02

 海から頂く恵みが特に豊富となる、夏の季節。
 その中頃に催される祭りは“海凪(うみなぎ)の精霊祭”と呼ばれ、古くからある伝統的な祝祭だという。
 海から頂く恵みに感謝し、またこれからもその恵みを分けて頂けるよう、海の神様や精霊に季節の収穫物を捧げ、豊穣を願う。そして、若い娘たちの歌や踊りを披露し、その労苦を癒やして差し上げるのだという。

 月日が流れるごとに、祭りの形態は少しずつ変わっているが、歌と踊りを披露するのは昔からの伝統として守られてきたらしい。
 現在では、歌は魚人族、踊りは人間とそれぞれで役割を担い、美しく着飾った若い娘たちで夏の夜を華やかに魅せるのだ。

 そして、陸の民と海の民が、信頼して手を取り合う事で、よりよい絆を育んでゆく事を改めて海原に誓うのだという――。



 ――そんな大切な祭りで、見苦しく駄々をこねてはならないと分かってはいるが。
 は深く、深く溜息を吐き出した。
 もうそろそろ逃げの理由は尽きてきたので、覚悟を決める頃合いだとは、薄々感じていた。だが……。

「私が、踊り手とか……」

 本当に、大丈夫なのだろうか。この選出は、絶対に間違っているとしか思えない。
 それは両親へ切実に訴えたのだが……。



「大体、は去年言ったわよ? 今年はやるって」
「え?! 言った覚えない!」
「言ったわよお、来年やるから今回は屋台の売り子で頼むって」
「全然覚えてない!」
も踊り手の務めを果たしてくれるのか。父さん、楽しみだけどちょっと寂しいな」
「聞けよ話!」



 ……慌てふためくの感情は、ふわっと柔らかく、丸め込まれてしまった。
 何も毎年やれと言っているわけではないのだから、一度くらいはやりなさい。私たち、本当に楽しみなのよ――そう諭されてしまっては、最終的に、頷くしかなかった。

 この町に生まれた女性たちの誰もが、その役を必ず一度は引き受ける事になっている。これはもう、風習のようなものだ。
 母も例外ではなく、若い頃には踊り子の務めをしっかりと果たしたという。
 そして今度は、娘のの番というわけなのだが……。

「笑われる未来しか想像できない……」

 歌と踊りを披露する娘たちには、専用の美しい衣装が用意される。それを着て舞台に上がり、人々の前で踊るのだ。
 なんか、ヤジとか笑い声とかが飛んできそう……。
 想像しただけで、無性に切なくなってきた。

「本当に、大丈夫なのかな……私なんかで……」

 幼い頃から、歌と踊りの催しは見てきた。美しく装い、夏の夜を舞った踊り手たちは、キラキラして本当に綺麗だった。彼女たちのようになれたらどれほど素敵かと、夢見たりした事も正直あったが、ああなれる気がまったくしない。
 の心には、不安ばかりが駆け巡っていた。


◆◇◆


 今年の踊り手が決まり、そしてその中にが選ばれてしまった話は、翌日以降にはもう町へ広まっていた。

 顔見知りの大人たちからは、頑張ってね、楽しみにしている、と声を掛けられた。
 “海凪の精霊祭”は大勢の人々が心待ちにする一大イベント。踊り手に選ばれてしまった事は少々不安であるが、はもともと細かい事は気にしない性格。どうせ逃げられないのは確定済みだし、いっちょ頑張ってみるかと、立ち直りも存外早かった。

 だが――。


、踊り子やるんだって?!」
「ギャハハハぜってぇ似合わねえ!」


 案の定、同年代の顔見知りの青年たちからは、指を差され大爆笑された。
 似合わないだろう事は自覚しているが、だからといってそれを彼らに馬鹿にされるのは、非常に腹立たしい。
 そもそもこいつら、私が女子という事を忘れてんじゃないだろうか。
 殴りたい衝動に駆られたが、同時に、その小馬鹿にした彼らを驚かせてやりたいとも強く思った。
 は、負けず嫌いだった。




「わ~、踊り子やるんだ! 嬉しいなあ~」

 件の話を友人の人魚のメルにすると、彼女はとても嬉しそうに両手を合わせた。桟橋の下の透き通った海の中で、上機嫌に翻る赤い尾びれが見える。
 朗らかな笑顔に、荒んだ心が癒される。メルはいつでも可愛いなあと、の口元が和やかに緩まる。

「一晩経ったらわりと覚悟は決まったんだけどさ、メルは、嬉しいのか?」
「嬉しいよ! だって、と一緒に舞台に上がれるんだから!」

 ……ん? 一緒に?
 きょとりとしたへ、メルは悪戯っぽく微笑んだ。

「あのね、今年は私も、歌い手として参加するんだ!」
「ええっそうなのか?」
「うん! えへへ~ようやく念願叶ったりだよ~」

 メルは合わせた両手を口元に引き寄せ、その指先に唇を押し当てる。その仕草は、本当に嬉しそうで、幸せそうだった。

 祭りの華を担う、踊り手と歌い手。その後者の役は、人魚の娘たちが務めるのだが、なんでも毎年必ずたくさんの立候補者が押し寄せるので、天運に任せたくじ引きで決めてきたらしい。

 彼女たちは生来、歌う事を好み、また特技としている一族だった。
 しかし昔は、魔性の歌声で船を沈めるだとか、船乗りを魅了し引きずり込むだとか、謂れの無い噂が流れてしまったそうだ。
 もちろん、メルたちがそのような恐ろしい考えを持っているはずがない。きっと歌うま過ぎて、聞き惚れた相手がうっかり事故に遭ってしまったのだろう。あるいは、彼女たちの歌声に嫉妬したひとが、酷い噂を流したのかもしれない。
 だが、魔性のものと言われるほどに――彼女たちの歌声は、本当に美しかった。
 海の民には、人間とは異なる特別な声帯と音域が備わっている。それを駆使して奏でられる曲は、精霊の歌と呼んでもいい。実際、感動のあまり号泣し、あるいは気絶する者が現れるのは珍しくなかった。

 得意とする歌声を気兼ねなく披露できる場は、きっとメルや他の人魚たちには、魅力的に感じるのだろう。踊り手を逃げ続けた私とは大違いだ。

「そっか、メルの歌、すごく綺麗だもんな」
「本当?」
「うん、私、好きだよ」

 嬉しそうにはにかむ彼女ときたら、本当に花のようである。可愛い。

の踊り子姿も、楽しみだなあ。絶対に素敵だよ。ね、ザギ!」

 メルがくりっと頭を動かし、隣に浮かぶザギへ話を振る。美少女が並ぶ事で、普段にも増し凶悪に見えるサメ頭のザギは「知るかよ」と素っ気なく言った。

「おめえの言う素敵な踊り子とやらには興味ねえが、まあ、逃げ続けた役目をついに引き受けたわけだ。これがどんなになるか――見物だな」

 ニイ、と口角が持ち上がり、その向こうに擁した無数の牙が鋭く光る。
 無法者のような凶悪な姿を持つ、青がかった灰色のサメの魚人は――その姿に相応しい、邪悪さの滲む仕草と声色で、挑発的な笑みを放った。

 これ、と揶揄されたの片眉が、ビキリと歪む。
 そこまで言われてしまったら――受けて立たねば女が廃る。

「おー期待してろ、完璧に踊ってやるから! 散々言って悪かったって、泣いて謝らせてやるからな!」

 指を差して宣言すれば、ザギは「期待しないで待っててやるよ」と不遜な笑みを浮かべた。
 目映い晴天の下で火花を散らすとザギの脇で、メルが困ったように微笑む。

「もう、二人ってば、いつもそんな調子なんだからぁ」

 長年の付き合いにおける宿命と言って欲しいな。メル。


◆◇◆


 ――しかし、勢いよく啖呵を切ったはいいが。
 祭りの要を担う踊り手が、大役である事実は変わらない。振り付け等は、真面目に覚えていかなければならなかった。
 これまでは、踊りや歌といったものとは無縁の生活を好んできたので、これが正しく初めての体験。練習が始まるその日まで緊張が続いた。



 そして迎えた、練習初日。場所は、漁港の近くにある、巨大な空き倉庫だった。
 ドキドキしながら倉庫を窺うと、そこには町の女性たちと、同年代の娘たちが既に居た。彼女たちの和やかな笑顔に迎えられ、少しほっとして倉庫へ踏み入れる。

 開始時刻になり、十数名の踊り手たちが全て揃うと、倉庫には明るい声がわいわいと響いた。同じ町で暮らしているので、顔見知りも多かったのが救いだ。
 良かった。これで知らない人ばかりだったら、始まる前から心が折れていた。

「まあ、私もあんまりやりたいわけじゃないけどさ。ほら、選ばれちゃったのはもう仕方ないしね。頑張らないと」
は、衣装が映えそうだよね。あんたしょっちゅう動き回ってるから引き締まってるし」
「みんなで頑張って、成功させようね~」

 そんな賑やかな空気の中、いよいよ踊り手たちの練習が始まった。
 まずは所作を覚える事から始まり、数人の女性衆が手本を見せてくれた。物心つく頃から毎年この踊りを見てきたので、ほとんどの動きには覚えがあったけれど、見るのとやるのとでは全く違うらしい。

(やばい、ますます綺麗に踊れる自信がねえ……!)

 その日のの練習は、終始、四苦八苦したぎこちない動きで終わった。

 これじゃあ本当に、本番がどうなるのか見物だ……。


 ――海凪の精霊祭まで、あと一ヶ月である。



男勝りな女の子は、可愛いと思う。
そこにちょっと粗暴な男の子が加わって、わちゃわちゃ仲良く喧嘩してたら、もっと可愛いと思うんです。


2017.07.15