15(18禁)

 誰かが言っていた。
 出会いの縁が、何処でどう繋がるのかなんて、全く予想もつかないと。
 本当にその通りだなと、は思う。
 契約成立だと握手を交わしたあの時は、まったく想像もしていなかった。いつの間にか、旅人から大切な存在に変わる事も。

 ――まさか自分の寝室に、彼という異性が居る事も。





「なんだか、変な感じ……」

 過ごし慣れた部屋の風景や、窓辺に差す月明かり。質素なサイドテーブルの上の、小さな蝋燭立て。それらは何も変わっていないのに、そこにナハトという存在が居るだけで、急に別のものに見えてくる。
 が今座っているベッドも、毎日使っているものなのに。
 まったく落ち着かなくなり、もぞもぞと身動ぎばかりしてしまう。

「そう? 僕は今、すこぶる気分が良いけどね」

 しかし、対面にいるナハトは、とは対照的にとても上機嫌だ。シーツの上を、長毛な尻尾がパタパタと跳ねる。どうしてなのかと尋ねれば、彼の口元がニイッと緩む。

「だってこの部屋、君の匂いしかしないから」
「……えッ、に、匂い?! やだ、臭いの?!」

 そう言われると、気恥ずかしさが余計に増してしまうから、止めて欲しい。
 ふんふんと鳴らす小さな鼻めがけて、は反射的に両手を突き出す。しかしナハトはおかしそうに笑い、張り付いた手のひらをぺろりと舐めた。人間とは違う、面積が狭く、薄い舌だった。

「獣人は鼻が良いから、仕方ないじゃん。せっかくの好きな子の匂いなのに、そんな酷い事するなよ」

 くつくつと笑っているけれど、耳に残る掠れた余韻は酷く色めいている。見た目は、こんなに可愛いイタチだというのに。その声や仕草は、確かに男性のものだった。

 ――その時、ふとの身体に、ナハトの手のひらが這った。
 指先の爪が、衣服とその下の肌をカリッと引っかく。丸めてあるが、その感触はをドキリとさせた。くすぐったいような、ぞくぞくするような、言葉にしがたいむず痒さが走る。

「……いい?」

 服を摘む動作の意味はすぐに理解し、は視線をさまよわせる。

「あ、う、うん。えと、私、服……わッ?!」

 が頷くや否や、言葉の途中も構わずに、ナハトの両手が身体を這った。衣服越しでも分かる大きな手のひらに、背中や腰が何度もまさぐられ、性急に服をずらされてゆく。
 あまりの忙しなさには無意識に身を引いたが、ナハトは強い力で引き寄せてしまう。閉じこめるように抱きすくめる仕草が、離れるなと言っている気がした。

 ナハトの手が服の中へ入り、の脇腹から背中へと伝う。毛皮に包まれた指先が、明らかな意図を持って背筋をなぞり上げた。が情けない声をこぼし肩にしがみついても、その手は緩まない。早く早くと、先を急いでいる。

 ナハト、ナハト――が困惑の声で何度も呼びかけ、ようやく動きが止まった。
 息を整えるのもとへ、ゆっくりと、イタチの頭が下りる。頬にすり寄り、そのまま匂いを嗅ぐように首筋へと鼻先を埋めた。大きく吸い込み吐き出された吐息は長く、そして――酷く熱かった。思ってもいなかった温度を感じ、は驚きを浮かべる。

「いいけど、少しだけね」
「少しッ?! そんな、強調しなくても……」
「――待ってあげるだけでも、紳士と思ってよ」

 の声に被さった、ナハトの声は。
 急き立てるものを無理に抑えつけたような、苦しげな余韻を含んでいた。

「こんな良い匂いさせて、部屋中はそれで一杯になって」

 そんな状態で待てだなんて、本当は、酷な事なのに――。
 ナハトの掠れた声に、熱が帯びる。これまでの彼の調子からは想像つかない、異性の艶やかさを耳で感じ取ったは、中途半端にはだけた身体を震わせた。
 それは、彼が吐露したように、本当に自分を求めているという事なのだろうか。
 猜疑心を抱いていたわけではないが、今もきつく抱き込む腕や、カリカリと引っかく指先に、ようやくそれを実感する。

「ん……ッい、嫌じゃないんだよ。ゆっくりだと、その……嬉しい……」

 目の前の肩に頭を預け、は小さく呟く。ナハトは一瞬ハッと空気をこぼすと、静かに笑った。

「……本当、君は可愛いなあ」
「か、からかわないでよ」
「からかってないよ、ほら、拗ねないで」

 くつくつと喉を鳴らし、ナハトは頭の位置をずらす。今度は鼻先ではなく、口元を深く埋め――ぺろりと舐め上げた。
 温かく湿った感触に首筋をなぞられ、は声をこぼし飛び跳ねる。目の前のナハトの肩が震え、彼が笑ったような気がした。
 ほんのりとむくれたのが伝わったのか、ナハトは「育った環境と仕事のせいだろうね」と言い、抱き込んだの身体を静かに離す。

 地域や国によって多少の違いはあれど、人間が成人扱いをされるのはおよそ十五、十六歳以上だろう。しかし獣人は、肉体も精神も早熟の傾向にあり、一人で狩りや生活が出きるようになったら一人前という考えもあるので、どの獣人も十歳前後が目安だ。
 特に、厳しい環境の北方の地ではそれが強く根付いていると、ナハトは言った。

「実年齢ってやつは、たぶん近いだろうけどね。……まあもっとも、今はそういうの関係なく余裕ないけど」
「え――」
「はい、少し待った。脱がす」

 ええッ本当に少しだけ! もう少しお話してもいいじゃない!
 がそう告げるよりも早く、ナハトの両手が再び這った。迷わず衣服を掴まれたけれど、先刻のような不安を煽る焦燥感は感じない。破いてしまいそうな勢いを必死に抑える、不器用な理性が獣の指先に見える。
 ゆっくりが良いなどと、拙さ極まりないの懇願を、守ろうとしているのだろう。少し皮肉屋で、怖いもの知らずな彼の優しさが、は嬉しかった。
 でも、ナハトになら、何をされても怖くないんだろうな――。
 緊張と恥じらいで強ばる身体を、毛むくじゃらの温かい手に委ねる。

 ――パサリ、パサリ

 蝋燭の明かりが頼りなく揺れる部屋に、衣擦れの音が響く。すでに夜を迎え、周辺は静まりかえっている。その音はとりわけ耳に残り、ほんのちょっぴりとゆっくりされる事に後悔を覚えた。
 よく考えれば、自分で脱いでしまえば良かったのだ。
 なんていう葛藤を余所に、ベッドの隅には、剥がされた衣服が一枚ずつ積まれてゆく。そしてついに、最後の一枚の肌着が、ナハトに掴まれる。

「あ、う……ッ」
「逃げないで、大丈夫だから」

 ナハトは懇願するように呟きながら、するりと肌着を引き抜き、隅へ置く。
 は身動ぎも出来ず、下着一枚のみの身体を小さく縮める。差し込む月明かりとナハトの眼差しから逃れようと、両腕で胸の前を庇ってみたが、余計に心許なさを覚えた。



 身を乗り出すように、ナハトが近づく。それをどう見たら良いか分からず、は瞳を泳がせ俯いた。

「腕を」

 囁くようなナハトの声は、低く這った。恐る恐ると視線を上げ、イタチの顔を窺うと――普段のつぶらな瞳は何処かに消え、完全に肉食獣のそれになっていた。
 たとえイタチというしなやかな動物の種であっても、その本質は牙と爪を持つ生き物。どんなに外見は可愛らしくとも――猛獣は猛獣なのだろう。
 人間の、それもたかだか村娘では勝てないという事を、唐突に感じさせられた。獰猛な表情を目の当たりにし、は息を飲む。

 ゆるりと伸びたナハトの手が、胸の前で交差するの腕を握る。思わず入った力を気にも留めず、ナハトはいとも容易く退けてしまった。があっと小さく声をこぼした時には、すでに胸の前が開かれ、ナハトの視線がそこに注がれた。

「――ああ」

 息遣いのような、掠れた声がの耳に届く。
 視線を外していても、正面からまじまじと見られているという事が分かる。あまりの恥ずかしさに泣きたくなった。
 ぷるぷると震えるを、ナハトが引き寄せる。再び距離を詰めた彼は、顔を寄せ頬を舐めた。

「綺麗だね、君」
「うう……ッそ、んな事……わッ?!」

 剥き出しの肩を撫でた手のひらは、二の腕へと下がり、胸の下へと向かう。整えてはいるが、丈夫そうな指先の爪が、の肌をなぞった。
 くすぐったいようなもどかしさに身動ぎをすると、ナハトの瞳がすっと細められる。喉を上下させた動きは毛皮に隠れ、は気付かなかった。

「……ねえ、もっとよく見せてよ」

 が反応する前に、ナハトはその身体を倒した。目を白黒させながら横たわるの裸体に、素早く跨がり覆い被さる。ハッとなって見上げたの瞳は困惑し、歪んだ眉には恥ずかしさが浮かぶ。

 淡い明かりのもとに映し出されたの様子を、ナハトは頭上から食い入るように見下ろす。
 心許なそうな彼女の面持ちからは、初心な可愛らしさが感じられたが――衣服の下から現れた身体は、予想もしていなかった事に、それを大いに裏切った。
 端的に言ってしまえば、正反対だった。
 陽の下が似合いそうな肌や、丸みを帯びた肩、曲線を描く腰周りなどの輪郭は、女らしい柔らかさを持ちほっそりとしている。だが、その細さは折れてしまいそうな華奢さではなく、肉感やパーツがはっきりとしたしなやかさの方が強かった。女性の象徴である胸部もふっくらとし、臀部や太股にもちょうどよく肉がついている。
 この辺りの暮らしからして、勝手ではあるが、植物の茎のように華奢ではないかと想像していたのに。
 目眩がしたのも、欲望が増したのも、恐らく気のせいではない。

 彼女が賊に襲われた時、僅かながら目にはしているが……あの時はそれよりも、完全に怒りの方へ感情が振り切っていたので、まじまじと見てはいない。

 いや、そんな事より。

(……あいつらの目と両手を潰して正解だった)

 今頃どうなっているか定かでないが、あれで良かったのだと、ナハトの中に薄暗い感情が生まれる。
 この身体を見るのも、触るのも、痕や匂いを残すのも――これからは自分だけだ。
 他の雄に渡したくない歪な独占欲と、獣らしい本能的な欲望が高まり、ナハトの胸へ広がってゆく。

 無意識に、ナハトの獣の手がへ伸びる。手のひらの肉球に触れる肌は、毛皮を持つ獣人とは違い、滑らかで温かく、そしてあまりにも柔らかい。爪の痕を容易く刻めそうな柔さに、劣情で喉が鳴る。
 気付けば、その手のひらは鷲掴むように、の胸に重なっていた。

 おろおろと見上げるばかりだったも、ドキリと身体を揺らす。触れた感触は人間と違うけれど、男性のものだ。少し硬めの肉球がある面積の広い手のひらも、爪を擁する長い指も、全て。

「ナ、ナハト……ッ」
「なんかもう、今から頭沸きそう……」

 独り言のように、ナハトは呟く。

「美味しそう、色々と」
「おいし……」
「ああ、本当――かじり甲斐がありそうだ」

 外見が外見なだけに、あまり冗談に聞こえない。もちろん、それが比喩のようなものだとは思っているが、見下ろす双眸や薄く開いた口元の牙は、強烈な存在感を放っている。
 怖くはないはずなのに、ぞくぞくと肌が粟立った。

 すると、ナハトは自らの衣服を掴み、勢いよく脱ぎ捨てる。獣人という種族らしい、毛皮を纏う上半身がの見上げる先に現れた。
 その時、ふと目に留まったのは、ナハトの脇の下から横腹に掛けて走る、帯状の白い模様だった。
 ……そういえば、それを見たのは、つい先日の一回だけだ。
 ナハトがイタチと別の動物とのハーフだという、一番の証だろう特徴的な模様。それをじっと見つめているのに気付いたナハトは小さく笑った。

「クズリとのハーフだからね。なかなか目立つ模様でしょ。不気味かな?」

 まさか、とは首を横へ振る。

「むしろ、ちょっと綺麗だと思うくらいだよ。普段隠れてるのが、もったいないね」

 そう微笑むに、それこそナハトの方がまさかと思った。
 これまでの反応からして、彼女はクズリという生き物を知らない。北方の限られた場所でのみ暮らしている一族だ、知らない人の方が多いだろう。イタチの仲間という言葉に惑わされ、その本性を見誤る者も数多く存在したくらいなのだから。
 その上、傭兵として生き、正義の味方とほど遠い“凶獣”などという名が付けられた。
 似合わない事くらい、分かりきっているのに――常ならば嗤う言葉に悪い気がしなかったのは、惚れた弱みだろう。
 小さな悪魔と呼ばれ続けた一族の模様を、綺麗だと言われ、ナハトは確かに温かな心地を覚えていた。

「……ねえ、ナハト」
「なに?」
「ちょっとだけ、毛皮に触ってみてもいい?」

 の言葉に、ナハトの瞳が一瞬見開く。駄目かな、とやや不安そうに見上げる眼差しと、横たわる身体の艶めかしさに、ぐうっと喉が詰まる。

 そんな良い匂い漂わせてる状態で、僕を触るってか。こっちの方が、どうにかなるんじゃ……。

 激しく動揺するナハトの胸中など露知らず、その眼下ではじいっと見上げ、期待に瞳を輝かせている。ナハトは葛藤の末――どうぞ、と瞑目した。
 途端に、の表情が、ぱっと明るくなる。
 早速とばかりには腕を持ち上げ、指先を伸ばした。横腹に走る模様に触れると、ナハトの胴体が微かに跳ねる。宥めるような仕草で手のひらを滑らせ、毛皮を優しく撫でる。
 柔らかくふわりとした質感は、正しく動物のそれ。しかし、みっしりと生え揃った毛皮の下の身体は、外見のしなやかさとは裏腹にがっしりとし、それに驚くほど熱い。細身のように見えていた肩は広く、背中も大きく感じた。
 ひとしきり身体を撫でた後、その手のひらをイタチの顔へ持ち上げる。そうすると、が触れる前に、彼の方からすり寄った。ゆっくりと瞬く瞳は心地好さそうにし、小さな鼻はふんふんと動く。しなやかな喉元からは微かに音が奏でられ、機嫌の良さそうな雰囲気が漂っている。
 こういうところは、やはり獣っぽくて可愛らしい。
 は表情を緩め、その頬を撫でる。くるくるとなぞる細い指先に、心地好く目を細めたが、ナハトはふっと呟いた。

「……怖がらないのも、触ろうとするのも、君ぐらいだ」
「よく分からない。こんなに素敵なのに」
「それは毛皮の事かな。それとも僕?」
「どっちもだよ」

 はふわりと笑い、彼の頭の天辺にある小さな丸い耳を撫でる。
 ナハトはくすぐったそうに頭を揺らし、不意に背を屈めた。静かに下がった胸が、の胸へ折り重なり、至近距離で眼差しが交差する。

「――それなら、好きなだけ触ればいいよ。僕も、そうするから」

 囁いたイタチは、の唇へ甘く噛みついた。人間とはきっと違うのだろうが、それは確かに口付けだった。

 ナハトの手が、再びの身体に触れる。先ほどよりも密に重なった手のひらは、仰向けに晒される腹部を伝い、胸を包んだ。
 やんわりと触れた手のひらがすぼめられ、長い指が埋まる。くすぐったいような、むず痒いような感覚が走った。は唇を結んでいたが、悪戯にまなじりや頬、耳の裏を舐めるナハトのせいで、そう長くは続かなかった。

「や、あ、待って」
「やだ、さっきもう十分待ってあげた」
「あ、あんなの待ったうちに入らな……ッきゃ?!」

 胸の頂を、指先の爪がコリッと押し潰す。
 突然走った未知の痺れに、は飛び跳ねる。ナハトはそれで止めてはくれず、頂を弄びながら胸全体をこねくり返し、ついには――頭を下げ、片方の胸の先端を口にくわえてしまった。
 肉の薄い舌が伸び、立ち上がった頂を舐める。ゆっくりと円を描き、時折、悪戯に牙を押し当てる。丹念に舌で愛撫する動きは、まるでそれが美味しいとでも言っているだった。
 味なんてない事は、分かっているのに。恥ずかしく思いながら、の視線は自らの胸元に顔を寄せるナハトから外せない。
 吐き出す息は熱く、細くなった瞳は恍惚とし、甘く食む牙は何度も肌を掠める。そうしていると、彼が本当に獣のようで、食べられそうだなと考えてしまった。

 でも、何だろう、嬉しいな。

 浅く呼吸を繰り返しながら、は思わず手を伸ばす。揺れ動くナハトの頭に細い指を滑らせ、茶褐色の毛皮を柔らかく梳いた。イタチの瞳が、熱っぽく向けられる。は恥ずかしそうに口元を緩め、ふわりと笑いかけた。

 ――と、その時、唐突にナハトが身体を離した。

 の胸をこねくり回していた手が、シーツと背中の間へ入り、ころりとひっくり返す。は抵抗もなくあっさりと反転し、はたと気付いた時にはすでに横向きにされていた。
 すぐさま、剥き出しの背中にはナハトが寄り添い、後ろからぎゅっと抱きすくめる。

「ナハト……?」
「――ちょっともう……やっぱ無理……ッ」

 ぞわりと肌が粟立つほどの、情欲を湛えた低い声が響いた。
 耳元で聞かされたは、背面を見ようと首を動かしたが――肩を掴まれ、シーツに力強く縫いつけられた。

「あ……ッ?!」

 半ばのし掛かるように、ナハトの身体が乗り上げる。荒く息を吐き出しながら、ナハトは顔を寄せ、の項に噛みついた。痛みはなかったが、これまでになくしっかりと牙が押し当てられた。

「ナハト……ッんん!」

 細い項を食む牙は、耳の裏や肩、さらには背筋へと及ぶ。吐き出される息の熱まで、全身へ広がってゆくようだった。その甘いもどかしさに、は身を捩りシーツを蹴る。

「温かくて、良い匂い……ッ誰かの痕が、つく前に、早く」

 紡がれた断片的な言葉は、正しく聞き取れなかった。熱に浮かされたイタチは、話す合間も惜しみ、の肌を何度も蝕む。
 それは口付けのようであったが、きっと何か違う。そこにあったのは、情緒や理性をかなぐり捨てた、本能的な荒々しさだった。
 何かに急き立てられた危うさと焦燥感を滲ませるナハトを、は戸惑ったが、止めはしなかった。甘えるような、あるいは縋るような、小さな鳴き声も耳元に聞こえるのだ。
 あのナハトも、そんな音をこぼすのか。
 そう考えたら、何故だかの心臓は甘く締め付けられた。

「は……ッごめんな、怖いだろ」

 押さえつけていた腕が、の身体を抱きしめる。けれどその力は已然として強く、を捕らえたまま決して逃がそうとしない。

「ナハト……あ……ッ」
「呼んで、もっと。僕のこと」

 不意に、ナハトの手が、の太股に触れる。柔らかい肌をなぞるその指先は、唯一身につけていた下着を引っかいた。の身体が、微かに強ばる。



 まなじりにイタチの口付けが落とされる。が小さく頷きを返すと、下着はすぐに下げられてしまい、いよいよ身体から衣服が全て消え去ってしまった。ぶるりと震えたのは、きっと、羞恥心のせいだけではない。

「――怖い?」

 意味ありげに、ナハトの爪が太股の内側を引っかく。は、ちょっとだけ、と呟いた。

「でも……ナハトだから、怖くない。本当」

 山賊に襲われた時は、半狂乱になるほど、恐ろしくて、気持ち悪かったのに――。

 そう続いてしまった時、はハッとなって唇を結んだ。こんな事、今言う場面ではないのに。彼の気分を害してしまったと、は激しく後悔した。
 しかし、背面に寄り添ったナハトは、ほんの少しだけ口を閉ざし。

「――“僕”が触っても、気持ち悪くはない?」

 優しい声音で、に問いかけた。その瞬間だけは、激しい欲望の熱も薄れ、柔らかい慈しみが浮かんでいたように感じた。
 もちろんだよ、と頷くに、イタチの頭がすり寄る。彼の喉元から、優しい鳴き声が聞こえた。

「それなら、覚えて。触れてるのは、君の目の前にいる僕だって」

 ナハトの手が、太股の間へと滑り込む。内側を柔らかくなぞりながら、伝い上がっていった。
 あっと声を漏らした時には――イタチの指先が、ひたりと秘所に触れた。
 全身を跳ねさせたのまなじりを、薄い獣の舌が舐める。大丈夫だと、告げられた気がした。だからその指が、他人に決して触れられる事のなかった場所を撫ぜ、あまつさえ浅く内側に侵入しても、はイタチの手をはねのけたりしなかった。

 肌をくすぐる毛皮や、柔らかい部分を時折掠める爪の感触は、明らかに人間のものではない。だけど、ナハトだと思えば――異性に触れられる恐怖は、やはりなかった。

「ん、は……ッ」

 次第に、固く結ばれたの唇は解け、声音や吐息が甘くこぼれ始めた。羞恥心で強ばる肌は染まり、ほのかに熱を帯びている。緊張していた秘所も柔らかくなり、愛撫するナハトの指先には、とろりと蜜が伝った。
 それを感じ取ったイタチの目に、再び爛々とした欲望が広がった。
 ナハトは寄り添っていた身体をがばりと起こし、おもむろにベッドの上を移動する。離れていった温もりに気付き、それを自然と追いかけただが、次の瞬間、蕩けた目を見開かせた。

「え、ちょ、わ……ッ?!」

 横向きの身体は仰向けにされ、投げ出していた両足を開かれる。その間にナハトは居座り、背を屈めていた。

 ねえ、待って、嘘でしょ――。

 それにはさすがにも激しく狼狽し、身動ぎを繰り返した。だが、ナハトの力はその外見を裏切り非常に強い。閉じる事など到底叶わなかった。
 イタチの頭は、濡れた両足の間へと下がってゆき、牙を擁した口を開いた。

「や、うそ、待って……ひゃ、ああッ?!」

 指で慈しまれた入り口を、温かい舌が這った。ぴちゃりと音が立ったのは、気のせいではない。
 舐めた。そんな恥ずかしいところ、舐めてしまった。
 その上、それだけでとどまらず、柔らかい割れ目を暴くように開き、何度も舌を往復させている。あまりの衝撃に、はぱくぱくと口を開閉させた。

「深いとこは、僕の指だと……ん、傷つけそうだし」
「だ、だ、だからって、ひ……ッん……!」
「人間のベロは短いけど、獣人のは、けっこう悪くないと思うよ」

 いや、そんなの、言われても分からないよ!

 暴れそうになる両足は、ぎゅっと押さえられる。巻き付いた獣の腕と身体が、身動きを奪う。その間も、ナハトの薄い舌は変わらず這い回り、の秘所と蜜を舐め啜った。

 乱暴ではないのに、決して逃げられない。丹念に舌を伸ばすイタチから、微かに甘えるような、縋るような鳴き声が漏れているからだろうか。甘受するしかない震える身体に、羞恥心だけではない、甘い熱が宿ったような気がした。

 ――身体の奥底で、ぞくんと、何かが疼く。

 はせり上がってくるような妙な予感を抱き、足を抱えるナハトの手を引っかくように掴む。やめて、やめて、と啜り泣きにも似た声で、必死に呼びかけた。
 ナハトは少しだけ頭を動かしたが、泣きそうなをちらりと一瞥しただけだった。震える足を抱え直し、鼻先を埋めるようにぐっと顔を押しつけると。
 止めるどころか、さらに舌を伸ばし、内側をなぞり上げた。

「ひ、や、やめ……ッな、なんか、あ……!」

 熱い息遣いと舌先の動きが、を追いつめる。は表情をしかめ、ナハトの手をぎゅっと握り込むと――切なく声を上げ、背中を仰け反らせた。

 それと同時にナハトも、ぐうっと喉を唸らせる。ほのかに染まる身体が張りつめ、びくびくと手のうちで跳ねる。中へ忍ばせた舌は、きつく、しかし甘く締め付けられる。それだけで、ナハトの背はぞくぞくと震え上がった。

 はそれに気付かず、張りつめた身体をくったりと弛緩させる。繰り返す吐息は、か細く空気に響いた。

「イケたみたいだね。上手、上手。悪くなかったろう?」
「は、恥ずかしくて、それどころじゃ……!」

 そうしてナハトへと視線を移した時、はその口を閉ざした。
 両足の間にあってよく見えなかったが、ナハトの目には、過ぎた熱が渦巻いていた。薄い明かりなのに、人とは違う獣の顔なのに、はっきりと見て取れる欲望の色。舌なめずりする様なんて、イタチとは思えないほど獰猛だった。
 甘い余韻の残る身体が、ビク、と跳ねる。

「――

 酷く熱い声が、耳をなぞる。ゆっくりと身体を伸ばし、覆い被さったイタチが、頭上で微笑んだ。牙を見せ、喉を震わせ、理性らしいものが見当たらない獣の仕草で。
 はその瞳から、視線を外せなかった。

「ちょうだい、そろそろ」

 の力の入らない両足が、ナハトの脇に抱えられる。いつの間にかズボンは緩められ、ずり下げられていた。そして彼の手の内には、硬く屹立したものが握られていた。
 へと向けられたそれは、溢れるほどに濡れた秘所へ寄り、ぬるりと撫で付ける。幾度か上下に這った先端は、ひたりと、入り口に添えられた。

「あ……ッ」

 の両脇に、ナハトの手がつく。距離が詰められ、逃げる隙間も無くなった。だけど、熱に浮かされ急いている獣の瞳を見ると、彼の方も追いつめられているように思えた。

 ――そうして、ナハトはぐいっと腰を寄せ、あてがった剛直の先端を埋めた。

 は目を一瞬見開かせ、ぎゅうっと眉をしかめる。
 柔らかく解され、潤っていても、男性を受け入れた事など一度もない。狭い内壁を押し広げるその重さは、を怯ませるには十分だった。思わずナハトの腕を力一杯に握り、息を詰める。ゆっくり、けれど確実に押し込まれてゆく欲望は、の内側を広げ、そして。

 ――ごつりと、奥を突き上げた。

「いッう、うゥゥ……ッ」

 たまらず、は声をこぼす。
 ナハトのしなやかな腰は止まったが、の目尻にはじわりと涙が滲む。もうこれ以上無理、と情けなく思った時――頭上から、ナハトの息遣いが響いた。調子の崩れた、荒れた吐息。そろりと見上げると、見下ろすナハトの瞳と視線がぶつかった。

「痛いだろ、ごめんね。でも――」

 ひきつったの身体は、びくり、と飛び跳ねた。

「――これで、僕の痕が、君に残った」

 仄かな明かりに照らされた、イタチの眼には。
 はっきりと読みとれるほどの欲望と喜びが、どろどろに甘く溶け出していた。

 ナハトは陶然とし、身体をへ倒す。仰向けになった柔らかい肉体に、獣人の躯体が折り重なる。ふわりと毛皮が被さり、巻き付くように四肢が絡み合った。
 密着した分、打ち込まれた楔がじくじくと動き、は微かに呻く。
 そうすると、ナハトは頭を下げ、汗ばむこめかみや耳の裏、首筋へ口――いや牙だろうか――を柔らかく這わせていった。宥めようとする、優しい仕草。けれど、歓喜を隠さない息遣いが、をぞわぞわとくすぐった。

「ん……ッうれしそう……?」
「……ああ、嬉しいよ。でも」

 少し舌っ足らずなの頬を、イタチの舌がなぞった。蜜を舐め取るように、ねっとりと。

「――でも、まだ、足りない」

 理性の薄れた獣の瞳が、際限のない欲望を告げる。
 獣人という種族がどういうものなのか。もその本質を、ほんの少しだけ、垣間見たような気がした。

(……初めて思う事、ばかり)

 あのナハトが、色っぽく声をこぼしたり。しなやかな躯体を、甘えるように寄せたり。かと思えば、剥き出した欲望をぶつけてきたり。
 いくつも見せられる彼の姿を、はぼんやりとする頭に残そうと、真っ直ぐ見つめる。

(……もっと、知りたいな。ナハトの事)

 そう自然に思った瞬間――唐突に、理解する。
 目の前の“凶獣”と名付けられたイタチと、自覚する以上に離れがたくなっているのだと。


 の中へ埋められた剛直が馴染み、痛みと存在の境界が曖昧に混ざった時、ナハトの腰が緩やかに動き出した。
 柔らかく両足を抱え直し、しなやかな体躯を前後に揺らす。激しさはなく、こつ、こつ、と軽やかに奥を突いた。
 押し広げられ繋がった秘所から再び異物感と鈍い痛みが生まれ、の面持ちは歪んだが、その原因は痛みだけではなかった。

「く、う……ッ」

 頭上から、ナハトの熱っぽい呻き声が何度も落とされる。もどかしさの滲む吐息はフッフッと忙しなく響き、の耳を嬲る。意志とは関係なく聞かされ、ぞくぞくと切ない震えがこみ上げた。

 はそうっと手を持ち上げ、指先を近づける。待ちわびたように、ナハトが口付けた。
 吐息をこぼし、喉を鳴らし、何度も甘噛みをする様子は、まるで懇願するようだ。噛み砕く事も、噛み千切る事も、容易く出来てしまう牙なのに。本当にそれを忘れてしまいそうになる。
 なんかもう、色々、可愛い。
 の赤らむ頬が、ふわりと緩む。

「ナハト」

 はその手でイタチの頭を包み、引き寄せる。下りてきた小さな黒い鼻へ、気持ち首を伸ばし、ちゅっと口付ける。
 ナハトの目が見開き、もどかしそうだった動きをぴたりと止める。は「えへへ」と微笑んだが、次第にナハトの背筋がぶるぶると震え、喉が変な音を奏で始める。あれ、とが首をしばし捻ねると――ナハトはぎらりと目を光らせ、がしりと両足を抱え直し。

 前触れなく、静止していた腰をぐんっと突き上げた。

 突然のその衝撃に、結ぶ暇もなかったの唇から声が放たれる。

「ナ、ナハ……ッあ、ぐ!」

 逃げるように身動ぎをした腰を、獣の手が捕まえ、埋めた剛直を激しく打ち込む。緩やかに前後するだけだったのに、ひっくり返ったような変化に、呑み込まれそうになった。

「君はさ、本当、煽るのが上手ッ」

 身体をしならせるの頭上で、荒々しく息を吐き出す。熱に浮かされた声は、何処か、笑っているように聞こえた。

「無防備だし、良い匂いだし、声も表情も全部美味しそうだし、本当――」

 ――だから全部、自分のものにしてやりたい。

 猛獣じみた声で欲望を吐露し、ナハトはしなやかな躯体を激しく揺する。止められないといった風に突き上げる強さは、人とは違う獣の真性をまざまざと感じさせた。

「あ、あッナハト、ナハト」

 は力一杯、掻き毟るようにナハトの毛皮を掴む。きっと痛いだろうに、彼はそれを嫌がらず、むしろ身体を倒し抱きすくめた。折り重なった人と獣人の肉体は、どちらも熱を帯び、酷く高ぶっていた。

「もっと、呼んで、もっと」

 ナハトの顔がへと近づく。ふわりと唇をなぞったイタチの口は、の首筋へ下り、牙を押し当てた。何度も甘く食み、夢中になって全身を揺するナハトの背を、は掻き乱すように両手で抱く。見た目よりもずっと広いそこは、びくびくと波打っていた。

「ん、ん……ッもう……ッ」

 不意に、ナハトのしなやかな身体が、ぎゅうっと強ばる。を強く抱きしめ、埋めた剛直を気忙しく突き上げた。

「ッねえ、人間ってさ、“着床遅延”とかないんでしょ?」
「ちゃく……え……ッ?」

 ナハトから何か尋ねられたけれど、その言葉の全てを正しく聞き取れなかったし、認識できなかった。そんなを、ナハトは咎めず、むしろ嬉しそうに笑った。

「何でもないよ……ッはは、僕も大概、性格が悪いよなあ……ッ」
「ナハ、トッ?」
「自覚はしてるけど、今更、直るもんでもないし……ッん、そろそろ」

 そう呟き、ナハトはの身体を閉じこめるように抱きすくめ、耳元に口を寄せた。

「大丈夫、今はこれで、我慢するから――」

 その直後、ナハトは壮絶に色っぽい声をこぼし、の身体を離す。埋めていたものを勢いよく引き抜くと、仰向けに震えるの腹部へ晒し、吐精した。

 吐き出される白濁とした飛沫が、の腹部と太股に勢いよく飛び散る。いやに熱く感じたそれは、汗ばむ肌をねっとりと滑り、その面積を広げていった。
 それを、汚い、とは感じなかった。ただ、とても衝撃的で、厭らしい風景には見えた。
 は自らの腹部に広がってゆく白い飛沫を、ぼんやりと見つめる。その頭上では、充足感に満ちた溜め息をこぼすイタチの獣人が、びくっとしなやかな躯体を跳ねさせる。彼の向こうに見える長い尾は、のたうち回るように横へ揺れていた。

 男性の、そんな姿を見るのも初めてだから、何と声を掛ければよいか分からなかったけれど。少し気怠げに、心地好さそうに震える様子はとても色っぽく、愛おしく思えた。

(人とは違う、イタチの、獣人なのに)

 色っぽいと思うのも変かもしれないが。そう思いながら、も激しく呼吸し、上気する身体をゆっくりと落ち着かせる。

 ――不意に、ばちりと音を立てるように、イタチの双眸と眼差しがぶつかった。
 意味もなくあわあわとするに、ナハトはふっと甘く笑い、背中を屈める。イタチの顔を寄せると、の唇を甘く食んだ。熱を灯す余韻を味わうように、ゆっくりと重なった口付けは、意外にも優しい。触れ合う時間を引き延ばすようで、じんわりと心地よく、胸が満たされてゆく。
 上気したのまなじりは、とろんと柔らかく下がっていた。

「……ふふ、良い顔。もっとしたくなるなあ」
「な、な、何言ってるのッ」
「まあでも、無理はさせられないか。……ああ、少し待ってて」

 ナハトは一度離れると、小さなサイドテーブルの上のちり紙を取った。それを手に戻ってくると、吐き出された白い精が飛び散った腹部や、受け入れていた秘所などを、綺麗に拭っていった。

「や、止めてよ。いいよ、私、自分で出来るから」

 手を伸ばしたが、あっさりとそれを退けられる。「だぁめ、大人しく」と呟くナハトは、何だか少し意地悪だった。

「君は根本的に、誰かに甘やかされたり、世話をされたりするのが苦手なんだな。ちょっとは任せる事を覚えた方がいい」
「う、うう……ッでも……」
「僕がここまでするのも珍しい事なんだからさ」

 困り果てて真っ赤になるを、ナハトはひどく楽しそうに見つめている。その心を表すように、背後では尻尾がパタパタと機嫌良さそうに跳ねていた。
 意地の悪さも感じたけれど、慈しむような温もりもそこには確かにあった。それを見せられると、は何も言えなくなってしまう。恥ずかしいような、くすぐったいような気分を噛みしめ、慣れない奉仕を受けるほかなかった。



 羞恥心に耐えた末、汗みずくになっていたの身体は綺麗に整えられた。何だか別の意味でとても緊張してしまったとは対照的に、ナハトはご満悦だ。えらく達成感のある顔で頷き、毛布を引き上げ寝台へ寝転がった。
 もとが一人分の寝台なので、こうして並ぶと少し窮屈に感じる。落っこちるほどではないけれど、と思っていると、ナハトが身体の向きを横へ直し、の身体を引き寄せた。ナハトの胸と、の背中がぴたりと重なり、後ろから抱きかかえられる形に落ち着いた。

 ――あったかい。

 心臓の鼓動と、毛皮にこもった熱が、背中から伝わってくる。はまなじりを緩め、安らいだ吐息をこぼす。

「……ごめんね、毛皮、思い切り掴んじゃった」
「それぐらい構わないよ、気にしない」
「うん。……ふふ、ふかふか。あったかい」

 は微笑み、丸い肩を揺らす。獣人なんだから当然でしょ、とナハトは毛布を掛け直したが、その声は同じように笑っている。
 心地好さに全てを包み込まれたような、深い安らぎを覚えた。とろんと緩んだ瞳は、だんだんと瞼を下ろしてゆく。

「明日は出掛けるしね。今日はもう、休みなよ」 
「うん、そうだね……」

 白花を見に二人で出掛け、それから、彼は本拠地へ帰還する――。
 改めて思い浮かべたら寂しくなったけれど、ふかふかの温かい毛皮はそれすら包み込んでしまい、微睡みの中へ溶けてしまった。

「――ああ、そうだ」

 思い出したように、ナハトが呟く。

「今日はここで、僕も眠らせてもらうよ」

 は微睡みながら、ふわりと頬を綻ばせる。頷きと共に、ナハトの腕をそっと撫でると。

「ありがとう……」

 こんな風に安らぎに満ちた夜なんて、久しぶりのような気がする。
 はそんな事を淡く思い浮かべ、穏やかな眠りと温かさに身を委ねた。


◆◇◆


 ほどなくし、からは可愛らしい寝息が聞こえ始めた。
 揺らさないよう慎重に背面から覗き込むと、何の不安もない心地好さそうな面持ちが、淡い月明かりに照らされていた。瞼はしっかりと下り、丸みを帯びた肩は微かに上下している。艶やかさを香らす肢体は、無防備にナハトへ預けられ、すっかり任せきっている。
 本当に、眠ってしまったらしい。
 ナハトは伸ばした首を戻し――長い溜め息をついた。
 たったあれ一回で満足したと思っているなら、やはりはいまひとつ獣人という種族を理解していない。身体の奥では未だ獣欲がくすぶっているのに、こんなに無防備に眠ってしまうなんて、何をされても文句は言えないだろう。
 目の前に晒されている美味しそうな項に、意識が吸い込まれる。温かい肌を舐め尽くし、牙を食い込ませてやりたいと、主張する欲望は際限もなかった。
 だが――ふっと笑みをこぼすだけで、それ以上はしない。

 寝ているところに悪戯するのも悪くないが、どうせだったら起きてる時に散々に鳴かせたい。普段はおっとりと微笑む目を甘く濡らし、服の下に隠した魅惑的な肉体を愛で、翻弄される指先から足先まで自分で染め――と、考えると劣情の歯止めが効かなくなるので止めておく。それをぶつけるのも、やっぱりが起きている時だ。

 それに。
 ナハトは、顔を寄せ、すんっと鼻を鳴らす。温かい彼女の匂いに混ざる、己の匂い。まっさらだった存在に染み着いた獣の匂いに、思わず口元がつり上がった。
 所有物には何らかの痕跡を残し知らしめる――これも獣人の性だ。
 には、己の痕と匂いがしっかりと刻みつけられている。それだけでも、焦燥じみた欲望は満たされ、獣の本性も落ち着いている。

「……人間に匂いは通じなくても、“これ”なら、きっと分かるよね」

 傷つけないよう、加減はした。首筋に残った牙の赤い痕は、虫除けの効果くらい果たすだろう。
 ふふ、と一人笑ったナハトは、ふと、呟きをこぼす。

「――ありがとう、か」

 斬新な返しだな、と少し冗談めいた事を思ったりもしたが、安心しきって預ける背中や面持ちなどを見れば、なんとなく、分からないでもない。

 幼い頃に母親は世を去り、ごく最近には唯一の父親も去ったという彼女。

 彼女の世話焼きなところも、人好きのする気質も、それが根幹にあるのだろうとようやく分かったような心地だった。

「寂しかった、のかな」

 それを思えば、こうして無防備に身を預け眠る姿も、少し――違ったように見えてくる。


 ――あの子は、誰にも頼らない


 ならこれは、少しは信頼され、身を預けられる存在になれたのだと、証明してくれるだろうか。
 まあの事だから、そこまで重く考えてはなさそうだが――。

「……まあ、今くらいは大人しくしていよっか」

 ただのはったりで“凶獣”などという名が付けられた訳ではない。
 何一つ匂いのないまっさらな肌に劣情を催し、そこに己の痕や匂いを無遠慮に残し、汚してやったと、自分のものにしてやったと浅ましく歓喜していたのは――間違いなく、ナハト自身である。

 明らかに慣れていない彼女を労る反面、そんな事を思っているのだから、自分はやはり酷い獣なのだろう。外見の可愛らしさを武器に渡り歩き、牙を剥けば本性が露わになる、イタチやクズリの性質は確かに宿っているのだ。


 ――自分の見つめ直し、うまくいくといいね。お互いに


 初めて互いの心を打ち明けた、あの晩の言葉が不意に過ぎった。

 そうだね、自分を改めて認識する、良い機会だった。
 どう足掻いても、結局、僕は僕。北の地で熊や狼と争い屠ってきた獣人で、そのやり方はきっと生涯変わらない。
 ただ――。

「僕が、誰かに懇願してでも、牙を預けたくなるなんてねえ……」

 それだけは、本当に、何一つ予想もしていなかった。

 ナハトは小さく笑い、の身体に片腕を乗せる。らしくもなく宝物を守るように胸の前へ引き寄せ、瞼を閉じると、かつて味わった事のない穏やかな眠りに吸い込まれていった。


◆◇◆


 ――あの頃は、たぶん、一端の獣人や傭兵になったつもりだった。

 生まれ育った里を離れ、培った力を生かせないかと傭兵都市に身を寄せ、傭兵の稼業に就いた。
 出身や種族、家柄や立場など関係なく、己の実力のみが物を言う厳しい界隈は、意外にも性に合った。最初は最底辺の新人から始まり、上へ上へと目指す下積み生活をそれなりに送り、かつて同時期に傭兵の道へ入った者たちは目もくれず追い抜いてきた。
 傭兵ギルドの総本部が構えるだけあり、そこに寄せられる依頼は多種多様で常に満杯。傭兵を志すものも多いが去ってゆくものも多く、負傷者が出ない日はない。国同士の争いであったり、大規模な討伐戦があった時なんかは、最悪だ。そんなところで、一、二年の間で立場を安定させたのだから、実力としては悪くなかったのだろう。

 だが、それだけで本当に全てを捌き、のし上がってゆけるほど甘くはないと、思い知る事にもなった。
 きっとこの界隈は、何処よりも出身や種族が壁となり、目の前を阻むのだ。



「イタチは信用ならない。狡賢いってよく言うだろう?」

「狼の獣人や熊の獣人の強さは知ってるが、イタチなあ……あんまりパッとしないなあ」

「クズリ? 何それ、強いの?」

「知らないのか、クズリってのはな――」



 傭兵の実績を上げ、それなりに名が認知されるようになると、事あるごとに向けられるようになった言葉の数々。それを振り払おうと、高難度に設定されている依頼を達成し、周囲を認めさせようとしたが――逆効果だった。傭兵としては確固たるものになったが、「イタチだから」「イタチのくせに」という言葉が減る事はなく、むしろ増えた。挙げ句、“凶獣”と呼ばれ、恐れられるようになってしまった。
 あの時の心境といったら、言葉には出来ない。傭兵としての名声が欲しかったわけではないのに。
 確かに自分はイタチだ。だが、何故イタチだからと軽んじられたり、判断されたりするのか。
 誰にも言わなかったし、誰にも言えなかった。が、あの頃から、苛まれる日々は続いた。

 ……だが、今ならば分かる。あの頃の自分は、世界を知らない、ただの青二才、ただのガキであったと。

 そして、積もりに積もった焦燥が、ある時ついに失態を招く。



 五、六年ほど前――とある良家の護衛任務を請け負った時。
 到着地である町を目前にし、刺客から強襲を受けた。数は十人前後。普段ならば手こずる事のなかった数なのに、何故かその時は酷く苛立ち、ままならなかった。依頼人の乗った馬車は守りきり、到着地点にまでは送り届けたが――乱闘の最中にやられたのだろう、脇腹を負傷した。

 心配し医者に行こうと言ってくれた依頼人を振り払い、任務達成の一筆だけ貰うとさっさと別れた。その時は、他人に頼ろうなど考えたくなかったのだ。酷い痛みと倦怠感を久しぶりに味わいながら、辿り着いた町の診療所で手当てを受けたが、思い浮かべていたのは自嘲の感情。そんな馬鹿をやらかすなんて、どうかしていると、自らを嗤うしかなかった。

 診療所の中で休む気にもなれず、外に出て空気を吸ったが、冷静さを欠いた情けなさと苛立ちは一向に薄まらない。血の回りが良いせいか、傷口の痛みも収まらず、余計に苛立たしさが募った。

 建物の壁へ寄りかかり座っていた時――不意に、誰かが目の前に佇んだ。下げた視線の先、移り込むのは男の足。興味がなく顔を上げる事はなかったが、向こうは違ったらしい。

「……おい、あんた、大丈夫かい。酷い怪我したのかい」

 着崩した服の下の包帯を見れば分かるだろうし、何よりこんな殺気だった獣人を相手によく話しかけようと思ったものだ。いくら自分よりも遙かに年上そうな男性だとしても、のんき過ぎないかと思ってしまった。

「……もう手当ては受けてる。構うなよ」
「おう、まあ見れば分かるんだが……こんなところに居ないで、中で休めば良いだろうに」

 その内、男性は目の前から隣へ移動し腰を下ろした。一体何なのかと思っていると、男性はおもむろに口を開けた。

「お前さん、傭兵か。ああ、何も言わなくて良い、俺の独り言だ。雰囲気とか見れば何となく分かる」

 この町は一年に一度、必ず大勢の傭兵の力を借りてるからよ。
 男性は言いながら、手に持っていたらしい飲み水の器を取り出した。それを差し出されたけれど、受け取らなかったので、結局自分で飲み始めた。

「……仕事の帰りか。よほど、大変な事があったんだな。仕事が失敗でもしたのか」
「……馬鹿言うなよ、おっさん。依頼は成功してる」

 思わず言い返すと、男性は「そうか、そりゃあ失言だったな。悪かった」と謝った。何だろう、この毒気を抜くような雰囲気は。調子が狂わされる。

「ならよほど、思う事があったんだな。怪我の辛さ以上に、そんな顔をしている」
「……人間に、獣人の表情なんて分かるかよ――」
「分かる」

 あまりにもはっきりと断言され、決して向けないようにしている顔が、一瞬動揺する。

「お前よりも、何十年も多く生きたおっさんだからな。でもお前は仕事をやり遂げた、腹に据えかねるような事があっても。立派な事じゃないか」
「……何がだ、傭兵なんて、そう大したものじゃない」

 狼や獅子はよくて、イタチが駄目など――。
 地面へ置いた手のひらを、ぐっと握りしめる。

「ほら、そう力むな。身体に障る」

 気遣うように告げる声は優しく響いた。余計にみっともなさを覚え、顔を伏せる。

「……さっきも言ったが、この町は毎年必ず、傭兵たちの力を借りる時があってな。他の国や地域ではどうか知らないが、少なくともこの辺りで傭兵を軽蔑し、蔑ろにするような奴は居ねえよ」

 町の連中、全員がその手を借りている。もちろん、俺も。
 男性の眼差しが真横から感じられたが、意固地になって顔をは伏せたままだった。

「その傷を受けてでも仕事をやり遂げたんなら、相手も同じように思っているだろうよ。お前さん達がいて、俺たちの日常はようやく回ってるってな」

 ――ありがとうよ。
 きっと満面の笑みを浮かべているのだろうと、想像がつくような、温かい声音だった。

「それでも、もしも何かまだ思う事があったら……そうだな、お前さん、今度俺の手伝いをしてくれよ」
「……は?」
「これでも、力仕事も多いし、毎年同じ時期になると繁盛するもんでな。そろそろ年だ、家族は娘が一人だけで心許ないし。そうしたら俺が言って回ってやる。あいつは信用出きる奴だってな」

 男性は、自分について何か壮絶な勘違いをしていそうだったが、否定の言葉を掛ける隙間はなかった。

「いかんなあ、年を取ると急に説教ぽくなる。っと、そうだ」

 男性は真横でごそごそと何かを探ると、包みを一つ差し出した。職人のような骨ばった手は、今度は半ば押しつけるように持たせてきた。ふわりと鼻を掠める、美味しそうな匂い――軽食だろうか。

「そんな身体じゃあ、休んでないと駄目だろう。一つやるよ」
「ちょっと、僕は別に欲しいなんて言ってな――」

 押し返そうとして、いつの間にか忘れていた痛みが脇腹に迸った。呻いている間に、男性は包みを渡すやさっさと立ち上がってしまった。

「ッ何でただの他人に、構おうとするんだよ」
「さあな、そういう性分だろうな。お前さんみたいな気の強い若いのは、嫌いじゃないぞ」

 笑いながら、男性は再び肩を叩いた。

「一人で何でもやろうとするな。頼れる時は、頼っといた方が良い。傭兵も種族も関係なく、な」

 思わず、ぐっと声が詰まった。

「そうそう、その昼食な、見た目は変わってるが美味いぞ。うちの自慢のやつだ」

 男性は「じゃあな、元気出せよ」と軽やかに踵を返した。ようやくその時になって頑なに伏せていた顔を上げたが、視界に映ったのは意外とがっしりとしている壮年の男性の身体と、ほんの一瞬見えた青い首飾りだけだった。
 男性は鞄を肩に掛け、静かな通りを歩いていってしまう。それを不格好な姿で見送るしかなかったが――それが最大の後悔となって残る事を、この時は思っていなかった。

「……変な、おっさん」

 頼んでもないのに、気遣って、べらべらと喋って、自分の昼食までも押しつけていって。勝手に世話を焼いて、昼食とか重いんだけど、と皮肉をこぼしてみたが――普段の調子には、やっぱり戻れなかった。

 一度も、イタチがどうとか、言わなかった。

 渦巻いていたはずの焦燥感が、何処にもない。憎たらしく思いながら、脇腹を抱え座り直した。
 ちらりと視線を下げ、押しつけられた包みを見つめる。受け取ってしまった以上は放り投げる事は出来ないと、言い訳がましく思いながら、仕方なく包みを解いた。

「……何だろ、これ」

 中身はパンだったが、自分の知るパンとはかけ離れている気がした。
 普通、パンといったら生地を形成し焼いたものであって、薄く切ったパンとパンの間に料理を挟み込むようなものではなかったと思うが。

 そういえば、遠方出身の同業者が言っていた。何だっけ、サンド……なんとかというパン料理だったか。

「……初めてまともに見たけど、この辺りで知ってる人なんて居たのか」

 葉物野菜と、濃いめのソースで焼いた肉が豪快に挟まれている。外見の印象は衝撃的なものであったが、ふわりと漂う匂いはとても美味しそうだった。思わず喉が上下し、がぶりと食らいつく。

「……うま」

 その時に食べた味は――何年経っても、忘れる事が出来なかった。



 ――要するに自分がただのガキでしかなかったという苦い思い出だが、あれから現在まで、その記憶は色褪せず残り続けた。

 やさぐれたクソガキをすくい上げようとしてくれたのは、同郷の者でも、同族の者でも、まして同業者でもない。人間という、異種族だった。

 頑なになって見ようとしなかった、顔も名前も知らぬ通りすがりの男性。結局、どれほど探しても、あの時の男性らしい人物とは出会えなかった。
 あの男性にもしも会えたなら、あの時の非礼を詫び、一言も言えなかった感謝を告げたかったのに。
 今になり激しい後悔の念が過ぎった。

 ……しかし、不思議なものだ。またこの場所で、自分を認めてくれる人に会えるなんて。

 改めて、礼を言いたい心地だった。
 あの時、顔も名前も知らない男性と会っていなければ、ナハトは再びこの地に足を運ぶ事はなかった。
 何をしてでも側に置きたいと願う存在と、巡り合う事は決してなかったのだ。



ここに至るまで毎回遅くて申し訳ないです。
念願の18禁シーン、アニキアネキのリビドーを満たせますように。

そして、作者は愛ある【異種姦】を心から求めますが、誰も書いてくんないので自給自足です。
これを機に新たな扉を開いてしまった方が、ふわっと書いて下さるようにと、今日も願いが迸る。

ちなみにナハトが食べたのはサンドイッチではありますが、この小説ではB級グルメ的な扱いを受けております。最初にご了承下さいませ~。

◆◇◆

作中の【着床遅延】ですが、ざっくり言うと、交尾後に受精卵が長期間にわたり発生を休止し、妊娠や出産に適した暖かい季節になって初めて着床する事だそうです。
イタチだけでなく、クマなどにもあるそうですよ。
対する人間はそんな事はないので、ナハトが何を言いたかったのか……自ずと察してくれると思います。

色んな意味でイイ性格をしてるナハト。
ヤンデレの川岸に片足を突っ込んだり引っ込めたりしてる彼を、どうぞよろしくお願いします。

(ところでこれヤンデレ風味になってるかな)


2016.11.15