせているのだろうか。
ひとしきりやり満足したのか、男性の手がようやくパッと離れ、レイリンが長い溜め息を吐き出した。

「ま、良いけど。で、お前なりに隠していた野生のアイルーってのは、ソイツらか」

言葉のあちらこちらより、胸に棘を埋め込んでいくような、鋭さが滲んでいる。レイリンが一層しょんぼりとするも、「そうです」と覇気無く答える。
男性は、レイリンの背後から現れ、とカルトの前に佇んだ。
隠密に酷似した防具を纏った男性は、しなやかな長身を漆黒に包み込み、頭部もまた同じ形式であろう漆黒のヘルムで覆われ、唯一見えるものは瞳や鎖骨、腕くらいだ。防具の素材は布のように見えたが、よくよくうかがえば単なる獣の毛皮でも、上質な布でもない。鱗の痕跡が見え、何より表面に鋭利な輝きがあった。それだけで、男性の身に纏う防具がの知らない《生き物》から出来ていることは察せられる。
レイリンのハンター装備とは、また異なる狩猟者の身なり。背負った薙刀が、片隅で冷たく煌いて、は身構えた。

「……ふうん、お前が必死こいて夜なべしてたのは、これか」

男性はしゃがみ、とカルトと同じ視線に合わせる。
酔いはすっかり無く、酒気すら帯びていない。倒れていたあの光景が、覆りそうだった。

「宜しく、俺は影丸。社会見学な、まあ楽しんでったら良いさ」

あれ、結構良い人だ。それに、声音もよくよく聞けば若く、体躯も暑苦しくなくしなやか。
が想像していた相当な師匠像は一瞬で打ち砕かれる、そう感じた。年齢も、恐らくの年齢と近いだろう。アイルーの姿である自分では、相手方にその情報も伝わらないだろうけれど。

これが、レイリンちゃんの師匠。
そして……ジンオウガの脅威を退けた英雄。

……ただ最初に、酔っ払い倒れた姿を見たため、あまり英雄という言葉にピンと来なかったのが、正直なところだ。

「あーあと、こいつ。俺のオトモのヒゲツな。困ったら、声かけてみろ」

男性――影丸は、静かに控えていた漆黒のメラルーを呼ぶ。カシャ、と鎧の音を立て、メラルーが歩み寄る。
メラルーといえば、あの憎めない愛くるしい顔立ちと瞳の小悪魔的な可愛さがあったはずだが、このメラルーは驚くほど眼差しが鋭い。そりゃあのコウジンも静かになるわけだ。

「ヒゲツだ、ようこそユクモ村へ。同胞の見学は俺も歓迎しよう」

静かに礼をする彼に、もぺこりと頭を下げる。カルトも慣れたのか、それとも釣られてか、が無理やり下げさせる前にお辞儀を返していた。
落ち着きある物腰で、礼儀正しい。コウジンやカルトが、よほど子どもだと思えてしまうほどで、実際このメラルーの声音は低めで年上なことは間違いない。

( あれ、ヒゲツって…… )

はふと思い出したが、レイリン宅でコウジンを黙らせた魔法の言葉。あの中に、《ヒゲツ》という文字があったけれど、なるほどこのメラルーのことか。今もコウジンは、ぶすっとしているが静かに黙ったままだ。

「あの、もしかしてヒゲツさんは」
「ん……?」
「コウジンくんの、先輩で……」
「ああ、そうだが……。まさか、アイツが迷惑をかけたのかニャ」

ヒゲツが低く呟くと、大人しくしていたコウジンが口を開いた。

「別に迷惑なんてかけてないニャ! 旦那様に近付こうとしたから、ちょっとたまに攻撃してやろうとしただけニャ!」
「コウジン」

ぎらり、と切れ長な目が獅子の様な眼光を放ち、振り返る。瞬間コウジンは真っ青になり、「ヒィィィィィ!」と悲鳴を上げ、レイリンの後ろへ隠れる。
……影丸とレイリンのやり取りもそうだが、ヒゲツとコウジンのやり取りでも、力関係などが明確に現れている。

「あ、申し遅れました。私はで、こちらはカルトです。よろしくお願いします」

ぺこ、と頭を下げて顔を上げると。
驚いたような面持ちの、影丸とヒゲツが居た。ヘルムの向こうで瞬いた影丸の目を、は恐る恐ると見上げて「あの……?」と声を漏らす。
彼は、後ろ頭を掻いた後、ゆるりと目を細めた。

「野生のアイルーでも、そういう風に出来るヤツも居るもんだなって」
「……コウジンにも、見習わせたいものニャ」

レイリンの後ろでうかがっていたコウジンの肩が、再度飛び跳ねた。「うるさいニャ!」と叫んでいるが、あいにく声に震えが出て様にはなっていない。

「ま、ちょっとの間だろうけど、よろしく」

影丸の伸ばされた大きな手が、の頭とカルトの頭を軽く叩いていく。少しゴツゴツし人の手の感触は感じられなかったけれど、そうやってされるのも……ずいぶん久しいように思えた。

「――――― はい、お世話になりますが、よろしくお願いします」

長いようで短い、四日間の人里見学。これから、お世話になる人々だと思い、の頭は再度深々とお辞儀をした。



「で、これからどうする?」

影丸に尋ねられ、レイリンは「とりあえず、ご飯にしようと思います」と笑った。

「せっかく来て下さったから、料理店にも行きたいんですが……長旅で疲れてるだろうし、私が準備します」
「え、そんな。わざわざ作ってもらうなんて。レイリンちゃんも疲れてるんじゃ」

レイリンは笑みを崩さず、「私は平気ですよ」と言った。ハンターの仕事上、移動が長時間掛かることは頻繁で、狩場に到着してからも依頼を完遂するため何日も走り回っていることも珍しくない、とのことだ。
優しげな少女であっても、ドジっ子を超えたドジっ子であっても、さすがは一介のハンター。仕事は相当なハードでも、確かに疲れは見えない。
はそれに甘えることにしたが、せめて手伝いだけはさせてもらえないかと申し出る。

さんが……?」
「こんな手で、何が出来るかは分からないけど……少しぐらいは。これも人里見学の一環ということで、一つお願い」

それを言えば、レイリンは少々迷った後、「じゃあ、お願いします」と言った。は内心、グッと拳を握り締めた。
今のうちでなければ、この世界の人々の生活が見れない。ついでに身の回りの道具とか、日常生活の様子、この場合は料理や厨房設備や食材などなど知る必要がある。これは魔法の言葉だと思った。
以前は、アイルーの姿になって落ち込んだり、みっともなく嫉妬したりもしたが、同時にこの姿だからこそ出来るものもあるのだ。全てが全て、不幸だと一括りにすることはない。今のうち、と思えば……むしろ幸運なことである。
すると隣から、カルトの訝しげな声が上がった。

「えーそんなこと出来るニャー?」
「香草焼きとかしてあげたじゃない、忘れたのカルト」

「え、さんそんなこと出来るの? 凄い、コウジンだって料理なんて出来ないのに」

パチパチ、と拍手するレイリンの後ろで、コウジンが衝撃に凄い顔をした。頭上で、ガーンッという文字すら見えそうだった。また半分泣いた目でギッとを睨んだけれど、今日は隣にその数百倍貫禄のある先輩ヒゲツが居る。「公の場で暴れるな」と、獅子の眼光で縫い止めた。
それを眺め可笑しそうに、影丸がくつくつと笑う。

「何だ、珍しいじゃないか。ヒゲツが初見で雌を庇うなんて」
「……何の話だ、旦那」
「いーや? 別に、お前にしては面白いこともあるなあって思っただけだ。気にするな」

くつくつ、と影丸は一層笑みを深める。対してヒゲツの表情は、下降していくが。
……何の話だろうか。は首を傾げたが、影丸の「まあそれは置いて」と見下ろした瞳にしゃんと背を伸ばす。

「疲れただろ、レイリンん家で休んで飯でも食ってきな」

ヒゲツ、行くぞ。影丸が呼ぶと、ヒゲツは静かに彼の足元へ歩み寄った。
「これから、何か用事があるのですか?」が尋ねると、影丸は首の後ろを掻きながら言う。

「ギルドに、ちょっとな」

ああ、なるほど。ハンターの仕事の、確認だろうか。は「大変ですね」なんて言ったが、その時レイリンが寂しそうな面持ちだったことに気付きはしなかった。
手を上げた影丸と、行儀良く礼をしたヒゲツは、ギルドのカウンターへ向かって行った。それを見て、たちもレイリンの自宅へ向かうため集会浴場を後にした。明日もきっと、会えるだろうから。

集会浴場から出ると、すっかり空も藍色に染まり、暮れた陽の方角が蒼く澄んでいた。
高地にあるため、ユクモ村を見下ろすと、電気の明かりではなく、松明などの炎の明かりが照らし出している風景がうかがえた。蛍光灯などの鮮烈な光はなく、はっきりと輪郭を映し出すこともないが、その仄かな淡さが何とも幻想的だった。

長い石畳の階段を、レイリンとコウジンの後ろを着いていくは、ふと口を開いた。

「そういえば、影丸さんって、と、東方の国?の出身なんですか? 名前が、ちょっと変わってるというか」
「え? あ、はい、名前もこの辺りには無いものですし、そうだと思いますよ」

……そうだと、思う?
少々曖昧な言葉だと思ったが、レイリンの声に覇気がないことの方が気がかりで、それは特別気にはならなかった。
「どうしたの?」と尋ねると、彼女は長い空白を挟んだ後、呟いた。

「師匠は、ずっと、モンスターばかり追いかけているんです」

レイリンの足が、ひたりと静かに止まった。
も足を止め、前を向いたままな彼女の背を見る。

「さっきカウンターに行ったのは、以前師匠が取り逃がしたあるモンスターの目撃情報がないか、知るためなんです」
「取り逃がした……」
「依頼は、失敗したんです。姿が見えなくなって」

まだハンターの職というものを理解はしていないが、依頼に失敗しなおモンスターを追いかける、か。
の生きている世界が此処ではなく、人のいないあの渓流だ。ジンオウガとアオアシラの姿を思い出すと、何とも難しい気分になってくるが……。責任感がある人なんですね、とは呟く。
けれど、レイリンからは、自嘲するような声が返された。

「責任感じゃ、ないですよ。あの人が、逃がしたモンスターに抱いてるものは」
「え?」
「……師匠は言わないですけど、態度で分かりますから」

レイリンはそこで力なく微笑んで、を見下ろす。「……帰りましょう」レイリンの止まっていた足は、再び進んだ。
それ以上言わぬ言葉を聞きだすほどは愚かでない。しばし見詰めた後、そっと歩き始めた。

「何ニャ、アンタのハンターは」
「ハンター言うな、ボクの旦那様ニャ。ま、アンタには言っても分からないニャ」

コウジンもフフンッと鼻を鳴らし、レイリンの口にしたことを代弁する気もないらしいけれど、心配そうにレイリンの背を見上げていた。

……何だか、レイリンとその師匠影丸は仲良さそうに見えたが。
問題も一緒に抱えてしまっているような気がした。
楽しい社会見学、といければ良かったが、そうもいかなそうな嵐の予感。の脳裏に、再びその一文が過ぎった。



それから、レイリンの自宅で料理を手伝う傍ら、色々と教えてもらった。調味料はどうだとか、食材はどのようなものがあるのか、厨房の仕様などだ。電気とコンロの現代人には、一昔前の煮焚きへ戻った気分だったが、今後を思えばいつまでも言っていられないため、あくせくしながら手伝いをした。厨房の釜戸の扱いは、はっきり言って下手くそだったけれど、包丁の使い方や料理法などは現代のそれと同じだったためそこは救いだった。野性味溢れる生活を送っていたには、それこそ懐かしさすらあったものの、すぐに勘を取り戻し鉄のフライパンでオムレツを返してみたりする。
そういえば、人間はこうやって料理という行為をするんだった。
自分の感覚が、アイルーになりつつあることに苦笑いがこぼれる。

さん凄ーい!」

パチパチ、とレイリンが拍手をする。は照れ臭く笑ったが、そういう彼女は若いのにとても料理が上手だ。少なくとも、年上のよりもずっと。
何か相変わらず、コウジンの睨みが凄かったけれど、机に座り待っている姿を見ると怖くも何ともない。

「レイリンちゃんは、慣れてるね。やっぱり、いつもしている人は違うのかな」
「毎日のこともあるけど……私の実家、大家族で。女も少なくて、私の下に兄弟がいっぱい居たから」

私がいつも、料理とか、家事とか、色々やってたのが多分原因です。
悪戯っぽく笑い、スープの鍋を持ち、机へ置く。

さんも、何だか手慣れた感じがします。アイルーは器用だからですかね」
「え?! あ、ま、まあ、山菜爺さんから色々と聞いてましたし」
「そうなんですか」

レイリンは深く聞いてこなかった。は肩を人知れず撫で下ろす。
元人間なんて、言っても彼女は戸惑うだけだ。
それだけは隠さなければ、と意気込む背後で、戸棚やタルを珍しげに眺めていたカルトが言った。

「まあ、は前から変なヤツニャ、オレがよく知ってるニャ」
「そうなんですか?」
「何たってソイツは、自分のことを、にん―――――」

は、オムレツの入ったフライパンをガッと置くと、カルトのもとへ俊足で駆け寄り、口を両手で塞ぐ。

「え、さん……?」

レイリンが驚いたように目を丸くしたが、はふっと振り返り、これでもかと穏やかな微笑みを浮かべる。

「ごめんなさい、ちょっと、失礼」

レイリンの返事を聞かず、はカルトを連れ出し家の外へ。
モゴモゴ、と暴れていたカルトを解放すると、「何するニャ」という言葉を遮り、声を潜め、けれど語尾は強くし言った。

「いい、カルト。絶対それ、この場所はもちろん、レイリンちゃんや村人、アイルーたちにも言わないで」
「は……? 何でニャ」
「いいから!」

また変なものを見る目で見られたら、たまったものじゃない。

「あ、あと、渓流の……あの人のことも言っちゃ駄目よ」
「ニャ?」

カルトの耳元で、ごく小さな声で、「ジンオウガさんのことよ」と囁く。カルトは思い出したように「あー」と言ったが、その言葉の真意までは分かっていないようである。

「だって、ほら、あの人が居るって分かったら……ハンターがいっぱい来て大変そうじゃない。きっと」
「まあ、そうかもだけど……」
「そうしたら、カルトと一緒に居られないじゃない」
「仕方ないから、黙っててやるニャ!」

おお、さすがは何だかんだで義理堅い性格。力強く頷いて胸を張った様子に、は一安心する。
「いい、絶対よ」と念を押しながら、レイリンの家へと戻る。

「すみません、お騒がせしました」
「え、あ、はい……? 大丈夫、ですか??」

不思議そうにしていたレイリンだけれど、「大丈夫です、気にしないで下さい」とが強く言えば、「そうですかー」とふわふわ笑う。
素直な子は素晴らしい。
気を取り直し、オムレツを皿へ移し、トマトケチャップを愛敬のハートマークを描いて机へ。
スープの鍋と、焚き立ての白飯、和風オムレツで、豪勢な食卓だった。というか料理自体が遠のいていたため、この光景だけでは涙が出そうである。

「じゃあ、さんとカルトさんの見学を祝して、夕ご飯にしましょう!」

レイリンが座ると、コウジンも椅子へ座り直す。
不思議そうに見上げるカルトを引っ張り、も並んで座ることにした。

「本当は、ボクはいつも農場でご飯食べてるけど、今日は特別ニャー」
「農場?」
「他のアイルーも居るニャ、ふふん」

何だか得意げだ。結構調子が良い。
アイルーは普段、農場というところで寝泊まりしているのか。郷に行っては郷に従え。やカルトも今後そこで過ごすべきかと思ったが、レイリンは首を振った。

「うちのアイルーたちは、結構クセが、ありまして……寝るにもきっと戦争ですよ」
「戦争?!」

賑やかを通り越して、不穏さすら感じる。
レイリンのところにいるアイルーたちは、個性的な子ばかりなのだろうか……。

「師匠のところのアイルーたちは、皆行儀が良いんですよねー。私と何が違うんだろう……やっぱりリーダーがしっかりしてるからかな」
「リーダーっていうと……影丸さん?」
「大もとは、それですけれど……さんもさっき会った、隠密模様のメラルー、覚えてますか?」

紅い縁取りがされた漆黒の鎧と、羽根付きの兜を被った、完全武装のメラルーが浮かぶ。ヒゲツのこと、だろうか。
確かに彼は、風格がメラルーの域を超えていた。リーダーとすれば、何の違和感もない。
隣でコウジンが嫌そうな顔をしているけれど、レイリンは構わずに続ける。

「師匠と一番付き合いが長くて、一番オトモとしての経験も長いらしいですよ。コウジンなんて、いつも勝てないものね」
「ニャ?! 別にそんなことないニャ、ちょっと調子が悪いだけで、仕方ないから負けてやってるだけニャ!」

レイリンが慣れたように「はいはい」と言っていることから、コテンパンに伸される光景が、見てもいないの脳裏にも過ぎった。
本当ニャ、負けてないニャ、と喚くコウジンの横で、レイリンがコップを差し出す。はそれを取り、カルトにも渡すと、果物のジュースを注がれる。

「だから、四日間気にせずうちでゆっくりして下さい。さ、とにかく、食べましょう。さん、カルトさん」

とカルトは、顔を上げる。レイリンは笑い、コップを前へ出す。

「改めて、ユクモ村へようこそ」

はしばしきょとんとしたが、意を理解するとコツンッと縁を合わせる。

――――― ユクモ村の社会見学、晴れある1日目。
誰かと食卓を囲む懐かしさに包まれながら、夜は更けて行った。
コウジンとヒゲツは、ある意味最強の組み合わせ(笑)
彼らがいるだけで、あっという間にボケと突っ込み。

2011.12.05