04

 期間限定の同居人が加わったその翌日は、涼しい風がふわりと吹くよく晴れた朝を迎えた。

 白く明けた空の下、は欠伸をこぼしながら背伸びをする。花が咲く暖かな季節だが、朝方はまだ少し肌寒い。閉じそうになる目を擦ってから、日課となっている小さな畑に実る野菜の収穫を始めた。小さな篭に二人分の野菜が入るのは、少し久しぶりに感じる。

 収穫を終えたら、次は村の共用の井戸で水を汲みに向かう。奥まった場所に佇むの家からは、村の中心の井戸まで少々距離がある。その道すがら、同じように朝仕事を済ませる顔馴染みの村人たちと挨拶を交わすが、早速とばかりに尋ねられるのはナハトの事である。小さな村だから、本当に情報の伝達が素早い。彼らは一様にを心配していたものの、きっとそこには好奇心等が含まれているのだろう。
 水汲みを終えたその帰りも、の細い背には視線が寄せられていた。は多くを言わず大丈夫とだけ返したが、仕方のない事なのかもしれない。


 無事に自宅へ運んだ井戸水を水瓶に注ぎ入れた後、は朝食の支度をする。簡単だがサラダとスープを作り、作り置きしていたスコーンを添えて出す。完成させた頃には、外はすっかりと明るく澄み渡っていた。
 ナハトは、もう起きてるかな。
 寝ているならまた後で運べば良いだけなので、念のため確認だけしておこう。は、自宅と作業場を繋ぐ勝手口へ足を進め、扉を叩いた。「ナハト、起きてる?」声を掛けつつ、そっと扉を押して窺う。
 見慣れた父の作業場はしんと静かで、がらんどうの空間を朝陽が照らしているだけだった。まだ眠っているのだろうなと思って扉を戻そうとした時、小部屋の扉が動いた。ギイイ、と間延びした音を立てて開かれたその先に、茶褐色のイタチの顔が現れた。

「んあ……ああ、

 意外と鋭い牙を見せ欠伸をこぼしたナハトへ、は小さく笑みを向ける。

「おはよう、ごめんね、起こしちゃったみたい」
「ああ、おはよ……起きてたから平気……朝が弱いだけだから……」

 そうらしい。しょぼしょぼとつぶらな瞳を細めるイタチは、半分ほど眠っている。うつらうつらとする様子は、青年に言ってはおかしいのだろうが、大変可愛らしい。イタチ頭ゆえだろう。

「朝ごはん、簡単だけど用意したよ。持ってこよっか」
「ああ……ありがとう……」

 ゆらゆらと頭を動かす彼はもう一つ欠伸をこぼした。は「がってん!」と返し、住居へ戻って朝食を並べたトレーを持つと、再び作業場へ赴く。その間に身支度を整えたようで、ナハトの顔からはいくらか眠気が引いているように見えた。
 どうぞ自由に食べてって、と声を掛け朝食を机に置くと、は踵を返す。宿屋の女将さんにでもなった気分だ。
 ――と、その背を、ナハトの声が引き留めた。

「あーちょっと待って。ねえ、君はもう食べたの?」
「え? ううん、これからだよ」
「なら、君も一緒に食べなよ」

 は目を丸くした。その反応に何か思ったのか、ナハトは首を振った。

「違うよ、ほら、一応今後の事を決めとかないと。寝床を貸してもらう代わりに雇われたわけだからさ。食べながらついでに話せないかと」

 はハッとなると、ぷるぷると首を振り返す。

「あ、ち、違うの。別に嫌だったとかじゃなくて」

 は笑みを浮かべ、すぐに持ってくるね、と住居へ踵を返す。そして自らの朝食を手にして戻ると、作業場の机でナハトと共に食べ始めた。
 特別な意味はない。話し合いをするためだ。変に意識なんてしていないはずなのに、ほんの少し浮き立つような気持ちが宿っていた。

(朝、誰かと食べるのは久しぶり……)

 なんとなく思うの頬は、ほんのりと緩んでいた。
 それより、彼の口には合っただろうか。は斜め前に腰掛けるナハトへ視線を向ける。どうかな、と尋ねようとして――口をつぐんだ。

 斜め前には、ぐしゃりと顔を歪めながら牙を剥き出し、ハムを噛み千切る彼の姿があった。

 窓辺から射す爽やかな朝陽に、照らされるは鋭利な牙と迫力満点な恐怖の形相。無防備なところへ飛び込んできた風景に、の頭の中の何かが、スン、と冷静になる。

 ああ、そうだ。
 彼は、食べる時だけ、ホラーじみた顔になるんだった……。

 一瞬、尋ねようとした言葉が迷子になってしまったが、は何とか平常心を戻して言葉を掛ける。顔こそは恐ろしいものの、ナハトは「美味しいよ」と声音を緩め、ぱくぱくと平らげていった。彼の顔つきにどうしても目が向いてしまったが、口に合って良かったと安堵し、も自らの食事を進める。




「それで、今後だけど」

 食後の茶で人心地つきながら、とナハトは互いに視線を合わせる。

「私は、昨日言った通りだよ。寝泊まりするところと朝夕のご飯を提供する代わりに、家の周りに寄ってきそうな野生動物を駆除するか、追っ払うかして欲しいの」
「他はいいのか?」

 小首を傾げる様が、実にあざとく可愛らしい。先ほどのホラーじみた食事風景はもう忘れた。
 は首を振り、十分すぎるよと口元を緩める。それだけでも、本当に助かるのだ。

「それに、ナハトは旅行で来たんでしょう? あんまり制約なんてしたら、せっかくの自由時間がつまんなくなるじゃない」
「旅行というか、まあ……いや、君がそれで良いのなら、それで頼むよ」

 どこか含みを込めた言葉であったが、ナハトは格好を崩し、笑うように目を細める。

「宿と食事の代わりに、この家に近づく害獣を片付ける。他については、まあ自由、適宜って事で」
「うん、それだけでも助かるよ」
「僕は、日中は自由にさせて貰うけど、何かあったら言いなよ。宿の主を手伝うくらい、訳ないから」

 ありがとうと笑うへ、ナハトは茶褐色の尻尾をぱたりと揺らした。
 かくして今後を決める話し合いは、始まりと同じく、緩い雰囲気のまま終わったのだった。


◆◇◆


 自宅の掃除などの雑務を終えて迎えた正午、はいつものように歩いて十数分の隣町へ向かった。
 働き慣れた食堂でも、やはり今朝と変わらないやり取りを繰り返した。
 食堂を営む夫妻に心配され、お茶を飲んでいた装飾品店の男性――父の古い友人であるおじさん――にも心配され、情報伝達が早いなあとはのんきに思う。人の出入りが多い大衆食堂という事も要因だろう。は彼らにも何の心配もないと告げたが、安心した表情は返ってこなかった。彼が獣人だからだろうか。

 そんなに心配しなくてもいいのに。それに獣人って言っても、ナハトは可愛いイタチの顔をしてるし。

 不思議そうにするへ、彼らは「むしろそこだよ」と言った。

「イタチというところが、少し気になるんじゃないか」
「一口にイタチといっても色々いるけど、もともとイタチは恐ろしい種族だし」
「そうなんですか? あ、でも、確かに食べる時になると顔が恐ろしくなりますね……」

 歯茎と牙をガッと剥き出し、バリバリ食べに掛かるあの姿。可愛らしい見た目を裏切る野生的な食事風景は、恐ろしくインパクトがある。

「うん、えっと、そこじゃあないんだが……大らかなところはお父さんの血だなあ」
「間違いなく、レドの性格だねえ」

 気勢を削がれたような気の抜けた苦笑をこぼす彼らに囲まれ、は首を傾げた。

「ああ、そうだ、ちゃん。こないだの話だけど、レドの道具、仲間で引き取る事にしたよ。みんな使うって言っていたから」
「本当? ありがとう、おじさん」
「またあとで詳しい日にちを決めよう。引き取る時は、みんなで全部まとめて持って行こうと思うから」

 そう言って、彼は席を立ち食堂を去って行った。その広い背中に、ありがとう、とは再度言葉をかける。
 良かった、おじさんの仲間なら、きっと大切に使ってくれる。
 安堵が胸に広がったけれど、いよいよ作業場から何もなくなるのだと思うと、しんみりとした気持ちも少し浮かぶ。

 食堂の扉が開き、カランカランと軽快なベルの音が響いた。新たにやって来た客で、店内はあっという間に賑やかになる。
 まずは、今日もこの山場を乗り越えよう。はすぐに笑顔で切り替えると、トレイを持ってテーブルの間を駆け回った。今日も食堂は盛況である。


 そして食堂が落ち着いた頃、ナハトがやって来た。
 食べに来るくらいなら簡単な昼食でも用意しとくのに、というの思い浮かべた事は顔に出たようで、ナハトからは「僕がこうしたいから良いんだよ」と笑みが返ってくる。

「それに、外食は旅行の醍醐味でしょ」

 そう言って今日も彼は日替わり定食を注文している。
 店としては客が一人でも入るのは嬉しい事だが、やっぱりナハトは不思議な旅行者だ。わざわざこんな田舎を選び、何故かパン屋を探し、しかもこの茶褐色の可愛いイタチの外見で傭兵ときた。本当、つくづく不思議なひとである。

(そして、食べる時の顔だけが怖い)

 不意に、はくすりと笑みをこぼす。なんだか、次第にあの野生的な食事風景がクセになってきた。コワ可愛い、というのだろうか。

 しばらくし、食堂には新たに三人の男性客がやって来た。見るからに町の住人の身なりではないので、彼らも白花関係でやって来た来訪者だろう。はいつもの通りに席へ案内するが、去り際に呼び止められた。

「ああ、給仕のお嬢さん。ちょっと頼みがあるんだけど」

 振り返るへ、絵が描かれた紙を差し出された。

「これは……?」
「人探しの絵だ。頼まれちまってさ、適当に貼っておいてくれないかな。人の出入りが多い今の時期だけでいいから」

 は紙を受け取り、視線を落とす。ベージュがかった白色の紙には、に向かって吼え猛る黒く塗り潰された物体が描かれていた。熊のように両腕を振り上げて立ち上がったその身体の側面には、白い帯状の模様が走っており、とても獰猛そうな姿をしている。
 人探しといっていたから、動物ではなく、きっと獣人なのだろうが……。

 こんな迫力のあるひと、一度見たら絶対に忘れないなあ。

 の記憶の中に、思い当たる事は一つもなかった。
 注文を伝えるがてら貼り紙の掲載を食堂の夫妻に尋ねると、構わないという言葉を貰ったので、早速店の壁に貼る。

「何だいそれ」
「人探しの貼り紙だって」

 ふうん、と気の無い声を漏らし、ナハトは壁に貼られた紙を眺めている。
 ちなみに、紙には文章も添えられており。

「『凶獣、連絡を乞う。もしも見かけた場合はガルバインまで』……だって。ガルバインってなんだろ」
「傭兵ギルドの総本部がある都市の事だよ。別名、傭兵都市ガルバイン」

 ナハトが教えてくれたけれど、都市名に覚えはない。が、名の通りに数多くの傭兵が闊歩する都市なのだろうと予想は出来た。

「凶獣って、この人の名前?」
「通り名だよ、お嬢さん」

 少し遠くでコップを傾けていた三人の客が言った。曰く、たくさんの依頼や任務をこなし実績を重ねた腕利き傭兵には通り名がつくらしい。そして、貼り紙の探し人は、“凶獣”という名で呼ばれるようになった、と。
 これだけ迫力ある外見なら、物々しい名前にも納得がいく。なるほど、とは全然知らないのに頷く。

「有名な人なんですね」
「有名というか、まあ、恐ろしい人なんだろうな」
「俺らはまだ新米だが、色々と逸話は聞くさ。で、その有名人が最近急に居なくなっちまったから、探してる人がいるってわけさ」

 へえ、とは貼り紙を眺める。その側で食事を平らげるナハトは、耳を傾けつつも興味は無さそうな様子だった。

「……ねえ、この“凶獣”とかいう傭兵の顔を、あなた達は見た事があるのか?」

 ナハトの問いかけに、三人の客は声を揃えて「まさか」と笑った。

「新米の俺らには縁が無いし、もともと徒党を組む奴じゃないから」
「上の連中から貼り紙を頼まれただけで、顔なんて知らんよ。獣人ぐらいしか分からん」
「おっかない呼び名に見合うだけの実力者なのかも、そもそも知らねえしな!」

 なかなかざっくりとしている、傭兵の内情を垣間見た気がした。
 と、その時、厨房から食事の配膳の声が掛かったので、はカウンターにまで向かう。そうして三人分の食事を運び、追加の注文を取ったりとしている内に、の貼り紙への関心は薄くなっていった。



「……盛りすぎでしょ、この絵。わざとらしいなあ」



 ――だから、“誰か”がこぼした小さな呟きも、耳には届かなかった。



【凶獣】が誰かはきっと予想がついていると思うので、申し上げませんが。

【黒く塗り潰された身体の側面に、白い帯状の模様】。
動物に詳しい方なら、たぶんきっとある程度の目星は付けられるかもしれませんね。
それこそまだ申し上げられませんが、今後も欠片をぱらぱら撒くので、予想を立てつつお待ち下さいませ。


2016.06.19