27 止まない雨で遠ざかる

 重く垂れこむような曇天から、ついに雨が降り始めた。
 その雨足はあまりに激しく、外出が困難だったほどだ。さらには河川の氾濫にも注意するよう、雨天の中も元気に活動出来る小型種の竜による警報のお知らせが届けられたりもした。
 天候はどうしようもないとはいえ、羽狂いの事を思うとタイミングの悪さを感じてしまう。

 こんな悪天候ではどうせ客足はないだろうからと、特に雨足の激しかった最初の二日間、は仕事の休みを貰った。叩きつけるような激しさが薄れた後に喫茶店へ向かったが、まだ雨は降り続けている。濡れた煉瓦の道や街並みの景色は、少し重苦しく広がっていた。

 正午にはランチを食べに訪れる客の姿はあったけれど、普段と比べると全体的に少ない。のんびりと静かな、あるいは少し物寂しい、コーヒーの香りがふわりと香る店内の風景が広がっている。
 パラパラと屋根や硝子窓を打つ雨音が、店の中に響いていた。

「雨、だいぶ収まってきたね」

 はのんびりと窓を見つめる。雨は未だ降りやまないが、あの酷い大雨を思うとだいぶ穏やかになってきた。きっともうじき上がるだろう。

「テオルグさんやアシルさんは、お仕事大丈夫かなあ」
「騎士の仕事は、よっぽどの悪天候じゃなければ変わらないからね。たぶん、これぐらいの雨ならもう羽狂いの捜索とか始まってるんじゃないかな」

 の隣に、ルシェがやって来る。二人揃って窓の向こうを眺めるも、煉瓦の道にやはり人の姿はない。
 ……それにしても。
 は小さく笑みをこぼす。

「ルシェ、こないだからむすってしてる」
「だって」

 普段はお日様のような友人は、少々頬をむくれさせる。十八歳と、よりもほんの二歳だけ年上な彼女だが、その仕草は同年代のものだ。
 むくれてみても不思議と場の空気を翳らす事はないのは、やはりルシェの気質だろうか。どんより落ち込むと最高潮に暗くなる自分とは違うなと、は変な感心を抱く。

「もう、ってば笑っちゃって」

 だって、思わず笑っちゃうのは仕方ないのだ。
 ルシェがそうやってむくれるのは、を思ってくれての事なので。

「ルシェが代わりに怒ってくれてるんだもの。怒れなくなっちゃう」
「本当は兄さんと一緒になって、しこたま言ってやりたりくらいなんだけどね。でも、私は割って入るべきじゃないし」

 物凄く、我慢してる! と包み隠さないその言い分が、実にルシェらしくさっぱりと響いた。

「……全部が全部ね、平気なわけじゃないんだけどね」

 のこぼした呟きに、ルシェの瞳が動く。

「でも、なんだろう、それはテオルグさんに対してじゃなくて」

 自分自身への、不満の方が大きいのだ。

「チビだし、気なんて弱いし、ゴ、ゴリラ以上に怪力だし」

 でもね。小さな手のひらを、きゅっと握りしめる。

「テオルグさんみたいに、なれたらなって」

 いや、あの人のようになるのではなく――あの人が認めてくれるほどの人に、なりたい。
 届かない遥か高い場所にいる、あの白竜にも気後れしないような。
 以前から抱いていた憧憬は、きっとそこに行きつくのだろう。

「……この雨が止んで、騎士様のお仕事が落ち着いたら」

 は、窓の向こうへ視線を再び移す。

「もう一回、テオルグさんに会えたらなって、思うの」

 いずれ雨が上がったその時には、彼に言ってやろうとは決意していた。
 私は貴方の事を怖いなんて思うはずが無いと、口ごもらないで、堂々と。
 その後の事は全く考えてないけれど、それを言えたら――変われるような気がした。散々ゴリラとからかわれてきた自分が、もっと別の形に。

 は、えへへ、と恥ずかしそうにはにかんだ。慎ましく花を咲かせた頬は、くすぐったいほどの薄い朱に染まっていた。ミルクティー色の淡い髪と瑞々しいハーブの緑色の瞳も、その時は何故かとても煌めいているようにルシェには見えた。
 控えめで大人しくて、けれど不思議と魅力が香る可愛らしい彼女。
 あんまりにも落ち込んでいたあの時は、握り拳を今すぐにでもあの竜人の横面へ叩き付けてくれよう、とわりと本気で思ったけれど。要らない心配だったかなと、ルシェは姉心のようなものを覚えた。
 著しく自己評価は低いが、やはりは不思議と強かなのだ。変なところで度胸があるというのだろうか。だからルシェにとって可愛い妹分であり、自慢の友人である。

「……そうね、雨が上がって晴れたら。その時もしもまた変な事言われたら、ぶっ叩いて言ってやったら良いわ。『私は怖くない、殴り返してみろ』ってね」
「やだ、ルシェ。男らしい」
「兄さんだって怒って良いって言ってたしね。だから、その時はやっちゃいなさい」

 思いっきり、バッチーン、て。ルシェは手のひらを自らの頬へ当て、ビンタを示唆した。
 互いに顔を見合わせると、吹きだすように笑みをこぼした。



「――おい、あんたら! 大変だぞ!」

 雨音が心地よく響いた空気が、突如として破られた。

 普段なら決して聞かないだろう、喫茶店の扉が乱暴に開かれる音が、静寂を切り裂いた。矢継ぎ早には男性の大音声が浴びせられ、喫茶店にいるやルシェ、カウンターと厨房にいた夫妻は驚いて目を見開いた。
 雨の降る街を、傘も差さずにやってきたのだろう。扉を開け放った男性は頭から濡れていたが、滴る冷たい雫など気に留めていられない焦燥が全身から放たれていた。
 おのずとたちにも緊張が走る。ただ事ではない雰囲気だ。
 夫妻はカウンターから出てくると、どうしたんだい、と軽やかに近づく。どうやら男性は知人らしい。

「え、えらい事が起こって、街からも男手を募って向かってる。あんたも着替えて急いだ方がいい」
「え、ええ? 何だい、何があったんだ」
「ええと、ああ、くそ、頭が回らない……ッ」

 男性は自らの頭をかき回し、声を張った。

「――事故だよ、事故! 崖崩れ!」

 飛び出した不穏な単語に、顔色がさっと青ざめた。

「郊外にある古い採掘場で……ッ相当広い範囲で! 早く手伝いに行かねえとやばいぞ!」

 どくり、との心臓が音を立てて跳ねた。

「あんたのところの、息子が……! 別の騎士と一緒に――」

 その言葉が全て放たれる前に、ガシャン、とトレーが床へ落ちた。
 ハッとなってが隣を見ると、血の気を失ったルシェが呆然と立ち竦んでいた。

「にい、さん」

 ふらりと身体を揺らすルシェを、は飛びつくように支えた。けれども、唇を青ざめさせた。今、聞き間違いでなければ、息子と、別の騎士という単語が――。


 弱まっていたはずの雨音が、無慈悲に沈黙へ響き渡った。


◆◇◆


 ――時を戻して、その日の今朝。
 雨足がだいぶ緩まったという事で、アルシェンド国境騎士団国境支部は朝早くから動き出していた。
 久しくなかった大雨による影響が現れていないか巡察する部隊と、件の羽狂いの捜索を行う部隊とに編成が割り振られ、各自がそれぞれの任務に当たる。
 テオルグとアシルは国境支部の主戦力の根幹を担うペアであるので、後者の羽狂い捜索部隊に組み込まれた。

 本来ならば雨が上がった後にすべきだが、状況はそうも悠長に言っていられなかった。
 騎士団は目の前が煙るような大雨によって全く行動が出来なかったが、野生の獣――羽狂いは別だ。有翼の生き物に固執する中型竜ほどの巨体の大猿が野に放たれてから、既に三日以上。長く時間をかけ足取りを見失う事と、余所に行かれて別の被害が起きる事を危惧して、捜索部隊は大規模なものになった。
 個性的な面子ながら精鋭の揃う、国境支部の準備は万全。この件を持ち込んでくれた他支部の騎士も集まり、戦力としては申し分ない。

 ――つまり、雨足の緩まった今日、全てを片づける心積もりなのだ。



 竜の背に乗る騎士は、全員が耐水性の高い雨除けの外套を身につけ、頭部を覆うヘルムを被る。雨天の中を飛び続ける事になるので、騎竜たちにも視界の保護を目的とした薄い金属の顔当てが施された。また長く伸びた首や、筋肉の浮かぶ肩などにも同様の薄い金属の防具が装着され、いよいよ物語の竜騎士のようである。

 遮るもののない、野外訓練場。羽狂いの捜索部隊に割り当てられた騎士と騎竜たちが、雨を受けながら整然と並ぶ。
 空は依然として灰色だが、じきに止む事を表すように雨は柔らかく、それぞれを濡らした。

「準備は良いみたいだな」

 白竜に転じたテオルグの姿は、雨天の鈍色に染まる風景に非常に存在感を放った。雨を受ける白鱗の体躯にも、どの騎竜とも共通した騎乗用の装具と防具が取り付けられ、普段にも増して威風が辺りを払う。
 毅然として佇む白竜の隣で、アシルは一つ頷いた。竜を模したヘルムの向こうで、明るい茶色の瞳が猛禽のように煌めく。

「そうみたいだ。うしッ! 気合い入れて行くとしようか」

 テオルグの前肢が即座に動き、踏み台として差し出される。アシルはそれに片足を置き、地上から二メルタも離れた場所にある定位置へ持ち上げられる。逞しくも太い竜の首の根本に固定された鞍に飛び乗ると、垂れ下がった手綱を握りしめ騎士たちに顔を向けた。

「お猿さんが何処に潜伏してるかは分からない。だけど、こんだけ竜が飛べば必ず出てくる。絶対に逃がすな、確実に羽狂いを捕まえるつもりでいくぞ」

 アシルの挑発的な声に異を唱えるものは居らず、それどころか雄叫びじみた声を上げて気合いを露わにした。他支部の騎士がじゃっかん驚いていたようだったが、それは見なかった事にする。
 アシルは息を吸い込み、号令を掛ける。「全員、飛翔開始!」雨音の中、よく通る彼の声が高らかに響いた後、一際の存在感を放つ巨大な白竜が咆哮を放ち翼を広げる。雨を弾き鈍色の空へと勢いよく飛び立ったテオルグの後には他の騎竜たちが続き、四方へそれぞれ飛び立ってゆく。

 テオルグとアシルが率いる小隊は、山岳地帯と山際の探索に当てられた。
 羽狂いは、普段切り立った山の崖など地上から離れた場所で暮らしているらしい。もしかしたら近しい環境を求め移動しているかもしれない。そう考えた時、空中戦技に特に長けたこのペアが任されるのは妥当である。

 山際などの上空から、わざと騎竜の声を上げさせ、翼を派手に羽ばたかせ、誘い込む。変化は特に感じられなかった。視力も非常に良いテオルグの背からアシルも双眼鏡――索敵用の高性能なもの――をのぞき込んでみるも、そこにそれらしい姿は映らない。

「うーんそれっぽいのは出てこないなあ。こんだけ竜がいれば飛び出してきそうなもんだが」

 遠くからも、編成された騎士たちが特に異常はない事を叫ばれる。
 前回の捕らえた個体は、竜ではなく有翼獣を先に狙った。弱いものを優先的に狩ろうとする知能はあるらしいが……。

「これみよがし過ぎて警戒されてるのかな」
「有翼の生き物に固執するといっても、野生の魔獣だしな。武器には警戒するのだろう」
「そうは言っても一般人のふりして武装しなかったら俺らが死んじゃうし。あのお猿さん、中型竜なみにデカいんだぞ?」
「俺よりは小さい」
「テオを基準にしちゃったら全部小さいよ」

 そんな会話を時折しながら、しばらく旋回し探索を続けるテオルグとアシルらであったが。
 事態が動いたのは、それから数十分と経過してからであった。
 別方面からやってきた騎士が、羽狂いが確認された事を叫んだ。

「おお、まじか! こっちじゃなかったんだな」
「現れた場所は」
「それが――」

 騎士が告げたのは――現在は閉鎖されている古い採掘場だった。



 昔この一帯の採掘業を担っていた場所には、木々を切り開いて露わになった絶壁の岩肌と、大きな古い坑道の入り口、そして削り出された岩石の小山が残されたままだった。随分と昔に封鎖され役目を終えて以来、そこには荒れた広大な跡地だけが残されている。
 そしてその古い採掘場は、今は非常に危うい戦場となっていた。

 テオルグとアシルたちの小隊が全速力で空から駆けつけた時、既にそこでは戦闘が開始されていた。この一帯を探索していた部隊だろう、五、六頭の騎竜たちが空中から強襲する姿を目視する。

 そしてその先には、雨に濡れた絶壁を自由に動き回る、羽根を継ぎ足したような歪な外見の暗色の大猿――羽狂いがいた。

 既に一頭を見ているとはいえ、五~十メルタの中型竜ほどもある巨躯が激しく躍動する様は、竜とは異なる威圧を放っている。地面を駆けるわ岩壁を蹴って飛び回るわ、翼など持たないのに大した運動量だ。さすが唯一、竜の天敵とされた魔獣である。

 しかし、そんな生物が激しく動き回るものだから、古い採掘場からは嫌な土煙が上がり、岩壁からは小石などがぱらぱらと落ちてくる。長らく放っておかれて補強や補修などされてこなかった場所なのだ。非常に、危険極まりない。

 ここで戦うよりは、誘き出して場所を移した方が良いだろう。
 アシルとテオルグは視線を交わすと、彼らの間へと割って入った。

 羽狂いが地面から岩壁へと三角跳びを見せ、空中の騎竜を一頭を狙う。多くの翼をへし折ってきたであろう大きな獣の手は、やはり首でも胴体でもまして騎者でもなく、竜の翼を狙って広げられた。
 その瞬間、真横から突っ込んだ白竜テオルグが打ち据え、羽狂いを再び叩き落とす。
 先に戦っていた多くの騎士から歓声が上がった。雨を含む冷たい空気が、僅かに高揚し熱を帯びる。
 雨を弾く外套を激しく揺らし、アシルは声を張った。

「あんまりここで戦うのは危なくないか?! 引き離さねえと!」
「そうなんですけど、それがあの猿――」

 言い掛けた騎士の言葉は、途中で途切れた。何かに反応した騎竜が、その場の空気を蹴り飛び退いたのだ。
 ごう、と。何かが重く風を切って横切った。それは――。

「い、岩ァ?!」

 自らの巨躯にも匹敵する岩石の塊を、羽狂いは片手で持ち上げ、放り投げてきた。

 削りだしたまま無造作に積み重ねた小山を乱暴に崩しながら、雄叫びと共に投げつける。なるほど有翼の生き物を空から落とし、また近づけさせない術は、持っていたらしい。
 騎竜を狙う岩石は、的を失い地面へと凄まじい音を立てて落ちてゆく。当たったら致命傷である事は言うまでもないが、ところ構わず暴れる羽狂いによって古い跡地が荒らされるのはあまり芳しくない。長いこと放って置かれた地だ、何処がどう崩れてもおかしくはなかった。

 何とか採掘場から引き剥がすか――そう思案した時であった。

 羽狂いの投げつける岩石を避けた拍子に、一頭の騎竜がバランス崩す。それは他支部からの応援でやってきた騎士だった。
 あっと思った時には、羽狂いも動き出していた。目敏くそれを見上げると濡れた地面を駆け、岩壁を跳躍し昇ってゆく。三角跳びをして竜の頭上を取ると、歪な羽根のたてがみの下で牙を剥き出した。
 いくら同等の大きさの竜を普段から見ているとはいえ、天敵の、まして人間には決して隷属しない野生の魔獣。
 それに一瞬でも恐慌したのは、仕方のない事だろう。けれど、その一瞬で、その騎竜と騎士は空からついに落とされた。

「仕方ない……全員、騎竜につけた鎖を用意! テオルグの後に続け!」

 アシルが叫ぶと、テオルグはその意図を理解し心得たとばかりに後を追い急降下した。
 絡まるように羽狂いと落ちた他支部の騎竜は、いやに筋骨隆々とした国境支部の騎竜と比べると標準的であるはずなのに小さく見える。羽狂いの両手が掛かると、まるでただの鳥のようだった。それでも、壮絶な鳴き声を上げながら、背中から放り出された騎士を守ろうと騎竜は抗いもがく。

 テオルグの白竜の巨体が、羽狂いの背に大きな影を落とす。

 その気配に気づいて羽狂いの顔が振り返ったが、白い前肢がしがみつく方が早い。引き剥がし放り投げられた羽狂いは、採掘場の岩壁に叩きつけられ崩れ落ちる。

「あと頼むぞ、テオ!」

 アシルはその背を飛び降りた。テオルグは竜の鳴き声でそれに答えると、身体を起こして再び突っ込んでくる羽狂いともつれながら牙を交わす。
 やられた仕返しとでも言うように、テオルグの前肢を大きな獣の手で押さえ込み、後肢で胸部を蹴りつけてる。白竜の身体は岩壁に叩きつけられ、白い鱗の下に痛覚が走った。
 テオルグの青い竜の目に、激情がじわりと染み出す。
 目前に迫っていた羽狂いの喉元へ、首を伸ばし噛みつく。顎の力のみで大猿の巨体を宙にぶら下げると、テオルグは強引に地面へ縫いつけた。
 そのタイミングで多くの騎竜が囲い込み、羽狂いの四肢を抑え込んでいった。

 テオルグの背から降りたアシルは、バシャバシャと泥水を跳ねさせながら落とされた他支部の騎士へ駆け寄る。

「大丈夫ですか、しっかり!」
「あ、ああ……すまない、平気だ」

 足はふらついたが、騎士は直ぐに立ち上がる。目立った傷はないので、打ち身だけで済んだのだろう。そして彼が直ぐに気遣ったのは、自らのパートナーである騎竜だった。アシルに支えられながら、地面にうずくまる騎竜にしがみつき、よくやったと労う。まだ任務の途中であるけれど、アシルはほっと緊張を解いて温かい気持ちになる。
 羽狂いの方はどうなったかとアシルが見れば、鎖が掛けられ四肢の自由を奪われている途中だった。さすがの馬鹿力も、群がった十頭近くの竜には勝てなかったしい。

「テオ、大丈夫か?」

 テオルグの足下へ戻ったアシルは、彼を見上げる。ゆるりと向けられた竜の青い瞳には、僅かな興奮が過ぎっていたが我を忘れるほどのものはない。

「問題はない。この程度では鱗すら削れない」
「おおう、さすが。頑丈だな」

 ヘルムを装着して顔は見えないが笑っているだろうと、テオルグはその声音から察する。

「よし、あとは羽狂いを連れて支部に帰還だな」
「檻を用意しますか?」
「んー、そうだな。とりあえずは場所を移してそこで待機してるか。此処にはあんまし長居したくないしな」

 それからはアシルも加わって、ちょっとやそっとじゃ解けないぐらいに鎖を巻き付ける作業に入った。数分後には簀巻き状態の大猿が出来上がり、さすがの天敵様にも戦意はない。これだけ縛り上げられたら、気力もなくなるというものだ。
 あとはその鎖を複数の騎竜に引いて貰い、採掘場から離れ、檻に入れて支部へ帰還するのみである。集まった騎士たち全員の顔には、一様に安堵が窺えた。

「いやあ、良かった良かった。あんまり雨が続くもんだから、何処か別のところに行かれたら困ったけど」
「被害もなく、及第点ですね!」
「まだ任務は終わっていないぞ」

 仕方なそうにテオルグは竜の顎を開くが、幾らか声は柔らかい。それに対して返される「すいませんでしたー!」という複数の野太い声も、いつもの調子だ。

「おっし! こんだけ人数いれば余裕だろ、羽狂いを連れて――」

 アシルが口を開いた、その時だった。


 地響きのような不穏な音色が、古い採掘場とその周辺へ這うように響いた。


 全員の顔から、浮かべた笑みが消える。

「何だ、この音……」
「だんだん、大きく」

 全員がハッとなって、採掘場広場の岩壁を見上げる。小さな小石が、絶え間なく激しく落ちてきている。その向こうからは、不気味な鈍い音が漏れていた。

 先ほどの戦いの激しさを思えば――ひびが入って崩れても、おかしくはない。

 そこから行動は早かった。直ぐさま騎士は自らの騎竜に乗って飛び立ち、羽狂いを持ち上げる複数の騎竜もその場を離れてゆく。アシルもテオルグの腕に手を置いて、それに続こうとしたが――一頭の騎竜が苦しげに呻き、翼を広げられずにいるのを見つけた。
 それが羽狂いに落とされた騎竜であるのだと直ぐに気付き、アシルは彼らのもとへ駆け寄る。

「翼を痛めたみたいで、これじゃあ」
「飛べないか。まずいな」

 別の騎竜も降り立ってきたが、亀裂の走る音は止まってはくれない。

「俺らが連れていきます! おいあんた、早くこっちに!」

 他支部の騎士は、せつかれながら国境支部の騎竜に跨がった。

「騎竜の方は俺が運ぶ。アシル、早く来い。お前たちも退避しろ!」

 弱々しく呻く騎竜の首を噛み、ぐっと持ち上げる。アシルの手が、テオルグの前肢に重ねられた。
 その瞬間であった。

 亀裂の走る鈍い音が一際大きくなり、直ぐ側の崖の一部が――崩れ落ちた。

 ほぼ垂直に屹立する岩壁から、轟音を上げ転がり落ちてくる岩石の塊と砂礫。それを見上げたテオルグは、翼を広げようとして、直ぐに止めた。
 飛ぶよりも速く、崩れた岩石が落ちてくる。
 無意識の内に、テオルグはしなやかな長い尾を振り立て、騎竜たちへ叩きつける。それに驚いて飛び立った彼らへ、くわえた竜を放り投げた。

「馬鹿、テオ――」

 ヘルムの向こうで、アシルの茶色の瞳が動揺していた。どうして逃げない、とでも言うように。

 悲しいかな、これも竜の誇りだ。
 自らの背に乗せたものを見捨てて飛ぶなど、出来るはずもない。

 テオルグはアシルを引き倒し、胴体を丸めて伏せ防御を取る。広げた翼を自らの体躯に被せて覆ったその刹那、容赦なく岩石が降り注いだ。



いつの間にか怪獣大決戦みたいな雰囲気になってしまってますね。
あれこれ、恋愛もの……

心和むほのぼのニヤニヤストーリーはもう少しで戻ってきますので、ご安心を!


2015.11.07