11

 空が、赤く暮れる。
 夜の訪れを感じさせる静かな風が、ふわりと吹く。

 綺麗な、夕焼け。今晩はきっと、素敵な月夜になるんだろうな――。

 幼少期から飽きるほどに見てきたはずの夕暮れは、今、かつてないほどの胸をざわつかせる。
 今晩は、村にとっても、自分にとっても、運命の一夜になる。それを知っているようだ、とはさすがに考えすぎだろうが、それほどに今日の静けさは別格だった。

(ナハト……)

 この場所にいない茶褐色のイタチの青年が、の脳裏に浮かび上がる。彼は今、何処まで進んでいるのだろう――。




 ――夕暮れを迎える刻限の、少し前の事。

 ナハトは村人や村長などへ賊が近いうちに――いや下手したら今夜にでも――略奪にやって来る事を躊躇いもなく伝えた。そして同時に、一つだけ彼らへ頼み事をした。

「何もせず、静かに待っていて欲しい」

 略奪の標的にされたこの場所で、何もせずそのまま過ごして欲しいと、彼は言ったのだ。
 当然ながら誰もが目を剥き、何もせず死ねと言うのか、と声を荒げた。しかし、ナハトはそれに怯む事はなく。

「下手に動かれて山賊に警戒されたら、余計に面倒になるから」

 落ち着き払った声と眼光で、人々の動揺を半ば強引に鎮めた。いや、射抜いた、と言うべきか。
 ナハトがこれから何をしようとしているのか、誰もが理解した。旅行者として信頼しても、命を預ける相手としてすぐに信頼したかと問われれば、正直なところ、否だったのだろう。けれど、怖じ気づく様子が微塵もない彼に、微かな期待を抱いたのも事実で。
 賊のもとへ向かおうとするナハトを、誰も止める事はなかった。


 その姿を見て複雑な心境だったのは、である。助けてくれなんて安易に口にしてしまったのではないかと、今更ながら後悔に似た感情を抱いた。

 ……そんな心を、ナハトは見抜いていたのだろうか。

「心配なんかしないで、待っていればいいよ。これはどちらかと言うと、僕が望んだ事だから」

 これから賊のもとへ向かおうとしているだなんて思えないほど、朗らかに笑った。

「それに、ちょっとした用事もあるしね」
「用事……?」
「個人的な、ね。だから君は、ここに居ればいいよ。何も心配はいらないから」

 伸ばされた薄い舌が、涙痕の残る目尻を舐める。からかうように、悪戯っぽく。

「じゃ、行ってくるね」

 そうしてナハトは、尾を揺らし行ってしまった。これから賊のもとへ向かうには、およそ不釣り合いな軽い足取りで――。




 初めて会った時から、そうだった。あのしなやかなイタチの外見に反し、彼は妙に肝が据わった部分を持っている。の不安など余所に、存外、怖くも何とも思っていないのかもしれない。
 その強さが、少しだけ羨ましく感じた。
 しかし同時に――とてつもなく、心配でもあった。
 屈強な賊を返り討ちにする力を彼は確かに持っているが、それは何処か……蛮勇じみた危うさがあるのだ。それが彼のやり方なのか、イタチという種の獣性なのか、はたまた獣人という種族特有のものなのかは分からないけれど。

 そんな風に考えて、ふと、は思う。

(……私、ナハトの事、全然知らないや)

 彼自身の事だけでなく、ナハトがわざわざ危険に飛び込もうと決めた理由も、唇に牙を重ねた理由も、結局、時間がなくて訊けずじまいだった。


 ――助けてあげるよ

 ――君が望むなら、いくらでも


 唇に残り続ける牙と毛皮の感触に、はどうしようもなく燻られる。
 握り合わせた両手を持ち上げ、額に押しつけて強く祈った。ナハトが無事に、早く戻ってくるように、と。

 しかしの祈りとは裏腹に、頭上に広がる空はまた少し不安な夜へ近付いていた。


◆◇◆


 刻々と近付いていた夜の気配は、今や世界を覆い、包み込んでいた。
 空にあった朱色はすでに無く、しんと静まり返った辺りは色濃い暗闇が満ちている。唯一の光は、白い月明かりのみだ。

 そこに広がるだけで警戒する暗闇、五感の全てを研ぎ澄ます緊張――これまでと何も変わらない状況のはずなのに、懐かしく感じるのは、旅行と銘打った非日常が続いたせいか。
 ただ、以前とは明らかに違う点が、一つある。

(利害一致や損得勘定なく、自分の意志だけでやろうなんてねえ。絆されちゃったみたいだなあ)

 自らの事なのに少しおかしくて、つい含み笑いをこぼした。しかもそれが嫌な気分ではないのだから、余計に笑ってしまう。

「――さて、と」

 すん、と嗅いだ空気は深まった夜の匂いがし、涼しく鼻腔へ広がる。そしてその中には、微かに、けれどはっきりと存在を示す“獲物”の匂いがあった。
 ナハトは浮かべた笑みをスッと引き、その場から立ち上がる。
 樹木の枝に座り込んでいたため、茂みで塞がれがちだった視界が広がった。昇り始めた月が白く輝き、周囲は薄ぼんやりと照らし出されている。今晩は、良い月夜になりそうだ。

 つまりは――自分にとって、最もやりやすい環境だと言える。

「……やるとしますかね」

 村の人々には、余計な行動をしないよう釘を差した。
 隣町の自警団からは、賊の出現の報告がてら、明日の朝方、あるいは日中に騎士団が到着する事を聞いた。
 そして、町の傭兵たちは、警護に当たるがまだ直接動く事はない。
 横やりを入れられる事なく、自分が満足に力を発揮して動けるのは――今晩しかない。

 音もなく飛び降りたイタチは、暗闇にあってもはっきりと分かる、獰猛な眼光を放った。


◆◇◆


 人里から離れた自然の奥地には、打ち捨てられた村の跡地があった。
 それなりに立派な村だったのだろうが、今は田畑や朽ちた家屋に緑が生い茂り、生活の足跡を隠すように純白の野花が咲いている。跡地の大部分は、既に自然界の一部となっていた。
 しかしその中には、半壊しながらも屋根を支え続ける家屋もある。ひとが生活出来る外見ではないが――仮宿としては申し分ない。

 忘れ去られた村跡には、今、古い角灯の明かりが灯っている。この地に流れて来た、招かざる来訪者たちを照らし出した――。


 静謐な月夜を破る、複数の粗暴な笑い声が響く。

「ったく、ここの連中は骨がねえや。挑もうっていう気骨ある奴がいやしねえ」
「まったくだ、町も村もなまっちょろい。いつでも襲って下さいって言ってるようなもんだ」

 寄せ集めた角灯を中心に囲み、男たちがかぶりつく食べ物。そのほとんどは、此処に来るまでに街道などで商隊から強奪してきたもので、中にはこの一帯に生息する獣たちの肉もあった。

「これならすぐに近くの村を奪えるだろうし、人質だって簡単に手に入るだろうな」
「違いないな!」

「――まあ、慌てるんじゃねえよ」

 重厚な低い声が、男たちを宥めた。
 彼らの視線は等しく一際体格の良い大柄な男へ向けられる。

 刃物による傷跡が斜めに走る、無骨な強面。大柄な体格に見合う、どっしりと重い気迫。屈強な身体には、薄汚れてはいるが白く分厚い毛皮のマントが掛けられ、いっそうその存在感が増している。
 その男は、少数だが一団を率いてきた、招かざる来訪者――山賊の頭領だった。

「血気盛んなのは構わねえがな、まずは確実に備えねえとな。なに、人質も資源も周りに山ほどあるんだ、慌てる必要はねえ」

 残忍な笑みを浮かべた強面が、明かりに照らされる。獣に勝るとも劣らない獰猛な空気が、その屈強な全身から放たれる。
 部下である男たちもまた同様に笑うと、力強く頷く。頭領は焼いた獣の肉に食いつき、上機嫌に鼻を鳴らした。


 討伐の手を逃れ、都市部から流れ流れて辿り着いたこの地は、あまりにも長閑で容易く手中に納められそうな場所だった。
 小さな町村には、脆弱そうな住民ばかりが暮らし、襲撃するのにも実に簡単な外観。おまけに周囲は実りも豊かで、再び根城を築くには最適な環境だ。
 一晩もあれば、村一つどころか、町すら制圧出来るだろう。
 それを思うと、頭領の矜持へ付けられた傷は薄れ、自尊心が膨れていった。


 ――数週間前の事。
 都市部の山間に根城を築き、周辺の闇を牛耳るほどに膨れ上がった山賊の一味を、国はいよいよ看過しておく事が出来なくなり、騎士団と傭兵から成る討伐隊を編成した。
 戦いは拮抗し、真夜中にまで及んだ。頭領は、部下が食い止めている間に戦線を離脱。一部の部下を引き連れ、街道を行く商隊の物資を奪いながら各地を流れてきた。

 何十、何百もの部下を抱え、周辺を牛耳る力を持っていた男にとって、それは耐え難い屈辱だった。

 再び拠点を築き、巨大な根城を作り上げ、名を轟かせた一味を再興する――その執念を糧にし、頭領は追っ手を振り払ってきた。

 しかし、そんな日々はすぐに終わりを迎えるだろう。

 今はそういう季節なのか、明らかにこの田舎には不釣り合いな野生の生き物たちが数多くうろついている。最初は戸惑ったが、それらの毛皮や牙を取り、あるいは肉を調達して備える作業は笑えるほどに捗った。
 さらに、周辺にあるのは、何の力もない町村ばかり。略奪し、制圧する事など簡単だった。傭兵らしいものが多くいたが、都市部にいる百戦錬磨の者たちと比べたら赤ん坊のようなもので、恐ろしさの欠片も抱かない。

 まるで再興するために天が味方してくれたような、この容易い環境。
 溜飲が下がるような心地よさを覚え、頭領はここのところ上機嫌だった。

 ――ただ一つ、懸念があるとすれば。

「……おう、お前ら」

 おもむろに向けた視線の先には、二人の男がいる。都市部の戦いで作ったものではない、真新しい傷を負った彼らは、何処かバツが悪そうにしながらも顔を上げる。

「若い獣人の小僧にやられたってのは気に入らねえが、次からはヘマするんじゃねえ。いいな」
「へ、へい、もちろんです」

 強く頷く男たちを見ながら、頭領は髭の伸びた顎をさする。
 軟弱な部下は居ないと自負しているので、不意を付かれてしまっただけだろう。単なる小僧のはったりだとは思うが、引っかかるものはあった。

 しかし、頭領は自らの腕には自信があった。かつて自ら倒してはぎ取った、とある生き物の毛皮のマントを撫でれば、その気分はたちどころに良くなるのだ。

 その獣人の小僧が何かは知らないが、相手は結局、獣。これまでの獣や獣人と同様、“毛皮の正体”に気付いて無様に震えるに違いない。

 無骨な手で撫でつけるその白い毛皮も、頭領の矜持の一つであった。

「準備しておけよ、お前ら。近々、下見に行かせたあの村を襲うからな」

 貧相な村だが、奪えるものは全て奪え。金も、住処も、食い物も――女も。

 男たちの面持ちに、賊が賊と呼ばれるだけの、浅ましい笑みが浮かび上がる。何度味わっても、その瞬間の昂揚は、何にも代え難いものだった。


 追いかけてくるだろう騎士団を除き、自分たちと戦おうとする者はこの地に居ない――そう思い油断しきっていた山賊たちだからだろう。
 すぐ側に牙を剥く“獣”が潜んでいる事を、まったく気付かなかった。




 夜通しの見回りに当たる数名を除いて、山賊たちは眠り始める。
 寄せ集めた角灯の周りに、四人が座る。そのうちの一人が、村跡の周囲を巡回し、ひとしきり見たら別のものに交代する。
 そうやって一晩を過ごす順行が、数回、問題なく繰り返された真夜中――音もなく静かに崩されていった。

 何度目かの巡回の番になった男が、欠伸を噛み殺しながら明かりの側を離れる。次に交代する男はそれを見送り居住まいを正したが、しかしおかしな事にいつまで経っても戻って来ない。もしや居眠りでもしているのか、などと軽口を叩き仕方なく探しに向かったが、その男までも戻らなくなってしまった。

 さすがに、これは様子がおかしい。残りの二人も武器を握りしめ、警戒を露わに動き出した。
 しかし、その時にはもう遅かった。
 村跡の外れから聞こえる、か細い声。夜鳴きの音とは明らかに異なる、痛苦に満ちたその声を辿り、男たちは慎重に足を進める。そしてその先で、彼らは仲間の姿を見つけた。

 地に倒れ伏し、苦悶の声を上げるばかりの、哀れな姿を。

 ザア、と押し寄せる悪寒に、息を吸い込む。しかし、それを声として吐き出す間もなく――突如、黒い腕が伸びた。
 風が通り過ぎるような素早さで、黒い影が全身に巻き付く。振り払う間もなく、捕らえられた男の全身は軋み、そして――。

「あんたが最後の見張り、かな」

 壮絶な叫びを上げ崩折れた仲間を踏みつけ、細く黒い影が嗤う。
 暗闇に浮かび上がった眼光に、最後の獲物と定められた男は、角灯をガシャリと落とした。




 ――あァァァァアアア……!!

 静かな月夜を引き裂く絶叫が、辺り一帯に響き渡る。
 眠っていた山賊たちは勢いよく飛び起き、側にあった得物をそれぞれ掴んだ。それは頭領も同じで、大きな身体を起こすと、毛皮のマントを翻し半壊する家屋から飛び出した。

 悲鳴は、すぐに止んだ。再び静寂が覆ったが、残された余韻は肌を不気味に撫ぜる。


 ――サク、サク

 ――ズルリ、ズルイ


 足音が、遠くから聞こえる。何かを引きずるような音も、それに重なっている。
 近付いてくる気配に、誰もが武器を握る手に自然と力を込めた。

「……お頭」
「慌てんじゃねえよ、馬鹿が」

 頭領は低い声で一喝し、前方をねめつける。明かりを放つ角灯の向こう、歩み寄る人影は次第に大きくなっていた。
 たった一人で、この首を取りにきた奴がいたか。こんな田舎に、そんな気概のある奴がいるとは。
 頭領は表情を厳めしく歪め、一体どのような輩かと視線を外さなかった。

 しかし、その表情はすぐに崩される事になる。

「――こんばんは、お邪魔します」

 仲間の脚を持ち、引きずってやって来たのは――屈強さの欠片も見当たらない、しなやかな細身の獣人だった。


◆◇◆


 ――おうおう、驚いてる驚いてる。

 屈強な男たちが、揃いも揃って茫然としている。そういった表情を向けられるのは珍しくないから、特に気にはしなかったが……ここまでぞろりと並ぶと笑いがこみ上げてくる。
 そうだな、彼らの前にいるのはいかにも無害そうな、しかも細身のイタチだ。“これ”が出てくるとは、さすがに思っていなかったのだろう。

 ナハトはそのまま周囲を照らす角灯の側へ歩むと、片手に引きずっていたものをポイッと放り投げる。
 見回りを担っていた四名のうちの、最後の一人だ。

「ひッあぐ、うゥ……ッ!」

 仲間の山賊たちから、微かに息を詰める音が聞こえた。
 外見こそ目立った外傷はないが、泡を吹き痙攣する様は、痛々しいの一言に尽きる。自分でしておきながら、さぞや辛いだろうなとナハトは他人事のように思う。

「てめ……ッ何しやがった!」

 食って掛かる賊へ、ナハトは流暢に応じた。

「動かれちゃかなわないから、腕と脚をちょこっと折らせてもらった」
「な……ッ」
「骨で済んで良かったでしょ、命は取ってないんだから」

 僕にしてはかなり譲歩した方なんだが、と肩を竦めてみたけれど、山賊たちの空気は激しくいきり立った。
 ピリピリと五感を焼く、明確な敵意。その感覚は、少し懐かしくて、そして心地よくもあった。

「……俺たちが何なのか、知っている上でやったのか」
「話だけはね。都市部で有名な大きな山賊の一団、でしょう?」

 この地域にやって来てから、初めて存在を知ったわけではない。風の噂で、これまで幾度か耳にしてきた。ただ興味はなかったから、それほど気にしてこなかっただけだ。

「――大した度胸だな」

 得物に手を掛ける十数名ほどの賊の向こうに、ひときわ重厚な存在感を放つ大柄な男が居た。考えるまでもなく、それが残党を率いる頭領なのだろうが……。

(……? 何だ、この匂い)

 頭領が羽織る白い毛皮のマントに、ナハトの意識が向かう。何処かで嗅いだ事のある獣の匂いが、風に乗って届けられる。

「そういうてめえは、何処のもんだ。まさかとは思うが、町にいる傭兵か何かか?」
「僕? 僕は、村でちょっとお世話になってる旅行者だよ」

 世話になっている旅行者。
 その言葉を聞き、山賊たちは一瞬呆けたが、その直後どっと大声で笑った。

「なるほど、ちょっと名を上げたくて無茶した、若造って事か!」
「こりゃあ傑作だ、可愛いイタチのくせに、大した度胸だぜ!」

 嘲りに満ちた言葉も、ナハトには大して響かなかった。それもこれまで幾度となく浴びせられてきたものだった。
 仲間の惨事を見ていながら、侮って余裕を浮かべる山賊たちを、その間静かに観察する。

 数は、十人と少し。他の見回りはいなかったから、ここにいる連中で全部ってわけだ。

「旅行者とは驚きだ。ところで、ここに正面から乗り込んで、どうするつもりだったんだ」

 たった一人でどうこう出来るのかと、言外で嗤っていた。
 ゆるりと構えていたナハトは、その瞬間に、すっと表情を変えた。

「……やる事なんて、一つしかないさ」

 纏う空気が変わる。細められた獣の瞳に、冷徹な光が宿る。

「助けてくれと言われたからね。あの子の願いを、まずは叶えてあげないと」
「へッ……正義の味方の、つもりかよ!」

 視界の片隅で、賊の一人が剣を抜き払う。ナハトはそれを冷静に見やり、静かに身体の向きを直した。
 勢いよく踏み込んだ男とナハトの体格差は、比べるまでもなく歴然。誰もが油断し、侮っていた。


「お、お頭、あいつです!」
「……なに?」
「俺たちがやりあった、昼間のイタチの獣人は、あいつです――!」


 ――次の瞬間までは。


 ナハトは自らの身体を半歩ずらし、至近距離で剣をかわす。呆気なく空を切った切っ先に、男の表情が崩れた。ナハトはすかさず無防備な腕を絡め取ると、ギリッときつく捻り――容赦なく、硬い地面へ叩きつけた。
 身体ごと落とされ強打する音の中に、何かを砕く異音が混じる。
 途端に上がった男の悲鳴を、ナハトは無感情に見下ろす。

「――正義の味方。そんなつもりはないけど」

 叩き折った腕をさらに捻り、泡を吹く男を踏みつけ立ち上がる。

「でも、今くらいは、そうなるのも悪くないかな」

 これほど自分に不釣り合いな言葉はないだろうが、それで“あの子”に寄り添えるなら。

 そう思うと、不思議とナハトの心臓が震えた。思わず笑みをこぼしてしまうほどの、甘い昂揚感。こんな感覚は自分にもまだあったのかと、ナハトは無意識に表情を深める。

「さて、こっちにも用事があるんだ。だから――」

 細身の身体から、殺気が溢れ出す。牙を見せつけ笑う獣人は、大型の獣たちにも劣らぬ、獰猛な本性を露わにした。

「周りは、黙っててもらうよ」

 ナハトは踏みつけた男を飛び越え、辺りを目映く照らす角灯を蹴り飛ばす。古びたそれは壊れ、火種は燃え移る事なく硝子の破片と共に散った。

 光が失われ、瞬く間に押し寄せる暗闇。
 夜空には見事な月が昇り、そう長く掛からず目は慣れるだろう。
 けれど、何も出来ない無防備な時間が僅かでもあれば――それで十分だった。

 人間は夜目が利かない生き物だが、イタチという種は夜行性だ。

 ナハトは身を低くし、躊躇なく、敵の懐へ飛び込んだ。



獅子や虎は、王者。
犬や狼は、兵士。

そんな風に各動物たちを呼ぶのであれば、個人的にイタチは“ヤクザ”だと思う。

そしてそろそろ、ナハトの持つもう半分の動物の名も明らかに。


2016.09.12